ページビューの合計

2020年7月21日火曜日

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             号外:2020.6.30配信


●東京一極集中を止めるためにも東京オリンピックは中止したほうがいい

 2020年も今日で前半が終わったことになる。何事もなく予定通りであれば、
7月24日開会式、8月9日閉会式となる東京オリンピック本番まで一月を切った
時期であり、首都東京はそれなりの活気を帯びていたはずである。

 私としては、昭和の夢よもう一度……とばかりに”東京オリンピック”とい
う語感に酔うことに疑問があった。1964年10月10日の私は12歳。3月の早生
まれということで中学1年生になっていた。川崎市立橘中学校のすぐ近くに関
東で初めての高速自動車専用道路『第三京浜』が開通し、記念パレードのブラ
スバンドを耳にした記憶が微かにある。ほんの数年前までの目前の市道は未舗
装で、近くの橘小学校にバス通学で通う生徒を乗せたバスが埃を上げながら砂
利道を走っている光景を思い出す。

 およそ60年前の日本はまだ戦後復興の途上にあり、誰もが貧しさを意識する
ことなく明日を見ていた。1960年前後の現風景は何もかもが不足していた。道
路だけでなく、電力は時折停電することが珍しくなかったし、上水道はともか
く下水道の整備は遅れ垂れ流しの河川や流れ込む東京湾は汚染を極めた。

 私が小学校に上がった1958年(昭和33年)の川崎市の人口は535,240人。政
令指定都市に移行した1973年(昭和48年)の翌年に100万人を突破。さらに61
年後の2019年(令和元年)には1,530,457人と実に3倍増となり、政令指定都
市としては第6位を占めるに至っている(第1位~5位は横浜・大阪・名古屋・
札幌・福岡)。

 この事実から透けて見えるのが東京(というより首都圏)一極集中の現実。
川崎市は多摩川を挟んで隣接する臨海の京浜工業地帯の一角として横浜市とと
もに都市化の流れを牽引してきた。高度経済成長期は大気や河川港湾の汚染が
激しく、朝礼などの集会時に光化学スモッグで生徒がバタバタと倒れる光景も
目にしている。

 私が育ったのは同市中部の武蔵野の雰囲気が残る多摩丘陵の風情が残ってい
た現高津区内。東京オリンピック以前はのどかな田園風景が広がり、雑木林の
山に行けば夏の昆虫取りに飽きることはなかった。やがて野山は宅地に改造さ
れ、道路の整備や私鉄の延伸などで激変。今ではかつての自然の風景を思い出
すことも困難だが、中心の東京都だけではなく神奈川・埼玉・千葉各県を合わ
せた首都圏(首都圏整備法によればさらに茨城・栃木・群馬・山梨の各県を加
えた1都7県)が世界最大のメガロポリスと言われるほどに巨大化したプロセス
と日本経済の浮沈がきれいに重なるのは間違いない。

 すでに日本の総人口が減少に転じて12年が経つが、今もなお首都圏への流入
が続いている。実際には東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)における高齢化
が急激で、それを補う形で地方からの流入が続いているというのが真相らし
い。今後この50年にわたって経済成長に貢献した世代が漏れなく高齢者とな
り、コミュニティの存続が危ぶまれている。地方の過疎や限界集落だけではな
くて、成長を牽引した首都圏に数多く存在するニュータウン族が潜在的なリス
クになる可能性を秘めている。

●変りたくない大多数の人々が日本の没落を招くという逆説

 多くの場合、人は己の遠い未来を現実感を以て想像することがない。私自身
20歳の時に現在の年齢はおろか、40代ですら具体的にイメージすることはでき
かった。あと2年で古希だと言われてもまったく実感はなく、そもそも68の今
でも気分は以前と何ら変わらない。体力は着実に低下しているし、視力の衰え
から集中力の思いも寄らぬ欠落などでがっくりすることは増えたが、老いを言
い訳にしたくない気力は残っている。

 余人のことは知らない。個人差はあるし環境によっても異なる。年齢は一見
客観的な数値を装うが、同年齢がまったく同じ運命をたどるとはかぎらない。
日本の高齢化率(65歳以上が全人口に占める割合)は推計で3588万人で28.4%
を占める(2019年9月総務省)。2040年には同比率が35%超に達する見込み
だ。私は無事ならば88歳になっているが、これまでの変化の過程を振り返って
みてもどうなっているか分からない。

 間違いないのは、これからの時代に過去の経験はほとんど役に立たない、と
いう過酷な事実だろう。移り行く時代に対応する”変れる力”がないと、その
時代を楽しむこと難しい。”明治は遠くなりにけり”を耳にしたのは昭和の末
期バブルの世相だったと記憶する。元は、中村草田夫という俳人が詠んだ「降
る雪や 明治は遠く なりにけり」ということだが、中村がこの句を詠んだの
は昭和6年(1931年)。明治34年(1901年)生まれの草田男30歳のことであ
り、わずか20年前の明治を遠いと振り返ったことになる。

 昭和は1989年年初(1月7日)の天皇崩御によって平成へと改元されている。
すでに31年の月日が流れており、”昭和は遠くなりにけり”を実感しても構わ
ないと思う。私にとってはつい昨日のことであり、平成生まれが30代になって
いるという事実に年季を感じざるを得ないが、物心付いてからの過去の記憶は
すべて手の届く範囲という感覚がある。

 前回開催から56年の年月を経て再び承知に成功した東京オリンピックだが、
かつての行事誘導政策(イベントオリエンテッドポリシー)によって経済成長
を促し、復興に弾みをつけるという官主導の計画経済が有効だった時代とは何
もかもが変わっている。当初のお題目は2011年3月11日の東日本大震災復興に
あったはずだが、それが何故東京を開催地としたのかが分からない。

 すでに東京一極集中が問題視されるようになって久しく、復興を大義名分に
するなら被災地の中心だった仙台市などを候補にするほうが筋が通る。かつて
の成功体験の成せる技かもしれないが、2025年には大阪でやはり55年ぶりとな
る万博が開催予定となっている。いかにも無謬性の原則の上に立つ前例主義に
よって硬直化している行政官僚機構らしい「成功体験」を繰り返す願望に駆ら
れた施策という他ない。

 これ以上東京を肥大化させて良いことなど一つもないことは分かっているの
に、他のアイデアをリスクを取って打ち出すことが出来ない。前例に基づいて
決定し、一旦決まったことは批判を許さず遂行する。日本が敗戦のドン底から
一丸となって這い上がる戦後復興期には一括採用も年功序列の賃金体系も終身
雇用も機能したが、すでにグローバル化して20年以上経つ21世紀の現実にはす
べてのシステムが時代に合わなくなっている。

●工業化社会の優等生(日本)が情報化社会への対応が遅れた最大要因

 変るべきタイミングはこれまで何度もあった。多くは危機に瀕した時だが、
最大のチャンスは昭和から平成へと改元されたまさにその時にピークが訪れた
バブル経済の最中だろう。ミレニアム期の日本はひとり取り残されるように、
1980年代に磨き上げた規格大量生産の”モノ作り”をグローバル市場に展開。
アメリカを中心とする先進諸国が、モノ作り(製造業)に代わる次世代の本命
として情報技術(IT)にシフトする中で束の間の成功を手にしたが、直後の
米国バブル崩壊(リーマンショック)にともなう世界的な金融恐慌状態が危機
を顕在化させた。

 考え方次第では転機となり得たはずだが、日本の”社会システム”は成功体
験が忘れられない従来型の前例主義に支配されていた。大きく変ることよりも
カイゼンによる対症療法で危機を乗り切るという”昭和の劣化コピー”によっ
て、海外市場頼みが強まる一方国内はデフレ不況からの脱却に手こずる。

 2005年辺りから急伸した中国の経済成長もあって、日本型モノ作りのエース
自動車産業は再び成長軌道に乗ることが出来たが、何事も強みは弱み弱みは強
みという。激動する国際経済は、20世紀に隆盛を誇った『工業化社会』の枠組
みから21世紀に本命視される『情報化社会』へと舵を切っていた。

 1990年代後半からミレニアムのアメリカで弾けたITバブルを経て2000年代
後半から現在に至る変化は、従来型自動車産業が依然として存在感を保ってい
るものの、GAFAM(Google・Apple・Facebook・Amazon・Microsoft)に
象徴されるアメリカ西海岸のテックカンパニーが急速に時代を変えつつあった。

 GAFAMが仕掛ける”モノ作り”から”デジタル技術を用いたコト作り”
へのパラダイムシフトは、2000年代中頃から目に見える形を成し、金融工学と
いうアメリカらしい『錬金術』がリーマンショック(2008年9月15日)という
象徴的な事態を招来させた。

 続く2010年代は東日本大震災(2011年3月)に始まる波瀾の展開。世界が金
融恐慌状態で沈むところを昇竜の勢いで高度経済成長を続ける中国が”特需”
を創出し、気がついたら日本の自動車産業は元の木阿弥に戻っていた。

 工業化社会とは余剰を予め見込んで大量生産大量消費の枠組みを作り上げる
仕組み。農業や漁業などの一次産業も流通をセットにした工業化によって大規
模なシステムに組み入れられた。

 これに対して、情報化社会とは、モノをまず作ってから考えるのではなくて
情報の形でストック。需要に応じて即座に作れる体制を整えた仕組みを指す。
そのためには高度な工業化システムの確立が欠かせない。新興途上国が工業化
を急ぐのはそのためであり、中国の高度経済成長は共産党政権による独裁体制
だからそこ成し得た枠組み(外国メーカーの技術を国営企業を中心とする集団
に分散的に合弁事業化させることで成長スピードを高める)によって、瞬く間
に工業化社会から情報化社会へのステップを駆け上がって見せた。

 先進諸国にとって中国は数少ない成長が見込めるフロンティアであり、弱み
は強み強みは弱みの関係で中国がわずか20年を待たずに世界第2位の経済大国
にのし上がることになる。その事実を、昨年末に感染が確認された新型コロナ
ウィルスCOVID-19によるパンデミック禍がさらに複雑な国際政治環境を生ん
だ。歴史のアヤとしてこれ以上興味深い流れもないだろう。

●Freedom of Mobilityこそがクルマの最大価値。語るべきことは多い

 いずれも過ぎたことであり、時計の針を逆回転させることもできないが、今
般の新型コロナウィルスCOVID-19によるパンデミック禍は、まさに奇禍転じ
て千載一遇の幸運をもたらす出来事になるのではないだろうか。恐らく東京オ
リンピック/パラリンピックは高い確率で中止となるだろう。ことはパンデミ
ックであり、日本だけが上手く対応して被害を最小限に留めたとしても、すで
に世界中で感染者は1000万人を突破し、50万人の命を奪い現在進行形で感染
が続いている。季節が逆になる南半球ブラジルでの拡大が象徴するように、東
西から北南へと感染が広まり、一年中切れ目のない事態に陥っている。

  私たちは間違いなく歴史のダイナミズムの真っ只中にいる。クルマはモビリ
ティツールとして、また人と人をつなぐメディアとしてまだまだ魅力的であり
続けるだろう。この場合のクルマとは石油を始めとする化石燃料をエネルギー
源とする内燃機関で走る自動車を指している。EV(電気自動車)は形態とし
てはクルマと同じ様相を呈しているが、エコシステムとしての可能性は高いも
のの酷寒や乾燥猛暑といった地球上の多様な環境に対して万全とは言いがたい。

 直近から中期的には温暖化を始めとする地球環境問題は対応すべき重要課題
となるが、21世紀央には減少に転じる可能性が大きい人口問題が従来通りの対
症療法が適切とは言えなくなる可能性を秘めている。

 今後はデジタル技術が人間の身体性による限界を突き抜けて、自然との調和
をもたらす自然とデジタルが分け目なく存在する『デジタルネイチャー』があ
たりまえになる時代になるという。すでに私は新機軸に柔軟に対応できる世代
ではなく傍観に回る可能性が高いが、テクノロジーが老化による困難を克服す
ることになれば従来型のクルマをさらに楽しめる余地が膨らむに違いない。

 巷間、モノとモノとの比較論に明け暮れ、その情報の出所が実際の使用環境
で試したものではなくて(現在のクルマが提供する走りのパフォーマンスをフ
ルに試そうとしたら、現行の道交法が許さない)、その多くがパブリシティや
法の及ばないクローズドトラックでの情報を元にした”ファンタジー”となっ
ている事実に向き合う必要がある。

 コンプライアンスを楯に現在の道交法に諄々と従うか、法改正を求めて走行
環境/インフラのアップデートを行なってクルマの魅力を堪能できる余地を拡
げるか。経験の浅い世代は、すでに何でも揃っている環境や状況から物事を判
断しているが、クルマの魅力という本質論に迫る意見を聞くことは少ない。

 偏狭な世代論争は無意味なので深追いはしないが、クルマの性能が発展途上
段階から世界に冠たるレベルに至ったプロセスを知る者としては、”私の価値
観に照らしたクルマの魅力”をライフワークとして追及してみたい。

 今週は第5週ということで定期配信はないが、思いついたことを書き連ねて
号外としてみた。続きは次週の定期配信まで。7月7日は2012年の創刊から丸8
年が経過した記念日。いつものように配信遅れにならないよう気を引き締める
ので、引き続きよろしくお願いします。
                                   
-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster
私の有料配信メルマガの再録です。ご一読下さい。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第387号2020.6.23配信分



●『お前の知らない世界に入ったのさ」星野薫氏談@鈴鹿サウンドofエンジン

 クルマは単にクルマだけでは評価することはできない。当たり前の事実に気
がついたのはフリーランスの自動車ライター稼業を始めて丸7年が過ぎた頃。
石の上にも三年というが、まったくの白紙の状態から始めてようやっと形にな
り始めていた。

 オイルショック(1973年10月勃発)を契機に急降下した10年前の1975年秋に
実戦デビューしたフレッシュマンレーサーの私には想像すら出来ない境遇に身
を置いた不思議。今となってはさらに35年の月日が過ぎ去り、自動車メディア
界にどっぷり浸かって42年。運転免許証取得は1970年7月5日であり、そろそろ
運転歴満50年の節目を迎える。

 すべては行き当たりばったりの成り行きで、運だけでここまで来たというの
が偽らざる実感だ。率直に言って、20歳の自分が私のキャリアを聞いてもまず
信じない。なりたい自分を思い描くことなど一度もなく、なんとかかんとか山
を越え谷を渡ってきたら68歳になっていて、まるで自覚ないままに高齢者と括
られる境遇になっていた。

 スターレーサーに憧れて一念発起でその気になる。情報が月刊ペースで更新
される発展途上段階だったからこそ夢見る馬鹿者が許されて、根拠のない自信
がダイナモとなった。振り返れば幸運の連続という他はないが、無手勝流には
絶えず痛い思いが付いて回った。

 好事魔多しというが、乗って書くの方向性が固まりつつあったタイミングで
盛大に躓いた。

 時は暮れも押し迫った1985年12月11日の午後1時になる少し前。私は富士ス
ピードウェイにいた。この年の始めから連載企画としてスタートした当時の国
内自動車レースのトップカテゴリーWEC(World Endurance Championship:
世界耐久選手権)を争うグループCマシンのステアリングを握っていた。

 条件は悪かった。前夜の執筆が押して、半徹夜でなお脱稿せず富士スピード
ウェイの待ち合わせ時間に遅刻した。使用料金の安い昼休みの1時間を専有し
て試乗と撮影を行なう。メニューは当時八王子に存在したオートヴューレック
レーシングチームのグループAマシンBMW635CSiとメインがグループCのトヨ
タトムス85C。快晴だったが真冬の路面温度は低かった。

●ドライ路面のスリックタイヤが氷上トライアルかと思わせた!

  まずは肩慣らし。driver誌の編集担当Tさんの「どおすんのよぉ~」盛大に
押した時間を嘆く声に身の縮む思いでBMWのシートに身を沈めた。すでに眠気
はすっ飛んでおりドライビングに集中。両脇から抱え込むようにして回すステ
アリングの重さに驚嘆。これであの名機ZC型16バルブDOHC搭載で初代全日本
ツーリングカー選手権(グループA)を制したシビックSi(AT型)やカローラレビン
(AE86型)と渡り合う困難に思いを巡らせた。

  無難な走りを見てチームオーナーからOKが出て85Cのガルウィングドアを
開けてコクピット。驚いたことに床はアルミモノコック剥き出しで、シートバ
ックとサイドサポート部にウレタン成形が配されていた。ステアリングホイー
ルのセンターが左に10度ほど傾いていたことを覚えている。

 走り始めて戸惑った。まったくグリップ感が得られず、氷の上を走るよう。
当時すでにグランドエフェクトカー(ボディ下部がウィング形状。ベンチュリ
ー効果でダウンフォースを得る)であり、グリップを得るにはスピードを出す
必要がある。

  すでに年初の日産コカコーラターボC(ルマンLM03C)でアクセルを踏めば激
烈なターボパワーが牙を剥き、踏まないとまるで安定しないというジレンマを
経験していたが、85Cはその比じゃない。そういえば夏場の鈴鹿で初めて同型
車のステアリングを握ることになった中嶋悟選手の姿が蘇った。コースインか
らの数周は、まるでマシンと会話をするようにゆっくりと流し、なかなか鞭を
入れることをしなかった。

  ライバルの日産勢も、日産LZ20B2.1リットル直4ターボ(540ps)マシン初テス
トの際に、長谷見昌弘・星野一義・柳田春人といった猛者をして「ちょっと気
持ちを整理させてくれ!」1周でピットインして弱音を吐かさせた"どっかんタ
ーボ"ぶり。同時代のトヨタの4T-GT改2.1リットルターボ(470ps)は、トータル
バランスで凌駕することを狙ったと聞いていたが、百聞は一見にしかずのじゃ
じゃ馬ぶりだった。

  私の葛藤は5~6周にわたって続いた。そして、決断を促したのは時間だっ
た。専有走行時間残り数分というところで、意を決して長い直線を全開。第一
コーナーアプローチに勢いよく進入する。と、リアが左にスライド。自然にカ
ウンターステアを当てコントロール内に収まったと思った次の瞬間、挙動が乱
れた。左リアタイヤがスキール音を発するのを聞いたところでノーズがインフ
ィールドを向き、狭いグリーンを横切ってガードレールに直行。弾みで軽く宙
を舞い、衝撃を臀部に感じた後グリーン上に着地した。

  流血の感触があったので、ガルウィングドアを開け車外に出てすぐに臀部に
手を這わしたが濡れていなかった。結果は仙骨骨折。内出血によりお尻は2倍
に腫れ上がった。患部の性格上手術は施されず、入院は2ヶ月に及んだ。

●何度も痛い目に遇って学んだ私流

 当時は(というか今でも変わらないと思うが)レーシングカーのサーキット
試乗取材で保険を掛けることはなかった。結局全損となった85Cは出版社が弁
償することになり、私の入院費用と休業保証も相談の上支払われた。自動車専
門誌のほとんどがそうで、基本的には無事故が前提。何もなくて良かったね、
というオウンリスクで回っていた。

 結果的に、不測の事態があり得るレーシングマシンの試乗取材はプロのレー
シングドライバー(基本的に書けない)の領域となり、私のような”走れるジ
ャーナリスト”にリスクを負わせて取材する編集者はなくなった。この年の私
はLM03日産(コカコーラターボC)に始まり、マツダ727C(ワークス)、ポルシェ
956(FROM-A)、ローラT616RE(オーナーのBFグッドリッチ社の招待でアメリ
カ・カリフォルニア州リバーサイドレースウェイに出張)の取材をこなしてお
り、この85Cをクリアすればほぼ制覇というところだった。自ら取材ジャンル
を開拓して、身を以て幕を閉じた。

 またぞろの回顧話になってしまったが、この事故による長期入院期間がそれ
までの仕事ぶりを変えるきっかけとなった。乗って走る自動車ライターの看板
を掲げていた以上ドライビングには人一倍関心があったし、クルマの評価スタ
イルにも一家言あった。しかしキャリアはまだまだ浅く、若さに任せた勢いと
ラップタイムや加速性能データといった数字にモノを言わせる面が強かった。

 クルマを走らせること、ドライビングには自信があった反面、国内外を走る
経験を通じて、クルマは単にクルマ(のハードウェア)だけでは評価できない
と痛感するようになっていた。長期の病床に伏せる時間は、”走り屋”として
のプライドの消失と向き合いながら「いかにしてサバイバルするか」を考える
またとない機会となった。

 その時の直感で手にした『知価革命』堺屋太一著が描き出した20世紀の残り
から21世紀に至る時代のパースペクティブ(透視図)に可能性を感じ、激変の
様相を呈した時代の流れに沿って自らの見通し立てながら進む羅針盤の役割を
果たした、という話はこれまで何度も記している。

 私のキャリアの転機は、まず最初にGSのアルバイトの身であったにも関わ
らず自動車編集者の誘いに乗りホイホイと現業に就いてしまったことに始ま
る。レースで多少なりとも腕に覚えがあるという一筋の炎だけで行動に移した
ところが私の私たるところだが、当然当初は苦労した。クルマの運動性能計測
のテスターに始まり、最高速トライアル、サーキットラップタイム、試乗記に
レースリポート……出来ることは何でもやったが、1980年代を予見する60偏
平タイヤのテストリポート企画が運を引き寄せたことはもう耳タコかもしれな
い。

●「何故ドリフトは面白いのか」FRにはまった原点

 ここでテスト車両にFR(フロントエンジン・リアドライブ)レイアウトの
クルマを前後輪の役割分担の把握しやすさから採用し、テストモードから考案
する中でリアドライブ車ならではのパワードリフトの魅力に気付かされた。私
の(ドリフトの魅力を究極とする)FR絶対主義はここに始まるが、このタイ
ヤテスト企画が関西のタイヤメーカーの目に留まり、商品企画の担当者が取り
持った縁で『身体論』の地平から”身の構造”の著書で人とモノとの関係をテ
ーマに掲げた哲学者市川浩明治大学教授(当時)と出会う。

 私は、「何故ドリフトを面白いと思うのか」という素朴な疑問を抱きながら
FRという古くて新しいレイアウトと人間の関係を我流で考えたりしていた。
当時は小型車中心の国産車が競い合うようにFF化を進め始めた時代背景。そ
の次ぎは4WDだといつの時代も変わらぬ”What's new?"を求める人々が身構
えている時に、保守的なFRに目を向ける私は変わり者の扱いを受けた。

 今でこそ現代日本人を特徴づける気質と知れ渡った”同調圧力”だが、当時
はまだ少数意見はことの良否ではなく大勢に従うべき……という”皆で揃って
豊かになろうとした時代。片隅でFRだドリフトだと気を吐く者は煙たがられ
た。私が自分の考えを述べたところ「あなたの業界では一人かもしれないが、
日本のいろんな分野に同じような人はいる。心配には及ばない」その後変節す
ることもなくずっと絶対主義を貫けたのは市川先生の一言が効いている。身体
という言葉を私が多用するのは、直接薫陶を受けた哲学者の影響によるという
のは本当だ。

 あれからすでに35年以上が過ぎているのだが、相前後して影響を受けた人物
に佐藤潔人(きよんど)昭和女子大学教授がいる。1984年12月に「自動車=快
楽の装置(人間との幸福な関係を目指して)」カッパサイエンス=光文社を著
している。ハーバード大学で博士号を取得し、滞米中にレーシングカーや日本
車のテストもこなしたエンスージャストの一面も持つ。

 同書で強く印象に残っているのは「ヒトとクルマの二重のシステム」という
考え方。クルマはハードウェアのシステムとして自己完結しているが、それだ
けでは走れ(動け)ない。人というもう一つの”システム”が組み込まれるよ
うに加わることで本来の機能が発揮できるのだと。

 この考え方にインスパイアされた私は、さらに道路インフラや交通法規など
の広い意味での環境からなるフィールドシステムを加えた「人・道・クルマ=
三重のシステム」としてクルマを捉える現在の立脚点に辿り着いている。

 ITとAIの合流で現実味を帯びてきた昨今の全自動運転車の登場によって
いささか古くなった印象もあるだろうが、クルマの本質は21世紀の今後もさほ
ど変わらないのでは? と見る私としては、持論を引き下げる予定はない。

●バブルの『負け組』と『勝ち組』

 私が20~30代を過ごした昭和末期には「明治は遠くなりにけり」というセリ
フを度々聞いた。調べると、中村草田男という俳人が昭和6年(1931年)に詠
んだ句であるという(降る雪や 明治は遠く なりにけり)。中村は明治34年
(1901年)の生まれ。30歳の青年がわずか20年前を詠んだという事実に驚く
が、振り返ってみれば令和2年(2020年)の現在は平成の30年を挟んで昭和と
なるわけで、”昭和は遠くなりにけり”明治の比ではない歴史であるようだ。

 私にとって昭和は”ついこの間”の話であり、日本が世界一の座に躍り出た
1980年代10年間の昭和末年はまだ鮮明な記憶として残る。それ故に、ポストバ
ブルのデフレ不況に明け暮れた「失われた……」という枕詞が付く平成の30年
の問題点も指摘できる。

 昭和というのは要するに「みんなで揃って(物質的な)豊かになること」を
目的とした戦後復興期の記憶であり、現代人にとっては敗戦から高度経済たか
成長のピークとなった1970年まで継続的に続けられた5カ年計画に象徴される
計画経済を前提にした社会システムを指す。新卒一括採用から年功序列賃金体
系に終身雇用……私が自動車ライターとして生きることを決めた1978年当時フ
リーランスという概念は一般化しておらず、会社勤めのサラリーマンであるこ
とが普通の社会人とみなされた。

