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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
号外:2020.6.30配信
●東京一極集中を止めるためにも東京オリンピックは中止したほうがいい
2020年も今日で前半が終わったことになる。何事もなく予定通りであれば、
7月24日開会式、8月9日閉会式となる東京オリンピック本番まで一月を切った
時期であり、首都東京はそれなりの活気を帯びていたはずである。
私としては、昭和の夢よもう一度……とばかりに”東京オリンピック”とい
う語感に酔うことに疑問があった。1964年10月10日の私は12歳。3月の早生
まれということで中学1年生になっていた。川崎市立橘中学校のすぐ近くに関
東で初めての高速自動車専用道路『第三京浜』が開通し、記念パレードのブラ
スバンドを耳にした記憶が微かにある。ほんの数年前までの目前の市道は未舗
装で、近くの橘小学校にバス通学で通う生徒を乗せたバスが埃を上げながら砂
利道を走っている光景を思い出す。
およそ60年前の日本はまだ戦後復興の途上にあり、誰もが貧しさを意識する
ことなく明日を見ていた。1960年前後の現風景は何もかもが不足していた。道
路だけでなく、電力は時折停電することが珍しくなかったし、上水道はともか
く下水道の整備は遅れ垂れ流しの河川や流れ込む東京湾は汚染を極めた。
私が小学校に上がった1958年(昭和33年)の川崎市の人口は535,240人。政
令指定都市に移行した1973年(昭和48年)の翌年に100万人を突破。さらに61
年後の2019年(令和元年)には1,530,457人と実に3倍増となり、政令指定都
市としては第6位を占めるに至っている(第1位~5位は横浜・大阪・名古屋・
札幌・福岡)。
この事実から透けて見えるのが東京(というより首都圏)一極集中の現実。
川崎市は多摩川を挟んで隣接する臨海の京浜工業地帯の一角として横浜市とと
もに都市化の流れを牽引してきた。高度経済成長期は大気や河川港湾の汚染が
激しく、朝礼などの集会時に光化学スモッグで生徒がバタバタと倒れる光景も
目にしている。
私が育ったのは同市中部の武蔵野の雰囲気が残る多摩丘陵の風情が残ってい
た現高津区内。東京オリンピック以前はのどかな田園風景が広がり、雑木林の
山に行けば夏の昆虫取りに飽きることはなかった。やがて野山は宅地に改造さ
れ、道路の整備や私鉄の延伸などで激変。今ではかつての自然の風景を思い出
すことも困難だが、中心の東京都だけではなく神奈川・埼玉・千葉各県を合わ
せた首都圏(首都圏整備法によればさらに茨城・栃木・群馬・山梨の各県を加
えた1都7県)が世界最大のメガロポリスと言われるほどに巨大化したプロセス
と日本経済の浮沈がきれいに重なるのは間違いない。
すでに日本の総人口が減少に転じて12年が経つが、今もなお首都圏への流入
が続いている。実際には東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)における高齢化
が急激で、それを補う形で地方からの流入が続いているというのが真相らし
い。今後この50年にわたって経済成長に貢献した世代が漏れなく高齢者とな
り、コミュニティの存続が危ぶまれている。地方の過疎や限界集落だけではな
くて、成長を牽引した首都圏に数多く存在するニュータウン族が潜在的なリス
クになる可能性を秘めている。
●変りたくない大多数の人々が日本の没落を招くという逆説
多くの場合、人は己の遠い未来を現実感を以て想像することがない。私自身
20歳の時に現在の年齢はおろか、40代ですら具体的にイメージすることはでき
かった。あと2年で古希だと言われてもまったく実感はなく、そもそも68の今
でも気分は以前と何ら変わらない。体力は着実に低下しているし、視力の衰え
から集中力の思いも寄らぬ欠落などでがっくりすることは増えたが、老いを言
い訳にしたくない気力は残っている。
余人のことは知らない。個人差はあるし環境によっても異なる。年齢は一見
客観的な数値を装うが、同年齢がまったく同じ運命をたどるとはかぎらない。
日本の高齢化率(65歳以上が全人口に占める割合)は推計で3588万人で28.4%
を占める(2019年9月総務省)。2040年には同比率が35%超に達する見込み
だ。私は無事ならば88歳になっているが、これまでの変化の過程を振り返って
みてもどうなっているか分からない。
