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2020年7月9日木曜日

6月16日配信のまぐまぐ!メルマガ『クルマの心』第386号を掲載します。通常有料配信ですが、広く存在を知って頂くために過去分を期間限定でアップします。スマホでは画面を横にしてご覧ください。driving-journal.blogspot.com

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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第386号2020.6.16配信分


●「近頃気になる言葉なんですよ」

 テクスチャー(Texture)は、直訳で「素材感」や「材質感」を意味する。
色や明るさといった材料の視覚的な均質さや触覚的な力の強弱を感じる凹凸の
ような部分的変化を、全体的に捉えた特徴や材質感覚や効果を指す。言葉を重
ねると何やら難しい響きとなるが、平たく言って目や手で”触れた”際の触感
……目触り(そんな言葉は聞いたことがないが)、手触りといったことになる
のだろうか。質感という言葉が一般化してかなりの時間が経ったように思う。

 「近頃気になる言葉なんですよ」世界的な評判を得ているマツダデザインの
中山雅氏に、ある時尋ねてみた。中山さんが山本修弘主査からロードスター
(ND型)開発主査を引き継いで間もない頃だったと思う。

「ああっ、それってローレンス(ヴァン・デン・アッカー:前マツダグローバ
ルデザイン本部長。現ルノーコーポレートデザイン担当副社長)もよく言って
ましたね、テクスチャー。」

  現在のマツダデザインと言えば、前田育男常務執行役員がデザイン本部長就
任時(2009年)に捻出して一時代を築いた魂動デザインで知られるが、前任の
ヴァン・デン・アッカー氏は在任中(2006年5月~2009年5月)に”ながれ
(流)=NAGARE"デザインを提唱した人物だ。

 その進化形は現在のルノーデザインに見ることができる。インハウスデザイ
ナーとしてメーカーに帰属するのが一般的な日本の違って、イタリア・トリノ
のカロッツェリア(デザイン・システム社)でキャリアを始め、アウディ、フォ
ード、マツダ、ルノーと渡り歩いてキャリアアップした職人気質。"ながれ"
は在任期間が短く消化不良気味に終わったが、現在のルノーデザインの評価は
悪くない。

 日本では市場性の薄さからメディアの俎上に乗る機会は少ないが、デザイン
がブランドアイコン化しているという点で、メルセデスベンツのチーフデザイ
ナーゴードン・ワグナーやマツダの前田育男と同様のタレントと言えそうだ。

 テクスチャーという表現は、様々な世界で用いられている。たとえば化粧品
ではクリームの滑らかさや伸びの良さといった触感を表す言葉としてごく普通
に使われる。女性誌の世界では、金属・紙・木・液体・布・食べ物などといっ
た様々なモノの手触りや食感を表現する時にごく普通に用いられているようだ。

  このような感覚世界の話は、馬力性能や結果としてのスピード、エンジンや
サスペンションなどのメカニズムや数値/形式などカタログに諸元として記載
されるデータの数々……モノ同士の比較で楽しめる左脳志向の男の子文化たる
自動車メディア界ではもう一つ引きが弱い。

●近頃の”試乗インプレッション”が決定的にツマラナクなった理由

  だが現実問題として、現在の市販乗用車はたとえそれが軽自動車でもフルに
そのカタログスペックを引き出して走りを堪能することなど叶わない。多くの
人は、500馬力超で300km/h以上で走れるハイエンドスポーツカーを『高性能』
だと信じ、それを手にすれば己も満喫できると踏んでいるが、現実は絶望的と
言えるほど遠い。

  手に負えないほどの超高性能が、必ずしも優れた乗り物であることを意味し
ない。誰もが何となく気がついていることだが、ほとんどの人がその生涯で経
験する機会に恵まれないという事実が、"ファンタジー"を永遠のモノにしてい
る。身も蓋もない『お伽話』が今もなお成立しているのは、実際に手を触れる
可能性がないというバーチャル感覚の成せる技だろう。