 現在50代以下のほとんどの世代は、社会人としての昭和を知らない。私の二
人の娘は1980年代初頭の生まれであり、平成の改元時はまだ小学生。2000年以
降に成人したいわゆる”ロスジェネ”で、ポストバブルのデフレ不況下に多感
な時期を過ごした。ミレニアムに至る1990年代の私は40代の働き盛りであり、
幾多の幸運が重なって1995年から21世紀初頭の2005年までの10年間は新たに
始まったCSTVのレギュラー番組を中心とする仕事にも恵まれた。

  バブル崩壊が現実のものとなった1992年から日米貿易摩擦にともなう自動車
協議が妥結した1995年までの世相の落ち込みは1973年のオイルショックに始ま
る大不況に酷似した。バブル期に深手を負ったマツダは翌1996年からフォード
の出資(株式の33.4%)を仰いで傘下に入りフォードから4代に渡って外国人ト
ップを受け入れ、有利子負債を2兆数千億円積み上げた日産も1999年3月に仏ル
ノーからの資本注入(約6000億円:当初株式の36.5%、後に43.4%を取得)によ
り危機を脱し事実上子会社化。

  さらに2000年3月には三菱自工もダイムラークライスラー(当時)から34%の
出資を受け入れて傘下に下った(2005年11月に提携解消)。他にもスバルの富士
重工(当時)もそれまでの提携先だった日産に変わってゼネラルモータース(G
M)との提携に走ったし(GMの経営悪化にともない解消し2005年からトヨタ
と資本提携)、大手で無傷で残ったのは堅実経営のトヨタとクリエイティブムー
バーで一息継いだホンダだけという世紀末の"惨状"だった。

●身の丈に合わない豊かさは続かない……がバブル景気最大の教訓だった

  今昭和末年の1980年代の約10年間をリアリティを以て語れる者がどれだけあ
るだろうか。当時30代の現役世代がもれなくリタイアしている2020年現在、語
り部たるメディア界でも当時はまだ人材に限りがあり、国内シェア争いに鎬を
削り合うメーカー関係者(開発陣を含む)と丁々発止を演じた者も数少ない。

  時代感覚としてはまだ中央の行政官僚機構による威光が強く、1980年代初め
に"ジャパンアズナンバーワン"という日本の高度経済成長期を分析した社会学
者エズラ・ヴォーゲル氏の著作により『日本株式会社』とも揶揄された日本特
有の経済・社会システムが機能していた。

 繊維から自動車へと対象が変った日米貿易摩擦は、日本社会が基本構造を変
えることなく輸出総量を自主的に規制する対症療法でかわす"変れない体質"を
露呈。米国での日本車打ち壊しがショッキングな映像とともに報じられてもな
お変れず、痺れを切らしたアメリカが円高/ドル安を容認するG5のプラザ合
意を以て歴史的な転換点を迎えたのが1985年9月。円高により輸出貿易が停滞
するという不況予測に消沈する一方で、価値が倍増した上に有望な投資先の見
えない状況が不動産バブルを招来し奇妙な好況感のなかで株式の史上最高値を
更新。過熱する不動産バブルに対する庶民感情に配慮した政府金融「行政当局
が異常な投機熱を冷ます狙いで行なった「不動産融資総量規制」がバブル崩壊
というハードランディングを招き、平成の30年間を通じて「失われた20年とも
30年とも言われる」デフレ不況の種を蒔くことになった。

 ヴィンテージイヤーとして振り返られる1989年(昭和64年/平成元年)は、
日本の自動車産業がその技術力(開発/生産の両面)において国際基準に肩を
並べたという意味でも記憶されるべき年だった。ただし、1990年に史上最多の
777万台を記録した国内自動車販売と輸出台数(572万台※海外生産326万台)
からも分かるように国内市場の拡大が成長の原動力であり、排気量2リットル
以下全幅1700mm未満のいわゆる5ナンバー枠が世界生産の大半を占めていた。

 戦後の社会システムの基本となっていた一括採用/年功序列/終身雇用の仕
組みは、コストダウンを徹底させることで規格大量生産のメリットを追及する
ことに長けてはいたが、良く出来たモノは出来るだけ高く売るというバリュー
アップの価値観を根付かせることには不向きだった。国内生産/輸出貿易とい
う枠組みでは従来の日本型生産システムには限界があったが、バブル崩壊の5
年後に訪れた日米自動車協議妥結が”変れない日本”に幸いした。

 高度に洗練された規格大量生産システムをそのまま海外生産拠点に転用し、
仕向け地に見合う商品性に優れたクルマ用にアレンジすればいい。ミレニアム
前後の海外主要市場には日本人の知らない日本車が数多く見られるようになっ
ていた。巡り合わせの幸運もあって実力派の奥田碩社長から張富士夫~渡邉捷
昭氏と3代続いた内部昇格トップの積極経営によって1995年からの10年余りで
40万台/年という海外生産を推進したトヨタがその代表例だが、わずかな期間
でグローバル販売台数を倍増させ、『世界のトヨタ』と呼ばれるようになった
業容の変化に異論を差し挟む者はない。

 時代背景としては、ITバブルからその崩壊を経て不動産バブルからリーマ
ンショックに至る米国の好景気下にあり、日本の自動車産業すべてがその恩恵
に浴していた。日産のカルロス・ゴーンCOO(当時)によるV字回復も、ア
メリカ市場の好況を背景にそこでの収益性に焦点を当てた結果であり、日産リ
バイバルプラン(NRP)当時はほぼ拮抗していた日産とルノーの販売台数(日産
=273.5万台、ルノー240.4万台)が2016年の最盛期には2対1に近い(日産=556
万台、ルノー=318万台)に広がっていた。同年に三菱自工をアライアンスメ
ンバーに加えて世界の3強に躍り出る実績は、トヨタの躍進と同様に評価され
ることはあっても非難の対象になるものではないだろう。

●私はホンダのDNAでもある行政官僚機構と渡り合える企業風土に期待する

 ポストバブルの『勝ち組』に名を連ねていたホンダもリーマンショックが転
機となった。6代目の福井威夫社長の後を受けて伊藤孝紳氏が社長に就任した
のが2009年6月。私は同年暮れにdriver誌の特集企画で伊藤社長との独占イン
タビューをしているが、その時語られたビジョンはほとんど形を成している。
F1然り、NSXのハイブリッド化をともなう復活然り、日本市場での軽自動
車中心然り。”メードバイグローバルホンダ”を標榜し『世界6極体制』で相
互補完を目指した戦略にしても誤りということはなかった。

 何かと非難の対象となった「2016年に世界販売台数600万台」という数値目
標も、1990年代後半からの10年余りで40万台/年の海外生産拠点を構築し業容
を倍増させたトヨタに比べれば1.5倍の増販はホンダの海外展開を知れば納得
も行く。国内市場で見るホンダはトヨタに遠く及ばない存在だが、2輪の世界
ではトップシェアであり乗用車でも米中2大市場でトヨタと互角のブランドイ
メージを有している。

 経営は結果責任なので責めを負う必要はあるが、私の見るところでは根っこ
に大企業病に犯されたホンダの現実があり、また開発拠点として世界的なメー
カーとしては珍しい研究開発部門の別会社化=本田技術研究所における組織的
な脆弱性が問題としてあった。平たく言うと大企業病であり、ホンダという企
業ブランドの看板を背負いこむより看板にすがる従業員=エンジニアのサラリ
ーマン化が背景としてあった。先に述べたインタビューの際にも、技術研究所
の組織的な力量低下に危機感を募らせていて、当面ホンダ本体と研究所のトッ
プを兼務して改革に取り組むとしていた。

 かつてのホンダであるならば、リコールを始めとする品質問題を”無茶な販
売計画目標”を掲げた経営トップのせいにするなんて、技術者がするはずもな
い。恥ずかしい言い訳をする前に、プランに沿うよう尽力して結果を出そうと
いうスピリットを感じさせる個性がいた。リーマンショック時のトヨタの品質
問題/リコール騒動の原因もほぼ同じところにあり、無理を重ねた結果という
よりも別の要因を疑う必要があった、と思う。

 日産のゴーンスキャンダルの構造もよく似ている。私も在任10年を越えた辺
りからC.ゴーン氏の長期政権は組織的な問題が膨らむと思うようになってい
た。2018年11月19日の逮捕の第一報直後は、”遂に?”と長居による綻びが過
ったものだった。しかし、ゴーン氏は2017年4月にCEOの座を腹心の西川廣
人氏に譲り、就任直後に自らの意向でヘッドハントした元いすゞのデザイナー
中村史郎専務執行役員CCO(チーフクリエィティブオフィサー)と一緒に退
任している。

 事件発覚当時はすでに1年半以上が経過しており、それまでも代表取締役の
地位にあった西川CEOの経営手腕が問われて不思議はないタイミングだっ
た。事件直後からの記者クラブメディアによる日産・検察からのリーク情報に
よる印象操作や、最初の起訴事実の金商法の有価証券報告虚偽記載にしても当
初匂わせられた脱税や過少申告などではなく現に支払われていない将来受け取
る可能性も定かではない報酬を記載しなかったことが罪という、どう斜め読み
しても立件の難しい内容だったり。

 しかも、金商法については同じ案件を二つの時期に分割して別個に起訴して
拘留期限の引き延ばしを図り、保釈請求を裁判所が認めるやそれまで起訴する
予定のなかった会社法違反(特別背任)で再逮捕起訴に及んだ。捜査には一方
の当事者でもあるサウジやオマーンの人々への供述が欠かせないはずだがそれ
もなく、様々な禁を破って日産当事者に中東やフランスやブラジルで”捜査”
に及び不当な証拠集めに没頭した。刑事司法の国際的常識でもある『推定無罪
の原則』などどこ吹く風。検察(それも地検特捜部)が逮捕起訴に及んだとい
うだけで極悪人であるかのようなイメージをメディアと一体になって植え付け
ている。

 今でも日産のステークホルダーだけでなく多くの庶民もC.ゴーン氏を不良
外国人の如く言い募っているが、果たして皆さんは当の人物をご存知なのだろ
うか?

●日本から見た世界ではなく、世界の中にある日本の発想が持てるかどうか

 国際的な名声を得ていたカリスマ経営者を、騙し討ちのような手口で逮捕起
訴し、長い拘留の果てに保釈を得て、さて公判はいつから始まるのかと問えば
金商法の件はやっと日程が見えてきたが、二つに分けられた罪状ごとにスケジ
ュールが組まれ、会社法については何時公判が始まるか明かされない。検察に
よる時間稼ぎは明かで、下手をすれば現在66歳のゴーン氏が異国でもある日本
に留め置かれ被告の身分のままで後数年過ごすことになっていた。

 日本には日本の刑事司法制度があると言うのは良いが、外国人それも請われ
て日本にやって来て倒産寸前の企業を再建し再び世界的なアライアンス企業体
に育て上げた人物を悪し様に問答無用で罪人に陥れようとする。レイシズムや
ダイバーシティが問われるようになったグローバルエコノミーの中で、そんな
横紙破りが通ると考える方がどうかしている。

 ゴーン事件は、ひとり日産という企業に留まらない。日本の自動車産業全体
のブランド毀損につながったという意味で重く受け止める必要がある。日本か
ら見ればC.ゴーン氏は野球の助っ人外人といった軽い雇われ人かもしれない
が、経営のプロの才覚が求められるグローバル市場におけるステイタスは世界
的スポーツのサッカー界の最優秀選手に与えられるバロンドール保持者のC.
CロナウドやL.メッシ級。その価値は長きにわたって国際自動車ショーでの
仕事ぶりをフォローしてきた私が余人に代え難しと断言する。

 多くの日本人は日本の自動車メーカーが平成年間にグローバル企業へと変化
している認識を欠いている。メーカーに限らず部品を含めた自動車産業全体が
その収益の80%以上を海外に依存していて、日本市場は全体の中のごく一部に
なっている。日本語の壁に守られ、基本的に日本市場に限った範囲でしか情報
伝達できない現実もあるが、直接収益に関係のない国外の事情は”知ってるつ
もり”のレベルで用が足りている。

 売り上げや収益の大半を国外に依存しているということは、すでに従業員数
でも日本人より諸外国人のほうが多くなっていると考えるのが自然で、一部の
創業者を除けば内部昇格のサラリーマン社長にグローバルガバナンスを期待す
る方が無理というものだ。西川廣人氏の無能ぶりが国際市場に周知されたこと
のダメージは、現実に国際舞台に一度も登場しなかったことからも明かであり、
内田誠社長にグローバル展開している現在の日産をハンドリングしつつルノー
と三菱とのアライアンスを成長軌道に乗せる才覚を期待するのは酷というもの。

 同じことはトップメーカーのトヨタについても言えることで、エンジニアの
経験もなく経営のプロとしての実績もなく、ただの創業家に生まれ育ったとい
うだけで当然のように経営のトップに座った豊田章男氏は批評に晒されるのは
当然であり、腫れ物に触れるような扱いは誰のためにもならない。1995年から
リーマンショックまでの13年間にわたって40万台/年というハイピッチで海外
生産拠点作りに邁進した経営トップとそのプランに応えて企画開発生産販売と
いう各部門が必死でサポートした。

 リーマンショックと相前後して品質問題やリコール騒動に揺れたのは、毎年
のように米国現地に飛んで取材していた者としては不思議であり、納得の行か
ないことも多い。2008/2009年のカリフォルニア・グリーンカーオブザイヤー
などは、今にしてみれば”なるほど、そういうことだったのか!”である。

 08年のジェッタTDiはまだしも、翌09年のアウディA3TDiのVWグループ2
連覇はディーゼル不毛の地であり未だ普及の前段階にも至らないタイミングで
それはない。地元の同業者に尋ねてもクリーンディーゼルがブームになってい
るとは「聞いていない」。その6年後の9月18日にEPA(アメリカ環境保護局)が
明かにしたディフィートデバイスを用いたフォルクスワーゲン社の組織的な排
出ガス規制逃れの不正で謎は解けた。

●何のためにクルマはあるのか? そこから考え直す時かもしれない

  何よりも2009年は3代目プリウス(ZVW30)のデビュー年。VWのクリーン
ディーゼルが妥当トヨタハイブリッド(HV)を旗印に北米市場での捲土重来を
期したという触れ込みだったことからも明らかなように、不正をしてでも取り
たいと熱望した結果だった。

  すでに事件発覚から5年が経過し、世界的な訴訟案件となったはずの出来事
がなかったかのような雰囲気だが、翌年に打ち出されたEVシフトにしても
CASEにしてもドイツが国家ぐるみで推進するインダストリー4.0の一環とし
て呑み込まれ、ディーゼル不正などなかったかのような振舞いだが、M.ヴィン
ターコルンCEOにしてもU.ハッケンベルグ技術担当常務にしても辞任後の続報
は届いていない。

  米国市場に賭けていたマツダのSKYACTIV-Dがグローバル市場での商品性諸共
失い、今日の混迷につながった事実を追及しない自動車メディアのジャーナリ
ズム精神を欠いた不定件が問題視されないところに今日の混迷の一因がある。

 不透明感といえば2016年の米国大統領選挙が巷間の予想に反してD.トランプ
氏の勝利に終わり、第45代大統領に就任が決まったのを受けて、就任前の"指
先介入" でメキシコ工場の新設中止を求め始めた。お膝元のフォードは強烈な
ブラフに負けてプランを撤回。M.フィールズCEOは翌2017年にはフォードの日
本市場からの撤退を決断したのも束の間、自身も業績不振の責めを受けて退任
に追い込まれている。

  トヨタもメキシコ新工場の建設を決めていたが、トランプ氏の就任前の恫喝
に即応。デトロイトNAIASのカムリのワールドプレミアのスピーチで急遽向う5
年間で総額100億ドル(約1兆円規模)の米国内投資を行なうというリップサービ
スを展開した。さすが内部留保が6兆円を超えるとされるトヨタといったとこ
ろだが、よくよく考えてみればまだ就任前の次期大統領のツイッターに応える
ように世界発表のプレゼンの場で1私企業のトップが口にすることだろうか?
如何にトップダウンが可能なワンマン体制を構築しつつあるといっても、反応
が早すぎる。

 ここからは私の”邪推”だが、一説によれば世界最大の投資ファンドとして
知られるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の資金が原資であり、
トヨタが身銭を切ったのではないともいう。日産のゴーン事案といいトヨタの
リーマンショックからの5年間法人税未払いといい、政府の関与が取り沙汰さ
れる日本型経営の在りように対する疑念の数々がもやっと漂っている。

 クルマは人・道・車=三重のシステム。すでにファンタジーと化して久しい
走りのパフォーマンスを中心とするクルマのハードウェア評価は、現実に則し
ていないという点で情報としての価値が薄れつつある。政府が私企業に深く関
与する日本式経営は『日本株式会社』とも揶揄されるように、世界で最も成功
した社会主義によってもたらされたとも言う。

 出来ることなら、道路交通法や自動車関連諸税や高速道路の世界的に見ても
類例のない高額な通行料などクルマを取り巻く環境=フィールドのシステムか
ら見直して、ヒトとクルマというマン・マシンシステムが活き活きとした豊か
さを実感できる仕組みを構築したいもの。際限のない右肩上がりを論じること
て白ける愚はほどほどにして、スピードの意味に正面から向き合ったところで
現実に則したクルマの姿を追及したい。

 300km/hを知る者としては、その世界観に匹敵する価値や魅力を少なくとも
半分のスピードで得られる工夫を考えてみたい。リアルワールドを自らの運転
で走り回って掴み取れる身体感覚。過密な都市空間では味わえない管理社会か
ら距離を少し置いた移動の自由(Freedom of Mobility)は、クルマの最大価値。
新型コロナウィルスCOVID-19がその必要性を明かにしたソーシャルディスタン
スを保つツールとしてのクルマは、もっと注目されていい。

  何のために人は生きるのか。豊かで幸せな日々のためにクルマはある。そこ
から考えるエコロジーの発想が必要なのではないだろうか?        
                                   
-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

2020年7月9日木曜日

6月16日配信のまぐまぐ!メルマガ『クルマの心』第386号を掲載します。通常有料配信ですが、広く存在を知って頂くために過去分を期間限定でアップします。スマホでは画面を横にしてご覧ください。driving-journal.blogspot.com

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第386号2020.6.16配信分


●「近頃気になる言葉なんですよ」

 テクスチャー(Texture)は、直訳で「素材感」や「材質感」を意味する。
色や明るさといった材料の視覚的な均質さや触覚的な力の強弱を感じる凹凸の
ような部分的変化を、全体的に捉えた特徴や材質感覚や効果を指す。言葉を重
ねると何やら難しい響きとなるが、平たく言って目や手で”触れた”際の触感
……目触り(そんな言葉は聞いたことがないが)、手触りといったことになる
のだろうか。質感という言葉が一般化してかなりの時間が経ったように思う。

 「近頃気になる言葉なんですよ」世界的な評判を得ているマツダデザインの
中山雅氏に、ある時尋ねてみた。中山さんが山本修弘主査からロードスター
(ND型)開発主査を引き継いで間もない頃だったと思う。

「ああっ、それってローレンス(ヴァン・デン・アッカー:前マツダグローバ
ルデザイン本部長。現ルノーコーポレートデザイン担当副社長)もよく言って
ましたね、テクスチャー。」

  現在のマツダデザインと言えば、前田育男常務執行役員がデザイン本部長就
任時(2009年)に捻出して一時代を築いた魂動デザインで知られるが、前任の
ヴァン・デン・アッカー氏は在任中(2006年5月~2009年5月)に”ながれ
(流)=NAGARE"デザインを提唱した人物だ。

 その進化形は現在のルノーデザインに見ることができる。インハウスデザイ
ナーとしてメーカーに帰属するのが一般的な日本の違って、イタリア・トリノ
のカロッツェリア(デザイン・システム社)でキャリアを始め、アウディ、フォ
ード、マツダ、ルノーと渡り歩いてキャリアアップした職人気質。"ながれ"
は在任期間が短く消化不良気味に終わったが、現在のルノーデザインの評価は
悪くない。

 日本では市場性の薄さからメディアの俎上に乗る機会は少ないが、デザイン
がブランドアイコン化しているという点で、メルセデスベンツのチーフデザイ
ナーゴードン・ワグナーやマツダの前田育男と同様のタレントと言えそうだ。

 テクスチャーという表現は、様々な世界で用いられている。たとえば化粧品
ではクリームの滑らかさや伸びの良さといった触感を表す言葉としてごく普通
に使われる。女性誌の世界では、金属・紙・木・液体・布・食べ物などといっ
た様々なモノの手触りや食感を表現する時にごく普通に用いられているようだ。

  このような感覚世界の話は、馬力性能や結果としてのスピード、エンジンや
サスペンションなどのメカニズムや数値/形式などカタログに諸元として記載
されるデータの数々……モノ同士の比較で楽しめる左脳志向の男の子文化たる
自動車メディア界ではもう一つ引きが弱い。

●近頃の”試乗インプレッション”が決定的にツマラナクなった理由

  だが現実問題として、現在の市販乗用車はたとえそれが軽自動車でもフルに
そのカタログスペックを引き出して走りを堪能することなど叶わない。多くの
人は、500馬力超で300km/h以上で走れるハイエンドスポーツカーを『高性能』
だと信じ、それを手にすれば己も満喫できると踏んでいるが、現実は絶望的と
言えるほど遠い。

  手に負えないほどの超高性能が、必ずしも優れた乗り物であることを意味し
ない。誰もが何となく気がついていることだが、ほとんどの人がその生涯で経
験する機会に恵まれないという事実が、"ファンタジー"を永遠のモノにしてい
る。身も蓋もない『お伽話』が今もなお成立しているのは、実際に手を触れる
可能性がないというバーチャル感覚の成せる技だろう。

  いっぽうで、身の回りのことが情報の主体となる女性誌では"テクスチャー"
はリアリストの女性にとって大きな関心事ということだろうか。

  翻って男の子文化が色濃く残る自動車専門誌では、実感をともなう感覚表現
(指先から入る情報や見た目から感じ取れる微妙なバランスの悪さなどといっ
た)よりも、もっとも強力な言語でもある数字に裏付けられた論理的説明をし
たほうが、情報の送り手と受けての双方がお互いに安心できる。

  振り返ってみれば、私が長く関わってきた自動車メディア界は、その存在が
社会性を得た昭和末期の10年間(昭和53~63年=1978~1989年)で花開いた
成功体験が忘れられず、ひたすら往時の姿を追い求めて30余年を浪費してき
た。高度経済成長のツケを払わされるように深く沈んだ1970年代。オイルショ
ックと厳しい排ガス規制を正面から受け止めることで克服し、その過程で手に
入れた技術力を背景に国際舞台での成功を引き寄せた。原油は高止まりしたが、
それ故に省エネと環境技術は国際競争力が問われた時代に価値を生む。

 永遠の成長が信じられ、1億総中流という皆が揃って(物質的)豊かさを実
感する。マークII三兄弟(クレスタ・チェイサー)が4万台/月と文字通り飛ぶ
ように売れ、沸騰する国内乗用車市場でのシェア争いは一国に9社(トヨタ・
日産・マツダ・三菱・ホンダ・いすゞ・スバル・ダイハツ・スズキ)がひしめ
き合う中で多様性の限りを尽くす活気に溢れた。

●100km/hを越えると『キンコンカン』と警告チャイムが鳴った

 実は、日本の総人口は1億人を突破した1970年からピークの1億2808.4万人
を数えた2008年まで右肩上がりの増加プロセスにあり(1980年は1億1706万
人)、21世紀目前の2000年でも65歳以上の高齢者比率は17%(2200万人)に留ま
っていた。1980年代の栄華は、円安(=ドル高)に業を煮やしたアメリカによ
るG5プラザ合意で終焉に向かうが、為替で価値が倍増した『円』を発展途上
段階のメンタリティで消化しきれなかったことが、遂に変ることが出来なかっ
た今日につながっているようだ。

 貿易輸出で利益を得るには日本の国内向け商品(5ナンバー枠が中心)の転
用では採算が取れず、ポストバブルの国内市場蒸発に伴う不況はバブルに踊っ
た負け組と慎重を期して波に乗れた勝ち組に明暗を分けた。

 すでに1980年代をリアルに振り返ることが出来る世代は現役を離れ、マツダ
のフォード支配やC.ゴーン氏登場に至る1990年代の出来事が歴史の範疇とな
った今となっては、当時を正確に振り返る機運は薄れている。20年後の現実を
ベースに、過去を振り返る旧態依然の既得権益層が幅を利かせ始めた。

 困ったことに、本来はジャーナリズムの立場から史実を現在に伝える役割の
既存メディアが、インターネットというディスラプティブ(Disruptive=破壊
的な)テクノロジーが登場した結果、自らの存亡を賭けて既得権益層に与する
抵抗勢力と化し、誰のために何のために情報発信するのかという本筋を忘れた
変化を阻む存在になりつつある。

 日本の自動車産業が発展途上段階にあった1980年代までは、西欧やアメリカ
といった自動車先進国の背中を見ながら”追いつき追い越せ”というキャッチ
アップ型の報道姿勢も許された。まだ見ぬ世界を知ろうという欲求は、豊かさ
を実感するには至っていない段階では社会全体が上を見ていた。情報の送り手
受け手ともに共有する感覚は同じ。馬力競争は無邪気に楽しめたし、ゼロヨン
加速や最高速データに一喜一憂し、(筑波)サーキットでのラップタイム競争
にも際限のない期待を寄せる気分が横溢していた。

 しかし、技術は激化する国内のシェア競争の中であっという間に蓄積され、
10年を待たずに国際基準に迫り凌駕しつつあった。日本には1962年以来道交法
によって法定最高速度が100km/hに規定され、1980年代前半には速度警告チャ
イムが標準装備となった時期もある。100km/hを越えると『キンコンカン』と
警告チャイムが鳴る。法治国家としては正しい装備だが、すでに法定速度が現
実の交通の流れに合わなくなっていて、非装備の輸入車との関係もあって間も
なく廃れた。速度計は実性能とは関係なく180km/h表示に制限され、スピード
リミッターもそこで打ち切りとなる設定となった。

  一方で、それまでの経済的成長を支えていた円安為替環境が、1980年代央に
最大貿易相手国アメリカの意志で切り上げられ、まだ拡大の余地を残していた
国内市場中心のクルマ作りは転機を迎える。円高で不利となった貿易輸出でも
収益が得られるクルマ作り=国際規格に見合う商品企画が問われるようになる。

●今ある世界の馬力競争を仕掛けたのは間違いなくバブル期の日本車だ

 昭和末期から平成初期に訪れた日本車の爛熟は、電子制御を軸としたハイテ
ク/ハイパフォーマンス技術の盛上がりと降って湧いたバブル景気が複雑に絡
み合った結果だった。輸出がほとんど考慮されないスカイライン(R32型)の
頂点に位置するGT-Rは、当時の日本車の現実を知る”考古学的”価値のあ
るクルマだ。

 投入は、拡大を続ける国内自動車市場を前提に『技術の日産』というブラン
ドイメージをより強固にする狙いがあったと思う。経営層が優秀であればエン
ジニアのテクノロマンを退けてでもコスト意識を持った開発の健全化を目指し
たはずだが、浮かれた社会の勢いに呑み込まれる。

 日本選手権のタイトルが掛けられたグループA規定のツーリングカーの車両
規則を精査し、磐石のパッケージで勝てるマシンを作る。後にWRCを闘う三
菱ランサーエボリューションもスバルインプレッサWRXも同様のコンセプト
で開発され、1990年代の世界ラリー選手権を席巻することになるが、時代の勢
いに乗っただけとも言える日産・三菱・スバルが世紀末にいずれも破綻の淵ま
で行った事実はけっして偶然ではないだろう。

 昭和末期から平成初期の市場の活況はバブルであり、そこでの判断が後の命
運を分けた。これは後知恵で言うのではなく、活性化する1980年代の国内市場
において切磋琢磨する自動車メーカー開発陣を取材し、自らも躍進を続ける日
本車の体力測定に雑誌メディアを通じて関わった実感から、”それは違うだろ
う”ということに気付いた。そのことが今日に至る意見のベースになっている。

 所管の通産省(当時)が自動車メーカー各社に対して行なった施策が、今も
なお変れない日本の行政を象徴的に表している。国内における激しいシェア争
いの結果ヒートアップした『パワー競争』は、1980年代央には200馬力の大台
を突破。1988年の日産シーマⅠが3ナンバー専用ボディと当時最強の255馬力
V6DOHCターボと500万円という値付けながら"社会現象"ともいえる大ヒット
となり、折からの金余り現象にともなう好景気のうねりが合わさって高価な高
性能/高級車が社会的に受け入れられるようになった。

 実を言えば、輸入高級外国車が日本社会で抵抗なく受け入れられるようにな
ったのはこの頃が最初である。私が自身の価値判断基準を求めてメルセデスベ
ンツ190E(W201)を購入した1986年当時はまだ奇異な目で見られがちで、
当時34歳の駆け出しフリーランサーだった境遇を思い起こすとけっこう寒い。

●日本の自動車市場を窮屈にしているのは誰か?