間違いないのは、これからの時代に過去の経験はほとんど役に立たない、と
いう過酷な事実だろう。移り行く時代に対応する”変れる力”がないと、その
時代を楽しむこと難しい。”明治は遠くなりにけり”を耳にしたのは昭和の末
期バブルの世相だったと記憶する。元は、中村草田夫という俳人が詠んだ「降
る雪や 明治は遠く なりにけり」ということだが、中村がこの句を詠んだの
は昭和6年(1931年)。明治34年(1901年)生まれの草田男30歳のことであ
り、わずか20年前の明治を遠いと振り返ったことになる。
昭和は1989年年初(1月7日)の天皇崩御によって平成へと改元されている。
すでに31年の月日が流れており、”昭和は遠くなりにけり”を実感しても構わ
ないと思う。私にとってはつい昨日のことであり、平成生まれが30代になって
いるという事実に年季を感じざるを得ないが、物心付いてからの過去の記憶は
すべて手の届く範囲という感覚がある。
前回開催から56年の年月を経て再び承知に成功した東京オリンピックだが、
かつての行事誘導政策(イベントオリエンテッドポリシー)によって経済成長
を促し、復興に弾みをつけるという官主導の計画経済が有効だった時代とは何
もかもが変わっている。当初のお題目は2011年3月11日の東日本大震災復興に
あったはずだが、それが何故東京を開催地としたのかが分からない。
すでに東京一極集中が問題視されるようになって久しく、復興を大義名分に
するなら被災地の中心だった仙台市などを候補にするほうが筋が通る。かつて
の成功体験の成せる技かもしれないが、2025年には大阪でやはり55年ぶりとな
る万博が開催予定となっている。いかにも無謬性の原則の上に立つ前例主義に
よって硬直化している行政官僚機構らしい「成功体験」を繰り返す願望に駆ら
れた施策という他ない。
これ以上東京を肥大化させて良いことなど一つもないことは分かっているの
に、他のアイデアをリスクを取って打ち出すことが出来ない。前例に基づいて
決定し、一旦決まったことは批判を許さず遂行する。日本が敗戦のドン底から
一丸となって這い上がる戦後復興期には一括採用も年功序列の賃金体系も終身
雇用も機能したが、すでにグローバル化して20年以上経つ21世紀の現実にはす
べてのシステムが時代に合わなくなっている。
●工業化社会の優等生(日本)が情報化社会への対応が遅れた最大要因
変るべきタイミングはこれまで何度もあった。多くは危機に瀕した時だが、
最大のチャンスは昭和から平成へと改元されたまさにその時にピークが訪れた
バブル経済の最中だろう。ミレニアム期の日本はひとり取り残されるように、
1980年代に磨き上げた規格大量生産の”モノ作り”をグローバル市場に展開。
アメリカを中心とする先進諸国が、モノ作り(製造業)に代わる次世代の本命
として情報技術(IT)にシフトする中で束の間の成功を手にしたが、直後の
米国バブル崩壊(リーマンショック)にともなう世界的な金融恐慌状態が危機
を顕在化させた。
考え方次第では転機となり得たはずだが、日本の”社会システム”は成功体
験が忘れられない従来型の前例主義に支配されていた。大きく変ることよりも
カイゼンによる対症療法で危機を乗り切るという”昭和の劣化コピー”によっ
て、海外市場頼みが強まる一方国内はデフレ不況からの脱却に手こずる。
2005年辺りから急伸した中国の経済成長もあって、日本型モノ作りのエース
自動車産業は再び成長軌道に乗ることが出来たが、何事も強みは弱み弱みは強
みという。激動する国際経済は、20世紀に隆盛を誇った『工業化社会』の枠組
みから21世紀に本命視される『情報化社会』へと舵を切っていた。
1990年代後半からミレニアムのアメリカで弾けたITバブルを経て2000年代
後半から現在に至る変化は、従来型自動車産業が依然として存在感を保ってい
るものの、GAFAM(Google・Apple・Facebook・Amazon・Microsoft)に
象徴されるアメリカ西海岸のテックカンパニーが急速に時代を変えつつあった。
GAFAMが仕掛ける”モノ作り”から”デジタル技術を用いたコト作り”
へのパラダイムシフトは、2000年代中頃から目に見える形を成し、金融工学と
いうアメリカらしい『錬金術』がリーマンショック(2008年9月15日)という
象徴的な事態を招来させた。
続く2010年代は東日本大震災(2011年3月)に始まる波瀾の展開。世界が金
融恐慌状態で沈むところを昇竜の勢いで高度経済成長を続ける中国が”特需”
