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2015年2月21日土曜日

"生原稿" driver 2015年4月号 別冊付録 NDロードスター試乗記

  何かと話題のマツダ新型ロードスター(ND型)。すでに巷間多くの試乗記が出回っていて賑やかになってきました。僕もdriver誌に寄稿していますが、別冊付録で展開された今回の試乗記。思いの丈が大きくてつい力が入ってしまい、遥かいにしえの余談から無茶振りをした結果、見事に削除。


  でも、全体の流れを作る前振りなので世間の目に触れないのは惜しい。ということで、こちらに原稿を貼ることにしました。driver本誌別冊付録と読み比べてみるのも一興かと。小見出しは付けないので一気に読み切ってください。

●ここからが本文です……!

 ずっとFRにこだわり続けてきた。すべては直観が始まりだ。40年前の富士スピードウェイ。真っ黒なタイヤ痕をアスファルトに擦りつけながらヘヤピンを駆け抜けるF1を見た。太い右リアタイヤが外に逃げるのを逆ハンドルでいなし、美しいラインを描き踊るように300Rに消えて行った。

  高まるエキゾーストノートが片時もアクセルを緩めない強い意志を伝え、画像とサウンドが一体になって目に焼きついた。ドライバーはスライドウェイ(ドリフト野郎)ロニーと親しまれたスウェーデンのロニー・ピーターソン、マシンはJPSロータス72DFV。1974年11月24日、富士グランチャンピオンシリーズ最終戦の合間に開催されたF1デモランの一コマである。

 翌75年梅雨時の筑波サーキット。名手高橋国光駆るB110サニーのナビシート。雨に濡れる第二ヘヤピンにアプローチしたかと思うやいなや、重力から解き放たれたように景色が流れた。

  国さんは、滑るマシンを予期したようにステアリングをクルクル回してアクセルをあおり続け、マシンが直進状態を向く刹那両手を宙に離し、こちらを向いてにっこり。この時僕は23歳、日産レーシングスクール受講から40年を経た今もなお身体に残る衝撃の体験だ。

 ドリフトがすべてという『結論』から僕の自動車評論は始まっている。それは1970年に免許年齢に達し即座に手に入れた幸運にもよるのだが、当時FRはあたりまえであり、何の疑いもなくそこから始めることができた。最初にどんなクルマを手にしたか。あなたのスタイルに及ぼす影響は計り知れない。

  流行に左右されるファッションとも個性を意味しないモードとも違う、自分流へのこだわりとしてのスタイルである。 長い航海の途中に母港に立ち寄った気分。抽象的だが現在ただいまの偽らざる心境だ。40年を超える年月は遥か遠くに霞むが、過ぎてなお熱く語れる己が頼もしい。

 FRについては、その魅力を具体的な姿で表現し四半世紀にわたり孤塁を守り続けてきたMX-5マツダロードスターについては、誰を差し置いてもまず俺に聞け。不遜は承知の上で吼えたいと思う。評価は発売時でも間に合う。プロトタイプの今はありのままを語る時なのである。

長いよな。ここまでの道のりは本当に長かった。手応えは2014年4月16日のニューヨークショー(NYIAS)プレスデイで初公開された次世代MX-5(NDロードスター)用スカイアクティブシャシー。これを見た瞬間スイッチが入った。 

  そこからの経緯は逐一報告したと思うが、さあ注目の初乗りである。 ドライバーズシートには何度か着座し、馴染んでいたつもりだった。いつものようにゆっくりと。スターターボタンで起動し、アイドリングのままクラッチをつなぐ。

  ストールしない程度にスロットルを開けて、感触を味わってみる。 排気量は1.5l 。現時点ではまだボア×ストロークなどは明らかにされておらず、スカイアクティブの直噴ガソリンエンジンであるというだけ。日本仕様は当面このエンジン一本となるようだ。

 しばしエンジン回転を上げずクルマとの折り合いを探る。ギクシャクする素振りもなく、静かでバランスの良さを感じる。ストレスが掛かる微低速でもフリクションを意識することもなく洗練された印象こには軽量ゆえの薄さはなく、オープンカーらしからぬ車体の密度というか貝殻のような凝縮感に包まれている。

