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2024年4月25日木曜日

古希+2(=72)歳、再びここから発信しようと思います!!

 長い長いトンネルを抜けた気分……現在只今の偽らざる心境だ。2017年正月早々の怪我(脛骨骨折)以来、ここ数年はかなり深く沈んだ。

 一昨年などは三度の救急搬送&入院に二度の外科手術を経験。ICUには延べ一週間以上、入院生活はほぼ一月近くを費やした。不幸中の幸いで、COVID-19パンデミック禍の真っ只中ということもあって人知れず深刻な事態をやり過ごすことができた。

  このまま社会復帰は難しいかと思われたのだが、経過は極めて順調。加齢に伴うポンコツぶりは進行中とはいえ、意気軒昂に生きている。10年以上配信を続けている"まぐまぐ!”のメルマガ『クルマの心』”は、このところ遅配/未配信が続いているが継続の意思に一点の曇りもない。

  最新の配信を読み返してみると、我ながら言いたいことがきちんと述べられている。これが自画自賛なのか客観的にどう読まれて如何なる評価が下されるか。知りたくなって、ここにアップしてみます。率直な感想を頂けるとありがたい。よろしくお願いします。

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       伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』          
       第542号 2024.4.9配信分 

 ●あなたが経験した最高速度は何km/hですか?

  いつまで古臭い昔話を続けるの?そんな声が聞こえてきそうだ。
 人間長く生きると話も長くなる。見聞きした情報量の多さが影響
し ているという実感があるが、もちろんそれだけではない。

  いったい何時まで『右肩上がりの成長』を続けるつもりなのか?
 これは世代論に逃げて答えを先延ばしするのではなく、現代を生き
るあらゆる世代の人々に問いかけたい根源的なテーマだと思う。

 『技術の進歩』は現代人の身体機能を大きく拡張した。草創期とな
る19世紀から見れば、クルマはとてつもないスピードを手に入れて
いる。単に身体が負担する労力低減だけを問うなら、ここまで速く
走れる必要はない。

  高性能なクルマだけが用意されても、それが走る道路を始めとす
るインフラのレベルアップは不可欠だ。あらゆる条件を異とする不
特定多数が場所と時間を共有する。クルマが一部の富裕層だけの存
在に限られた昔ならともかく、地球上に13億台を超えその大半が都
市部に集中している。

  現実問題として、クルマのパフォーマンスは唐の昔に過剰性能の
領域に達している。とくに肝心の人間の身体機能/感覚にとっては
そうで、人力のMAXスピードを遙かに上回る『性能』を大衆が手
に入れて久しい。

  スキルも身体能力も価値観も異なる老若男女が、同時に路上に存
在している。誰もがその事実を知っているはずなのに、過剰性能に
ついて語られることはほとんどない。自動車モビリティの健全性を
保つためには、むしろ一定以上のスピードは害悪となりかねない。
100km/hは50km/hの倍速であり、200km/hは100km/hの2倍速
……右肩上がりを是とする論調が絶えないが、果たしてこのような
考え方は 健全だろうか。

  現実問題として、200km/h以上のスピードを(日常的な環境におい
て)経験した人はどれだけいる?私が運転免許を取得した1970年に 
は100km/hを試す環境が整いつつあった。しかし、当時のクルマの
保有は乗用車に限れば約730万台、約810万台の商用貨物車より少な
く、二輪を含むその他を合わせても約1650万台でしかなかった。

 さらに言えば、運転免許(全てのカテゴリー)の保有者数は約2650
万人。クルマの保有も免許保有も現在のそれぞれ約3/5倍に膨れ
上がっている。昭和末期約20年、平成以降約30年の合わせて50年余
りの変化を具体的にイメージ出来ている人は、今となっては少数派
であるはずだ。

  昭和の末年1989年1月7日が昭和天皇崩御による改元のタイミン
グだった。平成時代の30年間に乗用車は倍増し、運転免許保有も約
2200万人増えている。私が本メルマガで繰り返し延べている(平成
以前の)昭和は知る人が減る一方の昔話になりつつある。

  それ故、繰り返し語られても困るし、平成以降も一向に衰えない
『右肩上がり指向』の何が悪いのか分からない。ここで”老害”を
 問題視されても困るのだが、近視眼的思考に面と向かって危惧でき
るのはそれなりの時空を生きた者ならではだろう。