 昭和末期のイケイケムードの中、日本車の走りのパフォーマンスはグングン
国際基準に迫り、シーマ現象を経てピークに差し掛かる。そこに元号が昭和か
ら平成に変る1989年が位置して、ヴィンテージイヤーとして振り返られるのは
結果論に違いないがここに投入されたニューモデルは、たとえばCOTY(日本カ
ーオブザイヤー)1989-1990のノミネート10車の内スカイライン(GT-Rを含む)
と軽自動車の三菱ミニカ以外はすべて輸出を前提に商品企画が進められている
(トヨタセルシオ/MR2・日産インフィニティQ45/フェアレディZ/スカイライン
・ホンダアコードインスパイア-ビガー/インテグラ・マツダユーノスロードス
ター・スバルレガシィ)。

 ブランニューのセルシオ、インフィニティQ45、スバルレガシィはいずれも
後の各社の屋台骨を支える主力モデルと化し、国内よりも海外市場において高
く評価されるアイコン的存在に成長しているが、レスサスの旗艦として開発さ
れたセルシオ(LS400)も北米市場でZ(ズィー)カーとして親しまれるフェア
レディZもアメリカでG0サインが出なければ日の目を見なかったと言われるロ
ードスターも、法定最高速度100km/hという日本固有の価値観とは離れた(とい
うよりまったく別概念の)グローバル商品として企画されている。

  ドイツのアウトバーンという例外を除けば世界中の国で最高速度を法的に制
限しない国は存在しないが、知るかぎりでは日本の法定最高速度100km/hは先
進国最低であり、世界に冠たる先進自動車生産国とは思えない交通環境のまま
少なくとも半世紀を過ごしている。この間のテクノロジーの進歩やインフラ整
備や人々の習熟度を考えると、変れない行政官僚機構の弊害は明らかだろう。

  すでに人口が減少サイクルに入って12年となるが、都市化と大都市への人口
集中のトレンドは変わらず、過疎化が進んで交通がまばらな地方と大都市圏を
同じルールで縛る合理性が失われつつある。

  バブル期は遠い昔の話だが、国内外にある道路交通環境の格差はそのまま続
いている。テクノロジーの進歩と法整備の時代錯誤が顕在化して久しい。所管
の通産省は、産業振興の立場から自動車の高性能化には肯定的な立場を取る一
方で、警察公安が堅持する法定最高速度には逆らえない。縦割り行政の弊害極
まれりという感じだが、自ら責任を取ろうとしない役人根性は自主規制に走る。

  行政指導という許認可権を笠に着た悪知恵で自動車産業界に下駄を預けた。
当時の技術力はすでにリッター100馬力はNA/ターボに関わらず現実的にな
っていて、事実として輸出向けのフェアレディZやNSXや三菱GTOなどは
300馬力を公表するレベルにあった。その事実が欧州のプレミアムブランドを
慌てさせ、ポルシェやフェラーリといった老舗をアップデートに駆り立てた。
世界の馬力競争(闇雲に超高速を競い合うトレンド)に火をつけたのは間違い
なく日本のハイパフォーマンス軍団だと断言できる。

  内外格差の矛盾を誤魔化した280馬力自主規制に象徴されるように、国内法
規(道交法=法定最高速度100km/h)の現実を改めることなく国際商品として
のクルマが抱えるねじれを丸め込む。あれからもう31年だが、状況は1mmも
動いてはいない。時代の変化に合わせてアップデートするという、日本の行政
官僚機構がもっとも不得意とする『無謬性堅持にこだわる余り前例主義から逃
れられない無責任体質』が今につながっている。

  警察・公安など他省庁との縦割り行政の弊害でもあるのだが、国を代表する
基幹産業でありながらクルマの機能性能をフルに活かしたモビリティの構築に
は無関心。この変わらぬ役人体質が、グローバル化して世界に冠たる存在とな
っている日本車と日本国内におけるクルマとドライバーの関係にまったく別の
評価が下る『問題の本質』ではないだろうか。

●バブル期の真相を語れる者が少なくなっている

 バブル崩壊に伴う国内自動車市場は、1990年に777.7万台(内登録車597.5万
台)を記録したところでクラッシュ。200万台以上の需要が蒸発して以来30年
以上にわたってずっと500万台/年規模に留まっている。

 ポストバブルの90年代は、経営陣によって明暗が分かれた。保守的な経営が
奏功して深手を負わなかったトヨタと4代目川本信彦社長の経営手腕で主力セ
ダン系の整備とその派生モデルのクリエーティブムーバーによって息を吹き返
したホンダ。この『勝ち組』とは対照的に、過剰投資とその反動で倒産寸前に
瀕した日産や販売5チャンネル制で躓いたマツダや経営トップの不祥事で傾い
た三菱などの『負け組』が、グローバル化の到来とともに窮地に陥った。

 20世紀最後の10年はすでに歴史の範疇にあり、平成30年間の前半3分の1に
当たる世紀末の1990年代を正確に振り返られる人材も限られるようになった。
現在の50代はまだハタチそこそこの駆け出しであり、当時40代の私より上の世
代の多くは現役を退きつつある。

 現在の自動車メディア/ジャーナリストが激動の当時を正確に振り返ること
が出来ないのも無理からぬところがあるが、その頃から顕在化した出版不況と
サバイバルのための自動車メーカーに依存する業界体質が、今日のパブリシテ
ィ漬けとも言える状況の伏線となっている。

 バブル崩壊にともなう広告出稿の縮小に、Windows95という象徴的なOSの
登場とインターネットの普及が加わってメディアの新旧交代を予感させたが、
何よりも大きかったのが『日米自動車協議』妥結にともなうグローバル化の進
展だろう。為替環境はすでに輸出に厳しい円高/ドル安に振れており、貿易の
相互主義の観点から現地生産化の機運が急速に高まった。

 日本の自動車産業にとってそれはもっけの幸いだった。国内シェア争いで鍛
え上げられた規格大量生産システムの粋を、そのまま国外の生産拠点に展開す
ることで量的拡大が易々と進められた。いわゆるオフショアの勢いに乗って規
模の拡大が図られ、40万台/年というハイピッチで10数年の間に業容を2倍に
高めて世界一を視野に入れたトヨタだけでなく、北米でのライバルとなったホ
ンダもゴーン改革でV字回復を成し遂げた日産もアメリカの好景気に引き寄せ
られる形で日本車の時代を印象づけて行った。

 日本の国内自動車メディアはほとんど言及することがないが、バブル崩壊で
7対5まで行った国内対海外の販売比率は、元の500万台規模にシュリンクし
た国内市場とは対照的に最大で2400万台規模(2017年)に達し、海外現地生産
は国内の2倍以上となる2000万台近くまで伸びている。日本はグローバル市場
の一部といった位置づけとなり、メディア/ジャーナリストが声高に叫ぶ国内
市場回帰路線に同調できる企業はなくなった。諸悪の根源は、クルマを所有す
ることが罰ゲームとなるような旧態依然の行政による規制や重税の数々にある
のだが、そこに正面切って踏み込むジャーナリズムはなかった。

●島国日本の中だけで日本車を語ろうとする愚か者

 日本車が世界的な評価を得ていたことは論を待たない。実績ベースで言え
ば、一国で最大約2900万台(自国を含む:2017年実績)を売り捌いているよ
うに、8社存在する乗用車メーカーが国内よりも世界の市場で高く評価されて
いる。島国の日本だけで見ているとそのスケールの実感が湧かないが、国内市
場専用車よりも遥かに多いグローバルモデルが存在し、日本人の知らない日本
車すら少なくない。

 市場のユーザーだけでなく、メディアに属する者でも現地に赴かないことに
は全貌を把握することは難しい。数年前のことだが、日産広報部がC.ゴーン
CEOと数人ジャーナリストを引き合わせたことがあった。”ガス抜き”を狙
って懇談の場を設けようだが、名のある業界氏曰く「日産は何故車種が少ない
のか?」国内市場向けに魅力あるクルマがないと、業界を代表するように問う
た。するとゴーン氏「えっ?」と耳を疑う素振りに続けて「そんなはずはない
でしょう」と言った。

 たしかに、日本市場にかぎって言えば総販売台数は50数万台。内三菱との合
弁で生産される軽自動車が3割以上を数え、いわゆる登録車は40万台を大きく
下回るレベルだが、グローバル販売はゆうに500万台を超えていた。北米だと
マキシマやアルティマやセントラといったセダン系に売れ筋SUVのローグ
(エクストレイルの北米版)やピックアップのタイタンや大型SUVアルマー
ダ……etc。欧州や中国向け専用モデルなどを含めると、数多くの日本人が知
らない日産車が存在する。

  最大メーカーのトヨタも言うに及ばず、車種を絞ったマツダだってアメリカ
ンフルサイズSUVのCX-9や中国向けCX-4を知るのは一部のマニアく
らい。ホンダのアキュラモデルはほとんど知られていないし、スバルや三菱も
同断。ようするに、日本の中に留まって日本メーカーは日本中心で……などと
言ってみても始まらない。何しろ、日本の自動車産業は全生産の8割方を海外
市場に依存している典型的なグローバル企業の集まりとなっている。

 この現実に目を向けずに、昭和の気分で変わらぬ良き時代の日本車を語ろう
としているところに、世界に取り残されようとしている日本の現実がある。日
本の(自動車)メディアにとって対象となるのは日本のユーザー読者であり、
国内市場で販売されるクルマだけが興味の対象となる。すでに繰り返し述べて
いるように日本の自動車産業にとって国内市場はワンノブゼム(One of
them)。日本語の壁に守られたメディア/ジャーナリストにとって海外の現実
は守備範囲の外であって、影響力の外にある。

●日本のメディアが抱える問題点

 日本の自動車市場の特殊性、閉鎖性は、世界各国の市場との比較において始
めて明らかになるはずだが、先のゴーン氏に質問した有名評論家は知ってか知
らずか日本市場中心の発想という日本の常識で臨み、グローバル化して久しい
企業のトップの認識と真逆の意見を述べた。

 日本に赴任してすぐに彼我の違いに気づき、フェアレディZとGT-Rのブ
ランドアイコンとしての重要性に注目して復活させ、行政官僚機構による変化
できない日本市場環境を見取って軽自動車販売を断行し、企業風土の違いから
トヨタのハイブリッド追従に見切りをつけてEV(リーフ)開発のリーダーシ
ップを発揮した。

 初来日から数年でV字回復のみならず日本の国内市場の限界を読み取り経営
資源を国外に集中させた。多分日産の内部昇格サラリーマン社長には絶対に出
来ない改革を断行したことこそ、C.ゴーン元会長最大の功績であり、彼に触
発されてトヨタを始めとする日本の自動車産業界の意識が国際基準にアップデ
ートされた。新聞TVをはじめとする既存メディアは、島国日本に留まるかぎ
り日本語の壁に守られて競争に晒されない。常に国際舞台で競争を余儀なくさ
れている自動車産業のリアルを伝えきれない意識のギャップがここにある。

 日本のメディアが抱える問題点は、数多ある情報を整理して有用で必要な情
報を広く一般に伝えるという社会的機能の前に、ビジネスとしての情報産業の
立場から情報の寡占を志向し、自らに利する形で情報を取捨選択して報じよう
とするところにある、と思う。記者クラブ制度などはその象徴的存在で、情報
産業がネタ元の政官財業に密着しそれぞれの異なるスタンスから報道を発する
のではなく記者クラブというムラ社会の枠組みの中で大同小異の情報を垂れ流
す。評価の基準は”売れる情報であるかどうか”であり、視聴率や発行部数や
売り上げなどで価値判断が下される。

 さすがにここまで生きてくれば様子が見えてくる。すでに明らかになってい
るように、既存メディアは世界中から膨大な情報が降り注がれるインターネッ
トメディアの前に制約要件(新聞には紙幅/紙面の制約、TVなどの放送メデ
ィアには時間の制約など)が立ちふさがり、限界費用の面からもwebメディア
に対抗できない状況に方向性を失いつつある。

  1980年代の自動車産業の急成長にともない飛躍的に伸びた広告出稿を背景に
自動車専門誌メディアが一時代を築いた。バブルのピークには600万部/月とい
う隆盛を誇ったが、ポストバブルの出版不況にインターネットの隆盛が加わ
り、既存雑誌メディアはサバイバルを国内外の自動車メーカーを中心とするパ
プリシティに与する道を選んだ。

●ドイツメーカーは中国で儲けるために日本を利用している?

 ここで気になるのが、現在の自動車メディア界に浸透している摩訶不可思議
なドイツ車を始めとする欧州車信奉。まだ、輸入車が珍しかった昭和の頃なら
ともかく、すでに21世紀も二つのディケードを過ぎた2020年である。インター
ネットが隈なく普及している今、必要な情報は各国各社のウェブサイトを当た
れば手に入る時代になっている。

  ここでも歴史観は欠かせない。バブル期に入るまでの1980年代は輸入外国車
はまだ一般化していなかった。当時は輸入代理店が外国ブランドを扱う拠点で
あり、ヤナセは最大手としてメルセデスベンツ、VW、アウディ、GMの販売
を仕切っていた。BMWはバルコム、ポルシェは三和自動車扱いで、フラン
ス、イタリア車などは一部のエンスージャストのものといった位置づけ。

 バブル経済にともなう好況下、高価格な国産ハイエンドや輸入車が容認され
るようになったが、ドイツ車(当時はまだ西ドイツ)は今ほど注目される存在
ではなかった。ベルリンの壁が崩れ(1989年)東西統一なってもしばらくは今
ほどの勢いはない。私は1993年(メルセデスベンツCクラス)、1995年(同Eクラ
ス)、1998年(同Aクラス)と輸入販売元がヤナセからメルセデスベンツ日本とい
う子会社に移行した時代のプレスツアーに招かれている。

  ブリュッセルを舞台に行なわれたメルセデスベンツAクラスの現地試乗会ま
での欧州は、EU統合という世紀の実験の真っ只中。旧東ドイツとの統合の混
乱もあってドイツ経済は今ほどパワフルではなく、VWにしてもBMWにして
もいわゆる民族系は力を蓄える段階と感じられた。米GM傘下のオペルが例外
的に日本市場への意欲を燃やしていたことが思い出される。

 ミレニアム以降もメルセデスベンツCクラス(W203:2000年)、同Eクラ
ス(W211:2002年)、同CLS(W219)とメルセデスベンツやオペルの現地
試乗会をカバーしているが、明かにドイツ勢(ジャーマン3=MB/BMW/VWア
ウディ)が対日本戦略を旗幟鮮明にしたのは2005年からだと記憶する。

  すでにメルセデスベンツもBMWもVW/アウディもポルシェも販売子会社
を設立していて、それぞれ日本メーカーがポストバブルのリストラの余波に揺
れるのを尻目に攻勢を仕掛けてきた。印象に残るのは各社それぞれ日本メーカ
ーの広報スタッフをヘッドハンティングしてPR活動に力を入れたことだろう。

 ちょうど中国の経済成長が話題に上り始めたころであり、日本もアメリカの
好景気に引っ張られる形で好況感を強めていた。今から振り返るとEU統合と
いう世紀の実験が軌道に乗り、同市場での成果を弾みにドイツメーカーがVW
を筆頭に中国経済の上昇気流に乗ってジャンプするタイミングに符合する。

 私はアメリカや欧州の国際自動車ショー取材に加えて2007年の上海から中国
のモーターショーを起点にグローバル視点で自動車産業を見るようになった
が、何年か取材を続ける内に膝を叩いた思いを味わっている。それは「何故わ
ずか30万台規模、全需要の6%除軽市場としても10%に留まる日本市場に、
ドイツメーカーがこぞって進出し多大なコストを払って市場進出する理由は何
か?」ずっと思い抱いていた疑問だが、昇竜の勢いで急成長を遂げる中国の自
動車市場を見ていて確信した。

 中国におけるマーケティングで何よりも優るのが口コミ対策。すべてが官営
となる中国メディア(新聞TV雑誌)を庶民が信用する確率は低く、親類知人
からの評判(最近ではインターネット上のSNSも入る)が何よりもの情報源
とされている。そこでの日本の市場における評判は有力であることは、一時期
爆買いで話題になった日本製紙おむつなどの情報が浸透していることからも分
かる。

 ようするに、ユーザーの要求水準が高く同じ東洋人として感覚的にも近い日
本市場での評判が、巨大市場の中国でも意味を持つ。まったくの個人的な見解
だが、それ以外に何かと物入りな日本市場に投資し、メディアを優遇する理由
が見当たらない。10年以上にわたって中国ウォッチに励んだ私なりの確信に満
ちた見解である。

●21世紀のクルマのありかたを考えよう

 今年はCOVID-19パンデミック禍の影響で前年比で上回る見込みは薄いが、
恐らくニューノーマルという新たな価値観の時代が始まってもここしばらく
の間は中国が自動車需要を牽引し、その圧倒的な販売台数を背景にトレンドセ
ッターとして君臨することになるに違いない。その意味で、日本の自動車メデ
ィアを隈なく抑え込んだドイツ自動車産業界の目論見は奏功しているといって
いい。

  ただ気になるのは、依然として技術的覇権を握り続けているドイツ流の価値
観がもはや時代に合わなくなっている。速度無制限のアウトバーンを持つこと
で意味を持つ300km/h超の超高速走行性能を可能にする500馬力の動力性能と、
SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)という2030
年に向けての課題は両立するか?

 ESG(Environment Social Governance)がこれからの企業投資を左右する
視点だとされている中で、超高速のファンタジーをブランド価値の最上位に持
ってくる姿勢が、一方で推進するインダストリィ4.0やCASEやEVシフトとの矛
盾とはならないか。日本のメディア/ジャーナリストはほぼ盲目的にドイツの
技術信奉を語るが、日本の中にある多様な価値観とは真逆の見方によってはガ
ラパゴス的と評価できるドイツの特殊な交通環境への肩入れはどうにも怪しい。

  冒頭にテクスチャーの話をしたが、実際に手で触れてその感触から判断する。
日本の変化に富んだ37万平方キロメートルの国土は、ランダムアクセスが可能
なクルマで訪れて知ることが出来るモビリティの魅力や可能性を追及する宝
庫。メーカーが提供するパブリシティをベースに、現実から遠く離れたフィク
ションを語るような試乗インプレッションをいくら積み重ねても、未来を生き
る人々の共感を生むことはない。

  カタログの諸元を書き連ね、従来比や他車比でクルマの優劣を語るというお
花畑の評価スタイルは、行政によって抑えつけられた走行環境の現実との対比
を考えると早急のアップデートが望まれるところに来ている、と思う。

  新型コロナウィルスCOVID-19による移動制限は、クルマ本来の魅力でもある
ランダムアクセスを遠ざけているが、すでに一般用語ともなったソーシャルデ
ィスタンスを保ちながらのモビリティというクルマ本来の特性に立ち返れば、
自動運転とは違う21世紀の自動車モビリティの可能性が見えてくる。

  自分の身体を通じて、行きたいところへ思った時に行く。そのツールとして
の魅力こそがクルマの最大価値ではなかっただろうか? 試乗のために与えら
れたところを走るのではなく、未だ見ぬ日本を見に行くことで語れるクルマの
話をしようではないか。

-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

2020年6月19日金曜日

各回共通:スマホでは画面を横にしてお読みください。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第385号2020.6.9配信分



●国連の推計は必ずしも正鵠を射るとは限らないが……

『SDGs』っていう言葉ご存知でしょうか?恥ずかしながらこの私つい先日
知りました。Sastainable Development Goals:持続可能な開発目標と邦訳され
ます。2010年の国連サミットにおいて全会一致で採択され、2030年を目標達成
の期限と定められている。

『持続可能な世界』の実現のために定められた世界共通の目標であるという。
今を生きる人々の要求を満たしつつ、なおかつ将来世代が必要とする資産を損
なうことのない社会を持続可能な世界としている。

 その実現のために17のゴールが掲げられている。列記すると(1)貧困をなく
そう(2)飢餓をゼロに(3)すべての人に健康と福祉を(4)質の高い教育をみんな
に(5)ジェンダー平等を実現しよう(6)安全な水とトイレを世界中に(7)エネル
ギーをみんなにそしてクリーンに(8)働きがいも経済成長も(9)産業と技術革新
の基盤を作ろう(10)人や国の不平等をなくそう(11)住み続けられるまちづくり
を(12)作る責任使う責任(13)気候変動に具体的な対策を(14)海の豊かさを守ろ
う(15)陸の豊かさも守ろう(16)平和と公正をすべての人に(17)パートナーシッ
プで目標を達成しよう。内容は貧困から環境、労働問題まで多岐にわたる。

  このSDGsには母体が存在する。2000年から2015年にかけて進められてい
たという「MDGs」。またぞろのアルファベットはMillennium Development
Goals=ミレニアム開発目標の略号だが、開発途上国を対象に8つの目標と21の
ターゲットが設定された。これも列記すると(1)極度の貧困と飢餓の撲滅(2)の
初等教育の完全普及の達成(3)ジェンダー平等推進と女性の地位向上(4)乳幼児
死亡率の削減(5)妊産婦の健康の改善(6)HIV/エイズ、マラリア、その他の
疾病の蔓延の防止(7)環境の持続可能性確保(8)開発のためのグローバル
なパートナーシップの推進である。

 これらは国連やNGOなどの公的機関を中心に推進されたが、そのほとんど
が掲げた目標に届かなかった。例えば目標(2)の「2015年までに(以下同)すべ
ての子供が男女の区別なく初等教育の全過程を終了できるようにする」は、11
%の上昇は見られたが達成には程遠かった。(4)の「5歳未満児の死亡率を3分
の2減少させる」は、53%の減少でやはり未達。(5)の「妊産婦死亡率を4分の3
減少させる」は、45%の減少で目標に届いていない。

 SDGsは、そうしたMDGsの反省の上に立っている。理念と方法論を継
承する枠組みとして策定されているが、その特徴は以下の3つ。

●図書館で予約していなかったらSDGsを知るのはもう少し遅れたかも

 SDGsでは17の目標の下に169のターゲットが併記された。さらに細分化
された小目標といったもので、目標(1)の「貧困をなくす」の第一ターゲット
は「2030年までに、現在1日/1.25ドル未満で生活する人と定義されている極度
の貧困をあらゆる場所で終わらせる」とある。数値は極めて具体的であり、課
題設定は目標を単なる理想論で終わらせない実践的方法を目指している。

 MGDsでは開発途上国だけを対象としていたのに対し、SDGsは先進国
を含むすべての国々が目指すものとされている。グローバル化した現在では国
家間における人・モノ・情報の流通は膨大になっていて、途上国内で問題が発
生しているように見えて、実は国の枠組みを超えた複合的な原因の組合せであ
ることが多く、一国での解決が困難となる状況にあった。

 途上国の抜本的な問題解決には、先進国を含む世界全体の枠組みで対策を練
る必要がある。MDGsの反省の上に立って全世界を対象にした包括的な枠組
みとしてSDGsは導入に至っている。

 さらにMDGsとの決定的な違いがある。先述の通りMDGsは国連やNG
Oなどの公的機関を中心に推進されたが、SDGsでは企業が策定・運用に深
く関わっている。本来営利組織である企業は”利潤の追及”が最大の存在理由
だが、持続可能性の追及は企業の長期的利益の確保という観点からも重要であ
るとして、産業界への協力を求める内容とされている。

 SDGsという言葉を私が知ったのは、以前から町田図書館で利用予約して
いた『2030年の世界地図帳』落合陽一著(SBクリエイティブ)が漸く順番が巡
り(半年ほど待っただろうか)貸し出し可能との連絡を受けて手にしてから。

 そもそもMDGsもそうだが、マスメディアがその存在を伝えたという記憶
がなくSDGsも同断だ。私の感度が鈍いのかもしれないが、字面だけではそ
れがサスティナブル・ディベロップメント・ゴールズと読むことは不可能で、
ましてやそれが持続可能な開発目標という全世界的なテーマであることなど想
像すらできない。

 巷には情報が溢れ返っており、情報リテラシーやメディアリテラシーといっ
た本質を読み解く力(=リテラシー)が問われているのは間違いありません
が、それでは皆さんはMDGsやSDGsという『言葉』を目にしたことがあ
るでしょうか?私は、少なくとも一月前まではその存在すら知らず、従ってそ
れが世界の潮流であることを考えることもありませんでした。

●人口動向が世の中を変える。今までとは決定的に異なる未来がやって来る

『持続可能な開発』にそのものついては資源環境問題がクローズアップされた
タイミング(それが高度経済成長期の1970年までのことだったか、オイルショ
ックから排ガス規制の1970年代だったか、カリフォルニアの大気清浄法=ZE
V法からCOP3=京都会議を経て地球環境問題が急浮上した1990年代後半の
ことだったか、私の記憶は定かではないが)で理解が及んでいたが、21世紀の
グローバル化した世界が共通の課題として取り上げている事実を日本のメディ
アが伝えていない。

 芸能人のゴシップや新型コロナウィルス(COVID-19)の日々のデータなど
取り止めのない情報に明け暮れ、それこそ”アフターコロナ”というこれまで
とは決定的に異なるだろう時代のありように深く関わる指針となる情報を伝え
ようとしない。内輪の論理を言い募り、結果として変化に対応して自らの生き
方を改めることを拒む”抵抗勢力”と化している。ガラパゴス化という言葉で
懸念されるアップデートを阻むメンタリティはどこからやって来るのだろう?

