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2020年5月31日日曜日

12年前の”リーマンショック”(2008年9月15日)直後に、それが世界的な、景気後退(リセッション)につながると予測する日本の製造業や報道関係は少なかったが、自動車メーカー各社は空前の業績不振に陥った。
今回のCOVID-19パンデミック禍は、あの時を上回る深刻な事態を招くという見方が一般的。リーマン‥‥の時も深刻さが一般に浸透するのに半年ほど掛かったはずだが、見えざる敵が相手の今回はまだ身に沁みて痛みが伝わるまでに至っていない。
すべてはこれからだと思うが、総崩れにならなければいいのだが。メルマガ『クルマの心』第381号では、実はトヨタが危ないという『トヨタが地上から消えてなくなる日』を連載した昨年来の展開を再び辿っています。

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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第381号2020.5.12配信分


●トヨタも再び赤字に沈む予感がする。危機は好機となり得るか?

 トヨタ自動車は5月12日、2021年3月期の連結営業利益が前年比8割減の5000
億円となる見通しを発表した。インターネット中継による決算会見で明かされた
想定によれば、世界の新車販売は22%減の700万台。通常期なら”ぎょっと”す
る見通し公表だが、今は世界中あちこちの工場が止まっている非常事態である。
席上、豊田章男社長は「国内生産300万台の死守」「次世代技術への投資継続」
などを強調し、安心感の醸成に努めた。

「クルマを造ることで、仕入れ先の工場が動き、地域社会が動く。多くの人の
(通常の)生活を取り戻す一助となる。危機的状況だからこそ、分かっている状
況を正直に話し、一つの基準を示すことが必要だ。基準があることで、皆さん、
何かしらの計画や準備ができる」いつもながらの正論であり、異論を差し挟む余
地がないように見えるが、私は豊田社長の言を額面通り受け取ることを避ける習
慣を身に付けている。

 日経ビジネス(business nikkei.com)が伝えるところでは、『見通し』を出す
かについてはトヨタ経営陣の中でも議論があったという。前述の理由で先行きを
見せることを選び、販売台数が2割以上減っても5000億円の営業黒字を出せると
示したのは経営トップの(願望に近い)意志であり、希望的観測を含む影響力の
誇示なのだろう。その上で強調したのが、国内生産300万台という現在の生産体
制の維持の必要性ということだろう。

「(超円高などがあっても)守り続けてきたのは、世の中が困った時に必要なも
のを造ることができる技術と技能を持った人材。人はカイゼンの源で、モノ作り
を成長、発展させる原動力だ」サプライチェーンを含む『トヨタ経済圏』の人々
に向けた豊田社長の言葉は、内向きのリップサービスとしては一定の効果が認め
られる。ただ忘れてはならないのは、トヨタは収益の大半を国外から得る世界的
なグローバルカンパニーであり、『三河モンロー主義』と言われた四半世紀前の
ニッポンのトヨタとはまったく異なる業態となっている。

 同じ日に2020年3月期決算を発表したホンダ(本田技研工業)は、2021年3月
期の業績予想の発表を控えた。自動車各社の世界販売は一様に激減し、生産調整
によって各国各地の工場は軒並み休止している。欧州や米国では生産再開の兆し
があるものの、まともに稼働を始めたのは中国ぐらいでしかない。「様子見」と
いうスタンスに留まるホンダは、国外の生産/販売規模が国内のそれを圧倒的に
上回る(販売ベースでおよそ10対1の比率)。等身大という意味ではグローバル
カンパニーとして生きる宿命にあるホンダの方が現実的と見ていいだろう。

●マツダは危機を乗り越えられるだろうか?

 
 いっぽう日産は、2020年3月期連結最終損益でリーマンショックに沈んだ2009
年3月期以来の赤字に転落するのが確実だ。2016年に度重なる不祥事の末に日産
の傘下に収まって久しい三菱も2020年3月期で260億円の赤字を計上するといい、
『親会社』のルノーも赤字に沈むのが必至となっている。

 ルノー日産三菱というアライアンスメンバーシップは2016年にグローバル販売
世界一の座を視野に入れたのも束の間、C.ゴーン社長自らが招請したとされる
盟友中村史郎CCO(チーフクリエィティブオフィサー専務執行役員)とともに
第一線から退いた2017年4月からのわずか3年間で崖っぷちに転落する憂き目を見
ている。

  今般のCOVID-19パンデミック禍はすでに危機的状況にあった日産に止めを刺す
かのような厄災であり、運がないといえばそうだが、ブランドコアに位置してい
たカリスマ経営者を無定見に引きずり下ろした挙句、会社を存亡の危機に陥れた
ことの責任を、西川廣人前社長を始めとするプロパー経営陣や東京地検特捜部を
先鋒とする政府筋、さらにはそれらに同調した全マスコミはどのようにして取る
のだろう。

  日本の自動車メーカートップ5の一角を占めるマツダも無事では済まなそうだ。
同社が3メガバンクに3000億円規模の融資を要請したと報じられたのは3日前の
5月9日のこと。日本やアメリカでの販売苦戦にCOVID-19感染拡大による収益構
造の急激な悪化が加わった。事業活動に関わる現金の流れ(キャッシュフロー)も
マイナスとなったことから手元現金の積み増しする必要ができた。

  事態はリーマンブラザーズ破綻を受けて世界金融恐慌状況に陥った2008年から
の5年間よりも厳しい。当時は深刻な状況が"危機バネ"として作用し乾坤一擲の
SKYACTIV TECHNOLOGYと魂動デザインを創出。時流に乗ったSUVのCX-5
皮切りに『6世代』と称する新生MAZDA商品群によって新境地を拓く端緒につ
ことが出来た。2010年晩夏のベルリンとミラノでなけなしのキャッシュを集め
開催したテクノロジーフォーラムとデザインワークショップ発の情報が起死回
をもたらし、マツダブランドは俄かに活気づいた。

  実は重要なのは次の『7世代』であり、6世代以上のインパクトを発信しない
と息切れの恐れがあった。ブランドは我慢であり、継続の中からしか本物は生ま
れない。ところが、金井誠太会長/小飼雅道社長から引き継いだ現経営陣は小さ
な成功に慢心し自らの技術とデザインの大本となる商品企画に緩みを生じさせた。

 次代の大変革(FR化)に向けたブリッジモデルと位置づけられた2代目CX
-5には初代ほどのインパクトはなく、世界的なドル箱的存在なのに華を欠いた。
過去の例からすればグローバルな販売エースのマツダ3(国内もアクセラを改め
MAZDA3で統一)に力を入れたくなる気持ちは分かるが、すでに過去の遺物化しつ
あるドイツ流価値観(パワー/スピードで価値を測る手法)に囚われ、独自技術で
もあるSPCCI(Spark Controlled Compression Igmition:火花点火制御圧縮着火)
のSKYACTIV-X への過信とブランドプロミスの重要性を忘れた国内導入のディレ
イによって信頼を失った。

  最大の問題は、SKYACTIV-D(ディーゼル)に対して、経済性でも動力性能面でも
そう大きなアドバンテージもないのに、良いモノなら当然と言いたげな高い値付
け。これは北米向けの直4ターボモデルにも言えることだが、如何に技術的に優
れているとしても、価値判断を下すのはエンドユーザーである。過剰な性能より
も適切かつ分かりやすいトルクフルな動力性能のディーゼルに対して、ガソリン
ターボエンジンとしては良く出来ているが大排気量の代替品としか受け取れない
イリュージョン性に乏しいテクノロジーに共感する者は稀だろう。

  もう一つ。5年前のTMS(東京モーターショー)2015でRX-VISION、TMS2017で
はVISION-COUPEをワールドプレミアし、2019年5月には決算報告会見の場で直6
エンジン/FRプラットフォームの「Largesアーキテクチャー」の商品開発を正
式に表明しておきながら、同年末にこれまたディレイ。2021年にも導入される計
画だったが1年先送りとなった。目下の厳しい市場環境を考えると、2年後でも
困難であり、日の目を見る前に企業としての存続すら危ぶまれる状況に立ち至っ
ている。

 6世代の販売が好調な次期にスピード感を以て7世代の価値創造を急ぐべきだ
ったのに、小さな成功に満足して回復途上である現実を忘れた現経営陣の責任は
重い。それがトヨタとのアライアンス締結に伴う慢心によるものだとしたら、憂
慮すべき事態だと思う。私は過去40年以上に渡ってマツダの浮沈を目にしてきて
いる。その意味では現経営陣よりも問題の本質に気づける立場にあると思う。そ
の中核に、豊田章男社長の存在にあることを指摘する者は稀だろう。

●豊田章男氏に見る無類の運の良さはどこから来たのだろう?

 私が危惧するのは、日本人受けしやすい内向きの発想である。豊田章男氏は言
うまでもなく豊田自動織機の発明で知られる豊田佐吉翁の曾孫に当たる。祖父は
豊田自動織機から独立してトヨタ自動車を創業した豊田喜一郎。父君は豊田章一
郎トヨタ自動車名誉会長であり、トヨタ自動車直系の三代目という血筋である。

 20世紀の間はほとんど無名であり、”大政奉還”の名の下に創業家回帰が喧伝
されるようになったのは今世紀(21世紀)に入ってからと記憶する。しかし、ミ
レニアム期のトヨタは、1995年6月に豊田章一郎氏の後を受けて社長職を引き継
いだ実弟の達郎氏が病に倒れ、奥田碩氏から張富士夫、渡邉捷昭氏と3代続く内
部昇格のサラリーマン社長時代が続いた。

 ”石橋を叩いてなお渡らない”と揶揄された保守的で慎重な経営が目立った創
業家から一転、バブル~バブル崩壊~日米自動車協議妥結という時代の変化への
対応を迫られた非創業家経営陣の切り札奥田碩社長は大胆な海外現地生産化に舵
を切り、3代でグローバル生産/販売を倍増させる施策を敢行した。北米を最有
力市場と定め、対米現地化では先行する日産/ホンダ勢に大きく後れを取ってい
たが、10年余の間に現地生産を最大化させ、輸出と合わせて国産メーカー最大の
シェアを占めるに至っている。

 2007年には米国現地生産は170万台に達し、日本やNAFTAを活用した近隣国から
の輸出を合わせると240万台超(2017年)を記録。ゼネラルモータース(GM)、フォ
ードに次ぐ第3位メーカーの地位を確立している。アメリカだけでなく40万台/年
というハイピッチで海外現地化を推進し、1995年からの10年間で世界生産(日本
を含む)はほぼ倍増の約900万台に業容を変えている。

  日米自動車協議は貿易相互主義の立場から日本からの輸出だけでなく、米国か
らの輸入を促進することが盛られ、実際にGMシボレーブランドをトヨタ車として
OEM販売することも実行された(トヨタ・キャバリエ)。いずれにしてもアメリカ
はトヨタにとっての最重要市場と定められ、結果として中国に求められた合弁進
出が後手に回る。そのことが中国北京政府の不興を買い、長く中国市場で後塵を
浴びる憂き目を見ることになる。

  そこに2008年9月15日のアメリカ大手投資銀行グループ・リーマンブラザーズ
の破綻がやって来る。ミレニアム以降の米国経済を牽引していた不動産景気が低
所得者向けのサブプライムローンの証券化をともなう不良債権化でバブルと化し
複雑な金融商品化によって世界の金融市場を大混乱に陥れた。ミレニアム以降の
好景気は一夜にして暴落し、世界の自動車産業は軒並み赤字転落を余儀なくされ
た。トヨタも例外ではなく、60年ぶりの営業赤字に転落した。

  歴史に"タラレバ"はタブーだが、もしもリーマンショックが米国政府による救
済によって火消しされ、世界的な恐慌状態が訪れなかったら、当時米国トヨタ社
長として敏腕を奮った木下光男氏が当時の渡邉捷昭社長に次ぐ4代目内部昇格組
トップとして君臨。創業家三代目の芽はなかったとも言われている。運も実力…
というより運こそ実力とも言われているが、斯くして3代に渡る”外様”統治は
終焉し、2009年6月から数えて丸11年という長期政権が今試練の時を迎えている。

 そして問題の本質は、すでにトヨタはグローバル化して久しく、日本の国内目
線だけでは語れなくなっているという点にある。この根本的な現実に向き合える
かどうかが問われているはずなのだが、日本では相も変わらず全体の15%ほどで
しかない国内市場中心のマスメディアを中心とする論調が幅を利かせる”昭和の
気分”に満ちている。 

●日本の常識が世界の非常識であることを肌で知るか否か

 日本語の壁に守られ、読者視聴者の大半が日本人という環境下におけるマスメ
ディアは、世界の中にある日本ではなく、日本にとっての世界という受取側が好
み、発信元にとって都合の良い視点での情報提供が中心となりがちだ。トヨタを
例に挙げれば、実質的に富をもたらす利益の大半は海外市場での売り上げが占め
ているはずだが、メディアにとっての顧客とメーカー国内担当者にとっての顧客
は圧倒的な量と質的な価値が問われる国外ではないドメスティックな存在だ。

 すでにグローバル市場で通用する日本人経営者が限られていることは明らかと
なっている。ごく一部の創業者を除けば、アイデアやカリスマという点で世界を
相手に出来る人材は稀で、組織の論理で育った内部昇格組の日本型サラリーマン
経営者が通用する世界はなくなったと断じて良いかもしれない。

 ここで思い出されるのは1999年6月にCOO(最高執行責任者)として日産に
赴任したカルロス・ゴーン前会長である。初来日は45歳。赴任からわずか4ヶ月
でNRP(日産リバイバルプラン)を発表し、翌年に黒字化を成し遂げて取締役。
さらに2001年6月に有利子負債の圧縮を1年前倒しで達成すると当初の想定を超
えて日産に請われる形でCEO最高経営責任者に選出されている。

 時に47歳と大手自動車会社の経営者としては圧倒的に若く(同じく1999年にマ
ツダ社長に就任したマーク・フィールズ氏の39歳ほどではないが)、2017年に社
長CEOの職を辞した時でも63歳でしかなかった。在任17年間で積み上げた世界
的なプロ経営者としての名声は日本国内は元より国際的なカリスマとして抜群で
その存在感は海外において輝きを増す。

 私が国際自動車ショー取材に傾倒するきっかけは、C.ゴーン氏(やM.フィ
ールズ氏)のグローバリズムに乗った国際市場重視の姿勢からメディアを介した
プレゼンテーションに活路を見出そうという経営スタイルを追うプロセスから。
バブル崩壊によってシュリンクした日本の国内自動車市場が、かつての護送船団
方式を取る霞が関の中央官僚機構の既得権益によってアップデートされない閉鎖
性を持つことに、日本の常識に囚われない外国人経営トップならではの視点で明
確化された。

 私は日本の雑誌メディア育ちなので、こちら側の止むに止まれぬ都合は理解出
来るが、いっぽうで1980年代の前半からドイツメーカーを中心とする欧州や米国
の現地プレスツアーで国内外の相対化が出来ていた。その上で日本メーカーの外
国人トップに引っ張られるように海外取材に出掛けると、『日本に居ては知るこ
とのない日本車が多数国外に存在する』ことに気づかされた。

 日本国内に留まり、日本の国内目線だけで日本メーカーを見ていてはその本質
を見誤る。そのことに気づいてからというもの、現地での仕向け地専用モデルに
試乗し、多くの経験を積んだ。自動車ジャーナリストとしてはあるまじき行いと
の誹りを覚悟で告白すれば、速度超過などの違反で罰金を払った国はフランス、
ドイツ、アメリカがあり、最低の速度超過は実に2km/h。パリのペリフェリック
(都市環状高速道路)直前の放射高速道の自動計測では確か7km/hほどの超過で30
ユーロほどをオンラインでクレカ払いしたこともある。

  事前に下調べをして、未然に防ぐのが本来の姿勢だろうが、私の場合は行動が
先に立つ。褒められた話ではないが、人間失敗に学ぶほど身に沁みることもない。
カリフォルニアではスマホと自撮り棒でドライブ中にFBのライブ中継を試みた。
これも基本的にNGの類だが、まずはトライ。