 人間、実際に体感していない物事を理解するのは骨が折れる。語
れる者が語らないと継承も覚束ない。”知らぬが仏”とも言うが、
長い目を持ちたくても持てない若い世代は、少なくとも『聞く耳』
を持った方がいい。この歳になって実感する永遠の真理だろう。 

 なまじ腕が縮こまるような経験論を振りかざすより、若さの突破
力に期待した方が良い。いずれも、もっともな考え方であり尊重さ
れていい意見だが、私が繰り返し発信し続けるのは身体を強く意識
するからだ。あえて「からだ」と開いているが、これは頭でっかち
に陥った『脳化社会』に対応したものだ。いやいやそうは言っても
死ぬまで『身体』と一緒じゃん、という身も蓋もない経験則をベー
スにした判断による。

 ●人は何のためにクルマに乗るのだろう?

 古希+2歳。もうすぐ後期高齢者になる老人で、人生100年時代
が本当ならまだ4分の1以上寿命が残っている勘定だ。いつまで達
者でいられるか。先のことはまるで分からないが、願望は強烈だ。
「サルコペニア」や「フレイル」を遠のけて”ピンピンコロリ”で
天寿を全う出来たら最高だろう。

 いずれにしても、身体(からだ)という我が身は解っているよう
で実は謎だらけ。そこにスポットライトをあてつつ『技術の進歩』
の恩恵を受けここまで来たということだろう。私の子供時代から見
たら現代は完全に別世界。未来もそうなるに違いないのだが、肝心
の我が身の命は有限だ。それ故ということになる。辿ってきた道の
りと我が身を重ね合わせながら、クルマ(の面白さ)を語って行け
るとしたら、これ以上の幸せもない。

 近頃「クルマでアンチエイジング」なるフレーズを多用している。
これは54年の運転免許歴を積み重ねる中で辿り着いた一つの境地と
いう気がする。10年以上前に始まった還暦時代はもちろん、50代で
も考えもしなかった。働き盛りと言われる40~50歳代には思いも寄
らない肉体の衰えが、60歳を超えるとまさに『階段を転げ落ちる』
が如く立ち現れた。当然、感覚もである。

 さらに古来希(こらいまれ)なりが語源の古希70歳ともなると、
肉体的な衰えに加えて精神(頭脳?)も怪しくなった。それら自覚
の芽生えはすべて具体的で、”あれっ?”と感じる瞬間が頻繁に訪
れる。身体機能や感覚系の衰えは万人にやって来る。

 加齢は、基本的にフィジカルを前提にしているドライビングにつ
いて、より一層深く考えるきっかけとなった。身体は生きているか
ぎり身も蓋もなく付いてくる。果たして我々はカラダの存在を無視
したような『脳化社会』を望んでいるのだろうか? 

 ここから仕切り直すつもりで話を進めないと、クルマの未来が歪
みかねない。タイミングとしては今がギリギリではないだろうか?
そんな思いを強くしている。

 私の場合、クルマとの出会いは”運” の要素が大きかった。初めか
ら山あり谷ありの連続で、瞬く間に半 世紀超の時が流れた。凹んだ
年月を20年近く過ごしているが、先行 きハッピーエンドになると固
く信じている。

 さすがに草臥れてきたが、このメルマガ『クルマの心』で吼える
気持ちは残っている。最大の関心事であり、問い掛けたいテーマに
ヒトとクルマの関係がある。果たして『自動運転』は人々が求める
世界を創造するのだろうか?あなたは、この問い何と答えるだろう。

 首から上(の脳内)でイメージされる理想と首から下(の四肢身
体)の満足は一致するだろうか。難解な設問だが、要するに『人は
何故クルマに乗るのか?』ということである。

 おそらく、100年前にはこのような問い掛けはあり得なかった。
庶民がクルマに乗ることなど想像すらできない自動車の大衆化以前
のことだ。すでにクルマは発明され、フォードによってアメリカに
モータリゼーションの新風が吹いていた。 

