ページビューの合計

2020年5月17日日曜日

まぐまぐ!メルマガ 伏木悦郎の『クルマの心』第379号2020年4月28日配信分
の再録をします。自動車メディアの現状がどうなっているのか?半ば”天唾”の
様相を呈していますが、ここはリスクを負ってでも言及しないとクルマの未来
が痩せ細る……そんな思いが募って書きました。一読後ご意見等ありましたら
お寄せ下さい。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第379号2020.4.28配信分



●いわゆる試乗記が読むに堪えないファンタジーに思える理由を考えた

 凄い時代を生きているという実感がある。私の場合すでに還暦から8年であ
り、世に言う15~65歳までの生産人口の対象から外れて久しいが、これが所帯
を持ち世帯主となって妻子を養うことになった1980~2002年までのいずれかの
時期と重なっていたとしたら戦慄せざるを得ない。新型コロナウィルスCOVID-
19によってもたらされた現在の状況は、今を生きるほとんどの者にとって初め
て経験する世紀の一大事。誰もが緊張する事態であることは間違いない。

 私がフリーランスの自動車ライターなる職にありついた1970年代末。日本社
会は再起のタイミングにあった。戦後の復興期を経て、最長といわれた”いざ
なぎ景気(1965年から70年までの57ヶ月)”に終止符が打たれたところで第一
次石油危機が勃発。店頭からトイレットペーパーが蒸発し、物価が瞬く間に跳
ね上がる『狂乱物価』を経験したのが1973年。折悪しく強化されることになっ
た排出ガス規制が自動車産業に壊滅的な打撃を与えた。自動車メーカーが絶望
の淵に沈んだ暗黒の時代を知る世代も少なくなったが、あの危機を克服した感
覚と再び挑戦者としての世界を目指す機運が日本全国に満ち溢れた時代だった。

 安全保障を同盟国アメリカに丸投げして経済的発展に邁進する。電子制御技
術に技術的な活路を見出し、生産と製品の両面で世界初を掛け声にモノ作りに
磨きをかける。人口増加にともなう国内市場の拡大と合わせて、まずは激しい
シェア争いで国内競合各社が切磋琢磨する。自動車は裾野の大きな基幹産業に
相応しく多様性と性能/技術水準の両面で鎬を削りあい、1980年代を通じて
蓄積された競争力を背景に国際舞台で優位に立つ道筋を築いて行った。

 生産台数では、すでに1980年に1100万台に到達して世界一(当時)を実現し
ていたが、永遠の成長を多くの人々が共有できた当時の社会の一体感は格別だ
った。私はちょうどその時期に一からの駆け出しとして自動車評論に関わるこ
とが出来た。これ以上の幸運もなかったと思う。『ジャパンアズナンバーワ
ン』と持て囃され、最大産油国(当時)のサウジアラビアを抜いて世界一の貿
易黒字国となったのも今は昔だが、おそらくこの時の成功体験の記憶が今もな
お変ることができない社会の元凶となっている。

 そのことが日米貿易戦争のハイライトとされ、円高/ドル安容認の『G5プ
ラザ合意』につながり、束の間の円高不況のあとにバブルの狂騒がやって来
た。この超金余り状況が世界のパワー競争に火を着けるハイテク/ハイパフォ
ーマンスモデルを生み、国際市場での存在感を得る原動力となったことを忘れ
てはならない。重要なのは、この発展途上段階を身を以て経験しているか否か
だろう。

 高度経済成長期のモータリゼーション元年(1966年=昭和41年)からオイル
ショックまでの数年間に登場した草創期のクルマが持つノスタルジーとは違
う、世界市場に本格的に打って出るまでの技術開発プロセスを知っているかど
うかで、クルマの語り部としてのスタンスは異なるはずだ。バブル後の人々は
伝聞で知る他ないが、グローバル化以前の日本車にはまだインスツルメンタル
な計測テストが評価評論の前に有効で、例えば最高速度200km/h超えや0→
400m発進加速データが欧州やアメリカの先進国メーカーとの距離感の測定と
して意味を持っていた。

●還暦過ぎのレーシングジャーナリストが居座り続けるのは何故だろう?

 バブル期の280馬力自主規制下の国産高性能スポーツモデル群をリアルタ
イムで経験している世代は押し並べて50代となり、実際に評価評論の実務に
あたった者はすでに60歳の大台に乗っている。バブル崩壊以降急速に進んだ
自動変速化の波(AT限定免許制度が1991年11月から始まった)によってマ
ニュアルドライブ車比率は激減し、ポストバブルの出版不況もあって高コスト
となるテストコースやサーキットでの計測取材は主流の座から後退していった。

 そして、代わって一般化したのが試乗記(ドライビングインプレッショ
ン)。従来から自動車専門誌の花形としてとされているが、その内実はライタ
ーの主観に基づく印象記であり感想文の範疇に留まる。経験値がモノを言う世
界であり、書き手のキャリアが価値観の分かれ目となる。検証すべきファクト
は配布されるプレスリリースに掲載される技術情報やデータが中心となり、そ
の確認は開発陣への直接取材以外に手立てはない。多くの場合は広報資料とし
て用意されるパブリシティが頼りであり、それを乗り越えて独自の論点を展開
できる豊富な経験の持主は残念ながら少なくなりつつある。