 このメルマガ『クルマの心』でも繰り返し述べているように日本のメディア
は事実を伝えていない。自動車専門誌をはじめとする自動車関連メディアも、
過去25年間(四半世紀)の間に様変わりしてしまった日本のクルマを取り巻く
環境や自動車産業の現実を直視することなく、相も変わらぬスタンスを取り続
けている。

 モータリゼーション元年として振り返られる1966年(昭和41年)からバブル
崩壊に至るヴィンテージイヤーの1989年(昭和64年/平成元年)までの”昭和
の残像”への郷愁に浸り、右肩上がりの成長という成功体験にすがりたい気持
ちは分からないでもないが、すでにあらゆる条件が当時と現在で異なっている。

 日本の人口は1966年当時9979万人。私が運転免許を取得した1970年に1億
人の大台を超え(1億0372万人)て、バブルのピーク1990年に1億2361人を数
え、2008年に1億2808.4万人でピークに達している。ちなみに2020年現在の人
口は1億2590万人(2020年5月1日現在概算値:総務省統計局)。すでに減少サイク
ルに入って12年が経過している。

  終戦当時の人口は7214.7万人。戦後の65年間で5591万人(77%増加)も増えて
市場が拡大したのに加えて、折からの基軸となるドル/円為替が360円/1ドルと
いう超円安に固定され、オイルショック(1973年)までの高度経済成長期の原油
価格が2ドル台/1バレルに据え置かれ、国民所得倍増計画(1960~1970年)が立
案実施されてもなお低い賃金(1960年の平均所得約12万円/年)に支えられて、
内需拡大と貿易収支の黒字が実現。奇跡といわれた日本の経済復興は、国民の
勤勉性や独自の技術力といった"神話"として語られるストーリーなどではな
く、世界の中での日本という幸運がもたらした結果と見るのが正しいようであ
る。

●物流の現実を知る人がいかに少ないか。理屈で考えられない世間の罪

  今からおよそ半世紀前の第一次石油危機(1973年)は、世界を一変させたとい
う意味で今回のCOVID-19パンデミック禍と同じインパクトを国際社会に与え
た。戦前の世界最大産油国アメリカの原油生産はすでにピークアウトしており、
主導権は中東のアラブ諸国に移る。戦後誕生したユダヤ国家のイスラエルとそ
の領土の主権を主張するアラブ世界との対立に端を発する第4次中東戦争が発
端。イスラエルを支持する国々への原油の輸出を禁じる強攻策がオイルショッ
クの本質で、親アラブ国家として友好関係にあった日本は禁輸の対象にはなっ
ていなかった。

  ところが、ここで政治とメディアのミスリードが演じられる。時の中曽根康
弘通産大臣がTVで(当時品薄が報じられていた)紙製品の節約に言及したと
ころ、それを見た大阪の(ごく一部の)主婦層がトイレットペーパーを買い求
めてスーパーに押しかけた。その話題に全国紙の大阪版記者が食いつき、紙面
に載せたところ反響があったという。そのネタをTVがフォローするとスーパ
ーの棚から失せた映像が流れ、それを観た主婦層がパニックを引き起し、瞬く
間に全国に広がって行った。

 当初はデマもなかったと記憶するが、オイルショックとトイレットペーパー
の伝説は当時の人々の心の奥深くに刻まれたはずだった。しかし、歴史は繰り
返される。3.11の東日本大震災(2011年)がそうだったし、直近の新型コロナ
ウィルス感染拡大時にも同様の買い占め(溜め)によるトイレットペーパー不
足が再来した。

 今世紀に入って急速に進歩した情報技術によって、世の中にはありとあらゆ
る情報が氾濫するようになった。しかし人の心理は大勢に流されやすいもの。
物流は一日の消費量を前提に生産量が割り出され、一定のサイクルで回るよう
に出来ている。店頭で人々が普段の2倍を購入すれば当然棚から商品は消え、
それを見た人が不安に駆られて買い急ぐ。パニックは簡単な理屈で始まるのだ
が、そんな理屈はどうでもいいの……という層が少なからず存在する。

 日本中が壊滅的な大災害に見舞われたとすれば話は別だろうが、地域的な障
害に見舞われても数日もすれば復旧モードに移行する。無益な買い溜めをして
パニックを増幅する愚を犯さないことが『リテラシー』の第一歩ではないだろ
うか。少なくとも、今現在世界はどうなっているのか。グローバル化がここま
で進展した以上は、日本固有の都合や事情はともかくとして、世界はどの方向
に向かっているかを知らせるのがメディアの重要な役割であるはずだ。

●この10年で社会は様変わりしたが、私の本質は何ら変わっていないようだ

 10年一昔といいます。しかし、その捉え方は世代ごとで異なりますね。現在
68歳の私からすればほんのつい最近ですが、現在20歳の若者はまだ10歳の小学
生。昨年誕生した私の孫などは影も形もありません。現在40歳の人でも社会に
出てようやく慣れてきたタイミング。50歳の人にしてみればもっとも脂の乗っ
た10年間を過ごしたはずです。

 2010年といえば、日産が大手自動車メーカーとしては初めて量産型の電気自
動車(EV)リーフ(ZEo型)を同年12月に日本とアメリカで発売。現在は
2017年9月にデビューした2代目(ZE1型)を世界展開させ、今年1がつ世
界累計45万台を達成している。

 この頃すでにアメリカのテスラ社は存在しており(2003年設立)、2008年に
はロータス・エリーゼをベースにした『ロードスター』が発売されたが、量産
規模は小さかった。2012年6月にはモデルSが発売され(日本導入は翌年)、
LAショー取材の同年11月にサンタモニカでのプレス発表試乗会に私も臨席し
た。生憎のウェットコンディションだったが、ハイエンドモデルの0→100km/
hを3秒未満で走りきる怒濤のEVダッシュに”口から心臓が飛び出る”思い
を経験。果たしてそれがエコかどうかはともかく、西欧人の本音(パワー&ス
ピード)と建前(エコ)の現実を改めて思った。

 現在E.マスクCEOが率いるテスラ社は、GAFAM(Google・Apple・
Facebook・Amazon・Miclosoft)に連なるテックカンパニーの一つと考えら
れているが、EV専業という点で新しく見えるが実態は規格大量生産型であ
り、最後発の量産自動車メーカーと見做すことも出来る。バッテリーEVが既
存のICE(内燃機関搭載車)に取って代わる可能性は、多様な地球環境を
考慮すると100%はなく、最大で30%あたりが限界だろう。FCV(燃料電
池車)、HV(様々なハイブリッド形態)を含む高効率ICEなどを合わせた
エネルギーミックスが地球規模のモビリティを語る上でより現実な解ではない
かと思う。

 それはそうとして、時代のターニングポイントとなった2015年にMDGsの
後を受けたSDGsは、同年のCOP21で合意が結ばれた『パリ協定』や金融
界を席巻しているESG(Enviroment・Social・Governance)投資=環境に配
慮しているか・社会に貢献しているか・収益を上げながら不祥事を防ぐ経営が
なされているかなどと歩調を合わせて進んでいる。

 地球温暖化については、今世紀央には人口減少サイクルに入るという予測が
現実味を帯びる中、異なる議論が生まれる余地を残している。しかし過去10年
を振り返り現在直面している変化の度合(exSNSの普及に伴う情報の双方向性
の進展など)を思うと、10年後には現時点では考えも及ばない状況が生じてい
る可能性は高い。

●地方は空き家だらけになる?これは移住のまたとないチャンスでは?

  10年後、私は78歳になっている。もちろん生きていれば……の話だが、すで
に非生産世代(65歳以上)にカテゴライズされて久しい私としては老いを実感し
つつも「まだまだ!」と粋がっているはずである。高齢者からモビリティの自
由を奪う運転免許返納という同調圧力との闘いが始まろうとしているわけだ
が、これについては一言ある。

  老いは万人に訪れる摂理だが、なってみて知ることや現実がある。高齢者ド
ライバーの問題はまず当事者によって議論が進められるのが筋だろう。往々に
して聞かれるのが、まだ肉体的にも精神的にもフレッシュな感覚が残る直近世
代からの実感を伴わない見た目の判断による正論。いずれその年齢に達した時
に"しまった!"となること請け合いだが、今55歳の現役世代が10年後には非生
産世代の高齢者として括られる。意識もフィジカルもそれほど落ちていないの
に、年齢の数字だけで分類される。そこには個々人の努力や多様性についての
考察はなく、一律に年寄りとして扱われる。

  20代30代の若年世代には、自分が老いることなど考える暇もないだろうが、
なってみた時の自意識と世間の見る目の違いに理不尽を覚えるに違いない。

  これからの10年は、間違いなくこれまでの10年とは様変わりする。昨年の合
計特殊出生率は1.36人。これは1人の女性が生涯で産む子供の数に相当する
が、前年を0.06ポイント下回り4年連続で低下した。2019年の出生数は86万
5234人(前年比5万3166人減)で1899年の統計開始以来最少だったという。

 生まれる子供が少なく、長生きの老人が年々齢を重ねて行く。少子高齢化の
インパクトは、私が運転免許を取得した1970年の65歳以上の高齢者は731万人
でしかなかったのに、昨年2019年のそれは3588万人で28.4%(総務省統計局)
に達している。同推計による2030年では、総人口は1億1912万人に減少すると
されており、内高齢者は約3715万人(31.1%)に増える。

 すでに日本社会は”今まで通り”では立ち行かなくなって12年が経過してい
るが、街の景観が大きく様変わりするのは間違いない。都市化が継続して進む
一方で、地方の過疎化は急伸し30%は空き家になると言われている。少子化に
より学校の統廃合は進み、地方の税収は下がり続ける。

 人口減少は、都市化とそれに伴う教育機会の充実による女性の意識改革に答
えが求められるという。農村中心の社会では子供は生活の糧をシェアして生み
出す価値ある存在と考えられたが、都市においては人数に応じて純粋にコスト
の掛かるマイナス材料となる。医療や科学技術の進歩によって不測の事態で子
供を失う恐れが少なくなったことも少子化の理由として考えられている。

●自動車の旅には長く歩ける体力が必須。ドライビングはスポーツなのだ

 昨年、私は幸運にも孫の誕生に恵まれた。私としては初めての血のつながっ
た男子であり、その無限の可能性を感じさせる存在感にあらためて生命の深淵
を見る思いがしている。私には二人の娘があり、授かったのは次女のほうだが
彼女も30代後半の初出産。縁あってのことなので言うべきことは何もないが、
大変だが子は設けた方が断然良い。

 初孫の男の子は現在満1歳。10年後は11歳であり、小学校の最高学年になっ
ている。この1年間の成長の足跡は存外に長い。「人生は加速する」とは私の
持論だが、長じてからの1年は瞬く間に過ぎる。いっぽう、赤子の成長はまっ
たく時間軸が異なると思えるほどゆっくりだ。産まれたばかりは片腕に収まる
小ささだった。今は体重が10kgを超えずっしり重くなったが、それでも一人歩
きを始めて2ヶ月あまりであり、ちっちゃくて言葉もまだ発しない。

 子供の成長は身体の発育をともなう具体的なものであり、フィジカルな成長
が止まるまでまだ20年近くの猶予がある。いっぽう老人の私はというと、順調
に衰退の一途を辿っている。10年前の自分と現在の己の違いを知る手立てとし
て旅は有効で、ことにクルマを自ら運転して行く自動車旅行はドライビングが
極めてフィジカルな能力が問われる行為だと改めて痛感する。

 50代までは活力に不安を覚えることはなかった。例えば、国内旅行では東京
~広島間約800kmは何と言うことはなく、マツダロードスターの20周年記念イ
ベント@三次PGも苦にならなかった。メルセデスベンツ190E(W201)にし
てもホンダS2000にしてもプリウス(NHW20)にしても、いずれも10万km以上
乗り継ぎ、日本中を四季折々走り回った。

  よく旅先で「クルマで東京から?大変でしたね……」判で押したように言わ
れることが多かったが、実はクルマの旅は面白い。たとえそれが退屈といわれ
る高速道路を延々行く道のりだったとしても春夏秋冬、昼夜、雨天曇天晴天そ
れぞれで別物という印象を得る。クルマの旅は体力的に大変だが、それ以上に
刻々と移ろう状況に対処することの刺激ほど心身を活性化するものもない。

 私の自動車旅行の原体験が1980年6月の欧州5000kmという話は何度も紹介
しているが、国際自動車ショー取材のなかでもジュネーブショーはフランクフ
ルトを起点にジュネーブまで往復約2000km(現地滞在中走行を含む)をルーテ
ィンとしていた。さすがに60歳の大台を超えてからは一気走りは難しくなった
が、デトロイトにしてもフランクフルトにしても、そして英国のカントリーロ
ードを堪能できたグッドウッド取材でも敢えて遠地に宿を取り現地で試乗車を
手配して体感することに励んだ。率直に言って最近は体力的に厳しくなってい
るが、それでもやめようとは思わない。休み休みで走破すればそれでいいのだ。

●海の上のフェリーが国道となる197号線

  ここで自動車旅行で会得したクルマを語る評価法を開陳しよう。高速道路を
駆って北は北海道から南は中国・四国・九州まで。バブル期の建設ラッシュは
本州との距離を一気に縮め、津軽海峡を除く海による隔たりを解消した。それ
とは別に、四国と九州をフェリーでつなぐ国道九四フェリー(四国佐田岬三崎
港~九州佐賀関間)はフェリー上が国道197号となる島国日本ならではのルー
ト。瀬戸内海の本四架橋3ルートの完成で失われた情緒がここにはある。

 危うく話が逸れそうになったが高速道路移動の理想はアベレージ120km/hの
巡航だ。もちろんこれは日本においては現実的ではない。道交法が定める国内
法定最高速度は100km/h。といっても、日本全国どこでも100km/hが許されて
いるわけではなく、東名や名神などの主要幹線道でも100km/h以下の制限区間
は思いの外多い。平日昼間の東北道や山陽中国道などの地方では前後数kmに
渡って車影が認められない区間も珍しくないが、こんな条件下でも80km/h制限
や場合によっては70km/hという"難所"も点在する。

  真冬の東北道(宮城以北)ではほとんど交通量がないが、聞けば「何も恐い思
いをしてまでお金を払うことはない」悪天候時には速度制限が敷かれ、暴風雪
によるホワイトアウトの恐怖も頻繁に発生する。沿線を走る国道4号線に目を
やると結構な交通量である。需要がないわけではなく、現実に目を向けるとそ
うなってしまう。冬以外の平日の閑散ぶりは、全国統一で低い制限速度で縛り
続ける無意味さを際立たせる。道路インフラもクルマの技術も昔日とは比べ物
にならないほどレベルアップしているのに、実情に合わせてアップデートしよ
うとしない。

 東京をはじめとする大都市圏の交通集中による過密と対照的な地方の過疎。
速度レンジを変えて地方の活性化を図る策を講じるのは、リモートワークの実
態が知れるに連れてゆとりある地方での暮らしが注目されつつある今着手して
良いタイミングだと思うのだが、行政は頑なに拒み続けている。

 ドイツがアウトバーンに象徴される交通システムをブランディングに活かし
て世界の技術的な覇権を握っている事実。そこには連邦共和制を採用し、首都
ベルリン以外は100万人以下の都市が点在するネットワーク型の国土構築があ
り、比較的平坦な国土というインフラ作りのコストが低く設定できるという構
造があるにしても、日本には地域ごとの環境や気候や風土の多様性に対応する
ことで制約の多い国々の事情に合わせたクルマの開発が可能なはず。

 国を代表する基幹産業でありながら、自国民がその優秀性を体感できない環
境に留める愚策はほどほどにしなければ、と思う。

●九州までの1400kmを11時間半ちょっとで走破できたら……旅が変る!

 アベレージ120km/hで日本国中の高速道路網を走ることが出来たら、単純計
算で走行距離の半分がそのまま所要時間となる。例えば東京~大阪間約500km/
hは250分=4時間10分。これはドアtoドアを考えると中々魅力的だ。新幹線は
乗車時間は2時間半前後だが、自宅と新幹線駅~目的地駅から最終訪問先まで
のアクセスを含めると前後に2時間ほど掛かるのが相場だろう。航空機にして
も羽田~伊丹間のフライトは約60分だが、遅くとも15分前に搭乗口にいる必要
があるし、空港から都心までの移動を含むとやはり4時間を超えていく。

 1980年代に頻繁に東京~大阪を行き来した時に確信したことだが、交通法規
がクルマの技術開発に合わせてアップデートされ、人々が速度差に伴うルール
/マナーの重要性に気がつけば、路上の秩序は別物になったに違いない。アメ
リカや欧州が出来て器用な日本人が出来ない相談ではないだろう。

  最近では、中国が世界標準に準じた120km/hの最高速度を施行していること
を見ると、海外展開している日本車はともかく、日本の交通秩序は途上国レベ
ルに落ちる可能性が否定できない。ここに官製の全自動運転化が現行法を変え
ることなく施行されたら、安全との引き換えに失うものの大きさに愕然とする
に違いない。

  繰り返しになるが、10年後の私は78歳。すでに後期高齢者とカテゴライズさ
れる年代になっていて、免許返納の同調圧力に直面することになるだろう。孫
はまだ11歳であり、私がステアリングを握ることはあっても彼が資格を得るに
はしばらく掛かる。仮に全自動運転が実用化したとしても、日本には2輪を含
む従来型車両が8000万台のオーダーで残っているはずで、混合交通の線引きを
成すのはまさに人口動向における労働人口(15~64歳)と非労働人口と括られる
65歳以上の高齢者という対立項に議論が傾きかねない。

  私は、お叱りを承知で敢えて持論を言わせてもらえば、クルマの動力性能は
ほどほどが良い。具体的には発進加速性能テストの経験値としてあるレベル。
例えば、懐かしのゼロヨン(0→400m発進加速テスト)で言えば17秒を切る辺
り。それには大体10kg/psという非出力(パワーウェイトレシオ)に収まれば十
分で、0→100km/h発進加速で言えば10秒を下回れば必要十分なスピードと
認定できる。

  オイルショックと排ガス規制克服で明けた1980年代は、まずゼロヨン16秒を
切るところから競争が始まった。最終的には1989年のスカイラインGT-R(R32)
がアテーサE-TSという電子制御4WDと280馬力超の2.6リットル直6ツインター
ボで12秒台まで削り取り、世界の馬力競争に火をつけた。海外市場をまったく
考慮しないドメスティックブランドに経営資源を注ぎ込み、コストを回収する
ことなく経営危機まで追い込んだ。

  この事実を冷静に受け止め、グローバルに展開した1990年代後半から現在に
至る国内事情と国際情勢の変化をメディアがきちんと整理して日本の自動車産
業や行政官僚機構に正当な批評を加えて議論出来ていたら、昭和の劣化コピー
に終わった平成の30年はなく、都市化にともなう少子高齢化に対する処方箋を
考える余地が生まれ、予想される衰退局面は避けられたような気がする。

●「ヒール&トゥ? それって何!?」M.フェルスタッペン

  このSDGsや『パリ協定』が全会一致で採択された2015年は、9月18日に
EPA(アメリカ環境保護局)がフォルクスワーゲン(VW)のディーゼル排
ガス不正を告発。その発覚を受けて時代が大きく動いたと記憶されている。

 破壊的技術(Disluptive Technology)という言葉が一般用語として浮上し、
既存の自動車メーカーの中には従来型のオートカンパニー(自動車製造業)から
(Auto&)モビリティカンパニーを志向すると宣言する企業も出現。ドイツのメ
ガサプライヤーボッシュの技術に頼るジャーマンブランド各社は、ディーゼル
スキャンダルを振り払うかのように『CASE』(ダイムラーAGディーター・
ツエッチェ前CEO)や『EVシフト』(VWヘルベルト・ディースCEO)
といった、すでにドイツが舵を切っていた『インダストリー4.0』に被さる施
策を表明。私にはディーゼルスキャンダルを打ち消す『スピンコントロール』
としか思えないが、中国頼みの一本足に特化して不安定なドイツ経済はエコと
エゴの間で揺れ動く微妙な時期を過ごしている。

 ここで降って湧いたような中国発の新型コロナウィルス(COVID-19)による
パンデミックが発生し、世界は目に見えないウィルス感染症との闘いによって
今まで通りとは違う生き方を考える必要に迫られている。すでに感染発覚から
7ヶ月余り。『2030年の地図帳』にも予期せぬ事態に今しばらくは様子見を決
め込む他はなさそうだ。

 すでに一般用語として定着した『ソーシャルディスタンス』という視点で考
えると、パーソナルモビリティを実現する手段としてのクルマの価値は再認識
されて良いものがある。地方の公共交通機関は都市化にともなう過疎化の流れ
に抗うことができず、当該地域の高齢化と合わせて問題が複雑化する傾向にあ
るが、テレワークによる労働生産性の低下が見られないと分かったような業種
は過密な都市にこだわる必要はない。

 国家の施策が都市化を促し、地方の活力を奪うことに力を貸しているような
ところもある。世界最大の東京首都圏に執着するかぎりは地方の活性化は画に
描いた餅になるほかなく、豊かな環境が残る地方に目を向ける若い世代がクル
マの魅力の再発見とともにモビリティの理想追及に走ったら、これだけ技術の
蓄積を手に入れた日本の自動車産業である。答えは無数にあるだろうし、自動
車メディア/ジャーナリストが腕を奮う余地は十分存在する。

 SDGsが想定する2030年では我が孫はまだ小学生。次の10年の後半になっ
てやっと”現役”として活躍できる世代だが、2040年は私が現役でいることが
危ぶまれる米寿の頃合いである。ここで現役の孫と丁々発止のやり取りができ
る身体を維持できるか。身体能力の低下は致し方ないが、可能なかぎり現状維
持が図れたら望外の幸せというべきだろう。

 無益な老害に傾くことなく、ひたすらクルマの魅力を実感することを心掛け
て次の世代に申し送ることができたなら、破天荒を極めた過去40年余りも無駄
ではなかったと振り返られるのではないか。

 M.フェルスタッペンは「ヒール&トゥ?それ何!?」今や古典的と評され
ることになったドライビングテクニックの基本を知らなかったという。無理も
合い。カートに始まって以来、ずっと2ペダル。左足ブレーキが基本であり、
トップフォーミュラに至る各カテゴリーもすでにそうなっていた。F1で最年
少記録を更新している逸材だが、時代の変化にともなう技術革新に順応する才
能はピカ一でもオールドスタイルのテクニックに遊ぶ余裕はない、ということ
だろう。