 しかし日本はまだ大八車主流の時代。当然富裕な上流層によって
クルマは珍しい存在ではなくなったはずだが、今日の8000万台超の
自動車保有の景色とは別物だったに違いない。私にしても、生まれ
るのが10年早かったらまるで異なる人生を送ったに違いない。

 現在スーパースターと呼ばれるアスリートもわずかなタイミング
のズレで成り損なう可能性があった。当代切ってのF1チャンピオ
ンにしても、100年前には何のステイタスも持ち得ない。良く言わ
れる話だが、この現実に気付けるのは一部の天才に限られるはずで、
大方の若者はラッキー/アンラッキーの狭間を無自覚に生きている。

 ●クルマの本質は何も変わってはいない。

 すでに私は過去を辿れるだけの年月を過ごしている。自動車人と
して54年キャリアを重ねた結果で、クルマのあれこれについて語れ
ることは少なくない。当然のことだが、半世紀前と現在では似て非
なる別世界になっている。そして、半世紀後は今感じている変化と
は比べ物にならない(旧い頭ではまったく理解不能な)状況が広が
るに違いない。

 時は流れる。50年前には考えもしなかった事象が今ゴロゴロある。
高齢者と括られる歳になれば誰でも思うように、現代目線で未来を
正確に見通すことは困難だ。『人生100年時代』と言われているが、
長生きが残酷の極みとなる可能性も否定できないだろう。

 時代は『技術の進歩』によって進む。これまで生きた実感として
断言できる。テクノロジーのお陰で今も生きている。私には語れる
実感が(身体的な経験として)ある。一寸先は闇というが、未来が
まだ残されている。そんな気分とともに私はこの瞬間を生きている。

 現代の医療技術に救われた。この事実を強く感じる。病や怪我と
生死は表裏一体。鶏と卵の関係にあるようだ。江戸時代なら、いや
戦前の昭和生まれでも、不惑前にあの世行きがあり得た。ここまで
経験を重ねると、さすがに無闇な生への執着はなくなる。少なくと
も明日果てても不思議はないと思えるようになった。諦念ではなく
恐怖心は薄れている。先行きは分からないが、今ではアッケラカン
と思ったことを言えるし、言わなければという気分に満ちている。

 実を言えば、この間クルマは何も変わってない。原動機があって、
動力が伝達装置を介してタイヤに伝えられる。タイヤは基本4本。
それが車体の骨格ボディ/シャシーに括りつけられ、ドライバーが
シートに座り、ハンドル、A・B・Cペダル、シフトレバーを操作
して走らせる。基本的な構造もその概念もすべて初期の延長線上に
あり、微動だにしていない。

 アドオン(add on)やアップデート(update)は頻繁になされた
が、走ることで移動を満たすというモビリティ(mobility)の本質
に変化は見られない。そこで『ヒトは何故クルマに乗るのか?』と
いう質問である。

 最近では自動運転がトレンドとなっている。その未来が確定的で
あるかのように語られてもいる。あたかもクルマが頭脳を持つかの
ようだが、ここは注意深く考える必要がある、と思う。 

 そうなることは果たしてハッピーだろうか?この問い掛けは、右
肩上がりの成長路線の試金石に成り得る。そもそも、ハードウエア
それ自体には自ら動くという概念は存在しない。基本的には誰かの
意志が必要になるはずで、現在只今のの状況を正確に記せば、自動
運転やそれに至る道筋には人の介在が不可欠と言う他ない。そうし
た場合、搭乗者に『幸福』な状況は訪れるか?ということである。

 ●時速300km(=84m/秒)に耐えられるか?

 あくまでも私見だが、クルマは基本的にヒトの身体感覚や機能の
拡大装置にある、と考えている。クルマの走りは、移動という身体
機能拡張の概念に他ならない。スピードはその価値を測る上でもっ
とも重要で、価値観を測る要素でもある時間(の短縮)が問題にな
っている。移動に関わる時間をセーブして、乗る人の可処分時間を
コントロールする。

 そこで消費される時間が問題視され、ロス成分を取り除くことが
目的化していたわけだが、この場合(というよりこれまでは)最終
的に運転するドライバーの意志やスキルへの対応が中心となった。
ヒトが各々固有に持つ『限界』とクルマが備える『限界』の差分の
常に浮上し、その解消が課題になっていた。