 私は20代前半でモーターレーシングの扉を叩いた後に縁あって自動車メデ
ィア界に入っている。オイルショック後の1970年代は前述の通り自動車暗黒
の時代であり、自動車メーカーが一斉にワークス活動から撤退した時期。プラ
イベーターが反社会的との批判を浴びながら草の根的な活動を絶やさなかった
ことが今につながった。現在国内自動車メーカー各社はモーターレーシングを
文化的活動とか奇麗事を並べるが、ビジネス度外視でモーターレーシングをサ
ポートできるカーガイがどれだけいるか。ホンダ創業者の本田宗一郎氏以外に
思い浮かぶ日本人経営者はいないし、責任の所在をあいまいにする日本的経営
にはいわゆる根っからのクルマ好きを見出すのは難しい。

 日本で初めてのワンメイクレースを開催したのは鈴鹿というホームコースを
擁するホンダで、1981年にF2シリーズのサポートイベントとして『スーパ
ーシビックレース』をシリーズ化したことに始まる。2代目シビックCXモデ
ルは85psという平凡なスペックのFF2ボックスだったが、当時の広報部の肝入
りで国内有名レーサーや専門誌メディアの参戦などの話題を集め、白熱のレー
ス展開で後の国産ワンメイクレース全盛のひな型となった。

 この記念碑的なレースシリーズに私も参戦した。編集者にスカウトされた関
係でdriver誌からのエントリー。当時は軽自動車の試乗記からサーキット/テ
ストトラックでのハード評価にタイヤテストにレースリポートまで。出来るこ
とは何でもやって糊口をしのいだ結果のひとつだったが、それで身を立てるこ
とよりも自動車業界を盛り立てる役回りであることを強く意識した。

 1983年9月に運輸省(当時)が偏平率60%のロープロファイル高性能タイヤ
を認可する断を下したことを受けて同年年初から当時市場で購入できた全ブラ
ンドをdriver誌の短期集中連載で請け負ったことがその後の私の仕事の幅を拡げ
たという話はこのメルマガでも紹介しているはずだ。

 乗って書くことが唯一の売りだった私の原点でもあるわけだが、当時はチュ
ーニングカー誌(徳間書店)で最高速トライアルも経験している。

 谷田部(JARI)テストコースの高速周回路(5.5km)を舞台にしたそれは、
1980年代に飛躍する日本の自動車産業の陰で花開いた徒花のような存在。

 RS雨宮のSA22Cターボで当時の国産最速288km/hというデータを叩き
出したのは何を隠そう私である。油温計の針がタコメーターのように跳ね上が
るのを確認して、計測地点でちょうど振り切るタイミングを測って裏のストレ
ートを加速してベストレコードを記録した思い出がある。

 前述のタイヤテストのプログラムを編み出す過程でFR駆動の魅力を再確認
し、(パワー)ドリフトこそがその魅力を端的に表す要因だと喝破した。爾来
FR絶対主義の看板を掲げ、今なお内燃機関で走るクルマはFRに限るという
持論を曲げるつもりはない。

●自動車評論家がファンタジーを語り続ける理由

 私の原点は20歳の時にある有名レーサーの手記に触発されて一念発起した
モーターレーシングにある。裕福な家庭の育ちでも何でもなく、手を油まみれ
にして稼いだ資金で足掛け4年奮闘するも息切れ。折よく自動車専門誌編集者
に誘われ自動車メディア界に飛び込んで42年が過ぎた。初の渡航は1980年6月
の欧州。新婚旅行に託つけて、フランス~スイス~英国~フランスと2週間で
約5000kmを走り、シルバーストーンのホンダF2復帰第2戦とルマン24時間レ
ースを取材した。

 この時の原体験が、結果的に300を超える海外渡航取材につながる自信と運
を呼び寄せたと思っている。30代前半からプレスツアーの一角を占めることが
できたのは、出来る出来ないではなくてまずはやってみるを心掛けた結果。

 1985年の取材中のアクシデントによりレーシングマシンの試乗リポート
という新たなジャンルの幕開けと幕閉じを一人相撲の態で成し遂げてしまった
のは残念だが、1981年のスーパーシビックに参戦して以来メーカーに依存して
レース参戦を試みることは厳に慎むこととした。

 後進には、まず専門誌を始めとするメディア界に入って、メーカー肝入りの
レースを足掛かりにプロフェッショナルドライバーとしてキャリアを積んだ者
が数多く存在する。自動車メーカーにとっては媒体露出の対費用効果を考える
と効率が良かったという理屈が成り立つし、どのような方法でプロモーション
しようがそれぞれの勝手だが、経済的なリスクを負うことなくポジションを得
てなおメディアの一員として評価評論の立場に留まる。盗人に追い銭と言った
ら過ぎるかもしれないが、二足の草鞋を履きながらパブリシティに沿った言動
をしてジャーナリストを気取る行き方には賛同しかねる。

 最大の問題点は、時代の変化に対応することなく、自らの歩んできた道のり
を肯定する余り既得権益を守る立場に転じたことに無自覚になっている点にあ
る。象徴的なのは、走りのパフォーマンスに対する認識だろう。

 日本車はことスピードに関して言えば高度経済成長末期に200km/hの壁を
超えている。フェアレディSR311の時代に205km/hを公表していたように、
半世紀前(排ガス規制前のキャブレター時代)のおおらかな時代の現実がす
でにあった。排ガス規制に沈んだ1970年代に一旦途切れるが、1981年に登
場した2.8リットル直6DOHCエンジン搭載のソアラ/スープラが再び200km
/hの壁を破ると、日本車は世界でも稀と言えるほどパワーゲームの坩堝と化
して行く。