  いっぽうで、身の回りのことが情報の主体となる女性誌では"テクスチャー"
はリアリストの女性にとって大きな関心事ということだろうか。

  翻って男の子文化が色濃く残る自動車専門誌では、実感をともなう感覚表現
(指先から入る情報や見た目から感じ取れる微妙なバランスの悪さなどといっ
た)よりも、もっとも強力な言語でもある数字に裏付けられた論理的説明をし
たほうが、情報の送り手と受けての双方がお互いに安心できる。

  振り返ってみれば、私が長く関わってきた自動車メディア界は、その存在が
社会性を得た昭和末期の10年間(昭和53~63年=1978~1989年)で花開いた
成功体験が忘れられず、ひたすら往時の姿を追い求めて30余年を浪費してき
た。高度経済成長のツケを払わされるように深く沈んだ1970年代。オイルショ
ックと厳しい排ガス規制を正面から受け止めることで克服し、その過程で手に
入れた技術力を背景に国際舞台での成功を引き寄せた。原油は高止まりしたが、
それ故に省エネと環境技術は国際競争力が問われた時代に価値を生む。

 永遠の成長が信じられ、1億総中流という皆が揃って(物質的)豊かさを実
感する。マークII三兄弟(クレスタ・チェイサー)が4万台/月と文字通り飛ぶ
ように売れ、沸騰する国内乗用車市場でのシェア争いは一国に9社(トヨタ・
日産・マツダ・三菱・ホンダ・いすゞ・スバル・ダイハツ・スズキ)がひしめ
き合う中で多様性の限りを尽くす活気に溢れた。

●100km/hを越えると『キンコンカン』と警告チャイムが鳴った

 実は、日本の総人口は1億人を突破した1970年からピークの1億2808.4万人
を数えた2008年まで右肩上がりの増加プロセスにあり(1980年は1億1706万
人)、21世紀目前の2000年でも65歳以上の高齢者比率は17%(2200万人)に留ま
っていた。1980年代の栄華は、円安(=ドル高)に業を煮やしたアメリカによ
るG5プラザ合意で終焉に向かうが、為替で価値が倍増した『円』を発展途上
段階のメンタリティで消化しきれなかったことが、遂に変ることが出来なかっ
た今日につながっているようだ。

 貿易輸出で利益を得るには日本の国内向け商品(5ナンバー枠が中心)の転
用では採算が取れず、ポストバブルの国内市場蒸発に伴う不況はバブルに踊っ
た負け組と慎重を期して波に乗れた勝ち組に明暗を分けた。

 すでに1980年代をリアルに振り返ることが出来る世代は現役を離れ、マツダ
のフォード支配やC.ゴーン氏登場に至る1990年代の出来事が歴史の範疇とな
った今となっては、当時を正確に振り返る機運は薄れている。20年後の現実を
ベースに、過去を振り返る旧態依然の既得権益層が幅を利かせ始めた。

 困ったことに、本来はジャーナリズムの立場から史実を現在に伝える役割の
既存メディアが、インターネットというディスラプティブ(Disruptive=破壊
的な)テクノロジーが登場した結果、自らの存亡を賭けて既得権益層に与する
抵抗勢力と化し、誰のために何のために情報発信するのかという本筋を忘れた
変化を阻む存在になりつつある。

 日本の自動車産業が発展途上段階にあった1980年代までは、西欧やアメリカ
といった自動車先進国の背中を見ながら”追いつき追い越せ”というキャッチ
アップ型の報道姿勢も許された。まだ見ぬ世界を知ろうという欲求は、豊かさ
を実感するには至っていない段階では社会全体が上を見ていた。情報の送り手
受け手ともに共有する感覚は同じ。馬力競争は無邪気に楽しめたし、ゼロヨン
加速や最高速データに一喜一憂し、(筑波)サーキットでのラップタイム競争
にも際限のない期待を寄せる気分が横溢していた。

