ページビューの合計

2015年10月20日火曜日

シンクタンクとの意見交換会で思いついたFreedom of Mobilityについての連続ツイート10連発!!

シンクタンクとメディアの意見交換会に垣間見た日本の縮図(問題点)

 私は、1952年生まれ。1970年18歳で自動車免許を取得し、自動車運転歴は45年を数えた。免許取得前年は70年安保の騒乱の時。高校時代は3年の3学期までボールを蹴るサッカー小僧で、当然のことながらノンポリ。同級生に"どかヘル/角棒"にかぶれた者もいたが、抱いたのは違和感だけだった。

 運だけはいいようで、職員会議(留年対象)の常連だったのに大学入試はストレートで合格。専大法科。神田神保町の校舎は今とは違い古びたボロで、実家に近い生田グラウンドが体育の授業の場だった。

 サッカーの継続を希望したが、"詰め襟『押忍』" の体育会にどうしても抵抗があり諦めた。18歳、63になった現在の自分など想像できるはずもなく、未来は厚い靄の向こう。ヴィジョンもなく、身を以て触れられるモノだけを信じる他はない。

 高校同級のヤナギサワは、今も音楽が生活の一部にあるメジャーデビュー経験のあるミュージシャン。3年通った大学をドロップアウトするまではしばしツルんで4弦を弾いたこともある。しかし(これは違うな)の念が湧いたハタチの頃、バイト先のGS(ガソリンスタンド)で一冊のカッパノベルと出会い自動車レースに目が向いた。

 GSの元売りがスポンサーとなっていた関係で、当時のスターレーサー生沢徹の『デッドヒート』が送られてきて、たまたまそれを目にして憧れた。著名な生沢朗画伯の御曹司。私とは背景が雲泥の差であり、こちらに可能性などあるはずもない。

 今ならそう気付けるが、基本的に若さは馬鹿さである。20歳のスタートアップは遅く、GSのバイト代が資金では知れている。3年を要して貯めた100万円はマシン製作に取りかかると3日で消えた。

 高校同級で生徒会長だったヨコヤマがGSのバイトの紹介者。整備士を志していた彼をチーフメカニックにした素人でチームを組み、GSのガレージでマシンを仕立て富士フレッシュマンレースを皮切りに参戦を始めた。

 マシンは、当時かぎられた入門カテゴリーのTS1300の定番サニークーペ(B110)。OHVの1298㏄で8500rpmは楽に回り、究極は165馬力まで行ったが、ビギナーの私の東名チューンは140馬力から始まった。公認車重は645kgであり、比出力5kg/psを切るパフォーマンスは今なお伝説として残る。

 資金作りのバイトに励む中、1973年10月に第4次中東戦争が勃発。それをきっかけにスーパーマーケットからトイレットペーパーが消えた第一次石油危機の大混乱が訪れる。GSにガソリンを求める行列ができ、「10ℓしか売れません」と言ってはドヤされた。

 悪いことは重なるもので、同年11月富士GCレース最終戦で中野雅晴、翌年6月の同第2戦で風戸裕、鈴木誠一が何れも焼死によって命を落とす不幸が続いた。6月2日のGC第2戦には、亡父を伴い観戦に出掛けた。

 好き放題させてもらって、いろいろ迷惑掛けっぱなし。申し訳なさもっあって、一度やりたいことを見てもらおうと考えた。そこで見た紅蓮の炎が立ち上がる大惨事。「お前、これをやるのか?」父から発せられた一言が今も耳に残る。

 デビューレースは1975年の10月だったか。富士フレッシュマンレースで、結果はバッテリーが外れて(笑)リタイア。予選はトップ10には入っていたと思う。翌年もフレッシュマンシリーズ。5戦ほど出て、2、3位はあったが優勝は叶わなかった。

 1977年は印象に残る。6月4日の富士スピードウェイ。JAF富士GPのTS1300レース決勝で3位表彰台を得る。スタート直後にクラッチをバーストさせたマシンがあり、その破片を踏んだ上位が脱落してのタナボタだが、リザルトには間違いない。

 翌78年8月までなんとかチャレンジを続けたが、これ以上を求めるには資金が絶望的に不足した。足かけ4年間で600万円ほど稼いでは使った。振り返れば「よく続いたもんだ」であるが、もちろん続けたかったのは山々だ。

 今思うと漫画だが、当時は本気も本気。メモ書きに”F1を追い続ける!”なんて記している。こういう若いバカが夢中になってやっていると、気にしてくれる人も現れる。

 GSのお客に異なる自動車専門誌の編集者が二人。それぞれが声をかけてくれ、私の雑誌デビューはライター稼業に入る前の1977年(その後一度も仕事に関わったことがない、いやあるか)CARTOPモノグラ3ページ。ライターではなく、レーサーとしての登場だった。

 「これからはフリーランスの時代になる。やってみないか」もう一人の編集者が私の人生を変えた。実際その通りになって、37年後の今の私がいるわけだが、何しろ当初は文章など一行も書いたことがない。学校時分の夏休みにあった作文の宿題。あれを書いて行くより授業中一時間立たされることを選んだ。それを知る同級生は誰もアイツが物書きになったとは信じないが、誰よりも自分かそうである。

 なんでやってこれたか分からない。最初の頃は原稿を「落とす」のも度々で、誰もが3年と続かないと思ったに違いない。我ながら不思議だが、苦しんだけれど何度もやめようと思ったけれど奇妙な崖っ淵感があって踏みとどまった。

 石の上にも3年、一万時間の法則ということだろうか。振り返って気付いたことだが、駄目を承知で耐えたことが今に繋がる。10年続けられれば大抵のことはモノになる。未来は創ることができるけれど過去は変更が効かない。

 まあ失敗だらけであり、天狗になっていたのかなと反省するところもあるけれど、人を陥れるような嘘だけはついたことがない。この10年間は、世の中こんな狡い奴がいるんだ‥‥自らの脇の甘さを身に沁みて振り返る日々が続いた。

 火のないところにの譬え通り、相手あってのこと。自分の思いとはかけ離れた曲解はあり、それを拾い歪めて吹聴する。そういうのにかぎって徒党を組み、数に頼んで嘘を事実として蔓延させる。何を言われてもその手と一線を画すことだけを考えて、孤立無援の立場を甘んじて受け容れた。

 間違いは多いかもしれない。失敗は山のように積み重ねている。しかし還暦も3年が過ぎ、この期に及んで濡れ手で粟など考えもしない。借金は気になる。過去10年の油断が招いた苦渋の結果であり、最優先課題。何とかするが、先のことはなるようにしかならない。

 気がつけばライター稼業は37年。アマチュアレーシングドライバー上がりでここまで来た先例のないハシリであり、バブル期までの10年間にゴチャゴチャとあらゆるジャンルに首を突っこみ、記名にならない原稿書きを経て何とか格好をつけた。

 現在63歳。私より年長の先輩は数えるほどになり、後進は年長/年少を問わず自動車産業が膨張したのに合わせてメディアが増殖したバブル期以後の人々。ようするに自動車産業が成熟期に入ってからの価値観しか知らない持たず、巨大強大化した自動車メーカーの情報量、資金力に支配され、メディア/ジャーナリズムに欠かせない批評の精神で対峙することより、PRの片棒を担ぐことが生計を立てる賢い道。そう考える『プロフェッショナル』が大勢を占めるようになってしまった。

 今日(19日)、三菱総合研究所がメディア意見交換会を開くというので出掛けてみた。永田町の東急キャピタルタワーの同社が会場で、しばらく訪れない内に日枝神社周辺の街並みの変貌ぶりに驚くやら戸惑うやら。

 会のテーマは『自動運転技術で未来のクルマはどう変わるか?』最新技術として注目されている自動運転やITS(高度道路交通システム)の話で、スピーカーは40代半ばの首席研究員であるという。私は初めての参加だったが、月一で定期的に開催されているそうで、新聞、WEB、業界専門誌など様々なメディアが数十名詰めかけていた。

 30分ほどの基調スピーチに新味はなく、トピックスとしては今年フランス・ボルドーで開かれた第22回ITS世界会議ぐらい。優秀な人材なのかもしれないが、意見交換会と称しながら、語られるのは三菱総研というブラントを背景にした立場や身分から得られる情報の伝達のみで、弁舌爽やかは買えるが中身はない。

 取材(?)するメディアも未熟なおこちゃまばかりで、意見交換会の趣旨どこ吹く風で記事化しやすい瑣末なデータやファクトをQ&Aスタイルで聞きたがる。新聞/雑誌/放送すべてのメディアに言えることだが、専門性が求められる分野なのにやって来るのは経験が浅く意見も持たない若手中心。彼らを通じて流される通り一遍の情報は、正確さや間違いのなさに気を取られた面白みを欠くもの。その多くは行政に聞くべきファクトで、三菱総研とはいえ民間に尋ねる筋合いではない。

 もうスピーカーも受けるメディア側もクソそのもので、サラリーマンの儀式儀礼のように会が流れて行く。痺れを切らして手を挙げた。

「新しい技術として注目されている自動運転やITSですが、そこでの視点は『便利で正しい』といった行政側からみた管理型の側面を感じる。商品としてのクルマの第一義的魅力はFreedom of Mobility。『面白いかどうか』が大事で、正しい←→面白い両睨みの視点が必要だと思います。仕事がら先進国を中心に海外の走行環境を経験しています。地球上に約10億台のクルマが走ってますが、現実の路上に大きな変化は見られない。米国運輸省(DOT)、同国家道路交通安全局(NHTSA)が進める安全システムというミクロの視点ではなく、世界の大都市はどこもカオスというマクロで見ると、正しいことを主張するだけでは動かない。従来型のクルマが主流を保つとは限らず、未来が過去の延長線上にあるとは言えなくなりつつある。まったく違う体系を考えた方がいいのではないか?」