 1989年の280馬力自主規制という日本の道路交通法との整合性を意識した
官僚機構の無責任体質を忖度して受け入れたのは、自動車が許認可事業である
という事実の裏返し。自動車メーカーに育てられた業界ドライバーであるな
ら、正々堂々と中央官僚機構の無謬性に囚われた前例主義の矛盾を問うべきで
あり、1962年に施行された改正道交法の高速道路100km/hという法定最高速
度の是非を諸外国へのプレスツアー等を通じて精通する自動車産業先進国の現
実との対比で論陣を張るのが筋というものだったろう。

 現実は、自らの経験としてではなくほとんど伝聞で知る昭和末期の姿をあた
かも劣化コピーとしてトレースするお花畑の狭い世界に甘んじてファンタジー
を語ることに終始した。平成の30年を経て時代はすでに令和という新たな元号
に変わっている。西暦でも2020年と21世紀もふたつのディケード(旬年)が過
ぎようとしている。過去58年間に渡って法定最高速度100km/hがビタ1km/h
たりとも上乗せされていないのに、相も変わらず300km/h超を可能にする500
馬力オーバーのクルマを頂点に据えて絶賛し、すべてのクルマがその方向を目
指すべきとでも言いかねないような言説に留まっている。

●300km/h超の世界を知っている自動車ライターは一握りしかいない

 日本の自動車産業が世界水準を追って切磋琢磨していた発展途上段階に、身
を以てクルマをテストし評価評論に明け暮れた経験の持主なら、1989年に到
達した『280馬力自主規制』の高性能車群が世界の有名ブランドのプライドに
火を着け、世界的なパワー競争を引き起こした事実に対して謙虚であるはずだ。

 そもそも、0→400m加速で16秒を切るような性能は、数値レベルでは
評価できるが、人間の感覚評価の観点に照らせば好ましいとは言えない。

 1989年登場のスカイラインGT-R(R32型)は0→400m発進加速で未踏の
12秒台を難なく捻り出した。エンジン回転をピークトルクの4400rpm以上に保
ったところでポンとクラッチをつなげば、電子制御式4WD(アテーサE-T
S)が的確に駆動力を4輪に伝え、あとは5速MTをミスすることなくシフト
アップして行くだけ。テクニックの介在を必要としない"オートマチック"なパ
フォーマンスに当初は感嘆し高評価を与えたが、道交法との乖離に気がつきそ
のテクノロジーのあり方に疑問を抱くようになった。

 それと相前後してだと思うが、レスポンスという評価にも再定義が必要だと
感じるようになった。一般に応答性が早いことに高評価を下すことになってい
るが、実は人間には位相遅れが存在してほんの微小の鈍さがあった方が好まし
い。逆にシャープ過ぎる応答性はレスポンスが悪いと評すべき筋のものである
はずだ。

 速度そのものにもクルマとクルマ同士のいわゆるハード比較で論じるのでは
なく、運転する人の感覚に沿ってどうか?が問題となるはずだ。私の経験知で
は、大体250km/h(秒速70m)辺りに生理限界があるように思う。これはテス
トコースで何度も感じたことだが、250km/hから上の速域は何度経験しても緊
張する。これは多分人間の神経伝達スピードで最速の有髄神経系の反応速度と
の関係にあるもの(確か0.3sec/m)で、違和感の原因はそこに求められるは
ず。アウトバーンにおける250km/hの紳士協定などもそれに由来するのではな
いだろうか。

 そんなこと言ったって、レーシングドライバーは平然と300km/h(秒速84
m)超の世界で闘っているではないか。その通りだが、彼らプロフェッショナ
ルが有視界飛行同様の眼で現場を確認しながら卓越した反射神経で走っている
とみるのは典型的な素人考えに他ならない。レースで競われているのは本質的
にフィジカルな視力や筋力ではなくイメージ。レーストラックに描かれたイメ
ージの質とそのイメージを実践する能力を競い合っている。現場に来た時には
すでに彼の視野はその先に注がれていて、結果としてのライン取りが優劣の証
となる。

 レーシングドライバーに求められる資質は(1)体力(2)知力(3)胆力の順。プロ
フェッショナルであるにはまず体力が一流のアスリートレベルであることが必
要とされるが、トップドライバーとなるのはイメージの質を高次元に保つ知性
が不可欠で、チャンピオンたるには何がなんでも勝つという強い気持ちの持主
でないと叶わない。

 かつてC.ゴーン前日産会長からR35GT-R開発の全権を任されたエンジ
ニアはナビ席の同乗者とリラックスして300km/hの超高速ツーリングを鼻唄
まじりでこなせると豪語していたが、2007年10月に発売を間近に控えたGT
-Rをアウトバーンで試すプレスツアーで走らせると、とてもとても。

 生憎の小雨まじりの濡れた路面に2車線区間という条件では300km/h寸前
まで攻めるのがやっと。youtubeにプロフェッショナル(レーシングドライバ
ー)の2ショット同乗動画がアップされていると思うが、いずれも両名とも訳
もなく笑っているはず。人間、恐怖が募ると笑うほかなくなるという好例だ
が、まさか引きつるわけにも行かず笑って誤魔化す以外になくなったという
ことだろう。

