まぐまぐ!伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』の臨時掲載中。期間限定でお届けします。
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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第383号2020.5.26配信分
●科学と技術の進歩が人口爆発をもたらした!
新型コロナウィルス(COVID-19という正式な呼称があるのに何故か日本で
はメディアで使われることがない)感染拡大を受けて政府が発動していた『緊
急事態宣言』が、5月25日全国で解除された。去る4月7日に安倍晋三内閣総
理大臣によって発出され、ゴールデンウィーク明け5月6日の解除予定をさら
に末日まで延長した上で約一週間早める。54日が48日に短縮されただけだが、
前倒しは感染による身の危険よりも経済的困難による先行き不安が募っていた
人々のガス抜き効果という点で、評価される期待が込められた感がある。
しかし、ウィルス感染症によるパンデミックがこれほど人々の暮らしぶりを
変えるものだろうか。誰もが人類史の1ページを共有している感覚を抱きなが
ら、地球規模で刻一刻と進展する状況をリアルタイムで知る。インターネット
の普及からおよそ四半世紀。情報が瞬時に世界を駆けめぐる現代は、100年前
の『スペイン風邪』パンデミックに見舞われた国際社会とは何もかもが異なる。
当時の地球人口は20億弱。77億人超ある現在の4分の1ほどでしかないが、
一説では全地球人口の5%の命が失われた。科学の進展と技術の進歩が比較に
ならないほど充実し蓄積した現在を当時と同列に語ることできないだろうが、
人は忘れる動物であり繰り返しの歴史の果てに今がある。未だに有効な治療薬
もワクチンもなく予防の徹底にも限界があるのは明らかなので、ウィルス感染
症によるパンデミックは年単位のオーダーで続くと身構えるのが得策だろう。
これまでのところ、冬季の北半球が流行の中心だったが、すでに季節が入れ
替わった南半球に感染拡大の兆しが見え始め、一旦収束しそうな東西から南北
半球という地球特有の環境要因が加わって先行きの見通しが立たないことに留
意する必要がある。
すでに多くの経済活動が従来通りには行かなくなり、変化に対応しきれない
人々が呆然と状況の移ろいを見送る中、現実の生活が次々と強制終了の形を取
りつつ様変わりを見せ始めている。通勤を伴わないリモートワークが実行に移
され、都道府県という自治体境界を越えての移動が制限されることで公共交通
機関によるモビリティは、その企業活動を前提とする収益構造自体が将来的に
成り立たないことを図らずも明かにしてしまった。
平たく言えば、戦後の復興を目的とした中央の行政官僚機構主導による計画
経済が、75年という長い期間に渡ってモディファイを繰り返しながら基本的な
変化を拒んできたのだが、さすがに21世紀のグローバルスタンダードとなった
本格的な情報化社会には対応しきれなくなった、ということに尽きるだろう。
●常識を疑うことからしか”脱今まで通り”の発想は生まれない
象徴的な例として国内と国際の二つの局面に関わるモビリティツールの現実
が日本という国が置かれている状況を浮き彫りにしている。一つは、明治以降
の富国強兵政策の一環として北海道・本州・四国・九州という4つのメインラ
ンドに張り巡らされた鉄道網と、そのアップデートを人員輸送に特化すること
で今後急速に進展する少子高齢化社会による人口減少社会の真逆を行くことが
明らかになりつつある整備新幹線網の現実だ。
そして二つめは、”狭い日本そんなに急いでどこへ行く”という事実に反す
る標語の矛盾を国内目線しか持てない霞が関の行政官僚特有の”内向き論理”
で47都道府県に漏れなく空港を整備することを掲げる一方、極東に位置する島
国である現実を忘れて世界の中継点となるハブ空港の発想を持たずに国際的地
位を下げ続けている航空行政の無為無策ぶりだろう。
国内における所轄官庁としての権限やそれに伴う既得権益(天下り先など)
にこだわる官僚機構の無謬性に基づく前例主義は、昭和の発展途上段階までは
機能したが、その変れない体質が平成のデフレ不況の元凶となった。そして、
『失われた30年』を経た令和の2年目にして21世紀二つ目のディケードが過ぎ
た2020年という節目にCOVID-19によるパンデミックという"外圧"によって大急
ぎで変化に対応する必要性に気づかされることになった。
日本の国土は4つのメインランドと6847の離島(海岸線長100m以上)からな
る約37万平方キロメートルであり、本島の北端稚内宗谷岬から南端大隅半島佐
多岬までの移動には優に3日は掛かる。”狭い日本……”という伝説的な標語
を書いたのは1970年代の四国高知の巡査ということだが、彼がこの国土を走破
したとは到底考えられない。当時の高速道路網は東名~名神という太平洋ベル
ト地帯を結ぶ一本きりであり、1962年の改正道交法で規定された100km/hの法
定最高速度が現実的であった時代である。
あれからすでに50年。半世紀が過ぎて自動車技術も道路インフラも雲泥の開
きが明らかになっているのに、許認可権を握る関係官庁の無責任体質(無謬性)
に囚われ、前例主義を隠れ蓑に自ら責任を取る覚悟で時代の変化に対応するこ