  質問ではなく、感じる疑問について意見の交換を求めようと思ったのだが、「難しい話ですね‥」と言いながら、踏み込んだ意見を聞くことはなかった。行政官僚のように上意下達で、民(メディア)が恐れながらとどうでもいいディテールを聞いて仕事をしたふりをする。民間のシンクタンクの研究員が行政官僚みたいな振る舞いをしてどうする。ネタを仕入れることに汲々とするメディアのおこちゃまも情けない。

 最悪は、数名列席していた同業者でフリーランスのメンバーシップの代表とサブその他もいたのだが、会を代表して意見の一言も吐という気概もない。お開きのあとコソコソ名刺交換している場合ではなく、その場でなんとかするのがプレゼンスを上げるということ。できないならさっさとお引き取り願いたい。

  この一月嵐が吹き荒れたVWの排ガス規制不正問題。やはり世界の自動車産業に深刻な影響を与えることが明確になりつつあるが、マスメディアはともかくより専門性の高い自動車メディアに属するジャーナリストから積極的な発言が沸き上がらない。

 これまでの企業に寄り添いすぎた経緯からすれば仕方のないことだろうか、VWの不祥事は国内の自動車メディアの現状現実をも浮き彫りにさせた。沈黙して嵐が過ぎるのを待っているとしたらとんだお門違いということだろう。我々の顧客は大手自動車会社をはじめとする企業ではなく市場の読者でありクルマ好きなのだ。ここでの対処を誤ると、VWがそうであるのと同じように壊滅的な結果を招きかねない。

 私が今回のVW問題を契機に発言を強めているのは、40年近くこの世界に生きてきて最大級の危機だと感じているからに他ならない。それは単にメーカーやメディアの問題にとどまるのではなく、クルマそのものの未来が問われていると直観するからである。

2015年10月19日月曜日

メルマガ配信。VWが駄目だと思う理由


10月17日号のさわりです。

講読よろしくお願いします。



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第162号  2015.10.17


●この10年を振り返るところから考える

 予想通りと想定外。不正発覚から一ヶ月、フォルクスワーゲン(VW)による排ガス規
制逃れ不正ソフト使用問題は、組織的かつ大規模という点で一私企業に留まらずドイツ政
府や欧州連邦政府、それぞれの規制当局や政治中枢を巻き込んだ世紀のスキャンダルの様
相を呈している。

 今年は2015年。21世紀のセカンドディケード(旬年)の半ばであり、世紀の変わり目が
明確になる頃合いだ。振り返ってみると、末尾5年が付く10年括りのディケードは俗に10
年ひと昔と言われる変化のワンブロック(塊)であり、社会的にはもちろん個人的にも節
目になっている。

 2005年は愛知博の開催年だった。調べたところドイツ年でもあった。『ドイツ年』は、
開催5年前の1999~2000年にドイツで行われた大型文化行事『ドイツにおける日本年』の
成功を踏まえもの。時のドイツ首相シュレーダーが開催を希望しドイツが準備したという。
あまり記憶にないが、そういうことだったらしい。

以下は、本編で。ご購入の上お楽しみください。(かなり長いです笑)
http://www.mag2.com/m/0001538851.html

2015年10月16日金曜日

MAZDAがFR(専業)メーカーになる!?

2010年9月のミラノで見た靭(Shinariしなり)はFRだった。
マツダ魂動デザインがこだわるのは、キャラクター(ライン)やディテールではなくプロポーション。その原型を端的に表したのが現在のマツダ車の精神的よりどころになっているである。


クルマ(内燃機関を搭載した自動車)とりわけ基本形とされるセダンのスタイリングを、ホイールベース/前後オーバーハング(=タイヤ位置)とアッパーボディの関係(Aピラーのフロントタイヤへの”刺さり具合、Cピラーのリアタイヤへの”載り具合”)によって得られる美しさで考える。その全体のバランスが醸し出す安定感こそが、人間の八頭身美人にもつながるグッドスタイリングの原点proportionなのだ。
『MAZDAにFR転換の野心あり』グローバルなブランド構築を推し進めるエグゼクティブの口から強い意志を耳にしたのは2013年の初秋だった。速いクルマより楽しいクルマ。NDロードスターが体現したダウンサイジング/ダウンパフォーマンスでも人に寄り添うクルマであれば愉しい。
資源環境ファクターから機能性能の∞(無限大)化に制約が生まれ、右肩あがりの高性能化のベクトルが正義とはならなくなった。限られた条件の中でクルマの魅力を追求すると、デザインと走り(動きそのもの)の面白さ=ハンドリングに行き着く。象徴的かつ究極的な姿がドリフトであり、そのコントロールに人とクルマと環境のバランスを踏まえた商品としての魅力が潜んでいる。
FR絶対主義。今から30年前に直観した”なぜドリフトは面白いか?”の素朴な疑問に端を発する考察の結果は揺るぎないが、理解しようとするプロフェッショナルは未だ少ない。MAZDAが漸く声を上げてくれた。上から目線は生意気に聞こえるかもしれないが、率直な感想だ。
86の構想段階でも同じことを述べ、開発責任者はビタ一文の対価を払うことなく量産化を実現し名声を得た。迷いを吹っ切る一言の価値を忘れるような驕り高ぶりに明るい未来は訪れるか。じっくりお手並み拝見と行きたいものである。
VWが仕出かした途方もない愚挙によって、クルマの未来に不穏な空気が漂うようになった。MAZDAがとばっちりを受けて凹むことを心から憂慮するが、小さいけれどキラリと光るブランドを目指す行き方は日本になかなか育たないプレミアムブランドにもっとも近い。プランが実行されることを願って止まない。
まだまだクルマは面白いし、面白くしないといけない。

とても興味深い記事を見つけたので、感想に代えて一文を認めてみました。

2015年10月15日木曜日

VWディーゼルスキャンダルの深層をdriver誌に書きました。必読でよろしく!!2015年10月20日発売です。

第66回IAAフランクフルトショープレスデイから早一ヶ月。帰国直後に発覚した世紀のスキャンダルに目を白黒の毎日でした。

今回のIAAは、じんわり時代の大きな曲がり角を実感させるハイレベルなフラット感(?)が印象的でした。

 渡航前からの胸騒ぎは、取り越し苦労かと思いきや、帰国直後にあり得ないほど大胆かつ大規模な不正劇。過去10年間抱き続けてきた疑念が、すっと晴れる感覚を味わう一方、徒党を組んで既得権の保持に汲々とするお子ちゃま連の現実に向き合えない尻尾の巻き具合、首のすぼめ様に情ないやら同業として恥ずかしいやら。

 2008年の11月から始めた本ブログ。サブタイトルに『孤立を恐れず、孤高に陥らず』と敢えて記し、仲良しクラブで群れて取り返しのつかない状況に陥ることを戒めた意味がやっと伝わる。

個人の力量で何とかするフリーランスが徒党を組んで『立場』でモノを言うなんてもってのほか。間違い失敗は許されても、己を欺いてまでの協調共同は虚偽につながり、為にする言動は嘘の擁護者になりかねない。

 独りで耐えるのは苦しいぞ。常に群れのつまらぬ圧力に晒されるのは情けなくも悲しいぞ。メーカーに媚びるなとは言わない。情報の発信源とのコミュニケーションなしに仕事ができないのが我々だ。しかし、勘違いは駄目だ。お客はリッチで頼りになる企業ではなく市場に数多いる読者でありクルマ好きであるはずだ。

 何でもいいから、自分の意見を自分の言葉で言おう。それがVWの魅力を語り続け、多くのクルマ好きをその気にさせてきた情報発信者のせめてもの良心だし、責務だろう。非を謝る必要はない。間違い過ちは訂正可能であり、修正は許される。 

でも、シラを切ったり嘘の上塗りは駄目だ。この嵐は、過ぎれば青空という簡単なものではなく、時代をそれ以前と以後で大きく分ける前代未聞の不祥事と捉えるべきだろう。

 僕は、初めてドイツに出掛けてから30年余になる。最初は速度無制限のクルマの理想郷に息を呑んだ。30代前半から経験したプレスツアーの豪華さに夢見心地を味わった。しかし、それらは明確な企みから作り上げられたビジネス戦略に基づくものであり、情報伝達者としては一歩引いて対峙する必要性を感じた。

 ライバル国の企業が、世界で覇を競う強力な同業のいる国のジャーナリストを目的もなしに厚遇すると考える方がどうかしている。この場合、一定以上の緊張感は絶対必要で、きちんと批評の精神を携えて自前の意見で議論のひとつでも闘わせるくらいじゃないと。プレスキットポーターでは先方は思うつぼだろうが、聞かされるクルマ好きが浮かばれない。

 フリーランスは元来孤独なもの。意見はそれぞれで異なってあたりまえ。多様性があるからこそ、それなりの個性の存在が許される。皆と同じ意見ならこんなにたくさんの雁首が必要なものか。

喧々諤々、丁々発止の議論の高まりから生まれる”何か”が未来を作る。馴れ合いの予定調和は過去の遺物にすぎない。 VWが引き起こした環境の時代という人類共通の感覚を忘れた行いは、それを盲目的に擁護する者がいたという点で問題の深さを露にさせた。きれいごとになるが、ここて頬被りをしては未来に禍根を残す。まだ何も終ったわけではなく、始まりはこれからだ。 

番宣(?)のつもりが、熱くなっちゃった。

ということで、たくさん書いたのでdriverよろしく!!





