GUNとCARは似ている。いずれもメカニカルなツールで意志ある人が使用する。武器と移動手段、用途は異なるが取扱には習熟が必要で、故意過失に拠らず人命に関わる。法規で厳格に規制され、大概の国で免許制となる。最初にLAでS&W38を撃った時、18歳でクルマを運転した瞬間を思い出した。
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
初shotは30年前。F1写真マイスターとレーシングマシン試乗に招かれた際、トーランスの屋内射撃場で経験した。緊張感はクルマを初めて動かす時に似て、ステアリング、ABCペダル、シフトレバーに各スイッチ。頭では分かるが身体が知らない。ドンと一発撃って喉が乾いた。リボルバーは6連発。
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
撃ち終わると身体から力が抜けた。一丁を二人で分け合うことにして50発も撃てば十分か。未知の恐怖が躊躇わせた。しかし共に3巡目に入ると慣れが生じる。的を撃つ面白さがお代わりを要求し、さらに2箱買い足した。翌日は帰国前日。お土産の買い物でもしようか?問うとK答えて曰く
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
フシキさん買い物はいつでも出来る撃ちに行こうよ。昨日よりちゃんとした今もある射撃場。拳銃もフルパウダーのS&Wになった。構えるKの姿は長玉でマシンを捕らえるポーズそのまま。俺らはいつも獲物を(カメラに)入れる仕事。GUNは真逆の出して仕留める。普段のストレスの解消にこれ以上はない
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
銀塩フィルム時代。なるほどと感心した。Kは的を同心円型から人型に代え、次は動くモノ最後は人になるねと呟いた。僕も慣れて何十発も撃った。次にGUNを握ったのは10年ほど前。若い編集者とLA取材の折誘って記憶を頼りに出掛けると当時のまま。パスポートを求められるちゃんとした場所だ
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
薦められてLAPDの公式銃KIMBER。45口径のオートマチック。かつて隣のレーンで44マグナムやコルトガバメントを撃つ迫力に身体震わせたが、これも強烈。リボルバーで撃鉄を引かれたら動いちゃ駄目。トリガーがフェザータッチとなる事実を知って理解した。
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
自動式45口径を至近距離で撃たれたら顔がすっ飛ぶ。実感は試して初めて分かること。レーシングカーは観るのと乗って操るのとでは別物の理屈に通じる。クルマの自動運転が話題になっている。元来CARとGUNは多くの点で共通する。
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
クルマのAI化は同じ殺戮を目的とした兵器を遠隔操作によって自動化し、リアリティの喪失によって自覚なき悲惨をもたらすハイテク化にも似る。クルマは本来ヒューマンな乗り物だった。移動という動物の本能に由来する身体機能の拡大装置であり、目指すべきはFreedom of Mobility。
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
それを何故に国家に委ね、便利で正しいを自由で面白いに優先させるのか。道具は使う者の扱いようで、悪意が優れば全体システムがハッキングの対象になりことごとく自由が奪われることにもなりかねない。クルマの最大価値は自由。私は素朴にそれを求める。自動運転やITSに積極的に異を唱える理由だ。
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
正しさという抗いがたい言葉の前に自由が脅かされている。正しさより面白さ。自由のためなら頑張れる。何かねキナ臭い時代の雰囲気に違和感を覚えるんだ。VWの狡(ずる)が為にする人々をあぶり出す。餌付けと洗脳で頑なになった人々が現実の前に露になりつつある。目を覚まそう。以上思いついたまで
— 伏木悦郎 (@fushikietsuro) 2015, 10月 20
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