 しかし、技術は激化する国内のシェア競争の中であっという間に蓄積され、
10年を待たずに国際基準に迫り凌駕しつつあった。日本には1962年以来道交法
によって法定最高速度が100km/hに規定され、1980年代前半には速度警告チャ
イムが標準装備となった時期もある。100km/hを越えると『キンコンカン』と
警告チャイムが鳴る。法治国家としては正しい装備だが、すでに法定速度が現
実の交通の流れに合わなくなっていて、非装備の輸入車との関係もあって間も
なく廃れた。速度計は実性能とは関係なく180km/h表示に制限され、スピード
リミッターもそこで打ち切りとなる設定となった。

  一方で、それまでの経済的成長を支えていた円安為替環境が、1980年代央に
最大貿易相手国アメリカの意志で切り上げられ、まだ拡大の余地を残していた
国内市場中心のクルマ作りは転機を迎える。円高で不利となった貿易輸出でも
収益が得られるクルマ作り=国際規格に見合う商品企画が問われるようになる。

●今ある世界の馬力競争を仕掛けたのは間違いなくバブル期の日本車だ

 昭和末期から平成初期に訪れた日本車の爛熟は、電子制御を軸としたハイテ
ク/ハイパフォーマンス技術の盛上がりと降って湧いたバブル景気が複雑に絡
み合った結果だった。輸出がほとんど考慮されないスカイライン(R32型)の
頂点に位置するGT-Rは、当時の日本車の現実を知る”考古学的”価値のあ
るクルマだ。

 投入は、拡大を続ける国内自動車市場を前提に『技術の日産』というブラン
ドイメージをより強固にする狙いがあったと思う。経営層が優秀であればエン
ジニアのテクノロマンを退けてでもコスト意識を持った開発の健全化を目指し
たはずだが、浮かれた社会の勢いに呑み込まれる。

 日本選手権のタイトルが掛けられたグループA規定のツーリングカーの車両
規則を精査し、磐石のパッケージで勝てるマシンを作る。後にWRCを闘う三
菱ランサーエボリューションもスバルインプレッサWRXも同様のコンセプト
で開発され、1990年代の世界ラリー選手権を席巻することになるが、時代の勢
いに乗っただけとも言える日産・三菱・スバルが世紀末にいずれも破綻の淵ま
で行った事実はけっして偶然ではないだろう。

 昭和末期から平成初期の市場の活況はバブルであり、そこでの判断が後の命
運を分けた。これは後知恵で言うのではなく、活性化する1980年代の国内市場
において切磋琢磨する自動車メーカー開発陣を取材し、自らも躍進を続ける日
本車の体力測定に雑誌メディアを通じて関わった実感から、”それは違うだろ
う”ということに気付いた。そのことが今日に至る意見のベースになっている。

 所管の通産省(当時)が自動車メーカー各社に対して行なった施策が、今も
なお変れない日本の行政を象徴的に表している。国内における激しいシェア争
いの結果ヒートアップした『パワー競争』は、1980年代央には200馬力の大台
を突破。1988年の日産シーマⅠが3ナンバー専用ボディと当時最強の255馬力
V6DOHCターボと500万円という値付けながら"社会現象"ともいえる大ヒット
となり、折からの金余り現象にともなう好景気のうねりが合わさって高価な高
性能/高級車が社会的に受け入れられるようになった。

 実を言えば、輸入高級外国車が日本社会で抵抗なく受け入れられるようにな
ったのはこの頃が最初である。私が自身の価値判断基準を求めてメルセデスベ
ンツ190E(W201)を購入した1986年当時はまだ奇異な目で見られがちで、
当時34歳の駆け出しフリーランサーだった境遇を思い起こすとけっこう寒い。

●日本の自動車市場を窮屈にしているのは誰か?

