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2020年6月19日金曜日

各回共通:スマホでは画面を横にしてお読みください。

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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第385号2020.6.9配信分



●国連の推計は必ずしも正鵠を射るとは限らないが……

『SDGs』っていう言葉ご存知でしょうか?恥ずかしながらこの私つい先日
知りました。Sastainable Development Goals:持続可能な開発目標と邦訳され
ます。2010年の国連サミットにおいて全会一致で採択され、2030年を目標達成
の期限と定められている。

『持続可能な世界』の実現のために定められた世界共通の目標であるという。
今を生きる人々の要求を満たしつつ、なおかつ将来世代が必要とする資産を損
なうことのない社会を持続可能な世界としている。

 その実現のために17のゴールが掲げられている。列記すると(1)貧困をなく
そう(2)飢餓をゼロに(3)すべての人に健康と福祉を(4)質の高い教育をみんな
に(5)ジェンダー平等を実現しよう(6)安全な水とトイレを世界中に(7)エネル
ギーをみんなにそしてクリーンに(8)働きがいも経済成長も(9)産業と技術革新
の基盤を作ろう(10)人や国の不平等をなくそう(11)住み続けられるまちづくり
を(12)作る責任使う責任(13)気候変動に具体的な対策を(14)海の豊かさを守ろ
う(15)陸の豊かさも守ろう(16)平和と公正をすべての人に(17)パートナーシッ
プで目標を達成しよう。内容は貧困から環境、労働問題まで多岐にわたる。

  このSDGsには母体が存在する。2000年から2015年にかけて進められてい
たという「MDGs」。またぞろのアルファベットはMillennium Development
Goals=ミレニアム開発目標の略号だが、開発途上国を対象に8つの目標と21の
ターゲットが設定された。これも列記すると(1)極度の貧困と飢餓の撲滅(2)の
初等教育の完全普及の達成(3)ジェンダー平等推進と女性の地位向上(4)乳幼児
死亡率の削減(5)妊産婦の健康の改善(6)HIV/エイズ、マラリア、その他の
疾病の蔓延の防止(7)環境の持続可能性確保(8)開発のためのグローバル
なパートナーシップの推進である。

 これらは国連やNGOなどの公的機関を中心に推進されたが、そのほとんど
が掲げた目標に届かなかった。例えば目標(2)の「2015年までに(以下同)すべ
ての子供が男女の区別なく初等教育の全過程を終了できるようにする」は、11
%の上昇は見られたが達成には程遠かった。(4)の「5歳未満児の死亡率を3分
の2減少させる」は、53%の減少でやはり未達。(5)の「妊産婦死亡率を4分の3
減少させる」は、45%の減少で目標に届いていない。

 SDGsは、そうしたMDGsの反省の上に立っている。理念と方法論を継
承する枠組みとして策定されているが、その特徴は以下の3つ。

●図書館で予約していなかったらSDGsを知るのはもう少し遅れたかも

 SDGsでは17の目標の下に169のターゲットが併記された。さらに細分化
された小目標といったもので、目標(1)の「貧困をなくす」の第一ターゲット
は「2030年までに、現在1日/1.25ドル未満で生活する人と定義されている極度
の貧困をあらゆる場所で終わらせる」とある。数値は極めて具体的であり、課
題設定は目標を単なる理想論で終わらせない実践的方法を目指している。

 MGDsでは開発途上国だけを対象としていたのに対し、SDGsは先進国
を含むすべての国々が目指すものとされている。グローバル化した現在では国
家間における人・モノ・情報の流通は膨大になっていて、途上国内で問題が発
生しているように見えて、実は国の枠組みを超えた複合的な原因の組合せであ
ることが多く、一国での解決が困難となる状況にあった。

 途上国の抜本的な問題解決には、先進国を含む世界全体の枠組みで対策を練
る必要がある。MDGsの反省の上に立って全世界を対象にした包括的な枠組
みとしてSDGsは導入に至っている。

 さらにMDGsとの決定的な違いがある。先述の通りMDGsは国連やNG
Oなどの公的機関を中心に推進されたが、SDGsでは企業が策定・運用に深
く関わっている。本来営利組織である企業は”利潤の追及”が最大の存在理由
だが、持続可能性の追及は企業の長期的利益の確保という観点からも重要であ
るとして、産業界への協力を求める内容とされている。