とをとことん避ける。この中央官庁の規範が被許認可事業の民間にも伝播し、
集団体制の中で責任の所在が分からなくするサラリーマン企業体質につながっ
ている。日本社会が、グローバル経済で糧を得ているにもかかわらず日本独自
(ガラパゴス化)に留まろうとしてアップデートの妨げている、と私は見る。
今まで通りに留まろうと悪あがきを続ける日本型経営は、拡大する内需主導
で成長してきた10年前に人口減少サイクルに転じたところで大転換を図る必要
があった。現実は国内での成長パターンをグローバル化のオフショアに乗って
戦後から一貫して続けられた"従来通り"を温存することで『規格大量生産に基
づく』最適工業化社会の模範的存在で居られたのだが、21世紀に入って本格化
した"情報化社会(=モノを余剰を見込んで規格大量生産するのではなく、モノ
を情報の状態でストックしていつでも取り出せることを可能にする)"への転換
には決定的に遅れる可能性が生じてしまった。
情報化社会とは、高度に発達した工業化社会を経ずしては実現しないと言わ
れている。ファブレス(製造部門=工場を持たない企業体)を志向してサプライ
チェーンをグローバルに展開することで競争力を得ていたスタイルが、今般の
COVID-19禍で限界を突きつけた感がある。
●分かったつもり知っているつもりを蔓延させたTVの罪
私は、これまで常識と思われてきたことを疑ってみる必要を感じている。例
えば、トヨタ自動車は1995年の奥田碩氏に始まる内部昇格による非創業家3代
の経営トップ(張富士夫、渡邉捷昭両氏)の10数年間で、国内生産中心から海
外現地生産にシフト。40万台/年のハイペースで瞬く間に業容を2倍に引上げ、
世界に冠たるトップメーカーの地位を築いている。
奥田氏は、時代の趨勢をグローバル経営の第一線で肌に感じるところから、
全体のわずか2%の株式保有に留まる豊田家支配による弊害を悟り『持株会社
化』を構想していたという。昭和末期から平成初期のバブル/ポストバブル期
に”石橋を叩いてなお渡らない”豊田創業家の堅実経営が奏功して、有能な内
部昇格組経営陣の大胆な変革をもたらしたのは歴史の綾ともいえるが、それが
2008年9月の”リーマンショック”による60年ぶりの赤字転落とアメリカを舞
台にした品質問題や結果的に濡れ衣に終わったリコール騒動によって『タナボ
タ』の大政奉還(創業家経営トップの誕生)に結びついた。
それから11年という長期政権が創業家三代目の豊田章男社長によって続いて
いて、国内300万台生産体制堅持という”公約”を果たす一方で、その2倍近
い海外生産体制が固定化し、本体の売り上げの80%以上が国外というグローバ
ル企業としての実態が深まる中で、創業家中心という日本的なメンタリティの
下で世界を捉えることが政官財業報にも共通する感覚として持て囃されている。
その視点には、日本が国外に市場進出して行く国際化の発想が中心で、世界
から見た日本というメタな感覚を欠いている。日本の国際化にとって最大の課
題となっていることだが、一部の創業経営者を除いては創業家系の後継者にし
ても内部昇格組のサラリーマン社長にしても有望な人材が見当たらない。
そのことをより一層鮮明にしたのが、2018年11月19日に現役代表取締役会長
と同ナンバー2代表取締役の突然の逮捕劇。このメルマガで何度も繰り返して
書き連ねる理由は、未だにこの無理筋の逮捕・起訴からなるゴーンスキャンダ
ルを曲げて理解させてきた日産・検察・政府筋とそのリーク情報を垂れ流して
きたマスメディアの報道を信じて疑わない人の多さに未来の危うさを感じるか
らである。
●日本人の外国人アレルギーは未知の恐怖の裏返し
人は歴史の中で生きている。自らの経験を踏まえ、自身を肯定するところか
ら今を生きて、未来へと進もうとしている。誤りは正せば良いことなのだが、
自説を曲げて屈することを潔しとしない人が多いのもまた事実だろう。そこは
不問としたいが、政治もそうだが経営は結果責任にある。
1999年6月に初来日して以来、カルロス・ゴーン氏はわずか4ヶ月でNRP
(日産リバイバルプラン)をまとめ、黒字化や利益率の確保や有利子負債の解
消をいずれも1年以上の前倒しで実現して見せた。NRPの実際はゴーン氏の指
示によって編成された少壮管理職を中心とする部門横断型のCFT(クロス・
ファンクショナル・チーム)による。数々のリストラ策や垂直型系列の解体な
どは事情に精通した日産のプロパーの仕事であり、ゴーン氏は責任者(COO
=最高執行責任者)としての職責を引き受けたにすぎない。
すべての誤解は、当時のマスメディアによるレッテル貼り(曰くコストカッ
ター…etc)によるものであり、日本の代表的自動車メーカー初の外国人経営
者を鵜の目鷹の目で遠巻きに見ている他なかったことの裏返し。今般のゴーン
報道の日産・検察リーク垂れ流しは、あの時の意趣返しと考えれば納得が行く。
日本の刑事司法の”常識”では、検察が逮捕起訴した段階で有罪が確定(有罪
率99.4%)することになっていて、マスメディアはそれに乗ったにすぎない。
しかも今回は東京地方検察庁特捜部の案件であり、それが起訴した時点で有罪
が確定したことを意味する。そこには『推定無罪』という刑事司法のグローバ
ルスタンダードなどは存在しないことになっている。