ステアリングホイールは外径、グリップ径ともに納得が行くサイズだが、革巻きのタッチはやや硬質で乾いている。微速で大きく左右にウェービングを試みるとダイレクトというよりスムーズであり、ピニオン直動式の電動パワステは軽さの中に精度を見出す発想が読み取れる。


 クイックとかシャープという分かりやすいインパクトに頼らないで、動かし易さの鍵を握るきちんとついてくる『間(ま)』のチューニングに心血を注ぐ。専門的には人間が本質的に備える位相遅れを考慮しながら最適解を追究する。その結果がこれだということなのだろう。

 その評価だが、ちょっとクール過ぎる。カッコイイという意味ではなくて、冷たいというニュアンスだ。革の張りを緩めるか厚みを増すかウェットタッチにするかでミクロの溜めとなる潤いが欲しい。耐久性との闘いになるが、ここでスタイルを確立したら間違いなく自動車史に残す逸品になると思う。

 6速MT。スカイアクティブの核となるドライブトレインだが、動かしてみるとシフターの存在感が重い。慣性モーメントを意識したシフトノブの質量とサイズ形状は納得だが、3分割ステッチの粗い感触が過剰演出気味でドライビングの統一感を損ねている。ステアリングホイールのタッチの評価もこれとの相対関係の疑いがあるので再考を要する。ここは見た目も大事だが、ドライビングをデザインするスタートであり、またゴールでもあるのだ。

しばらくして「ナロー(車幅が狭い感じ)?」これまで経験したことのないインターフェイスの雰囲気に気がついた。着座位置が中央寄りで、ドア側の肩口まわりに余裕を残す。 シートを中心にステアリングとABCペダルがきちんと正対しているから、違和感なく身体が収まるし、コンパクトサイズらしからぬ伸びやかさが先に立つ。

  プロポーションを優先させながら乗員の居住スペースの最大化を図ったパッケージングは思いのほかの解放感を味わせてくれるはずだ。


 ところが走り出すと何か違うのだ。とてもNCより広い1730㎜の全幅とは思えないし、NAと比べても狭小に感じられる。目に入るフェンダーの稜線とボンネットの鼻先の長さも関係する明らかに錯覚だが、このトリックアートのセンスを取り入れたリアルとフィール、現実と実感を巧みに交叉させる技法。これこそが新生NDロードスターに貫かれたコンセプトの核心という気がする。

そうなんだ。NDロードスターが姿を現した9月4日以来、僕は一度もこれを小さいクルマだと感じたことがない。正式に発表になったディメンションは全長3915㎜、全幅1730㎜、全高1235㎜、ホイールベース2315㎜。唯一全幅は歴代最大だが、前後オーバーハングを削ぎ落した全長は最小。ホイールベースはNC比マイナス15㎜だが、居住性を損なうことなく約100㎏の軽量化を実現した。

  外板はドア/リアフェンダーを除いてアルミ化。前後オーバーハングマスの最小化によって総重量とヨー慣性モーメントの低減を一挙に片づけている。

 エンジニアリングは軽量化が最優先。ディメンションの最小化はその手段であって目的ではないという。軽さは追究するが、それ以上にこだわったのはかっこ良さだ。デザインテーマは身長160㎝のスーパーモデルだった。常識を覆すアプローチに魂動デザインが挑み、『御神体』で抽象化されたかっこ良さの実現にハードウェア開発陣が腕を奮った。

 ここで思い出されるのがNYIASで目に留まったベルハウジング。ベアシャシーで異彩を放ったツルンとした表面は、フロアトンネルを圧縮して最適ドライビングポジションを得るための形状だと解釈できる。右ハンドルではフロアにキャタライザーの出っ張りが気になるが、ドライビングに支障はないだろう。

少し走りのペースを上げてみよう。エンジンは、スロットル開度を深めないパーシャル領域では淡々としている。最高出力96kw(131ps)/7000rpm、150Nm(15.3kgf.m)/4800rpm。トップエンドまで回した際の乾いた快音と澱みのない吹け上りは合格だ。

  欲を言えば、あと1500rpmほど余計に回して有無を言わせぬリッター100馬力を実現する一方、バルブコントロールや燃焼効率の精査その他で燃費にもチャレンジ。小排気量の弱みを強みに変えるテクノロマンで酔わせてほしい。