●起訴されたら99.4%が有罪の国に世界的な外国人経営者はもうやって来ない

 現在の現役自動車ライターで実際に300km/h超の世界に踏み入れたことが
ある者がどれくらいいるのか知らないが、日本のトップフォーミュラやWEC
マシンで超高速トラックを走ったレース経験者や超高速トライアルに挑戦した
猛者を除けば何人もいないはずだ。しかし、相も変わらずエンジン出力の最高
値を喧伝し300km/h超のスピードを理想であるかのように語るのが大半だ。

 日本(に限定する意味はないが)の変化に富んだ走行環境を走破し尽くし、
その多様性を背景に自動車旅行の楽しさ魅力に言及するスタンスを得れば、今
とはまったく違った価値観の提示が成されるはずだが、『試乗記』のほとんど
が昭和の発展途上段階から踏み出してはいない。

 バブルの狂騒から崩壊に至るプロセスは新たな価値観の創造のまたとない好
機だったが、出版不況とインターネットの普及によってメディアの資金と情報
の両面で自動車メーカー依存が強まり、国内市場の飽和サチュレートと自動車
産業のグローバル化にともなうオフショアの流れに沿う収益源の国際化によっ
て、パブリシティに生き残りを賭ける内向き志向が加速してしまった。自動車
に限らず情報は市場やユーザーや読者に向けてこそ価値のあるものになるはず
だが、メディアの食い扶持としての情報が優先され自動車産業の都合に沿った
宣伝広報のような記事がほとんど。批評や批判などが正々堂々と語られること
はまずなくなってしまった。

 一昨年(2018年)の11月19日に起きたC.ゴーン、G.ケリーという日産
代表取締役ナンバー1、2逮捕起訴という衝撃的な報道の際に、いわゆる自動
車メディア界から何ら発信されることなく傍観者の立場に沈んだのは何故か?

 記者クラブメディアによる一方的な(日産・検察による)リーク情報によっ
て、強欲非道の外国人経営者という印象操作が徹底されるのを尻目に何の批評
も批判もしなかった者にジャーナリストとしての矜持はあるのだろうか。

 自動車業界の最前線に位置しながら、過去の業績から容易に推察される推定
無罪の大原則すら忘れ、日産広報部の箝口令に従った無為無策は万死に値する
とは思わないのだろうか。やがて、この火種は日産以外の全メーカーに飛び火
するはずだが、日産というすでにグローバル企業として日本だけでは成立しな
くなっている自動車メーカーの現実はトヨタを始めとするすべての日本自動車
産業に当てはまる。ことはひとり日産の危機ではなく、日本ブランドともいえ
る自動車産業全体に累がおよぶことが避けられないと見るべきだろう。

 すでに日産の傘下に収まりルノー日産三菱というアライアンスメンバーに位
置するようになって久しい三菱は260億円の赤字を2020年3月期で計上すると
いい、日産の同期連結最終損益もリーマンショックに沈んだ2009年3月期以来
の赤字に転落するという。今回の新型コロナウィルスCOVID-19禍以前に顕在
化した業績不振の結果であり、西川廣人前社長CEOの責任は免れない。

 そもそも当初C.ゴーン氏逮捕起訴の罪状とされた金融商品取引法の有価証
券報告書虚偽記載は、現に受け取ってはいない退任後の将来に受け取る金額の
覚書に過ぎないことから犯罪の要諦を成してはいないものだが、仮に起訴した
検察が執念で有罪としたところで、2011年3月期から2015年3月期と分けて
再逮捕起訴した2016年3月期から2018年3月期についてはその3分の2にあ
たる2年分は西川氏がCEOの時代のもの。有証の虚偽記載は提出者に課せら
れたことに対するもので、この場合は西川氏が当事者となる。その事実からも
無茶苦茶なのだが、ことが明らかになっても未だにC.ゴーン氏に対する嫌疑
を口にするものが絶えない。

●元に戻せないことはやってはならない。日産クーデターの教訓は重く深い

 本当に大丈夫だろうか?相変わらず、昔ながらの作法でドライビングインプ
レッションという感想文に明け暮れ、日本社会が抱える変化に対応できない官
僚統治機構とその前例主義によってアップデートすることが出来ず時代や社会
のありように対応できなくなったシステムが明らかになってもなお変れない。

 日産も三菱も20年前の危機的状況に逆戻りした。西川氏の後任として挙がっ
ていたホセ・ムニョスCPO(チーフ・パフォーマンス・オフィサー)はゴー
ン氏失脚とともに日産を追われ、今やライバルメーカーの現代自動車のグロー
バルCOO(最高執行責任者)に就いている。

 日本人経営陣による本格始動が始まった矢先にグローバルな企業活動の実態
に対応できない元の木阿弥に戻りつつあるマツダも厳しい。日本の本社筋で内
部昇格によって頂点を極めた人材にグローバルビジネスが収益の柱となってい
る自動車会社経営は難しいのかもしれない。C.ゴーン氏の後を追うように米
中での存在感演出に血道を挙げ、ワンマン体制を徹底しつつあるトヨタも危な
っかしい。

 トヨタの創業家三代目は、一見全自動車産業を代表する言動を振舞いなが
ら、実は豊田家(株式保有は全体の1%にすぎない)を中心に据えた価値観
に終始している節がある。この点については次週の課題として残すが、今直
面している新型コロナウィルスCOVID-19がもたらした難局は日本社会を根
底から揺るがす可能性が高い。

 CASEもMaaSも従来からの社会の延長線上に描かれたプランという側面
が色濃いが、いわゆる100年の一度の大変革は社会のあり方を一から見直す必
要を促すものであるようだ。ポストコロナウィルスがどんな社会変化を要求す
ることになるのか。今はありたい未来の姿、あるべき姿を時なのかもしれない。   
                                    