『FUN TO DRIVE』はその代表例として知られる。自動運転が普及
/浸透すれば確実に死語となる言葉遣いだが、『何の為に乗るのか』
を考える上で外すことができない価値観だろう。自らの身体を介し
て走らせる(操る)行為は、クルマという商品のど真ん中に位置す
る。それが生む”自由”こそが何物にも変えがたい価値の源泉になっ
ている。

  私は、その事実を大前提に議論を進める必要性を強く感じている。
 技術の進歩を阻むつもりは1mmもない。ただし、その方向性につ
いてはもっと議論が深まっていい。首から上の『頭』だけで考える
のではなく、首から下の生身の身体(からだ)にとって「どうなの?」
が余りにも語られていない気がする。カラダは生きているかぎり身も
蓋もなく付いて回る。300km/hは凄いが、対応できる身体感覚を持
つ人は極めて少ない。

 技術や法律の観点からすれば、従来の自動車には運転者の存在が
必要不可欠だ。『もしもの時』誰が責任を負うか。核心的な議題で
あると同時に、ビジネスの側面から見れば真正面から取り組む必要
があるテーマとなる。商品的魅力が乏しければ、そもそもビジネス
が成り立たない。いわゆる過剰性能が好まれる最大の理由だが゛、
これに対応できるドライバーはほぼ皆無といっていい。

 であるなら、ドライバーが好ましく感じられるようメカニズムを
調整する”必要”が生じるはずだ。何が快楽をもたらすか。嗜好や
居心地の好さが期待され、快感と感じられる所作や挙動や音色など、
五感に響く感覚要素が優劣の分かれ目になってくる。

 この場合評価の主体は当然運転者だが、その軸は人それぞれにあ
り、好みも千差万別に異なる。開発者はやむを得ず自らを判断基準
としながら、(技術者の)集団体制でクルマを形作ることになる。
そこには万人に受けの"正解"はなく、偏(ひとえ)に開発者の個性
が色濃く反映されるばかり。

  その(エンジニアの)好みに従えるかどうか。”味わい”は個別
のメーカーごとに異なるのが一般的だ。移動(モビリティ)とは、
自前の身体だけで完結させるというのでなければ、誰かに合わせる
必要が生じる。要するに自動運転へと至る省力化の流れには、あな
た以外の誰かの好みに合わせることが含まれる。それは価値判断を
『他人』に委ねる行為と置き換えることもできるだろう。

  再度訊く。それでもあなたは自動運転を望むだろうか?自動運転
車は、従来のクルマとは別物と考えた方がいい。私は心底そう思う。
技術の進歩の方向は依然として自動運転を向いている。運転が不要
になる気配濃厚で、それが夢の社会を運ぶかのような空気が充満し
ているが、そうだろうか?その前提条件として「今まで通り」を改
め社会システム全体を再構築するといった発想の転換が欠かせない。

 従来とは根本的に異なる社会システムがないと、いたずらに混乱
を招くだけではないだろうか?既得権益層との衝突も避けられない。

●クルマの最大価値は何だと思いますか?

 何言ってるの?と思うだろうか。完全な自動運転車が実用化され
た暁には、交通警察や自動車保険など多くの従事者が不要になる。
だって、ひたすら高性能を追及する今までの自由な設計は事実上不
可能になる。運転の主体は搭乗者になく、所有と使用の分離も避け
られない。

 そうなると「誰が責任を持つの?」に対する答えが欠かせない。
平成の30年間を通じて(昭和の流儀の大半を)何も変えようとして
来なかったことを考えると、余程の天変地異でも起こらないかぎり
(長い間蓄積された保守的な社会構造は)変れないだろう。

 いや大丈夫。ここ数年で急速かつ劇的に進化を遂げた生成AIを
もってすれば有効な答えは見つかる。そうだろうか?自動運転車は
それほどまでに必要不可欠な技術展開なのだろうか。

『人は何のためにクルマに乗るのか?』改めてこの設問について考
える必要がある。自動運転やCASE(ダイムラーAGツェッチェ
CEO=当時がパリショー2016で初めてこの言葉を用いた)などを
用いた次世代車が引き起こす社会の変化は、率直に言って想像を絶
する。