すでにこのメルマガでも何度も記しているように、最初の逮捕・起訴の罪状
として挙げられた金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑は、
それが公判に耐え得るか疑問となるものだったし、会社法の特別背任に至って
は一方の当事者でもあるサウジやオマーンの人物から何ら証言を得ていないこ
とが明らかになっている。結果として、検察は公判スケジュールの引き延ばし
を図り、金商法については来年4月に初公判の予定とされ、特別背任にいたっ
てはいつになるのかすら明かされていなかった。
15億円の保釈金を失い、失敗の確率が25%というリスクを負ってまで国外逃
亡を図ったことは”後ろ暗いことがあったから……”と批判的に語る者が後を
絶たないが、日本社会に地縁血縁を持たない外国人が絶望の果てに企てた背景
を我が身に照らせば理解できる。
その意味では、日本社会は中国のそれとそれほど変わらない不気味さで迫っ
てくる。一人旅で海外に出た経験のある者なら分かるはずだが、日本人のパス
ポート保有率は42%と先進国としては異例の低さが際立っている。過半数の日
本人はTVなどが伝える情報で”世界を知ったつもりになっている”ことにほ
とんど無自覚と言っていい。
●30年後に地球人口は減少に転じ、危惧される問題の多くは解消に向かう
ところで、先日このメルマガ『クルマの心』読者から思わぬメールが届い
た。「Amazonギフト券をお送りします。メルマガ読者です。世界情勢予測
のために『2050年世界人口大減少』という本を是非ご一読いただきたい
です。」このようなプレゼントに不慣れなので率直に言って驚いたが、タイ
トルの書籍を検索して見るとナルホド興味深い。末尾に「※他の用途にお使
いいただいても構いません。」とあったが、アマゾンプライムのマイアカウ
ントでギフト券を確認して注文することにした。
タイトルの『2050年世界人口第減少』は、国連の人口推計にある3つのシナ
リオの一つに由来する。現在の地球人口は、世界全体で75.36億人(2017 World
Population Data Sheet)で刻一刻と80億人に迫っている。国連人口部は、高・
中・低位という推計を立て、2100年にそれぞれ165億人、112億人、74億人と
なるシナリオを想定している。
1950年を起点に置いたグラフによれば、65年後の2015年までに約50億人とい
う"爆発的な"増加で約75億人に達した。それがこのまま勢いが衰えずに2050年
に約110億人に達し165億人まで一直線の右肩上がりを続けるか、同97億人から
111億人辺りで収まるか、同88億人でピークを迎えた後は2015年の74億人レベ
ルに戻るか。地球温暖化にしてもエネルギーや食料の絶対量不足による人類存
続の危機にしても、増加の一途をたどる地球人口が問題の元凶という指摘がも
っぱらとなっている。
ところが、本書の著者ダリル・ブリッカー/ジョン・イビットソン両氏は国
連推計でもっとも低位のデータがリアルであり、一旦人口が減少に転じると二
度と増えることはない、という論陣を張ってその検証に入っている。まだ読了
しておらず、330ページからなる全体の3分の1までがやっとの段階だが、こ
れは傾聴に値する意見の一つではないかと思う。
減少に転じる最大の要因は都市化とそれに伴う女性の教育機会の増大にある
としている。まださわりの大意を汲んだだけであり、ディテールの検証はこれ
からだが、未来の展望を暗くしている人口爆発に伴う懸念の多くは杞憂に終わ
る可能性があり、むしろ人口減少の向うにある人類の消滅こそが本質的な問題
となるかもしれない。
人類がこの地上で10億人を超えたのは1750年のことであり、その後の200年
の1950年で25億人に到達。それから60年余りで3倍増という”爆発ぶり”の残
像の形で我々は未来を見ているようなところがある。ここに目下のCOVID-19
パンデミック禍が降りかかり、従来通りではない新たな道を模索する必要が生
じてきている。すべてを東京起点で考える鉄道網や航空路線のあり方に見る中
央集権的かつ統合制御型の公共モビリティではない、国土を有効利用する分散
型地方分権的かつ地域ごとの多様な価値観を前提にした個のモビリティのほう
が現実的で未来的な方向性ではないかと感じる。
まあ、さらなる思索は読了して整理することにするが、永井さん興味深い視
点の提示、ありがとうございます。日頃の本メルマガご愛読のお礼とともに感
謝の気持ちを表明したいと思います。これももっと勉強して未来に貢献するよ
うにとの叱咤激励と受け止めました。支えられている実感が得られて素直に嬉
しい。まだまだ老け込んではいられませんね。
●ゴーンさんに拘り続けるのは、それをうやむやにすると日本が終わるから!
直近のメールをもう一通ご紹介。「メルマガ、いつも読まさせていただいて
ます。」で始まる文面にはまず感想があって、毎回同じ内容が重複してるとこ
があるという指摘。(初めて読む人のためだと思うのですが)とありますが、
確かにくどいかもしれません。本メルマガもお蔭様で通産で380号を数えると
ころとなり、重複を承知の上で敢えて書かざるを得ないという思いが度々あり
ます。
「読む度に、またその話かいなってなってしまう事があります。伏木さんの経
歴は十分知ってるつもりなんで」ほどほどにとのこと。言われて"やっぱり?"