-----------------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

2020年5月12日火曜日

『クルマの心』第第378号2020.4.21配信分

遅くなりましたが、前回(4月25日掲載の4月14日号)に引き続きまぐまぐ!の有料メルマガ伏木悦郎の『クルマの心』の4月21日配信分をお届けします。随時掲載予定ですが、下記御講読案内もよろしく!
https://www.mag2.com/m/0001538851.html
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
     伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第378号2020.4.21配信分
●パンデミックは簡単に収束しない。100年前の歴史が物語る教訓
 今世界はCOVID-19、いわゆる新型コロナウィルスによるパンデミックに瀕している。最初に中国湖北省武漢市で感染が確認されたのは昨年11月末のこと。日本で注目を集めたのは2月3日に横浜港に入港した大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス(DP)号の一件からだった。
2月1日に公海上のDP号船内で陽性発覚。船舶には"旗国主義"という考え方があり、公海上の船の管轄権は船籍を持つ国にあるという。この時点では陽性が確認されたのは一人で、すでに下船していた。横浜入港時の乗客の大半は日本人であり、入港禁止の断を下すことは難しかった。
結果的に入港を認め、3月1日に全乗客乗員の下船が完了するまでに新型コロナウィルス感染の陽性が確認できたのが延べ4089人中706人(内無症状者392人)で6人の死亡が確認された。
2月下旬の時点で、イタリア北部での感染拡大が報じられ、翌月上旬スイスのジュネーブで開催される予定だったジュネーブ国際自動車ショーの中止が決まっていた。日本ではもっぱらDP号の報道が中心で、今では世界最大の感染拡大に窮しているアメリカもまだ切実感はなかったと思う。
年明けには思いも寄らず、ほんの2ヶ月前までと今では別世界に生きているような感覚すら身に迫る。2月下旬ではパンデミック(PANDMIC)はまだ可能性を論じる段階だったが、今や現実問題として全地球を覆い、しかもおよそ100年前の"スペイン風邪" (1918~1920年) と同様に第一波から第三波まで猛威をふるう可能性が考えられるようになっている。
歴史に学べば、現段階はまだ始まりに過ぎず、経済規模や世界人口が100年前とは比べ物にならないほど大きいことが次ぎにどうなるかという予測を困難にしている。長期的な展望を持って臨まないと思わぬ躓きを喫しそうな予感がある。
戦後何だかんだ言っても右肩上がりの成長を続けてきたベクトルが、一気に反転する気配がある。歴史が繰り返されるとするなら、1929年の世界恐慌が再現され、経済のブロック化から対立が生じ乾坤一擲の世界大戦に雪崩込んだ状況がやって来ないともかぎらない。
少なくとも、今まで通りのやり方が通用しない状況がすぐそこに迫ってきている。私の個人的な感想を言えば、それが中国なのかEU(というか盟主たるドイツ)なのかアメリカなのか分からないがどこかの国の経済が破綻して時代の節目となる転機が訪れると思っていたら、新型コロナウィルスによるパンデミック禍という人対人ではない人対ウィルスが人類の進化を促す現場に立ち会うことになった。
 戦後75年の長きにわたって戦禍に塗れることがなく、交戦状態の下で日本人が命を落すという現実を見て来なかった平和が当たり前のメンタリティにとって、今が勝負の分かれ目という感覚が希薄だが、もしかするとここ数カ月の過ごし方で未来が別物になってしまう可能性があるのかもしれない。
少なくとも、今まで通りの生き方が難しくなっている現実を多くの人々が実感しているはずだ。問われているのは、どのような未来を作るかという想像力ではないだろうか?
●日本の刑事司法の如何わしさを知るのは犯罪を犯した当事者だけ?
 それにしても、昨年末は12月31日に飛び込んだカルロス・ゴーン氏国外逃亡の報から明けて1月8日にレバノン・ベイルートにおいて記者会見を開いたことが遠い昔の出来事のよう。COVID-19新型コロナウィルス禍による世界の変貌ぶりからすると小さな事件に感じられるようになってしまったが、ポストパンデミックの世界を考える上でゴーンスキャンダル抜きに語ることは出来ないだろう。とりわけ日本とその基幹産業たる自動車の未来は、この事件の精算を経ずして論じるのは難しい。
それ以前に、日本の自動車産業がポストパンデミック時代に今まで通りで存在できるかどうかという問題もあるが、まずは日本人にとってのグローバリズムや日本特有の司法制度の実態が明らかにされることになった現職の外国人代表取締役会長が、東京地検特捜部によって来日直後に羽田空港でいきなり逮捕され、そのまま起訴され、本人否認により拘留された。
容疑は、当初金融商品取引法の有価証券報告書の記載不正とされ、数十億円という単位で記載を不正に免れたことにあると報道された。それはあたかも脱税でもしでかしたかのような論調で、検察が逮捕したという段階で(検察や日産からのリークによる)バッシングが記者クラブメディアから雨あられの如く溢れ返った。検察に起訴されれば99%超が有罪になる事実から、逮捕されたということは起訴確実となり、それはそのまま有罪につながる。とりわけ地検特捜部による"特捜事案"については組織の面子に賭けて無罪はあり得ないという『鉄則』があることを、私はこの事件を通じて知った。