2015年10月14日水曜日

VWディーゼルゲートの深層。これからの流れを読むツイート(tweet)11連弾2015年10月14日

VW不正ソフト使用に至るディーゼルの歴史的流れ 怒濤の44連続ツイート(tweet) 2015年10月12日

2015年10月13日火曜日

東京モーターショー ガイドツアーのご案内

■東京モーターショー ガイドツアーのお知らせ。

第44回東京モーターショー(10月30日より一般公開)において、日本自動車工業会委嘱による日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員による『ガイドツアー』が催行されます。


私伏木悦郎もガイドを務める予定で、各組それぞれ10名2時間のご案内。

すでに10月1日の参加申し込み開始から2週間経ちますが、まだチケット購入は可能なようです。      

http://www.tokyo-motorshow.com/event/guidetour.html              
申し込み先アドレス http://www.e-tix.jp/tms2015/

自動車ジャーナリストと巡る東京モーターショー(AJAJガイドツアー) 


10/30(金)、11/2(月)、4(水)、5(木)、6(金) 5日間 [1日4回(10/30は2回のみ)]参加券付入場券  2,100円(税込)

ちなみに私の担当日時は、


11月2日第3部14時30分~16時30分、第4部17時00分~19時00分
11月5日第2部12時00分~14時00分、第4部17時00分~19時00分

11月6日第3部14時00分~16時00分、第4部17時00分~19時00分

以上です。

当日お待ちしております。

2015年10月11日日曜日

ポルシェ ミッションe PORSCHE MISSIONe@IAA2015

ポルシェ初のフルバッテリーEV。現在主流のEVの2倍となる800V(ボルト)のリチウムイオンバッテリーをホイールベース内フロアに収め、WECマシンの919ハイブリッドと同系の永久磁石同期モーターを前後に1基ずつ搭載。

2基合計出力は600hp以上。4輪を駆動(4WD)すると同時に操舵機構(4WS)も備える。

定格800Vのリチウムイオンバッテリーの採用により短時間き複数回の全開加速が可能となり、0→100km/h3.5秒以下、200km/hまで12秒未満で到達する。

しかもフル充電の航続距離は500kmを超え、専用の「ポルシェターボチャージング(800V)」急速充電システムを使えば15分で80%チ                                               ャージが可能で400km走れるという。

軽量なボディ素材はアルミニウム、スチール、カーボンファイバー強化プラスチックによる複合(ハイブリッド)で、フロント21、リア22インチのロードホイールもカーボン製だ。

フル4シーターのパッケージングは、前後にスペース効率を損ねるパワートレインを持たないEVな
らでは。全体から醸し出される雰囲気は、明らかにポルシェにとっての主力市場のアメリカを席捲するテスラモデルSを強く意識していることを窺わせる。

果たして半世紀を超えて人気を保持する911に取って代わるポルシェの本流となり得るか?50年後、いや10年後は911カレラかMISSIONe? 是非ともこの目の確かめて見たいものである。

2015年10月4日日曜日

まぐまぐ!で配信中の我がメルマガ『クルマの心(しん)』を振り返ってみたら・・・・

  この場合遠慮や配慮は無用だろう。すでに9月18日(日本時間19日未明)の不正発覚から2週間が経過。事態はアメリカのカリフォルニア州の片隅の出来事ではなく、世界的な大スキャンダルとして白日の下になっている。

  ドイツのフォルクスワーゲン(VW)によるディーゼルモデルの"Defeat Device"を用いた排ガス規制逃れの一件である。

  私は、EPA(アメリカ合衆国環境保護庁)発の第一報に接した瞬間(これは深刻なスキャンダルに発展する)。直観的に見立て、しばらく遠のいていたここを含むいくつかのブログに書くことにした。

  話すと長くなるのでここでは端折るが、いろいろあって書くことに意欲を失いつつあり、長く仕事にも身が入らない日々が続いていた。

  商業メディアの既得権益を守ってこのまま逃げ切りを図ろうとする自動車専門メディアと、そこに群がる同業の人々とは相容れず、目に余る一部の者に対する批判的な立場を採ったことが村社会化したした人々のスクラムを強化させ、世界が狭くなる一方になった。

  そもそもはそんな奴がいるとは夢にも思わないところでスキャンダルに塗れ、SNSやblog、メールマガジンなどのパーソナルメディアで生きる道を模索したのだが、運営するスキルと魅せて読ませるテクニックの技量不足が重なって思うに任せない。

  なんて泣き言を書いている暇はないのだった。先日のIAAフランクフルトショーをはじめ原稿は溜まり滞っているのに、VWの不正問題の衝撃を覚えるあまり思考が混乱しほとんど消化していない。個人メディアのまぐまぐ!メルマガ『クルマの心』の発行にも支障を来してしまった。

  official siteともいえるDRIVING JOURNALでも数日前に書き出したのだが、事の重大さに筆が止まった。きちんと取材をして整理してからでも遅くない。グルグル回る思考の中で、過去のメルマガを振り返ってみると、9月12日付けの第157号に今回の事件を予見しているかのようなことを書いている。

  ここにその全文を転載するので、参考にしてほしい。続報は追って。



 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第157号  2015.9.12

 

●世紀末のLAの空は汚れていた

 今世紀に入って始めた習慣がふたつある。まず第一にウォーキング。現在の町田に住んで35年近く経ったが、最初の20年は近所に桜の名所となった川(恩田川)の存在も知らず、その両岸に町田市が(市民の健康を考えて?)遊歩道を整備していたことにも気がつかなかった。

 まあ80年代から世紀末にかけての30~40代は無我夢中の働き盛りであり、健康面でも特に不安を抱くこともなかった。忙しくて健康のために歩くなんて考えも及ばなかった。世紀の変わり目が40から50代への節目と重なった。

 喫煙を止めたのは1997年45歳の時。四半世紀の習慣を断つのに苦労したが、当時米国取材の比率が増し、喫煙環境が目に見えて厳しくなる状況を目の当たりにしたことが幸いした。バブル崩壊までの1980年代、まだ柔軟性が残っている30代に欧州(とりわけドイツ)メーカーのプレスツアーを数多く経験し、比較的喫煙に寛容だった南ヨーロッパの国々から日本の自動車産業の生命線となるビッグマーケットの米国取材の機会を増やしたことが契機となった。

 発端は、カリフォルニア州発の外電でZEV(zero emission vehicle)=大気清浄法が施行されるという新聞のベタ記事。当時1990年初頭に政府の肝入りでCS(商業衛星)放送がスタートした頃合いに自動車のレギュラー番組に関わる機会を得て、それをベースにZEV法って何?を現地に取材する企画を立てた。

 最初はロサンゼルス(LA)で問題になっている大気汚染問題のイメージすら湧かない。私が中学高校時代を過ごした1960年代の川崎の経験があるので、さほど違和感を抱くことはなかったが、現地を取材してこれは複雑だと思った。

 まず第一に三方を山に囲まれ、西は太平洋というLAの地形的な要因がある。基本的に大気が滞留しやすく、午前中はスモッグで覆われがち。陸と海の温度差の関係で風が吹く午後になるまではカリフォルニアの青い空を拝むことが難しい。

 今ではそんなことはなくなったが、90年代のLAは、成田からの到着便がロサンゼルス国際空港(LAX)に降り立つ午前中は山の中腹の上までが薄黄色い雲に覆われることが多く、午後になるとパッと晴れるのが通例だった。

 ZEV法の衝撃は、当時カリフォルニア州で一定量以上のクルマを販売するメーカーは1998年まで販売台数の2%を排気ガスゼロのZEVにし、段階を追って2003年には10%まで高める。当時ZEVといえば鉛バッテリーのEVしかなく、短期間でとても商品性を高められるとは思えなかった。

 カリフォルニア州ZEV法の特殊性は、先述の排ガス由来のスモッグが滞留しやすい地形に加えて、一年を通して温暖で雨も少ない。ということはクルマが痛みにくく、ライフサイクルが他よりも長い。当時の最新モデルに比べるとエミッションレベルが10倍オーダーの旧くて大きいアメ車をはじめ、現役に留まる確率が高い。

 今もそうだが、当時のLAはクルマがないと日常品の買い物にも困る完全クルマ社会。クルマは死活に関わる問題で、非白人系の低所得者層は旧いクルマに乗らざるを得ない。まだガソリン価格がガロン(約3.8L)1ドルそこそこの時代。ドル/円の為替レートも95年6月の超円高以後は現在とほぼ同じ120円台に落ち着いていた。

 このLA取材の際、私は多分日本のメディアとしては初めてカリフォルニア州大気資源局(CARB)のトップとTVカメラを前にインタビュー取材したジャーナリストだと思うが、その中で確かダンロップという姓の局長はきっぱりとこう言いきった「それがEVだろうがガソリンだろうがハイブリッドだろうが何でもいい。このカリフォルニアの空がきれいになりさえすれば!」