となることもあるので、遠慮なしにお申しつけ下さい。
カルロス・ゴーン氏についての見解もありました。私は直接言葉を交わした
り、数多くの取材現場でこの目で確認した事柄を中心に据えて、あの事件の評
価をしているつもりです。多くの場合、当初マスメディアを介して報じられた
印象操作の結果としての人物像が形を成していて、当初から一方的に悪者扱い
罪人と看做した情報が溢れ返っていました。
プロの経営者を評価する最善の方法は、見た目の評価なんかではなく業績に
限られるべきだと思います。ゴーン氏がCEOの座を西川廣人氏に明け渡した
2017年4月以前と以後での差は歴然であり、西川氏がそれ以前からもゴーン氏
の側近として経営陣の一角を占めていたことを考えると、結果責任は免れませ
ん。あの事件によって毀損されたブランド価値は、日産の再起を不可能にする
ほどのマイナスで、それは1998年末の倒産の危機まで逆戻りさせる暴挙でした。
日産を国内市場ベースのナショナルブランドと捉えるのは自由ですが、現実
は国内1に対して国外10といった比率でグローバル化が進んだコカコーラやマ
クドナルドやスターバックスのような存在になっている。昭和の郷愁に浸りた
い気持ちは理解できますが、全国内販売が50数万台でその4割近くが三菱との
合弁で生産される軽自動車。セブンイレブンが本国のアメリカよりも日本のセ
ブンアンドアイの方が企業として優れているのと同じように、日産の屋台骨は
アメリカと中国でのビジネスが基本になっています。
日本の専門誌を始めとするメディアは基本的に日本語の壁に守られて国際的
な競争関係を持ちませんが、すでに縮小の限りを尽くした日本国内の日産も営
業や広報部門が言うほどには業績に影響は持ち得ません。そこを忘れて日本中
心に語るところに誤解の元がある。
日本におけるカルロス・ゴーン氏の悪評と海外での名声のギャップを知り、
グローバル企業としての日産がいかにしてV字回復を遂げたかを理解すれば自
ずと見方が変るはずですが、日本の日産ファンの多くは日本市場の優に3倍近
い台数を売り上げている米中市場での経営トップの存在感よりも日本人に分か
りやすいかつての日産のイメージの復活を望んでいる。
すでに私の中では日産は消滅の危機の中にあるのでこれ以上の言及は致しか
ねますが、あのゴーンスキャンダルがすべての日本の自動車産業のイメージを
大きく毀損したという事実は肝に銘じておく必要があると思います。
ということで、このメールを寄せてくれた坂田さん。いつも言い難いことを
ズバリ指摘して頂いてありがとうございます。文末にあった「相談なんです
が、ヤリスGR-4。伏木さんの評価は、参考になりました。直ぐに飛びつかず、
1年待ってから買うほうが良いですよね?」ですが、私のヤリスGR-4の評価は
かつてのR32スカイラインGT-Rや三菱ランサー・エボリューション/スバルイ
ンプレッサWRX STiといったグループA競技車両規則の精査から生まれた"ホモ
ロゲーション"モデル群と重なります。
スピードを競うレーシングベースモデルは、それ自体がイリュージョンであ
り価値判断は競技で勝つことでのみ評価される。そのことへの共感が所有する
モチベーションの第一義であり、すでに過剰領域の極みにあるパワーや走りの
パフォーマンスは、国内においてはクローズドサーキット以外で消費すること
はまず叶わない。
ヤリスGR-4がどれほどのテクスチャー(肌触り?)を備えているかについて
は、未試乗なので言及は出来ませんが、現在のトヨタの技術力とGRブラン
ドに賭ける全社的な取り組みを考えると『ハズレ』はあり得ない。これが駄
目なら、トヨタに期待するものは何もないと言っても過ぎることはないでし
ょう。
●そもそも道路は無料であると決められていたはずだった
さて緊急事態宣言が解除になって、今後の見通しを早急に固めて実行に移す
必要がある、と思えるようになってきた。経済の立て直しには今まで通りとい
う方法論が通用しそうもない。テレワークによるデメリットがほとんどないこ
とが明らかになる一方で、移動に関わる時間や費用のロスを抑えつつ、通信技
術やハード/ソフトの低価格化と高性能化によって効率向上が見込めることが
はっきりしたという。
このところ週3で物流センターで肉体労働に励むことがルーティーンとなっ
て久しいが、利用するJR横浜線の乗車率の劇的とも言える低下は公共交通機
関の未来に暗い影を落とす。新卒一括採用や終身雇用や年功序列型の賃金体系
など、戦後の経済復興期を支えた労働集約的な会社経営の基本となる企業シス
テムは、情報手段の多様化・高速化・低コスト化といったハート/ソフト両面
の進歩によって変るべき時が来ていた。
とくに既得権益に染まった公務員社会では、合理化反対闘争に象徴される前
例主義と情報技術の積極導入を阻む変ることへの抵抗によって、最新技術への
アップデートに消極的な状況が顕著になっているが、すでに人口が減少サイク
ルに入って10年余り。少子高齢化社会への急激な変化が無難な職業としての公
務員を過去のモノにしようとしている。
私はすでに68であり15歳から64歳までのいわゆる生産年齢世代から外れて久
しいが、今後は高齢者の激増とそれに見合わない若者の経済的負担の増加は、
あらゆる社会の仕組みを大きく変化させないわけには行かなくなるだろう。
情報のやり取りであるならばAI(人工知能)を駆使したオンライン上での
技術革新で事足りるが、問題は身体性を伴うモノの移動や身体そのものを動か
すモビリティの在りようだろう。
大量輸送を前提とした鉄道による公共交通機関は、人口増加や都市への集中