 今でも郷愁を誘う昔ながらのクルマを愛する者は多いが、この先の10年はど
のような変化が訪れるのだろうか。楽しみでもあり、これまでを残して置きた
くもある。                              
                                   
-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

2020年6月13日土曜日

 まぐまぐ!有料メルマガ『クルマの心』第384号2020年6月2日配信分を期間限定で掲載する特集。ご一読頂き、よろしかったら御講読お願いします。https://www.mag2.com/m/0001538851



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第384号2020.6.2配信分


●アフターコロナに向けた3つの提言

 一寸先は闇。人の世は、斯くも不確実で思わぬ事態が招来するものだと改め
て思い知らされている。昨年11月に中国湖北省武漢市で感染が確認された新型
コロナウィルスは、年が明けて2020年2月には旧暦で祝う中国の春節(旧正月)
の長期休暇に乗じて越境する人々と共に世界中に感染が拡大。COVID-19と命
名されてから瞬く間にパンデミック(世界的流行)と化して大混乱に陥った。そ
の経緯の真っ只中に、今我々は漂流気分で立ち会っている。

  77億人を超えた『宇宙船地球号』乗員の日々の営みは貧富濃淡の違いはとも
かく、絶え間なく続いている。BC(Before Corona)とAC(After Corona)
と分けたところで、目に見える日常の変化は何もないのだが、感染拡大阻止の
ために講じられた経済面での諸活動の停止はAC=BCとはならない様変わり
を予感させる。

 この半年余りの間に失われた需要が即座に回復するとは考えにくい。収入を
閉ざされた消費者が再び職を得て以前と同じ活力で消費経済を回して行く保証
はあるだろうか。すでに多くの物財を手に入れた富裕層が、新たに経済を牽引
する消費の中心となる可能性はどうだろう。

 文字通り100年に一度となる世紀の一大事。世界が呆然と立ちすくむ混乱を
契機に「躊躇することなく変化に踏み出せたら」と思うのだが、人は基本的に
保守的な生き物であるようだ。例えば、4月に年度替わりを設定して新学期と
するのは、G20でも日本とインドだけだという。今年はパンデミックの影響で
3月末の卒業式も4月初旬の入学式も行なわれることなく、新学期も延期のま
ま6月を迎えている。

 長期となる夏休み入り前に学期終了や卒業のタイミングを設定して、休み明
けの9月に新学期を始める。北半球で多数派となっている世界基準への転換な
どは、熟慮や細部の調整に万全を期そうとすれば”出来ない理由の山”を築く
より遥かに有意義なものになる。素人の先走りとの批判に晒されるのを承知で
敢えて言えば、変えてから考えるのも一手だろう。

 戦後75年間小手先の微調整に終始して抜本的な改革を怠ったことが、グロー
バル化によって世界が身近になった時代に『我流にこだわる』アップデートが
できない日本の現実として浮かび上がっている観がある。

 まず変ることから始める。新しい時代を築くということは、必ず訪れる未知
なる難題との遭遇を厭わず、立ち向かって解決を試みる柔軟性が欠かせない。
そのためには若さは絶対必要で、保守性に凝り固まった高齢者は活力溢れる若
者をサポートする度量が求められる。時代を変えるのは常に未来を生きる世代
でしかない。

 今ある制度や仕組み、その元になっている法制は敗戦からの復興を目的とし
た昭和の高度経済成長期あたりまでの時代を想定していたもの。1970年をピー
クとすればすでに50年。半世紀という短くない時の流れが過ぎている。そこか
らおよそ20年でバブルの崩壊と共に平成の30年にわたるデフレ期に突入した。

”失われた30年”は、昭和の成功体験が忘れられず微調整で『夢よもう一度』
とした旧世代による老害の結果。昭和の現実を知らない若い世代が唯々諾々と
従って劣化コピーに満足してしまったことが、変るべき時に変れなかった最大
の理由ではないだろうか? 昭和の実態を再検証して、変革することなく単純
に右肩上がりの成長を追い求めた『平成の誤り』を知る必要がある。

 そして、ただ反省するだけでなく、未来を生きる世代が自ら選ぶ”これから
の時代”を具体的な例を挙げて問いたいところ。すでに日本の人口は2008年を
ピークに減少サイクルに入り、このままでは二度と増加する可能性がなくなっ
たと言われている。

 ほんの10年前までの右肩上がりの成長ベクトルは、少子高齢化のトレンドと
ともに反転し、人類が初めて経験するマイナス成長に踏み込んでいる。私ら世
代は成り行きを眺める傍観者に甘んじることになりそうだが、できることなら
当事者として生涯現役を貫きたいものだと切に願っている。

●サバンナRX-7のトリッキーなハンドリング(US→OS)の衝撃!

 日本が変ることができた最大のチャンスは昭和から平成に元号が変るバブル
期に訪れた。後知恵で言うのではなく、私は当時『今がチャンス』だと浮かれ
る世相を醒めた目で眺めていた。

 時代の分水嶺だった1985年末。瀕死の重傷の病床で藁をもつかむ思いで読ん
だ『知価革命』(堺屋太一著)。1987年ベスモ(Best Mortoring)キャスター
抜擢とその失敗を経て、バブルの狂騒でも踊らなかった。浮沈の激しい境遇を
生きたからこそで、スカイラインGT-R(R32型)を絶賛から全否定へと突
っ走れたのも”皆と一緒”で安心するメンタリティとは距離を置けたから。

 重要なポイントは私が育った時代にある。高度経済成長の頂点(1970年)に
自動車人の仲間入りをし、当時の自動車が背負っていた負の遺産(公害や交通
事故死の増大)に心痛める一方で、スターレーサーに感化されてモーターレー
シングの扉を開くアンビバレンスに揺れていた。経済的負担は覚悟を遥かに上
回り、運良く知り合えた編集者の誘いにホイホイ乗って42年のフリーランス人
生である。

 1970年代の自動車産業をレースの現場で知り、オイルショックと排ガス規制
を克服したタイミングで自動車メディア界入り。時代の荒波に揉まれながら、
肌でクルマの本質と向き合えたことが私の何よりの財産だと思っている。

 1978年3月末に発表されたサバンナRX-7(SA22C)が現れるまで、日本
車は深い闇の中にいた。当時ハイエンドだった2000ccクラスで筑波サーキット
を1分20秒を切って走れるクルマはなく、”セブン”で壁を破った時の高揚感
は忘れられない。

  1分19秒37。今でも諳(そらん)じることが出来るラップタイムは、現在な
ら軽自動車でも捻り出せる数字だが、グロス値130馬力(現在の指標なら120馬
力を下回るだろう)に185/70HR13という"小径タイヤ"ながら、1000kgを下回
る軽量仕立て。当時はスーパーカーブームに乗って時代の寵児として扱われた
が、内実は後のユーノス・ロードスター(初代NA型)とも相通じるライトウェイ
トスポーツ然としたものだった。

  クルマの性能は常にその時代ごとのヒエラルキーによって判断される相対的
なもの。たったのグロス130馬力でも当時の2リットル直6SOHCにこれを上回
るものがなく、ゼロヨン(0→400m加速)16秒台は当時並ぶもののない"駿足"
として憧れの対象となった。

●個性的なエンジニアブランドが日本車のFF化をリードした

  1978年は私のフリーランスライターデビュー年だが、このSA22Cサバンナ
RX-7だけでなくKP61スターレット(FR2ボックス)や18R-GEU型DOHCエンジン
搭載のセリカなど53年排ガス規制適合モデルが相次いで登場している。

 翌1979年には国産初のターボ(L20ET)がセドリック/グロリアに初搭載。さら
に1981年2月には2800ccの5M-GEU型DOHC(170馬力)を搭載するソアラがデ
ビュー。5ナンバーが常識の国産車に3ナンバー市場が有望な存在として瞬く
間に認知されて行った。

 1980年代最初のトピックとしては、1980年6月登場のFFファミリアと空前
のヒットがある。日本の小型車のFF化が定まった記念碑的存在だが、この欧州
テイストの浸透がトヨタの横置きFF車モデルのスタートラインとなる2代目カ
ムリ(1982年)から翌年のカローラのFF化へとつながる。

 なお、コンパクトクラス小型車のFF化は1970年代のトレンドとして予見さ
れていたが、トヨタと日産の量産大手2社はオイルショックと排ガス規制に忙
殺され、本格導入は1980年代にずれ込んだ。例外としては1966年(モータリゼ
ーション元年)のスバルff1、1970年の日産チェリー(旧プリンスからの流れ)、
1972年のホンダシビック、1977年の三菱ミラージュなどがある。日本車の多様
化の萌芽はこの草創期にも表れているが、技術が花開くのは永遠の成長が信じ
られた1980年代。人口も経済も右肩上がりの成長過程にあった昭和の末期のこ
とである。

  排ガス規制を克服し小型車FF化の目途が立つと、拡大する国内市場を舞台に
激しいシェア競争が繰り広げられることになる。規制クリアとFF化による横並
びが定まると、差別化のためのパワーゲームが折からの電子制御技術をともな
うハイテク化とともに沸騰する。DOHC化に続くそのマルチバルブ化、ターボ
との争いからDOHCターボの合体、FF化の先にある高出力/高トルク対応の4
WD化の流れ……。

 技術のトレンドはドライブトレインからシャシー/ボディを統合的に制御す
るメカトロニクス化へと向かったが、そのすべての前提になった重要なパーツ
としてタイヤの存在を抜きに語ることは出来ないだろう。

●今から50年前の日本の道路は凸凹。バイアスタイヤが主流だった訳

 その萌芽は、やはり波瀾の1970年代にあった。オイルショックが資源の有限
性という事実を広く一般に知らしめ、省資源/省エネが技術開発の最優先課題
として急浮上した。最大の変化が訪れたのがタイヤ技術においてだった。

 タイヤの機能性能は、走る・曲がる・止まるというダイナミクスの基本とと
もに車体を支え、同時に乗り心地を快適に保つことにある。クルマが単にクル
マというハードだけで語れないのは言うまでもない。操る人との関係や、実際
にクルマが走る道路環境がセットでクルマの走りパフォーマンスと評価される。

 オイルショック、いわゆる1973年の第一次石油危機以前というと、日本車の
タイヤの主流は内部構造が現在とは異なるバイアスタイヤだった。それは当時
の日本の道路状況が影響した。舗装率は乗り心地が最優先課題となるほど低か
ったし、当時の輸入車の主流でありトレンドに影響を与えたアメリカ車が採用
していたベルテッドバイアス構造に倣うなど、省エネ発想とは距離のあるアメ
リカンテイストが土台にあったことを理解する必要がある。

 オイルショックによる資源有限の認識と省エネ発想から転がり抵抗が小さく
燃費性能に優れるラジアル構造のタイヤが注目されるようになる。道路整備の
進捗(舗装率の向上)と高速道路を始めとするインフラの高速化が、走りのパ
フォーマンスに対する要求を高め、ソフトな乗り心地からフラットで安心感の
ある走りへと評価の視点が時代とともにアップデートされて行った。

 余談だが、モーターレーシング界では伝統的なバイアス構造のスリックタイ
ヤが長く優位に立っていた。1970年代後半になると、市販タイヤの世界でのラ
ジアル化の波が訪れ、そのトレンドとともにラジアル構造のレーシングスリッ
クへの移行が技術的課題として浮上した。パイオニアはミシュランだったと記
憶するが、日本ではブリヂストンがチャレンジャーとなった。

 当時の日本のトップフォーミュラF2や太平洋地域リージョナルフォーミュ
ラを目指したFP(フォーミュラパシフィック=国産1.6リットルエンジン)
でラジアル化が進んだが、従来のバイアス構造のドライビングスタイルに慣れ
親しんだ有力ドライバーの中には”強力なコーナリングパワー”を利して一気
にステアして向きを変える特性を嫌い、その頃はまだコンサバなバイアス路線
に留まっていたダンロップとの契約を結びラディカルなブリヂストンと縁を切
る者も現れた。

 当初は五分五分の闘いが演じられたが、次第にラジアル構造が革新的な技術
を発掘しやがてデファクトスタンダードを手に入れる。今五感に忠実だからと
バイアス構造のレーシングタイヤを求める者はなくなった。相手が居てそれに
勝つことが目的なモーターレーシングで評価されるのはフィーリングではなく
結果として勝てるパフォーマンスそのもの。ここは重要な視点で、現在のクル
マの評価が陥っているのはまさに同じなのである。

●タイヤ技術の進歩が今に続くパワー競争を可能にした

 1980年代の初頭。私は出来ることは何でもやるの精神からチューニングカー
の最高速トライアルに精を出していた時期がある。当時まだ筑波研究学園都市
にあったJARI(日本自動車研究所)の通称谷田部テストコースの5.5km高速周回
路が舞台。1983年には雨宮REターボ(SA22C・12A)で当時国産最速の288km/h
を記録しているが、たしか同年のことだった。

  当時有力チューナーの一角を占めていた『トラスト』のセリカXX2.8リット
ル(5M-GEU)のツインターボモデルをテストした時のこと。装着タイヤはピレリ
P7。サイズは忘れてしまったが、当時はVR規格(最高速度240km/h)が市販タイ
ヤの上限で、240km/h以上のZR規格は存在しなかった(と思う)。

  その後40年近くが過ぎて300km/h超のY規格までが登場し、現在の超高性能車
群の足元を確かなものにしているが、多くの人々が速度レンジに見合ったタイ
ヤがないといくらパワーを追及しても求めるスピードは得られないことを知る
のはずっと後。ひと頃ブームを極めたF1(フォーミュラ1)でタイヤ戦争が注目
を集めて、そこにキーテクノロジーが潜んでいることを理解した向きも多いと
思うが、私の場合はもっと過激に実践的だった。

  雨宮REのSA22Cターボのエピソードもこのメルマガで何度か語っている。そ
う油温計の針がタコメーターみたいにビュ~ンと跳ね上がる熱い話だが、トラ
ストセリカXXの経験は痺れた。

  私は経験則として最高速計測(当時は光電管やテーピングスイッチを一定間
隔で接地して平均タイムから速度を割り出していた)地点を通過した瞬間アク
セルをオフにして様子を見ることをルーティーンとしていた。速度が落ちたと
ころで軽くブレーキを踏んで反応を確かめる。用心深くしないと何が起きるか
分からないのが当時のチューニングカーの基本。

  この時は、軽くブレーキに足を乗せると"グラッ"。異変を察知して第一バン
クへのアプローチは身構えながらコース中央を進むことにした。

  と、バスンッ!!ときた瞬間マシンは半回転して後向きにバンクを駆け上がっ
て行く。寸でのところでガードレールヒットは免れたが、振り返るとブラック
マークが下から上へと駆け上がり、今停止しているバンク下内側のグリーンま
で痕跡が続いていた。

  この時現場に飛んできたトラストの若いメカニックの第一声が耳に残ってい
る。「あの、これターボなんで、エンジン急に止めないでもらえますか!?」
(おいコラッ!よく見てからモノを言え)危うく怒鳴るところだったが、呑み
込んだ。

 翌週だったか、若手レーシングドライバーが同じセットアップでテストし
た。「良い数字が出せたら来季のスポンサーになってもいい」そんなことを囁
かれてその気になった若手君。血気にはやったこともあるのだろうが、同じ条
件で同じことをすれば同じ結果となるのは自明だろう。ただし、このドライバ
ーの経験不足は残念な結果を迎えた。

 私の時と同じでピレリーP7が設計速度180km/hのマッコーネル曲線で造られ
たバンク内を250km/h超で走るセリカXXの負荷に耐えかねた。アウト側の右前
輪がけっこう強めに左にステアするストレスとダウンフォースによってタイヤ
の内部構造が破損。バーストとなってコントロール不能に。身構えた私と違っ
て彼はガードレールに直行したという。

  黎明期にはこのような伝説に事欠かない。あるタイヤメーカーの耐久試験で
の某レーシングドライバーの武勇伝。バンク内は目を瞑って睡魔との争いを避
け、何秒かの数字をカウントしたところで目を開けるのだとか。それをやって
いたある時、気がついたらインフィールドの藪の中だった。嘘のような本当の
話である。

●日本車がちょうど良い性能レベルにあったのは実は1980年頃である

  1980年代は、日本メーカーが国内シェア争いに心血を注いだ時期。この時の
パワー競争は熾烈を極めたがメーカーが直接手を下すことはなく、専門誌メデ
ィアを中心とする各媒体それぞれが独自にテストしてメーカーのパブリシティ
から距離をおいた情報提供に徹していた。

  といっても、1988年にシーマが3リットルDOHCターボで255馬力を誇るまで
はまあ抑えが効いていた。81年のソアラが2.8リットルDOHCの5M-GEUで3ナ
ンバーの敷居を下げたとはいえ、国産車の中心は2リットルの5ナンバーモデ
ル。社会現象と化した”シーマ現象”が高出力化のタブーを取り払い、バブルの
狂騒の勢いも借りて1989年の歴史に残るヴィンテージイヤーを招来させる。

 何しろ、トヨタのセルシオ(レクサスLS400)、日産のインフィニティQ45以
下グループA車両規定に合わせて勝つ条件を整えたR32スカイラインGT-R、ド
ル箱のアメリカ市場でアイコンとなるべく磨かれた300ZX(フェアレディZ)が、
当時のブランドスポーツを震撼とさせる280馬力を自主規制という但し書きを
添えて出現している。

  翌年のホンダ(アキュラ)NSX、三菱GT0、ユーノスコスモと続いたバラエティ
溢れる高性能車軍団が、ポルシェやフェラーリに代表されるプレミアムブラン
ドの危機感を募らせ、現在の500馬力超、オーバー300km/hという現実離れした
性能がリアルワールドで得られるかのような虚構へと走らせた。

  性能は常に相対的なもの。秒速56mの200km/hでも8000万人の免許保有人口の
中で経験した者は多くないはずだが、一般的な身体機能の限界値と考えられる
秒速70mの250km/hはもちろん、さらに上の秒速84mに達する300km/hから見
るとずっと低位に感じられてしまう。日本の場合100km/hが法定最高速であり、
論理的にはそれ以上の"高性能"は消費不能であるはずなのだが、交通環境の現
状を変える議論もすることなく、昔ながらの右肩上がりの論調で語り続けるメ
ディアの不定見が、人々のファンタジーへの逃避行動を加速させた。

  テスラが0→100km/h加速で3秒を切る快速を誇ったところで、その心臓が口
から飛び出るような猛烈な加速フィーリングに耐えられる身体能力を備えた一
般ドライバーはまず一人もいない。ここに自動運転技術がもたらすフィクショ
ンが加わると、誰もが超人的なモビリティを経験できるという錯覚を生むが、
身も蓋もない生身のあなたの身体は断じてそれに対応できることはない。

●日本経済はずっと内需主導で成長してきている

 昭和末期に訪れた日本が経済規模でアメリカを抜き世界一に躍り出る成功は
奇跡といわれた戦後復興の高度経済成長を成し遂げた(1970年がピークとされ
る)直後のオイルショック(第一次石油危機=1973年)を危機バネに、日本に
とって唯一最大の資源といわれた技術力で難問を克服したことに始まる。

 成長の負の遺産として浮上していた大気や河川湖沼沿岸の汚染や交通集中と
技術やインフラの未熟にともなう死傷者の激増に上乗せされた石油資源有限の
現実が技術による問題解決に向かわせ、ピンチをチャンスに変えることに成功
した。

 私は高度経済成長の頂点を知る世代。1966年(昭和41年)のモータリゼーシ
ョン元年のサニー/カローラの登場やホンダN360のメガヒットを最後の軽自
動車免許世代として肌で知り、トヨタ2000GT・スカイラインGT-R(PGC10
型)・フェアレディZ(S30)・べレットGT・マツダコスモRE……キャブレタ
ー時代の和製スポーツの登場に心を躍らせた。

  最初のクルマが日産サニー1200クーペGX(KB110)。当初は頭の片隅にもな
かったモーターレーシングにのめり込んだのは運命的な偶然だが、資源環境安
全というクルマを取り巻く課題が社会を覆う問題として浮上する中で対極とも
いえる自動車レースに心奪われる。インターネットに情報が溢れる現代と違っ
て、無知ゆえの行動力が今につながる。

  オイルショックと排ガス規制強化という社会に吹き荒れた"アンチ自動車"
という猛烈な逆風下に富士フレッシュマンシリーズに身を投じ、本気でF1を夢
見た馬鹿者が他ならぬ私である。

  当時の自動車メーカーは一斉にワークス活動から身を引き日本版マスキー法
と言われ克服困難とされた昭和53年排ガス規制クリアに没頭した。この間に市
販された日本車の技術的未熟さは現代人には理解不能だろう。昭和48年規制適
合のために施されたデスビ(=ディストリビューターが何か分かる世代は漏れ
なく還暦を迎えているはずだ)の遅角調整をした記憶が蘇る。

  ホンダCVCCにトヨタEFI・日産ECGIの電子制御燃料噴射に三元触媒にサーマ
ルリアクターRE(ロータリーエンジン)……自動車先進国とされたアメリカやド
イツが白旗を挙げる中で日本メーカーは世界中で強化された排ガス規制に適
合。小型車中心で燃費性能でも有利な条件が揃った日本車は、抜群の国際競争
力を発揮して今日の繁栄の礎を築いた。

  ただし1980年代の日本はまだ国内市場の拡大期。史実を追えば、それが人口
動態と軌を一にしていることが分かる。終戦直後の総人口は約7200万人。25年
後の1970年に1億人を突破し、2008年に1億2808.4万人でピークに達するまで
実に5000万人近く増えている。この市場拡大が日本経済発展のダイナモだった。

  日本のGDP(国民総生産)は500兆円規模とされる(2019年度は実質で533
兆円=内閣府)。貿易立国だと小中学校で習った記憶があるが、輸出約80兆円
/輸入約82兆円(いずれも2018年実績:一般社団法人日本貿易会)。どちらも
対GDP比で15%止まりであり、日本経済は圧倒的に内需主導で現在に至ってい
る。奇跡といわれた高度経済成長は、360円/1ドルという超円安の固定相場や
原油安(1972年までの平均価格は2.48ドル/1バレル)や低賃金による労働コスト
安などが主因で、優秀な民族性によってもたらされたという日本特殊論として
持て囃されるような俗説には眉に唾した方がいいようだ。

  1970年代に浮上した難問を克服した日本の自動車産業は勇躍国際市場で存在
感を増したが、最大の貿易相手国となっていたアメリカはモータリゼーション
の母国であり、デトロイトのビッグスリーはオイルショックの影響で世界市場
からは後退を余儀なくされていたが雇用を支える基幹産業であることに変わり
はなかった。日本の対米貿易の中心はそれまで繊維から自動車へと変化したが
前提となる円安環境によって終始は大幅に日本の黒字となり、現在の米中貿易
戦争と同じ事態が死活問題として浮上した。

●バブルの昭和末期には自動車専門誌だけでも100誌を数えた

  この経緯をきちんと踏まえないと昭和末期のバブルも、30年に及んだ平成の
デフレ不況(失われた30年)も総括することが出来ず、令和も変れぬままに過ぎ
去る恐れがある。今回のCOVID0-19パンデミック禍は、それ以前と以後を明確
に分けるほど人々の暮らしぶりに影響を与えるはずだが、これを奇禍として忘
れることが出来なかった『昭和の成功体験』から踏み出す必要がある。

  1980年代の成功と失敗は、成長を続ける国内市場での激しいシェア争いによ
って自動車技術が活性化。そこで蓄積された技術と商品の多様性がバブルの絢
爛豪華を生むことになるのだが、その前に最大貿易相手国のアメリカから最後
通牒としての円高/ドル安容認が告げられる。それまでのレートを一気に2倍
円高に切り上げるG5の『プラザ合意』は従来の貿易輸出による荒稼ぎを終焉
させると同時に、一夜にして価値が高騰した『円』の行き場探しを加速させた。

 貿易輸出の不振が懸念され、メーカー広報からうろたえる声が聞かれる中、
事態は真逆に進む。金融機関は投資先に『土地神話』が囁かれる不動産を選
び、その投機マネーがバブル化して株高や高級消費財が飛ぶように売れる環
境を生み出し、”ヴィンテージイヤー”として振り返られる1989年~1992年
に掛けての自動車爛熟期を迎えた。それはちょうど1970年前後の高度経済成
長のピークとも重なる光景だが、1973年のオイルショックによる暗転とほぼ同
じタイミングで平成バブルは崩壊した。

 当時は雑誌出版メディアの最盛期。企業の活況を受けて広告が鰻登りの勢い
で増加。自動車専門誌だけでも100誌を数え、大手広告代理店の調査によれば
ピークには600万部/月にも上った。1987年の鈴鹿に始まる第2期F1ブームと
も重なるが、地上波TVが潤沢な広告収入を背景に勢いを得た時期でもあった。

 すでにバブルであり、カネ余りを背景に日本の市場拡大はまだ余地を残して
いるように錯覚されたが、弾けて見えた現実は泡の如しだった。ここで経済の
実力や技術の進歩とインフラ整備による社会の変化に合わせていたら……つま
り法制度や社会システムの運営法をアップデートして、それに合わせた産業に
転換する構造改革がなされていたら、今とはまったく異なる未来に希望が持て
て可能性を感じる現実を生きていたのではなかろうか?