 昭和末期のイケイケムードの中、日本車の走りのパフォーマンスはグングン
国際基準に迫り、シーマ現象を経てピークに差し掛かる。そこに元号が昭和か
ら平成に変る1989年が位置して、ヴィンテージイヤーとして振り返られるのは
結果論に違いないがここに投入されたニューモデルは、たとえばCOTY(日本カ
ーオブザイヤー)1989-1990のノミネート10車の内スカイライン(GT-Rを含む)
と軽自動車の三菱ミニカ以外はすべて輸出を前提に商品企画が進められている
(トヨタセルシオ/MR2・日産インフィニティQ45/フェアレディZ/スカイライン
・ホンダアコードインスパイア-ビガー/インテグラ・マツダユーノスロードス
ター・スバルレガシィ)。

 ブランニューのセルシオ、インフィニティQ45、スバルレガシィはいずれも
後の各社の屋台骨を支える主力モデルと化し、国内よりも海外市場において高
く評価されるアイコン的存在に成長しているが、レスサスの旗艦として開発さ
れたセルシオ(LS400)も北米市場でZ(ズィー)カーとして親しまれるフェア
レディZもアメリカでG0サインが出なければ日の目を見なかったと言われるロ
ードスターも、法定最高速度100km/hという日本固有の価値観とは離れた(とい
うよりまったく別概念の)グローバル商品として企画されている。

  ドイツのアウトバーンという例外を除けば世界中の国で最高速度を法的に制
限しない国は存在しないが、知るかぎりでは日本の法定最高速度100km/hは先
進国最低であり、世界に冠たる先進自動車生産国とは思えない交通環境のまま
少なくとも半世紀を過ごしている。この間のテクノロジーの進歩やインフラ整
備や人々の習熟度を考えると、変れない行政官僚機構の弊害は明らかだろう。

  すでに人口が減少サイクルに入って12年となるが、都市化と大都市への人口
集中のトレンドは変わらず、過疎化が進んで交通がまばらな地方と大都市圏を
同じルールで縛る合理性が失われつつある。

  バブル期は遠い昔の話だが、国内外にある道路交通環境の格差はそのまま続
いている。テクノロジーの進歩と法整備の時代錯誤が顕在化して久しい。所管
の通産省は、産業振興の立場から自動車の高性能化には肯定的な立場を取る一
方で、警察公安が堅持する法定最高速度には逆らえない。縦割り行政の弊害極
まれりという感じだが、自ら責任を取ろうとしない役人根性は自主規制に走る。

  行政指導という許認可権を笠に着た悪知恵で自動車産業界に下駄を預けた。
当時の技術力はすでにリッター100馬力はNA/ターボに関わらず現実的にな
っていて、事実として輸出向けのフェアレディZやNSXや三菱GTOなどは
300馬力を公表するレベルにあった。その事実が欧州のプレミアムブランドを
慌てさせ、ポルシェやフェラーリといった老舗をアップデートに駆り立てた。
世界の馬力競争(闇雲に超高速を競い合うトレンド)に火をつけたのは間違い
なく日本のハイパフォーマンス軍団だと断言できる。

  内外格差の矛盾を誤魔化した280馬力自主規制に象徴されるように、国内法
規(道交法=法定最高速度100km/h)の現実を改めることなく国際商品として
のクルマが抱えるねじれを丸め込む。あれからもう31年だが、状況は1mmも
動いてはいない。時代の変化に合わせてアップデートするという、日本の行政
官僚機構がもっとも不得意とする『無謬性堅持にこだわる余り前例主義から逃
れられない無責任体質』が今につながっている。

  警察・公安など他省庁との縦割り行政の弊害でもあるのだが、国を代表する
基幹産業でありながらクルマの機能性能をフルに活かしたモビリティの構築に
は無関心。この変わらぬ役人体質が、グローバル化して世界に冠たる存在とな
っている日本車と日本国内におけるクルマとドライバーの関係にまったく別の
評価が下る『問題の本質』ではないだろうか。