 SDGsという言葉を私が知ったのは、以前から町田図書館で利用予約して
いた『2030年の世界地図帳』落合陽一著(SBクリエイティブ)が漸く順番が巡
り(半年ほど待っただろうか)貸し出し可能との連絡を受けて手にしてから。

 そもそもMDGsもそうだが、マスメディアがその存在を伝えたという記憶
がなくSDGsも同断だ。私の感度が鈍いのかもしれないが、字面だけではそ
れがサスティナブル・ディベロップメント・ゴールズと読むことは不可能で、
ましてやそれが持続可能な開発目標という全世界的なテーマであることなど想
像すらできない。

 巷には情報が溢れ返っており、情報リテラシーやメディアリテラシーといっ
た本質を読み解く力(=リテラシー)が問われているのは間違いありません
が、それでは皆さんはMDGsやSDGsという『言葉』を目にしたことがあ
るでしょうか?私は、少なくとも一月前まではその存在すら知らず、従ってそ
れが世界の潮流であることを考えることもありませんでした。

●人口動向が世の中を変える。今までとは決定的に異なる未来がやって来る

『持続可能な開発』にそのものついては資源環境問題がクローズアップされた
タイミング(それが高度経済成長期の1970年までのことだったか、オイルショ
ックから排ガス規制の1970年代だったか、カリフォルニアの大気清浄法=ZE
V法からCOP3=京都会議を経て地球環境問題が急浮上した1990年代後半の
ことだったか、私の記憶は定かではないが)で理解が及んでいたが、21世紀の
グローバル化した世界が共通の課題として取り上げている事実を日本のメディ
アが伝えていない。

 芸能人のゴシップや新型コロナウィルス(COVID-19)の日々のデータなど
取り止めのない情報に明け暮れ、それこそ”アフターコロナ”というこれまで
とは決定的に異なるだろう時代のありように深く関わる指針となる情報を伝え
ようとしない。内輪の論理を言い募り、結果として変化に対応して自らの生き
方を改めることを拒む”抵抗勢力”と化している。ガラパゴス化という言葉で
懸念されるアップデートを阻むメンタリティはどこからやって来るのだろう?

 このメルマガ『クルマの心』でも繰り返し述べているように日本のメディア
は事実を伝えていない。自動車専門誌をはじめとする自動車関連メディアも、
過去25年間(四半世紀)の間に様変わりしてしまった日本のクルマを取り巻く
環境や自動車産業の現実を直視することなく、相も変わらぬスタンスを取り続
けている。

 モータリゼーション元年として振り返られる1966年(昭和41年)からバブル
崩壊に至るヴィンテージイヤーの1989年(昭和64年/平成元年)までの”昭和
の残像”への郷愁に浸り、右肩上がりの成長という成功体験にすがりたい気持
ちは分からないでもないが、すでにあらゆる条件が当時と現在で異なっている。

 日本の人口は1966年当時9979万人。私が運転免許を取得した1970年に1億
人の大台を超え(1億0372万人)て、バブルのピーク1990年に1億2361人を数
え、2008年に1億2808.4万人でピークに達している。ちなみに2020年現在の人
口は1億2590万人(2020年5月1日現在概算値:総務省統計局)。すでに減少サイク
ルに入って12年が経過している。

  終戦当時の人口は7214.7万人。戦後の65年間で5591万人(77%増加)も増えて
市場が拡大したのに加えて、折からの基軸となるドル/円為替が360円/1ドルと
いう超円安に固定され、オイルショック(1973年)までの高度経済成長期の原油
価格が2ドル台/1バレルに据え置かれ、国民所得倍増計画(1960~1970年)が立
案実施されてもなお低い賃金(1960年の平均所得約12万円/年)に支えられて、
内需拡大と貿易収支の黒字が実現。奇跡といわれた日本の経済復興は、国民の
勤勉性や独自の技術力といった"神話"として語られるストーリーなどではな
く、世界の中での日本という幸運がもたらした結果と見るのが正しいようであ
る。

