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2016年10月21日金曜日

未来のために現在(いま)を生きている、のだ!!

日産自動車は2016年10月20日、三菱自動車に2370億円を出資し、発行済み株式の34%を取得。単独筆頭株主となり、事実上の子会社として傘下に収めることになった。

カルロス・ゴーンルノー・日産アライアンスCEO兼会長が益子修三菱自工社長と記者会見を行い、三菱自工会長にゴーン氏が三菱自工次期会長候補に選出されたことと同時に、益子社長が引き続き三菱の顔として留任し、先に取締役 副社長執行役員として就任している山下光彦氏に加えて、トレバー・マン日産チーフパフォーマンスオフィサー(CPO)の三菱自動車最高執行責任者(COO)就任予定などがアナウンスされた。

益子社長の留任によって、日産による三菱支配ではなく、あくまでも三菱ブランドの独自性を活かした再生を目指し、シナジー効果を発揮する提携(アライアンス)関係を築く。実質的に子会社だが、日産のポテンシャルを見極めた企業統治で上下関係を際立たせないルノー流を貫くゴーンスタイルの再現。17年間という長期政権を実現し、気がつけばトヨタ、VWグループに次ぐ世界第3位の一大勢力に昇りつめている。

ルノー日産アライアンスは、すでにダイムラーとのパートナーシップ強化を発表(9月30日@パリショー)しているし、ロシアのアフトワズの経営権も握っている。また、中国では東風汽車と日産の合弁で100万台超の日本勢最大の生産/販売を実現。今回の東南アジアに強いブランド力を持つ三菱のアライアンス入りで、南米/アフリカ/中東を含む全世界のマーケットを隈なく掌握したことになる。

現在世界最大の販売台数を誇るトヨタグループを脅かすのは、EUと中国頼みのVWではなく、ルノー日産にダイムラー&三菱というかつて資本提携関係にあった日独名門企業が加わるアライアンス?

これで今年12月31日に任期切れとなるディーター・ツェッチェCEOの後任にC.Ghosnが指名されたりしたら、オセロゲームの3コーナーを押さえたような眺めになるね。

いや完全なる脳内妄想ですが、ゴーンさんが納得できる次なるポジションといったら世界一となるアライアンス連合のトップしか残っていないでしょう?

パリのMondial de l'Automobile2016でダイムラーが急転直下のEVシフトを打ち上げた背景には、年初のデトロイトNAIASでFORDのマーク・フィールズCEOが行った画期的なプレゼンテーションがきっかけとなったのではないかと想像しますが、かねてからEV路線の急先鋒だったルノー日産がEV・PHEVに独自の高い技術を持つ三菱を傘下に入れることが効いたのでは?

先行きのことは依然不透明ですが、時代が大きく動く予感があります。注目は来月14日から17日にかけてロサンゼルスで行われるLA autoshow プレスデイの新機軸、Automobility LA。従来のクルマの見本市という形態からモビリティに踏み込んだ新自動車業界向けの真正トレードショーとしての枠組み。

主要自動車メーカーや大手テクノロジー企業はオートモビリティーLA期間中に重大発表を予定しているとアナウンスされているが、先のNAIASでAuto&Mobility Companyになることを宣言したフィールズCEOが基調演説を行うことになっている。

youtubeにアップロードされているNAIAS2016のフォードとMondial de l'Automobile2016のダイムラーAGのpress conferenceの動画を見比べながら、激動の兆しが見える2016年の終盤を夢想するのも悪くはありません。





2016年9月7日水曜日

うわッ、やってしまった!!

http://www.mag2.com/m/0001538851.html


まぐまぐ!伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』読者の皆様へ。

過日ご案内しました配信日の土曜日から火曜日の変更。まぐまぐカスタマーサービスの尽力により今月からになりました。

昨日唸りに唸って書き上げ、配信前にこれまでの3回を読み直したところ、重複箇所が多数あることに気がつきました。思い入れが激しすぎた結果でした。送信直前に書き直しを決断。結果一日遅配ということになってしまいました。

奮起を期した末の空回り。このブログでも予告した三菱自工の件も次号送りです。重ねて陳謝します。

2016年9月4日日曜日

三菱自工、不正の検証作業でまた「不正」発覚のニュースに思う。

三菱車は本当にXか
第一線で活躍する、自動車ジャーナリスト49人が語る「ミツビシ」


   刺激的なタイトルが目を引くが、実はこれ今から12年前に出版された雑誌の話である。CARトップ 2004年9月号臨時増刊。CARトップ編集部とは日頃誌面での付き合いはなかったけれど、ことの重大性と緊急性に即答で原稿執筆依頼に応えた。