●バブル期の真相を語れる者が少なくなっている

 バブル崩壊に伴う国内自動車市場は、1990年に777.7万台(内登録車597.5万
台)を記録したところでクラッシュ。200万台以上の需要が蒸発して以来30年
以上にわたってずっと500万台/年規模に留まっている。

 ポストバブルの90年代は、経営陣によって明暗が分かれた。保守的な経営が
奏功して深手を負わなかったトヨタと4代目川本信彦社長の経営手腕で主力セ
ダン系の整備とその派生モデルのクリエーティブムーバーによって息を吹き返
したホンダ。この『勝ち組』とは対照的に、過剰投資とその反動で倒産寸前に
瀕した日産や販売5チャンネル制で躓いたマツダや経営トップの不祥事で傾い
た三菱などの『負け組』が、グローバル化の到来とともに窮地に陥った。

 20世紀最後の10年はすでに歴史の範疇にあり、平成30年間の前半3分の1に
当たる世紀末の1990年代を正確に振り返られる人材も限られるようになった。
現在の50代はまだハタチそこそこの駆け出しであり、当時40代の私より上の世
代の多くは現役を退きつつある。

 現在の自動車メディア/ジャーナリストが激動の当時を正確に振り返ること
が出来ないのも無理からぬところがあるが、その頃から顕在化した出版不況と
サバイバルのための自動車メーカーに依存する業界体質が、今日のパブリシテ
ィ漬けとも言える状況の伏線となっている。

 バブル崩壊にともなう広告出稿の縮小に、Windows95という象徴的なOSの
登場とインターネットの普及が加わってメディアの新旧交代を予感させたが、
何よりも大きかったのが『日米自動車協議』妥結にともなうグローバル化の進
展だろう。為替環境はすでに輸出に厳しい円高/ドル安に振れており、貿易の
相互主義の観点から現地生産化の機運が急速に高まった。

 日本の自動車産業にとってそれはもっけの幸いだった。国内シェア争いで鍛
え上げられた規格大量生産システムの粋を、そのまま国外の生産拠点に展開す
ることで量的拡大が易々と進められた。いわゆるオフショアの勢いに乗って規
模の拡大が図られ、40万台/年というハイピッチで10数年の間に業容を2倍に
高めて世界一を視野に入れたトヨタだけでなく、北米でのライバルとなったホ
ンダもゴーン改革でV字回復を成し遂げた日産もアメリカの好景気に引き寄せ
られる形で日本車の時代を印象づけて行った。

 日本の国内自動車メディアはほとんど言及することがないが、バブル崩壊で
7対5まで行った国内対海外の販売比率は、元の500万台規模にシュリンクし
た国内市場とは対照的に最大で2400万台規模(2017年)に達し、海外現地生産
は国内の2倍以上となる2000万台近くまで伸びている。日本はグローバル市場
の一部といった位置づけとなり、メディア/ジャーナリストが声高に叫ぶ国内
市場回帰路線に同調できる企業はなくなった。諸悪の根源は、クルマを所有す
ることが罰ゲームとなるような旧態依然の行政による規制や重税の数々にある
のだが、そこに正面切って踏み込むジャーナリズムはなかった。

●島国日本の中だけで日本車を語ろうとする愚か者

 日本車が世界的な評価を得ていたことは論を待たない。実績ベースで言え
ば、一国で最大約2900万台(自国を含む:2017年実績)を売り捌いているよ
うに、8社存在する乗用車メーカーが国内よりも世界の市場で高く評価されて
いる。島国の日本だけで見ているとそのスケールの実感が湧かないが、国内市
場専用車よりも遥かに多いグローバルモデルが存在し、日本人の知らない日本
車すら少なくない。

 市場のユーザーだけでなく、メディアに属する者でも現地に赴かないことに
は全貌を把握することは難しい。数年前のことだが、日産広報部がC.ゴーン
CEOと数人ジャーナリストを引き合わせたことがあった。”ガス抜き”を狙
って懇談の場を設けようだが、名のある業界氏曰く「日産は何故車種が少ない
のか?」国内市場向けに魅力あるクルマがないと、業界を代表するように問う
た。するとゴーン氏「えっ?」と耳を疑う素振りに続けて「そんなはずはない
でしょう」と言った。

