引き続き、まぐまぐ!メルマガ 伏木悦郎の『クルマの心』第380号2020年5月5日配信分の再録をします。フォローよろしくお願いします。
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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第380号2020.5.5配信分
●21世紀は多様性の時代。石油もあるエネルギーミックスが望ましい
去る4月7日に安倍晋三内閣総理大臣によって発出された”緊急事態宣言”が
黄金週間に入る前に内示が成され、5月4日(月)に正式に5月6日までの期
限が5月末まで延長されることになった。この間引き続き自粛が求められ、政
府による明確な保証の提示がないまま要請に従うという日本社会を特徴的づけ
る流儀(責任の所在を明確にしない)で行くことが確定した。
近隣市中を見て回っても、食料品を始めとする生活物資を商う店は営業して
いるが、いわゆる百貨店形態の大型店は軒並み長期の営業停止に入っている
し、個人商店の類も多くがシャッターを閉じている。私の暮らす町田界隈でも
最寄りのJR成瀬駅周辺は生鮮食料品中心のスーパーやコンビニなどは営業時
間に配慮しながら開いているが、ターミナルの町田駅辺りでは大型店は軒並み
閉店。その割に街中の人出は少なくないが、平時には程遠い。
こうしてみると、世の中にとってプラスアルファの存在がいかに多くの人々
の暮らしを支えているかという事実に思いが至る。カラオケもパチンコも趣味
の手芸の品々もブックオフもそれを生業にしているわけで、自動車販売店の人
影の薄さを横目にしていると自動車の生産現場が平時の活気で稼働できない理
由も腑に落ちる。
一方で、パンデミックという世界経済全体に影響を及ぼす事態がそう遠くな
い将来さらに深刻な状況をもたらしかねないことに身を固くせざるを得ないも
のがある。今から100年前の歴史を振り返ると、1918年から1920年に掛けて
パンデミックの猛威を奮った”スペイン風邪”が数千万人ともいわれる罹患犠牲
者を世界各地で生じたことで時代を変えたことが分かる。
折しも20世紀初頭にアメリカテキサス州で大規模油田が発見され『石油文
明』が花開く。自動車の発明は19世紀のヨーロッパ・ドイツとされるが、そ
の普及大衆化は1908年ヘンリー・フォードのモデルTによる”フォーディズ
ム”からであり、その背景にジョン・ロックフェラーによって確立された石油
産業とテキサス大油田発見による潤沢な燃料供給システムの構築があったこと
は間違いない。
現在世界最大の石油供給地域である中東の油田の商業化が本格化するのは第
二次世界大戦後であり、それまでの世界最大産油国がアメリカだったことを思
い出そう。時代が石油以前のエネルギー源石炭の自給とJ.ワットの蒸気機関
発明によって産業革命をもたらしたイギリスから、1859年のドレーク油田(ペ
ンシルベニア州・タイタスビル)の商業化によって近代石油産業をいち早く興
したアメリカへと覇権国家の軸足が移るプロセスで、パーソナルモビリティを
実現する自動車が与えたインパクトは計り知れない。
それはちょうど20世紀末にインターネットが開放され、マイクロソフトのウ
ィンドウズ95という象徴的なOSの登場によって情報技術(IT)が触発さ
れ、世界が瞬時につながる情報環境の下で自動車(パーソナルモビリティ)と
映画に始まる映像(ビジュアル)という人間の身体性と密接な関わりを持つ20
世紀型テクノロジーから、次世代(21世紀型)を担うニューテクノロジーへの
転換を予感させる。
●100年スパンで読み解くと、時代の大転換点は常に深く長く進行している
それがより高速で大容量の通信が可能となる5G(第5世代通信)がもたら
すさらなる情報技術の進化と深化なのかどうか。正直言って専門外の領域につ
いて言及することは憚られる。ただ旧世代の私としては、人間という存在にと
って欠かすことの出来ない身体性にはとことんこだわりたい。情報はインター
ネット上を瞬時に駆けめぐり、事実上時空の存在は無きに等しいものになりつ
つあるが、人には身も蓋もない身体(からだ)がつきもので、生きているとい
うことはこの身体を伴って時空を移動することがついてまわる。
やがてテクノロジーはデジタルと身体性をともなう人間感覚に沿ったアナロ
グな自然観の境目が分からなくなる方向で進歩すると言われているが、それは
自分の子の世代でも簡単には受け入れ難い話であり、去年授かった初孫あたり
がデジタルネイチャーという”現実”を生まれながら(ネイティブ)に身に付け
る最初の存在ではないかと期待している。
目下進行中の新型コロナウィルスCOVID-19によるパンデミック禍は、100年
前の20世紀第二ディケード(旬年)に訪れた大変革のきっかけと符合する。日本
ではスペイン風邪パンデミックの3年後(1923年=大正12年)9月1日に関東
大震災があり、その約70年前の安政江戸地震(1855年)が13年後の明治維新に
つながったように、昭和大恐慌(1930~31年。前年のアメリカ発世界恐慌に端
を発する)に始まる長期デフレ不況から日中戦争を経て対英米戦へと突き進ん
で行った。
明治維新政府による脱亜入欧、富国強兵/殖産興業政策の成功体験(日清・
日露という対大国戦勝利)から抜けきれず、過信から自ら変化する努力を惜し
んで無謬性へのこだわりと前例主義から破滅以外の選択肢がなくなった。遠い
過去を生きてきた訳ではないので想像の範囲を越えることができないが、歴史
は繰り返すの諺通りに日本人の民族性は案外変わっていないのかもしれない。
260年続いた徳川幕藩体制に対して、明治維新から令和の現在までの約150年
間は激動ではあったかもしれないが時間軸では短い。黒船にしてもB29にして
も今回のコロナウィルスにしても自ら変わらざるを得ない強力な外部圧力なし
に自己変革が難しい。戦後75年の間に訪れた転機は、いずれも外圧によっても
たらされている。オイルショックしかり、プラザ合意(円高/ドル安容認)し
かり、日米貿易摩擦(自動車協議)しかり、(グローバル化が確立するタイミ
ングでの)リーマンショックしかりである。ここに25年前の阪神淡路大震災、
9年前の東日本大震災(と福島第一原子力発電所のメルトダウン)をはじめと
する大規模自然災害があり、ほぼ100年サイクルで人類を襲って来たパンデミ
ックが止めを刺した形となっている。
●石油文明が終わるのか、それとも続くのか(続けたいのか)?
それにしても、現在進行形のパンデミックは劇中劇の真っ只中に居るような
妙な気分に苛まれている。相手が目に見えないウィルスで、しかも治療薬もワ
クチンも存在しない新たな感染症という現実感に乏しいが、しかしよく知られ
る芸能人が命を落とし、ICUにつながれる事例も報道されている。日本国内
ではまだ三桁の犠牲者しか記録されていないが、世界的には30万人近い死亡例
が報道され、昨年11月末の感染発覚から半年で瞬く間に感染拡大が現実化し、
未だ発展途上の国や地域への拡大余地があり、そこから再び第二波第三波が再
燃する可能性を残している。
要するに、パンデミックはまだ始まったばかりであり、余程上手く切り抜け
ないと長期化は避けられない。しかもすでにグローバル化が深く進行し、サプ
ライチェーンや食料/資源といった生活必需物資の海外依存(低自給率)によ
って、自国だけで問題が解決するとは限らなくなっている。
経済に与える影響はとてもではないが楽観など許されない。食料を始めとす
る生活必需物資は生産も流通も従来からそう大きく落ち込むことはないと思う
が、たとえば世界的な経済の停滞とモビリティ(移動)の制限によるエネルギ
ー需給の逆転は5月の原油先物取引が史上初のマイナス30数ドルという売り方
が買い方にお金を払って引き受けてもらう事態を招来させた。
航空機路線が軒並み運航停止され、海運も工業製品の貿易不振から滞り、各
国のロックダウンにともなうクルマの移動距離の激減は、石油エネルギー枯渇
どこ吹く風といった感じで劇的ともいえるガソリン/軽油小売り価格の下落を
もたらした。我が家の近くのGSではレギュラーガソリンが1リットル110円
台、軽油にいたっては同92円という店頭価格表示を目にするようになっている。
2010年頃に全世界的な話題となった原油のピークアウト説は、原油価格のバ
レルあたり60ドル超となったところでアメリカにシェール(ガス/オイル)革
命が興り、米国の産油国世界一への返り咲きとともに資源/環境というクルマ
を取り巻く状況にも変化をもたらした。
EV最大手のテスラが株式の時価総額でGM(ゼネラルモータース)、フォ
ードを凌ぎ、GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)と
いったテックカンパニーの雄がクルマの自動運転やサブスクリプション分野で
覇権を握る可能性が高まった。既存の自動車メーカーが単なるオートカンパニ
ーからオート&モビリティカンパニーへの変革(トランスフォーム)を表明せ
ざるを得なくなったのは、ほんの数年前のこと。
それが瞬間値とは言え、未来がどちらに進むか分からなくなりつつある。
CASE(コネクティッド・自動化・シェアリング・電動化)やMaaS(モビ
リティ・アズ・ア・サービス)は大きな流れとしては次世代モビリティの方向
性として正しいが、元々は2015年9月に米国で発覚したフォルクスワーゲン
(VW)のディーゼル排ガス不正によるダメージを緩和するスピンコントロー
ルとして打ち出されたものと考えるのが正しい。
大本はメガサプライヤーのロバート・ボッシュと全ドイツ自動車産業が関わ
る問題で、VWのEVシフトなどはすでにドイツメーカーのすべてが依存度を
深めている中国市場でのNEV規制需要を当て込んでのもの。ドイツメーカー
の日本に対するメディアコントロールの徹底の結果、不正の過去も雲散霧消の
態であり、日本市場でのディーゼル再投入はもちろん、ドル箱の中国市場にお
いてはドイツ企業の世界的な規模の訴訟を抱える案件は不問に付された感があ
る。
スカイアクティブ-Dという画期的な低圧縮比コモンレールディーゼルで新
境地を拓いたマツダなどは最大の被害者で、同社にとって最大市場のアメリカ
で虎の子のディーゼルモデルが商品価値を失ったことの非をVWに向けて問う
のがジャーナリズムの本道だと思うのだが、自らの信念に基づく価値観を持た
ない者が自動車メディアの中核を占める現実がそれとはまったく逆の行動を成
している。
●数多くのクルマを試してもモノ同士の比較で程度が分かるだけ
現在中堅を成す40~50代の自動車ライターは、その大半がバブル崩壊後の
平成デフレ時代に世に出た人材だ。すでにインターネットが普及段階を迎え、
それと同時に出版不況が相対的に現実化している。結果として、広告の主要ク
ライアントたる自動車メーカーに対して批評を含む議論よりも記事素材として
の情報を欲しがるようになり、パブリシティに沿うことが価値観の第一義とな
る傾向を深めた。昭和末期の1980年代の日本メーカーが国際標準を目指す発
展途上段階では、自動車メディアも一丸となって検証に務め、メーカーの一方
的なパブリシティ情報ではなく自前の価値判断で実地にタイム計測するなど、
メーカー実験部門の追体験を厭うことをしなかった。
時代はまだメーカーのコンピュータによる情報集積が不十分な段階で、メデ
ィア独自のテストがリアリティを以て開発部門と渡り合う余地を残していた。
バブル期の金余りと旺盛な需要に支えられて自動車メーカーの情報集積が飛躍
的に向上するが、1970~80年代の難しい時代を知るメディア界の人材は少ない
がそれぞれに持論を展開し、存在感を示す者があった。
ポストバブル期は出版不況とともにメーカー開発陣とメディア側ライター陣
の情報格差が反転し、パブリシティがジャーナリズムを抑える傾向を深めて行
った。今でも年間何百台も試乗していることを売りにしているライター陣が少
なくないが、いくら数をこなしたところで情報のベースがパブリシティである
以上本質には迫れない。モノとモノの比較に終始し、結果として差異は語れて
もベースとなる価値観の軸が曖昧だ。
際限のない右肩上がりのベクトルで語っている限り、現実から離れることは
あっても核心に迫れることはない。1962年の改正道交法で定められた国内最高
速度(高速道路100km/h、一般道60km/h)の大原則を考慮しない"評価"はどこま
で行ってもファンタジーでしかなく、その現実にクルマを合わせるか、行政に
アピールして法改正を迫ってインフラ/システムのアップデートを図るか。い
ずれかの必要に思いが至らなければ、そもそも存在する意味も価値もない。
現在の自動車メディアの凋落は、情報をメディア自らの都合に合わせて取捨
選択し、市場やユーザーが求める情報よりもそれによって媒体や個人が潤うか
否かの損得勘定に価値判断が委ねられているところにある。
私は、運輸省が60偏平タイヤ認可に動いた1983年の専門誌企画で集中的にテ
ストをこなす過程で確信を得た原体験を元に自らのクルマの価値判断基準を我
がものにしている。30代前半という当時としては分不相応なメルセデス190E
を工面して手に入れ、評価基準のメートル原器として活用した経験を持つ。時
代はピュアICE(内燃機関)からハイブリッドを経て電動化が一般的になっ
ているが、基本的な評価のスタイルは今なお変わらぬところにいる。
●人間は最初に強い刺激を受けると繊細な感覚を失いやすい
ひとつ私の評価スタイルを明かすことにしよう。これは変化の激しい昭和か
ら平成の過渡期に会得したもののひとつだが、如何なる状況でも初見のクルマ
については”まず、ゆっくりと動き出す(走り出す)”ことを自らに課している。
これは人間の身体感覚のありようを自分なりに分析した結果だが、人は最初
に強い入力を与えるとそれがデフォルトになって、微細な変化に対してルーズ
になりやすい。逆もまた真なりで、ゆっくりと小さな入力を与えながら徐々に
速度や角速度を高めて行くと、対応しながら判断できる材料を見出せるように
なっている。ゆっくり走り出すことの意味はそれだけに留まらない。
私は、まずゆっくりと動き出し、大きくステアリングを左右にロックtoロッ
クまで回しながら"雰囲気"としての情報で全体像を むことを心掛けている。
ここで"何か雰囲気が悪い"と感じたら、それは何だろうと考えながらクルマ全
体に思いを巡らせて行く。最初に雰囲気が悪いと感じたクルマは間違いなくど
こかに相容れないモノがある。
それがエンジンを始めとするドライブトレインなのか、サスペンション/シ
ャシーなのか、はたまたボディ骨格なのかMMI(マン・マシン・インターフ
ェイス)なのか?
逆もまた真なりは”何かこれ、良いね?”という雰囲気の情報として立ち現れ
ることがある。それがステアリングの革素材が生むテクスチャー(触感)だっ
たり、グリップ形状といった身体感覚に絡むことであるのも珍しいことではな
い。デザインには造形や意匠といったモノの形作り方という意味に留まらず、
ドライビングという行為の中にある雰囲気作りのためのスタイル作りという概
念を含むべきだと思っている。そこには当然色(色彩=カラー)も含まれる
し、ドライビングにある程度精通していないとコミュニケーションできない世
界もある。
日本ではトップメーカーに象徴的な傾向として表れているように、生技(工
場の生産技術部門)が必要以上に力を持っている企業も珍しくない。モノ作り
の現場としての経験とプライドは尊重する必要があるが、それがデザイン部門
の提案を端から受け付けない抵抗勢力と化していることには自覚を持って対処
する必要がある。発展途上段階の間違いのないモノ作りはブランド創成の過程
では不可欠だが、成熟したブランドとしての価値を生む段階ではデザイン部門
の挑戦を後押しする生技でなくては意味がない。前例にこだわって無謬(間違
いのないこと)であろうとするあまり、時代の変化に対応できない。
手堅さと他の追従を許さない斬新なアイデアの同居。1980年代のトヨタは、
クラウン、ランクル、マークII、コロナ、カローラといった草創期からの定番
モデルで堅実に振る舞う一方、高級パーソナルクーペのソアラやミッドシップ
2シーターMR2やガルウィングのセラや天才卵のミニバンエスティマにセル
シオなど時代を映す鏡のようなクルマを数多く輩出している。
トヨタの創業家には本家筋と分家筋で厳然とした一線が引かれているとい
う。トヨタはかつての経営難の時代にトヨタ自工とトヨタ自販に分離され、
1982年に待望の工販合併を果たしている。それまで屋台骨のトヨタ自工の社
長を14年9ヶ月に渡って務めたのが豊田佐吉翁の弟平吉の二男として生を受け
た豊田英二トヨタ自動車初代会長。本家は創業者の豊田喜一郎氏長男章一郎か
ら章男現社長という流れだが、工販合併時のトヨタはすでに国内トップシェア
を築いていたが三河の地方メーカーという色彩の濃いベンチャーの雰囲気を湛
えていた。
●運も実力ではなく、運こそ実力というが……
私としては1982年は30代最初の年であり、フリーランスとして4年目の駆け
出し時分。仕事をこなすのに四苦八苦の段階だったが、その目からしても当時
57歳の豊田章一郎氏は線が細く、「大丈夫?」という見方が一般的だった。
10年の社長在任後次弟の達郎氏に社長の座を譲り会長に収まるが、達郎氏の
病気リタイヤにより奥田碩氏を28年ぶりに内部昇格の非創業家社長に抜擢する。
工販合併後のトヨタは、豊田章一郎社長の線の細さとは裏腹に、生え抜きの
エンジニアを中心に日本市場を熟知したクルマ作りに邁進。経営としては『石
橋を叩いてなお渡らない』とも揶揄された手堅さで、バブル期の狂騒でも必要
以上に踊ることはなかった。北米向けブランドとしてレクサスLS400(日本
ではセルシオ)を開発するなど、着実にポイントを稼ぎつつ失点を犯さない。
ポストバブルの難しい時代も、過度にバブル景気に呑み込まれない姿勢が奏功
した。それが1995年の奥田碩・張富士夫・渡邉捷昭と続くグローバル化を推進
した内部昇格経営陣の積極経営をもたらし、10年余で倍増の世界販売台数を実
現する原動力となった。
シンプルに言えば、優れた人材を適材適所で任せる経営に徹し、無難で硬直
化しがちな創業家経営と一線を画した世界のトヨタに躍進する道を拓いた。
歴史に”タラ・レバ”は禁物だが、仮に2008年9月15日の米国大手信託銀行グ
ループ・リーマンブラザーズを当時のブッシュ政権が破綻処理することなく救
済して世界的な恐慌状態を回避していたとしたら、翌2009年6月の豊田章男氏
を社長とする創業家への大政奉還人事があったかどうか分からない。2007年の
トヨタは史上最高益を上げ、GMを抜いて世界販売首位の座をものにしていた。
1997年からの10年間で40万台/年というハイピッチでグローバル販売を伸ば
し続け、グループ全体で1000万台/年が現実化しそうなところでリーマンショ
ックに見舞われた。後に品質問題やプリウスのリコール問題で創業家の豊田章
男社長が米議会の公聴会に出席を求められるなどして存在感を示すきっかけと
なったが、リーマン禍がなく北米での好調が続いていれば木下光男米国トヨタ
社長が次期社長として有力視されており、創業家への大政奉還のハードルは高
くなったはずだった。
運も実力……というより、運こそ実力という見方もあるのだが、豊田章男社
長のこれまで実績を冷静に判断すると恵まれた人材の力に負うこと大という他
はない。すでにこの6月で社長在任11年を数え、父君の章一郎氏の10年を超え
る。分家筋ながら名経営者として評価される豊田英二氏の14年6ヶ月がひとつ
の指標になりそうだが、率直に言って経営者としての豊田章男社長の功績は見
当たらない。
●GRってブランド名としてカッコイイか?
豊田家には一代一事業という家訓があるという。創業者の豊田佐吉翁の自動
織機に始まり、佐吉翁の長男喜一郎氏の自動車、次代章一郎氏はトヨタホーム
だがこれは迷走を続けミサワホームを完全子会社化(2019年)、今年1月には
ミサワホームの全株式がトヨタ自動車とパナソニックの合弁会社に譲渡されて
いる。そして現在の豊田章男トヨタ社長が掲げるのが情報産業としてのガズー
(Gazoo)である。
GR(Gazoo Racing)は、(オート&)モビリティ企業へのトランスフォーム(変
革)を志向するトヨタという企業の新たな業態を象徴するブランドとして位置づ
けられているようだ。当然豊田章男社長の肝入りだが、トヨタにはすでに半世
紀近い歴史を重ねているTRD(トヨタレーシングディベロップメント)があ
るし、WRCにしてもWECにしても過去とのつながりを断ち切ってGRブラ
ンドとするのは無理がある。
「自分が在任中はF1への再挑戦はない」と言い切り、WRCにしてもWECに
しても独自路線だとしているが目新しさを欠くのは誰もが認めるところ。参加
型のドイツニュルブルクリンク24時間レースへの肩入れは自身の師匠筋にあた
る故成瀬弘マスタードライバーとのストーリーの必然であるとし、クルマの乗
り味についての言説や”クルマは道が作る”といった今や章男語録として紹介
される言葉のすべては故マスタードライバーの受け売りにすぎない。
豊田章男社長が持論のように語るほとんどすべては誰かの受け売りであり、
それを取り巻きとして集めたお気に入りの”仲間”に語らせることで自説の如く
振る舞っている。自らを経営トップに据えて副社長職を全廃する人事は、次期
社長の選択肢を幅広く求めるためとの説明だが、有力な実力派役員が台頭する
芽を摘んで自らが会長に退いた後も院政を敷く布石という見方のほうが当たっ
ているだろう。すでに父君の社長在任10年を過ぎ、名経営者として名を残す豊
田英二氏の域にあと3年半で達してしまう。この間に人事を固めて、子息の大
輔氏(現在32歳)につなげる?
豊田章男氏が1995年6月から2009年6月まで続いた内部昇格の実力派経営ト
ップのカラー一掃に執念を燃やしたことは良く知られる。なかでもグローバル
化に舵を切って現在の世界一を競う礎を築いた奥田碩氏に対する対抗心は漏れ
伝わる。「トヨタ自動車は株式保有が2%(現在は1%。豊田章男氏の保有は
0.1%と言われる)の豊田創業家の私物ではない」と言い放ち、持株会社化を画
策していたことが奥田氏を社長に抜擢した豊田章一郎名誉会長の逆鱗に触れ、
創業家嫡男としての豊田章男氏に思いが受け継がれた。
すでに国内生産の2倍を海外の現地生産が占め、販売台数に至っては国内の5
倍に達する。すでにトヨタはバブル絶頂のビンテージイヤー1989年の400万台
クラブから倍増のグローバルカンパニーになっていて、国際的に通用する経営
層の存在なしには立ち行かなくなっている。
●カルロス・ゴーンの消失は、日本車のグローバル化に暗い影を落とす
日本の既存メディアは新聞TV/専門誌を問わず事実を語ろうとはしない
が、トヨタ自動車の収益の大半は海外市場で得られるものとなっている。す
でに米国市場での販売台数は国内の1.5倍だし、最近の新型コロナウィルス
禍で足踏み状態となっているが中国市場販売がが国内を抜くのは時間の問題
とみられていた。日本のすべての自動車メーカーが海外市場での収益に依存
しており、経産省や国交省、警察/公安などが権益を握る許認可事業の所轄
行政官僚機構は、諸制度の改革によって失われるリスクを恐れて法令のアッ
プデートには及び腰を決め込んでいる。
構造的には、2018年11月19日の東京地検特捜部によるカルロス・ゴーン、
グレッグ・ケリーという日産の現職代表取締役会長とナンバー2の代表取締役を
突然逮捕起訴した衝撃の事件が多くを物語っている。地検特捜部と日本版司法
取引をした日産経営幹部が作り上げた罪状は、当初報じられた憶測まじりの曖
昧なもので、いざ内容を吟味するとおよそ犯罪として成立するものではなかっ
た。
しかし、検察が逮捕したということは起訴が確定したという日本的な常識に
凝り固まった大手新聞TVメディアは、日産や検察当局からリークされる情報
を何の疑いもなく垂れ流し、短時間で悪徳外国人経営者という印象操作が日本
中に行き渡ってしまった。
ゴーン氏の右腕とされるケリー氏についてはほとんど分からないが、ゴーン
氏についてはCOO就任からずっと追い続け、各国の国際自動車ショーを仕切
るカリスマの実力を見続けてきた。1999年初の倒産の危機に瀕していた当時の
日産の業容は、最盛期の2016年の段階では2倍の生産/販売台数に達してい
て、ルノーとのアライアンスと三菱自工を傘下に収めたことによるシナジー効
果は一躍世界一の座を窺うところまで来ていた。
逮捕される3日後に予定されていた取締役会では西川廣人社長の更迭とホ
セ・ムニョス米国日産社長(現ヒュンダイグローバルCOO)の登用が予定
されていたという。結論から言えば、それを恐れた経営トップの権力抗争で
あり、そこに失地挽回に燃える地検特捜部や経営統合を求めるフランス政府
との鍔迫り合いを演じる日本政府筋(経産省や内閣官房?)が加わって、後
戻りが出来ない事態が生まれた。
カルロス・ゴーン前会長が構想していたのは、日本人経営陣が臨んだ財団
方式やフランス政府が強硬姿勢を示した統合とは異なる”持株会社”の創設に
よってルノー・日産・三菱の独自性を残すという方策だったという。
奇しくもトヨタの奥田碩元社長/会長が画策したのと同じプランが、まった
く異なる(かどうか分からないが)形で日産の現実解として構想されていた。
トヨタ創業家と日産の日本人プロパー経営層はまったく異なる企業風土の人
々だが、グローバリゼーション時代への適合としては似た者同士の日本人とい
うことになるのかもしれない。
●日本は決して狭くも小さくもない旅の宝庫。鉄道より断然クルマ向きなのだ
自動車を含むすべての日本の製造業は、発展途上段階の仕組みとメンタリテ
ィが残る行政官僚機構の不作為によって国内市場でのフロンティアは失われ、
海外市場に活路を見出すグローバル化が常態となって久しい。
そこでの経営トップの立ち振舞いが企業の成長にとって何物にも代えがたい
ことはC.ゴーン前会長の巧みなアライアンス経営が証明していた。現在の新
型コロナウィルスによるパンデミック禍をどう切り抜けたか。今となっては知
る術もないが、FCAがアライアンスに加わるプランがあったというビジネス
のスケール感の大きさはこのまま継続して見てみたかったと思わずにはいられ
ない。
トヨタ自動車はすでにグローバル化して久しく、副社長としてグローバル経
営の実務をこなしていたディディエ・ルロワ氏の手腕に負うところ大だったと
思われるが、今回の人事で取締役には留まったが責任ある立場から一歩後退し
た感が否めない。現実問題として豊田章男社長の3倍という10億円余の年俸を
払う価値がある人材を半ば降格人事のように扱うことでバランスが保てるだろ
うか。
この新型コロナウィルスCOVID-19がもたらす世界情勢の変化は、何だかん
だ言っても従来型経営の踏襲に留まるトヨタにとって思いも寄らない結果を生
まないとも限らない。1000万台近いグローバル生産能力は順風下では収益を生
む資産だが、風向きが逆転すればたちまち負債として重くのしかかる。
すでに日産は5年生存確率でミクロのゾーンに墜ちたと思うが、トヨタも安
閑とはしていられない。海外に収益の大半を頼っている現実を直視すると、現
在のパンデミック禍が1~2年という長期にわたり、その間の需要が大きく落
ち込むことになればたちまち危機は現実のものとなって立ちはだかる。
国内のクルマの使用環境をインフラやシステムや法体系といったすべてをア
ップデートして、単なるモノとしてのクルマだけではなく、自動車がもたらす
最大価値”Freedom of Mobility"という原点に立ち返り、なくてはならないか
けがえのないプロダクトに変化しなければ『日本のTOYOTA』である必要はな
くなってしまうのかもしれない。日本人は海外の諸外国の情報を(自らの都合に
合わせて)取り込むのは得意だが、日本ならではの魅力を発信することが上手く
ない。これだけ変化に富んだ地形、自然環境、気象の多様性を持ち、魅力溢れ
る風土なのに案外伝わっていないのかもしれない。
人々が自由に自動車で旅すれば、SNSがインターネットを通じて世界につ
ながる時代である。黙っていてもインバウンドに事欠かない情報発信が可能と
思うのだが。自動車メディアに欠けている視点がここにあるのではないか?
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