当初金商法の有報不正記載については詳細は明かされなかった。その間にゴーン氏の"強欲"、"独裁者"、"会社の私物化"といった一方的な断罪が既存マスメディアを通じて徹底された。フクイチ原発事故などこれまで何度も見た光景だが、ようやく5日後に明かされた起訴の内容は『記載されなかったのは、退職後に受け取る報酬の覚書に書かれた金額』という、その不記載が罪になるとは到底思えないものだった。
 しかし、逮捕から起訴されたという事実を以て、その数日後に開かれた日産取締役会(C.ゴーン氏とG.ケリー氏はこれに出席するために来日した。ことにケリー氏は翌月に持病の手術を控えていて出席に難色を示したが、日産経営陣にチャーター機を用意し、3日後には帰国できるという半ば騙しの手口で呼び寄せられた)でゴーン、ケリー両氏を代表取締役から排除している。
 逮捕起訴の容疑が、実際に受け取っていない報酬の不記載だったという事実が明らかにされたのは、日産の取締役会がC.ゴーン、G.ケリー氏を代表取締役の座から引きずり下ろした後。当然のことながらゴーン氏は検察の取り調べに対し無実を主張し、そのために拘留は最大限延長された。当初有報不記載容疑は2011~2015年までとされたが、否認により拘留期限切れとなる。すると検察は2016~2018年度の同容疑で再逮捕する。同じ罪状を2期に分けて起訴するという無理筋の上塗りをして拘留の延長を図る。
 私は『人質司法』という言葉をこの時初めて知ったが、日本の刑事司法では検察による自白調書が最優先される。(検察によって)起訴された刑事事件の99.4%は有罪となるという。その高い有罪率は、通常警察の捜査によって逮捕された事実を受けて検察が起訴する段取りとなっているからで、有罪となる確証が得られない事件については起訴を見送る(不起訴処分)のが通例だ。つまり起訴=有罪を意味する。このことから、検察が起訴した段階でマスメディア(特に記者クラブメディアは顕著だが)はまだ被疑者の段階でも罪人視しがちな傾向にある。
 刑事司法においては”推定無罪”の原則があり、公正な裁判によって有罪とならないかぎりは犯罪者として認定されないのが国際標準となっている。日本においては、自白が最も有力な証拠とされるが、起訴後の取り調べにおいて無実を主張し罪の否認を続けると検察の請求により延々と拘留される。この検察の取り調べも弁護士の立会いを認めない民主主義の先進国としては異例のスタイルで、長期拘留に耐えかねて保釈を得るために自白して、裁判で一転して無罪を主張する事例が絶えない。
 刑事裁判の当事者にでもならないかぎり知り得ない話だが、これが日本の刑事司法が”人質司法”であると国際的な非難の的になっていることを日産/ゴーン事件によって初めて知った。
 さらに言えば、このゴーンスキャンダルは東京地検特捜部が独自判断で逮捕起訴を行なった『特捜事件』であり、過去にも政治家や高級官僚、大企業経営者などといった、いわゆる”巨悪”と括られる人々が対象とされ、一度逮捕起訴されれば極稀な例を除いて(郵便法違反で大阪地検特捜部が逮捕起訴した村木厚子厚労省局長事件が有名。この時は担当検事の証拠改ざんが発覚し検察の権威失墜を招いた)多くの著名人が獄中の人となった(ex堀江貴文、佐藤優、鈴木宗男、佐藤栄佐久、江副浩正……)。
●事件発覚からの5日間で徹底された極悪ゴーンのレッテル貼りを信じる日本社会
このスキャンダルの異例な点は、2018年6月から施行されていた日本版司法取引の2番目の例であり、しかもその結果が国際的スキャンダルとなったという事実において歴史的な転換点となる可能性を秘めているところにある。日本で採用された司法取引は、「他人負罪型」といって他人の犯罪について供述をすることを検察官に約束をする代わりに自らの処罰の軽減を求める。米国などで採用される自分の容疑事実の一部を認める代わりに他の犯罪事実を立件しなかったり処罰の軽減を約束する「自己負罪型」とは異なる。
どうやら、これは日本の司法制度の下では罪を犯した者がその事実を認めるのは当然であり、自白をしたからといって特別の恩典が与えられる理由はないという、日本社会の一般通念があるそうだ。他人の犯罪については元々供述する義務はないので、その供述を敢えて行なった者を優遇する制度の導入には比較的抵抗がなかった、ということらしい。
いずれにしても、この司法取引による日産経営幹部(当時)の供述を元に東京地検特捜部の捜査が始まり、2018年11月19日夕刻に衝撃的な現職のカルロス・ゴーン日産代表取締役会長とグレッグ・ケリー同代表取締役の逮捕に結びついている。
あれからすでに1年と6ヶ月の時が流れた。昨年12月31日には「私は今、レバノンにいる」という驚きの映像が、世界が瞬時につながるインターネット社会の現実を通じて届けられ、年明けの1月8日はベイルートから世界中のメディアを集めて記者会見が行なわれた。
 未だにほとんどの日本人は、事件発覚後からの数日間で豪雨のように降り注がれた(記者クラブ)マスメディアによる印象捜査によって、C.ゴーン氏=金に汚い強欲の独裁者というレッテルを深く刻み込んだままでいるようだが、それらがすべて(ゴーン/ケリー両氏の取締役会からの排除を画策した)当時の日産経営陣と一体化した地検特捜部によって一方的に流されたものだったということを省みることすらしない。
 前置きが長くなったが、去る4月15日、昨年11月から12月27日まで5日間延べ10時間にわたって東京でインタビューを行なった元特捜検事の郷原信郎弁護士による著書『「深層」カルロス・ゴーンとの対話(起訴されれば99%超が有罪になる国で) 』が出版された。
 全319ページの長尺で、一方に偏ることなく日産検察側とゴーン/ケリー氏及び弁護陣双方の立場から検証を試みるという法律家らしい慎重な姿勢から、読み物としてのエンターテインメント性を欠いてやや退屈な面もあるが、じっくり読んで納得を得るにはこれくらいの用心深さは必要かと思わせた。
 私としても、発売日は予告されていたのでアマゾンで購入したが、忙しさにかまけて(相変わらず週3で相模原の物流センターで肉体労働に励んでいます)読了に一週間を要してしまった。
●ゴーン氏はルノー(フランス政府)が望む統合には反対だった!
 結論としては、事件発覚当日のFACEBOOKやtwitterで事の経過を追いながら発信した断定した『クーデター』説に間違いはなく、当初数日間に渡って明かされることがなかった金融商品取引法の有価証券報告書の虚偽記載の中身は、退職後に受け取る報酬についての覚書という、取締役会にも株主総会での議決を経ないおよそ法的根拠のない司法取引に応じた元役員(秘書室長)とC.ゴーン氏が交わした書面を以て立件を企てた地検特捜部の無理筋に過ぎなかった。
 2011年3月期から2015年3月期までの5年分と2016年から2018年同期の3年分という同じ内容を二つに分けて2度の逮捕身柄拘束を実現し、その間に自白を得ようとする従来通りの特捜部マインドで臨んだところが、ゴーン/ケリー両氏ともに当然のことながら無実を主張。『人質司法』対する国際世論の高まりに、裁判所が保釈請求を許可すると、東京地検特捜部はさらにゴーン氏を会社法違反(特別背任)として2つの事案で再逮捕している。
 サウジアラビアルートとオマーンルートと称された特別背任の罪状は、いずれも肝心の一方の当事者であるハリド・ジュファリ氏(サウジルート)からもスヘイル・バフワン・オートモビルズ(SBA)のバフワン氏からの供述は得ておらず、資金の流れについても当時の日産経営陣も了解済みの正当なものだったのを、検察特捜部の創作による筋書きに当てはめようとする”無理筋”の結果という見方が説得力を持つようになっている。
 要約すると、そもそもの発端は日産の最大株主として43.4%を保有するフランスのルノー社による日産の統合にある。ルノーの株式を15%握る最大株主のフランス政府の意向であり、2015年に最初の危機が訪れている。時の経済産業デジタル大臣だったエマニュエル・マクロン現大統領が統合に積極的だったといわれたが、日本側はRAMA(Restated Alliance Master Agreement=改定アライアンス基本契約)を楯に抵抗して難事をかわしている。
2018年はゴーン氏のルノー会長職の任期が6月で切れるタイミングとなっていた。これを機にゴーン氏は日産/三菱のグループ戦略に専念するとみられていたが、実は統合に意欲的だったのはルノー(というかフランス政府)であり、ゴーン氏の立場は緩やかなアライアンスによってルノー、日産、三菱それぞれの独立性を活かす考え。
 私は、当初36.5%やがて43.4%と出資比率を高めたルノーの傘下に日産が入るのが当然と思っていたが、フランス・ブラジル・ヨルダンに国籍を有するコスモポリタンにしてグローバリストのゴーン氏は統合は失敗するとの見込みからアライアンス=提携によるシナジー効果を推進。2016年には三菱の不祥事に乗ずる形で日産の傘下に収め、トヨタやVWと比肩して世界一も視野に入る成功例として評価される実績を上げている。ルノー(というかマクロン仏政権)が渇望する経営統合には反対だが、要となるルノー会長職の地位に留まるには「ルノーと日産の関係を不可逆的にする」ことが求められた。
 一計を案じた結果としてゴーン氏が導き出したのは『持ち株会社』を設立して、各社の独立性を維持する。これに対してかつての日産を記憶する西川廣人前社長CEOを中心とするプロパーはブランドを維持するために財団方式を主張したといわれる。
いずれも郷原氏の著書『「深層」カルロス・ゴーンとの対話」で知ったことだが、長年にわたる私の疑問”何故ルノーは当初から日産の経営統合を急ごうとしないのか”は、カリスマ経営者として国際的な評価を得ているC.ゴーン氏の手腕の結果と結論づけられる形となった。
●私が(スカイライン)GT-R徹底批判に転じた理由(わけ)
 思い起こすのは、1999年11月の初旬だったと記憶する。同年10月18日の日産リバイバルプラン(NRP)の記憶も新しい晩秋の箱根(プリンスホテルの広い宴会場)でCOTYメンバーを中心とする自動車ジャーナリストと四角くテーブルを設えた懇談の場である。
 席上、血気の47歳だった私は真っ先に手を挙げ「あなたは誰のために日本にやって来たのですか?」シンプルにそう質した。すると開口一番「日産のためです(For NISSAN!)」。
率直に言って意外だった。来日以前から、稀代のコストカッターにしてリストラの権化であり再建請負人。得体の知れない外国人には異様に弱い日本のマスメディアが貼ったレッテルとは違う第一声だった。
シンプルな一言に続く説明は長かったが、その中身はほとんど記憶にない。ただ、個人主義の塊で本人の栄達が最大のモチベーションだという西欧育ちのエリートらしからぬ予想外のコメントが今でも脳裏に響き渡っている。