 すべては、これからの時代を生きる世代の判断に委ねられていい
のだが、身体(からだ)にこだわる発想を忘れてほしくない。未来
が痩せ細った老人が口を挟む領域ではないかもしれないが、時代が
大きく転換しようとしているのは紛れもない事実だろう。

 ところで、クルマの最大価値は何だろう?私が第一に掲げるのは
ランダムアクセス(random access)。思った時にいつでも走り出せ
ることだ。自由というがポイントで、その意味ではあらゆる制限は
排除されていいが、不特定多数が路上にひしめく混合交通には法的
制約が欠かせない。レギュレーションによる縛りは必然だろうが、
それをクリアできたとしたら真っ先に取り組む必要があるのは魅力
作り。走りのイメージの創出やデザインが個性の分かれ目だろう。

 私はドライビングを語る上で「イメージ」という言葉を重視する。
思い通りにクルマ(メカニズムの集合体)が動いてくれるかどうか。
ここに強い拘りを持つようにしている。この『思い通り』が曲者で、
描く像は人それぞれ。実際には口で言うほど運転は簡単ではない。

 運転スキルは各人各様。レベルが違えば価値観そのものも異なる。
これらが渾然一体として路上を走っている。人間ただ歩くだけでも
他人と衝突する。十人十色は良いことばかりではなく、人それぞれ
厄介だ。もともとクルマに意志はなく、常にハードとしてのクルマ
としてそこにあり続けていた(はずだ)。

 一体全体、事故を起こしているのは運転している人なのか、それ
とも無機質なメカニズムの集合体でしかないクルマなのだろうか。
人はミスを犯す動物と言われる。フェイル/セーフはその現実から
導き出された概念。なるべく事故を起こさないよう経験則に従って
綿密に積み重ねられおり、安全に対応するように考えられている。
それでも不測の事態が無くならないのは何故だろうか?ここには別
の要素が潜んでいるはずなので、今後の展開を待つことにしよう。

 クルマの『技術の進歩』は、これまでのところ高みを目指してほ
ぼ一直線に突き進んで来ている。その多くは労力や習熟に関わる時
間の短縮に傾けられた。そして、乗る人の身体的負担をメカニズム
(機械)や制御システムを介して軽減することを目的に、一貫して
右肩上がりを指向してきた。安楽さであることは何よりも重要な指
標になっている。

 しかし、それでもなお万全ではなく、万人向けに対応する平準化
を図るために(システムを動かす)ソフトパワーを必要としていた。
道路交通法などの法律が好例だ。ルールに縛りつけることによって、
性能による能力差を極力表面化させないように尽力した。国の体制
如何に関わらず、自動車を野放しにはしていない。

●高性能の『レベル』を競うことがこれまでの主流。これからは?

 一方で、クルマにはビジネスの側面が色濃く存在する。収益性の
向上はすべての工業製品(プロダクト)に共通する概念だが、その
手段としての差別化は至上命題とされるほど重要だ。最大の要因は
デザインだと思うのだが、メカニズムによって産み出される”走り
のパフォーマンス”は違いが分かりやすいという意味で即効性が際
立っている。

 実際にその性能を試さなくても、数字で表される『情報』は頭で
分った気分に浸ることができる。フィジカルに身体能力を問われる
事実よりも、メンタルが満足することに重きが置かれる。身体性よ
りもヴァーチャルな世界観が優先されるという意味で、情報化社会
の今らしいと言えなくもない。

 高性能という『レベル』を競うことが主流となり、いつの間にか
操る人の存在は主従の従になっている。メディアの発達と一体とな
って進んだ情報伝達手段の普及が、クルマから身体性を剥ぎ取って
いる。時代の変化といえばそれまでだが、(数字で優劣がつけられ
る)走りのパフォーマンスは(誰もが分った気にさせる)商品価値
として重要度を高め、欠かせないアイテムとなった。

 実際その恩恵に与れるかどうかはともかく、情報そのものに価値
が生まれるようになった。メディアの発達がそれに輪を掛けたとも
言えるが、いずれにしても技術の進歩が影響している。この辺りを
時系列で語って行くことにしよう。