 当時の技術レベルでも、低所得者層が乗る旧いクルマを最新モデルに置き換えられるなら即座にLAの青空は戻ってくるだろうと言われていた。しかし、強制的に旧車を取り上げても問題は解決しない。そもそも貧しいといっても米国籍を持つ市民であれば、強制力は発揮できない。そうかといって新しいクルマに乗り換えを促す財源もない。迂闊に召し上げれば、彼らも有権者。強行した政治家が次の選挙を勝ち抜く保証はない。

 つまりLAの大気汚染に始まるカリフォルニア州大気清浄法の問題は、地形や環境、政治、経済、社会(システム)、人種などが複雑に絡み合ったアメリカのこの地特有の複合汚染の様相を呈していた。

 ZEV法はその後紆余曲折があって、ここに来てようやく目鼻がついた。実に20年を要してやっとと言う感じ。もともと一地域の問題はいつの間にか1997年のCOP3京都会議で急浮上した温室効果ガスの問題とくっついて、いつの間にかCO2二酸化炭素が問題だというグローバルな広がりを持つに至った。

 20年前の記憶が印象的な出来事とともにこの頭の中に残るが、率直に言ってこの20年間は一体何だったのだろう。全世界の自動車保有台数は10億台規模に達したが、EVを初めとする次世代自動車の普及は1%にも満たない。

 温暖化に急いでブレーキを掛けないと30年後には壊滅的な事態が招来する。IPCCは最後通牒とも言える第5次調査評価報告を提出し、今年12月のCOP21(気候変動枠組み条約第21回締結国会議)は京都プロトコル(議定書)に代わる新たな具体的な対策を発表するはずだが、日本の一般社会を見るかぎり急激な変化を見越した緊張感に覆われている印象はない。

 もしかしたらすべてが質の悪いデマの類で、この20年間踊らされ続けたような苦い気分が残るように現実は何も変わらなくても済むのかもしれない。情報の送り手としては狼少年にならない範囲で時代の変化に対応する必要を喚起してきたつもりだが、見ないふりをした大勢に押し切られているような居心地の悪さを感じる。

 体力が落ち、変化する価値観に付いて行けなくなったのかもしれない。弱音を吐くつもりはないが、未来が過去より圧倒的に短い境遇には何より身体(からだ)が基本で頼りだと痛感する。ウォーキングを始めたのは本能的な直感かもしれないが、さほど優れた頭脳ではない自覚がカラダさえ何とかなればと見切ったのだろう。

 これから先のことはまったく見通せないが、身体さえ丈夫なら、しっかり自分の足で歩けさえすれば大概のことは克服できる(と思う)。クルマのドライビングには最低限歩く体力と感覚的な鮮度が必要だと思っている。

 老化による衰えはいたしかたないが、歩く体力/能力を失った身体を補う技術体系は必要であるにしても本来の目的からは外れる。自動車旅行をしてみれば分かることだが、クルマのドライビングにはウォーキングレベルの基礎的な体力や感覚が不可欠だ。それがないと楽しめない。何のためのクルマかを考える重要な視点ではないだろうか。

●15年間通い続けているからこそ見える、実はあまり進歩していない国際社会

  誇れるものが少ない人間だが、ふたつめの自信を持って言える習慣(?)が世界の主要国際モーターショー取材だ。もっとも古い国際モーターショー経験は1985年のIAAフランクフルトショーだが、基本的に乗って走ってリポートする試乗記で長い経験を積んできた走り屋。プレスカンファレンスに立ち会って、世界初公開の資料を受け取って、時に開発者やデザイナーやトップマネージメントに話を聞いて記事にまとめる。客観性が問われ、発信元情報の精度が求められる仕事は苦手だった。

 1980~90年代を通してプレスツアーで多くの海外経験を積む境遇を得、世紀末頃に米国取材に軸足を移す過程で、あることに気がついた。バブル崩壊後。日米自動車協議が激化する中で、為替の円高振れの基調もあって現地生産化に拍車が掛かった頃に、日本にいて日本目線だけでクルマを見ていたら日本メーカーの実像が見えにくくなる。

 北米を初めとする現地生産の仕向け地専用モデルの増加を目の当たりにして、これは各国各地の国際モーターショーを取材しながら広い目を持たないと日本の自動車産業の端くれとして役に立つことができない。

 今世紀初頭のNAIAS(北米国際自動車ショー通称デトロイトショー)は、まだ衰退の一途を辿っていた当時のローカルな雰囲気が残っていた。バブル崩壊後の混迷から日産、マツダ、三菱が相次いで外国人トップを招き入れ、国内よりも海外市場に意欲を燃やすことで活路を見出そうと有望な北米市場に注力し始める。

 NAIASが活気を帯びるのは、C.ゴーンの日産や現フォードCEOのM.フィールズが350ZやGT-R、RX-8などといったイメージリーダーを積極投入し、その勢いに釣られてすでに北米に確固たるシェアを築いていたトヨタとホンダも積極姿勢で臨み始めてから。

 NAIASのデトロイトは今世紀に入ってから15回連続の皆勤で、後にニューヨークNYIASとロサンゼルスオートショーもアニュアルイベントとして加わった。取材目的は自動車ショーだけではなく、その折々に興味が持てる試乗車をLAを中心に借り出して、クルマの評価とともにフリーウェイを初めとするインフラへの理解を深めることにも注意を払った。

 自動車ビジネスという視点では北米が最重要であるのは間違いないが、雑誌を中心とするメディアが注目し、情報としての面白さやエンターテインメントの視点から見るとヨーロッパのウェイトが大きい。とくに日本メーカーの最大のライバルとなるドイツは、技術的経験が長く深く世界をリードする立場にある。

 EUとなった欧州の中心的存在となっているドイツとフランスが隔年でフランクフルト(奇数年)とパリ(偶数年)で国際モーターショーを開催する。こちらも合わせて15回の皆勤で、もうひとつの中立国スイスで毎年開催のジュネーブショーも通い始めて干支の一巡りになる。

 2001年のIAAは9.11の同時多発テロの記憶と重なる。プレスデイ初日の午後、時差の関係で深夜だった日本とは違って昼下がりのエアポケットみたいなタイミングで、突如各ブースのマルチモニターの画面が切り替わって煙たなびくワールドトレードセンタービルの映像に切り替わった。

 あの時肌で感じた嫌な予感がその後現在に至るまで続いている中東情勢や東アジアの緊張として関連づけられる。あれから10余年が過ぎて、自動車を中心とする経済は拡大したように見えるが、その分摩擦や混乱も深まったような気がする。

 ジュネーブで印象に残るのは2007年。直前の2月にEU委員会が120g/kmのCO2排出規制法案を提出すると発表して、それまでの"サロン"の名に相応しい華やかさは一変。冷や水を浴びせられたような白けたムードは、その後2年ほど改まることがなかった。

 半年後のIAAフランクフルトショーはまさに異様だった。それまで「我々にはディーゼルがある」エコの切り札として現実的なディーゼルエンジンを前面に押し出し、トヨタのハイブリッド路線に対して露骨に冷やかな態度を表明していたのに、9月のフランクフルトメッセでは「我々もずっと前からハイブリッドや電動化技術に取り組んでいた」

 そのほとんどがハリボテのような模型レベルの展示に留まるジャーマンスリーのドタバタに、正直幻滅したのを覚えている。それからわずか2年でビジョン・エフィシェントダイナミクスを発表し、6年後にi8を市販化させたBMWをはじめとするドイツ自動車産業の底力には驚いたが、それらを商業ベースで真剣に考えているかというと相当疑わしい。

 EUのCO2規制はすでに120g/km(タイヤその他で+10gの実質130g/km)が実施段階に入っていて、2021年施行の95g/km規制へとテーマが移りつつある。このところVW、BMW、ダイムラーのジャーマンプレミアムグループはオールドイツ的な取り組みとしてPHEV導入に邁進している。

 今週はVWがゴルフGTE、BMWがX5xDrive40eを同日(9月8日)に発表。ドイツ勢のプラグインハイブリッド(PHV)への傾倒はここ数年のトレンドとして確認していたが、正確な判断は致しかねていた。取材能力不足を認めるしかないが、これまで何度も現地の国際モーターショーで見聞きしてきたことにやっと腑に落ちる答えを見出した。

 X5のPHVモデルの紹介で航続距離が85ℓタンクで830kmとあり、それでは10km/Lを切ってしまうではないかと質問したら、連続走行ではそういうことになるが途中充電しながら走れば1500kmまで伸びると不可解な説明。納車は12月の予定だが、すでにベースモデルで927万円の希望小売価格も明らかにした正式発表の場である。資料に目をやると、国交省の燃費等の審査値の記載はなし。これも質問したら、まだ認証が取れていないとお茶を濁された。

  納得しかねていろいろ調べてみると、ECE R101という欧州の燃費測定法に行き当たった。プラグインハイブリッド(PHV)の場合、計測したCO2排出量をFuel consumption reduction factor(燃料消費量削減係数)で割ることになっている。この係数は、25km+燃費計測車両のEV走行距離の合計を25kmで割るという簡単な計算式から求められる。