に伴う都市化の時代背景には右肩上がりの成長パターンに当てはめれば良かっ
たが、減少に転じたとなるとたちまち減便やコスト割れに対して敏感にならざ
るを得ない。そもそも企業が経費扱いすることで割高な運賃体系を強いてきた
整備新幹線などは、たちまち成長軌道を外れてやがて廃線も余儀なくされるに
至ったローカル線と同じ運命を辿る可能性がある。
すべてが東京を起点に考えられたような鉄道網や国内国際の如何に問わずま
ず首都圏ありきの効率論で回ってきたシステムが、収支面でマイナスに向かう
可能性が現実的となってきた。この高コスト体質でも、世界に冠たる物珍しさ
が商品性を持つ新幹線はインバウンドの旅行者を引き寄せていたが、今回のパ
ンデミックによる事実上の国境封鎖がそのアプローチを塞いだ。企業活動の自
粛にともなう地方支社への出張停止とともに見込める乗客が激減したにもかか
わらず減便などの現実対応が出来ない旧国鉄労組時代以来の柔軟性のなさが、
時代のターニングポイントを迎えていることに対する緊張感のなさにつながっ
ている。
今回緊急事態宣言にともなってキーワードとなった”三密”を避ける方法論
として、もともとパーソナルモビリティツールとして発展してきたクルマは有
効かつ有用だということがはっきりした。しかし、自動車交通行政を担う国交
省や経産省や警察公安などの関係省庁は、国家の屋台骨を支える基幹産業であ
る自動車の使い方に関しては異様と言えるほど冷淡な態度を貫いている。
自動車の所有から使用に至るプロセスで要求されるランニングコストは、お
よそこれで多くの人口を養っているという自覚を忘れさせるほど高額で、クル
マを持つことが一種の罰ゲームのような印象すら与える。
日本の道路交通環境に横たわる困難は中国のそれと基本的に変わらない。ま
ず第一に世界で最も高額な高速道路通行料を挙げたい。道路法の基本理念は、
道路は原則無料で供用されるとしているが、日本では特別措置として法の解釈
を曲げる役人の悪知恵が横行している。立法府の国会は代議士の力量不足や不
勉強もあって国民の代表というよりも行政官僚制にお墨付きを与える態となっ
ている。
高速道の有料化は、元々期限が来れば無料となる償還制を前提に始まったは
ずだか、いつの間にか財源の確保と将来の路線延長のために”プール制”とい
う後付けの論理が既成事実化され、受益者負担というもっともらしい詭弁を弄
することで永遠に有料とすることが当然と考えられるようになった。
自動車関係諸税には道路建設のための特定財源があったはずであり、未だに
暫定税率が高止まりのまま放置されたガソリン(揮発油)税などは本来の道路
建設のための目的税であったはずなのだが、2009年度から一般財源化され現在
に至っている。さらに言えば、高速道路の有料制は建設費の償還を早めるため
の暫定措置として始まった。
そこに受益者負担の原則が転用され、高速道路は走行するクルマの所有者が
料金を払うのが当然といった意見が自動車メディアの中からも発せられた(中
には無料化すると通行量が増えるので有料化が混雑緩和の一翼を担う方が良い
などという御用評論家らしい珍説を唱える同業もあったが、これなどは呆れる
他ない御都合主義の典型だろう)。
●昭和の語り口を令和の今も続ける愚。その劣化コピーぶりに気付こう
言うまでもなく、日本の自動車産業は製造品出荷額等で60兆6,999億円、全
製造業の製造品出荷額等に占める自動車製造業の割合は19.0%に上り、自動車
関連産業の就業人口は546万人に達するという(2017年:JAMA=日本自動車工
業会)。自動車輸出金額は16兆円。過去25年間のグローバル化の進展で貿易黒
字額は横這いだが、海外現地生産は国内の優に2倍、同販売は対国内比で4倍
を超える様変わりを見せている。
日本語の壁に守られ、日本国内では海外メディアとの競争と無縁でいられる
国際感覚の欠如から「日本にとって都合の良い海外情報」を選りすぐり、「グ
ローバル化の進展によって、”世界の中にある日本”というメタな視点を持つ
必要性が不可欠となっているのに、日本の常識は世界の非常識というフェアな
本質論に言及する」ことを巧みに避けている。
私は、20世紀末の日本に訪れた昭和末期から平成初期のバルブ経済~バルブ
崩壊の結果(それは日本の国内市場が人口増にともなう成長が都市化の進展に
よって限界に達し、縮小へと反転したことによる)新たなフロンティアを海外
に向けざるを得なくなったところに誕生した日産、マツダ、三菱の自動車各社
の外国人経営者に引き寄せられる形で、それまでのプレスツアーとは異なる視
点での国際自動車ショー取材に傾倒していった。
これも本メルマガで繰り返し記していることだが、”顎足枕”を企業に依存
しないフリーな立場での取材の一環として諸外国での現地試乗を実施。そこで
日本に居て日本市場目線の価値観に留まっていてはけっして知ることのない日
本車の存在を身を以て確認した。要するに日本の旧態依然とした市場環境だけ
で日本の自動車産業を論じていてはその本質を見誤る、ということである。
過去四半世紀の間に、日本の自動車メーカーはすべてグローバル化を果た
し、多くの場合その収益の大半を国外から得るようになっている。日本の専門
誌を中心とする既存メディア/ジャーナリストが、昭和時代末期の発展途上段
階では当たり前だった実地の取材に基づくメーカーとの喧々諤々から遠ざかっ
て久しい。バブルの狂騒に酔った一部メーカーとの空騒ぎが、バブル崩壊によ
って霧消し、1990年代中頃に普及が始まったインターネットによるメディア
の変革が出版メディアから独自取材で市場をリードするトレンドセッターの役