●物流の現実を知る人がいかに少ないか。理屈で考えられない世間の罪

  今からおよそ半世紀前の第一次石油危機(1973年)は、世界を一変させたとい
う意味で今回のCOVID-19パンデミック禍と同じインパクトを国際社会に与え
た。戦前の世界最大産油国アメリカの原油生産はすでにピークアウトしており、
主導権は中東のアラブ諸国に移る。戦後誕生したユダヤ国家のイスラエルとそ
の領土の主権を主張するアラブ世界との対立に端を発する第4次中東戦争が発
端。イスラエルを支持する国々への原油の輸出を禁じる強攻策がオイルショッ
クの本質で、親アラブ国家として友好関係にあった日本は禁輸の対象にはなっ
ていなかった。

  ところが、ここで政治とメディアのミスリードが演じられる。時の中曽根康
弘通産大臣がTVで(当時品薄が報じられていた)紙製品の節約に言及したと
ころ、それを見た大阪の(ごく一部の)主婦層がトイレットペーパーを買い求
めてスーパーに押しかけた。その話題に全国紙の大阪版記者が食いつき、紙面
に載せたところ反響があったという。そのネタをTVがフォローするとスーパ
ーの棚から失せた映像が流れ、それを観た主婦層がパニックを引き起し、瞬く
間に全国に広がって行った。

 当初はデマもなかったと記憶するが、オイルショックとトイレットペーパー
の伝説は当時の人々の心の奥深くに刻まれたはずだった。しかし、歴史は繰り
返される。3.11の東日本大震災(2011年)がそうだったし、直近の新型コロナ
ウィルス感染拡大時にも同様の買い占め(溜め)によるトイレットペーパー不
足が再来した。

 今世紀に入って急速に進歩した情報技術によって、世の中にはありとあらゆ
る情報が氾濫するようになった。しかし人の心理は大勢に流されやすいもの。
物流は一日の消費量を前提に生産量が割り出され、一定のサイクルで回るよう
に出来ている。店頭で人々が普段の2倍を購入すれば当然棚から商品は消え、
それを見た人が不安に駆られて買い急ぐ。パニックは簡単な理屈で始まるのだ
が、そんな理屈はどうでもいいの……という層が少なからず存在する。

 日本中が壊滅的な大災害に見舞われたとすれば話は別だろうが、地域的な障
害に見舞われても数日もすれば復旧モードに移行する。無益な買い溜めをして
パニックを増幅する愚を犯さないことが『リテラシー』の第一歩ではないだろ
うか。少なくとも、今現在世界はどうなっているのか。グローバル化がここま
で進展した以上は、日本固有の都合や事情はともかくとして、世界はどの方向
に向かっているかを知らせるのがメディアの重要な役割であるはずだ。

●この10年で社会は様変わりしたが、私の本質は何ら変わっていないようだ

 10年一昔といいます。しかし、その捉え方は世代ごとで異なりますね。現在
68歳の私からすればほんのつい最近ですが、現在20歳の若者はまだ10歳の小学
生。昨年誕生した私の孫などは影も形もありません。現在40歳の人でも社会に
出てようやく慣れてきたタイミング。50歳の人にしてみればもっとも脂の乗っ
た10年間を過ごしたはずです。

 2010年といえば、日産が大手自動車メーカーとしては初めて量産型の電気自
動車(EV)リーフ(ZEo型)を同年12月に日本とアメリカで発売。現在は
2017年9月にデビューした2代目(ZE1型)を世界展開させ、今年1がつ世
界累計45万台を達成している。

 この頃すでにアメリカのテスラ社は存在しており(2003年設立)、2008年に
はロータス・エリーゼをベースにした『ロードスター』が発売されたが、量産
規模は小さかった。2012年6月にはモデルSが発売され(日本導入は翌年)、
LAショー取材の同年11月にサンタモニカでのプレス発表試乗会に私も臨席し
た。生憎のウェットコンディションだったが、ハイエンドモデルの0→100km/
hを3秒未満で走りきる怒濤のEVダッシュに”口から心臓が飛び出る”思い
を経験。果たしてそれがエコかどうかはともかく、西欧人の本音(パワー&ス
ピード)と建前(エコ)の現実を改めて思った。