  先月末に発表されたメルセデスベンツSクラスのディーゼルハイブリッドS300h(2.2L直4ディーゼル+モーター)のCO2排出量が115g/kmにとどまるのに対し、3L V6ツインターボ+プラグインハイブリッドのS550 PLUG-IN HYBRID longのCO2排出量は69g/kmとなる。鹿児島~東京1540kmを無給油で走りきったS300hの実燃費をS550PHVが上回るとは考えにくいが、欧州の燃費測定法では立場は逆転する。

 欧州は、依然として日本車に対して10%の関税を課し、カンパニーカー制度という目に見えない障壁でジャーマンプレミアムが独占的なシェアを守る高収益市場からレクサスやインフィニティを締め出している。近い将来関税撤廃となったら欧州車にとって日本車が具体的な脅威となるところだが、穿った見方をすればこのPHV規定は事前の防衛策と見て取れなくもない。

●今年のIAAフランクフルトは波瀾がありそう。胸騒ぎがするんです

 時代はどの方向に進むのか。2008年9月のリーマンショックに始まる世界同時不況状態を一手に引き受けた中国。2007年に初めて上海国際自動車ショーを取材して以来、隔年で北京と分け合う両モーターショーをカバーしているが、毎年一千万台の桁で純増を続ける巨大市場は日本が戦後70年をかけて築き上げた果実をドッグイヤーの勢いで実らせつつある。さすがに日本が1990年に経験したバブル崩壊の危機が迫り、これからの舵取りに注目が集まっているが、中国市場の混乱が致命的となるのは当の中国より深く市場に入り込んだドイツやアメリカではないかと私は見ている。

 今年の上海ショーは、2007年以来慣れ親しんだ龍陽路の新国際展覧中心ではなく、虹橋エリアに新たに建設された国家会展中心(National Exhibition and Convention Center)で開催された。従来の民営コンベンションセンターではなく、北京政府と上海政府が共同出資で建設した巨大構造物。メッセ会場としては従来世界最大だったドイツ・ハノーバーメッセを上回る総床面積147万平方メートルの世界最大に躍り出る。

 何度か訪れた広州ショーの会場もそれまで東洋一の威容を誇っていたが、それを軽く上回る。空から見ると四つ葉のクローバーデザインは一見機能的なデザインに見えるが、あまりに巨大すぎて出展者も取材者も観客も皆一日で疲れ果ててしまう。箱モノで権威づけを図る傾向は北京の人民大会堂や紫禁城や各地に林立する巨大ビルディングからも分かるが、器の大きさばかりが際立ち、コンベンションセンターとしての機能や使い勝手はほとんど省みられていない。

 実を言うとIAAフランクフルトショーが行われるフランクフルトメッセも、ダイムラーAGグループのホール2、VWグループのホール3、BMWが4年前に新設したホール11など、その巨大さと広大な敷地の移動に辟易とさせられる難所でもあるのだが、全体を通してのクォリティの高さに救われている。

 毎年通うジュネーブのパレクスポ(PALEXPO)の好ましいサイズと華やいだ雰囲気は理想的で、一年で一つだけ見ることを許すというなら躊躇いなくここを選ぶ。まだ冬の気配が色濃く残る3月のスイスは年明けのデトロイトと並んで快適とは言い難いが、最適シーズンに開催されるフランクフルト/パリと比べても公平さと情報の質の高さと会場の空気感の演出に秀でたものがある。

 今週は日付変更線を越えて日曜日の配信となってしまったが、あと半日ほどでフランクフルトショー取材に飛ぶ。今回はハノイ経由のベトナム航空。8月の早い段階で7万円台の格安チケット(当然サーチャージ込み)を掘り出し、プレス登録を済ませた。せっかくだからと、現地でCIVICtypeR、マツダMX-5(ロードスター)、CX-3のガソリン(AWD)とディーゼル(FF)を試すことになっている。

 もう無理、経済的に続けられない……言い続けながら、ここまでやって来た。我ながらどうしてやり繰りできているのか不思議な気もするが、まず行くことを最優先するという意志ありき。紐付きにならずに通い続けることで、内外メーカーに遠慮なく疑問は疑問として公にもできる。

 日本でのドイツ車のPHV攻勢はまだ始まったばかりだが、これまでドイツメーカーのジャンケットツアーに何度も出掛けている面々からECEのR101規定があることを聞いたことがない。経済が煮詰まると保護主義的になるのはやむを得ないのかもしれないが、少なくとも事情を承知しているメディア/ジャーナリストであるのなら背景をきちんと報告してしかるべきだろう。

 招待先の顔色を見て、不利益になるような情報は流さない。そんなふざけた連中が今度のIAAにも多く出現するはずだが、21世紀もセカンドディケードの折返点。大きく時代が動く変化による緊張感を意識しながら、時代はどっちに進むのか。しっかり読みとって来ようと思っている。

●ホンダが難しいところにいることを実感する両極端

  今月は月初めにホンダS660を一泊二日で借用し、翌日から未試乗だったレジェンドを一週間傍に置いて久しぶりのホンダプレミアムセダンを味わった。S660は現在COTY向けイベントを北海道・鷹栖PGで行っている。そんな関係もあって、試乗時間は限られたが、NDロードスターの直接のライバルになり得る……発売前からの予想通り、クルマというより身体性に関わるモビリティツールとしてNDと同格の存在感があると確信した。

 軽自動車らしからぬスペースユーティリティは、エアボリュームの極大化にエネルギーを注ぐ主流のトールワゴンと違って、2座に絞ってダイナミクスに集中したパッケージングで構わない。コンパクトなスケールとはいえ、2人分のスペースでいいという割り切りがあれば3.4m、1.48mの全長全幅はけっして小さくはない。

  我が家のガレージに収めても、クルマというよりは存在感としてスクーターなどのライトモビリティに近い。今回は箱根まで足を伸ばし、往復のストロークとワインディングを楽しみながら雰囲気を掴むことに集中したが、間違いなく4輪の軽自動車なのだが6速MTを操りつつ走る気分はモーターサイクルの身体で動く感じに近い。

 歴代ロードスター(NA/NB/NC)を過度にリスペクトしすぎ、現実的にはディメンション的にもプロポーション的に異なり、ドライブトレインを初めとする技術体系の面でも画期的に異なるゾーンに踏み入れているのに冒険していないNDロードスターと比べると、そもそも軽自動車枠という制約で自らを縛った上で登録車と変わらぬクォリティを与えることで軽自動車でありながら別の乗り物感を演出したS660は侮れない。

 ホンダ最小の4輪モビリティの対極にあるレジェンド。その豊かな室内空間の演出については米国各地のモーターショーで確認済み。スペースユーティリティと前後席の居心地の良さでは高く評価できる。FFベースのスタイリングにプロポーション的な難易度が高いことを知った上で敢えて言えば、何年か前にボツになったFRベースで世に問うべきだろう。スポーツハイブリッドSH-AWDによる高度な制御体系よりも、素直に心に溶け込むスタイリングを走りで補強するというスタンスを理解しないとゴールは永遠に見えてこない。

 JC08モード燃費は16.8km/L。実燃費でどこまで伸びるか注目したが、11km/L台、頑張って12km/L。3.5L V6SOHCを心置きなく楽しむ走りでは文句なしに速く、官能性能面での満足も高い。それについての評価は悪くないが、驚きが足りない。もっとオートマチックに好燃費が手に入るとか、ストレートな魅力を強化しないと支持を得られそうにない。

  アキュラRLXとしてなら走りのインパクトが最重要になるかもしれないが、レジェンドでは食指を動かさせることから始める必要がある。このスケールの大型セダンが一般の関心を生むことはあるか。劇的な燃費、大きなボディに対するエクスキューズを取り払う買い求める理由を提示した上で、二の矢としての走りのパフォーマンスがバックアップするイメージ。

 お金持ちは 燃費なんか意識しない……なんてことを言わないで、燃費を語れる大型プレミアムサルーンのコンセプトで迫る。大きなセダンが好きなクルマ好きは潜在的に相当数いるはず。彼らの心に響くクルマ作りは、既成の価値観でがんじがらめのクルマにはない広がりをみせるに違いない。米国や欧州の価値観がグローバルに優れているとは限らない。今回レジェンドでフルタンクを使い切る長距離ドライブを試みたが、このクルマの上半分のハイパフォーマンスはほとんど使っていない。こういう使い方が現実的であるはず。机上で得られる高性能とは別の感覚に答える乗り味。これは自分でとことん走り込まないと見えてこない世界。それがホンダに一番欠けていることかもしれません。

----------------------------------------
■ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog) http://driving-journal.blogspot.jp/

2015年9月27日日曜日

VWの蹉跌

VWは完全なるクロだった。Defeat Device(排ガス制御の無効化装置)の使用を認めたのは、事が公になる約一ヶ月前の8月21日。だが、それは1年以上にわたって否定を続けた果てのgive up。

そもそもはEC(欧州委員会)が欧州各社の主張するディーゼルエンジンの規制水準に懐疑の眼差しを向けたのが2013年。普及すれば改善するはずが、むしろ悪化の一途を辿る欧州大都市のNOx、PMによる大気汚染を踏まえてのものだったようだ。

EC規制当局が米国での実路走行データを求めているという要請を受けたCARB(カリフォルニア州大気資源局)が調査に乗り出し、依頼を受け実務に当たったウェストバージニア大の研究者が、車載コンピュータの診断データの中に異常な記録が残っているのを発見し、御法度のDefeat Device使用の事実を掴んだ。VWは頑なに否定を続けたが、調査にあたった研究員の執念が優った。