回りを奪った。
生き残りの切実な課題を前に既存出版メディアと帰属するジャーナリストが
採ったのはメーカーのパブリシティに商品としての情報の大半を依存する『発
表報道』や『タイアップ』で収益を確保する行き方。インタラクティブ(双方
向性)が基本のインターネットメディアの普及と逆行する上流(メディア)→
下流(読者)の関係に甘んじて、情報発信と同時に市場からリアクションが発
生するという時代認識のずれが変化に対応できない既得権益層と判断されてい
ることに目を閉じ耳を塞いでいる観がある。
●プレスツアーで何を語るか。情報の受け取り側を向いた生の声が必要だ
私は、欧州メーカー(とくにドイツのいわゆるジャーマンスリーの系譜に連
なる)のプレスツアーそのものには肯定的な意見を持っている。ブランド価値
の創造に根差したそれは、ロケーション選びに始まって歴史や文化を肌で知る
またとない機会であり、メディアによる情報発信の効果を熟知したプロパガン
ダに長けた国民性を背景にした参加者を下にも置かない厚遇はジャーナリスト
にとって得難い経験の場であることは疑いようもない。
問題は、プレスツアーに名を連ねることが自己目的化して、メーカーのメデ
ィアコントロールに自ら進んで与する者がグループ化してしまうことにある。
ビジネスクラスで富んで五つ星ホテルに泊まってゴールデンサンプルの試乗車
を絶景の地でテストする経験は、一度知ったら手離したくなくなる魅力に満ち
満ちている。
それがまだ日本市場が未成熟な発展途上段階だったら彼我の差を語る意味も
あったが、すでに日本の自動車産業が台数のオーダーで覇権を握って久しい。
すでに産業としては成熟期から反転して衰退サイクルに入っていることを考え
ると、華やかな演出の現地においてクルマ単体の”評価”というお花畑に遊ぶ
行為は無意味というより害悪ですらある。
比較的自由でクルマをクルマらしく使うことが許されている社会での印象
が、半世紀以上に渡って旧態依然の法体系の下で抑え込まれた日本社会で権威
づけとともに語られることの恥ずかしさに無自覚であるとしたら、職業として
の彼の存在価値はどこにあるのだろう。
日本の情報産業の決定的な問題は、情報を寡占状態で手に入れる身分に執着
して時代の変化に対する”抵抗勢力”と化していることに無自覚な点にある。
世界的にも類例のない政官財業という情報ソースと一体化した『記者クラブ』
はその典型だが、同じような構造はすべての既存メディアに共通する。
私の経験を語らせてもらえば、これまでに東西南北各半球の37カ国を訪れて
この地球上に存在する多様性の一端を理解している。300回以上に及ぶ渡航歴
の内今世紀に入ってからのおよそ3分の1は一人旅であり、そこでの失敗談は数
知れず。よくぞ無事にサバイバル出来たもんだと我ながら感心することもある。
●上海は沖縄那覇と変わらないフライト距離。文化的違いを体感すべし
1980年代にヨーロッパを皮切りに世界を肌で感じてきた。20代後半に始まり
30代で欧州に加えてアメリカが加わった。1980年代末になるとバブルの勢いを
駆って日本メーカーが活気づき、雑誌メディアの創刊が相次ぐとともにカタカ
ナ職業の編集者/ライターがその余力に与って”クルマの本場”欧州へと草木
も靡いた。
ポストバブルの日米自動車協議妥結とカリフォルニア州が法制化すると報じ
られた『ZEV規制=Zelo Emission Vehicle:大気清浄法』への関心からアメ
リカ取材に軸足を移すことにした。人が右ならオレ左という天の邪鬼というよ
りレッドオーシャンよりブルーオーシャンに賭けるそれまでの生き方の結果だ
が、そこにC.ゴーン、M.フィールズ両氏という日本の自動車メーカーに若
い外国人プロ経営者が現れ、グローバル化や地球環境問題という時代のトレン
ドが加わって、日本という極東の島国が置かれている現実を知るきっかけとな
っている。
中国本土は2004年のFIAフォーミュラ1中か国GP@上海が初の本格上陸だっ
たが、個人的には2007年の上海国際自動車ショー取材に単身渡航したことに
始まる。この時点では中国の自動車保有台数は日本のおよそ半分42,500,000
台で過半数を商用車(トラック/バス)が占める段階だったが、2008年の北京オ
リンピック、2010年の上海万博からの"自動車の爆発的普及"はまさに昇竜の
勢い。
F1開催時の上海にはまだ残っていた牧歌的な雰囲気は、鳴り響く槌音ととも
に年を追う毎に街の姿が変貌する。まさにコマ落としのようなスピード感とと
もにクルマが街中に溢れ、上海や北京といった大都市圏では漫画のような勢い
で地下鉄網が充実して行った。
最初の上海ショーではコピー文化の中国を象徴する日本車のそっくりさんに
目を丸くしたが、あれから10年余を経て状況は大きく変化しつつある。すでに
中国は世界最大の自動車市場と化しており、全土における保有台数はアメリカ
に次ぐ第2位の位置を占めている。過去10年間の保有増はほぼ新車によるもの
で、昔ながらの牧歌的中国車は相対的に少数派に追いやられている。
驚きはクルマの洪水だけではなく、道路建設ラッシュの現実だろう。ミレニ
アム期に日本の円借款で北京首都国際空港や上海浦東国際空港が造られたこと
は良く知られているが、この頃北京や上海市内に建設された都市高速道路は日
本の首都高速のような交通量を低く見積もった2車線の脆弱なスケールがほと
んど。ところが、経済発展が顕著となったリーマンショック以降の道路インフ
ラは劇的な変貌を遂げていた。
●すでに中国の高速道路は日本のそれを超えている!