 たしかに、日本市場にかぎって言えば総販売台数は50数万台。内三菱との合
弁で生産される軽自動車が3割以上を数え、いわゆる登録車は40万台を大きく
下回るレベルだが、グローバル販売はゆうに500万台を超えていた。北米だと
マキシマやアルティマやセントラといったセダン系に売れ筋SUVのローグ
(エクストレイルの北米版)やピックアップのタイタンや大型SUVアルマー
ダ……etc。欧州や中国向け専用モデルなどを含めると、数多くの日本人が知
らない日産車が存在する。

  最大メーカーのトヨタも言うに及ばず、車種を絞ったマツダだってアメリカ
ンフルサイズSUVのCX-9や中国向けCX-4を知るのは一部のマニアく
らい。ホンダのアキュラモデルはほとんど知られていないし、スバルや三菱も
同断。ようするに、日本の中に留まって日本メーカーは日本中心で……などと
言ってみても始まらない。何しろ、日本の自動車産業は全生産の8割方を海外
市場に依存している典型的なグローバル企業の集まりとなっている。

 この現実に目を向けずに、昭和の気分で変わらぬ良き時代の日本車を語ろう
としているところに、世界に取り残されようとしている日本の現実がある。日
本の(自動車)メディアにとって対象となるのは日本のユーザー読者であり、
国内市場で販売されるクルマだけが興味の対象となる。すでに繰り返し述べて
いるように日本の自動車産業にとって国内市場はワンノブゼム(One of
them)。日本語の壁に守られたメディア/ジャーナリストにとって海外の現実
は守備範囲の外であって、影響力の外にある。

●日本のメディアが抱える問題点

 日本の自動車市場の特殊性、閉鎖性は、世界各国の市場との比較において始
めて明らかになるはずだが、先のゴーン氏に質問した有名評論家は知ってか知
らずか日本市場中心の発想という日本の常識で臨み、グローバル化して久しい
企業のトップの認識と真逆の意見を述べた。

 日本に赴任してすぐに彼我の違いに気づき、フェアレディZとGT-Rのブ
ランドアイコンとしての重要性に注目して復活させ、行政官僚機構による変化
できない日本市場環境を見取って軽自動車販売を断行し、企業風土の違いから
トヨタのハイブリッド追従に見切りをつけてEV(リーフ)開発のリーダーシ
ップを発揮した。

 初来日から数年でV字回復のみならず日本の国内市場の限界を読み取り経営
資源を国外に集中させた。多分日産の内部昇格サラリーマン社長には絶対に出
来ない改革を断行したことこそ、C.ゴーン元会長最大の功績であり、彼に触
発されてトヨタを始めとする日本の自動車産業界の意識が国際基準にアップデ
ートされた。新聞TVをはじめとする既存メディアは、島国日本に留まるかぎ
り日本語の壁に守られて競争に晒されない。常に国際舞台で競争を余儀なくさ
れている自動車産業のリアルを伝えきれない意識のギャップがここにある。

 日本のメディアが抱える問題点は、数多ある情報を整理して有用で必要な情
報を広く一般に伝えるという社会的機能の前に、ビジネスとしての情報産業の
立場から情報の寡占を志向し、自らに利する形で情報を取捨選択して報じよう
とするところにある、と思う。記者クラブ制度などはその象徴的存在で、情報
産業がネタ元の政官財業に密着しそれぞれの異なるスタンスから報道を発する
のではなく記者クラブというムラ社会の枠組みの中で大同小異の情報を垂れ流
す。評価の基準は”売れる情報であるかどうか”であり、視聴率や発行部数や
売り上げなどで価値判断が下される。