   表題にあるように、執筆陣は第一線で活躍する自動車ジャーナリストや編集者だった。その中で私の一文はかなり辛辣なほうであり、大方は『ガンバレ三菱!』といった今でも変わらぬ、まずは擁護する姿勢を明らかにし、クライアントを気遣うトーンの語り口に終始する意見だったと記憶する。

 自動車メディアの批評の精神に欠けたジャーナリズム不在は今に始まったことではなく、私がフリーランスとしてライター稼業に専念するようになった1970年代後半から伝統的に受け継がれてきた事である。

 情報の大半を自動車メーカーをはじめとする産業界に依存し、広告料を収益の柱とするビジネスモデルとしながら、自動車産業と軌を一にして成長を遂げた。商業出版の成長神話は1980年代後半のバブル経済とともに極大化し、バブル崩壊とともにブルーオーシャンからレッドオーシャンの様相を呈するようになった。

 1990年央のWindows95の登場によるインターネット時代の幕開けが、メディア多様化に伴う出版不況の出発点と捉える見方は正しいが、同時に日本の自動車産業の成熟に伴う日米自動車協議の紛争状態に近い激化とその妥結によるグローバル化のシフトが、基本的に日本国内市場でしか機能し得ない自動車メディアの衰退の最大要因となっている。

 メーカーを中心とする日本の自動車産業は、日本語の壁に守られて対外競争に晒される事はないが、しかし国外に出て勝負する現物を持たない自動車メディア界とは違って、国内生産の1.5倍に達する海外生産を加えて世界一の販売シェアを手に入れた。

 バブル崩壊後は、バブル期に”石橋を叩いて渡らなかった”トヨタが深手を免れる一方、売れるだけ作り財テクに走りR32スカイラインGT-RとP10プリメーラといった未来に何も残せない狂気の技術信奉に邁進して崩壊寸前まで行った日産。

   同じく販売5チャンネル制をぶち上げSKYACTIV/魂動デザインで息を吹き返すまでフォード支配下に沈んだマツダ、バブル期のRVブームを牽引したパジェロ・デリカスターワゴンの2枚看板に頼り切りギャランVR-4に続くランサーエボリューションで量産モデルの息の根を止めた三菱、バブルの徒花NSXとBEETに現(うつつ)を抜かしていたら北米一本足打法のボロが出て川本信彦社長と有沢徹RADの機転でクリエーティブムーバーを創造して窮地を脱したホンダと明暗を分けた。

   GT-R、ランエボ同様のグループA由来インプSTiに入れ込んで、日産-GM-トヨタと提携先を変えた挙げ句に日本市場を後回しにして北米一本足打法で起死回生を成し遂げたスバル。いずれも、各社の国内販売比率は全生産の20%どまりであり、国内に基盤を持てなくなったという点は同じだが、筋の悪さでは三菱が群を抜く。

   思い起こせば1995年である。現在の凋落の基点ともいえる三菱GDI(ガソリン直噴エンジン)開発を仕切った技術者上がりの中村裕一社長が、後継最有力と見られていた鈴木元雄副社長ではなく常務序列4番目の塚原董久常務を抜擢する仰天人事を断行。その後三菱リコール劇の端緒を拓くGDIの技術的虚偽に始まる企業風土に根ざした隠蔽体質が日の目を見る。

   1996年に発表されたギャラン・レグナムに搭載されたGDIは、1954年のメルセデスベンツ300SL以来の乗用車用筒内ガソリン直噴エンジンとして注目を集めたが、燃費やNOx・HCなどの排ガス対策に課題を多く残していることが判明。リコール問題に至る過程で隠蔽体質が明らかになり、その露顕を恐れた企業ぐるみの負の連鎖でブランドは深く傷つけられた。


 RVブームの勝ち組として『日産の背中が見えた!』と豪語し、ホンダを吸収合併するのではという怪情報まで飛び交った当時3位メーカーの三菱のその後の20年は茨の道であり、2000年と2004年のリコール隠し発覚から今回の燃費不正とオリンピック周期と揶揄されるほどに頻繁に不祥事が巻き上がる事態が続いていたが、パブリシティへの依存を高めるあまり正面きって批評批判する自動車専門メディアは稀だった。