中国は、6ヶ月以上の滞在ビザを持たない者のクルマによる路上進出を認め
ていない。旅行者が気軽にレンタカーを借りて自動車旅行を楽しむ余地は残さ
れていない。有効な運転免許証とクレジットカードがあれば即どこへでも好き
に走り出せる。欧州諸国やアメリカのような先進国では当たり前のことを中国
で計画しても、できませんの一言で終わりだろう。
ここ数年の中国の変貌ぶりは目を見張らされるものがある。私は4年前に招
かれて河北省の保定市に本拠を構える長城汽車を訪れている。その世界の最新
設備を揃えた業容と世界中から人材を募ったマンパワーと工場のワーカーの若
さにやがて追いつき追い越される日本メーカーの姿を創造せざるを得なかっ
た。仮に急成長の反動で経済が破綻することがあっても、旺盛な市場の消費
意欲を考えると伸び代はまだまだある。内需主導で経済を回して技術力を蓄え
た後にグローバル展開を試みれば、ゼロサムが通り相場の市場原理によって量
の支配は中国の手に落ちるのは必至だろう。
残念ながら私は未だ中国をクルマで旅したことはない。保定市郊外の長城汽
車のテストコース内と同市内の一角で試乗とは言えない2ブロックの直線路を
撮影ドライブしただけだが、北京の首都国際空港~保定市長城汽車本社間の送
迎移動で見た中国の最新高速道路事情は忘れがたい。北京の都心部を抜けると
南は遠く香港マカオに至る幹線道路の中国国家高速G4=京港澳高速道路の一
部京石高速道路を約200km行った先が河北省の旧省都でありかつての直隷総督
府が置かれた保定市。日本人でこの街を知る人は少ないと思うが、中国の行政
級別によると『地級市』であり、総面積は四国に匹敵する広さ。ここに1000万
人以上の人口が存在する。
中国におけるメガシティの存在は想像を絶するものがあるが、簡単に言えば
東京が二桁のオーダーで存在する。近年の高速道路の建設ラッシュは凄まじ
く、2001年に19,000kmの総延長が15年後の2016年末には13万km超に達し、
アメリカに次いで世界第2位に急成長している。
先述のG4の一部京石高速の印象は衝撃的だった。片側4車線の最高速レー
ンは120km/hに制限速度が設定され、時折現れる標識には赤文字の120の下に青
文字で110km/hとある。最低速度の設定があるのだ。その右側第2レーンは最
高速度は同じだが最低速度は100km/h。さらにその右隣は100km/hの最高速度
に80km/hの最低速度。さらに最低速レーンは100km/hに中国の高速道路に設定
されている最低速度60km/hという設定がなされていた。
道中の交通量は平日の午前でもまばらで、制限速度を超えて追い越して行く
クルマはほとんどなかった。厳しい取締りと高額の罰金による抑止力は北京政
府のお膝元ということで禁を犯す強者はいないとのことである。
●中国で外国人旅行者が不安なく自動車旅行を楽しむ日は訪れるだろうか?
すでに中国におけるクルマ事情は、外資との合弁を組む国営大手の最新モデ
ルが半数近くを占め、徐々に国際レベルに近づきつつある比較的安価な民族系
が世界第3位に留まる日本の2倍以上のオーダーで売られている。今世紀に入
ってからの保有は2億台に迫る純増で、まだまだ伸び代は残されている。この
旺盛な需要がいつ尽きるかは謎だが、すでにドイツの自動車産業が中国一本足
打法に傾いている現実からも明らかなように、圧倒的な需要を抱えるこの地が
世界のクルマのトレンドセッターになる可能性は否定できないだろう。
ただし、中国のモータリゼーションは世界に開かれてはいない。路上を行く
クルマの運転者のほとんどは中国人で占められ、インバウンド需要が将来性を
持つとは考えにくい。率直に言って、中国語に堪能でない限りこの広大な大地
をクルマで旅しようとは思わない。島国日本に比べたら圧倒的スケールで迫る
中国は走り甲斐のある環境であるのは間違いないが、簡略体の漢字読み取りの
難易度は似て非なるものだけに厳しい。
中国の高速道路は自治体ごとに料金を徴収する仕組み。道路は国営ではな
く、各自治体が株式会社方式で運営していると聞いている。何やら日本の道路
公団から民営化したNEXCOを参考にしてる節があるが、仮に自らの運転が可能
だったとしてトラブルに遭遇した時の対処に困難を生じる。中国では上海など
の国際都市を除いて英語が通じる可能性はない。果たして、中国で外国人旅行
者が不安なく自動車旅行を楽しむ日は訪れるだろうか。
翻って日本。多くの日本人にとって現状は当たり前の光景となっているはず
だが、私らがアメリカやヨーロッパ(EU)の各国を旅するのと同じ気楽さで
外国人旅行者が自動車旅行を楽しむようになっているだろうか?