  すると、気がつくと背後にパトカー。最寄りのパーキングて止まる指示がなさ
れ、免許証の提示を求められた。米国カリフォルニア州はジュネーブ協定には非
適合で、国際免許証だけでは駄目。日本の写真入り本免許の提示がマストになる。
照合の末無罪放免となったが、聞けば停めたのは通報によると言う。交通の流れ
からすると(遅すぎて)目立ったようで、交通の流れの中の誰かが通報したという。
飲酒かドラッグが疑われたようだが、なるほどそういうことがあるのか、と納得
した。以後は機材が整っていない状態では無理しないことに決めた。

●日本の中に多様性が実在することを知る必要性

  話を元に戻すと、ゴーン氏にしてもフィールズ氏にしても、若くして訓練を積
んだプロの経営者であり、プレゼンテーションのスピーチにしても最初から堂に
入っている。立ち居振る舞いにしろ、ファッションにしろ、すべてが企業を代表
する者として意識され、ステージに上がった瞬間から評価の対象になる。

  C.ゴーン氏の場合都内のホテル会場で行なわれたNRP発表が初の檜舞台だ
ったが、そこに弱冠45歳という言い訳など欠片もない。翌1999年11月の箱根試乗
会での懇談の場での堂々と渡り合う姿も強烈な印象として残っているし、翌年か
らのデトロイトに始まる国際自動車ショーのブースメインステージで見せた上質
なパフォーマンスの数々を知っていれば、これに代わる人材は居る?となること
請け合い。その現実を大半の日本人(含むメディア/ジャーナリスト)は知らず、
それが意味する価値に思いが至ることもない。

 C.ゴーン氏にしても、M.フィールズ氏にしても、企業の顔としての経営ト
ップに相応しい立ち居振る舞いが自然に身についていた。阿吽の呼吸があり得る
日本では仰々しいとさえ映るパフォーマンスの必要はないが、ショーアップが基
本のワールドプレミアではその出来が商品性すら左右する。

 アジア人は押し並べて表現下手であり、アジア訛りの貧弱な英語は非ネイティ
ブには聞き取りやすいが、英語が基本の人々にはプロンプターの文面を追う者も
少なくない。エンターテインメントの世界ではないが、パフォーマンスは武器で
ありブランド価値にも直結しかねない。その現実を知らずに、根回しで内部調整
を図るのが当たり前の日本的サラリーマン経営で世界を相手に出来ると考えてい
るところに、グローバル化に対応しきれない日本の現実がありそうだ。

 今回のCOVID-19パンデミック禍が明らかにしたのは、グローバリゼーションの
退っぴきならない進展だろう。サプライチェーンは最大効率を求めて全世界に散
らばり、平時には事なきを得るが、一朝難が発生すればたちまち一蓮托生となっ
てしまう。特に国外の現地生産が国内生産の2倍以上に拡大し、販売オーダーで
はおよそ1対4を上回る比率で海外販売が圧倒的多数を占めるようになっている。

 多様性に富んだ価値観に対応する必要性に対して、一元的な価値観と付和雷同
で皆と一緒を好む国民性の中からアイデアを生み出す困難を思う時、国内におけ
る価値観の再確認を徹底させてダイバーシティに対する柔軟性を養うことが欠か
せないことに気づく。果たして、トヨタを筆頭とする日本の製造業トップに、日
本の国内風土に顕在する多様な価値観を理解して、その適応を海外に広めようと
考える知恵者がどれだけ居るだろう?

 日本の37万平方キロメートルは決して狭くも小さくもなく、豊かで変化に富ん
だ自然に満ち満ちている。東京起点の鉄道網のような中央集権的な発想ではなく、
ガソリンさえ入っていれば何時でもどこへでも旅立つことが出来る。クルマの持
つ可能性の原点だが、脱クラスター/パーソナルモビリティの価値に改めて気が
ついた今回は、世界のガラパゴス最右翼と言えるドイツアウトバーン的価値観の
とは真逆の、パワー/スピードに頼らない最適解を求める走りのパフォーマンス
を再考する好機と言えそうだ。

●私が豊田章男氏に違和感を抱き続ける理由

 トヨタ自動車の豊田章男社長は、事あるごとにトヨタの原点としてTPS(ト
ヨタ生産方式)を挙げ、原価低減こそが本来追及されるべき姿勢だと繰り返して
いる。要は、「今まで通り」に徹すれば事なきを得るという考え方のようだが、
果してそうだろうか。

 実は、私は豊田章男社長がトップ就任を控えたタイミングで口にしたことに密
かな期待を持っていた。1000万台のグローバル販売に迫り、ゼネラルモータース
を抜いて販売世界一を実現した2007年の現実を踏まえて、700万台程度の生産量
で同レベルの収益を上げられる企業を目指す……そんなことを語った記憶がある。
損益分岐点をそこまで下げてなお、伸び代がある。

 コストダウンよりもバリューアップ。ブランド価値を高めて、高くても喜んで
買ってもらえる商品創り。それこそが少子高齢化という現実に照らしても納得が
行く答えだし、将来の新興国勢力とバッティングしない境地に至る最善策だろう。
創業家の三代目がそこまで覚悟を決めていたとしたら見込みがある……。

 期待した口からもたらされた第一声を聞いて膝が折れた。就任に先立つ前年暮
れか新年早々だったか。懇親の席で「料理には、先味、中味、後味があります…
…」おいおい、それって成瀬弘さんの十八番(おはこ)じゃないの。80スープラ
登場(1993年)の際に紹介されたトップガン(マスタードライバー)のリーダー
格は、得意の料理の腕前に沿った独特の表現を用いる人だったが、彼を師と仰ぐ
創業家社長がその見習工上がりの職人ドライバーの言葉を丸のまんま弄した。

 豊田章男社長と成瀬弘の出会いは、豊田社長が米国赴任から帰国した2002年の
副社長時代。成瀬の創業家御曹司を歯牙にも掛けない言葉に弟子入りを申し出た
のが師事の始まりとされる。爾来成瀬語録に傾倒したようだが、成瀬弘が2010年
6月23日にニュルブルクリンク北コース近郊の公道上でLFAニュルパッケージ
のテストドライブ中に、同じくテスト走行中のBMWと正面衝突して即死。享年
67だった。

 私は、急遽通夜が営まれた刈谷(だったか)の催事場に赴き、ぎりぎりのタイ
ミングで”お顔”を垣間見た。率直に言って別人であり、そのことが事故の凄惨
さを思わせた。その場で豊田社長と目を合わせる瞬間もあったが、早々に辞した。
翌月、参会した者に『技術者の一日』という恒例の社内イベントがあり、そこで
追悼のトークセッションがあるのでよかったら……という案内を貰った。現地に
飛んで、公開の場とは別人のワンマン経営者の素顔を見て、ある種納得した。

 振り返れば、豊田章男氏ウォッチも長い。接触機会ということでは遥かに多い
人もあろうが、独自視点で観察している者はそう多くはないはずだ。前述の懇親
会での第一声に始まり、師の通夜と追悼トークセッション、翌年の国際自動車シ
ョー発見参(デトロイトNAIAS)……etc。その間得た印象を一言で言うと「彼に
は自分の言葉がない」。

  料理は先味……に始まり、クルマは道が創る、ニュル礼賛に、止めは2016年の
デトロイトNAIASにおけるフォードプレスカンファレンスでマーク・フィールズC
EO(当時)が世界の自動車業界の先頭を切って「(我々は)単なる自動車会社(AUTO 
COMPANY)から(AUTO &)モビリティカンパニーにトランスフォーム(変革)します」
と宣言したまんまのパクリ。不思議なことに、翌2017年M.フィールズ氏は業績不
振の責任を追わされて退任。フォードは日本市場から撤退するという電撃的な決
断を下し、今では影も形もなくなっている。

  すると、豊田章男社長はほとぼりの冷めた2018年の初頭に「我々は自動車会社
からモビリティカンパニーを目指す」という聞き覚えのあるセリフを口にする挙
にでた。CASEもその一語に加えていいかもしれない。これは2015年9月のVWデ
ィーゼルゲート(排ガス不正)を受けて翌年のパリショーでダイムラーAGのD.
ツェッチェCEOが初めて提示した概念(CONNECTED.AUTONOMOUSE.
SHARED&SERVICES.ELECTRIC)だが、ツェッチェ氏もダイムラーAGのCEO
から退いている。

 キーマンが悉く消え去って行き、残された言葉が心置きなく使える環境が残さ
れて行く。強運と言えばそうだが、その徹底ぶりは不気味でさえある。2017年の
デトロイトNAIASでは、前年の米国大統領選でよもやの当選を果たしたD.トラン
プ大統領の就任を前にした"指先介入=twitterでの発言"に過剰反応した豊田社
長が、カムリのワールドプレミアの際に向う5年間で100億ドル(約1兆円)規模の
対米投資を行なうというリップサービスを行なっている。(いったいどこにそん
な大金が?)トヨタの内部留保の大きさに溜め息をついたものだが、後にGPIFの
資金が用いられたかの言説を聞いて複雑な思いをした。

●歴史が繰り返すとすれば、スマートシティ構想は大地震で霧消する!?

「2008年のリーマンショックの際には、『出血をとめるため』に(開発を含めた)
すべてを止め、必要な筋肉を落してしまった」と豊田社長は振り返る。その反省
から無駄の排除を徹底するなどして収益体質を磨いてきたのが昨今のトヨタの歴
史であるという。

  ことは生産体制だけではなく、次世代技術への投資にもあてはまる。「止めて
はいけないのは未来に対する開発費で、これは普遍的であるべきだし、そのため
の資金は欠かせない。我々の手元には8兆円の資金がある。アップルの20兆円に
比べれば少ないが、スマートシティに対する投資や試験研究費で変えるところは
ない」豊田社長の番頭役でもある小林耕士執行役員は言い切り、損益分岐点はリ
ーマン当時と比べて明らかに良くなっているという。

「100年に一度」という時代の転換点を初めて口にしたのは4年前のフォードプレ
カンにおけるM.フィールズ氏だったと思うが、トヨタは最近になってスマートシ
ティに対する開発に意欲を燃やすようになっている。1月のCESでのウーブンシテ
ィ構想に傾倒を深めているようだが、昨今のCOVID-19パンデミックによって、都
市化という密集構造自体に疑問符がつくようになった現実に照らすと、テックカ
ンパニー発のスマートシティ構想に飛びついた反省が表面化するタイミングは案
外早まるかもしれない。クルマ本来の機能に立ち返ると、集中管理型の都市構造
よりも開放的な地方分散型構造のほうが未来的となるのではないだろうか。

  仲間作りと称したアライアンスの取り組みにも疑問が残る。豊田社長の発言で
気になるのは以下のものだ。「私たちの使命は幸せを量産すること。V字回復が
もてはやされる傾向があるが、雇用やものつくりを犠牲にし、やめることで個社
の業績を回復させることが評価されるのは違うと思う」日本経済の屋台骨である
自動車産業における唯一の勝ち組であるという自負が言わせているようだが、明
かにこれはNRP(日産リバイバルプラン)で歴史に残る業績を上げた日産の救
世主C.ゴーン氏の存在を念頭に置いたものと断定出来る。

 1歳年上のゴーン氏がCOOとして日本にやって来た時には、豊田社長はまだ
無名の部課長クラス。同世代として抱いたコンプレックスの感情に加えて、創業
家という矜持が劣情に輪を掛けたとして不思議はない。師と仰いだマスタードラ
イバーの死後、オリジナルのような口ぶりでクルマや道を語り、ライバルの失墜
後に巧みに100年に一度やモビリティカンパニーを目指すといった論を展開する。

  陶器質感をキャッチフレーズに登場した3代目プリウス(ZVW30)のフリートに
使われやすいデザインを改める意図で開発された4代目(ZVW40)を「かっこ悪い」
と当事者責任を忘れたように悪しざまに言う一方で、成瀬弘との因縁を感じさせ
るBMWとの共同開発で実現した90スープラのアンバランスな造形については異
論を差し挟まない。

 2014年のデトロイトNAIASでワールドプレミアされたFT-1を生で見た者と
しては、あのスケール感豊かなスタイリングを2座オープンスポーツのBMW・
Z4との共通プラットフォームに落とし込むという商品企画に無理を感じるし、
パッケージングを保った上で非フリートユーズにシフトしたプリウスのチャレン
ジの高潔さに比べれば妥協の末の駄作とさえ言えるスープラに肩入れする気が知
れない。成瀬弘の事故死がBMWとのしがらみを生んだという妄想さえ抱かせる
スポーツカーの基本たるプロポーションの悪さを論じない姿勢に違和感を抱くの
は私だけだろうか? 率直に言って、開発統括の多田哲哉CEのクルマ作りをス
マホ作りのノリでやっつける姿勢には失望を禁じ得ない。

 徐々に綻びが目立ち始めたトヨタが、難しい局面を迎えるのは案外早いかもし
れない。日産を中心とするアライアンスの崩壊が、対岸の火事ではなかったこと
を日本人が知るのはCOVID-19パンデミック禍の最中となる可能性を否定すること
が出来ないでいる。

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2020年5月21日木曜日

引き続き、まぐまぐ!メルマガ 伏木悦郎の『クルマの心』第380号2020年5月5日配信分の再録をします。フォローよろしくお願いします。




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                                    伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第380号2020.5.5配信分


●21世紀は多様性の時代。石油もあるエネルギーミックスが望ましい

 去る4月7日に安倍晋三内閣総理大臣によって発出された”緊急事態宣言”が
黄金週間に入る前に内示が成され、5月4日(月)に正式に5月6日までの期
限が5月末まで延長されることになった。この間引き続き自粛が求められ、政
府による明確な保証の提示がないまま要請に従うという日本社会を特徴的づけ
る流儀(責任の所在を明確にしない)で行くことが確定した。

 近隣市中を見て回っても、食料品を始めとする生活物資を商う店は営業して
いるが、いわゆる百貨店形態の大型店は軒並み長期の営業停止に入っている
し、個人商店の類も多くがシャッターを閉じている。私の暮らす町田界隈でも
最寄りのJR成瀬駅周辺は生鮮食料品中心のスーパーやコンビニなどは営業時
間に配慮しながら開いているが、ターミナルの町田駅辺りでは大型店は軒並み
閉店。その割に街中の人出は少なくないが、平時には程遠い。

 こうしてみると、世の中にとってプラスアルファの存在がいかに多くの人々
の暮らしを支えているかという事実に思いが至る。カラオケもパチンコも趣味
の手芸の品々もブックオフもそれを生業にしているわけで、自動車販売店の人
影の薄さを横目にしていると自動車の生産現場が平時の活気で稼働できない理
由も腑に落ちる。

 一方で、パンデミックという世界経済全体に影響を及ぼす事態がそう遠くな
い将来さらに深刻な状況をもたらしかねないことに身を固くせざるを得ないも
のがある。今から100年前の歴史を振り返ると、1918年から1920年に掛けて
パンデミックの猛威を奮った”スペイン風邪”が数千万人ともいわれる罹患犠牲
者を世界各地で生じたことで時代を変えたことが分かる。

 折しも20世紀初頭にアメリカテキサス州で大規模油田が発見され『石油文
明』が花開く。自動車の発明は19世紀のヨーロッパ・ドイツとされるが、そ
の普及大衆化は1908年ヘンリー・フォードのモデルTによる”フォーディズ
ム”からであり、その背景にジョン・ロックフェラーによって確立された石油
産業とテキサス大油田発見による潤沢な燃料供給システムの構築があったこと
は間違いない。

 現在世界最大の石油供給地域である中東の油田の商業化が本格化するのは第
二次世界大戦後であり、それまでの世界最大産油国がアメリカだったことを思
い出そう。時代が石油以前のエネルギー源石炭の自給とJ.ワットの蒸気機関
発明によって産業革命をもたらしたイギリスから、1859年のドレーク油田(ペ
ンシルベニア州・タイタスビル)の商業化によって近代石油産業をいち早く興
したアメリカへと覇権国家の軸足が移るプロセスで、パーソナルモビリティを
実現する自動車が与えたインパクトは計り知れない。

 それはちょうど20世紀末にインターネットが開放され、マイクロソフトのウ
ィンドウズ95という象徴的なOSの登場によって情報技術(IT)が触発さ
れ、世界が瞬時につながる情報環境の下で自動車(パーソナルモビリティ)と
映画に始まる映像(ビジュアル)という人間の身体性と密接な関わりを持つ20
世紀型テクノロジーから、次世代(21世紀型)を担うニューテクノロジーへの
転換を予感させる。