  ライトウエイトスポーツは軽くて小さくて2人が楽しめればいい自由度の高いカテゴリー。これから始まる長いNDの旅路のどこかで試してほしい課題だ。

 レブリミットの7500rpmまできっちり回すように。言われなくてもそうするつもりだったが、言うだけのことはある。フルスロットル下のパフォーマンスは1.5l を忘れる迫力があり、官能評価で×が付けられることはないと感じた。

ハンドリングは率直に言って評価しかねた。今回のテストフィールドは伊豆のサイクルスポーツセンターロードコース。自転車用の滑らかで高μの路面という特殊な条件で、基本的にタイヤマークが付く走りは御法度ということになっている。

マツダの開発陣はどう言うか知らないが、FRの妙味はドリフトにある。四輪車に必然の前後左右の荷重変化を活用し、グリップ限界を超えた領域で操舵と駆動を相互に調整しながらクルマをコントロール下に置く。45度あたりをピークとするドリフトアングルで速度や旋回方向を選びつつ、想定する走行ライン上を自在にトレースさせて行く。

  浮遊感覚をともなうドライブ体験は、スキルを身につけた者すべてがはまる。未知の人間にとっては恐怖だが、会得した者はそこを避ければ安全という奥義を知ることになる。一度身につければ自転車に乗るのと同じ身体感覚として生涯残る。

 この視点を欠いた性能向上はすべからくスピードアップに置き換えられる。世界中が法的に規制を掛けている高速性能を正当化するために高度な技術が動員されている。皮肉な現実に正面から向き合う者は稀だ。そこにはリアルな人間の満足を省みる余地はなく、フィクションに近いビジネスツールとしてのクルマがあるだけ。

  それはそれで愚かな僕にも魅力的に映るのだが、ロードスターの真価はこのサイズだからこその等身大感覚にある。 できるかぎり多くのパターンを試そうとしたが、NDロードスターは終始一貫してマナーの良い乗り味を保ち続けた。

  ステアリングは軽い操舵/保舵力でフリクションの少ないスムーズな応答性が印象的。手の平を通じてタイヤの感触が伝わるといったダイレクト感は希薄だが、結果として切ったなりのフィードバックが得られるイメージとなっている。

 荷重移動やフェイントモーションによってヨー慣性モーメントを誘発して……DSCカットはNGという約束なので望んだダイナミックバランスの確認は果たせなかった。走りのトータルな印象は、ここがポイントといった特徴的なキャラクターを封じ込め、あらゆる状況下でフラットかつ抑揚の効いた上質感を失わない。

  端的に言って、個性的かというとそうではなくて、ライトウエイトスポーツに期待される最大公約数の思いに応える。 まずはマツダが理想と考えるFRライトウエイトスポーツのスタンダードを提示し、質の高い素材性から次なる25年に向けて歩き出す。


繰り返しになるが、僕としては作者の人柄が投影されたようなキラリと光る尖った個性を一点どこかに散りばめてほしい。走り、曲がり、止まるの各シーンの何処でも良いから、濃い味とか癖があってもいい。ブレーキの開発担当エンジニアから評価を求められて窮した。オンザラインの常識的な走りでプラスでもマイナスでも印象に残るブレーキは考えものだ。

  全体のバランスに溶け込んだメカニズムこそが優れている。 僕がブレーキで評価するタイミングがあるとすれば、積極的にドリフトモーションに持ち込もうとした際のコントロール性。それはステアリングやアクセルやシフトワークとのバランスの中にある”あうん”の呼吸に属するものだ。

 誤解なきよう申し添えるが、所構わずドリフトに興じるというのでは断じてない。クルマの評価の一環として確認が取れれば、後は知りたい人に請われた時だろう。ドリフトはクルマと人が一体になるダンスのようなもの。クルマが人の身体拡大装置であるという堅苦しい事実を、柔らかく教えてくれる。

 正式発売まであと4ヶ月。今度のNDロードスターは、開発リーダー山本修弘主査の人柄そのままの真っ直ぐなクルマに仕上がっていた。 過去3代に対するリスペクトを忘れることなく、原点を見つめ直し、ファン/ユーザーあってのクルマという気づきから、誰がどう乗っても対応できる素材としてのFRライトウェイトスポーツ、その意味での質の高さを究めている。

頑固な人だからこそだが、全社一丸となってまとめ上げられた珠玉の一台は、再び世界に衝撃を与えるのではないだろうか。クルマは本来こういう身近な存在だったのだ、と。

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