 さすがにここまで生きてくれば様子が見えてくる。すでに明らかになってい
るように、既存メディアは世界中から膨大な情報が降り注がれるインターネッ
トメディアの前に制約要件(新聞には紙幅/紙面の制約、TVなどの放送メデ
ィアには時間の制約など)が立ちふさがり、限界費用の面からもwebメディア
に対抗できない状況に方向性を失いつつある。

  1980年代の自動車産業の急成長にともない飛躍的に伸びた広告出稿を背景に
自動車専門誌メディアが一時代を築いた。バブルのピークには600万部/月とい
う隆盛を誇ったが、ポストバブルの出版不況にインターネットの隆盛が加わ
り、既存雑誌メディアはサバイバルを国内外の自動車メーカーを中心とするパ
プリシティに与する道を選んだ。

●ドイツメーカーは中国で儲けるために日本を利用している?

 ここで気になるのが、現在の自動車メディア界に浸透している摩訶不可思議
なドイツ車を始めとする欧州車信奉。まだ、輸入車が珍しかった昭和の頃なら
ともかく、すでに21世紀も二つのディケードを過ぎた2020年である。インター
ネットが隈なく普及している今、必要な情報は各国各社のウェブサイトを当た
れば手に入る時代になっている。

  ここでも歴史観は欠かせない。バブル期に入るまでの1980年代は輸入外国車
はまだ一般化していなかった。当時は輸入代理店が外国ブランドを扱う拠点で
あり、ヤナセは最大手としてメルセデスベンツ、VW、アウディ、GMの販売
を仕切っていた。BMWはバルコム、ポルシェは三和自動車扱いで、フラン
ス、イタリア車などは一部のエンスージャストのものといった位置づけ。

 バブル経済にともなう好況下、高価格な国産ハイエンドや輸入車が容認され
るようになったが、ドイツ車(当時はまだ西ドイツ)は今ほど注目される存在
ではなかった。ベルリンの壁が崩れ(1989年)東西統一なってもしばらくは今
ほどの勢いはない。私は1993年(メルセデスベンツCクラス)、1995年(同Eクラ
ス)、1998年(同Aクラス)と輸入販売元がヤナセからメルセデスベンツ日本とい
う子会社に移行した時代のプレスツアーに招かれている。

  ブリュッセルを舞台に行なわれたメルセデスベンツAクラスの現地試乗会ま
での欧州は、EU統合という世紀の実験の真っ只中。旧東ドイツとの統合の混
乱もあってドイツ経済は今ほどパワフルではなく、VWにしてもBMWにして
もいわゆる民族系は力を蓄える段階と感じられた。米GM傘下のオペルが例外
的に日本市場への意欲を燃やしていたことが思い出される。

 ミレニアム以降もメルセデスベンツCクラス(W203:2000年)、同Eクラ
ス(W211:2002年)、同CLS(W219)とメルセデスベンツやオペルの現地
試乗会をカバーしているが、明かにドイツ勢(ジャーマン3=MB/BMW/VWア
ウディ)が対日本戦略を旗幟鮮明にしたのは2005年からだと記憶する。

  すでにメルセデスベンツもBMWもVW/アウディもポルシェも販売子会社
を設立していて、それぞれ日本メーカーがポストバブルのリストラの余波に揺
れるのを尻目に攻勢を仕掛けてきた。印象に残るのは各社それぞれ日本メーカ
ーの広報スタッフをヘッドハンティングしてPR活動に力を入れたことだろう。

 ちょうど中国の経済成長が話題に上り始めたころであり、日本もアメリカの
好景気に引っ張られる形で好況感を強めていた。今から振り返るとEU統合と
いう世紀の実験が軌道に乗り、同市場での成果を弾みにドイツメーカーがVW
を筆頭に中国経済の上昇気流に乗ってジャンプするタイミングに符合する。