 現在E.マスクCEOが率いるテスラ社は、GAFAM(Google・Apple・
Facebook・Amazon・Miclosoft)に連なるテックカンパニーの一つと考えら
れているが、EV専業という点で新しく見えるが実態は規格大量生産型であ
り、最後発の量産自動車メーカーと見做すことも出来る。バッテリーEVが既
存のICE(内燃機関搭載車)に取って代わる可能性は、多様な地球環境を
考慮すると100%はなく、最大で30%あたりが限界だろう。FCV(燃料電
池車)、HV(様々なハイブリッド形態)を含む高効率ICEなどを合わせた
エネルギーミックスが地球規模のモビリティを語る上でより現実な解ではない
かと思う。

 それはそうとして、時代のターニングポイントとなった2015年にMDGsの
後を受けたSDGsは、同年のCOP21で合意が結ばれた『パリ協定』や金融
界を席巻しているESG(Enviroment・Social・Governance)投資=環境に配
慮しているか・社会に貢献しているか・収益を上げながら不祥事を防ぐ経営が
なされているかなどと歩調を合わせて進んでいる。

 地球温暖化については、今世紀央には人口減少サイクルに入るという予測が
現実味を帯びる中、異なる議論が生まれる余地を残している。しかし過去10年
を振り返り現在直面している変化の度合(exSNSの普及に伴う情報の双方向性
の進展など)を思うと、10年後には現時点では考えも及ばない状況が生じてい
る可能性は高い。

●地方は空き家だらけになる?これは移住のまたとないチャンスでは?

  10年後、私は78歳になっている。もちろん生きていれば……の話だが、すで
に非生産世代(65歳以上)にカテゴライズされて久しい私としては老いを実感し
つつも「まだまだ!」と粋がっているはずである。高齢者からモビリティの自
由を奪う運転免許返納という同調圧力との闘いが始まろうとしているわけだ
が、これについては一言ある。

  老いは万人に訪れる摂理だが、なってみて知ることや現実がある。高齢者ド
ライバーの問題はまず当事者によって議論が進められるのが筋だろう。往々に
して聞かれるのが、まだ肉体的にも精神的にもフレッシュな感覚が残る直近世
代からの実感を伴わない見た目の判断による正論。いずれその年齢に達した時
に"しまった!"となること請け合いだが、今55歳の現役世代が10年後には非生
産世代の高齢者として括られる。意識もフィジカルもそれほど落ちていないの
に、年齢の数字だけで分類される。そこには個々人の努力や多様性についての
考察はなく、一律に年寄りとして扱われる。

  20代30代の若年世代には、自分が老いることなど考える暇もないだろうが、
なってみた時の自意識と世間の見る目の違いに理不尽を覚えるに違いない。

  これからの10年は、間違いなくこれまでの10年とは様変わりする。昨年の合
計特殊出生率は1.36人。これは1人の女性が生涯で産む子供の数に相当する
が、前年を0.06ポイント下回り4年連続で低下した。2019年の出生数は86万
5234人(前年比5万3166人減)で1899年の統計開始以来最少だったという。

 生まれる子供が少なく、長生きの老人が年々齢を重ねて行く。少子高齢化の
インパクトは、私が運転免許を取得した1970年の65歳以上の高齢者は731万人
でしかなかったのに、昨年2019年のそれは3588万人で28.4%(総務省統計局)
に達している。同推計による2030年では、総人口は1億1912万人に減少すると
されており、内高齢者は約3715万人(31.1%)に増える。

 すでに日本社会は”今まで通り”では立ち行かなくなって12年が経過してい
るが、街の景観が大きく様変わりするのは間違いない。都市化が継続して進む
一方で、地方の過疎化は急伸し30%は空き家になると言われている。少子化に
より学校の統廃合は進み、地方の税収は下がり続ける。

 人口減少は、都市化とそれに伴う教育機会の充実による女性の意識改革に答
えが求められるという。農村中心の社会では子供は生活の糧をシェアして生み
出す価値ある存在と考えられたが、都市においては人数に応じて純粋にコスト
の掛かるマイナス材料となる。医療や科学技術の進歩によって不測の事態で子
供を失う恐れが少なくなったことも少子化の理由として考えられている。

●自動車の旅には長く歩ける体力が必須。ドライビングはスポーツなのだ

 昨年、私は幸運にも孫の誕生に恵まれた。私としては初めての血のつながっ
た男子であり、その無限の可能性を感じさせる存在感にあらためて生命の深淵
を見る思いがしている。私には二人の娘があり、授かったのは次女のほうだが
彼女も30代後半の初出産。縁あってのことなので言うべきことは何もないが、
大変だが子は設けた方が断然良い。