VWが捲土重来の北米市場でシェア拡大の本命として選んだのがクリーンディーゼルTDI。その力の入れようは、2008年のグリーンカーオブザイヤー(G-COTY)をジェッタ(ゴルフのセダン版)TDIで獲得。

LAオートショーのプレスデイ期間中に表彰されるのが恒例で、「VW、力入ってるな!」ディーゼル乗用車不毛の地と言われたカリフォルニア・ロサンゼルスでの受賞に新しい時代の息吹を感じた。

翌2009年は3代目プリウスがノミネート。GMシボレーのボルトは翌年だし、本命は固いと思っていたら、何と前年同様VWグループのAUDI A3 TDIが連破。さすがにこれはないだろう? 地元の同胞メディア関係者と眼を見合わせた。

僕は2005年頃から始まった欧州のディーゼルブームにずっと注目し、現地で国内外のディーゼルモデルを借りてブームの本質を掴んでいた。コモンレールディーゼルが本格普及し始めた2003年以降の現象で、2005年には欧州小型車市場の50%を占めるに至った。

その理由の第一は、エコでも経済性でもなく、スポーティであること。走らせて楽しいことがまずあって、しかも経済的で高速巡行時は回転数の低さから静かで快適。目に見えないエコは2の次と考えても良かった。

トヨタが環境に優しいエコユニットとして開発したDPNR(Diesel PM-NOX Reduction system)は、環境性能はユーロ6クリアする優れモノでしたが、燃料を噴いて排ガス浄化を図るため燃費が厳しく、件のVWや尿素SCRを選んだBMW、メルセデスベンツ勢の前に撤退の憂き目を見ています。

アベンシスを現地で試しましたが、アコードの2.2Lやレガ
シィの2Lボクサーとの差にがっかりしたことを覚えてます。でも、CO2以外の環境性能だけで問えば屈指の存在です。今にして思えば不運だったのかもしれません。

トヨタ・ホンダの日本勢に大差をつけられていた北米市場で失地挽回を目指すあまり、CARBを欺いてまでもユーザーメリットのある燃費を優先した。アメリカで成功すれば、米国の背中を見てトレンドが形作られる中国でも期待ができる。ドイツ本国の3倍以上を売り上げる中国市場戦略の面からもTDIは期待の星だったに違いありません。

実は欧州と中国がVWにとっての主力市場で、グループで1000万台とはいっても、日本メーカーほどグローバルな展開を実現していない。エコがトレンドのシェール革命以前はハイブリッドに対抗するにはTDI以外に手持ちがない。その焦りが北米での半ば強引に無理筋を通そうとした理由でしょう。

少し引いて批評の眼を持っていれば、まず疑うところから入るはず。メーカーの広報戦略の片棒を担いで報道する姿勢を忘れてしまうと、最後は世のクルマ好きをがっかりさせることになる。いろいろ語っている同業には、まずここからやり直さないと距離が開くばかりだと言いたいです。

まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』でさらに深く掘り下げるつもりなので、是非ご講読を検討して下さい。http://www.mag2.com/m/0001538851.html

2015年9月24日木曜日

VWの一件、今僕が自分の言葉で語れること。

後出しジャンケンのようで気が引けるのだが、思い出されるのは2008、2009年のLA国際自動車ショー開催時に行われるグリーンカーオブイヤー(G-COTY)である。

前年の2007は、時のアーノルド・シュワルツェネッガー カリフォルニア州知事列席の下表彰式が行われ、いかにものシボレー・タホ ハイブリッドが栄冠に輝いた。

その翌年は、VWが捲土重来を賭ける勢いでTDIを猛プッシュし、ゴルフセダンとも言うべきジェッタTDIがG-COTY。当時ディーゼル乗用車不毛の地と言われた米国の自動車州で、V Wの本気を感じ取ったことを覚えている。

2008年と言えば、前年の2月にEU委員会が120g/kmのCO2排出規制法案を突如提出し、欧州の自動車産業の空気を一変させた翌年。それまで「我々にはディーゼルがある」とハイブリッドを初めとする電動化技術に消極的だったドイツメーカーがことの重大さを悟り、IAAフランクフルトショー2007に雨後の筍の如くハイブリッドやEVの技術展示を行った。

現在でもVWの米国におけるシェアは6%(約60万台)に留まり、桁が一つ違うトヨタ/ホンダとは大差の開きがあるが、当時は30年以上前のラビット(ゴルフ)による進出の失敗の影響が残り゛さらにシェアは小さかった。

そこでテコ入れ策としてTDIでエコイメージを訴求して、グリーンカーに注目が集まるカリフォルニア州でイメージ挽回を図った。ヴィンターコルン体制2年目、振り返ると驚異的と評価される躍進が始まった頃である。

2009年はトヨタの秘蔵っ子であり、アメリカで成功を収めていた元祖ハイブリッドプリウスの3代目デビューの年。G-COTYの大本命と目されていたが、蓋を開けると2年連続となるVWグループのAUDI A3 TDIが栄誉を手に入れた。

ディーゼルに関心が薄いはずのカリフォルニアで、プリウスを退けての連続受賞にはさすがに違和感を覚えたが、COTYに企業努力はつきもの。洋の東西を問わず、人が決めるプライズとはそういうものだろう。

僕はCOTYを否定する者ではなく、それらを含めて人間が選ぶ祭事に似たイベントであり、そこにこそヒューマンな面白みがあると考えている。

これが厳格さを求められる品評会や技術コンテストとなれば話は別で、採点評価には確たる理由が必要だ。それはZEV法が定める排ガス規制で求められる技術的ファクトに対する要求と何ら変わるところはない。

COTY(年グルマ選び)のようなプライズに極端な厳格さを求めることには違和感を覚える一方で、法が定める規制については情実の入り込む余地は認められない。

明らかに不正となるDfeat deviceを使用していた時点で、VWは完全にアウトであり、それは一部の担当者レベルの話ではなく技術系のマネージメントが不承知だったとは考えにくい。

今回がそうだったように、しかるべき方法で調べれば露顕するファクトの話。1100万台が該当するという事実からも組織的に行われた不正とみるのが妥当だろう。

それが明らかになったからこその事件であり、違反の事実に擁護の余地はない。功を焦ったような急成長には必ず綻びが生じるものだ。

1000万台という世界生産規模は鬼門。かつてGMはその数字を得て世界一を印象づけた後に破綻に追い込まれたし、トヨタもサブプライムローン/リーマンショックによる世界恐慌状況という外部要因に始まったとはいえ急成長の結果として創業以来の危機を迎えた。

同様な視点から、ブランドを買い漁るようにしながら急成長を遂げるVWもいずれ躓くとみていたが、思わぬタイミングと理由でその時が訪れた。

トヨタが抱えるリスクは今も変わらないと思うが、VWは技術誤用という内部要因による躓きだけにブランド毀損によるダメージは計り知れない。

問題露顕のタイミングがタイミングだけに様々な憶測が溢れそうだが、歴史的転換点になることは間違いなさそうだ。

2015年9月23日水曜日

物証:MAZDAはRE(ロータリーエンジン)スポーツを開発している。

IAAフランクフルトショー2015プレスデイの翌日、ニュルプルクリンク北コース(Nurburgling Nordschlehfe)に出掛けた。取材期間中借用していたCIVICtypeRを走らせようと。

今年はこれまでになく雨天続きで、何年か振りに走るニュルも期待薄かな……諦め半分で出掛けたら、雨が上がり「ラッキー!」。平日の北コースはIP(インダストリアルプール)といって内外の自動車メーカー各社が共同で占有することが多い。この日も一般走行は18時からの2時間。1周27ユーロて有料走行が可能となったのだが、IPが終盤に差しかかったところで非情の雨。


まあ、せっかくだからと走ったけれど、コースがうろ覚えな上に走行車両はワンサカの大盛況。typeRのリポートはまぐまぐ!のメルマガ『クルマの心』http://www.mag2.com/m/0001538851.htmlに書いたのでよかったら講読して下さい。

IPが終るまで名物と言われるギャラリーコーナーで見物。メルセデス、BMW、AUDI、VW、MINI、ポルシェに日本勢のLEXUS、MAZDA……。覆面のプロトタイプから登場間もないニューモデルまで、見ていて飽きないクルマが次から次へとやって来る。

そんな中で、「おっ!」となったのが、2台で編隊を組む赤いRX-8。リアウィンドーに『L(ラーナー)』の文字が見える研修訓練車両ということだが、何で今時RX-8?他でもない、REスポーツ開発のための人材育成と考えるのが自然だろう。

翌日フランクフルト郊外オバーウーゼルのMREで行われたワークショップで施設見学をする中何故か真紅のFD3SとグレーのRX-8が鎮座していて『?』となった。

構内は撮影禁止ということで画像は残っていないが、傍らにいる大男のヨアキム・クンツにこっそり聞くと「スポーツカーにとって音(サウンド)は大事でしょ?そのサンプリングをやってるんだ」彼はMREで製品評価を担当する試乗&調査グループのシニアマネージャー。言外に『REスポーツの開発?やってるよ』と表情で応えてくれた。

2017年はコスモスポーツから数えて50年のREの節目。SKYACTIV TECHNOLOGYの成功を背景にマツダのアイデンティティの象徴的存在ロータリーエンジンを華々しく復活させるというストーリーは、プレミアムを目指すブランド構築には欠かせない通過儀礼ともいえるだろう。