 分水嶺は1988~1989年。昭和の終焉と平成30年間の狭間にあった。
すでに昭和時代は36年前の彼方であり、私らが20代の頃に明治時代
を想っていた感覚だろうか。”現役世代”にとっては爺さんの昔話
に聞こえるかもしれない。

 だが、私にしてみればこの辺りがちょうど昭和と平成/令和の中
間点。20~30代という吸収力に長けた時代を過ごした昭和の記憶が
鮮烈なのは当然で、40代を世紀末の1990年代、50代をミレニアムの
2000年代を過ごした頃は記憶に新しい。

 経年変化という言葉があるが、世の営みは人の成長過程と社会の
変動の掛け合わせによって解釈が異なる。時代の継承という歴史を
伝える努力を怠ると、問題がこじれて修復が困難になってしまう。

 『自動車は時代を映す鏡』歌謡曲で用いられたフレーズのパクリだ
が、近代そのものであり工業化社会を象徴するクルマはまさに世相
を反映して変化し現在に至っている。

●1989年に発表された『ヴィンテージカー』の”意味” 

 1989年まで日本車の基本は小型車にあった。いわゆる5ナンバー
枠に収まる独自の規格で、全長4700mm、全幅1700mm、排気量
2000cc 以下が代表的な数値だろうか。

 それ以前は海外生産モデルを除けば、 日本車で3ナンバーの専用
ボディ車はセンチュリーとプレジデントというトヨタ/日産を代表
する少量生産のハイエンドモデルに限られ、1988年に日産がY31型
セドリック/グロリアベースで仕立てたシーマが驚愕の売れ行きを示
したことで時代を象徴した。

 そのきっかけは1985年9月のG5プラザ合意にあった。日本円の
為替レートが一気に2倍に跳ね上がり、円高不況から一転急騰した
日本円が行き場を失い国内外の不動産投機を招いた。

 結果としてバブル経済に突入する訳だが、今では不動産と株式だ
けがバブル化しただけで、物価はほぼ正常が保たれたことか判明し
ている。金余りから金融機関が土地バブルを煽り、金融当局の世論
に圧された総量規制を伴う引き締め策の結果金融機関の貸し剥がし
を招き、バブル崩壊に至った。

 すべては後知恵で当時は何のことやらサッパリだったが、これに
輪を掛けたのが政府行政機関の無為無策だ。無謬性を念頭に置いた
前例主義であり、縦割り行政であり、それらの掛け合わせによる失
政の連続だった。近年では既得権益に群がる官僚機構の天下り問題
が可視化されつつあるが、国民の”お上意識”やメディアの”報じ
ない自由”の行使によって改善の見通しは立っていない。

 それはともかく、1989年に発表された『ヴィンテージカー』とし
て振り返られる一連のクルマは、輸出中心の高級セダンやスポーツ
カーを除けば5ナンバー枠小型車で占められた。

 その代表例が日産のスカイラインだろう。R32として今もなお名
 機の誉れ高いが、そのメインシリーズは排気量2000cc級のRB20系
直6エンジンモデル。構造上左ハンドル化が不可能な国内専用機種
で、だからこその5ナンバー枠に収まる仕立てだった。

 R32GT-Rについては本稿で何度も繰り返しているので深追い
は避ける。奇しくも1985年に始まったグループAの車両規定にフル
コミットすべくエンジン/シャシー/ボディ/パワートレインを専
用に開発。結局のところGT-R(R32・33・34)は、3世代13年
に渡ってわずかに7万台余が販売されただけ。その影響で進行した
メインシリーズの凋落を考えると日産不振の最大要因に掲げられる
存在でしかなかった。

 この年に”大物”が大挙フルモデルチェンジしたのは、1985年の
G5ブラザ合意による円高のせいだ。特に海外市場を重視した輸出
モデルについては為替変動による”利幅”の減少を抑えるべく商品
力を思い切って上げる必要に迫られた。一方で、貿易摩擦の影響で
長く輸出自主規制が敷かれた経緯もあり、主力の北米市場における
輸出量はセンシティブにならざるを得ない。

●輸入外国車が普通の存在になったのは21世紀に入ってから

 日本国内ではカタログ表記は280馬力までとする『自主規制』を
掲げる一方で、輸出モデルについては同じ機種でも出力表示がこと
なる事例も出ている。この280馬力”自主規制”だが、日本車が世
界のパワー競争に火を着けたことを指摘する声は稀だ。