そもそも高速道路の有り様が世界の常識から外れている。たとえば高速道路
の通行料金は、国鉄の名残を留めるJRの運賃なかでも飛び切り高い新幹線や
その競合相手の航空料金とのバランスを念頭に設定されているフシがある。身
一つで乗れる公共交通手段と違って、自動車モビリティは現在のところ自前の
クルマを用意した上でさらに法外とも言える通行料金を払う必要がある。
モータリゼーションの母国アメリカでは高速道路はシステムの基本を成すイ
ンフラでごく一部の有料区間を除いて原則無料。ユーラシア大陸の対岸に位置
する島国で、右ハンドル/左側通行というインフラも共通するイギリスでもモ
ーターウェイに料金所は存在しない。古都ロンドンではクルマの流入制限を目
的としたロードプライシングが実施されているが、空いたカントリーロードの
制限速度は60mph(=96km/h)を許容。その痛快な移動スピードがモーターレー
シングの母国としての地位に結びついている観がある。
英国は1960年代に自動車産業をはじめとする製造業(モノ作り)中心から脱却
する構造改革を行い、有力な大手自動車メーカーはなりを潜めたが、クルマを
消費することに長けた自動車文化の洗練度は他にはない深みを持つ。そこに独
特の階級社会の存在を認めないわけには行かないが、基本的にフラットな日本
社会とは違うという認識は必要だろう。
こと自動車に関しては日本のライバルとして位置づけられるドイツだが、自
動車発明の母国であるという事実に加えて、速度無制限区間を現在も残してい
るアウトバーンがドイツ車のブランド価値を不動のものにしている事実は疑い
ようがない。
日本の自然環境は東西南北それぞれの個性に彩られながら、四季による地域
ごとの特性は世界屈指の変化に富み、四方を海に囲まれた山がちの地形がクル
マが走る道路の多様性を生んでいる。この37万平方キロメートルの国土は、け
っして狭くはなく、道路整備の再構築しだいでは世界中の人々を招き寄せる魅
力に溢れている。
●道路利用2万円/一週間を”安い”と考える外国人がどれだけいるだろう?
ところが、高速道路の現実に表れているように、日本人は自らの排他性に気
付くことなく自由往来を拒んでいる。国交省に統一される直前の2000年に筑波
研究学園都市において『スマートクルーズ・demo2000』というイベントが開
催された。ASV(先進安全自動車)やITC(高度道路交通システム)、E
TC(電子通行料金自動収受システム)やAHS(走行支援道路システム)な
ど現在の自動運転論議のコアになるソリューションを当時の運輸省と建設省が
それぞれ独自(の縄張り意識)で報道発表を行なった。
今ある技術の種が明かされた最初の機会だったが、ETCが世界の潮流から
外れたモノだったことからも分かるように、日本の行政官僚の国際感覚のなさ
無謬性に囚われた前例主義(と変化を受け入れない無責任体質)が世界市場で
の覇権を手にする絶好の機会を無にしている。
大体、日本の高速道路の料金ゲートの無用なまでに立派な設えは、世界一高
額な通行料金を徴収する構えとして存在している。ETCシステムは日本のク
レジットカードだけに紐づけられていて、一部の訪日外国人向けETC乗り放
題プラン「Japan Expressway Pass」(7日間で2万円)を除けば使えない。
そもそも、7日間の利用で2万円が割安と言っている段階で世界の常識から
ズレている。アメリカや欧州の空港でクルマを手配してキーを受け取れば即走
り出せる事実を知り、高速道路や国境トンネルなど有料ではあるけれど納得の
行くレベルだという現実を身を以て経験していると、日本人は何というお人好
しなのかという思いを禁じ得ない。
シェンゲン条約(締結国同士だと国境でのパスポートコントロールが不要と
なる)を結ぶドイツとスイスでは原則無料とアウトバーンと年間通行料の支払
いを証明する”ヴィニエット”というシール(30ユーロ)が必要になるスイス
というように違いはある。イタリアやフランスでも有料道路は珍しいものでは
ないが、東京~大阪間の通行料金が新幹線の自由席と2000円しか変わらないと
いう馬鹿げた設定はそうある話ではない。
役人の悪知恵で、日本道路公団の運営部門を分割民営化して天下り先を設け
た上で、かつての無為無策や負債の累積に対する責任の所在を曖昧にして、そ
のツケだけを利用者に支払わせている。
自動車が日本の基幹産業である事実を踏まえて、世界で2700万台以上を売っ
た実績を考えれば母国の自動車利用者を優遇して何らかの還元策が講じられて
不思議はない。すでに少子高齢化の進展が明らかとなり人口減少サイクルに転
じて10年。右肩上がりの人口増を前提に構築されてきた公共交通システムが、
技術の進歩に伴うテレワーク化の流れで減収から不採算化=廃線の長期展望が
させられなくなりそうでもある。
今回COVID-19パンデミック禍は、従来通りで逃げ切りを図れると踏んでいた
既得権益を握る世代の想定は遥かに上回るスピードで時代の変化をもたらす予
感がある。"ソーシャルディスタンス"がキーワードとして浮上し、パーソナル
モビリティならではの『ランダム・アクセス性』がクルマの最大価値の一つと
して再浮上した観がある。
果たして、安全性を謳い文句に運転当事者の意志を離れて誰か(エンジニア
だったり、行政担当者だったり)の意図するところで集中制御を行なうCASEな
どのテクノロジーのあり方が健全かつ賢明なのか。
考えるきっかけとして、今回の終わりの見えない厄災パンデミック禍は良い
機会だと捉えてもいいのではないだろうか。
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