 初孫の男の子は現在満1歳。10年後は11歳であり、小学校の最高学年になっ
ている。この1年間の成長の足跡は存外に長い。「人生は加速する」とは私の
持論だが、長じてからの1年は瞬く間に過ぎる。いっぽう、赤子の成長はまっ
たく時間軸が異なると思えるほどゆっくりだ。産まれたばかりは片腕に収まる
小ささだった。今は体重が10kgを超えずっしり重くなったが、それでも一人歩
きを始めて2ヶ月あまりであり、ちっちゃくて言葉もまだ発しない。

 子供の成長は身体の発育をともなう具体的なものであり、フィジカルな成長
が止まるまでまだ20年近くの猶予がある。いっぽう老人の私はというと、順調
に衰退の一途を辿っている。10年前の自分と現在の己の違いを知る手立てとし
て旅は有効で、ことにクルマを自ら運転して行く自動車旅行はドライビングが
極めてフィジカルな能力が問われる行為だと改めて痛感する。

 50代までは活力に不安を覚えることはなかった。例えば、国内旅行では東京
~広島間約800kmは何と言うことはなく、マツダロードスターの20周年記念イ
ベント@三次PGも苦にならなかった。メルセデスベンツ190E(W201)にし
てもホンダS2000にしてもプリウス(NHW20)にしても、いずれも10万km以上
乗り継ぎ、日本中を四季折々走り回った。

  よく旅先で「クルマで東京から?大変でしたね……」判で押したように言わ
れることが多かったが、実はクルマの旅は面白い。たとえそれが退屈といわれ
る高速道路を延々行く道のりだったとしても春夏秋冬、昼夜、雨天曇天晴天そ
れぞれで別物という印象を得る。クルマの旅は体力的に大変だが、それ以上に
刻々と移ろう状況に対処することの刺激ほど心身を活性化するものもない。

 私の自動車旅行の原体験が1980年6月の欧州5000kmという話は何度も紹介
しているが、国際自動車ショー取材のなかでもジュネーブショーはフランクフ
ルトを起点にジュネーブまで往復約2000km(現地滞在中走行を含む)をルーテ
ィンとしていた。さすがに60歳の大台を超えてからは一気走りは難しくなった
が、デトロイトにしてもフランクフルトにしても、そして英国のカントリーロ
ードを堪能できたグッドウッド取材でも敢えて遠地に宿を取り現地で試乗車を
手配して体感することに励んだ。率直に言って最近は体力的に厳しくなってい
るが、それでもやめようとは思わない。休み休みで走破すればそれでいいのだ。

●海の上のフェリーが国道となる197号線

  ここで自動車旅行で会得したクルマを語る評価法を開陳しよう。高速道路を
駆って北は北海道から南は中国・四国・九州まで。バブル期の建設ラッシュは
本州との距離を一気に縮め、津軽海峡を除く海による隔たりを解消した。それ
とは別に、四国と九州をフェリーでつなぐ国道九四フェリー(四国佐田岬三崎
港~九州佐賀関間)はフェリー上が国道197号となる島国日本ならではのルー
ト。瀬戸内海の本四架橋3ルートの完成で失われた情緒がここにはある。

 危うく話が逸れそうになったが高速道路移動の理想はアベレージ120km/hの
巡航だ。もちろんこれは日本においては現実的ではない。道交法が定める国内
法定最高速度は100km/h。といっても、日本全国どこでも100km/hが許されて
いるわけではなく、東名や名神などの主要幹線道でも100km/h以下の制限区間
は思いの外多い。平日昼間の東北道や山陽中国道などの地方では前後数kmに
渡って車影が認められない区間も珍しくないが、こんな条件下でも80km/h制限
や場合によっては70km/hという"難所"も点在する。

  真冬の東北道(宮城以北)ではほとんど交通量がないが、聞けば「何も恐い思
いをしてまでお金を払うことはない」悪天候時には速度制限が敷かれ、暴風雪
によるホワイトアウトの恐怖も頻繁に発生する。沿線を走る国道4号線に目を
やると結構な交通量である。需要がないわけではなく、現実に目を向けるとそ
うなってしまう。冬以外の平日の閑散ぶりは、全国統一で低い制限速度で縛り
続ける無意味さを際立たせる。道路インフラもクルマの技術も昔日とは比べ物
にならないほどレベルアップしているのに、実情に合わせてアップデートしよ
うとしない。