 結局のところ、ジャーナリスティックに言うべきところで自主規制をしてスポンサー筋となっている自動車メーカーに嫌われる事を避けるメディアの体質が事を大きくしている。

 冒頭に貼った『今、三菱がなくてはならない自動車会社と言うひとはどれくらいいるか』という一文は、12年前に書いてメディア業界内では眉をひそめられたやに聞いている。僕は、文中でも述べているように書いていて心地よい気はしなかった。しかし、1980年代の発展段階からずっと身近に接してきた立場からすれば、ある種の必然の結果と言えなくもない。

 ことに1985年に始まったワンメイクレースの『ミラージュカップ』のメディア/ジャーナリストがべったりとなったいかがわしさは、同じ年に始まったVWゴルフポカールカップと並んで双璧を成す。

 1985年は時代の分水嶺として記憶される年だが、それは同時にメディア/ジャーナリストが特権的にメーカーから供与を受けてモータースポーツ界に進出した端緒でもあった。すでに30年が経過したが、今名の挙がる走りを得意とするジャーナリストはほぼ三菱やVWのワンメイクレースで身を起こしている。

 ここから先はブログでは書けないので、まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』(有料配信:月額864円税込)http://www.mag2.com/m/0001538851.htmlに譲りたい。何故日本の自動車メディア空間がこの体たらくなのか。パブリシティか提灯記事しか書けないライター揃いなのか。僕の考えが伝わることを期待します。

 再び厳しさを増しそうな三菱自工の燃費不正に関するニュースに接して、もう要らぬ遠慮は日本のためにならない。そうはっきり言うべきだと思った。




2016年3月1日火曜日

閏年のジュネーブショー2016

 今年もやって来ることができた。ジュネーブショー (Salon International de l'Auto)通いはかれこれ13年 ぐらいになるだろうか。デトロイト、フランクフルト、パリに次いでここに来ようと決めて、その後上海・北京・広州、ロサンゼルス、ニューヨークと拡げていった。

 デトロイトスリー(かつてのビッグスリー)のNAIAS(北米国際自動車ショー)、ジャーマンスリーが幅を利かすIAAフランクフルトショー、IAAと持ち回りのパリ(Mondial de L'Automobile)などと違って、自国に大手自動車産業を持たないスイスの国際都市で開催されるジュネーブショーは、基本的にフェアであると同時に、『サロン』の雰囲気を濃密に漂わせる。もしも、世界で一つだけ取材の場を選べと言われたら、躊躇うことなくジュネーブと答える。

 ジュネーブ・コワントラン空港から徒歩数分でアプローチできる至便に加えて、手頃な大きさのPALEXPOコンベンションセンターの丁度良さは抜群。ジュネーブは物価が高く、宿泊や食事に断えず苦労させられるが、すべてを差し引いてもここの雰囲気の良さが優る。

 今回は3年振りにフランクフルトから陸路ジュネーブ入りすることにした。格安のカタール航空のチケットが羽田~ドーハ~フランクフルトだったからだが、取材元のdriver誌がホンダ特集を組むというのでHR-Vを借りたこととと、この先いつ取材断念の時が来るかもしれないので、もう一度フランクフルト~ジュネーブを味わっておきたいと思ったから。

 案ずるより生むが易しで、その気になると話が向こうからやって来る。ジュネーブ近郊に在住の旧知のディレクターから、「来るのならお手伝いしますよ」のメール。スイス在住32年の女性と住んでいるとのことで訪ねてみると、住まいは地上2階地下1階。地下には核シェルターを備えるという。スイスではすべての建築物には基本的に設置が義務づけで、『へえ?』盛大につくトリビアに満ちていた。

 現在修理に入れているBMWの整備ガレージに面白クルマがあるというので出掛けてみると、話のあったマセラティのクアトロポルテ1965よりもさらにレアなポルシェ911(930)ターボ・タルガがあったり。27日0時15分羽田発で同日12時30分フランクフルト着。オッヘンバッハのホンダでHR-Vをピックアップしてシュトゥットガルト泊。ポルシェ博物館を見学して夕刻ジュネーブ入り。LAからのカメラマンケニーナカジマと合流して、フランスのアンネマスに宿舎を構える。

  で、今日のジュネーブショー取材で初めてジュネーブの深いところに触れる機会を得た。明日から本番のサロン・アンテルナショナル・ドゥ・ロト。良い取材になるといいなあ。