IAAフランクフルトショーから帰って来たら、何やらドイツがキナ臭くなってきた



AAフランクフルトショープレスデイの翌日(18日)の報道というタイミングに配慮を感じる。14日のVWグループナイトでは、BMWからヘッドハンティングされたヘルベルト・ディースが新たにVWブランドCEOとして初のプレゼンテーションを行った。
僕はこの手の人事に疎いのだが、翌15日IAA2015のオープニングを飾る朝一のプレスカンファレンスにBMWの新任ハラルド・クルーガー会長が登壇し、スピーチの途中で倒れてプレカンが中止(夕刻再開)という前代未聞の事態が生じた。

このクルーガー会長との権力闘争に破れ、弾き出される形でVWにポジションを得たのがディースCEOとのことらしいが、クルーガー新会長同様にこれからという時に難しい局面に立ち至ったことになる。

マルティン・ヴィンターコルンVW社長の進退も取り沙汰される事態に、大揺れは必至。BMWも指導体制に不透明感が漂い、ディーター・ツェッツェCEO率いるダイムラーAGのメルセデスベンツ/スマートにも一時の勢いが感じられなくなった。


報道が前日/前々日のIAAプレスデイの真っ最中だったら大騒ぎになったことは間違いない。

VW・BMW・MBのジャーマンスリーは、ECE R101規定というローカルルールともいうべきPHEV優遇の法制(25km+EV走行距離)÷25km=削減係数 を敷き、ダウンサイジングターボなどによって予めCO2排出量を下げた上でその係数で割った数値を公式な排出量とするEUの政策に乗って、政府業界挙げてのプラグインハイブリッド推進に乗り出した。

背景にハイブリッドやFCV(燃料電池車)技術で先行するトヨタやホンダの日本勢の存在があり、利益率の高い大型高級車が中心のドイツメーカーのサバイバルも併せて費用対効果の大きいPHEVやEVへの傾倒が国益に適うという判断があったとみていい。

レギュレーションを主導して優位を確保するのはF1などにも見られる傾向だが、裏を返せばそれだけ真剣な死活問題だという認識を持っていることに他ならない。

現実問題として世界最大の市場に成長した中国でのドイツメーカーのプレゼンスは20%を上回る中国メーカーに次ぐシェアを押さえ、メリケル首相も足繁く中国詣でを繰り返している。日本の自動車メディア/ジャーナリストは国内販売シェアで10%にも満たないドイツ車をほとんど盲目的に礼賛し、世界市場でトップシェアを握る日本メーカーを下に置く自虐的な立場を貫いている。

伝統的に巧みなドイツ一流のプロパガンダに染まって、批評の精神を元に批判的に物事を見る態度を忘れ、アウトバーンを初めとする世界的にはむしろガラパゴスといえる環境の成果物としての特異な高性能車を理想と崇める傾向にある。もちろん日本メーカーも批評の対象であり、内外に格差を設けてはならないが、明治以来の舶来崇拝にいつまでも留まる愚は双方のためにならないだろう。

肝腎な時に日頃の懇意に遠慮して発言が鈍るようではメディア/ジャーナリズムとしての存在を疑われる。報道のタイミングから推察して、VWの内部リークの可能性も否定できないだろうが、いろんな意味で考えるべき時が訪れたのは間違いないと思う。

2015年7月13日月曜日

GOODWOOD FESTIVAL OF SPEED 2015 公式プログラム/エントリーリスト+MAZDA OFFICIAL BOOKLETを一名の読者に進呈します


   GOODWOOD FoS 2015から帰って早2週間。そこに居るだけで幸福な気分になれる自動車好き、モーターレーシング好きの楽天地。2001年の初観戦以来、15年で8回目の南イングランドの明るい空の下は、MAZDAがCENTRAL FEATUREを掲げるホストスポンサーとなったことでいつもとは違う空気に満たされた。

  予想よりずっとカッコ良くて、贔屓目なしに過去18作のディスプレイの中でも秀逸のひとつに上げられる。魂動デザインを掲げてMAZDAdesignをリードする前田育男デザイン本部長の思いを、モニュメント専属デザイナーのGERRY JUDAHが神社の軒などを支える「組物」という日本の伝統的建築様式をモチーフにして巧みに表現。天辺に載るルマン24時間winning machine 787BとそのオマージュLM55vision GRAN TURISMOの存在感を際立たせた。
  思えば、ここでMX-5という世紀のアイドルスポーツカーのお披露目ができたら楽しいのではないか……夢想はとんとん拍子で現実となり、規模は望み通りとはならなかったが、足跡を残すには十分な4日間になったと思う。祭りは儚さを含めて祭となす。

  すでに過去になったが、例年通り多くのエントラントがやって来て、有名無名を含めて1.16mileのヒルクライムコースを楽しんだ。

  あれこれ忙しく、取材に身が入らなかったのは残念だが、ぽわんとした感じでただそこにいただけで満足している自分がいる。


 見慣れたいつものコースをマシンが行き交うのを見るとはなしに感じている。貧乏性があちこち動き回ろうと急かせるが、いいのだこれで。いつもでも若くはない、空気感を味わうだけで十分だよ。  
                                                                                                                              

   これだけREマシンが勢ぞろいすると、何やら次のRX- 〇に期待したくなる。セントラルフィーチャーの787BとLM55は何かを予言しているのかもしれない。
   世界で一番F1に近づける場所。GOODWOOD FoSは訪れてみないとその価値が分からない。マシンなどのモノだけではなくて、祭りで踊る人、見る人が作り上げている。目指すべき追いかけるべきゴールはこっちだろう。
  ちょっとサボり過ぎな本ブログ。罪滅ぼしにGOODWOOD FESTIVAL OF SPEED 2015で手に入れた公式プログラムとエントリーリストにMAZDA OFFICIAL BOOKLETを添えて一名の方にプレゼントしようと思う。FB、twitter、carview spl blogなどにも貼るのでそこからの応募も可。抽選で遅らせていただきます。発表は発送をもって代えさせて頂きます。

2015年2月21日土曜日

"生原稿" driver 2015年4月号 別冊付録 NDロードスター試乗記

  何かと話題のマツダ新型ロードスター(ND型)。すでに巷間多くの試乗記が出回っていて賑やかになってきました。僕もdriver誌に寄稿していますが、別冊付録で展開された今回の試乗記。思いの丈が大きくてつい力が入ってしまい、遥かいにしえの余談から無茶振りをした結果、見事に削除。


  でも、全体の流れを作る前振りなので世間の目に触れないのは惜しい。ということで、こちらに原稿を貼ることにしました。driver本誌別冊付録と読み比べてみるのも一興かと。小見出しは付けないので一気に読み切ってください。

●ここからが本文です……!

 ずっとFRにこだわり続けてきた。すべては直観が始まりだ。40年前の富士スピードウェイ。真っ黒なタイヤ痕をアスファルトに擦りつけながらヘヤピンを駆け抜けるF1を見た。太い右リアタイヤが外に逃げるのを逆ハンドルでいなし、美しいラインを描き踊るように300Rに消えて行った。

  高まるエキゾーストノートが片時もアクセルを緩めない強い意志を伝え、画像とサウンドが一体になって目に焼きついた。ドライバーはスライドウェイ(ドリフト野郎)ロニーと親しまれたスウェーデンのロニー・ピーターソン、マシンはJPSロータス72DFV。1974年11月24日、富士グランチャンピオンシリーズ最終戦の合間に開催されたF1デモランの一コマである。

 翌75年梅雨時の筑波サーキット。名手高橋国光駆るB110サニーのナビシート。雨に濡れる第二ヘヤピンにアプローチしたかと思うやいなや、重力から解き放たれたように景色が流れた。

  国さんは、滑るマシンを予期したようにステアリングをクルクル回してアクセルをあおり続け、マシンが直進状態を向く刹那両手を宙に離し、こちらを向いてにっこり。この時僕は23歳、日産レーシングスクール受講から40年を経た今もなお身体に残る衝撃の体験だ。

 ドリフトがすべてという『結論』から僕の自動車評論は始まっている。それは1970年に免許年齢に達し即座に手に入れた幸運にもよるのだが、当時FRはあたりまえであり、何の疑いもなくそこから始めることができた。最初にどんなクルマを手にしたか。あなたのスタイルに及ぼす影響は計り知れない。

  流行に左右されるファッションとも個性を意味しないモードとも違う、自分流へのこだわりとしてのスタイルである。 長い航海の途中に母港に立ち寄った気分。抽象的だが現在ただいまの偽らざる心境だ。40年を超える年月は遥か遠くに霞むが、過ぎてなお熱く語れる己が頼もしい。

 FRについては、その魅力を具体的な姿で表現し四半世紀にわたり孤塁を守り続けてきたMX-5マツダロードスターについては、誰を差し置いてもまず俺に聞け。不遜は承知の上で吼えたいと思う。評価は発売時でも間に合う。プロトタイプの今はありのままを語る時なのである。

長いよな。ここまでの道のりは本当に長かった。手応えは2014年4月16日のニューヨークショー(NYIAS)プレスデイで初公開された次世代MX-5(NDロードスター)用スカイアクティブシャシー。これを見た瞬間スイッチが入った。 

  そこからの経緯は逐一報告したと思うが、さあ注目の初乗りである。 ドライバーズシートには何度か着座し、馴染んでいたつもりだった。いつものようにゆっくりと。スターターボタンで起動し、アイドリングのままクラッチをつなぐ。