 私はアメリカや欧州の国際自動車ショー取材に加えて2007年の上海から中国
のモーターショーを起点にグローバル視点で自動車産業を見るようになった
が、何年か取材を続ける内に膝を叩いた思いを味わっている。それは「何故わ
ずか30万台規模、全需要の6%除軽市場としても10%に留まる日本市場に、
ドイツメーカーがこぞって進出し多大なコストを払って市場進出する理由は何
か?」ずっと思い抱いていた疑問だが、昇竜の勢いで急成長を遂げる中国の自
動車市場を見ていて確信した。

 中国におけるマーケティングで何よりも優るのが口コミ対策。すべてが官営
となる中国メディア(新聞TV雑誌)を庶民が信用する確率は低く、親類知人
からの評判(最近ではインターネット上のSNSも入る)が何よりもの情報源
とされている。そこでの日本の市場における評判は有力であることは、一時期
爆買いで話題になった日本製紙おむつなどの情報が浸透していることからも分
かる。

 ようするに、ユーザーの要求水準が高く同じ東洋人として感覚的にも近い日
本市場での評判が、巨大市場の中国でも意味を持つ。まったくの個人的な見解
だが、それ以外に何かと物入りな日本市場に投資し、メディアを優遇する理由
が見当たらない。10年以上にわたって中国ウォッチに励んだ私なりの確信に満
ちた見解である。

●21世紀のクルマのありかたを考えよう

 今年はCOVID-19パンデミック禍の影響で前年比で上回る見込みは薄いが、
恐らくニューノーマルという新たな価値観の時代が始まってもここしばらく
の間は中国が自動車需要を牽引し、その圧倒的な販売台数を背景にトレンドセ
ッターとして君臨することになるに違いない。その意味で、日本の自動車メデ
ィアを隈なく抑え込んだドイツ自動車産業界の目論見は奏功しているといって
いい。

  ただ気になるのは、依然として技術的覇権を握り続けているドイツ流の価値
観がもはや時代に合わなくなっている。速度無制限のアウトバーンを持つこと
で意味を持つ300km/h超の超高速走行性能を可能にする500馬力の動力性能と、
SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)という2030
年に向けての課題は両立するか?

 ESG(Environment Social Governance)がこれからの企業投資を左右する
視点だとされている中で、超高速のファンタジーをブランド価値の最上位に持
ってくる姿勢が、一方で推進するインダストリィ4.0やCASEやEVシフトとの矛
盾とはならないか。日本のメディア/ジャーナリストはほぼ盲目的にドイツの
技術信奉を語るが、日本の中にある多様な価値観とは真逆の見方によってはガ
ラパゴス的と評価できるドイツの特殊な交通環境への肩入れはどうにも怪しい。

  冒頭にテクスチャーの話をしたが、実際に手で触れてその感触から判断する。
日本の変化に富んだ37万平方キロメートルの国土は、ランダムアクセスが可能
なクルマで訪れて知ることが出来るモビリティの魅力や可能性を追及する宝
庫。メーカーが提供するパブリシティをベースに、現実から遠く離れたフィク
ションを語るような試乗インプレッションをいくら積み重ねても、未来を生き
る人々の共感を生むことはない。

  カタログの諸元を書き連ね、従来比や他車比でクルマの優劣を語るというお
花畑の評価スタイルは、行政によって抑えつけられた走行環境の現実との対比
を考えると早急のアップデートが望まれるところに来ている、と思う。

  新型コロナウィルスCOVID-19による移動制限は、クルマ本来の魅力でもある
ランダムアクセスを遠ざけているが、すでに一般用語ともなったソーシャルデ
ィスタンスを保ちながらのモビリティというクルマ本来の特性に立ち返れば、
自動運転とは違う21世紀の自動車モビリティの可能性が見えてくる。

  自分の身体を通じて、行きたいところへ思った時に行く。そのツールとして
の魅力こそがクルマの最大価値ではなかっただろうか? 試乗のために与えら
れたところを走るのではなく、未だ見ぬ日本を見に行くことで語れるクルマの
話をしようではないか。

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