●100年スパンで読み解くと、時代の大転換点は常に深く長く進行している

 それがより高速で大容量の通信が可能となる5G(第5世代通信)がもたら
すさらなる情報技術の進化と深化なのかどうか。正直言って専門外の領域につ
いて言及することは憚られる。ただ旧世代の私としては、人間という存在にと
って欠かすことの出来ない身体性にはとことんこだわりたい。情報はインター
ネット上を瞬時に駆けめぐり、事実上時空の存在は無きに等しいものになりつ
つあるが、人には身も蓋もない身体(からだ)がつきもので、生きているとい
うことはこの身体を伴って時空を移動することがついてまわる。

 やがてテクノロジーはデジタルと身体性をともなう人間感覚に沿ったアナロ
グな自然観の境目が分からなくなる方向で進歩すると言われているが、それは
自分の子の世代でも簡単には受け入れ難い話であり、去年授かった初孫あたり
がデジタルネイチャーという”現実”を生まれながら(ネイティブ)に身に付け
る最初の存在ではないかと期待している。

 目下進行中の新型コロナウィルスCOVID-19によるパンデミック禍は、100年
前の20世紀第二ディケード(旬年)に訪れた大変革のきっかけと符合する。日本
ではスペイン風邪パンデミックの3年後(1923年=大正12年)9月1日に関東
大震災があり、その約70年前の安政江戸地震(1855年)が13年後の明治維新に
つながったように、昭和大恐慌(1930~31年。前年のアメリカ発世界恐慌に端
を発する)に始まる長期デフレ不況から日中戦争を経て対英米戦へと突き進ん
で行った。

 明治維新政府による脱亜入欧、富国強兵/殖産興業政策の成功体験(日清・
日露という対大国戦勝利)から抜けきれず、過信から自ら変化する努力を惜し
んで無謬性へのこだわりと前例主義から破滅以外の選択肢がなくなった。遠い
過去を生きてきた訳ではないので想像の範囲を越えることができないが、歴史
は繰り返すの諺通りに日本人の民族性は案外変わっていないのかもしれない。

 260年続いた徳川幕藩体制に対して、明治維新から令和の現在までの約150年
間は激動ではあったかもしれないが時間軸では短い。黒船にしてもB29にして
も今回のコロナウィルスにしても自ら変わらざるを得ない強力な外部圧力なし
に自己変革が難しい。戦後75年の間に訪れた転機は、いずれも外圧によっても
たらされている。オイルショックしかり、プラザ合意(円高/ドル安容認)し
かり、日米貿易摩擦(自動車協議)しかり、(グローバル化が確立するタイミ
ングでの)リーマンショックしかりである。ここに25年前の阪神淡路大震災、
9年前の東日本大震災(と福島第一原子力発電所のメルトダウン)をはじめと
する大規模自然災害があり、ほぼ100年サイクルで人類を襲って来たパンデミ
ックが止めを刺した形となっている。

●石油文明が終わるのか、それとも続くのか(続けたいのか)?

 それにしても、現在進行形のパンデミックは劇中劇の真っ只中に居るような
妙な気分に苛まれている。相手が目に見えないウィルスで、しかも治療薬もワ
クチンも存在しない新たな感染症という現実感に乏しいが、しかしよく知られ
る芸能人が命を落とし、ICUにつながれる事例も報道されている。日本国内
ではまだ三桁の犠牲者しか記録されていないが、世界的には30万人近い死亡例
が報道され、昨年11月末の感染発覚から半年で瞬く間に感染拡大が現実化し、
未だ発展途上の国や地域への拡大余地があり、そこから再び第二波第三波が再
燃する可能性を残している。

 要するに、パンデミックはまだ始まったばかりであり、余程上手く切り抜け
ないと長期化は避けられない。しかもすでにグローバル化が深く進行し、サプ
ライチェーンや食料/資源といった生活必需物資の海外依存(低自給率)によ
って、自国だけで問題が解決するとは限らなくなっている。

 経済に与える影響はとてもではないが楽観など許されない。食料を始めとす
る生活必需物資は生産も流通も従来からそう大きく落ち込むことはないと思う
が、たとえば世界的な経済の停滞とモビリティ(移動)の制限によるエネルギ
ー需給の逆転は5月の原油先物取引が史上初のマイナス30数ドルという売り方
が買い方にお金を払って引き受けてもらう事態を招来させた。

 航空機路線が軒並み運航停止され、海運も工業製品の貿易不振から滞り、各
国のロックダウンにともなうクルマの移動距離の激減は、石油エネルギー枯渇
どこ吹く風といった感じで劇的ともいえるガソリン/軽油小売り価格の下落を
もたらした。我が家の近くのGSではレギュラーガソリンが1リットル110円
台、軽油にいたっては同92円という店頭価格表示を目にするようになっている。

 2010年頃に全世界的な話題となった原油のピークアウト説は、原油価格のバ
レルあたり60ドル超となったところでアメリカにシェール(ガス/オイル)革
命が興り、米国の産油国世界一への返り咲きとともに資源/環境というクルマ
を取り巻く状況にも変化をもたらした。

 EV最大手のテスラが株式の時価総額でGM(ゼネラルモータース)、フォ
ードを凌ぎ、GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)と
いったテックカンパニーの雄がクルマの自動運転やサブスクリプション分野で
覇権を握る可能性が高まった。既存の自動車メーカーが単なるオートカンパニ
ーからオート&モビリティカンパニーへの変革(トランスフォーム)を表明せ
ざるを得なくなったのは、ほんの数年前のこと。

 それが瞬間値とは言え、未来がどちらに進むか分からなくなりつつある。
CASE(コネクティッド・自動化・シェアリング・電動化)やMaaS(モビ
リティ・アズ・ア・サービス)は大きな流れとしては次世代モビリティの方向
性として正しいが、元々は2015年9月に米国で発覚したフォルクスワーゲン
(VW)のディーゼル排ガス不正によるダメージを緩和するスピンコントロー
ルとして打ち出されたものと考えるのが正しい。

 大本はメガサプライヤーのロバート・ボッシュと全ドイツ自動車産業が関わ
る問題で、VWのEVシフトなどはすでにドイツメーカーのすべてが依存度を
深めている中国市場でのNEV規制需要を当て込んでのもの。ドイツメーカー
の日本に対するメディアコントロールの徹底の結果、不正の過去も雲散霧消の
態であり、日本市場でのディーゼル再投入はもちろん、ドル箱の中国市場にお
いてはドイツ企業の世界的な規模の訴訟を抱える案件は不問に付された感があ
る。

 スカイアクティブ-Dという画期的な低圧縮比コモンレールディーゼルで新
境地を拓いたマツダなどは最大の被害者で、同社にとって最大市場のアメリカ
で虎の子のディーゼルモデルが商品価値を失ったことの非をVWに向けて問う
のがジャーナリズムの本道だと思うのだが、自らの信念に基づく価値観を持た
ない者が自動車メディアの中核を占める現実がそれとはまったく逆の行動を成
している。

●数多くのクルマを試してもモノ同士の比較で程度が分かるだけ

 現在中堅を成す40~50代の自動車ライターは、その大半がバブル崩壊後の
平成デフレ時代に世に出た人材だ。すでにインターネットが普及段階を迎え、
それと同時に出版不況が相対的に現実化している。結果として、広告の主要ク
ライアントたる自動車メーカーに対して批評を含む議論よりも記事素材として
の情報を欲しがるようになり、パブリシティに沿うことが価値観の第一義とな
る傾向を深めた。昭和末期の1980年代の日本メーカーが国際標準を目指す発
展途上段階では、自動車メディアも一丸となって検証に務め、メーカーの一方
的なパブリシティ情報ではなく自前の価値判断で実地にタイム計測するなど、
メーカー実験部門の追体験を厭うことをしなかった。

 時代はまだメーカーのコンピュータによる情報集積が不十分な段階で、メデ
ィア独自のテストがリアリティを以て開発部門と渡り合う余地を残していた。
バブル期の金余りと旺盛な需要に支えられて自動車メーカーの情報集積が飛躍
的に向上するが、1970~80年代の難しい時代を知るメディア界の人材は少ない
がそれぞれに持論を展開し、存在感を示す者があった。

 ポストバブル期は出版不況とともにメーカー開発陣とメディア側ライター陣
の情報格差が反転し、パブリシティがジャーナリズムを抑える傾向を深めて行
った。今でも年間何百台も試乗していることを売りにしているライター陣が少
なくないが、いくら数をこなしたところで情報のベースがパブリシティである
以上本質には迫れない。モノとモノの比較に終始し、結果として差異は語れて
もベースとなる価値観の軸が曖昧だ。

 際限のない右肩上がりのベクトルで語っている限り、現実から離れることは
あっても核心に迫れることはない。1962年の改正道交法で定められた国内最高
速度(高速道路100km/h、一般道60km/h)の大原則を考慮しない"評価"はどこま
で行ってもファンタジーでしかなく、その現実にクルマを合わせるか、行政に
アピールして法改正を迫ってインフラ/システムのアップデートを図るか。い
ずれかの必要に思いが至らなければ、そもそも存在する意味も価値もない。

 現在の自動車メディアの凋落は、情報をメディア自らの都合に合わせて取捨
選択し、市場やユーザーが求める情報よりもそれによって媒体や個人が潤うか
否かの損得勘定に価値判断が委ねられているところにある。

 私は、運輸省が60偏平タイヤ認可に動いた1983年の専門誌企画で集中的にテ
ストをこなす過程で確信を得た原体験を元に自らのクルマの価値判断基準を我
がものにしている。30代前半という当時としては分不相応なメルセデス190E
を工面して手に入れ、評価基準のメートル原器として活用した経験を持つ。時
代はピュアICE(内燃機関)からハイブリッドを経て電動化が一般的になっ
ているが、基本的な評価のスタイルは今なお変わらぬところにいる。

●人間は最初に強い刺激を受けると繊細な感覚を失いやすい

 ひとつ私の評価スタイルを明かすことにしよう。これは変化の激しい昭和か
ら平成の過渡期に会得したもののひとつだが、如何なる状況でも初見のクルマ
については”まず、ゆっくりと動き出す(走り出す)”ことを自らに課している。

 これは人間の身体感覚のありようを自分なりに分析した結果だが、人は最初
に強い入力を与えるとそれがデフォルトになって、微細な変化に対してルーズ
になりやすい。逆もまた真なりで、ゆっくりと小さな入力を与えながら徐々に
速度や角速度を高めて行くと、対応しながら判断できる材料を見出せるように
なっている。ゆっくり走り出すことの意味はそれだけに留まらない。

 私は、まずゆっくりと動き出し、大きくステアリングを左右にロックtoロッ
クまで回しながら"雰囲気"としての情報で全体像を むことを心掛けている。
ここで"何か雰囲気が悪い"と感じたら、それは何だろうと考えながらクルマ全
体に思いを巡らせて行く。最初に雰囲気が悪いと感じたクルマは間違いなくど
こかに相容れないモノがある。

 それがエンジンを始めとするドライブトレインなのか、サスペンション/シ
ャシーなのか、はたまたボディ骨格なのかMMI(マン・マシン・インターフ
ェイス)なのか? 

 逆もまた真なりは”何かこれ、良いね?”という雰囲気の情報として立ち現れ
ることがある。それがステアリングの革素材が生むテクスチャー(触感)だっ
たり、グリップ形状といった身体感覚に絡むことであるのも珍しいことではな
い。デザインには造形や意匠といったモノの形作り方という意味に留まらず、
ドライビングという行為の中にある雰囲気作りのためのスタイル作りという概
念を含むべきだと思っている。そこには当然色(色彩=カラー)も含まれる
し、ドライビングにある程度精通していないとコミュニケーションできない世
界もある。

 日本ではトップメーカーに象徴的な傾向として表れているように、生技(工
場の生産技術部門)が必要以上に力を持っている企業も珍しくない。モノ作り
の現場としての経験とプライドは尊重する必要があるが、それがデザイン部門
の提案を端から受け付けない抵抗勢力と化していることには自覚を持って対処
する必要がある。発展途上段階の間違いのないモノ作りはブランド創成の過程
では不可欠だが、成熟したブランドとしての価値を生む段階ではデザイン部門
の挑戦を後押しする生技でなくては意味がない。前例にこだわって無謬(間違
いのないこと)であろうとするあまり、時代の変化に対応できない。

 手堅さと他の追従を許さない斬新なアイデアの同居。1980年代のトヨタは、
クラウン、ランクル、マークII、コロナ、カローラといった草創期からの定番
モデルで堅実に振る舞う一方、高級パーソナルクーペのソアラやミッドシップ
2シーターMR2やガルウィングのセラや天才卵のミニバンエスティマにセル
シオなど時代を映す鏡のようなクルマを数多く輩出している。

 トヨタの創業家には本家筋と分家筋で厳然とした一線が引かれているとい
う。トヨタはかつての経営難の時代にトヨタ自工とトヨタ自販に分離され、
1982年に待望の工販合併を果たしている。それまで屋台骨のトヨタ自工の社
長を14年9ヶ月に渡って務めたのが豊田佐吉翁の弟平吉の二男として生を受け
た豊田英二トヨタ自動車初代会長。本家は創業者の豊田喜一郎氏長男章一郎か
ら章男現社長という流れだが、工販合併時のトヨタはすでに国内トップシェア
を築いていたが三河の地方メーカーという色彩の濃いベンチャーの雰囲気を湛
えていた。

●運も実力ではなく、運こそ実力というが……

 私としては1982年は30代最初の年であり、フリーランスとして4年目の駆け
出し時分。仕事をこなすのに四苦八苦の段階だったが、その目からしても当時
57歳の豊田章一郎氏は線が細く、「大丈夫?」という見方が一般的だった。
10年の社長在任後次弟の達郎氏に社長の座を譲り会長に収まるが、達郎氏の
病気リタイヤにより奥田碩氏を28年ぶりに内部昇格の非創業家社長に抜擢する。

 工販合併後のトヨタは、豊田章一郎社長の線の細さとは裏腹に、生え抜きの
エンジニアを中心に日本市場を熟知したクルマ作りに邁進。経営としては『石
橋を叩いてなお渡らない』とも揶揄された手堅さで、バブル期の狂騒でも必要
以上に踊ることはなかった。北米向けブランドとしてレクサスLS400(日本
ではセルシオ)を開発するなど、着実にポイントを稼ぎつつ失点を犯さない。
ポストバブルの難しい時代も、過度にバブル景気に呑み込まれない姿勢が奏功
した。それが1995年の奥田碩・張富士夫・渡邉捷昭と続くグローバル化を推進
した内部昇格経営陣の積極経営をもたらし、10年余で倍増の世界販売台数を実
現する原動力となった。

 シンプルに言えば、優れた人材を適材適所で任せる経営に徹し、無難で硬直
化しがちな創業家経営と一線を画した世界のトヨタに躍進する道を拓いた。

 歴史に”タラ・レバ”は禁物だが、仮に2008年9月15日の米国大手信託銀行グ
ループ・リーマンブラザーズを当時のブッシュ政権が破綻処理することなく救
済して世界的な恐慌状態を回避していたとしたら、翌2009年6月の豊田章男氏
を社長とする創業家への大政奉還人事があったかどうか分からない。2007年の
トヨタは史上最高益を上げ、GMを抜いて世界販売首位の座をものにしていた。

 1997年からの10年間で40万台/年というハイピッチでグローバル販売を伸ば
し続け、グループ全体で1000万台/年が現実化しそうなところでリーマンショ
ックに見舞われた。後に品質問題やプリウスのリコール問題で創業家の豊田章
男社長が米議会の公聴会に出席を求められるなどして存在感を示すきっかけと
なったが、リーマン禍がなく北米での好調が続いていれば木下光男米国トヨタ
社長が次期社長として有力視されており、創業家への大政奉還のハードルは高
くなったはずだった。

 運も実力……というより、運こそ実力という見方もあるのだが、豊田章男社
長のこれまで実績を冷静に判断すると恵まれた人材の力に負うこと大という他
はない。すでにこの6月で社長在任11年を数え、父君の章一郎氏の10年を超え
る。分家筋ながら名経営者として評価される豊田英二氏の14年6ヶ月がひとつ
の指標になりそうだが、率直に言って経営者としての豊田章男社長の功績は見
当たらない。

●GRってブランド名としてカッコイイか?

 豊田家には一代一事業という家訓があるという。創業者の豊田佐吉翁の自動
織機に始まり、佐吉翁の長男喜一郎氏の自動車、次代章一郎氏はトヨタホーム
だがこれは迷走を続けミサワホームを完全子会社化(2019年)、今年1月には
ミサワホームの全株式がトヨタ自動車とパナソニックの合弁会社に譲渡されて
いる。そして現在の豊田章男トヨタ社長が掲げるのが情報産業としてのガズー
(Gazoo)である。

 GR(Gazoo Racing)は、(オート&)モビリティ企業へのトランスフォーム(変
革)を志向するトヨタという企業の新たな業態を象徴するブランドとして位置づ
けられているようだ。当然豊田章男社長の肝入りだが、トヨタにはすでに半世
紀近い歴史を重ねているTRD(トヨタレーシングディベロップメント)があ
るし、WRCにしてもWECにしても過去とのつながりを断ち切ってGRブラ
ンドとするのは無理がある。

「自分が在任中はF1への再挑戦はない」と言い切り、WRCにしてもWECに
しても独自路線だとしているが目新しさを欠くのは誰もが認めるところ。参加
型のドイツニュルブルクリンク24時間レースへの肩入れは自身の師匠筋にあた
る故成瀬弘マスタードライバーとのストーリーの必然であるとし、クルマの乗
り味についての言説や”クルマは道が作る”といった今や章男語録として紹介
される言葉のすべては故マスタードライバーの受け売りにすぎない。

 豊田章男社長が持論のように語るほとんどすべては誰かの受け売りであり、
それを取り巻きとして集めたお気に入りの”仲間”に語らせることで自説の如く
振る舞っている。自らを経営トップに据えて副社長職を全廃する人事は、次期
社長の選択肢を幅広く求めるためとの説明だが、有力な実力派役員が台頭する
芽を摘んで自らが会長に退いた後も院政を敷く布石という見方のほうが当たっ
ているだろう。すでに父君の社長在任10年を過ぎ、名経営者として名を残す豊
田英二氏の域にあと3年半で達してしまう。この間に人事を固めて、子息の大
輔氏(現在32歳)につなげる?

 豊田章男氏が1995年6月から2009年6月まで続いた内部昇格の実力派経営ト
ップのカラー一掃に執念を燃やしたことは良く知られる。なかでもグローバル
化に舵を切って現在の世界一を競う礎を築いた奥田碩氏に対する対抗心は漏れ
伝わる。「トヨタ自動車は株式保有が2%(現在は1%。豊田章男氏の保有は
0.1%と言われる)の豊田創業家の私物ではない」と言い放ち、持株会社化を画
策していたことが奥田氏を社長に抜擢した豊田章一郎名誉会長の逆鱗に触れ、
創業家嫡男としての豊田章男氏に思いが受け継がれた。

 すでに国内生産の2倍を海外の現地生産が占め、販売台数に至っては国内の5
倍に達する。すでにトヨタはバブル絶頂のビンテージイヤー1989年の400万台
クラブから倍増のグローバルカンパニーになっていて、国際的に通用する経営
層の存在なしには立ち行かなくなっている。

●カルロス・ゴーンの消失は、日本車のグローバル化に暗い影を落とす

 日本の既存メディアは新聞TV/専門誌を問わず事実を語ろうとはしない
が、トヨタ自動車の収益の大半は海外市場で得られるものとなっている。す
でに米国市場での販売台数は国内の1.5倍だし、最近の新型コロナウィルス
禍で足踏み状態となっているが中国市場販売がが国内を抜くのは時間の問題
とみられていた。日本のすべての自動車メーカーが海外市場での収益に依存
しており、経産省や国交省、警察/公安などが権益を握る許認可事業の所轄
行政官僚機構は、諸制度の改革によって失われるリスクを恐れて法令のアッ
プデートには及び腰を決め込んでいる。

 構造的には、2018年11月19日の東京地検特捜部によるカルロス・ゴーン、
グレッグ・ケリーという日産の現職代表取締役会長とナンバー2の代表取締役を
突然逮捕起訴した衝撃の事件が多くを物語っている。地検特捜部と日本版司法
取引をした日産経営幹部が作り上げた罪状は、当初報じられた憶測まじりの曖
昧なもので、いざ内容を吟味するとおよそ犯罪として成立するものではなかっ
た。

 しかし、検察が逮捕したということは起訴が確定したという日本的な常識に
凝り固まった大手新聞TVメディアは、日産や検察当局からリークされる情報
を何の疑いもなく垂れ流し、短時間で悪徳外国人経営者という印象操作が日本
中に行き渡ってしまった。

 ゴーン氏の右腕とされるケリー氏についてはほとんど分からないが、ゴーン
氏についてはCOO就任からずっと追い続け、各国の国際自動車ショーを仕切
るカリスマの実力を見続けてきた。1999年初の倒産の危機に瀕していた当時の
日産の業容は、最盛期の2016年の段階では2倍の生産/販売台数に達してい
て、ルノーとのアライアンスと三菱自工を傘下に収めたことによるシナジー効
果は一躍世界一の座を窺うところまで来ていた。

 逮捕される3日後に予定されていた取締役会では西川廣人社長の更迭とホ
セ・ムニョス米国日産社長(現ヒュンダイグローバルCOO)の登用が予定
されていたという。結論から言えば、それを恐れた経営トップの権力抗争で
あり、そこに失地挽回に燃える地検特捜部や経営統合を求めるフランス政府
との鍔迫り合いを演じる日本政府筋(経産省や内閣官房?)が加わって、後
戻りが出来ない事態が生まれた。

 カルロス・ゴーン前会長が構想していたのは、日本人経営陣が臨んだ財団
方式やフランス政府が強硬姿勢を示した統合とは異なる”持株会社”の創設に
よってルノー・日産・三菱の独自性を残すという方策だったという。

 奇しくもトヨタの奥田碩元社長/会長が画策したのと同じプランが、まった
く異なる(かどうか分からないが)形で日産の現実解として構想されていた。
トヨタ創業家と日産の日本人プロパー経営層はまったく異なる企業風土の人
々だが、グローバリゼーション時代への適合としては似た者同士の日本人とい
うことになるのかもしれない。

●日本は決して狭くも小さくもない旅の宝庫。鉄道より断然クルマ向きなのだ

 自動車を含むすべての日本の製造業は、発展途上段階の仕組みとメンタリテ
ィが残る行政官僚機構の不作為によって国内市場でのフロンティアは失われ、
海外市場に活路を見出すグローバル化が常態となって久しい。

 そこでの経営トップの立ち振舞いが企業の成長にとって何物にも代えがたい
ことはC.ゴーン前会長の巧みなアライアンス経営が証明していた。現在の新
型コロナウィルスによるパンデミック禍をどう切り抜けたか。今となっては知
る術もないが、FCAがアライアンスに加わるプランがあったというビジネス
のスケール感の大きさはこのまま継続して見てみたかったと思わずにはいられ
ない。

 トヨタ自動車はすでにグローバル化して久しく、副社長としてグローバル経
営の実務をこなしていたディディエ・ルロワ氏の手腕に負うところ大だったと
思われるが、今回の人事で取締役には留まったが責任ある立場から一歩後退し
た感が否めない。現実問題として豊田章男社長の3倍という10億円余の年俸を
払う価値がある人材を半ば降格人事のように扱うことでバランスが保てるだろ
うか。

 この新型コロナウィルスCOVID-19がもたらす世界情勢の変化は、何だかん
だ言っても従来型経営の踏襲に留まるトヨタにとって思いも寄らない結果を生
まないとも限らない。1000万台近いグローバル生産能力は順風下では収益を生
む資産だが、風向きが逆転すればたちまち負債として重くのしかかる。

  すでに日産は5年生存確率でミクロのゾーンに墜ちたと思うが、トヨタも安
閑とはしていられない。海外に収益の大半を頼っている現実を直視すると、現
在のパンデミック禍が1~2年という長期にわたり、その間の需要が大きく落
ち込むことになればたちまち危機は現実のものとなって立ちはだかる。

 国内のクルマの使用環境をインフラやシステムや法体系といったすべてをア
ップデートして、単なるモノとしてのクルマだけではなく、自動車がもたらす
最大価値”Freedom of Mobility"という原点に立ち返り、なくてはならないか
けがえのないプロダクトに変化しなければ『日本のTOYOTA』である必要はな
くなってしまうのかもしれない。日本人は海外の諸外国の情報を(自らの都合に
合わせて)取り込むのは得意だが、日本ならではの魅力を発信することが上手く
ない。これだけ変化に富んだ地形、自然環境、気象の多様性を持ち、魅力溢れ
る風土なのに案外伝わっていないのかもしれない。

  人々が自由に自動車で旅すれば、SNSがインターネットを通じて世界につ
ながる時代である。黙っていてもインバウンドに事欠かない情報発信が可能と
思うのだが。自動車メディアに欠けている視点がここにあるのではないか?
                                    
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2020年5月17日日曜日

まぐまぐ!メルマガ 伏木悦郎の『クルマの心』第379号2020年4月28日配信分
の再録をします。自動車メディアの現状がどうなっているのか?半ば”天唾”の
様相を呈していますが、ここはリスクを負ってでも言及しないとクルマの未来
が痩せ細る……そんな思いが募って書きました。一読後ご意見等ありましたら
お寄せ下さい。


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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第379号2020.4.28配信分



●いわゆる試乗記が読むに堪えないファンタジーに思える理由を考えた

 凄い時代を生きているという実感がある。私の場合すでに還暦から8年であ
り、世に言う15~65歳までの生産人口の対象から外れて久しいが、これが所帯
を持ち世帯主となって妻子を養うことになった1980~2002年までのいずれかの
時期と重なっていたとしたら戦慄せざるを得ない。新型コロナウィルスCOVID-
19によってもたらされた現在の状況は、今を生きるほとんどの者にとって初め
て経験する世紀の一大事。誰もが緊張する事態であることは間違いない。

 私がフリーランスの自動車ライターなる職にありついた1970年代末。日本社
会は再起のタイミングにあった。戦後の復興期を経て、最長といわれた”いざ
なぎ景気(1965年から70年までの57ヶ月)”に終止符が打たれたところで第一
次石油危機が勃発。店頭からトイレットペーパーが蒸発し、物価が瞬く間に跳
ね上がる『狂乱物価』を経験したのが1973年。折悪しく強化されることになっ
た排出ガス規制が自動車産業に壊滅的な打撃を与えた。自動車メーカーが絶望
の淵に沈んだ暗黒の時代を知る世代も少なくなったが、あの危機を克服した感
覚と再び挑戦者としての世界を目指す機運が日本全国に満ち溢れた時代だった。

 安全保障を同盟国アメリカに丸投げして経済的発展に邁進する。電子制御技
術に技術的な活路を見出し、生産と製品の両面で世界初を掛け声にモノ作りに
磨きをかける。人口増加にともなう国内市場の拡大と合わせて、まずは激しい
シェア争いで国内競合各社が切磋琢磨する。自動車は裾野の大きな基幹産業に
相応しく多様性と性能/技術水準の両面で鎬を削りあい、1980年代を通じて
蓄積された競争力を背景に国際舞台で優位に立つ道筋を築いて行った。

 生産台数では、すでに1980年に1100万台に到達して世界一(当時)を実現し
ていたが、永遠の成長を多くの人々が共有できた当時の社会の一体感は格別だ
った。私はちょうどその時期に一からの駆け出しとして自動車評論に関わるこ
とが出来た。これ以上の幸運もなかったと思う。『ジャパンアズナンバーワ
ン』と持て囃され、最大産油国(当時)のサウジアラビアを抜いて世界一の貿
易黒字国となったのも今は昔だが、おそらくこの時の成功体験の記憶が今もな
お変ることができない社会の元凶となっている。

 そのことが日米貿易戦争のハイライトとされ、円高/ドル安容認の『G5プ
ラザ合意』につながり、束の間の円高不況のあとにバブルの狂騒がやって来
た。この超金余り状況が世界のパワー競争に火を着けるハイテク/ハイパフォ
ーマンスモデルを生み、国際市場での存在感を得る原動力となったことを忘れ
てはならない。重要なのは、この発展途上段階を身を以て経験しているか否か
だろう。

 高度経済成長期のモータリゼーション元年(1966年=昭和41年)からオイル
ショックまでの数年間に登場した草創期のクルマが持つノスタルジーとは違
う、世界市場に本格的に打って出るまでの技術開発プロセスを知っているかど
うかで、クルマの語り部としてのスタンスは異なるはずだ。バブル後の人々は
伝聞で知る他ないが、グローバル化以前の日本車にはまだインスツルメンタル
な計測テストが評価評論の前に有効で、例えば最高速度200km/h超えや0→
400m発進加速データが欧州やアメリカの先進国メーカーとの距離感の測定と
して意味を持っていた。

●還暦過ぎのレーシングジャーナリストが居座り続けるのは何故だろう?

 バブル期の280馬力自主規制下の国産高性能スポーツモデル群をリアルタ
イムで経験している世代は押し並べて50代となり、実際に評価評論の実務に
あたった者はすでに60歳の大台に乗っている。バブル崩壊以降急速に進んだ
自動変速化の波(AT限定免許制度が1991年11月から始まった)によってマ
ニュアルドライブ車比率は激減し、ポストバブルの出版不況もあって高コスト
となるテストコースやサーキットでの計測取材は主流の座から後退していった。

 そして、代わって一般化したのが試乗記(ドライビングインプレッショ
ン)。従来から自動車専門誌の花形としてとされているが、その内実はライタ
ーの主観に基づく印象記であり感想文の範疇に留まる。経験値がモノを言う世
界であり、書き手のキャリアが価値観の分かれ目となる。検証すべきファクト
は配布されるプレスリリースに掲載される技術情報やデータが中心となり、そ
の確認は開発陣への直接取材以外に手立てはない。多くの場合は広報資料とし
て用意されるパブリシティが頼りであり、それを乗り越えて独自の論点を展開
できる豊富な経験の持主は残念ながら少なくなりつつある。

 私は20代前半でモーターレーシングの扉を叩いた後に縁あって自動車メデ
ィア界に入っている。オイルショック後の1970年代は前述の通り自動車暗黒
の時代であり、自動車メーカーが一斉にワークス活動から撤退した時期。プラ
イベーターが反社会的との批判を浴びながら草の根的な活動を絶やさなかった
ことが今につながった。現在国内自動車メーカー各社はモーターレーシングを
文化的活動とか奇麗事を並べるが、ビジネス度外視でモーターレーシングをサ
ポートできるカーガイがどれだけいるか。ホンダ創業者の本田宗一郎氏以外に
思い浮かぶ日本人経営者はいないし、責任の所在をあいまいにする日本的経営
にはいわゆる根っからのクルマ好きを見出すのは難しい。

 日本で初めてのワンメイクレースを開催したのは鈴鹿というホームコースを
擁するホンダで、1981年にF2シリーズのサポートイベントとして『スーパ
ーシビックレース』をシリーズ化したことに始まる。2代目シビックCXモデ
ルは85psという平凡なスペックのFF2ボックスだったが、当時の広報部の肝入
りで国内有名レーサーや専門誌メディアの参戦などの話題を集め、白熱のレー
ス展開で後の国産ワンメイクレース全盛のひな型となった。

 この記念碑的なレースシリーズに私も参戦した。編集者にスカウトされた関
係でdriver誌からのエントリー。当時は軽自動車の試乗記からサーキット/テ
ストトラックでのハード評価にタイヤテストにレースリポートまで。出来るこ
とは何でもやって糊口をしのいだ結果のひとつだったが、それで身を立てるこ
とよりも自動車業界を盛り立てる役回りであることを強く意識した。

 1983年9月に運輸省(当時)が偏平率60%のロープロファイル高性能タイヤ
を認可する断を下したことを受けて同年年初から当時市場で購入できた全ブラ
ンドをdriver誌の短期集中連載で請け負ったことがその後の私の仕事の幅を拡げ
たという話はこのメルマガでも紹介しているはずだ。

 乗って書くことが唯一の売りだった私の原点でもあるわけだが、当時はチュ
ーニングカー誌(徳間書店)で最高速トライアルも経験している。

 谷田部(JARI)テストコースの高速周回路(5.5km)を舞台にしたそれは、
1980年代に飛躍する日本の自動車産業の陰で花開いた徒花のような存在。

 RS雨宮のSA22Cターボで当時の国産最速288km/hというデータを叩き
出したのは何を隠そう私である。油温計の針がタコメーターのように跳ね上が
るのを確認して、計測地点でちょうど振り切るタイミングを測って裏のストレ
ートを加速してベストレコードを記録した思い出がある。

 前述のタイヤテストのプログラムを編み出す過程でFR駆動の魅力を再確認
し、(パワー)ドリフトこそがその魅力を端的に表す要因だと喝破した。爾来
FR絶対主義の看板を掲げ、今なお内燃機関で走るクルマはFRに限るという
持論を曲げるつもりはない。

●自動車評論家がファンタジーを語り続ける理由

 私の原点は20歳の時にある有名レーサーの手記に触発されて一念発起した
モーターレーシングにある。裕福な家庭の育ちでも何でもなく、手を油まみれ
にして稼いだ資金で足掛け4年奮闘するも息切れ。折よく自動車専門誌編集者
に誘われ自動車メディア界に飛び込んで42年が過ぎた。初の渡航は1980年6月
の欧州。新婚旅行に託つけて、フランス~スイス~英国~フランスと2週間で
約5000kmを走り、シルバーストーンのホンダF2復帰第2戦とルマン24時間レ
ースを取材した。

 この時の原体験が、結果的に300を超える海外渡航取材につながる自信と運
を呼び寄せたと思っている。30代前半からプレスツアーの一角を占めることが
できたのは、出来る出来ないではなくてまずはやってみるを心掛けた結果。

 1985年の取材中のアクシデントによりレーシングマシンの試乗リポート
という新たなジャンルの幕開けと幕閉じを一人相撲の態で成し遂げてしまった
のは残念だが、1981年のスーパーシビックに参戦して以来メーカーに依存して
レース参戦を試みることは厳に慎むこととした。

 後進には、まず専門誌を始めとするメディア界に入って、メーカー肝入りの
レースを足掛かりにプロフェッショナルドライバーとしてキャリアを積んだ者
が数多く存在する。自動車メーカーにとっては媒体露出の対費用効果を考える
と効率が良かったという理屈が成り立つし、どのような方法でプロモーション
しようがそれぞれの勝手だが、経済的なリスクを負うことなくポジションを得
てなおメディアの一員として評価評論の立場に留まる。盗人に追い銭と言った
ら過ぎるかもしれないが、二足の草鞋を履きながらパブリシティに沿った言動
をしてジャーナリストを気取る行き方には賛同しかねる。

 最大の問題点は、時代の変化に対応することなく、自らの歩んできた道のり
を肯定する余り既得権益を守る立場に転じたことに無自覚になっている点にあ
る。象徴的なのは、走りのパフォーマンスに対する認識だろう。

 日本車はことスピードに関して言えば高度経済成長末期に200km/hの壁を
超えている。フェアレディSR311の時代に205km/hを公表していたように、
半世紀前(排ガス規制前のキャブレター時代)のおおらかな時代の現実がす
でにあった。排ガス規制に沈んだ1970年代に一旦途切れるが、1981年に登
場した2.8リットル直6DOHCエンジン搭載のソアラ/スープラが再び200km
/hの壁を破ると、日本車は世界でも稀と言えるほどパワーゲームの坩堝と化
して行く。

 1989年の280馬力自主規制という日本の道路交通法との整合性を意識した
官僚機構の無責任体質を忖度して受け入れたのは、自動車が許認可事業である
という事実の裏返し。自動車メーカーに育てられた業界ドライバーであるな
ら、正々堂々と中央官僚機構の無謬性に囚われた前例主義の矛盾を問うべきで
あり、1962年に施行された改正道交法の高速道路100km/hという法定最高速
度の是非を諸外国へのプレスツアー等を通じて精通する自動車産業先進国の現
実との対比で論陣を張るのが筋というものだったろう。

 現実は、自らの経験としてではなくほとんど伝聞で知る昭和末期の姿をあた
かも劣化コピーとしてトレースするお花畑の狭い世界に甘んじてファンタジー
を語ることに終始した。平成の30年を経て時代はすでに令和という新たな元号
に変わっている。西暦でも2020年と21世紀もふたつのディケード(旬年)が過
ぎようとしている。過去58年間に渡って法定最高速度100km/hがビタ1km/h
たりとも上乗せされていないのに、相も変わらず300km/h超を可能にする500
馬力オーバーのクルマを頂点に据えて絶賛し、すべてのクルマがその方向を目
指すべきとでも言いかねないような言説に留まっている。

●300km/h超の世界を知っている自動車ライターは一握りしかいない

 日本の自動車産業が世界水準を追って切磋琢磨していた発展途上段階に、身
を以てクルマをテストし評価評論に明け暮れた経験の持主なら、1989年に到
達した『280馬力自主規制』の高性能車群が世界の有名ブランドのプライドに
火を着け、世界的なパワー競争を引き起こした事実に対して謙虚であるはずだ。

 そもそも、0→400m加速で16秒を切るような性能は、数値レベルでは
評価できるが、人間の感覚評価の観点に照らせば好ましいとは言えない。

 1989年登場のスカイラインGT-R(R32型)は0→400m発進加速で未踏の
12秒台を難なく捻り出した。エンジン回転をピークトルクの4400rpm以上に保
ったところでポンとクラッチをつなげば、電子制御式4WD(アテーサE-T
S)が的確に駆動力を4輪に伝え、あとは5速MTをミスすることなくシフト
アップして行くだけ。テクニックの介在を必要としない"オートマチック"なパ
フォーマンスに当初は感嘆し高評価を与えたが、道交法との乖離に気がつきそ
のテクノロジーのあり方に疑問を抱くようになった。

 それと相前後してだと思うが、レスポンスという評価にも再定義が必要だと
感じるようになった。一般に応答性が早いことに高評価を下すことになってい
るが、実は人間には位相遅れが存在してほんの微小の鈍さがあった方が好まし
い。逆にシャープ過ぎる応答性はレスポンスが悪いと評すべき筋のものである
はずだ。

 速度そのものにもクルマとクルマ同士のいわゆるハード比較で論じるのでは
なく、運転する人の感覚に沿ってどうか?が問題となるはずだ。私の経験知で
は、大体250km/h(秒速70m)辺りに生理限界があるように思う。これはテス
トコースで何度も感じたことだが、250km/hから上の速域は何度経験しても緊
張する。これは多分人間の神経伝達スピードで最速の有髄神経系の反応速度と
の関係にあるもの(確か0.3sec/m)で、違和感の原因はそこに求められるは
ず。アウトバーンにおける250km/hの紳士協定などもそれに由来するのではな
いだろうか。

 そんなこと言ったって、レーシングドライバーは平然と300km/h(秒速84
m)超の世界で闘っているではないか。その通りだが、彼らプロフェッショナ
ルが有視界飛行同様の眼で現場を確認しながら卓越した反射神経で走っている
とみるのは典型的な素人考えに他ならない。レースで競われているのは本質的
にフィジカルな視力や筋力ではなくイメージ。レーストラックに描かれたイメ
ージの質とそのイメージを実践する能力を競い合っている。現場に来た時には
すでに彼の視野はその先に注がれていて、結果としてのライン取りが優劣の証
となる。

 レーシングドライバーに求められる資質は(1)体力(2)知力(3)胆力の順。プロ
フェッショナルであるにはまず体力が一流のアスリートレベルであることが必
要とされるが、トップドライバーとなるのはイメージの質を高次元に保つ知性
が不可欠で、チャンピオンたるには何がなんでも勝つという強い気持ちの持主
でないと叶わない。

 かつてC.ゴーン前日産会長からR35GT-R開発の全権を任されたエンジ
ニアはナビ席の同乗者とリラックスして300km/hの超高速ツーリングを鼻唄
まじりでこなせると豪語していたが、2007年10月に発売を間近に控えたGT
-Rをアウトバーンで試すプレスツアーで走らせると、とてもとても。

 生憎の小雨まじりの濡れた路面に2車線区間という条件では300km/h寸前
まで攻めるのがやっと。youtubeにプロフェッショナル(レーシングドライバ
ー)の2ショット同乗動画がアップされていると思うが、いずれも両名とも訳
もなく笑っているはず。人間、恐怖が募ると笑うほかなくなるという好例だ
が、まさか引きつるわけにも行かず笑って誤魔化す以外になくなったという
ことだろう。

●起訴されたら99.4%が有罪の国に世界的な外国人経営者はもうやって来ない

 現在の現役自動車ライターで実際に300km/h超の世界に踏み入れたことが
ある者がどれくらいいるのか知らないが、日本のトップフォーミュラやWEC
マシンで超高速トラックを走ったレース経験者や超高速トライアルに挑戦した
猛者を除けば何人もいないはずだ。しかし、相も変わらずエンジン出力の最高
値を喧伝し300km/h超のスピードを理想であるかのように語るのが大半だ。

 日本(に限定する意味はないが)の変化に富んだ走行環境を走破し尽くし、
その多様性を背景に自動車旅行の楽しさ魅力に言及するスタンスを得れば、今
とはまったく違った価値観の提示が成されるはずだが、『試乗記』のほとんど
が昭和の発展途上段階から踏み出してはいない。

 バブルの狂騒から崩壊に至るプロセスは新たな価値観の創造のまたとない好
機だったが、出版不況とインターネットの普及によってメディアの資金と情報
の両面で自動車メーカー依存が強まり、国内市場の飽和サチュレートと自動車
産業のグローバル化にともなうオフショアの流れに沿う収益源の国際化によっ
て、パブリシティに生き残りを賭ける内向き志向が加速してしまった。自動車
に限らず情報は市場やユーザーや読者に向けてこそ価値のあるものになるはず
だが、メディアの食い扶持としての情報が優先され自動車産業の都合に沿った
宣伝広報のような記事がほとんど。批評や批判などが正々堂々と語られること
はまずなくなってしまった。

 一昨年(2018年)の11月19日に起きたC.ゴーン、G.ケリーという日産
代表取締役ナンバー1、2逮捕起訴という衝撃的な報道の際に、いわゆる自動
車メディア界から何ら発信されることなく傍観者の立場に沈んだのは何故か?

 記者クラブメディアによる一方的な(日産・検察による)リーク情報によっ
て、強欲非道の外国人経営者という印象操作が徹底されるのを尻目に何の批評
も批判もしなかった者にジャーナリストとしての矜持はあるのだろうか。

 自動車業界の最前線に位置しながら、過去の業績から容易に推察される推定
無罪の大原則すら忘れ、日産広報部の箝口令に従った無為無策は万死に値する
とは思わないのだろうか。やがて、この火種は日産以外の全メーカーに飛び火
するはずだが、日産というすでにグローバル企業として日本だけでは成立しな
くなっている自動車メーカーの現実はトヨタを始めとするすべての日本自動車
産業に当てはまる。ことはひとり日産の危機ではなく、日本ブランドともいえ
る自動車産業全体に累がおよぶことが避けられないと見るべきだろう。

 すでに日産の傘下に収まりルノー日産三菱というアライアンスメンバーに位
置するようになって久しい三菱は260億円の赤字を2020年3月期で計上すると
いい、日産の同期連結最終損益もリーマンショックに沈んだ2009年3月期以来
の赤字に転落するという。今回の新型コロナウィルスCOVID-19禍以前に顕在
化した業績不振の結果であり、西川廣人前社長CEOの責任は免れない。

 そもそも当初C.ゴーン氏逮捕起訴の罪状とされた金融商品取引法の有価証
券報告書虚偽記載は、現に受け取ってはいない退任後の将来に受け取る金額の
覚書に過ぎないことから犯罪の要諦を成してはいないものだが、仮に起訴した
検察が執念で有罪としたところで、2011年3月期から2015年3月期と分けて
再逮捕起訴した2016年3月期から2018年3月期についてはその3分の2にあ
たる2年分は西川氏がCEOの時代のもの。有証の虚偽記載は提出者に課せら
れたことに対するもので、この場合は西川氏が当事者となる。その事実からも
無茶苦茶なのだが、ことが明らかになっても未だにC.ゴーン氏に対する嫌疑
を口にするものが絶えない。

●元に戻せないことはやってはならない。日産クーデターの教訓は重く深い

 本当に大丈夫だろうか?相変わらず、昔ながらの作法でドライビングインプ
レッションという感想文に明け暮れ、日本社会が抱える変化に対応できない官
僚統治機構とその前例主義によってアップデートすることが出来ず時代や社会
のありように対応できなくなったシステムが明らかになってもなお変れない。

 日産も三菱も20年前の危機的状況に逆戻りした。西川氏の後任として挙がっ
ていたホセ・ムニョスCPO(チーフ・パフォーマンス・オフィサー)はゴー
ン氏失脚とともに日産を追われ、今やライバルメーカーの現代自動車のグロー
バルCOO(最高執行責任者)に就いている。

 日本人経営陣による本格始動が始まった矢先にグローバルな企業活動の実態
に対応できない元の木阿弥に戻りつつあるマツダも厳しい。日本の本社筋で内
部昇格によって頂点を極めた人材にグローバルビジネスが収益の柱となってい
る自動車会社経営は難しいのかもしれない。C.ゴーン氏の後を追うように米
中での存在感演出に血道を挙げ、ワンマン体制を徹底しつつあるトヨタも危な
っかしい。

 トヨタの創業家三代目は、一見全自動車産業を代表する言動を振舞いなが
ら、実は豊田家(株式保有は全体の1%にすぎない)を中心に据えた価値観
に終始している節がある。この点については次週の課題として残すが、今直
面している新型コロナウィルスCOVID-19がもたらした難局は日本社会を根
底から揺るがす可能性が高い。

 CASEもMaaSも従来からの社会の延長線上に描かれたプランという側面
が色濃いが、いわゆる100年の一度の大変革は社会のあり方を一から見直す必
要を促すものであるようだ。ポストコロナウィルスがどんな社会変化を要求す
ることになるのか。今はありたい未来の姿、あるべき姿を時なのかもしれない。   
                                    
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2020年5月12日火曜日

『クルマの心』第第378号2020.4.21配信分

遅くなりましたが、前回(4月25日掲載の4月14日号)に引き続きまぐまぐ!の有料メルマガ伏木悦郎の『クルマの心』の4月21日配信分をお届けします。随時掲載予定ですが、下記御講読案内もよろしく!
https://www.mag2.com/m/0001538851.html
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     伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第378号2020.4.21配信分
●パンデミックは簡単に収束しない。100年前の歴史が物語る教訓
 今世界はCOVID-19、いわゆる新型コロナウィルスによるパンデミックに瀕している。最初に中国湖北省武漢市で感染が確認されたのは昨年11月末のこと。日本で注目を集めたのは2月3日に横浜港に入港した大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス(DP)号の一件からだった。
2月1日に公海上のDP号船内で陽性発覚。船舶には"旗国主義"という考え方があり、公海上の船の管轄権は船籍を持つ国にあるという。この時点では陽性が確認されたのは一人で、すでに下船していた。横浜入港時の乗客の大半は日本人であり、入港禁止の断を下すことは難しかった。
結果的に入港を認め、3月1日に全乗客乗員の下船が完了するまでに新型コロナウィルス感染の陽性が確認できたのが延べ4089人中706人(内無症状者392人)で6人の死亡が確認された。
2月下旬の時点で、イタリア北部での感染拡大が報じられ、翌月上旬スイスのジュネーブで開催される予定だったジュネーブ国際自動車ショーの中止が決まっていた。日本ではもっぱらDP号の報道が中心で、今では世界最大の感染拡大に窮しているアメリカもまだ切実感はなかったと思う。
年明けには思いも寄らず、ほんの2ヶ月前までと今では別世界に生きているような感覚すら身に迫る。2月下旬ではパンデミック(PANDMIC)はまだ可能性を論じる段階だったが、今や現実問題として全地球を覆い、しかもおよそ100年前の"スペイン風邪" (1918~1920年) と同様に第一波から第三波まで猛威をふるう可能性が考えられるようになっている。
歴史に学べば、現段階はまだ始まりに過ぎず、経済規模や世界人口が100年前とは比べ物にならないほど大きいことが次ぎにどうなるかという予測を困難にしている。長期的な展望を持って臨まないと思わぬ躓きを喫しそうな予感がある。
戦後何だかんだ言っても右肩上がりの成長を続けてきたベクトルが、一気に反転する気配がある。歴史が繰り返されるとするなら、1929年の世界恐慌が再現され、経済のブロック化から対立が生じ乾坤一擲の世界大戦に雪崩込んだ状況がやって来ないともかぎらない。
少なくとも、今まで通りのやり方が通用しない状況がすぐそこに迫ってきている。私の個人的な感想を言えば、それが中国なのかEU(というか盟主たるドイツ)なのかアメリカなのか分からないがどこかの国の経済が破綻して時代の節目となる転機が訪れると思っていたら、新型コロナウィルスによるパンデミック禍という人対人ではない人対ウィルスが人類の進化を促す現場に立ち会うことになった。
 戦後75年の長きにわたって戦禍に塗れることがなく、交戦状態の下で日本人が命を落すという現実を見て来なかった平和が当たり前のメンタリティにとって、今が勝負の分かれ目という感覚が希薄だが、もしかするとここ数カ月の過ごし方で未来が別物になってしまう可能性があるのかもしれない。
少なくとも、今まで通りの生き方が難しくなっている現実を多くの人々が実感しているはずだ。問われているのは、どのような未来を作るかという想像力ではないだろうか?
●日本の刑事司法の如何わしさを知るのは犯罪を犯した当事者だけ?
 それにしても、昨年末は12月31日に飛び込んだカルロス・ゴーン氏国外逃亡の報から明けて1月8日にレバノン・ベイルートにおいて記者会見を開いたことが遠い昔の出来事のよう。COVID-19新型コロナウィルス禍による世界の変貌ぶりからすると小さな事件に感じられるようになってしまったが、ポストパンデミックの世界を考える上でゴーンスキャンダル抜きに語ることは出来ないだろう。とりわけ日本とその基幹産業たる自動車の未来は、この事件の精算を経ずして論じるのは難しい。
それ以前に、日本の自動車産業がポストパンデミック時代に今まで通りで存在できるかどうかという問題もあるが、まずは日本人にとってのグローバリズムや日本特有の司法制度の実態が明らかにされることになった現職の外国人代表取締役会長が、東京地検特捜部によって来日直後に羽田空港でいきなり逮捕され、そのまま起訴され、本人否認により拘留された。
容疑は、当初金融商品取引法の有価証券報告書の記載不正とされ、数十億円という単位で記載を不正に免れたことにあると報道された。それはあたかも脱税でもしでかしたかのような論調で、検察が逮捕したという段階で(検察や日産からのリークによる)バッシングが記者クラブメディアから雨あられの如く溢れ返った。検察に起訴されれば99%超が有罪になる事実から、逮捕されたということは起訴確実となり、それはそのまま有罪につながる。とりわけ地検特捜部による"特捜事案"については組織の面子に賭けて無罪はあり得ないという『鉄則』があることを、私はこの事件を通じて知った。
当初金商法の有報不正記載については詳細は明かされなかった。その間にゴーン氏の"強欲"、"独裁者"、"会社の私物化"といった一方的な断罪が既存マスメディアを通じて徹底された。フクイチ原発事故などこれまで何度も見た光景だが、ようやく5日後に明かされた起訴の内容は『記載されなかったのは、退職後に受け取る報酬の覚書に書かれた金額』という、その不記載が罪になるとは到底思えないものだった。
 しかし、逮捕から起訴されたという事実を以て、その数日後に開かれた日産取締役会(C.ゴーン氏とG.ケリー氏はこれに出席するために来日した。ことにケリー氏は翌月に持病の手術を控えていて出席に難色を示したが、日産経営陣にチャーター機を用意し、3日後には帰国できるという半ば騙しの手口で呼び寄せられた)でゴーン、ケリー両氏を代表取締役から排除している。
 逮捕起訴の容疑が、実際に受け取っていない報酬の不記載だったという事実が明らかにされたのは、日産の取締役会がC.ゴーン、G.ケリー氏を代表取締役の座から引きずり下ろした後。当然のことながらゴーン氏は検察の取り調べに対し無実を主張し、そのために拘留は最大限延長された。当初有報不記載容疑は2011~2015年までとされたが、否認により拘留期限切れとなる。すると検察は2016~2018年度の同容疑で再逮捕する。同じ罪状を2期に分けて起訴するという無理筋の上塗りをして拘留の延長を図る。
 私は『人質司法』という言葉をこの時初めて知ったが、日本の刑事司法では検察による自白調書が最優先される。(検察によって)起訴された刑事事件の99.4%は有罪となるという。その高い有罪率は、通常警察の捜査によって逮捕された事実を受けて検察が起訴する段取りとなっているからで、有罪となる確証が得られない事件については起訴を見送る(不起訴処分)のが通例だ。つまり起訴=有罪を意味する。このことから、検察が起訴した段階でマスメディア(特に記者クラブメディアは顕著だが)はまだ被疑者の段階でも罪人視しがちな傾向にある。
 刑事司法においては”推定無罪”の原則があり、公正な裁判によって有罪とならないかぎりは犯罪者として認定されないのが国際標準となっている。日本においては、自白が最も有力な証拠とされるが、起訴後の取り調べにおいて無実を主張し罪の否認を続けると検察の請求により延々と拘留される。この検察の取り調べも弁護士の立会いを認めない民主主義の先進国としては異例のスタイルで、長期拘留に耐えかねて保釈を得るために自白して、裁判で一転して無罪を主張する事例が絶えない。
 刑事裁判の当事者にでもならないかぎり知り得ない話だが、これが日本の刑事司法が”人質司法”であると国際的な非難の的になっていることを日産/ゴーン事件によって初めて知った。
 さらに言えば、このゴーンスキャンダルは東京地検特捜部が独自判断で逮捕起訴を行なった『特捜事件』であり、過去にも政治家や高級官僚、大企業経営者などといった、いわゆる”巨悪”と括られる人々が対象とされ、一度逮捕起訴されれば極稀な例を除いて(郵便法違反で大阪地検特捜部が逮捕起訴した村木厚子厚労省局長事件が有名。この時は担当検事の証拠改ざんが発覚し検察の権威失墜を招いた)多くの著名人が獄中の人となった(ex堀江貴文、佐藤優、鈴木宗男、佐藤栄佐久、江副浩正……)。
●事件発覚からの5日間で徹底された極悪ゴーンのレッテル貼りを信じる日本社会
このスキャンダルの異例な点は、2018年6月から施行されていた日本版司法取引の2番目の例であり、しかもその結果が国際的スキャンダルとなったという事実において歴史的な転換点となる可能性を秘めているところにある。日本で採用された司法取引は、「他人負罪型」といって他人の犯罪について供述をすることを検察官に約束をする代わりに自らの処罰の軽減を求める。米国などで採用される自分の容疑事実の一部を認める代わりに他の犯罪事実を立件しなかったり処罰の軽減を約束する「自己負罪型」とは異なる。
どうやら、これは日本の司法制度の下では罪を犯した者がその事実を認めるのは当然であり、自白をしたからといって特別の恩典が与えられる理由はないという、日本社会の一般通念があるそうだ。他人の犯罪については元々供述する義務はないので、その供述を敢えて行なった者を優遇する制度の導入には比較的抵抗がなかった、ということらしい。
いずれにしても、この司法取引による日産経営幹部(当時)の供述を元に東京地検特捜部の捜査が始まり、2018年11月19日夕刻に衝撃的な現職のカルロス・ゴーン日産代表取締役会長とグレッグ・ケリー同代表取締役の逮捕に結びついている。
あれからすでに1年と6ヶ月の時が流れた。昨年12月31日には「私は今、レバノンにいる」という驚きの映像が、世界が瞬時につながるインターネット社会の現実を通じて届けられ、年明けの1月8日はベイルートから世界中のメディアを集めて記者会見が行なわれた。
 未だにほとんどの日本人は、事件発覚後からの数日間で豪雨のように降り注がれた(記者クラブ)マスメディアによる印象捜査によって、C.ゴーン氏=金に汚い強欲の独裁者というレッテルを深く刻み込んだままでいるようだが、それらがすべて(ゴーン/ケリー両氏の取締役会からの排除を画策した)当時の日産経営陣と一体化した地検特捜部によって一方的に流されたものだったということを省みることすらしない。
 前置きが長くなったが、去る4月15日、昨年11月から12月27日まで5日間延べ10時間にわたって東京でインタビューを行なった元特捜検事の郷原信郎弁護士による著書『「深層」カルロス・ゴーンとの対話(起訴されれば99%超が有罪になる国で) 』が出版された。
 全319ページの長尺で、一方に偏ることなく日産検察側とゴーン/ケリー氏及び弁護陣双方の立場から検証を試みるという法律家らしい慎重な姿勢から、読み物としてのエンターテインメント性を欠いてやや退屈な面もあるが、じっくり読んで納得を得るにはこれくらいの用心深さは必要かと思わせた。
 私としても、発売日は予告されていたのでアマゾンで購入したが、忙しさにかまけて(相変わらず週3で相模原の物流センターで肉体労働に励んでいます)読了に一週間を要してしまった。
●ゴーン氏はルノー(フランス政府)が望む統合には反対だった!
 結論としては、事件発覚当日のFACEBOOKやtwitterで事の経過を追いながら発信した断定した『クーデター』説に間違いはなく、当初数日間に渡って明かされることがなかった金融商品取引法の有価証券報告書の虚偽記載の中身は、退職後に受け取る報酬についての覚書という、取締役会にも株主総会での議決を経ないおよそ法的根拠のない司法取引に応じた元役員(秘書室長)とC.ゴーン氏が交わした書面を以て立件を企てた地検特捜部の無理筋に過ぎなかった。
 2011年3月期から2015年3月期までの5年分と2016年から2018年同期の3年分という同じ内容を二つに分けて2度の逮捕身柄拘束を実現し、その間に自白を得ようとする従来通りの特捜部マインドで臨んだところが、ゴーン/ケリー両氏ともに当然のことながら無実を主張。『人質司法』対する国際世論の高まりに、裁判所が保釈請求を許可すると、東京地検特捜部はさらにゴーン氏を会社法違反(特別背任)として2つの事案で再逮捕している。
 サウジアラビアルートとオマーンルートと称された特別背任の罪状は、いずれも肝心の一方の当事者であるハリド・ジュファリ氏(サウジルート)からもスヘイル・バフワン・オートモビルズ(SBA)のバフワン氏からの供述は得ておらず、資金の流れについても当時の日産経営陣も了解済みの正当なものだったのを、検察特捜部の創作による筋書きに当てはめようとする”無理筋”の結果という見方が説得力を持つようになっている。
 要約すると、そもそもの発端は日産の最大株主として43.4%を保有するフランスのルノー社による日産の統合にある。ルノーの株式を15%握る最大株主のフランス政府の意向であり、2015年に最初の危機が訪れている。時の経済産業デジタル大臣だったエマニュエル・マクロン現大統領が統合に積極的だったといわれたが、日本側はRAMA(Restated Alliance Master Agreement=改定アライアンス基本契約)を楯に抵抗して難事をかわしている。
2018年はゴーン氏のルノー会長職の任期が6月で切れるタイミングとなっていた。これを機にゴーン氏は日産/三菱のグループ戦略に専念するとみられていたが、実は統合に意欲的だったのはルノー(というかフランス政府)であり、ゴーン氏の立場は緩やかなアライアンスによってルノー、日産、三菱それぞれの独立性を活かす考え。
 私は、当初36.5%やがて43.4%と出資比率を高めたルノーの傘下に日産が入るのが当然と思っていたが、フランス・ブラジル・ヨルダンに国籍を有するコスモポリタンにしてグローバリストのゴーン氏は統合は失敗するとの見込みからアライアンス=提携によるシナジー効果を推進。2016年には三菱の不祥事に乗ずる形で日産の傘下に収め、トヨタやVWと比肩して世界一も視野に入る成功例として評価される実績を上げている。ルノー(というかマクロン仏政権)が渇望する経営統合には反対だが、要となるルノー会長職の地位に留まるには「ルノーと日産の関係を不可逆的にする」ことが求められた。
 一計を案じた結果としてゴーン氏が導き出したのは『持ち株会社』を設立して、各社の独立性を維持する。これに対してかつての日産を記憶する西川廣人前社長CEOを中心とするプロパーはブランドを維持するために財団方式を主張したといわれる。
いずれも郷原氏の著書『「深層」カルロス・ゴーンとの対話」で知ったことだが、長年にわたる私の疑問”何故ルノーは当初から日産の経営統合を急ごうとしないのか”は、カリスマ経営者として国際的な評価を得ているC.ゴーン氏の手腕の結果と結論づけられる形となった。
●私が(スカイライン)GT-R徹底批判に転じた理由(わけ)
 思い起こすのは、1999年11月の初旬だったと記憶する。同年10月18日の日産リバイバルプラン(NRP)の記憶も新しい晩秋の箱根(プリンスホテルの広い宴会場)でCOTYメンバーを中心とする自動車ジャーナリストと四角くテーブルを設えた懇談の場である。
 席上、血気の47歳だった私は真っ先に手を挙げ「あなたは誰のために日本にやって来たのですか?」シンプルにそう質した。すると開口一番「日産のためです(For NISSAN!)」。
率直に言って意外だった。来日以前から、稀代のコストカッターにしてリストラの権化であり再建請負人。得体の知れない外国人には異様に弱い日本のマスメディアが貼ったレッテルとは違う第一声だった。
シンプルな一言に続く説明は長かったが、その中身はほとんど記憶にない。ただ、個人主義の塊で本人の栄達が最大のモチベーションだという西欧育ちのエリートらしからぬ予想外のコメントが今でも脳裏に響き渡っている。
翌2000年には黒字化を実現し、2002年度に連結売上高営業利益率4.5%以上、同年度末に有利子負債を7000億円以下に圧縮というコミットメントをそれぞれ1年前倒しで実現。1年で黒字化を果たせなかったら経営陣すべて責任を取って辞任すると言い切っての成果は、日本人の常識を遥かに超えるものであり、鵜の目鷹の目で”お手並み拝見”と上から目線だったマスメディアは皆沈黙するほかなかった。
 この時の強烈な印象と『Zカー』フェアレディZのブランド価値とGT-Rが示した技術の日産を象徴するブランド価値に注目し、”直轄領”として再生の責任を負う姿勢に興味を持たざるを得なかった。GT-Rをスカイラインというドメスティックブランドに留め置かずに日産GT-Rとしてグローバル展開を試みた点も注目だった。
 知る人もあるかと思うが、私は世の多くのクルマ好きの絶賛とは一線を画し、R32スカイラインに始まる第2世代のGT-Rには批判的な目を向けている。デビュー当初こそはまだテスターとして現役であり、毎週のように通っていた谷田部(JARI)や筑波サーキットでの驚異的な走りに夢中になっていたが、ある日気がついた。
スカイラインは基本的に輸出されないドメスティックブランドであり、RB26DETT型直6ツインターボにアテーサE-TSというR32GT-Rのコア技術である4WDシステムは基本的に左ハンドルが作れない構造となっている。
”R”のコンセプトそのものが当時の国内グループAレースシリーズの規則を精査した結果であり、グローバルな広がりは当初から考慮されてはいなかった。R32が第2世代GT-R3部作最大のヒットだが高々4.3万台、R33、R34合わせてもわずかに7万台強である。
 メインのスカイラインシリーズの存在が比較的低価格でスーパーパフォーマンスを販売できた秘訣だったが、GT-Rの名声とは裏腹に飯の種のベースグレードは低迷した。この経営視点を持たない過剰な技術導入が”技術の日産”という亡霊を呼び覚まし、後の経営破綻につながるエンジニアの暴走とその真逆の退屈極まりない日産車の堕落につながったと私は見る。
 批評の精神を忘れて自動車メーカーのパブリシティの片棒を担いだメディア/ジャーナリストは未だに理解していないようだが、ゴーン氏を排除して20年前の日産に逆戻りさせた現在の経営陣の無能さに気づけないメンタリティの根は同じところにあると思う。
私はR32では実験主担、R33とR34の開発主管を務められた渡邉衡三さんとは再三再四激論を交わした間柄でもある。渡邉氏は「レースがやりたくて日産に入った」という非常にロマンチックで純粋なエンジニアだが、私はGT-Rの実力を認めた上で、それでも「あれは禁じ手だった」と今でも断言できる。
 現行R35GT-Rはゴーン直轄領であり、CPSとCVEを兼任した水野和敏全権によって世に出たクルマだが、当初の777万円というプライスタグであの性能/クォリティは果たして現実的なものだったか。
発売から丸12年以上もフルモデルチェンジ出来ないままでいるという事実が物語るのは、第2世代のGT-Rと同じ採算よりもロマンに走り、結果として会社を傾きかねない象徴的存在だった、ということではないか。水野全権が嘱託を解かれて日産を去ると瞬く間にベースグレードが1000万円の大台を超えて行ったあたりに、フルモデルチェンジ出来ない日産GT-Rの現実が潜んでいる、と思う。
 すでにC.ゴーン氏は日産の経営から追い払われて1年6ヶ月。経営を西川廣人前社長に委ねた2017年からの3年で、日産は再び存亡の危機に瀕してしまった。一度傷ついたブランドを再び元に戻すのは至難の業。1918~1920年の”スペイン風邪”が後の世界恐慌に結びつき、経済のブロック化が乗るか反るかの乾坤一擲を喚起し、世界大戦まで行った史実と合わせると、新型コロナウィルスCOVID-19による時代の変化は文字通り『100年に一度の大変革』を招来し、元通りに帰るとは考えにくい。
●日産は生き残る価値を失い、トヨタも安閑とはしていられなくなった
今年は京都で『第14回国連犯罪防止刑事司法会議』(通称京都コングレス)が行なわれる予定だったという。4月20日から27日までの1週間の開催は折からのコロナウィルス禍により無期限延期となった。日本での開催は50年ぶりとかで、法務省関係筋は腕まくりしていたというが、当然のことながら一昨年に始まるゴーン/日産事件で再び国際的な批判に晒された『人質司法』について喧々諤々となると思いきや、京都コングレスでは日本独自の刑事司法の功罪を議論する場は用意されていなかったという。
 自国開催の国際会議で自らが苦境に立たされる場を設けるはずもない、といえばそうだが、無事で通れる筋でもなさそうだ。今般のコロナウィルス禍は、日本の法務省にとっては批判に晒されることを避けたという点で”神風”かもしれないが、ここで一計を案じた人が立ち上がった。
 詳しくは元公認会計士で現在は会計評論家として知られる細野祐二さんの公式ホームページhttp://yuji-hosono.comをご覧いただきたいが、氏が主宰するyoutube channel:複式簿記研究会では『人質司法』に特化した連続シンポジュウム(裏コングレス)を開催している。
 4月22日から第一回の配信が始まっていて、4月24日の第三回では「日産ゴーン事件とゴーン元会長の海外逃避」と題して、ヨルダン・ベイルートからC.ゴーン氏がweb出演することになっているhttp://youtu.be/pOhvWDkNxBA。
これには主宰の細野祐二氏とともに「『深層』カルロス・ゴーンとの対話」著者の郷原信郎弁護士も出演し、著書の内容を踏まえて解説している。カルロス・ゴーン氏へのインタビューもあり、その肉声による"事実"は多くの人々の判断材料となる生の情報と言えるだろう。
残念ながらではあるけれど、日産は1998年末の崖っぷち以上に厳しい現実に直面していると言わざるを得ない。日産には友人知人も少なくないが、時計の針を20年前に逆戻りさせて「日本人の日産を取り戻す!」と言うのは勝手だが、誰がどうやって?を欠いた精神論が通じるほどビジネスの世界は甘くはないだろう。ましてや100年の時空を超えて襲ってきたパンデミックの嵐に、国内販売の10倍を売り上げるグローバル市場でのブランド毀損の意味は果てし無く深い。
 実はことは日産だけの話ではなく、すでに2020年3月期の三菱自工は200億円を超える赤字を計上して元の木阿弥となりつつある。C.ゴーン氏の構想にはFCA(フィアットクライスラーオートモビルズ)とのアライアンスもあったといい、それが実現すればすでに提携関係にあったダイムラーAGと合わせて日米独仏伊からなるグローバルアライアンス群が生まれた可能性があった。
今回のCOVID-19コロナウィルスによるパンデミックは、この先どのような変化をもたらすか不明だが、世界的な評価を得ていたカリスマ経営者がこの難局をどう乗り切るのか、見てみたかった気がする。乗り切れずに終わることも含めて、歴史にはタブーの"タラレバ"を考えずにはいられない。
私の見立てでは、盟主トヨタも安泰ではなく、日産ほどではないにしても総収益の8割近くを海外販売に依存している現実は軽くはない。最大の問題は無謬性と前例主義で硬直化した官僚統治機構が時代の変化に対する抵抗勢力となっていることだろう。そのアップデートが喫緊の課題であり、自動車のモビリティを根本から再構築してグローバルに通用する自前のコンセプトの提示なしに現在の世界シェアを維持する未来はやって来ないのではないか。
 ここでも、本来メディアがなすべきジャーナリスティックな視点に立った議論が待たれるところだが、残念ながら今のマスメディアに期待できるものはほとんどない。
                                      
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2020年4月25日土曜日

私伏木悦郎の有料メルマガ、伏木悦郎の『クルマの心(しん)』の第377号 2020年4月14日配信号をここに公開します。今後気がついた既報号をその時々の世相を見ながら公開して行こうと思います。興味を持たれた方は、是非登録をよろしくお願いします。読者が1万人を数えたら、時代を進めることが可能だと信じています。


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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第377号2020.4.14配信分



●病院は病気を”作る”ところでしかない?

 『緊急事態宣言』発出から一週間。三密を守って80%以上の対人接触をおよ
そ1ヶ月間に渡って削減できれば深刻な医療崩壊を免れる。見えざるウィルス
との闘いは、多くの商店を保証のあてのない営業自粛に追い込みながら、ポス
ト新型コロナウィルス(COVID-19)の世界がどうなるのか不明瞭なまま胸突き
八丁に差し掛かった観がある。

  すでに発生源の湖北省武漢市を始めとする中国国内はもとより、いち早く感
染拡大が現実となり医療崩壊に見舞われたイタリアやスペインをはじめ、ドイ
ツ、フランス、イギリスといった欧州の国々、瞬く間に感染爆発状態に陥り世
界最大の感染者数と犠牲者を更新し続けるアメリカ。ニューヨーク市(州)の
ニュースを聞かない日はなく、パンデミック(Pandemic)に震える世界中の有
様を映し出すTV新聞などの既存メディアに加え、インターネットを介したS
NSなどのwebメディアがさながら『インフォデミック(Infodemic)』である
と当初から懸念を表明していたWHO(世界保健機関)さながらの状況に面し
ている。

 安倍晋三内閣総理大臣による緊急時第宣言の発出タイミングに対する賛否は
ともかく、経営と同じく政治も結果責任であることは間違いない。様々な意見
が飛び交う毎日だが、今のところ発表される結果としての死亡事例は医療崩壊
により悲惨な状況にある諸外国と比べて異例なほど少ない。少なくとも、昨年
11月の中国における新型コロナウィルス感染の確認から現在に至るおよそ4ヶ
月間のパンデミックに至る過程において、もっとも問題となる感染による死者
の絶対数は最小限に保たれている。

 ということは、結果論として日本政府や医療関係者の施策には諸外国との比
較において誤りがないことになる。今後の展開次第では評価は別なものになる
可能性もあるが、COVID-19という未知の新型コロナウィルスに対して、日本
社会は健闘していると言っても差し支えないと思う。

  もちろん、このところの報道に見られる医療機関における院内感染の状況か
ら、医療従事者の感染が目立つようになったことには注意が必要だろう。人口
呼吸器や人口心肺機器などの重症患者向け装置の絶対数や医療従事者の防護服
などの供給不安もそうだが、たとえそれらが完備していたとしても医師や看護
などの現場の人材が罹患してしまってはドライバーのいないクルマの如し。人
を治せるのは人以外にいない。

  何事においてもそうだが、現場を知らない者の机上の空論ほど厄介なものも
ない。病院とは実は病気を作るところ。若き日のイボ痔に始まって仙骨骨折、
胆嚢摘出、脛骨骨折と何度か入院経験を持つ私は、比較的病院の現実を知って
いる方だと思う。健康あるいは健常な人には想像の外にあることだが、病院の
床に就く入院患者は整形外科や小児科病棟などを除けば平均年齢はとても高い。
直近の入院経験は2017年の脛骨骨折の一月半とアブレーション(心房細動カテ
ーテル治療)の数日だが、65歳(当時)の私は「アンタなんか若い方よ! 80、90
に比べたら」年季の入った看護士に笑われた。胃ろうでつながれて直接栄養投
与することで生き長らえている超高齢者のなんと多いことか。

  現代では多くの人が病院で生涯を閉じることが多くなっている。我が家の畳
の上で旅立つことができるのは幸運かもしれない。病院とは「あなたは〇〇と
いう病気ですと教えてくれるところ」であり、その上で治療にあたる施設。文
字通り病気の百貨店であり、常に院内感染のリスクに晒されている場所と考え
るのが正しい。もちろん医療従事者はプロフェッショナルだから自ら好んでリ
スクを取ることはしないが、患者の多くは医療のアマチュアだ。健常者の常識
を病院というアナザーワールドに持ち込んで秩序を乱すことに無自覚な存在、
といってもいい。

●日本の医療は健闘している。今のところ死亡者は最小限に抑えられている

  COVID-19という新型コロナウィルスによるパンデミック状況は、既存メディ
アにとっては格好の報道素材であり、緊急事態宣言が発出されて以降のTVの
情報番組はほぼこの話題一色の観がある。PCR検査という言葉を聞かない日は
ないが、そもそもこれって何?

 PCRはPolymerase Chain Reactionの略語でポリメラーゼ連鎖反応のこと。
ポリメラーゼは人の細胞の中で遺伝子(DNAあるいはRNA)が増幅する時に働く
酵素の名前で、PCRでは特定のウィルスの遺伝子の一部を大量に複製させるこ
とによって、ウィルスの存在を検知するのだという。専門的な領域なので深追
いは避けるが、とにかくこれを徹底してやれという外野の意見を多く聞く。

  検査を多くすれば感染者が今発表されているより遥かに多くなるはずで、日
本は諸外国に比べて遅れている……という論調が根強い。しかし、問題は感染
者数の実数だろうか? 問われるべきは重症者の治療であり、感染によって亡
くなる人の数を最小限に抑えることであるはずだ。日本は、世界的な感染拡大
が取り沙汰されるようになった2月以降2ヶ月以上に渡って重症者数も死亡例
も医療崩壊の危機に瀕した諸外国との比較でみれば健闘している。今後感染拡
大にともなう医療崩壊が懸念されてはいるが、ピークを低く抑えて医療の現場
が機能を失わないようにする戦略は奏功していると評価できそうだ。

 緊急事態宣言から一週間。自粛要請に従って街の雰囲気は様変わりし、初め
て経験する社会の変化に現実感が追いついていない。日常必需品以外の生産活
動は大幅場の休止が長期化するのは必至。リーマンショック(2008年9月15
日の米国大手投資銀行グループのリーマンブラザーズが経営破綻したことに端
を発する世界的な金融危機)後の2009年を上回りそうな世界販売の低迷がどの
ような結果をもたらすか。

  未だCOVID-19禍は現在進行形であり、その後の世界を考える余裕もパース
ペクティブもないが、この事態が100年に一度と言われていたクルマの未来に
一石を投じるのは間違いない。

  果たして統合制御という統一基準で全体を動かすCASEやMaaSという移動の
あり方は最善だろうか。新旧のテクノロジーや制御体系が複雑に入り組むこと
が容易に想像できる現実の混合交通状況下で、全自動運転車化に突き進むより
は、人が自らの意志で動くという従来型のパーソナルモビリティのほうが正し
い方向性ではないか。

  クラスター(集団)がキーワードとなっているが、パンデミック禍における社会
の現実は脱クラスターであり、数人という最小限のモビリティツールとしての
クルマの価値とその個人所有によってもたらされるリスクの分散効果は再考の
余地があると思う。

  そもそも、日本の鉄道網は首都東京を中心とした中央集権的な国のあり方を
基本に考えられた節がある。すべての鉄路は東京につながり、世界に冠たる整
備新幹線も東京を基点に中央と地方を結ぶ発想でネットワークが組まれてい
る。新幹線の運賃はあまり話題に上らないが世界的に見ても割高であり、物珍
しさのインバウンド需要を除いては企業の経費で落ちるビジネス需要が主。盆
暮れ正月の帰省や黄金週間などの連休を除けば、一般乗客の比率などは知れた
ものだろう。

  困ったことに、世界一高い日本の高速道路の通行料はこの新幹線やそのライ
バルたる航空運賃との兼ね合いで設定されている。国鉄からJRへの分割民営化
も道路公団からNEXCOへの転換も国交省からの天下り先の確保以外に考えられ
ない不透明さが付きまとい、世界最大級の自動車生産国という技術力の恩恵を
自国民が享受することができないという歪んだ道路行政が、モビリティそのも
のが商品のコアになる未来の現実に暗い影を落としている。

  高速道路は原則無料の道路法の精神に却って、東京一極集中から37万平方キ
ロメートルのけっして狭くない国土での地方分散型社会へと改めて、東西南北
という変化に富んだそれぞれの風土に根差した多様な文化の集合体へと再構築
を考える。北海道と九州のクルマが同じ個性である必要はなく、豪雪地帯の日
本海側とほとんど雪の降らない乾いた冬の太平洋側でも異なるトレンドが生じ
て不思議はない。さらに言えば、多様な気候や風土や環境に縦断的なクロスオ
ーバーの発想でグローバルに通用するコンセプトを構築するのも悪くない。

  今回の新型コロナウィルス禍は時代を大きく変える世紀の一大事と言えるが、
ピンチはチャンスと言う。鉄道網に表れた東京中心の中央集権的な国のあり方
から、]変化に富んだ地方ごとを結ぶネットワークとしての道路網を再構築し
て、分散型の国と都市を考え、改めてクルマの可能性を問う必要がある。

  クルマは人生を豊かにする道具であり、Freedom of Mobilityこそがそ最大価
値であることに立ち返る必要がある。グローバル化のオフショアに乗って世界
中で2000万台以上のクルマを売り捌き、大いに儲けて経済に貢献したが、肝心
の日本の人々の人生を豊かにしたり幸せにしてきただろうか?

 自国民の満足の最大化を図ることなく価値観を諸外国に委ね、それに対応す
ることで収益を上げてきた。本末転倒であり、そのような他力本願ではいずれ
新興勢力に取って代わられるのは時間の問題だったのかもしれない。

●日本の自動車メディアはドイツの対中国市場戦略に利用されている!!

 いずれにしても、世界中が今回のパンデミックで大混乱を来しており、完全
に収束した後の未来がどうなっているか想像も着かない状況にある。

 21世紀に入って、世界のクルマのトレンドをリードしたのは間違いなく日本
だが、ドイツが価値観の覇権を握り続けたのは紛れもない。元々クルマ発明の
母国を以て任ずるドイツは技術において自他ともに認めるものがあったが、ベ
ルリンの壁崩壊にともなう再統一から東西格差解消に約10年を要し、リスクを
取って1984年から中国に進出した成果が具体的に表れるようになったのは20
05年頃から。中国の改革開放政策の進展とともに、地元EUでの成果を叩き台
に量的拡大を一気に進める。元はといえば1970年代のVWゴルフ(ラビット)
による米国本土進出の失敗が中国シフトのモチベーションとしてあった。

 2005年頃に日本の欧州系インポーター(特にドイツ系)がこぞって日本メー
カーのPR部門を対象にヘッドハンティングを行なったことを思い出そう。そ
れは丁度中国の自動車市場が爆発的に拡大するタイミングだった。ドイツメー
カーが行なったのは徹底したメディアコントロール。輸入車にとっての日本市
場は今でも6~7%(約30万台でその大半がドイツ車)だが、ドイツメーカー
のHQが販売台数の倍増をコミットメントとして掲げたことは寡聞にして知ら
ない。

 極東の日本に生産拠点を設けることなく収支を安定させるには、現行の一社
あたり5~6万台/年が都合いい。それ以上とすると販売拠点を増やし、PD
Iのコストの増大を生み、部品の在庫の積み上げも必要になる。VWゴルフが
象徴的だが、日本以外ではトヨタやホンダと同じ量産メーカーなのに日本では
プレミアムブランドとして認識されるようになっている。メルセデスベンツや
BMW、アウディは言うに及ばずだが、ブランド価値を訴求するパブリシティ
の徹底というメディアコントロールの成果が世界最大の自動車市場と化した中
国で活きている。

 これは中国取材を通じて得た私の持論だが、ドイツメーカーの日本のメディ
ア戦略は中国市場のためにある。中国ではTVも新聞も雑誌も北京政府のコン
トロール化にあり、中国の消費者はあてにしていない。少し前までは口コミ
(親戚、信頼のおける友人知人など)が価値判断の材料であり、今ではSNS
などのwebメディアが伸びている。日本市場における評判は有効で、その情報
が中国の消費者に流通しているのは紙おむつのブランドなどの爆買いを見ても
分かるだろう。

  ドイツメーカーが日本の自動車メディアに過大なコストを掛けても、元が取れ
るだけのシェアが中国に存在している。各メーカーそれぞれで10万台/年に一度
も届いていないのに、あれだけの広告を打ち、現地試乗会に招いて手厚く遇す
る理由は見当たらない。このような持論を展開する者は他にはいないが、私に
はそれ以外に納得できるストーリーが思いつかないのである。

●VWディーゼルゲートに始まり、COVID-19が止めを刺すことに……

  このドイツメーカー最大のフォルクスワーゲンVWが、悲願のアメリカ市場で
の成功を期して送り出したのがTDi(コモンレールディーゼル)モデル。コ
モンレールは商用車の世界では日本のデンソーが先駆けだが、欧州ではフィア
ット系列のマニエッティ・マレリ(昨年カルソニック・カンセイを買収したイ
タリアのメガサプライヤー)が乗用車用の開発を手掛けていた。

 ところが親会社のフィアットの不振が災いしてその技術をドイツのボッシュ
に譲渡。それがドイツ勢を中心とする欧州のディーゼルブームを生んだわけだ
が、VWはこれを環境技術の中心に据え、アメリカで環境エンジンのデフォル
トと化していたトヨタのTHSに挑むことにした。

 欧州におけるディーゼルブームに火がついたのは2005年頃からと記憶する
が、トヨタが2代目プリウス(NHW20)で欧州市場に進出したのが2004年。
高トルクでスポーティな走りを見せるTDIに「我々にはディーゼルがある」
とドイツ勢が気勢を上げ、その余波を駆ってカリフォルニアのグリーンカー
オブザイヤー(LAショー開催時に発表)において2008/2009年と連覇を成
し遂げた(注目は2009年。この年は3代目プリウスZVW30がエントリーして
いたにも関わらず、である)。

  そして、6年後の2015年9月18日。アメリカのEPA(環境保護局)の告発に
よりVWのディーゼル排ガス不正が露顕する。ここを境にドイツメーカーは一
斉にEVへと舵を切る。VWのM.ヴィンターコルンCEOと技術担当役員
U.ハッケンベルグ常務は失脚。翌年のパリショーでBMWからやって来た
H.ディースCEOがEVシフトを掲げると、ダイムラーAGのD.ツェッ
チェCEO(当時)はCASEという今では一般用語と化したコンセプトを
持ち出した。

 いずれも、ディーゼルゲートから目を背けさせるスピンコントロールであ
り、中国市場にEVの販路を確保した上での話。ドイツ勢は雇用に直結する
ことから依然として内燃機関の開発の手を緩めることはなく、ディーゼルの
改善開発を諦めたわけではなかった。

 なお、アメリカ発で世界中の国から集団訴訟を受けたVWの”ディーゼルゲ
ート”だが、中国には一切その情報は入らなかったとされる。インターネット
時代ということで目敏い消費者は把握してたはずだが、依然としてVWが外資
系メーカーとしてはトップシェアを握り続けていることから状況は窺える。

 また、日本の自動車メディアも殊更大きくディーゼルゲートを取り上げるこ
ともなく、すでにVWのディーゼルモデルが日本市場でカタログに載ることか
らも分かるように批判の声はほとんど挙がらなかった。ことはメガサプライヤ
ーのボッシュが起点になっている話であり、ドイツの自動車産業全体を覆う話
であるはずなのだが、日本でそれ以上の問題となった形跡はみられない。近い
将来、中国市場発でドイツ自動車産業の危機が顕在化するはずだが、この時日
本の自動車メディアはどんな報じ方をするのだろう?

●日産の未来はなくなったと思わせるブランド毀損の本質

 それよりも危ういのは日本の自動車産業である。今回のCOVID-19によるパ
ンデミック危機は、グローバルな結びつきで成り立っていたサプライチェーン
が途切れ、物理的に生産が滞ったのと同時に、ワーカー(従業員)への感染拡大
を案じた長期にわたる生産の休止によってもたらされている。12年前のリーマ
ンショックでは、翌年に世界の自動車メーカーが軒並み赤字に転落し、GM、
クライスラーが経営破綻した。

 折よく中国の自動車需要の爆発的進展が世界の自動車メーカーのV字回復を
促進させたが、今回は期待できるフロンティアは存在しない。CASE、EV
シフトという大転換期に向けて「さぁ」という時に、世界経済を根底から揺る
がせるウィルスとの終わりが見えない闘いである。

 私は、日本の自動車メーカーの多くが存亡の危機を迎えるのではないかと思
っている。オフショアの波に乗って、日本の全グローバル生産の60%以上が海
外に展開して久しい。すでに現地での企画開発から生産に至る行程が珍しくな
くなっていて、かつてのような日本の本社機能のコントロール化に置くことが
困難になりつつある。日本の中に留まっていては需要地で求められる商品性が
掴み取れなくなる。グローバルな視点の経営者が必須となるわけだが、日本の
本社組織の内部昇格でトップに就いた人材にその器を期待するのは酷と言うも
のだろう。

 一昨年の11月19日に、社内の権力抗争に端を発するクーデター劇でCEOの
座を追われたC.ゴーン氏とG.ケリー氏という二人の外国人代表取締役がい
なくなってからの日産をみれば一目瞭然だろう。日産を日本に取り戻すという
お題目はけっこうだが、1999年6月のルノーによる救済以前の危機的状況より
もさらに深刻な事態に陥った経営責任を誰が負うのだろう。

 私の見立てでは、日産の5年生存確立は表向きで30%。率直に言えばゼロで
ある。傷ついたブランドを再生するために要するエネルギーはとてつもない。
その偉業を軽く見て、積み上げたブランド価値が経営者に帰属していたという
事実を無視して国際的な評価を得ていた人物をクーデターで貶めてしまった。
日産が全グローバル販売の9割を国外市場に依存しているという事実を忘れ
て、日本市場に拘るメンタリティだけで何とかなると思っていたとしたら、
未来などあろうはずもない。

 C.ゴーン氏の一件については、4月15日に元東京地検特捜検事の郷原信郎
弁護士がC.ゴーン氏が国外に逃亡する前に行なったインタビューをまとめた
書籍が出版されることになっているので、それを一読してからもう一度整理し
てまとめたいと思う。

 事件発覚以来、日産と東京地検特捜部のスポークスマンと化した日本の記者
クラブメディアの情報操作によって、依然として強欲外国人経営者のレッテル
が強く貼られたままのゴーン氏だが、およそ刑事事件としての立件も難しい無
理筋を伝聞のイメージだけで断罪している同業の群れを見るにつけ、気が重く
なる。

●豊田社長はC.ゴーン氏に代わる自分を夢見ている?

 日産はすでに風前の灯火だが、実はそれと同じような状況にトヨタがいると
言ったらどう思うだろう。私が一貫して豊田章男トヨタ自動車代表取締役を批
判的に論じていることはこのメルマガの読者ならご存知だろう。すべては過去
11年に及ぶ彼の在任直前から現在に至るまでの取材を通じて判断した結果だ
が、ここに来てトヨタの破綻が現実味を帯びてきた思いを募らせている。

 副社長という役職を一掃して、責任ある立場は自分一人とする。次世代を担
う人材を分け隔てなく競い合わせ最善解を得るのが目的というが、まるでC.
ゴーン氏のように振る舞いたいと言わんばかりのトップダウン志向である。

  これまでのところ自分の言葉はなく、そのほとんどの言説が誰かの受け売り。
グローバル市場で評価を得たことはひとつもなく、ただ創業家の嫡男であると
いう変え難い事実だけが価値の源泉となっている。

 これまでは有能な内部昇格者によって上手く回っていたが、グローバルに展
開するトヨタの全体を掌握して、なおかつ世界的な人脈を自らの手で築いてビ
ジネスを展開したこともない人物が巨大組織を束ねることができるか。率直に
言って無理だろう。すでに兵站が伸びきって、豊田市の本社からの鶴の一声だ
けでは容易に動けなくなっている。

 誰に操られているのか知らないが、内部昇格ながら着実に実績を積み重ねて
きた奥田碩、張富士夫、渡邉捷昭という3代に渡る内部昇格の有能な経営トッ
プが10数年を掛けて業容を倍増させた成果を横取りした上で、全保有株式の
1%しか持たない創業家であるにも関わらず会社をまるで私物であるかのよう
に振る舞っている。

 TPS(トヨタ生産方式)と原価低減こそがトヨタらしさの根幹だとする論
の立て方に時代錯誤と能力の限界を見る思いがする。限界効用が働くギリギリ
まで拡大成長した組織をそのまま継続しようと思ったら、それなりの政治力や
ロビーイングは不可欠だろうし、奇麗事だけでは済まされない。TPSと原価
低減がデフレ経済の元凶だとする見方にどう応えるのか。今まで通りで1000万
台メーカーであり続けることが出来ると考えてるとしたら、消滅の危機は日産
を上回る速さで襲ってくるかもしれない。

 そのトヨタと提携関係を結んだマツダも先行きが怪しい。トップがともに慶
応という同窓のよしみで世代的にも近いことから意気投合となったようだが、
マツダの丸本明社長はフォード統治下のM.フィールズ社長に抜擢されて飛び
級で役員に取り立てられた人。フォードの一ブランドとして扱われていた時代
がなければ内部昇格の芽はなかったはずだが、当のフィールズ氏がフォードC
EOの座を追われた翌年にマツダの第16代社長に就任した。

 その運の良さは才能の一部と認められるが、2012年のCX-5に始まる第6
世代の成功に続く次世代で躓いた。マツダ3(旧アクセラ)の一人相撲的なデ
ザイン志向とSPCCI・スカイアクティブXエンジン導入のごたごた。ブランド
プロミスの禁を犯した次世代直6FRモデルのディレイなどは、エンジニアや経
営陣が思っている以上にブランドで活きるしかないマツダの価値を大きく毀損
した。

  構造的には、NRP(日産リバイバルプラン)以前の日産にも一脈通じる、良
くない時代のマツダの独り善がりな気質が蘇った感じ。フォードの窮屈で厳し
い統治下に身に付けた規律を忘れ、エンジニアの思い上がりがブランドを傷つ
けた。商品企画にエンジニアとデザイナーが従うのが本来のあり方だが、主客
転倒の観が否めない。

 米国市場での不振は、技術に対する過信が根底にあり、COVID-19が止めを
刺そうとしている。ブランドのコアに靭(しなり)に始まるマツダデザインの"あ
りたい姿"があったはずであり、待望の気持ちに応えることがブランドの支えに
なった。私は、昨年の東京モーターショーにプロトタイプを発表し、この春に
も新ブランドとして展開しなければ間に合わないと見ていた。6世代の小さな成
功に満足して、勝負どころの7世代を軽く見た結果が『国内販売5チャンネル
制』の失敗の再来に近い昨今の窮地の原因だ。

 フォード時代に学んだキャッシュフロー経営を忘れ、批判する者を排除して
yesmanを侍らせて浮かれた結果。マツダの現経営陣はトヨタの軍門に下れば
御身安泰というつもりだろうが、そうなった時にコアなファンが着いて来るか
を考える必要がある。トヨタの現社長は経産省に操られている張り子の虎かも
しれない。そんな懸念を胸に秘めて臨んだ方がいい。

   先が見通せない新型コロナウィルス禍は、あらためてクルマのあるべき姿を
考えるまたとない機会となるだろう。
                   
                                      
                                      
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2016年10月21日金曜日

未来のために現在(いま)を生きている、のだ!!

日産自動車は2016年10月20日、三菱自動車に2370億円を出資し、発行済み株式の34%を取得。単独筆頭株主となり、事実上の子会社として傘下に収めることになった。

カルロス・ゴーンルノー・日産アライアンスCEO兼会長が益子修三菱自工社長と記者会見を行い、三菱自工会長にゴーン氏が三菱自工次期会長候補に選出されたことと同時に、益子社長が引き続き三菱の顔として留任し、先に取締役 副社長執行役員として就任している山下光彦氏に加えて、トレバー・マン日産チーフパフォーマンスオフィサー(CPO)の三菱自動車最高執行責任者(COO)就任予定などがアナウンスされた。

益子社長の留任によって、日産による三菱支配ではなく、あくまでも三菱ブランドの独自性を活かした再生を目指し、シナジー効果を発揮する提携(アライアンス)関係を築く。実質的に子会社だが、日産のポテンシャルを見極めた企業統治で上下関係を際立たせないルノー流を貫くゴーンスタイルの再現。17年間という長期政権を実現し、気がつけばトヨタ、VWグループに次ぐ世界第3位の一大勢力に昇りつめている。

ルノー日産アライアンスは、すでにダイムラーとのパートナーシップ強化を発表(9月30日@パリショー)しているし、ロシアのアフトワズの経営権も握っている。また、中国では東風汽車と日産の合弁で100万台超の日本勢最大の生産/販売を実現。今回の東南アジアに強いブランド力を持つ三菱のアライアンス入りで、南米/アフリカ/中東を含む全世界のマーケットを隈なく掌握したことになる。

現在世界最大の販売台数を誇るトヨタグループを脅かすのは、EUと中国頼みのVWではなく、ルノー日産にダイムラー&三菱というかつて資本提携関係にあった日独名門企業が加わるアライアンス?

これで今年12月31日に任期切れとなるディーター・ツェッチェCEOの後任にC.Ghosnが指名されたりしたら、オセロゲームの3コーナーを押さえたような眺めになるね。

いや完全なる脳内妄想ですが、ゴーンさんが納得できる次なるポジションといったら世界一となるアライアンス連合のトップしか残っていないでしょう?

パリのMondial de l'Automobile2016でダイムラーが急転直下のEVシフトを打ち上げた背景には、年初のデトロイトNAIASでFORDのマーク・フィールズCEOが行った画期的なプレゼンテーションがきっかけとなったのではないかと想像しますが、かねてからEV路線の急先鋒だったルノー日産がEV・PHEVに独自の高い技術を持つ三菱を傘下に入れることが効いたのでは?

先行きのことは依然不透明ですが、時代が大きく動く予感があります。注目は来月14日から17日にかけてロサンゼルスで行われるLA autoshow プレスデイの新機軸、Automobility LA。従来のクルマの見本市という形態からモビリティに踏み込んだ新自動車業界向けの真正トレードショーとしての枠組み。

主要自動車メーカーや大手テクノロジー企業はオートモビリティーLA期間中に重大発表を予定しているとアナウンスされているが、先のNAIASでAuto&Mobility Companyになることを宣言したフィールズCEOが基調演説を行うことになっている。

youtubeにアップロードされているNAIAS2016のフォードとMondial de l'Automobile2016のダイムラーAGのpress conferenceの動画を見比べながら、激動の兆しが見える2016年の終盤を夢想するのも悪くはありません。