 東京をはじめとする大都市圏の交通集中による過密と対照的な地方の過疎。
速度レンジを変えて地方の活性化を図る策を講じるのは、リモートワークの実
態が知れるに連れてゆとりある地方での暮らしが注目されつつある今着手して
良いタイミングだと思うのだが、行政は頑なに拒み続けている。

 ドイツがアウトバーンに象徴される交通システムをブランディングに活かし
て世界の技術的な覇権を握っている事実。そこには連邦共和制を採用し、首都
ベルリン以外は100万人以下の都市が点在するネットワーク型の国土構築があ
り、比較的平坦な国土というインフラ作りのコストが低く設定できるという構
造があるにしても、日本には地域ごとの環境や気候や風土の多様性に対応する
ことで制約の多い国々の事情に合わせたクルマの開発が可能なはず。

 国を代表する基幹産業でありながら、自国民がその優秀性を体感できない環
境に留める愚策はほどほどにしなければ、と思う。

●九州までの1400kmを11時間半ちょっとで走破できたら……旅が変る!

 アベレージ120km/hで日本国中の高速道路網を走ることが出来たら、単純計
算で走行距離の半分がそのまま所要時間となる。例えば東京~大阪間約500km/
hは250分=4時間10分。これはドアtoドアを考えると中々魅力的だ。新幹線は
乗車時間は2時間半前後だが、自宅と新幹線駅~目的地駅から最終訪問先まで
のアクセスを含めると前後に2時間ほど掛かるのが相場だろう。航空機にして
も羽田~伊丹間のフライトは約60分だが、遅くとも15分前に搭乗口にいる必要
があるし、空港から都心までの移動を含むとやはり4時間を超えていく。

 1980年代に頻繁に東京~大阪を行き来した時に確信したことだが、交通法規
がクルマの技術開発に合わせてアップデートされ、人々が速度差に伴うルール
/マナーの重要性に気がつけば、路上の秩序は別物になったに違いない。アメ
リカや欧州が出来て器用な日本人が出来ない相談ではないだろう。

  最近では、中国が世界標準に準じた120km/hの最高速度を施行していること
を見ると、海外展開している日本車はともかく、日本の交通秩序は途上国レベ
ルに落ちる可能性が否定できない。ここに官製の全自動運転化が現行法を変え
ることなく施行されたら、安全との引き換えに失うものの大きさに愕然とする
に違いない。

  繰り返しになるが、10年後の私は78歳。すでに後期高齢者とカテゴライズさ
れる年代になっていて、免許返納の同調圧力に直面することになるだろう。孫
はまだ11歳であり、私がステアリングを握ることはあっても彼が資格を得るに
はしばらく掛かる。仮に全自動運転が実用化したとしても、日本には2輪を含
む従来型車両が8000万台のオーダーで残っているはずで、混合交通の線引きを
成すのはまさに人口動向における労働人口(15~64歳)と非労働人口と括られる
65歳以上の高齢者という対立項に議論が傾きかねない。

  私は、お叱りを承知で敢えて持論を言わせてもらえば、クルマの動力性能は
ほどほどが良い。具体的には発進加速性能テストの経験値としてあるレベル。
例えば、懐かしのゼロヨン(0→400m発進加速テスト)で言えば17秒を切る辺
り。それには大体10kg/psという非出力(パワーウェイトレシオ)に収まれば十
分で、0→100km/h発進加速で言えば10秒を下回れば必要十分なスピードと
認定できる。

  オイルショックと排ガス規制克服で明けた1980年代は、まずゼロヨン16秒を
切るところから競争が始まった。最終的には1989年のスカイラインGT-R(R32)
がアテーサE-TSという電子制御4WDと280馬力超の2.6リットル直6ツインター
ボで12秒台まで削り取り、世界の馬力競争に火をつけた。海外市場をまったく
考慮しないドメスティックブランドに経営資源を注ぎ込み、コストを回収する
ことなく経営危機まで追い込んだ。