 ところが、昭和末期の成功体験が忘れられず、中央の行政官僚システムに下
駄を預けて自らは責任を取らない経営者は日本が最も活力に満ちていたバブル
期に変化することをリスクとして退けた。戦後の日本経済を支えた官僚主導
の”護送船団方式”を是として、自らの失敗を決して認めない前例肯定の無謬
主義を組織的に貫く役人至上主義が、ここに来て出口の見えない閉塞状況の最
大要因ではないかと思っている。

●都市にクルマは似合わない。自然へのアクセスツールが本質であるからだ

 ポストバブルの1995年に日本の自動車産業は追い立てられるようにグローバ
ル化の道を辿る。この年は10年前のゴルバチョフ登場や日航ジャンボ墜落やプ
ラザ合意といった記憶に残る事件と同様に阪神淡路大震災やオウム地下鉄サリ
ン事件があり、自動車産業の行く末を決めた日米自動車協議が妥結する。日本
は国内拠点の生産能力を据え置いたまま海外市場向けには現地生産化を推進。
およそ20年間で国内の2倍に対応する生産能力を持つ国際企業の業態へと収益
の構造を大きく転換させている。

 日本の国内市場しか直接影響を及ぼすことができない国内メディアは、日本
中心の目線でグローバル展開する自動車メーカーを語ろうとするが、事実とし
て各社にとって日本市場はすでに全体に占める一部でしかない。まだ国内販売
と輸出が拮抗していた昭和(1980年代)の気分で郷愁を誘うかのような論調が
目立つが、日本市場での収益が企業としての存続を左右するドメスティックな
存在は一社もない。

 グローバリゼーションの大きな潮流の中で真剣に生き残りを考えるなら、国
内自動車市場の不活性化の主因となっている数多くの行政による規制……exク
ルマを所有することが罰則に思える税制、世界一高額な高速道路通行料、東京
一極集中を際立たせる道路網の構築、実際に旅すれば分かる意外に広大で変化
に富んだ37万平方キロメートルの国土の多様性を阻む半世紀以上前に施行され
た全国均一の法定最高速度、外国人の排除を目的としているとしか考えられな
いユニバーサルデザインの欠如……etc。

  パスポートの保有が42%と過半数を下回り、TV(の恣意的な)情報番組で
世界を知っているつもりになっている日本人の大多数にとって、あたりまえす
ぎて興味の対象にはならないかもしれないが、我々が暮らす極東の島国は宝庫
ともいえるほど自然の多様性に富み、季節によって変化する環境の魅力は尽き
ない。過去30余年で充実された高速道路網を利用して自動車旅行に繰り出せ
ば、それこそ誰でも実感できる。

 そこには500馬力・300km/h超の高性能など必要はなく、すでに整備された道
路インフラと半世紀以上に渡る自動車技術の進歩の果実を実感できるレベルに
道路交通法をアップデートして、けっして狭くない国土を楽しめる環境を整え
るべきだろう。私は通過を含めて47都道府県のすべてを走破しているが、もち
ろん未だ見ぬ絶景は数知れず。自由往来がもたらす可能性の広がりは、平日の
地方の高速道路の交通量の少なさを知れば変るべき道筋は自ずと開けるだろう。

  21世紀の現代は世界中で都市化が進み、全人口の80%が都市に暮らすように
なったという。3800万人とも4300万人とも言われる東京首都圏は世界最大のメ
ガロポリスとされる。東京一極集中は東京都だけの話ではなく、日本最大規模
の沖積平野である関東平野が多数の河川がもたらす豊富な水資源とともに生活
立地を拡げた結果だが、ランダムアクセスが可能なクルマで旅してみると便利
な都市空間にはない環境に心洗われることが少なくない。

  果たして、自由気ままな自動車旅行を経験した人がどれくらいいるだろう。
今般のCOVID-19パンデミック禍は"リモートワーク"をキーワードに、都市化と
セットになった過密な通勤から開放された働き方改革の可能性を知らしめた。
インターネットの開放から四半世紀。情報技術の飛躍的進歩のお蔭で、会社に
帰属するサラリーマン以外の生き方がより身近になった観がある。

  東京首都圏が直下型を含む大震災に見舞われることは歴史の証明するところ。
それが何時かは分からないがいずれ必ずやって来る。その時に現在の東京がど
うなるのか。100年前の関東大震災とは都市構造が決定的に異なり、建築物の
耐震性も飛躍的に向上しているとはいえ、結果は未知数でしかない。

  当時ほとんど存在しなかったクルマが乙種第4類の危険物を抱えて路上を埋
め、比較にならない高速の鉄道網が昼夜を問わず電車を走らせている。日常が
パタッと止まる光景を9年前の東日本沿岸で目の当たりにした。この時も単身
自動車旅行で巡ったが、発災直後だったら寸断された道路網に阻まれて近づく
ことができなかった。2ヶ月後でも復旧には程遠く、息を呑む光景が広がった。

●スズキジムニーがSUVの世界標準になったら、時代は間違いなく変るね!

 今回のCOVID-19パンデミック禍は、新型コロナウィルスと相変わらずメデ
ィアが好む用語で明らかなようにワクチンも治療薬も定まらない見えざる相手
によってもたらされた。都市空間もモビリティツールもそこに暮らす人々もほ
とんど変わらないのに、暮らしぶりだけが激変した。

  やがて克服の時を迎え、ウィルスの脅威は忘れられるはずだが、今まで通り
の暮らしぶりが戻る保証はどこにもない。滞った経済は多くの生活困窮者を生
むに違いないが、失われた仕事が復活する見込みはなく新たな生きる糧を創造
する必要が問われる。人は保守的な動物なので、できれば従来通りで生きたが
るが、何も変わらない景色の中で生き方だけを変えなければならない。

  何かと不都合が目立ったこれまで通りに執着するより、思い切って変化に対
応することに集中した方が未来がありそうだ。

  ソーシャルディスタンスの観点から、限られた空間でパーソナルモビリティ
を実現するクルマが再認識されたと思う。集中制御や誰か(エンジニアか為政
者か)が構築したシステムに従わざるを得ないCASEやMaaSといったシス
テムが理想的かどうか再考の余地がある。

 長期的に見れば地球人口はすでに減少サイクルに転じていて、再び増加ベク
トルに反転することはないという。あと30年ほど(2050年頃)でピークを迎
え、100億人がひしめいて食料やエネルギーが逼迫するという恐れは杞憂に終
わるという意見もある。

 私としては、”かつて良いと感じたものは、今でも魅力を失っていない”と
の立場から、人とメカニズムが丁度いい関係にあった時代のテクノロジーに目
を向けたい。当然のことながら資源・環境・安全というクルマが誕生以来背負
い続けている十字架についてはアップデートした上で、デザインや走りのパフ
ォーマンスの調和で”Freedom of Mobility"の可能性を追及したいと思う。

  前提となる法整備や道路インフラを現状に照らしてアップデートし、クルマ
のバランスポイントを追及し、操る人のスキルを身体性やハンディキャッパー
に考慮したテクノロジーといった視点で捉え直して最適化を図りたい。

  地球環境問題を声高に叫ぶ一方で、アウトバーンを有するポジショントーク
としか思えないドイツ的価値観(超高速至上主義とも捉えられかねない技術優
先のファンタジー)とは違う柔らかい高性能。それは多分、日本の多様性に富
んだある意味で厄介な走行環境を旅する感覚で経験する向こう側に見えてくる
ものだろう。

  いずれにしても、時代を変えるのは未来を生きる若い力。やってくれる人が
現れたなら、私はトボトボとその後を付いて行くばかりである。      
                                   
-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

2020年6月4日木曜日

まぐまぐ!伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』の臨時掲載中。期間限定でお届けします。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第383号2020.5.26配信分



●科学と技術の進歩が人口爆発をもたらした!

 新型コロナウィルス(COVID-19という正式な呼称があるのに何故か日本で
はメディアで使われることがない)感染拡大を受けて政府が発動していた『緊
急事態宣言』が、5月25日全国で解除された。去る4月7日に安倍晋三内閣総
理大臣によって発出され、ゴールデンウィーク明け5月6日の解除予定をさら
に末日まで延長した上で約一週間早める。54日が48日に短縮されただけだが、
前倒しは感染による身の危険よりも経済的困難による先行き不安が募っていた
人々のガス抜き効果という点で、評価される期待が込められた感がある。

 しかし、ウィルス感染症によるパンデミックがこれほど人々の暮らしぶりを
変えるものだろうか。誰もが人類史の1ページを共有している感覚を抱きなが
ら、地球規模で刻一刻と進展する状況をリアルタイムで知る。インターネット
の普及からおよそ四半世紀。情報が瞬時に世界を駆けめぐる現代は、100年前
の『スペイン風邪』パンデミックに見舞われた国際社会とは何もかもが異なる。

 当時の地球人口は20億弱。77億人超ある現在の4分の1ほどでしかないが、
一説では全地球人口の5%の命が失われた。科学の進展と技術の進歩が比較に
ならないほど充実し蓄積した現在を当時と同列に語ることできないだろうが、
人は忘れる動物であり繰り返しの歴史の果てに今がある。未だに有効な治療薬
もワクチンもなく予防の徹底にも限界があるのは明らかなので、ウィルス感染
症によるパンデミックは年単位のオーダーで続くと身構えるのが得策だろう。

 これまでのところ、冬季の北半球が流行の中心だったが、すでに季節が入れ
替わった南半球に感染拡大の兆しが見え始め、一旦収束しそうな東西から南北
半球という地球特有の環境要因が加わって先行きの見通しが立たないことに留
意する必要がある。

 すでに多くの経済活動が従来通りには行かなくなり、変化に対応しきれない
人々が呆然と状況の移ろいを見送る中、現実の生活が次々と強制終了の形を取
りつつ様変わりを見せ始めている。通勤を伴わないリモートワークが実行に移
され、都道府県という自治体境界を越えての移動が制限されることで公共交通
機関によるモビリティは、その企業活動を前提とする収益構造自体が将来的に
成り立たないことを図らずも明かにしてしまった。

 平たく言えば、戦後の復興を目的とした中央の行政官僚機構主導による計画
経済が、75年という長い期間に渡ってモディファイを繰り返しながら基本的な
変化を拒んできたのだが、さすがに21世紀のグローバルスタンダードとなった
本格的な情報化社会には対応しきれなくなった、ということに尽きるだろう。

●常識を疑うことからしか”脱今まで通り”の発想は生まれない

 象徴的な例として国内と国際の二つの局面に関わるモビリティツールの現実
が日本という国が置かれている状況を浮き彫りにしている。一つは、明治以降
の富国強兵政策の一環として北海道・本州・四国・九州という4つのメインラ
ンドに張り巡らされた鉄道網と、そのアップデートを人員輸送に特化すること
で今後急速に進展する少子高齢化社会による人口減少社会の真逆を行くことが
明らかになりつつある整備新幹線網の現実だ。

 そして二つめは、”狭い日本そんなに急いでどこへ行く”という事実に反す
る標語の矛盾を国内目線しか持てない霞が関の行政官僚特有の”内向き論理”
で47都道府県に漏れなく空港を整備することを掲げる一方、極東に位置する島
国である現実を忘れて世界の中継点となるハブ空港の発想を持たずに国際的地
位を下げ続けている航空行政の無為無策ぶりだろう。

 国内における所轄官庁としての権限やそれに伴う既得権益(天下り先など)
にこだわる官僚機構の無謬性に基づく前例主義は、昭和の発展途上段階までは
機能したが、その変れない体質が平成のデフレ不況の元凶となった。そして、
『失われた30年』を経た令和の2年目にして21世紀二つ目のディケードが過ぎ
た2020年という節目にCOVID-19によるパンデミックという"外圧"によって大急
ぎで変化に対応する必要性に気づかされることになった。

 日本の国土は4つのメインランドと6847の離島(海岸線長100m以上)からな
る約37万平方キロメートルであり、本島の北端稚内宗谷岬から南端大隅半島佐
多岬までの移動には優に3日は掛かる。”狭い日本……”という伝説的な標語
を書いたのは1970年代の四国高知の巡査ということだが、彼がこの国土を走破
したとは到底考えられない。当時の高速道路網は東名~名神という太平洋ベル
ト地帯を結ぶ一本きりであり、1962年の改正道交法で規定された100km/hの法
定最高速度が現実的であった時代である。

  あれからすでに50年。半世紀が過ぎて自動車技術も道路インフラも雲泥の開
きが明らかになっているのに、許認可権を握る関係官庁の無責任体質(無謬性)
に囚われ、前例主義を隠れ蓑に自ら責任を取る覚悟で時代の変化に対応するこ
とをとことん避ける。この中央官庁の規範が被許認可事業の民間にも伝播し、
集団体制の中で責任の所在が分からなくするサラリーマン企業体質につながっ
ている。日本社会が、グローバル経済で糧を得ているにもかかわらず日本独自
(ガラパゴス化)に留まろうとしてアップデートの妨げている、と私は見る。

  今まで通りに留まろうと悪あがきを続ける日本型経営は、拡大する内需主導
で成長してきた10年前に人口減少サイクルに転じたところで大転換を図る必要
があった。現実は国内での成長パターンをグローバル化のオフショアに乗って
戦後から一貫して続けられた"従来通り"を温存することで『規格大量生産に基
づく』最適工業化社会の模範的存在で居られたのだが、21世紀に入って本格化
した"情報化社会(=モノを余剰を見込んで規格大量生産するのではなく、モノ
を情報の状態でストックしていつでも取り出せることを可能にする)"への転換
には決定的に遅れる可能性が生じてしまった。

  情報化社会とは、高度に発達した工業化社会を経ずしては実現しないと言わ
れている。ファブレス(製造部門=工場を持たない企業体)を志向してサプライ
チェーンをグローバルに展開することで競争力を得ていたスタイルが、今般の
COVID-19禍で限界を突きつけた感がある。

●分かったつもり知っているつもりを蔓延させたTVの罪

  私は、これまで常識と思われてきたことを疑ってみる必要を感じている。例
えば、トヨタ自動車は1995年の奥田碩氏に始まる内部昇格による非創業家3代
の経営トップ(張富士夫、渡邉捷昭両氏)の10数年間で、国内生産中心から海
外現地生産にシフト。40万台/年のハイペースで瞬く間に業容を2倍に引上げ、
世界に冠たるトップメーカーの地位を築いている。

 奥田氏は、時代の趨勢をグローバル経営の第一線で肌に感じるところから、
全体のわずか2%の株式保有に留まる豊田家支配による弊害を悟り『持株会社
化』を構想していたという。昭和末期から平成初期のバブル/ポストバブル期
に”石橋を叩いてなお渡らない”豊田創業家の堅実経営が奏功して、有能な内
部昇格組経営陣の大胆な変革をもたらしたのは歴史の綾ともいえるが、それが
2008年9月の”リーマンショック”による60年ぶりの赤字転落とアメリカを舞
台にした品質問題や結果的に濡れ衣に終わったリコール騒動によって『タナボ
タ』の大政奉還(創業家経営トップの誕生)に結びついた。

 それから11年という長期政権が創業家三代目の豊田章男社長によって続いて
いて、国内300万台生産体制堅持という”公約”を果たす一方で、その2倍近
い海外生産体制が固定化し、本体の売り上げの80%以上が国外というグローバ
ル企業としての実態が深まる中で、創業家中心という日本的なメンタリティの
下で世界を捉えることが政官財業報にも共通する感覚として持て囃されている。

 その視点には、日本が国外に市場進出して行く国際化の発想が中心で、世界
から見た日本というメタな感覚を欠いている。日本の国際化にとって最大の課
題となっていることだが、一部の創業経営者を除いては創業家系の後継者にし
ても内部昇格組のサラリーマン社長にしても有望な人材が見当たらない。

 そのことをより一層鮮明にしたのが、2018年11月19日に現役代表取締役会長
と同ナンバー2代表取締役の突然の逮捕劇。このメルマガで何度も繰り返して
書き連ねる理由は、未だにこの無理筋の逮捕・起訴からなるゴーンスキャンダ
ルを曲げて理解させてきた日産・検察・政府筋とそのリーク情報を垂れ流して
きたマスメディアの報道を信じて疑わない人の多さに未来の危うさを感じるか
らである。

●日本人の外国人アレルギーは未知の恐怖の裏返し

 人は歴史の中で生きている。自らの経験を踏まえ、自身を肯定するところか
ら今を生きて、未来へと進もうとしている。誤りは正せば良いことなのだが、
自説を曲げて屈することを潔しとしない人が多いのもまた事実だろう。そこは
不問としたいが、政治もそうだが経営は結果責任にある。

 1999年6月に初来日して以来、カルロス・ゴーン氏はわずか4ヶ月でNRP
(日産リバイバルプラン)をまとめ、黒字化や利益率の確保や有利子負債の解
消をいずれも1年以上の前倒しで実現して見せた。NRPの実際はゴーン氏の指
示によって編成された少壮管理職を中心とする部門横断型のCFT(クロス・
ファンクショナル・チーム)による。数々のリストラ策や垂直型系列の解体な
どは事情に精通した日産のプロパーの仕事であり、ゴーン氏は責任者(COO
=最高執行責任者)としての職責を引き受けたにすぎない。

 すべての誤解は、当時のマスメディアによるレッテル貼り(曰くコストカッ
ター…etc)によるものであり、日本の代表的自動車メーカー初の外国人経営
者を鵜の目鷹の目で遠巻きに見ている他なかったことの裏返し。今般のゴーン
報道の日産・検察リーク垂れ流しは、あの時の意趣返しと考えれば納得が行く。
日本の刑事司法の”常識”では、検察が逮捕起訴した段階で有罪が確定(有罪
率99.4%)することになっていて、マスメディアはそれに乗ったにすぎない。
しかも今回は東京地方検察庁特捜部の案件であり、それが起訴した時点で有罪
が確定したことを意味する。そこには『推定無罪』という刑事司法のグローバ
ルスタンダードなどは存在しないことになっている。

 すでにこのメルマガでも何度も記しているように、最初の逮捕・起訴の罪状
として挙げられた金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑は、
それが公判に耐え得るか疑問となるものだったし、会社法の特別背任に至って
は一方の当事者でもあるサウジやオマーンの人物から何ら証言を得ていないこ
とが明らかになっている。結果として、検察は公判スケジュールの引き延ばし
を図り、金商法については来年4月に初公判の予定とされ、特別背任にいたっ
てはいつになるのかすら明かされていなかった。

 15億円の保釈金を失い、失敗の確率が25%というリスクを負ってまで国外逃
亡を図ったことは”後ろ暗いことがあったから……”と批判的に語る者が後を
絶たないが、日本社会に地縁血縁を持たない外国人が絶望の果てに企てた背景
を我が身に照らせば理解できる。

 その意味では、日本社会は中国のそれとそれほど変わらない不気味さで迫っ
てくる。一人旅で海外に出た経験のある者なら分かるはずだが、日本人のパス
ポート保有率は42%と先進国としては異例の低さが際立っている。過半数の日
本人はTVなどが伝える情報で”世界を知ったつもりになっている”ことにほ
とんど無自覚と言っていい。

●30年後に地球人口は減少に転じ、危惧される問題の多くは解消に向かう

 ところで、先日このメルマガ『クルマの心』読者から思わぬメールが届い
た。「Amazonギフト券をお送りします。メルマガ読者です。世界情勢予測
のために『2050年世界人口大減少』という本を是非ご一読いただきたい
です。」このようなプレゼントに不慣れなので率直に言って驚いたが、タイ
トルの書籍を検索して見るとナルホド興味深い。末尾に「※他の用途にお使
いいただいても構いません。」とあったが、アマゾンプライムのマイアカウ
ントでギフト券を確認して注文することにした。

 タイトルの『2050年世界人口第減少』は、国連の人口推計にある3つのシナ
リオの一つに由来する。現在の地球人口は、世界全体で75.36億人(2017 World
Population Data Sheet)で刻一刻と80億人に迫っている。国連人口部は、高・
中・低位という推計を立て、2100年にそれぞれ165億人、112億人、74億人と
なるシナリオを想定している。

  1950年を起点に置いたグラフによれば、65年後の2015年までに約50億人とい
う"爆発的な"増加で約75億人に達した。それがこのまま勢いが衰えずに2050年
に約110億人に達し165億人まで一直線の右肩上がりを続けるか、同97億人から
111億人辺りで収まるか、同88億人でピークを迎えた後は2015年の74億人レベ
ルに戻るか。地球温暖化にしてもエネルギーや食料の絶対量不足による人類存
続の危機にしても、増加の一途をたどる地球人口が問題の元凶という指摘がも
っぱらとなっている。

  ところが、本書の著者ダリル・ブリッカー/ジョン・イビットソン両氏は国
連推計でもっとも低位のデータがリアルであり、一旦人口が減少に転じると二
度と増えることはない、という論陣を張ってその検証に入っている。まだ読了
しておらず、330ページからなる全体の3分の1までがやっとの段階だが、こ
れは傾聴に値する意見の一つではないかと思う。

 減少に転じる最大の要因は都市化とそれに伴う女性の教育機会の増大にある
としている。まださわりの大意を汲んだだけであり、ディテールの検証はこれ
からだが、未来の展望を暗くしている人口爆発に伴う懸念の多くは杞憂に終わ
る可能性があり、むしろ人口減少の向うにある人類の消滅こそが本質的な問題
となるかもしれない。

 人類がこの地上で10億人を超えたのは1750年のことであり、その後の200年
の1950年で25億人に到達。それから60年余りで3倍増という”爆発ぶり”の残
像の形で我々は未来を見ているようなところがある。ここに目下のCOVID-19
パンデミック禍が降りかかり、従来通りではない新たな道を模索する必要が生
じてきている。すべてを東京起点で考える鉄道網や航空路線のあり方に見る中
央集権的かつ統合制御型の公共モビリティではない、国土を有効利用する分散
型地方分権的かつ地域ごとの多様な価値観を前提にした個のモビリティのほう
が現実的で未来的な方向性ではないかと感じる。

  まあ、さらなる思索は読了して整理することにするが、永井さん興味深い視
点の提示、ありがとうございます。日頃の本メルマガご愛読のお礼とともに感
謝の気持ちを表明したいと思います。これももっと勉強して未来に貢献するよ
うにとの叱咤激励と受け止めました。支えられている実感が得られて素直に嬉
しい。まだまだ老け込んではいられませんね。

●ゴーンさんに拘り続けるのは、それをうやむやにすると日本が終わるから!