 しかし、事実として日産の300ZX(フェアレディZ)は具体的
に競合する北米市場でポルシェ911の脅威となったのは間違いない。
というのも、当時の911(964)カレラのベースモデル(NA)は250ps。
ターボでも320psに留まっていた。1993年に追加された3.6Lターボ
は360psにまでスープアップされたが300ZXや輸出市場には出ない
R32GT-Rがプレッシャーとなったのは間違いない。

 また、翌1990年登場のホンダ(というよりアキュラ)NSXは、
世界のプレミアムブランドで知られるフェラーリのクルマ作りを根
底から改めさせている。それまでの348の旧態依然から355へのリフ
ァインにNSXが関与したのは疑いようのない事実だ。

 実は、日本の国内市場で輸入外国車(とくに欧州ブランド)が一
般化したのはバブル期だった。1988年登場のシーマが500万円のプ
ライスタグで飛ぶように売れたことで『箍(たが)』が外れたのに
加え、円高/ドル安の為替レート変動によって相対価値に変化が生
じて輸入物価が劇的に下がった。

 それ以前はいわゆる”高嶺の花”であり、ステータスシンボルと
なり得る価値が輸入外国車にはあった。超円高期に世界一安くクル
マが変えた時期もある。輸入外国車がごく普通の存在になったのは
実は21世紀に入って暫くしてから。そう言い切ってもいい。

 ここから先は倒叙法で歴史を遡ったほうがいいだろう。プラザ合
意は、二度のオイルショックと53年排ガス規制を克服して活気を取
り戻した国内各社(乗用車メーカーはまだ大手9社が存在した)に
よる国内販売シェアを巡る競争に一層の拍車をかけた。

 そのアイテムにハイテク/ハイパフォーマンスの潮流があった。
電子制御技術を駆使して、パワートレイン系に世界最先端を究めた
デバイスを惜しみなく注ぐ。4WD、4WSに16バルブDOHC…
…車型にしても、3列シートのマルチピープルムーバーやガルウィ
ングドアのFFコンパクトスペシャルティを初め現在世界中で流通
しているメカニズムのほとんどは、この時期の日本車のデザインを
原形にしている。

●初代クラウン(RS型)は1500ccしかない非力の極み

 暗黒の1970年代の前が高度経済成長期。この時代を振り返ると、
日本車がいかにコンパクトだったか分かる。モータリゼーション元
年と言われる1966年(昭和41年)からの4年間は、ヴィンテージイ
ヤー(1989年)に先立つ最初の黄金期だが、今見るとどれも儚く思
えるほど小さい。

 草創期まで一気に遡ると1955年(昭和30年)の初代クラウンRS
型に行き着く。私は幼いころこのクルマのステアリングホイールに
手を掛けている。横浜港でとったモノクロ写真はどこかに消えてし
まってないが、絵柄はハッキリと記憶している。

 このクラウン、最初は1500ccしかなかった。これが当時の日本の
実力で、3年後に北米進出を目指すがアメリカのフリーウェイを走
るには明らかにパフォーマンス不足で、早々に尻尾を巻いて帰って
来た。70年近く前の現実で、現在の中国を笑う気にはなれない。

 完全にセピア色の世界であり、今を生きる現役世代にはSF以上
に遠い話かもしれない。何よりも、21世紀も早4分の1が過ぎよう
としていることを考えると、20世紀のあれこれはエンタメの世界に
落ちるに違いない。私としては、出来る限り自分事としての過去を
振り返りながら、未来を語って行きたいと思っている。

 やっとこさっとこ初代クラウンまで辿り着いたが、5ナンバー小
型車を中心とする国産車の歴史にはまだまだ語り尽くせていない話
もありそうだ。この国産の小型車史と重なるように軽自動車の80年
近い動静がついてまわる。今や国内販売シェアの40%近くを占める
日本を象徴するモビリティの形だが、語るべき事柄はいくらでもあ
るようだ。

 

以上、配信済みの全文を掲載しました。ご意見を賜れば幸いです。よろしかったら”まぐまぐ!” メルマガの定期購読を検討してください。