  ストールしない程度にスロットルを開けて、感触を味わってみる。 排気量は1.5l 。現時点ではまだボア×ストロークなどは明らかにされておらず、スカイアクティブの直噴ガソリンエンジンであるというだけ。日本仕様は当面このエンジン一本となるようだ。

 しばしエンジン回転を上げずクルマとの折り合いを探る。ギクシャクする素振りもなく、静かでバランスの良さを感じる。ストレスが掛かる微低速でもフリクションを意識することもなく洗練された印象こには軽量ゆえの薄さはなく、オープンカーらしからぬ車体の密度というか貝殻のような凝縮感に包まれている。

ステアリングホイールは外径、グリップ径ともに納得が行くサイズだが、革巻きのタッチはやや硬質で乾いている。微速で大きく左右にウェービングを試みるとダイレクトというよりスムーズであり、ピニオン直動式の電動パワステは軽さの中に精度を見出す発想が読み取れる。


 クイックとかシャープという分かりやすいインパクトに頼らないで、動かし易さの鍵を握るきちんとついてくる『間(ま)』のチューニングに心血を注ぐ。専門的には人間が本質的に備える位相遅れを考慮しながら最適解を追究する。その結果がこれだということなのだろう。

 その評価だが、ちょっとクール過ぎる。カッコイイという意味ではなくて、冷たいというニュアンスだ。革の張りを緩めるか厚みを増すかウェットタッチにするかでミクロの溜めとなる潤いが欲しい。耐久性との闘いになるが、ここでスタイルを確立したら間違いなく自動車史に残す逸品になると思う。

 6速MT。スカイアクティブの核となるドライブトレインだが、動かしてみるとシフターの存在感が重い。慣性モーメントを意識したシフトノブの質量とサイズ形状は納得だが、3分割ステッチの粗い感触が過剰演出気味でドライビングの統一感を損ねている。ステアリングホイールのタッチの評価もこれとの相対関係の疑いがあるので再考を要する。ここは見た目も大事だが、ドライビングをデザインするスタートであり、またゴールでもあるのだ。

しばらくして「ナロー(車幅が狭い感じ)?」これまで経験したことのないインターフェイスの雰囲気に気がついた。着座位置が中央寄りで、ドア側の肩口まわりに余裕を残す。 シートを中心にステアリングとABCペダルがきちんと正対しているから、違和感なく身体が収まるし、コンパクトサイズらしからぬ伸びやかさが先に立つ。

  プロポーションを優先させながら乗員の居住スペースの最大化を図ったパッケージングは思いのほかの解放感を味わせてくれるはずだ。


 ところが走り出すと何か違うのだ。とてもNCより広い1730㎜の全幅とは思えないし、NAと比べても狭小に感じられる。目に入るフェンダーの稜線とボンネットの鼻先の長さも関係する明らかに錯覚だが、このトリックアートのセンスを取り入れたリアルとフィール、現実と実感を巧みに交叉させる技法。これこそが新生NDロードスターに貫かれたコンセプトの核心という気がする。

そうなんだ。NDロードスターが姿を現した9月4日以来、僕は一度もこれを小さいクルマだと感じたことがない。正式に発表になったディメンションは全長3915㎜、全幅1730㎜、全高1235㎜、ホイールベース2315㎜。唯一全幅は歴代最大だが、前後オーバーハングを削ぎ落した全長は最小。ホイールベースはNC比マイナス15㎜だが、居住性を損なうことなく約100㎏の軽量化を実現した。

  外板はドア/リアフェンダーを除いてアルミ化。前後オーバーハングマスの最小化によって総重量とヨー慣性モーメントの低減を一挙に片づけている。

 エンジニアリングは軽量化が最優先。ディメンションの最小化はその手段であって目的ではないという。軽さは追究するが、それ以上にこだわったのはかっこ良さだ。デザインテーマは身長160㎝のスーパーモデルだった。常識を覆すアプローチに魂動デザインが挑み、『御神体』で抽象化されたかっこ良さの実現にハードウェア開発陣が腕を奮った。

 ここで思い出されるのがNYIASで目に留まったベルハウジング。ベアシャシーで異彩を放ったツルンとした表面は、フロアトンネルを圧縮して最適ドライビングポジションを得るための形状だと解釈できる。右ハンドルではフロアにキャタライザーの出っ張りが気になるが、ドライビングに支障はないだろう。

少し走りのペースを上げてみよう。エンジンは、スロットル開度を深めないパーシャル領域では淡々としている。最高出力96kw(131ps)/7000rpm、150Nm(15.3kgf.m)/4800rpm。トップエンドまで回した際の乾いた快音と澱みのない吹け上りは合格だ。

  欲を言えば、あと1500rpmほど余計に回して有無を言わせぬリッター100馬力を実現する一方、バルブコントロールや燃焼効率の精査その他で燃費にもチャレンジ。小排気量の弱みを強みに変えるテクノロマンで酔わせてほしい。

  ライトウエイトスポーツは軽くて小さくて2人が楽しめればいい自由度の高いカテゴリー。これから始まる長いNDの旅路のどこかで試してほしい課題だ。

 レブリミットの7500rpmまできっちり回すように。言われなくてもそうするつもりだったが、言うだけのことはある。フルスロットル下のパフォーマンスは1.5l を忘れる迫力があり、官能評価で×が付けられることはないと感じた。

ハンドリングは率直に言って評価しかねた。今回のテストフィールドは伊豆のサイクルスポーツセンターロードコース。自転車用の滑らかで高μの路面という特殊な条件で、基本的にタイヤマークが付く走りは御法度ということになっている。

マツダの開発陣はどう言うか知らないが、FRの妙味はドリフトにある。四輪車に必然の前後左右の荷重変化を活用し、グリップ限界を超えた領域で操舵と駆動を相互に調整しながらクルマをコントロール下に置く。45度あたりをピークとするドリフトアングルで速度や旋回方向を選びつつ、想定する走行ライン上を自在にトレースさせて行く。

  浮遊感覚をともなうドライブ体験は、スキルを身につけた者すべてがはまる。未知の人間にとっては恐怖だが、会得した者はそこを避ければ安全という奥義を知ることになる。一度身につければ自転車に乗るのと同じ身体感覚として生涯残る。

 この視点を欠いた性能向上はすべからくスピードアップに置き換えられる。世界中が法的に規制を掛けている高速性能を正当化するために高度な技術が動員されている。皮肉な現実に正面から向き合う者は稀だ。そこにはリアルな人間の満足を省みる余地はなく、フィクションに近いビジネスツールとしてのクルマがあるだけ。

  それはそれで愚かな僕にも魅力的に映るのだが、ロードスターの真価はこのサイズだからこその等身大感覚にある。 できるかぎり多くのパターンを試そうとしたが、NDロードスターは終始一貫してマナーの良い乗り味を保ち続けた。

  ステアリングは軽い操舵/保舵力でフリクションの少ないスムーズな応答性が印象的。手の平を通じてタイヤの感触が伝わるといったダイレクト感は希薄だが、結果として切ったなりのフィードバックが得られるイメージとなっている。

 荷重移動やフェイントモーションによってヨー慣性モーメントを誘発して……DSCカットはNGという約束なので望んだダイナミックバランスの確認は果たせなかった。走りのトータルな印象は、ここがポイントといった特徴的なキャラクターを封じ込め、あらゆる状況下でフラットかつ抑揚の効いた上質感を失わない。

  端的に言って、個性的かというとそうではなくて、ライトウエイトスポーツに期待される最大公約数の思いに応える。 まずはマツダが理想と考えるFRライトウエイトスポーツのスタンダードを提示し、質の高い素材性から次なる25年に向けて歩き出す。


繰り返しになるが、僕としては作者の人柄が投影されたようなキラリと光る尖った個性を一点どこかに散りばめてほしい。走り、曲がり、止まるの各シーンの何処でも良いから、濃い味とか癖があってもいい。ブレーキの開発担当エンジニアから評価を求められて窮した。オンザラインの常識的な走りでプラスでもマイナスでも印象に残るブレーキは考えものだ。

  全体のバランスに溶け込んだメカニズムこそが優れている。 僕がブレーキで評価するタイミングがあるとすれば、積極的にドリフトモーションに持ち込もうとした際のコントロール性。それはステアリングやアクセルやシフトワークとのバランスの中にある”あうん”の呼吸に属するものだ。

 誤解なきよう申し添えるが、所構わずドリフトに興じるというのでは断じてない。クルマの評価の一環として確認が取れれば、後は知りたい人に請われた時だろう。ドリフトはクルマと人が一体になるダンスのようなもの。クルマが人の身体拡大装置であるという堅苦しい事実を、柔らかく教えてくれる。

 正式発売まであと4ヶ月。今度のNDロードスターは、開発リーダー山本修弘主査の人柄そのままの真っ直ぐなクルマに仕上がっていた。 過去3代に対するリスペクトを忘れることなく、原点を見つめ直し、ファン/ユーザーあってのクルマという気づきから、誰がどう乗っても対応できる素材としてのFRライトウェイトスポーツ、その意味での質の高さを究めている。

頑固な人だからこそだが、全社一丸となってまとめ上げられた珠玉の一台は、再び世界に衝撃を与えるのではないだろうか。クルマは本来こういう身近な存在だったのだ、と。