  直近のメールをもう一通ご紹介。「メルマガ、いつも読まさせていただいて
ます。」で始まる文面にはまず感想があって、毎回同じ内容が重複してるとこ
があるという指摘。(初めて読む人のためだと思うのですが)とありますが、
確かにくどいかもしれません。本メルマガもお蔭様で通産で380号を数えると
ころとなり、重複を承知の上で敢えて書かざるを得ないという思いが度々あり
ます。

「読む度に、またその話かいなってなってしまう事があります。伏木さんの経
歴は十分知ってるつもりなんで」ほどほどにとのこと。言われて"やっぱり?"
となることもあるので、遠慮なしにお申しつけ下さい。

  カルロス・ゴーン氏についての見解もありました。私は直接言葉を交わした
り、数多くの取材現場でこの目で確認した事柄を中心に据えて、あの事件の評
価をしているつもりです。多くの場合、当初マスメディアを介して報じられた
印象操作の結果としての人物像が形を成していて、当初から一方的に悪者扱い
罪人と看做した情報が溢れ返っていました。

  プロの経営者を評価する最善の方法は、見た目の評価なんかではなく業績に
限られるべきだと思います。ゴーン氏がCEOの座を西川廣人氏に明け渡した
2017年4月以前と以後での差は歴然であり、西川氏がそれ以前からもゴーン氏
の側近として経営陣の一角を占めていたことを考えると、結果責任は免れませ
ん。あの事件によって毀損されたブランド価値は、日産の再起を不可能にする
ほどのマイナスで、それは1998年末の倒産の危機まで逆戻りさせる暴挙でした。

 日産を国内市場ベースのナショナルブランドと捉えるのは自由ですが、現実
は国内1に対して国外10といった比率でグローバル化が進んだコカコーラやマ
クドナルドやスターバックスのような存在になっている。昭和の郷愁に浸りた
い気持ちは理解できますが、全国内販売が50数万台でその4割近くが三菱との
合弁で生産される軽自動車。セブンイレブンが本国のアメリカよりも日本のセ
ブンアンドアイの方が企業として優れているのと同じように、日産の屋台骨は
アメリカと中国でのビジネスが基本になっています。

 日本の専門誌を始めとするメディアは基本的に日本語の壁に守られて国際的
な競争関係を持ちませんが、すでに縮小の限りを尽くした日本国内の日産も営
業や広報部門が言うほどには業績に影響は持ち得ません。そこを忘れて日本中
心に語るところに誤解の元がある。

 日本におけるカルロス・ゴーン氏の悪評と海外での名声のギャップを知り、
グローバル企業としての日産がいかにしてV字回復を遂げたかを理解すれば自
ずと見方が変るはずですが、日本の日産ファンの多くは日本市場の優に3倍近
い台数を売り上げている米中市場での経営トップの存在感よりも日本人に分か
りやすいかつての日産のイメージの復活を望んでいる。

 すでに私の中では日産は消滅の危機の中にあるのでこれ以上の言及は致しか
ねますが、あのゴーンスキャンダルがすべての日本の自動車産業のイメージを
大きく毀損したという事実は肝に銘じておく必要があると思います。

 ということで、このメールを寄せてくれた坂田さん。いつも言い難いことを
ズバリ指摘して頂いてありがとうございます。文末にあった「相談なんです
が、ヤリスGR-4。伏木さんの評価は、参考になりました。直ぐに飛びつかず、
1年待ってから買うほうが良いですよね?」ですが、私のヤリスGR-4の評価は
かつてのR32スカイラインGT-Rや三菱ランサー・エボリューション/スバルイ
ンプレッサWRX STiといったグループA競技車両規則の精査から生まれた"ホモ
ロゲーション"モデル群と重なります。

  スピードを競うレーシングベースモデルは、それ自体がイリュージョンであ
り価値判断は競技で勝つことでのみ評価される。そのことへの共感が所有する
モチベーションの第一義であり、すでに過剰領域の極みにあるパワーや走りの
パフォーマンスは、国内においてはクローズドサーキット以外で消費すること
はまず叶わない。

 ヤリスGR-4がどれほどのテクスチャー(肌触り?)を備えているかについて
は、未試乗なので言及は出来ませんが、現在のトヨタの技術力とGRブラン
ドに賭ける全社的な取り組みを考えると『ハズレ』はあり得ない。これが駄
目なら、トヨタに期待するものは何もないと言っても過ぎることはないでし
ょう。

●そもそも道路は無料であると決められていたはずだった

 さて緊急事態宣言が解除になって、今後の見通しを早急に固めて実行に移す
必要がある、と思えるようになってきた。経済の立て直しには今まで通りとい
う方法論が通用しそうもない。テレワークによるデメリットがほとんどないこ
とが明らかになる一方で、移動に関わる時間や費用のロスを抑えつつ、通信技
術やハード/ソフトの低価格化と高性能化によって効率向上が見込めることが
はっきりしたという。

 このところ週3で物流センターで肉体労働に励むことがルーティーンとなっ
て久しいが、利用するJR横浜線の乗車率の劇的とも言える低下は公共交通機
関の未来に暗い影を落とす。新卒一括採用や終身雇用や年功序列型の賃金体系
など、戦後の経済復興期を支えた労働集約的な会社経営の基本となる企業シス
テムは、情報手段の多様化・高速化・低コスト化といったハート/ソフト両面
の進歩によって変るべき時が来ていた。

 とくに既得権益に染まった公務員社会では、合理化反対闘争に象徴される前
例主義と情報技術の積極導入を阻む変ることへの抵抗によって、最新技術への
アップデートに消極的な状況が顕著になっているが、すでに人口が減少サイク
ルに入って10年余り。少子高齢化社会への急激な変化が無難な職業としての公
務員を過去のモノにしようとしている。

 私はすでに68であり15歳から64歳までのいわゆる生産年齢世代から外れて久
しいが、今後は高齢者の激増とそれに見合わない若者の経済的負担の増加は、
あらゆる社会の仕組みを大きく変化させないわけには行かなくなるだろう。

 情報のやり取りであるならばAI(人工知能)を駆使したオンライン上での
技術革新で事足りるが、問題は身体性を伴うモノの移動や身体そのものを動か
すモビリティの在りようだろう。

 大量輸送を前提とした鉄道による公共交通機関は、人口増加や都市への集中
に伴う都市化の時代背景には右肩上がりの成長パターンに当てはめれば良かっ
たが、減少に転じたとなるとたちまち減便やコスト割れに対して敏感にならざ
るを得ない。そもそも企業が経費扱いすることで割高な運賃体系を強いてきた
整備新幹線などは、たちまち成長軌道を外れてやがて廃線も余儀なくされるに
至ったローカル線と同じ運命を辿る可能性がある。

 すべてが東京を起点に考えられたような鉄道網や国内国際の如何に問わずま
ず首都圏ありきの効率論で回ってきたシステムが、収支面でマイナスに向かう
可能性が現実的となってきた。この高コスト体質でも、世界に冠たる物珍しさ
が商品性を持つ新幹線はインバウンドの旅行者を引き寄せていたが、今回のパ
ンデミックによる事実上の国境封鎖がそのアプローチを塞いだ。企業活動の自
粛にともなう地方支社への出張停止とともに見込める乗客が激減したにもかか
わらず減便などの現実対応が出来ない旧国鉄労組時代以来の柔軟性のなさが、
時代のターニングポイントを迎えていることに対する緊張感のなさにつながっ
ている。

 今回緊急事態宣言にともなってキーワードとなった”三密”を避ける方法論
として、もともとパーソナルモビリティツールとして発展してきたクルマは有
効かつ有用だということがはっきりした。しかし、自動車交通行政を担う国交
省や経産省や警察公安などの関係省庁は、国家の屋台骨を支える基幹産業であ
る自動車の使い方に関しては異様と言えるほど冷淡な態度を貫いている。

 自動車の所有から使用に至るプロセスで要求されるランニングコストは、お
よそこれで多くの人口を養っているという自覚を忘れさせるほど高額で、クル
マを持つことが一種の罰ゲームのような印象すら与える。

 日本の道路交通環境に横たわる困難は中国のそれと基本的に変わらない。ま
ず第一に世界で最も高額な高速道路通行料を挙げたい。道路法の基本理念は、
道路は原則無料で供用されるとしているが、日本では特別措置として法の解釈
を曲げる役人の悪知恵が横行している。立法府の国会は代議士の力量不足や不
勉強もあって国民の代表というよりも行政官僚制にお墨付きを与える態となっ
ている。

 高速道の有料化は、元々期限が来れば無料となる償還制を前提に始まったは
ずだか、いつの間にか財源の確保と将来の路線延長のために”プール制”とい
う後付けの論理が既成事実化され、受益者負担というもっともらしい詭弁を弄
することで永遠に有料とすることが当然と考えられるようになった。

 自動車関係諸税には道路建設のための特定財源があったはずであり、未だに
暫定税率が高止まりのまま放置されたガソリン(揮発油)税などは本来の道路
建設のための目的税であったはずなのだが、2009年度から一般財源化され現在
に至っている。さらに言えば、高速道路の有料制は建設費の償還を早めるため
の暫定措置として始まった。

 そこに受益者負担の原則が転用され、高速道路は走行するクルマの所有者が
料金を払うのが当然といった意見が自動車メディアの中からも発せられた(中
には無料化すると通行量が増えるので有料化が混雑緩和の一翼を担う方が良い
などという御用評論家らしい珍説を唱える同業もあったが、これなどは呆れる
他ない御都合主義の典型だろう)。

●昭和の語り口を令和の今も続ける愚。その劣化コピーぶりに気付こう

 言うまでもなく、日本の自動車産業は製造品出荷額等で60兆6,999億円、全
製造業の製造品出荷額等に占める自動車製造業の割合は19.0%に上り、自動車
関連産業の就業人口は546万人に達するという(2017年:JAMA=日本自動車工
業会)。自動車輸出金額は16兆円。過去25年間のグローバル化の進展で貿易黒
字額は横這いだが、海外現地生産は国内の優に2倍、同販売は対国内比で4倍
を超える様変わりを見せている。

 日本語の壁に守られ、日本国内では海外メディアとの競争と無縁でいられる
国際感覚の欠如から「日本にとって都合の良い海外情報」を選りすぐり、「グ
ローバル化の進展によって、”世界の中にある日本”というメタな視点を持つ
必要性が不可欠となっているのに、日本の常識は世界の非常識というフェアな
本質論に言及する」ことを巧みに避けている。

 私は、20世紀末の日本に訪れた昭和末期から平成初期のバルブ経済~バルブ
崩壊の結果(それは日本の国内市場が人口増にともなう成長が都市化の進展に
よって限界に達し、縮小へと反転したことによる)新たなフロンティアを海外
に向けざるを得なくなったところに誕生した日産、マツダ、三菱の自動車各社
の外国人経営者に引き寄せられる形で、それまでのプレスツアーとは異なる視
点での国際自動車ショー取材に傾倒していった。

 これも本メルマガで繰り返し記していることだが、”顎足枕”を企業に依存
しないフリーな立場での取材の一環として諸外国での現地試乗を実施。そこで
日本に居て日本市場目線の価値観に留まっていてはけっして知ることのない日
本車の存在を身を以て確認した。要するに日本の旧態依然とした市場環境だけ
で日本の自動車産業を論じていてはその本質を見誤る、ということである。

 過去四半世紀の間に、日本の自動車メーカーはすべてグローバル化を果た
し、多くの場合その収益の大半を国外から得るようになっている。日本の専門
誌を中心とする既存メディア/ジャーナリストが、昭和時代末期の発展途上段
階では当たり前だった実地の取材に基づくメーカーとの喧々諤々から遠ざかっ
て久しい。バブルの狂騒に酔った一部メーカーとの空騒ぎが、バブル崩壊によ
って霧消し、1990年代中頃に普及が始まったインターネットによるメディア
の変革が出版メディアから独自取材で市場をリードするトレンドセッターの役
回りを奪った。

 生き残りの切実な課題を前に既存出版メディアと帰属するジャーナリストが
採ったのはメーカーのパブリシティに商品としての情報の大半を依存する『発
表報道』や『タイアップ』で収益を確保する行き方。インタラクティブ(双方
向性)が基本のインターネットメディアの普及と逆行する上流(メディア)→
下流(読者)の関係に甘んじて、情報発信と同時に市場からリアクションが発
生するという時代認識のずれが変化に対応できない既得権益層と判断されてい
ることに目を閉じ耳を塞いでいる観がある。

●プレスツアーで何を語るか。情報の受け取り側を向いた生の声が必要だ

 私は、欧州メーカー(とくにドイツのいわゆるジャーマンスリーの系譜に連
なる)のプレスツアーそのものには肯定的な意見を持っている。ブランド価値
の創造に根差したそれは、ロケーション選びに始まって歴史や文化を肌で知る
またとない機会であり、メディアによる情報発信の効果を熟知したプロパガン
ダに長けた国民性を背景にした参加者を下にも置かない厚遇はジャーナリスト
にとって得難い経験の場であることは疑いようもない。

 問題は、プレスツアーに名を連ねることが自己目的化して、メーカーのメデ
ィアコントロールに自ら進んで与する者がグループ化してしまうことにある。
ビジネスクラスで富んで五つ星ホテルに泊まってゴールデンサンプルの試乗車
を絶景の地でテストする経験は、一度知ったら手離したくなくなる魅力に満ち
満ちている。

 それがまだ日本市場が未成熟な発展途上段階だったら彼我の差を語る意味も
あったが、すでに日本の自動車産業が台数のオーダーで覇権を握って久しい。
すでに産業としては成熟期から反転して衰退サイクルに入っていることを考え
ると、華やかな演出の現地においてクルマ単体の”評価”というお花畑に遊ぶ
行為は無意味というより害悪ですらある。

 比較的自由でクルマをクルマらしく使うことが許されている社会での印象
が、半世紀以上に渡って旧態依然の法体系の下で抑え込まれた日本社会で権威
づけとともに語られることの恥ずかしさに無自覚であるとしたら、職業として
の彼の存在価値はどこにあるのだろう。

 日本の情報産業の決定的な問題は、情報を寡占状態で手に入れる身分に執着
して時代の変化に対する”抵抗勢力”と化していることに無自覚な点にある。
世界的にも類例のない政官財業という情報ソースと一体化した『記者クラブ』
はその典型だが、同じような構造はすべての既存メディアに共通する。

 私の経験を語らせてもらえば、これまでに東西南北各半球の37カ国を訪れて
この地球上に存在する多様性の一端を理解している。300回以上に及ぶ渡航歴
の内今世紀に入ってからのおよそ3分の1は一人旅であり、そこでの失敗談は数
知れず。よくぞ無事にサバイバル出来たもんだと我ながら感心することもある。

●上海は沖縄那覇と変わらないフライト距離。文化的違いを体感すべし

 1980年代にヨーロッパを皮切りに世界を肌で感じてきた。20代後半に始まり
30代で欧州に加えてアメリカが加わった。1980年代末になるとバブルの勢いを
駆って日本メーカーが活気づき、雑誌メディアの創刊が相次ぐとともにカタカ
ナ職業の編集者/ライターがその余力に与って”クルマの本場”欧州へと草木
も靡いた。

  ポストバブルの日米自動車協議妥結とカリフォルニア州が法制化すると報じ
られた『ZEV規制=Zelo Emission Vehicle:大気清浄法』への関心からアメ
リカ取材に軸足を移すことにした。人が右ならオレ左という天の邪鬼というよ
りレッドオーシャンよりブルーオーシャンに賭けるそれまでの生き方の結果だ
が、そこにC.ゴーン、M.フィールズ両氏という日本の自動車メーカーに若
い外国人プロ経営者が現れ、グローバル化や地球環境問題という時代のトレン
ドが加わって、日本という極東の島国が置かれている現実を知るきっかけとな
っている。

 中国本土は2004年のFIAフォーミュラ1中か国GP@上海が初の本格上陸だっ
たが、個人的には2007年の上海国際自動車ショー取材に単身渡航したことに
始まる。この時点では中国の自動車保有台数は日本のおよそ半分42,500,000
台で過半数を商用車(トラック/バス)が占める段階だったが、2008年の北京オ
リンピック、2010年の上海万博からの"自動車の爆発的普及"はまさに昇竜の
勢い。

  F1開催時の上海にはまだ残っていた牧歌的な雰囲気は、鳴り響く槌音ととも
に年を追う毎に街の姿が変貌する。まさにコマ落としのようなスピード感とと
もにクルマが街中に溢れ、上海や北京といった大都市圏では漫画のような勢い
で地下鉄網が充実して行った。

  最初の上海ショーではコピー文化の中国を象徴する日本車のそっくりさんに
目を丸くしたが、あれから10年余を経て状況は大きく変化しつつある。すでに
中国は世界最大の自動車市場と化しており、全土における保有台数はアメリカ
に次ぐ第2位の位置を占めている。過去10年間の保有増はほぼ新車によるもの
で、昔ながらの牧歌的中国車は相対的に少数派に追いやられている。

  驚きはクルマの洪水だけではなく、道路建設ラッシュの現実だろう。ミレニ
アム期に日本の円借款で北京首都国際空港や上海浦東国際空港が造られたこと
は良く知られているが、この頃北京や上海市内に建設された都市高速道路は日
本の首都高速のような交通量を低く見積もった2車線の脆弱なスケールがほと
んど。ところが、経済発展が顕著となったリーマンショック以降の道路インフ
ラは劇的な変貌を遂げていた。

●すでに中国の高速道路は日本のそれを超えている!

 中国は、6ヶ月以上の滞在ビザを持たない者のクルマによる路上進出を認め
ていない。旅行者が気軽にレンタカーを借りて自動車旅行を楽しむ余地は残さ
れていない。有効な運転免許証とクレジットカードがあれば即どこへでも好き
に走り出せる。欧州諸国やアメリカのような先進国では当たり前のことを中国
で計画しても、できませんの一言で終わりだろう。

 ここ数年の中国の変貌ぶりは目を見張らされるものがある。私は4年前に招
かれて河北省の保定市に本拠を構える長城汽車を訪れている。その世界の最新
設備を揃えた業容と世界中から人材を募ったマンパワーと工場のワーカーの若
さにやがて追いつき追い越される日本メーカーの姿を創造せざるを得なかっ
た。仮に急成長の反動で経済が破綻することがあっても、旺盛な市場の消費
意欲を考えると伸び代はまだまだある。内需主導で経済を回して技術力を蓄え
た後にグローバル展開を試みれば、ゼロサムが通り相場の市場原理によって量
の支配は中国の手に落ちるのは必至だろう。

 残念ながら私は未だ中国をクルマで旅したことはない。保定市郊外の長城汽
車のテストコース内と同市内の一角で試乗とは言えない2ブロックの直線路を
撮影ドライブしただけだが、北京の首都国際空港~保定市長城汽車本社間の送
迎移動で見た中国の最新高速道路事情は忘れがたい。北京の都心部を抜けると
南は遠く香港マカオに至る幹線道路の中国国家高速G4=京港澳高速道路の一
部京石高速道路を約200km行った先が河北省の旧省都でありかつての直隷総督
府が置かれた保定市。日本人でこの街を知る人は少ないと思うが、中国の行政
級別によると『地級市』であり、総面積は四国に匹敵する広さ。ここに1000万
人以上の人口が存在する。

  中国におけるメガシティの存在は想像を絶するものがあるが、簡単に言えば
東京が二桁のオーダーで存在する。近年の高速道路の建設ラッシュは凄まじ
く、2001年に19,000kmの総延長が15年後の2016年末には13万km超に達し、
アメリカに次いで世界第2位に急成長している。

 先述のG4の一部京石高速の印象は衝撃的だった。片側4車線の最高速レー
ンは120km/hに制限速度が設定され、時折現れる標識には赤文字の120の下に青
文字で110km/hとある。最低速度の設定があるのだ。その右側第2レーンは最
高速度は同じだが最低速度は100km/h。さらにその右隣は100km/hの最高速度
に80km/hの最低速度。さらに最低速レーンは100km/hに中国の高速道路に設定
されている最低速度60km/hという設定がなされていた。

  道中の交通量は平日の午前でもまばらで、制限速度を超えて追い越して行く
クルマはほとんどなかった。厳しい取締りと高額の罰金による抑止力は北京政
府のお膝元ということで禁を犯す強者はいないとのことである。

●中国で外国人旅行者が不安なく自動車旅行を楽しむ日は訪れるだろうか?

  すでに中国におけるクルマ事情は、外資との合弁を組む国営大手の最新モデ
ルが半数近くを占め、徐々に国際レベルに近づきつつある比較的安価な民族系
が世界第3位に留まる日本の2倍以上のオーダーで売られている。今世紀に入
ってからの保有は2億台に迫る純増で、まだまだ伸び代は残されている。この
旺盛な需要がいつ尽きるかは謎だが、すでにドイツの自動車産業が中国一本足
打法に傾いている現実からも明らかなように、圧倒的な需要を抱えるこの地が
世界のクルマのトレンドセッターになる可能性は否定できないだろう。

 ただし、中国のモータリゼーションは世界に開かれてはいない。路上を行く
クルマの運転者のほとんどは中国人で占められ、インバウンド需要が将来性を
持つとは考えにくい。率直に言って、中国語に堪能でない限りこの広大な大地
をクルマで旅しようとは思わない。島国日本に比べたら圧倒的スケールで迫る
中国は走り甲斐のある環境であるのは間違いないが、簡略体の漢字読み取りの
難易度は似て非なるものだけに厳しい。

 中国の高速道路は自治体ごとに料金を徴収する仕組み。道路は国営ではな
く、各自治体が株式会社方式で運営していると聞いている。何やら日本の道路
公団から民営化したNEXCOを参考にしてる節があるが、仮に自らの運転が可能
だったとしてトラブルに遭遇した時の対処に困難を生じる。中国では上海など
の国際都市を除いて英語が通じる可能性はない。果たして、中国で外国人旅行
者が不安なく自動車旅行を楽しむ日は訪れるだろうか。

  翻って日本。多くの日本人にとって現状は当たり前の光景となっているはず
だが、私らがアメリカやヨーロッパ(EU)の各国を旅するのと同じ気楽さで
外国人旅行者が自動車旅行を楽しむようになっているだろうか?

 そもそも高速道路の有り様が世界の常識から外れている。たとえば高速道路
の通行料金は、国鉄の名残を留めるJRの運賃なかでも飛び切り高い新幹線や
その競合相手の航空料金とのバランスを念頭に設定されているフシがある。身
一つで乗れる公共交通手段と違って、自動車モビリティは現在のところ自前の
クルマを用意した上でさらに法外とも言える通行料金を払う必要がある。

 モータリゼーションの母国アメリカでは高速道路はシステムの基本を成すイ
ンフラでごく一部の有料区間を除いて原則無料。ユーラシア大陸の対岸に位置
する島国で、右ハンドル/左側通行というインフラも共通するイギリスでもモ
ーターウェイに料金所は存在しない。古都ロンドンではクルマの流入制限を目
的としたロードプライシングが実施されているが、空いたカントリーロードの
制限速度は60mph(=96km/h)を許容。その痛快な移動スピードがモーターレー
シングの母国としての地位に結びついている観がある。

  英国は1960年代に自動車産業をはじめとする製造業(モノ作り)中心から脱却
する構造改革を行い、有力な大手自動車メーカーはなりを潜めたが、クルマを
消費することに長けた自動車文化の洗練度は他にはない深みを持つ。そこに独
特の階級社会の存在を認めないわけには行かないが、基本的にフラットな日本
社会とは違うという認識は必要だろう。

  こと自動車に関しては日本のライバルとして位置づけられるドイツだが、自
動車発明の母国であるという事実に加えて、速度無制限区間を現在も残してい
るアウトバーンがドイツ車のブランド価値を不動のものにしている事実は疑い
ようがない。

  日本の自然環境は東西南北それぞれの個性に彩られながら、四季による地域
ごとの特性は世界屈指の変化に富み、四方を海に囲まれた山がちの地形がクル
マが走る道路の多様性を生んでいる。この37万平方キロメートルの国土は、け
っして狭くはなく、道路整備の再構築しだいでは世界中の人々を招き寄せる魅
力に溢れている。

●道路利用2万円/一週間を”安い”と考える外国人がどれだけいるだろう?

  ところが、高速道路の現実に表れているように、日本人は自らの排他性に気
付くことなく自由往来を拒んでいる。国交省に統一される直前の2000年に筑波
研究学園都市において『スマートクルーズ・demo2000』というイベントが開
催された。ASV(先進安全自動車)やITC(高度道路交通システム)、E
TC(電子通行料金自動収受システム)やAHS(走行支援道路システム)な
ど現在の自動運転論議のコアになるソリューションを当時の運輸省と建設省が
それぞれ独自(の縄張り意識)で報道発表を行なった。

 今ある技術の種が明かされた最初の機会だったが、ETCが世界の潮流から
外れたモノだったことからも分かるように、日本の行政官僚の国際感覚のなさ
無謬性に囚われた前例主義(と変化を受け入れない無責任体質)が世界市場で
の覇権を手にする絶好の機会を無にしている。

 大体、日本の高速道路の料金ゲートの無用なまでに立派な設えは、世界一高
額な通行料金を徴収する構えとして存在している。ETCシステムは日本のク
レジットカードだけに紐づけられていて、一部の訪日外国人向けETC乗り放
題プラン「Japan Expressway Pass」(7日間で2万円)を除けば使えない。

 そもそも、7日間の利用で2万円が割安と言っている段階で世界の常識から
ズレている。アメリカや欧州の空港でクルマを手配してキーを受け取れば即走
り出せる事実を知り、高速道路や国境トンネルなど有料ではあるけれど納得の
行くレベルだという現実を身を以て経験していると、日本人は何というお人好
しなのかという思いを禁じ得ない。

 シェンゲン条約(締結国同士だと国境でのパスポートコントロールが不要と
なる)を結ぶドイツとスイスでは原則無料とアウトバーンと年間通行料の支払
いを証明する”ヴィニエット”というシール(30ユーロ)が必要になるスイス
というように違いはある。イタリアやフランスでも有料道路は珍しいものでは
ないが、東京~大阪間の通行料金が新幹線の自由席と2000円しか変わらないと
いう馬鹿げた設定はそうある話ではない。

 役人の悪知恵で、日本道路公団の運営部門を分割民営化して天下り先を設け
た上で、かつての無為無策や負債の累積に対する責任の所在を曖昧にして、そ
のツケだけを利用者に支払わせている。

 自動車が日本の基幹産業である事実を踏まえて、世界で2700万台以上を売っ
た実績を考えれば母国の自動車利用者を優遇して何らかの還元策が講じられて
不思議はない。すでに少子高齢化の進展が明らかとなり人口減少サイクルに転
じて10年。右肩上がりの人口増を前提に構築されてきた公共交通システムが、
技術の進歩に伴うテレワーク化の流れで減収から不採算化=廃線の長期展望が
させられなくなりそうでもある。

  今回COVID-19パンデミック禍は、従来通りで逃げ切りを図れると踏んでいた
既得権益を握る世代の想定は遥かに上回るスピードで時代の変化をもたらす予
感がある。"ソーシャルディスタンス"がキーワードとして浮上し、パーソナル
モビリティならではの『ランダム・アクセス性』がクルマの最大価値の一つと
して再浮上した観がある。

  果たして、安全性を謳い文句に運転当事者の意志を離れて誰か(エンジニア
だったり、行政担当者だったり)の意図するところで集中制御を行なうCASEな
どのテクノロジーのあり方が健全かつ賢明なのか。

  考えるきっかけとして、今回の終わりの見えない厄災パンデミック禍は良い
機会だと捉えてもいいのではないだろうか。               
                                   
-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

2020年6月1日月曜日

有料メルマガの公開第6弾。連投します。期間限定での公開の予定です。定期購読にてのサポート/フォローよろしくお願いします。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第382号2020.5.19配信分


●人間は忘れる動物。その事実を忘れないことが肝心だ

 去る4月7日に安倍内閣総理大臣によって発出された”緊急事態宣言”から
およそ1ヶ月半。すでに5月14日には東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、大
阪府、京都府、兵庫県、北海道の8都道府県を除く39県で『宣言』が解除さ
れ、同21日にも残る自治体の解除か否かの判断が下ることになっている。

 季節は初夏から毎年恒例の”梅雨入り”を経て本格的な『日本の夏』に向か
いつつあり、気温と湿度がウィルスの勢力を弱めるとの期待から人々を恐怖に
陥れた感染”第一波”が遠のいたという気分が蔓延し始めた。100年前の”ス
ペイン風邪”パンデミック禍の経験則に学ぶなら、第二波は必ずやって来るは
ずで、それが真夏の最中にあり得るのか、涼しくなった秋頃になるのか。答え
はCOVID-19ウィルスに対する人々の心構えに拠るのかもしれない。

  緊急事態宣言から今日までの40日余りで、それまでと今後とでは人々の暮ら
しぶりは明確に異なるものになっている。今のところは1億2千数百万を擁する
日本の人口に劇的な変化は訪れてはいない。その意味では今まで通りの個々人
の生活は滞りなく続いている訳だが、この間に休業から廃業を余儀なくされた
り、職を失ったりして生活の糧を奪われた人々が数多く生み出されている。

  日本では緊急事態宣言に基づく自粛が基本となっているが、世界的にみれば
国境を閉じて居住地域に"Stay Home"を強いるロックダウンが徹底され、食料
の調達などの生存に関わる必要最低限の物資以外の需要は停滞し、結果として
供給する生産活動も休止を余儀なくされた。人々の移動は制限され、物資の輸
送も国際間はもちろん国内分も激減して、いわゆるモビリティがCOVID-19以
前の状態に戻ることは容易に見通せない。

  それが日本社会(だけでなく、グローバル化の時代にあっては世界全体がだ
が)が集団免疫を獲得するか、有効なワクチンが開発されるまでなのか。いず
れにしても2年近くを要することになるのが現実的な見方とされている。人は
容易に忘れ過ちを繰り返す生き物だといわれる。私の実感としては、1973年の
オイルショックの際に垣間見た”トイレットペーパー騒動”の教訓がまったく活
かされることなく2011年の3.11(東日本大震災)でも再現され、今般の新型
コロナウィルス禍でも店頭から品物を買い占める群衆がゾンビの如く蘇ってい
る。

 人間、未知のモノほど恐いものはない。お化けが恐いのは、それが何者か分
からないからで、闇夜の木陰にまとわりついた布切れだと分かれば「なぁん
だ」となる。COVID-19に人々が震撼するのは、SARSに似たウィルスでありなが
ら基本的には未知の存在であり、有効なワクチンのない感染症であることに由
来する。全国的な知名度の芸能人の死亡事例が身近な問題として恐怖を募らせ
たこともあり、世界的にみれば異例ともいえる低い死亡者であるにも関わらず
社会を身構えさせ続けている。

●50年のキャリアを有する現役ドライバーは果たして何人いるだろう?