を創出し、気がついたら日本の自動車産業は元の木阿弥に戻っていた。
工業化社会とは余剰を予め見込んで大量生産大量消費の枠組みを作り上げる
仕組み。農業や漁業などの一次産業も流通をセットにした工業化によって大規
模なシステムに組み入れられた。
これに対して、情報化社会とは、モノをまず作ってから考えるのではなくて
情報の形でストック。需要に応じて即座に作れる体制を整えた仕組みを指す。
そのためには高度な工業化システムの確立が欠かせない。新興途上国が工業化
を急ぐのはそのためであり、中国の高度経済成長は共産党政権による独裁体制
だからそこ成し得た枠組み(外国メーカーの技術を国営企業を中心とする集団
に分散的に合弁事業化させることで成長スピードを高める)によって、瞬く間
に工業化社会から情報化社会へのステップを駆け上がって見せた。
先進諸国にとって中国は数少ない成長が見込めるフロンティアであり、弱み
は強み強みは弱みの関係で中国がわずか20年を待たずに世界第2位の経済大国
にのし上がることになる。その事実を、昨年末に感染が確認された新型コロナ
ウィルスCOVID-19によるパンデミック禍がさらに複雑な国際政治環境を生ん
だ。歴史のアヤとしてこれ以上興味深い流れもないだろう。
●Freedom of Mobilityこそがクルマの最大価値。語るべきことは多い
いずれも過ぎたことであり、時計の針を逆回転させることもできないが、今
般の新型コロナウィルスCOVID-19によるパンデミック禍は、まさに奇禍転じ
て千載一遇の幸運をもたらす出来事になるのではないだろうか。恐らく東京オ
リンピック/パラリンピックは高い確率で中止となるだろう。ことはパンデミ
ックであり、日本だけが上手く対応して被害を最小限に留めたとしても、すで
に世界中で感染者は1000万人を突破し、50万人の命を奪い現在進行形で感染
が続いている。季節が逆になる南半球ブラジルでの拡大が象徴するように、東
西から北南へと感染が広まり、一年中切れ目のない事態に陥っている。
私たちは間違いなく歴史のダイナミズムの真っ只中にいる。クルマはモビリ
ティツールとして、また人と人をつなぐメディアとしてまだまだ魅力的であり
続けるだろう。この場合のクルマとは石油を始めとする化石燃料をエネルギー
源とする内燃機関で走る自動車を指している。EV(電気自動車)は形態とし
てはクルマと同じ様相を呈しているが、エコシステムとしての可能性は高いも
のの酷寒や乾燥猛暑といった地球上の多様な環境に対して万全とは言いがたい。
直近から中期的には温暖化を始めとする地球環境問題は対応すべき重要課題
となるが、21世紀央には減少に転じる可能性が大きい人口問題が従来通りの対
症療法が適切とは言えなくなる可能性を秘めている。
今後はデジタル技術が人間の身体性による限界を突き抜けて、自然との調和
をもたらす自然とデジタルが分け目なく存在する『デジタルネイチャー』があ
たりまえになる時代になるという。すでに私は新機軸に柔軟に対応できる世代
ではなく傍観に回る可能性が高いが、テクノロジーが老化による困難を克服す
ることになれば従来型のクルマをさらに楽しめる余地が膨らむに違いない。
巷間、モノとモノとの比較論に明け暮れ、その情報の出所が実際の使用環境
で試したものではなくて(現在のクルマが提供する走りのパフォーマンスをフ
ルに試そうとしたら、現行の道交法が許さない)、その多くがパブリシティや
法の及ばないクローズドトラックでの情報を元にした”ファンタジー”となっ
ている事実に向き合う必要がある。
コンプライアンスを楯に現在の道交法に諄々と従うか、法改正を求めて走行
環境/インフラのアップデートを行なってクルマの魅力を堪能できる余地を拡
げるか。経験の浅い世代は、すでに何でも揃っている環境や状況から物事を判
断しているが、クルマの魅力という本質論に迫る意見を聞くことは少ない。
偏狭な世代論争は無意味なので深追いはしないが、クルマの性能が発展途上
段階から世界に冠たるレベルに至ったプロセスを知る者としては、”私の価値
観に照らしたクルマの魅力”をライフワークとして追及してみたい。
今週は第5週ということで定期配信はないが、思いついたことを書き連ねて
号外としてみた。続きは次週の定期配信まで。7月7日は2012年の創刊から丸8
年が経過した記念日。いつものように配信遅れにならないよう気を引き締める
ので、引き続きよろしくお願いします。
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