  この事実を冷静に受け止め、グローバルに展開した1990年代後半から現在に
至る国内事情と国際情勢の変化をメディアがきちんと整理して日本の自動車産
業や行政官僚機構に正当な批評を加えて議論出来ていたら、昭和の劣化コピー
に終わった平成の30年はなく、都市化にともなう少子高齢化に対する処方箋を
考える余地が生まれ、予想される衰退局面は避けられたような気がする。

●「ヒール&トゥ? それって何!?」M.フェルスタッペン

  このSDGsや『パリ協定』が全会一致で採択された2015年は、9月18日に
EPA(アメリカ環境保護局)がフォルクスワーゲン(VW)のディーゼル排
ガス不正を告発。その発覚を受けて時代が大きく動いたと記憶されている。

 破壊的技術(Disluptive Technology)という言葉が一般用語として浮上し、
既存の自動車メーカーの中には従来型のオートカンパニー(自動車製造業)から
(Auto&)モビリティカンパニーを志向すると宣言する企業も出現。ドイツのメ
ガサプライヤーボッシュの技術に頼るジャーマンブランド各社は、ディーゼル
スキャンダルを振り払うかのように『CASE』(ダイムラーAGディーター・
ツエッチェ前CEO)や『EVシフト』(VWヘルベルト・ディースCEO)
といった、すでにドイツが舵を切っていた『インダストリー4.0』に被さる施
策を表明。私にはディーゼルスキャンダルを打ち消す『スピンコントロール』
としか思えないが、中国頼みの一本足に特化して不安定なドイツ経済はエコと
エゴの間で揺れ動く微妙な時期を過ごしている。

 ここで降って湧いたような中国発の新型コロナウィルス(COVID-19)による
パンデミックが発生し、世界は目に見えないウィルス感染症との闘いによって
今まで通りとは違う生き方を考える必要に迫られている。すでに感染発覚から
7ヶ月余り。『2030年の地図帳』にも予期せぬ事態に今しばらくは様子見を決
め込む他はなさそうだ。

 すでに一般用語として定着した『ソーシャルディスタンス』という視点で考
えると、パーソナルモビリティを実現する手段としてのクルマの価値は再認識
されて良いものがある。地方の公共交通機関は都市化にともなう過疎化の流れ
に抗うことができず、当該地域の高齢化と合わせて問題が複雑化する傾向にあ
るが、テレワークによる労働生産性の低下が見られないと分かったような業種
は過密な都市にこだわる必要はない。

 国家の施策が都市化を促し、地方の活力を奪うことに力を貸しているような
ところもある。世界最大の東京首都圏に執着するかぎりは地方の活性化は画に
描いた餅になるほかなく、豊かな環境が残る地方に目を向ける若い世代がクル
マの魅力の再発見とともにモビリティの理想追及に走ったら、これだけ技術の
蓄積を手に入れた日本の自動車産業である。答えは無数にあるだろうし、自動
車メディア/ジャーナリストが腕を奮う余地は十分存在する。

 SDGsが想定する2030年では我が孫はまだ小学生。次の10年の後半になっ
てやっと”現役”として活躍できる世代だが、2040年は私が現役でいることが
危ぶまれる米寿の頃合いである。ここで現役の孫と丁々発止のやり取りができ
る身体を維持できるか。身体能力の低下は致し方ないが、可能なかぎり現状維
持が図れたら望外の幸せというべきだろう。

 無益な老害に傾くことなく、ひたすらクルマの魅力を実感することを心掛け
て次の世代に申し送ることができたなら、破天荒を極めた過去40年余りも無駄
ではなかったと振り返られるのではないか。

 M.フェルスタッペンは「ヒール&トゥ?それ何!?」今や古典的と評され
ることになったドライビングテクニックの基本を知らなかったという。無理も
合い。カートに始まって以来、ずっと2ペダル。左足ブレーキが基本であり、
トップフォーミュラに至る各カテゴリーもすでにそうなっていた。F1で最年
少記録を更新している逸材だが、時代の変化にともなう技術革新に順応する才
能はピカ一でもオールドスタイルのテクニックに遊ぶ余裕はない、ということ
だろう。

 今でも郷愁を誘う昔ながらのクルマを愛する者は多いが、この先の10年はど
のような変化が訪れるのだろうか。楽しみでもあり、これまでを残して置きた
くもある。                              
                                   
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