 広く目を世界に転ずれば、最大の感染者と死者数を数えているアメリカを始
め、ドイツ・イタリア・スペイン・イギリス・フランスなどの欧州各国から発
生源とされる中国や広大なアジア諸国と北半球ではほとんど例外なく感染が拡
大し、これからウィルスが勢いを増す冬季に入る南半球がパンデミックの洗礼
を受けると予想されている。

 時代はグローバリズムの真っ只中にあり、世界はサプライチェーンや食料物
資の貿易などで一体化を強めている。北半球での感染拡大が南半球に移り、季
節が巡れば再びその反転減少が起きる。一度パンデミックに陥れば、事態の克
服には複数年を要する。人類の歴史には100年単位で感染症の大流行が繰り返
され、その都度社会が大きく変革したことが記録されている。

 ひとつ注意しなければならないのは、スペイン風邪の1920年頃の世界人口は
約18.6億人。日本のそれは5600万人だった。現在の世界人口は76.5億人を数え
てなお増加中であるいっぽうで、日本は2008年(1.28億人)をピークに減少に
転じて世界最速で少子高齢化社会を迎えようとしている。

 スペイン風邪は世界人口の4000~5000万人(一説には1億人)の命を奪い、
日本でも38万人の犠牲者を年を跨いだ複数波の感染で出したとされる。科学と
技術の進歩によって、現下のCOVID-19がスペイン風邪ほどの猛威を奮い悲惨
な結果を生むとは思えないが、感染症の歴史から言ってこのまま収束するとは
考えにくい。

  風薫る五月晴れがあったかと思えば梅雨の走りで肌寒い日もある。変化に富
んだ日々こそが日本ならではの風土というものだが、さて今の日本社会にそれ
を味わい楽しむ余裕があるだろうか。

  嫌でも明日はやって来て、未来は現実となりすぐさま過去になって行く。ど
うなるか分からない現実に翻弄され右往左往するのではなく、歴史に学んで在
りたいこれからの姿を考えて、今まで通りに安住しようとするあまり抵抗勢力
と化すのではなく、行動の中から答えを見出したいものである。

  そのためには、過去の検証は欠かせない。言うまでもなく私は自動車人であ
り、クルマがある暮らしを前提に考える者である。自動車ライター歴は43年目
に突入し、運転免許歴は50年を数える。現役で免許保有が半世紀を数えるドラ
イバーが果して日本に何人いるだろうか?

 私は軽自動車免許が存在した1968年に資格年齢(16歳)に達していた最後の
世代だが、それを含めても50年は相当ハードルが高い。1970年当時の総人口約
1億人に対して、二輪を含む免許保有者数は26,449,229人(内女性は4,765,63
0人)。総人口に占める割合は4人に1人の割合でしかなく、自動車保有台数
は乗用(約727万台)・貨物(約808万台)・乗合/特殊(約48万台)の4輪車
に2輪車(約70万台)を加えた約1650万台とこれも現在の5分の1のオーダー
である。

●平成のデフレ環境で育った価値観にクリエイティビティはあるか?

 私が18歳で運転免許証を取得した1970年は、戦後復興期を経た高度経済成長
のピークの年だったが、実は日本という国にとっては国際的に見てまだ発展途
上段階。この年からの約40年間でさらに人口はさらに2500万人増加し、それに
伴う内需拡大によって成長軌道に乗ってきた。

 オイルショック(1973年)に伴う1970年代の停滞から、同時に強化された厳
しい排ガス規制の克服を経て、まず拡大した国内市場でのシェア争いで切磋琢
磨。資源環境問題の国際的なニーズの高まりで競争力を手にした日本(自動車
産業)は、主要貿易相手国のアメリカとの間で(現在の中国が直面している)
経済戦争を展開。当時から輸出の自主規制で対応するもアメリカの切り札円高
/ドル安を容認するG5(先進5ヶ国蔵相中央銀行総裁会議)の『プラザ合
意』を呑まされ、急速な価値高騰によって行き場(投資先)を見失った”円”
がバブル経済を招来した。

 そこまでは悪くはなかったが、不動産投機に嫉妬する庶民感情に突き動かさ
れた当局がアクセルとブレーキを同時に掛ける総量規制によるハードランディ
ングを強行。ちょうど昭和天皇の崩御が重なる自粛ムードと併せて一気に不景
気風が吹き荒れて、結果的に『失われた30年』とも称される平成のデフレ時代
に明け暮れた。

 プラザ合意から10年後の1995年は、阪神淡路大震災とオウム地下鉄サリン事
件で明け、寅さんの『男はつらいよ!』が最終第48作「寅次郎紅の花」が渥美
清の遺作となり終焉を迎えたことで記憶されるが、日本の自動車産業は日米自
動車協議が妥結を受けて輸出主導から米国を手始めとする海外現地生産に舵を
切ることで活路を見出す道を進む決断を下す。

 これによって本格的なグローバル化に突き進んだと評価することも出来る
が、いっぽうで日本国内で磨き上げた『規格大量生産システム』がオフショア
の波に乗っただけとも言える。国内における昭和の成功体験を、従来の延長線
上に置いて国外展開を図っただけ。アメリカや欧州の自動車先進国に見られる
ような社会システムやインフラや法整備が整った環境下ではトヨタのお家芸で
もある『カイゼン』や原価低減がライバルとなる競合他社に対するアドバンテ
ージになり得る。

 すでにバブルの入口となる1980年代後半には、日本国内の交通法規に始まる
道路環境に対して自動車産業の技術力は過剰領域に達しており、比較的許容範
囲の大きい先進国を中心とする国際市場に活路を見出すタイミングに差し掛か
っていた。さらに本質論を深めて行くと、日本国内のクルマを取り巻く社会的
あるいは法的な環境を国際標準に照らしてアップデートする必要があったのだ
が、戦後の経済復興に邁進しその成功体験に自縄自縛となった行政官僚機構
が”国際化”を阻む『抵抗勢力』として立ちふさがった。

  自国内での”Freedom of Mobility"を頑として認めようとしない規制だらけ
の状況は、何もしないことが評価される前例主義と成功よりも失敗を殊更恐れ
る無謬性に基づく無責任体質に象徴される官僚体質の産物と断じて良いだろう。

●今ある状況は、長い歴史の果てにあるもの

  以上の視点から問い直すべき未来に向けて早急に成すべきテーマは概ね二つ
に分けられると思う。ひとつは、日本車の走りのパフォーマンスに対する価値
観の再構築だ。最大の問題点は、自動車メディア/ジャーナリストの歴史観の
欠如にあると思っている。

 当然のことながら人は経験の中に生きている。原体験として事実をリアルタ
イムで生きていなくても学ぶことはできる。その上で追体験の形で理解を深め
ることは不可能ではないと思う。問題は、伝聞を鵜呑みにして裏取りをするこ
となく信じ込み吹聴することだろう。

 クルマは技術の上に立っている。原初の馬なし馬車の段階から、脈々と続い
た改良と新たな技術の追加によって、電気や電子制御なしでは動かない複雑な
メカトロニクスの塊となって今があるわけだが、その目的は”走る””曲が
る””止まる”という運動をひとまとめにした移動・モビリティにある。より
速く、より安全に、より快適に、そして経済的に……というスローガンは、ク
ルマが誕生して以来連綿と追及されて来た。

 時間軸で言えば、C.ベンツとG.ダイムラーが1886年に発明した2タイプ
の自動車誕生から134年だが、クルマはもとよりクルマだけでは機能を果たし
得なかった。少なくとも19世紀から20世紀にかけてはそうで、自動運転やその
前提となるADAS(Advanced Driver-Assistance System:先進運転支援シス
テム)が実用化され無人運転が現実味を帯びることになったのは21世紀に入っ
て情報技術ITが実装可能になってからのことである。

 元々の基本はFreedom of Mobilityという自動車の最大価値である移動の自
由があり、人間にとって身も蓋もなく付いて回る身体を自らの意志に基づいて
運ぶことから手段としてのモビリティツールとしてクルマが考案された。重要
なのはエネルギー源で、19世紀中頃に石油の商業採掘が始まり、産業としての
石油が確立するのにともなって大規模油田の開発と発見が促進されて、およそ
100年の時間軸の中で14億台に迫る世界の自動車保有台数という普及が現実と
なった。

  クルマの普及は都市とその郊外に広がる農業の関係を確立し、自動車化=モ
ータリゼーションの名の下に国のあり方も変えて行った。その元祖は19世紀の
商業油田の開発(ペンシルベニア州タイタスビルのドレーク油田)に始まり、テ
キサスの大油田群の発見に伴う石油産業の確立とその必然として生産される揮
発油(ガソリン)を廃棄物から燃料とする自動車がアメリカ合衆国という国を形
作る原動力となった。

 100年近く前の1927年に累計1500万台を数えるフォードモデルT(1908年
~)が量産され、『農民を泥濘から救え』のスローガンの下でUSハイウェイ
が建設され、欧州の古都とは異なる都市構造と広大な国土に展開された世界最
大の農業国家としての機能が古代から長い歴史を有する国々とは違う”ニュー
ワールド”の趣を際立たせた。

●フランスの山道で老婆にぶち抜かれて愕然とした

  注目すべきは、モータリゼーションの母国アメリカは単にハードとしてのク
ルマの機能性能に期待しなかった点にある。広大な国土が背景になっているの
は間違いないが、都市も郊外を結びつける道路などのインフラもクルマを機能
的に走らせる法整備やドライバーの習熟もほぼ一体となって形作られ、それぞ
れが有機的に結びついて世界最大の自動車消費地にして多様な価値観を受け入
れるクルマ好きの国として今がある。

 もちろん50ある州はそれぞれに個性があり、日本人がアメリカと認識するカ
リフォルニアやニューヨーク・マンハッタンばかりがUSAではない。ボスト
ンのマサチューセッツ州とダラスのテキサス州ではオランダとスペインほどの
違いはあるだろう。

 私のアメリカ初体験は1980年代前半のことだが、先んじて踏み入れたヨーロ
ッパの国々(フランス・スイス・イギリス・ドイツ・イタリアなど)と違って
茫洋として掴み所がない雰囲気になかなか馴染めなかった。EU統合以前の欧
州は、米国の州より小さな国々が独立して個性を発揮することから分かりやす
く思えた。

 初めての渡航先となったフランスが海外ドライブの初体験だったが、郊外の
ワインディング路で年配の女性(というよりはっきりと老婆)にコーナーでぶ
ち抜かれた衝撃は忘れられない。これでも富士SWのレース現役を退いてまだ
2年の28歳の砌(みぎり)である。ショックもショック、大ショックだった。

 あれからもう40年になるわけだが、当時の欧州車が現在のようなパワーとス
ピードに依存するクルマだらけだったかというとまったくそうではない。私が
1980年の初渡航の際に2週間で約5000kmを走破したのはレンタカーのルノー
5。エンジン/ミッションを縦置きに前後反転して搭載したモデルで、最安値
のレンタカーゆえラジオの装備もなかった。

 今なら当たり前のNAVIもなく、街中で手に入れた地図が頼り。これでスイス
で5泊ほどした後ドーバーをフェリーで渡ってロンドンに入り、家内の親戚と
いうケーキ職人(奥さんはイギリス人)の家に何泊かしてシルバーストーンF
2(ホンダの復帰第2戦)をカバー。取って返してフランスルマン24時間を取
材して、無事帰朝を果たしている。

 この時確信した”ドライビングスキルは語学力を補って余りある”は後進に
は是非伝えたい金言となっている。富士フレッシュマンレースに始まる散財の
歴史は『人生に無駄はない』を実感させた。この初渡航の経験が、後に巡って
きたチャンスに前向きな姿勢を可能にし”運は前髪でつかめ”を実践させた。
出来る出来ないは二の次でいい。とにかくやってみて、失敗したらとりあえず
凹んで、そこから学べば済むだけの話なのである。

●1982年の3代目アウディ100は2200cc105馬力で200km/h巡航を可能にした

 欧州はクルマの本場であるという。誰が言ったか知らないが、通り相場のよ
うに常套句として用いられる言葉であるようだ。その代表格としてドイツ車が
あるわけだが、私が知る1970~1980年代のドイツ車は今ほどパワー志向ではな
く、非常に合理的な思想性を感じさせる存在が多かった。もちろん当時の国際
基準に照らせば高度な技術力とクラフトマンシップを感じさせる作りだった
が、性能的に驚く存在は少なかった。

 一世を風靡した初代ゴルフは、ジウジアーロデザインの欧州合理主義を具現
化した軽量コンパクトなFF2ボックス。実はデビュー年次で言えばホンダの
初代SB1型シビック(1972年)に遅れること2年であり、シビックがアメリ
カでブレイクしたのとは対照的にアメリカ現地生産でビートルに代わる存在と
して本格進出を狙うも、製造品質の低さから失敗に終わり後々まで響く禍根を
残している。

 2015年に発覚したVWのディーゼル排ガス不正は、捲土重来を期してトヨタ
のハイブリッドに対抗するエコパワーとしてTDi(コモンレールディーゼ
ル)を普及させようという悲願が根底にあった。2008年、2009年のカリフォル
ニア・グリーンカーオブザイヤー(LA国際オートショー開催時に発表)を連
覇したからくりが明らかになるのに数年を要した勘定だが、VWにとって米国
は喉から手が出るほど欲しい”ドル箱市場”だったということである。

 話を1980年前後に戻すと、当時のドイツ車は他の欧州車やダウンサイジング
に苦しむ米国や発展途上段階の日本車に比べると相対的には優れた存在だった
が、内実は質実剛健を地で行く。

 先述の初代VWゴルフもそうだが、印象的だったのは1982年デビューの3代
目アウディ100。全長×全幅×全高×ホイールベース=4805×1815×1420×269
0mmというスケールをCd値0.30という空力ボディに磨き上げ、わずか2.2リッ
トルの小排気量(105馬力)で200km/hの巡航を可能にした。

  現在では速度無制限のアウトバーン育ちがドイツ車の高性能を物語る枕詞の
ようになっているが、実はジャーマンスリーがハイテク/ハイパフォーマンス
に手を染めるのはずっと後になってから。

 私は、自分なりの評価基準となる”メートル原器”を求めてメルセデスベン
ツ190E(W201)を購入している。時に34歳。折悪しく前年12月に取材中の
瀕死の重傷を負ってはいたが、信念に基づいて当時ヤナセ仕切りで500万円の
プライスタグのついた5速MT右ハンドルのカタログモデルを手にした。2リ
ットル直4SOHCは115馬力に留まったが、Cd値0.33と空力性能を磨いた
5ナンバーサイズのコンパクトボディは190km/h近い最高速を可能にし、乗り
味はSクラスから乗り換えてもちゃんとメルセデスを感じさせる存在感を秘め
ていた。

 W201には後にDTM(ドイツツーリングカー選手権)を席巻する2.3-16V
というDOHCエンジン搭載車も加わるが、上級のEクラス(W124)も当初
はSOHCであり、Sクラスも同断。性能が得られるなら、メカニカルな構造
はシンプルが良いという哲学が感じ取れる仕立てだった。

●日本の法定最高速度は100km/hでしょう? このベクトラの性能は十分です!

 取材を通じて印象に残ったのは、当時GM傘下ということで同グループの日
本メーカーいすゞがオペルのブランニュー『ベクトラ』を導入することになっ
た際(1989年)の話である。2リットルDOHCエンジン搭載が噂に上り、そ
れは是非日本市場に導入した方がいいと伝えると「我々のSOHCエンジンは
アウトバーンで実績があり十分な性能を得ている。日本の高速道路は100km/h
の法定速度が施行されているから不足なんて考えられない」そんなコメントが
飛び出した。

  その通りだが、日本では高性能はイメージであり実際に消化できない分余計
にその事実が価値を生む。理屈に合わない論理が理解されるはずもなく、一笑
に付されてしまった苦い想い出がある。

  実は、ドイツは性能が正味で消費される分、合理性の伴わない過剰な装備や
性能に対しては冷徹な面があった。環境性能についても超高速で走れるアウト
バーンがあることで高速性能に対するほどには消費者の感度が高くなく、1985
年頃までキャタライザー(触媒)なしのゴルフGTIが有鉛ガソリンとともに併売
されていたと記憶する。また東西冷戦下ということで電子制御化にも及び腰。
電磁パルスによって立ち往生することを嫌った結果だと聞いた。まだ東西ドイ
ツが分断されていた時代の話である。

  この時代を知っているかどうかでドイツ車を評価する価値観に差があるよう
だ。実は、世界のエンジンパワー競争を仕掛けたのは日本メーカーだった。

  意図してそうしたかどうかはともかく、ポストオイルショック/排ガス規制
の1980年代に激化した国内シェア争いで何でもありのパワーゲームが進行。そ
の究極がヴィンテージイヤーとして振り返られる1989年に登場した280馬力の
自主規制高性能車群である。

 なかでも象徴的な存在として位置づけられるR32型スカイラインGT-Rは、
1985年に国内ツーリングカー選手権として始まったグループAの車両規定を精
査して、それに勝つべく開発された。2600ccの排気量も、収まるタイヤサイズ
から割り出されたアテーサE-TSという4WDシステムも、その一点に集中して開
発された。最大の問題点は、商品企画が国内限定だったこと。

 直6ツインターボのFRベースの4WDということで左ハンドルは当初から想定
されておらず、R33、34と併せても7万台規模に留まったそう生産台数を考え
ると減価償却は難しい。母体となるスカイラインシリーズ3代が好調であった
ならばまだしも、GT-Rの名声ほどにはビジネス的成功は認められなかった。

 要するに、エンジニアの暴走であり、経営マネージメントが機能しなかった
と結論づけられる。その結果としてのNRP(日産リバイバルプラン)に至る
破綻劇立ったわけである。この辺りを冷静に分析することなく、倒産寸前に至
ってもなお称賛を続けた自動車ジャーナリズムの”お花畑”状況を指摘する声
は稀だ。

●R32GT-Rがポルシェの目を覚まし、NSXがフェラーリを変えた

 この日本のヴィンテージイヤーはバブルの狂騒の最中に訪れた。トヨタのセ
ルシオ、日産のインフィニティQ45、フェアレディ300ZX、スカイラインG
T-Rに続いて、ホンダ(アキュラ)NSX、ユーノスコスモ、三菱GTO、
少し遅れてトヨタスープラ80とまさに百花繚乱の様相だが、これらが欧米のプ
レミアムブランドを慌てさせた。
         
 スカイラインR32GT-Rは、ほぼ純然たるドメスティックブランドと位置
づけられていたが、開発の拠点にドイツのニュルブルクリンクを置き、仮想敵
としてポルシェ911を掲げた。かつての式場ポルシェカレラ904vsスカイライン
S54の伝説を意識しなかったわけではないはずだが、とばっちりを受けたのは
ポルシェである。当時の911カレラ(964)は空冷3.6リットルで250馬力、ター
ボで320馬力というパワースペック。自主規制の280馬力はターボにとっては有
名無実であり、そのスピードがポルシェのプライドを傷つけたとしても不思議
はない。

 翌1990年デビューのNSXは、基本的にアメリカのプレミアムブランド
ACURAのフラッグシップスポーツとして企画されたというのが本筋。これ
が当時のフェラーリにとって最大かつ最重要市場だったアメリカで旋風を
巻き起こす。当時の主力348は300馬力。動力性能ではほぼ互角のレベルに
あり、ユーティティスペースやタウンユースでの扱い勝手においてフェラー
リの意識改革をもたらすインパクトを秘めていた。

  この独伊のブランドスポーツの両巨頭の尻に火をつけ、それまで眠っていた
ような欧州のプレミアムブランドスポーツを覚醒させたという点において、バ
ブル期の日本のパワーゲームが生んだムーブメントは意味深い。それまで格下
の新興勢力と見下していた日本メーカーが具体的な脅威として立ち現れた。国
際舞台で従来の既得権益に浴して安閑としていた伝統的な老舗ブランドに、ま
だ市場が残っていることを知らしめたということでも、日本車のグローバル化
を考えるポイントとして考えられる。

 そして、ふたつめとしては、日本の走行環境の抜本的な見直しを挙げないわ
けには行かない。

  日本の改正道路交通法が、1962年以来ほとんど手つかずのまま法定最高速度
を維持していることはすでに何度もこのメルマガで紹介している。実証実験と
称して第二東名や第二名神などといった新たな規格で設計されたインフラで試
されているが、法改正をともなう抜本的な変更が行なわれる気遣いはない。

  すでに過去50年間以上に渡る自動車産業の切磋琢磨の結果、日本車は超高速
のプレミアムスポーツカテゴリーに関しても世界の有名ブランドと肩を並べる
実力を身に付けている。

●危機は好機になり得る。日本の国土は決して狭くはなく、魅力的な変化に富

  主力といえる量産モデルについてもそうで、例えばマツダの現行ロードスタ
ーなどはわずか1.5リットルの排気量ながら200km/hに迫る超高速巡航をフルオ
ーブンで楽しめる域に達している。日産GT-RやホンダNSX(2代目)、トヨタ
LC500/500hなどといった500馬力、300km/h超級のハイパフォーマンススポー
ツを輩出する技術レベルに達しているにもかかわらず、道交法が定める高速道路
の法定最高速度は半世紀以上前の発展途上段階に据え置かれている。

  日本は、かつて高知県在住の警察官が創作したとされる『狭い日本、そんな
に急いでどこへ行く』と言うほどには狭くも小さくもなく、北海道の最北端か
ら九州最南端まで目を三角にして走ったとしても2日で走破できるスケールと
は違う。津軽海峡は自動車専用道がなく、ここをどう渡るかでコストと時間が
大きく変る。

 何よりも日本の自然環境は東西南北にわたって変化する多様性に富み、北海
道、東北、甲信越、関東、東海、中部、近畿、中国、四国、九州と4つのメイ
ンランドだけでも山紫水明/風光明媚のバリエーションに事欠かない。

 ランダムアクセスこそが自動車のモビリティにとって最大の利点であり、他
の公共機関とは異なる自在性と自由度に期待が寄せられる。今般のCOVID-19
パンデミック禍で露顕した『三密』や『ソーシャルディスタンス』という視点
からも、パーソナルモビリティを基本とする自動車の機能は再認識するに値す
る魅力に富んでいる。

  すでに少子高齢化がメガトレンドとして定着しつつあり、10年以上前から人
口減少サイクルに転じたことは誰もが知っている。現状の感染拡大は転機であ
ることを明確にしたという点で重要で、今まで通りのままで済むことはないと
いう厳然たる事実を共有して、未来をどのように形作るかを議論する必要性に
迫られている。

 果たして、首都圏を中心とする東京一極集中という国土のあり方でいいのだ
ろうか。大阪や名古屋や福岡や仙台、札幌といった大都市圏に集約して効率を
追及することに疑問を抱く必要がありそうだ。リモートワークの可能性が必要
に迫られた結果として現実化したように、中央集権的に集めて効率を図るより
も、地方分散型のネットワーク型で過疎と過密の偏在を解消することの意味が
見えてきた。

 人口減少の流れの定着にともない大量輸送という右肩上がりに人口が増え続
けることを前提にした公共交通機関がいつまでも採算が合うとは限らない。こ
こ数年で盛り上がったCASEやシェアエコノミーも、誰の管理に従うかと
か、ハッキングのリスクをどう取るかを考えるとき果して現実的かという見方
も出来るようになっている。

 今回のパンデミック禍は、今まで通りを前提にした平時の考え方が変化を求
められる時代には適応できず、大胆な発想の転換が求められることを示唆して
いる。その多くは未来を長く生きる若い世代の判断に委ねるのが正しく、旧世
代は「自動車の魅力は実はこういう点にあるんだよ」といった本質論を語り、
選択は彼らに任せるのが正解であるような気がしている。

 変るべきときに変れないと、後悔する時が必ずやって来る。それをこれまで
何度経験したことか。逃げきりを図る老い先短い既得権益層を見逃して、未来
が痩せ細ることだけは避けなければ、と思う。              
                                   
-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com 

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki 
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster