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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第377号2020.4.14配信分
●病院は病気を”作る”ところでしかない?
『緊急事態宣言』発出から一週間。三密を守って80%以上の対人接触をおよ
そ1ヶ月間に渡って削減できれば深刻な医療崩壊を免れる。見えざるウィルス
との闘いは、多くの商店を保証のあてのない営業自粛に追い込みながら、ポス
ト新型コロナウィルス(COVID-19)の世界がどうなるのか不明瞭なまま胸突き
八丁に差し掛かった観がある。
すでに発生源の湖北省武漢市を始めとする中国国内はもとより、いち早く感
染拡大が現実となり医療崩壊に見舞われたイタリアやスペインをはじめ、ドイ
ツ、フランス、イギリスといった欧州の国々、瞬く間に感染爆発状態に陥り世
界最大の感染者数と犠牲者を更新し続けるアメリカ。ニューヨーク市(州)の
ニュースを聞かない日はなく、パンデミック(Pandemic)に震える世界中の有
様を映し出すTV新聞などの既存メディアに加え、インターネットを介したS
NSなどのwebメディアがさながら『インフォデミック(Infodemic)』である
と当初から懸念を表明していたWHO(世界保健機関)さながらの状況に面し
ている。
安倍晋三内閣総理大臣による緊急時第宣言の発出タイミングに対する賛否は
ともかく、経営と同じく政治も結果責任であることは間違いない。様々な意見
が飛び交う毎日だが、今のところ発表される結果としての死亡事例は医療崩壊
により悲惨な状況にある諸外国と比べて異例なほど少ない。少なくとも、昨年
11月の中国における新型コロナウィルス感染の確認から現在に至るおよそ4ヶ
月間のパンデミックに至る過程において、もっとも問題となる感染による死者
の絶対数は最小限に保たれている。
ということは、結果論として日本政府や医療関係者の施策には諸外国との比
較において誤りがないことになる。今後の展開次第では評価は別なものになる
可能性もあるが、COVID-19という未知の新型コロナウィルスに対して、日本
社会は健闘していると言っても差し支えないと思う。
もちろん、このところの報道に見られる医療機関における院内感染の状況か
ら、医療従事者の感染が目立つようになったことには注意が必要だろう。人口
呼吸器や人口心肺機器などの重症患者向け装置の絶対数や医療従事者の防護服
などの供給不安もそうだが、たとえそれらが完備していたとしても医師や看護
などの現場の人材が罹患してしまってはドライバーのいないクルマの如し。人
を治せるのは人以外にいない。
何事においてもそうだが、現場を知らない者の机上の空論ほど厄介なものも
ない。病院とは実は病気を作るところ。若き日のイボ痔に始まって仙骨骨折、
胆嚢摘出、脛骨骨折と何度か入院経験を持つ私は、比較的病院の現実を知って
いる方だと思う。健康あるいは健常な人には想像の外にあることだが、病院の
床に就く入院患者は整形外科や小児科病棟などを除けば平均年齢はとても高い。
直近の入院経験は2017年の脛骨骨折の一月半とアブレーション(心房細動カテ
ーテル治療)の数日だが、65歳(当時)の私は「アンタなんか若い方よ! 80、90
に比べたら」年季の入った看護士に笑われた。胃ろうでつながれて直接栄養投
与することで生き長らえている超高齢者のなんと多いことか。
現代では多くの人が病院で生涯を閉じることが多くなっている。我が家の畳
の上で旅立つことができるのは幸運かもしれない。病院とは「あなたは〇〇と
いう病気ですと教えてくれるところ」であり、その上で治療にあたる施設。文
字通り病気の百貨店であり、常に院内感染のリスクに晒されている場所と考え
るのが正しい。もちろん医療従事者はプロフェッショナルだから自ら好んでリ
スクを取ることはしないが、患者の多くは医療のアマチュアだ。健常者の常識
を病院というアナザーワールドに持ち込んで秩序を乱すことに無自覚な存在、
といってもいい。
●日本の医療は健闘している。今のところ死亡者は最小限に抑えられている
COVID-19という新型コロナウィルスによるパンデミック状況は、既存メディ
アにとっては格好の報道素材であり、緊急事態宣言が発出されて以降のTVの
情報番組はほぼこの話題一色の観がある。PCR検査という言葉を聞かない日は
ないが、そもそもこれって何?
PCRはPolymerase Chain Reactionの略語でポリメラーゼ連鎖反応のこと。
ポリメラーゼは人の細胞の中で遺伝子(DNAあるいはRNA)が増幅する時に働く
酵素の名前で、PCRでは特定のウィルスの遺伝子の一部を大量に複製させるこ
とによって、ウィルスの存在を検知するのだという。専門的な領域なので深追
いは避けるが、とにかくこれを徹底してやれという外野の意見を多く聞く。
検査を多くすれば感染者が今発表されているより遥かに多くなるはずで、日
本は諸外国に比べて遅れている……という論調が根強い。しかし、問題は感染
者数の実数だろうか? 問われるべきは重症者の治療であり、感染によって亡
くなる人の数を最小限に抑えることであるはずだ。日本は、世界的な感染拡大
が取り沙汰されるようになった2月以降2ヶ月以上に渡って重症者数も死亡例
も医療崩壊の危機に瀕した諸外国との比較でみれば健闘している。今後感染拡
大にともなう医療崩壊が懸念されてはいるが、ピークを低く抑えて医療の現場
が機能を失わないようにする戦略は奏功していると評価できそうだ。
緊急事態宣言から一週間。自粛要請に従って街の雰囲気は様変わりし、初め
て経験する社会の変化に現実感が追いついていない。日常必需品以外の生産活
動は大幅場の休止が長期化するのは必至。リーマンショック(2008年9月15
日の米国大手投資銀行グループのリーマンブラザーズが経営破綻したことに端
を発する世界的な金融危機)後の2009年を上回りそうな世界販売の低迷がどの
ような結果をもたらすか。
未だCOVID-19禍は現在進行形であり、その後の世界を考える余裕もパース
ペクティブもないが、この事態が100年に一度と言われていたクルマの未来に
一石を投じるのは間違いない。
果たして統合制御という統一基準で全体を動かすCASEやMaaSという移動の
あり方は最善だろうか。新旧のテクノロジーや制御体系が複雑に入り組むこと
が容易に想像できる現実の混合交通状況下で、全自動運転車化に突き進むより
は、人が自らの意志で動くという従来型のパーソナルモビリティのほうが正し
い方向性ではないか。
クラスター(集団)がキーワードとなっているが、パンデミック禍における社会
の現実は脱クラスターであり、数人という最小限のモビリティツールとしての
クルマの価値とその個人所有によってもたらされるリスクの分散効果は再考の
余地があると思う。
そもそも、日本の鉄道網は首都東京を中心とした中央集権的な国のあり方を
基本に考えられた節がある。すべての鉄路は東京につながり、世界に冠たる整
備新幹線も東京を基点に中央と地方を結ぶ発想でネットワークが組まれてい
る。新幹線の運賃はあまり話題に上らないが世界的に見ても割高であり、物珍
しさのインバウンド需要を除いては企業の経費で落ちるビジネス需要が主。盆
暮れ正月の帰省や黄金週間などの連休を除けば、一般乗客の比率などは知れた
ものだろう。
困ったことに、世界一高い日本の高速道路の通行料はこの新幹線やそのライ
バルたる航空運賃との兼ね合いで設定されている。国鉄からJRへの分割民営化
も道路公団からNEXCOへの転換も国交省からの天下り先の確保以外に考えられ
ない不透明さが付きまとい、世界最大級の自動車生産国という技術力の恩恵を
自国民が享受することができないという歪んだ道路行政が、モビリティそのも
のが商品のコアになる未来の現実に暗い影を落としている。
高速道路は原則無料の道路法の精神に却って、東京一極集中から37万平方キ
ロメートルのけっして狭くない国土での地方分散型社会へと改めて、東西南北
という変化に富んだそれぞれの風土に根差した多様な文化の集合体へと再構築
を考える。北海道と九州のクルマが同じ個性である必要はなく、豪雪地帯の日
本海側とほとんど雪の降らない乾いた冬の太平洋側でも異なるトレンドが生じ
て不思議はない。さらに言えば、多様な気候や風土や環境に縦断的なクロスオ
ーバーの発想でグローバルに通用するコンセプトを構築するのも悪くない。
今回の新型コロナウィルス禍は時代を大きく変える世紀の一大事と言えるが、
ピンチはチャンスと言う。鉄道網に表れた東京中心の中央集権的な国のあり方
から、]変化に富んだ地方ごとを結ぶネットワークとしての道路網を再構築し
て、分散型の国と都市を考え、改めてクルマの可能性を問う必要がある。
クルマは人生を豊かにする道具であり、Freedom of Mobilityこそがそ最大価
値であることに立ち返る必要がある。グローバル化のオフショアに乗って世界
中で2000万台以上のクルマを売り捌き、大いに儲けて経済に貢献したが、肝心
の日本の人々の人生を豊かにしたり幸せにしてきただろうか?
自国民の満足の最大化を図ることなく価値観を諸外国に委ね、それに対応す
ることで収益を上げてきた。本末転倒であり、そのような他力本願ではいずれ
新興勢力に取って代わられるのは時間の問題だったのかもしれない。
●日本の自動車メディアはドイツの対中国市場戦略に利用されている!!
いずれにしても、世界中が今回のパンデミックで大混乱を来しており、完全
に収束した後の未来がどうなっているか想像も着かない状況にある。
21世紀に入って、世界のクルマのトレンドをリードしたのは間違いなく日本
だが、ドイツが価値観の覇権を握り続けたのは紛れもない。元々クルマ発明の
母国を以て任ずるドイツは技術において自他ともに認めるものがあったが、ベ
ルリンの壁崩壊にともなう再統一から東西格差解消に約10年を要し、リスクを
取って1984年から中国に進出した成果が具体的に表れるようになったのは20
05年頃から。中国の改革開放政策の進展とともに、地元EUでの成果を叩き台
に量的拡大を一気に進める。元はといえば1970年代のVWゴルフ(ラビット)
による米国本土進出の失敗が中国シフトのモチベーションとしてあった。
2005年頃に日本の欧州系インポーター(特にドイツ系)がこぞって日本メー
カーのPR部門を対象にヘッドハンティングを行なったことを思い出そう。そ
れは丁度中国の自動車市場が爆発的に拡大するタイミングだった。ドイツメー
カーが行なったのは徹底したメディアコントロール。輸入車にとっての日本市
場は今でも6~7%(約30万台でその大半がドイツ車)だが、ドイツメーカー
のHQが販売台数の倍増をコミットメントとして掲げたことは寡聞にして知ら
ない。
極東の日本に生産拠点を設けることなく収支を安定させるには、現行の一社
あたり5~6万台/年が都合いい。それ以上とすると販売拠点を増やし、PD
Iのコストの増大を生み、部品の在庫の積み上げも必要になる。VWゴルフが
象徴的だが、日本以外ではトヨタやホンダと同じ量産メーカーなのに日本では
プレミアムブランドとして認識されるようになっている。メルセデスベンツや
BMW、アウディは言うに及ばずだが、ブランド価値を訴求するパブリシティ
の徹底というメディアコントロールの成果が世界最大の自動車市場と化した中
国で活きている。
これは中国取材を通じて得た私の持論だが、ドイツメーカーの日本のメディ
ア戦略は中国市場のためにある。中国ではTVも新聞も雑誌も北京政府のコン
トロール化にあり、中国の消費者はあてにしていない。少し前までは口コミ
(親戚、信頼のおける友人知人など)が価値判断の材料であり、今ではSNS
などのwebメディアが伸びている。日本市場における評判は有効で、その情報
が中国の消費者に流通しているのは紙おむつのブランドなどの爆買いを見ても
分かるだろう。
ドイツメーカーが日本の自動車メディアに過大なコストを掛けても、元が取れ
るだけのシェアが中国に存在している。各メーカーそれぞれで10万台/年に一度
も届いていないのに、あれだけの広告を打ち、現地試乗会に招いて手厚く遇す
る理由は見当たらない。このような持論を展開する者は他にはいないが、私に
はそれ以外に納得できるストーリーが思いつかないのである。
●VWディーゼルゲートに始まり、COVID-19が止めを刺すことに……
このドイツメーカー最大のフォルクスワーゲンVWが、悲願のアメリカ市場で
の成功を期して送り出したのがTDi(コモンレールディーゼル)モデル。コ
モンレールは商用車の世界では日本のデンソーが先駆けだが、欧州ではフィア
ット系列のマニエッティ・マレリ(昨年カルソニック・カンセイを買収したイ
タリアのメガサプライヤー)が乗用車用の開発を手掛けていた。
ところが親会社のフィアットの不振が災いしてその技術をドイツのボッシュ
に譲渡。それがドイツ勢を中心とする欧州のディーゼルブームを生んだわけだ
が、VWはこれを環境技術の中心に据え、アメリカで環境エンジンのデフォル
トと化していたトヨタのTHSに挑むことにした。
欧州におけるディーゼルブームに火がついたのは2005年頃からと記憶する
が、トヨタが2代目プリウス(NHW20)で欧州市場に進出したのが2004年。
高トルクでスポーティな走りを見せるTDIに「我々にはディーゼルがある」
とドイツ勢が気勢を上げ、その余波を駆ってカリフォルニアのグリーンカー
オブザイヤー(LAショー開催時に発表)において2008/2009年と連覇を成
し遂げた(注目は2009年。この年は3代目プリウスZVW30がエントリーして
いたにも関わらず、である)。
そして、6年後の2015年9月18日。アメリカのEPA(環境保護局)の告発に
よりVWのディーゼル排ガス不正が露顕する。ここを境にドイツメーカーは一
斉にEVへと舵を切る。VWのM.ヴィンターコルンCEOと技術担当役員
U.ハッケンベルグ常務は失脚。翌年のパリショーでBMWからやって来た
H.ディースCEOがEVシフトを掲げると、ダイムラーAGのD.ツェッ
チェCEO(当時)はCASEという今では一般用語と化したコンセプトを
持ち出した。
いずれも、ディーゼルゲートから目を背けさせるスピンコントロールであ
り、中国市場にEVの販路を確保した上での話。ドイツ勢は雇用に直結する
ことから依然として内燃機関の開発の手を緩めることはなく、ディーゼルの
改善開発を諦めたわけではなかった。
なお、アメリカ発で世界中の国から集団訴訟を受けたVWの”ディーゼルゲ
ート”だが、中国には一切その情報は入らなかったとされる。インターネット
時代ということで目敏い消費者は把握してたはずだが、依然としてVWが外資
系メーカーとしてはトップシェアを握り続けていることから状況は窺える。
また、日本の自動車メディアも殊更大きくディーゼルゲートを取り上げるこ
ともなく、すでにVWのディーゼルモデルが日本市場でカタログに載ることか
らも分かるように批判の声はほとんど挙がらなかった。ことはメガサプライヤ
ーのボッシュが起点になっている話であり、ドイツの自動車産業全体を覆う話
であるはずなのだが、日本でそれ以上の問題となった形跡はみられない。近い
将来、中国市場発でドイツ自動車産業の危機が顕在化するはずだが、この時日
本の自動車メディアはどんな報じ方をするのだろう?
●日産の未来はなくなったと思わせるブランド毀損の本質
それよりも危ういのは日本の自動車産業である。今回のCOVID-19によるパ
ンデミック危機は、グローバルな結びつきで成り立っていたサプライチェーン
が途切れ、物理的に生産が滞ったのと同時に、ワーカー(従業員)への感染拡大
を案じた長期にわたる生産の休止によってもたらされている。12年前のリーマ
ンショックでは、翌年に世界の自動車メーカーが軒並み赤字に転落し、GM、
クライスラーが経営破綻した。
折よく中国の自動車需要の爆発的進展が世界の自動車メーカーのV字回復を
促進させたが、今回は期待できるフロンティアは存在しない。CASE、EV
シフトという大転換期に向けて「さぁ」という時に、世界経済を根底から揺る
がせるウィルスとの終わりが見えない闘いである。
私は、日本の自動車メーカーの多くが存亡の危機を迎えるのではないかと思
っている。オフショアの波に乗って、日本の全グローバル生産の60%以上が海
外に展開して久しい。すでに現地での企画開発から生産に至る行程が珍しくな
くなっていて、かつてのような日本の本社機能のコントロール化に置くことが
困難になりつつある。日本の中に留まっていては需要地で求められる商品性が
掴み取れなくなる。グローバルな視点の経営者が必須となるわけだが、日本の
本社組織の内部昇格でトップに就いた人材にその器を期待するのは酷と言うも
のだろう。
一昨年の11月19日に、社内の権力抗争に端を発するクーデター劇でCEOの
座を追われたC.ゴーン氏とG.ケリー氏という二人の外国人代表取締役がい
なくなってからの日産をみれば一目瞭然だろう。日産を日本に取り戻すという
お題目はけっこうだが、1999年6月のルノーによる救済以前の危機的状況より
もさらに深刻な事態に陥った経営責任を誰が負うのだろう。
私の見立てでは、日産の5年生存確立は表向きで30%。率直に言えばゼロで
ある。傷ついたブランドを再生するために要するエネルギーはとてつもない。
その偉業を軽く見て、積み上げたブランド価値が経営者に帰属していたという
事実を無視して国際的な評価を得ていた人物をクーデターで貶めてしまった。
日産が全グローバル販売の9割を国外市場に依存しているという事実を忘れ
て、日本市場に拘るメンタリティだけで何とかなると思っていたとしたら、
未来などあろうはずもない。
C.ゴーン氏の一件については、4月15日に元東京地検特捜検事の郷原信郎
弁護士がC.ゴーン氏が国外に逃亡する前に行なったインタビューをまとめた
書籍が出版されることになっているので、それを一読してからもう一度整理し
てまとめたいと思う。
事件発覚以来、日産と東京地検特捜部のスポークスマンと化した日本の記者
クラブメディアの情報操作によって、依然として強欲外国人経営者のレッテル
が強く貼られたままのゴーン氏だが、およそ刑事事件としての立件も難しい無
理筋を伝聞のイメージだけで断罪している同業の群れを見るにつけ、気が重く
なる。
●豊田社長はC.ゴーン氏に代わる自分を夢見ている?
日産はすでに風前の灯火だが、実はそれと同じような状況にトヨタがいると
言ったらどう思うだろう。私が一貫して豊田章男トヨタ自動車代表取締役を批
判的に論じていることはこのメルマガの読者ならご存知だろう。すべては過去
11年に及ぶ彼の在任直前から現在に至るまでの取材を通じて判断した結果だ
が、ここに来てトヨタの破綻が現実味を帯びてきた思いを募らせている。
副社長という役職を一掃して、責任ある立場は自分一人とする。次世代を担
う人材を分け隔てなく競い合わせ最善解を得るのが目的というが、まるでC.
ゴーン氏のように振る舞いたいと言わんばかりのトップダウン志向である。
これまでのところ自分の言葉はなく、そのほとんどの言説が誰かの受け売り。
グローバル市場で評価を得たことはひとつもなく、ただ創業家の嫡男であると
いう変え難い事実だけが価値の源泉となっている。
これまでは有能な内部昇格者によって上手く回っていたが、グローバルに展
開するトヨタの全体を掌握して、なおかつ世界的な人脈を自らの手で築いてビ
ジネスを展開したこともない人物が巨大組織を束ねることができるか。率直に
言って無理だろう。すでに兵站が伸びきって、豊田市の本社からの鶴の一声だ
けでは容易に動けなくなっている。
誰に操られているのか知らないが、内部昇格ながら着実に実績を積み重ねて
きた奥田碩、張富士夫、渡邉捷昭という3代に渡る内部昇格の有能な経営トッ
プが10数年を掛けて業容を倍増させた成果を横取りした上で、全保有株式の
1%しか持たない創業家であるにも関わらず会社をまるで私物であるかのよう
に振る舞っている。
TPS(トヨタ生産方式)と原価低減こそがトヨタらしさの根幹だとする論
の立て方に時代錯誤と能力の限界を見る思いがする。限界効用が働くギリギリ
まで拡大成長した組織をそのまま継続しようと思ったら、それなりの政治力や
ロビーイングは不可欠だろうし、奇麗事だけでは済まされない。TPSと原価
低減がデフレ経済の元凶だとする見方にどう応えるのか。今まで通りで1000万
台メーカーであり続けることが出来ると考えてるとしたら、消滅の危機は日産
を上回る速さで襲ってくるかもしれない。
そのトヨタと提携関係を結んだマツダも先行きが怪しい。トップがともに慶
応という同窓のよしみで世代的にも近いことから意気投合となったようだが、
マツダの丸本明社長はフォード統治下のM.フィールズ社長に抜擢されて飛び
級で役員に取り立てられた人。フォードの一ブランドとして扱われていた時代
がなければ内部昇格の芽はなかったはずだが、当のフィールズ氏がフォードC
EOの座を追われた翌年にマツダの第16代社長に就任した。
その運の良さは才能の一部と認められるが、2012年のCX-5に始まる第6
世代の成功に続く次世代で躓いた。マツダ3(旧アクセラ)の一人相撲的なデ
ザイン志向とSPCCI・スカイアクティブXエンジン導入のごたごた。ブランド
プロミスの禁を犯した次世代直6FRモデルのディレイなどは、エンジニアや経
営陣が思っている以上にブランドで活きるしかないマツダの価値を大きく毀損
した。
構造的には、NRP(日産リバイバルプラン)以前の日産にも一脈通じる、良
くない時代のマツダの独り善がりな気質が蘇った感じ。フォードの窮屈で厳し
い統治下に身に付けた規律を忘れ、エンジニアの思い上がりがブランドを傷つ
けた。商品企画にエンジニアとデザイナーが従うのが本来のあり方だが、主客
転倒の観が否めない。
米国市場での不振は、技術に対する過信が根底にあり、COVID-19が止めを
刺そうとしている。ブランドのコアに靭(しなり)に始まるマツダデザインの"あ
りたい姿"があったはずであり、待望の気持ちに応えることがブランドの支えに
なった。私は、昨年の東京モーターショーにプロトタイプを発表し、この春に
も新ブランドとして展開しなければ間に合わないと見ていた。6世代の小さな成
功に満足して、勝負どころの7世代を軽く見た結果が『国内販売5チャンネル
制』の失敗の再来に近い昨今の窮地の原因だ。
フォード時代に学んだキャッシュフロー経営を忘れ、批判する者を排除して
yesmanを侍らせて浮かれた結果。マツダの現経営陣はトヨタの軍門に下れば
御身安泰というつもりだろうが、そうなった時にコアなファンが着いて来るか
を考える必要がある。トヨタの現社長は経産省に操られている張り子の虎かも
しれない。そんな懸念を胸に秘めて臨んだ方がいい。
先が見通せない新型コロナウィルス禍は、あらためてクルマのあるべき姿を
考えるまたとない機会となるだろう。
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