翌2000年には黒字化を実現し、2002年度に連結売上高営業利益率4.5%以上、同年度末に有利子負債を7000億円以下に圧縮というコミットメントをそれぞれ1年前倒しで実現。1年で黒字化を果たせなかったら経営陣すべて責任を取って辞任すると言い切っての成果は、日本人の常識を遥かに超えるものであり、鵜の目鷹の目で”お手並み拝見”と上から目線だったマスメディアは皆沈黙するほかなかった。
 この時の強烈な印象と『Zカー』フェアレディZのブランド価値とGT-Rが示した技術の日産を象徴するブランド価値に注目し、”直轄領”として再生の責任を負う姿勢に興味を持たざるを得なかった。GT-Rをスカイラインというドメスティックブランドに留め置かずに日産GT-Rとしてグローバル展開を試みた点も注目だった。
 知る人もあるかと思うが、私は世の多くのクルマ好きの絶賛とは一線を画し、R32スカイラインに始まる第2世代のGT-Rには批判的な目を向けている。デビュー当初こそはまだテスターとして現役であり、毎週のように通っていた谷田部(JARI)や筑波サーキットでの驚異的な走りに夢中になっていたが、ある日気がついた。
スカイラインは基本的に輸出されないドメスティックブランドであり、RB26DETT型直6ツインターボにアテーサE-TSというR32GT-Rのコア技術である4WDシステムは基本的に左ハンドルが作れない構造となっている。
”R”のコンセプトそのものが当時の国内グループAレースシリーズの規則を精査した結果であり、グローバルな広がりは当初から考慮されてはいなかった。R32が第2世代GT-R3部作最大のヒットだが高々4.3万台、R33、R34合わせてもわずかに7万台強である。
 メインのスカイラインシリーズの存在が比較的低価格でスーパーパフォーマンスを販売できた秘訣だったが、GT-Rの名声とは裏腹に飯の種のベースグレードは低迷した。この経営視点を持たない過剰な技術導入が”技術の日産”という亡霊を呼び覚まし、後の経営破綻につながるエンジニアの暴走とその真逆の退屈極まりない日産車の堕落につながったと私は見る。
 批評の精神を忘れて自動車メーカーのパブリシティの片棒を担いだメディア/ジャーナリストは未だに理解していないようだが、ゴーン氏を排除して20年前の日産に逆戻りさせた現在の経営陣の無能さに気づけないメンタリティの根は同じところにあると思う。
私はR32では実験主担、R33とR34の開発主管を務められた渡邉衡三さんとは再三再四激論を交わした間柄でもある。渡邉氏は「レースがやりたくて日産に入った」という非常にロマンチックで純粋なエンジニアだが、私はGT-Rの実力を認めた上で、それでも「あれは禁じ手だった」と今でも断言できる。
 現行R35GT-Rはゴーン直轄領であり、CPSとCVEを兼任した水野和敏全権によって世に出たクルマだが、当初の777万円というプライスタグであの性能/クォリティは果たして現実的なものだったか。
発売から丸12年以上もフルモデルチェンジ出来ないままでいるという事実が物語るのは、第2世代のGT-Rと同じ採算よりもロマンに走り、結果として会社を傾きかねない象徴的存在だった、ということではないか。水野全権が嘱託を解かれて日産を去ると瞬く間にベースグレードが1000万円の大台を超えて行ったあたりに、フルモデルチェンジ出来ない日産GT-Rの現実が潜んでいる、と思う。
 すでにC.ゴーン氏は日産の経営から追い払われて1年6ヶ月。経営を西川廣人前社長に委ねた2017年からの3年で、日産は再び存亡の危機に瀕してしまった。一度傷ついたブランドを再び元に戻すのは至難の業。1918~1920年の”スペイン風邪”が後の世界恐慌に結びつき、経済のブロック化が乗るか反るかの乾坤一擲を喚起し、世界大戦まで行った史実と合わせると、新型コロナウィルスCOVID-19による時代の変化は文字通り『100年に一度の大変革』を招来し、元通りに帰るとは考えにくい。
●日産は生き残る価値を失い、トヨタも安閑とはしていられなくなった
今年は京都で『第14回国連犯罪防止刑事司法会議』(通称京都コングレス)が行なわれる予定だったという。4月20日から27日までの1週間の開催は折からのコロナウィルス禍により無期限延期となった。日本での開催は50年ぶりとかで、法務省関係筋は腕まくりしていたというが、当然のことながら一昨年に始まるゴーン/日産事件で再び国際的な批判に晒された『人質司法』について喧々諤々となると思いきや、京都コングレスでは日本独自の刑事司法の功罪を議論する場は用意されていなかったという。
 自国開催の国際会議で自らが苦境に立たされる場を設けるはずもない、といえばそうだが、無事で通れる筋でもなさそうだ。今般のコロナウィルス禍は、日本の法務省にとっては批判に晒されることを避けたという点で”神風”かもしれないが、ここで一計を案じた人が立ち上がった。
 詳しくは元公認会計士で現在は会計評論家として知られる細野祐二さんの公式ホームページhttp://yuji-hosono.comをご覧いただきたいが、氏が主宰するyoutube channel:複式簿記研究会では『人質司法』に特化した連続シンポジュウム(裏コングレス)を開催している。
 4月22日から第一回の配信が始まっていて、4月24日の第三回では「日産ゴーン事件とゴーン元会長の海外逃避」と題して、ヨルダン・ベイルートからC.ゴーン氏がweb出演することになっているhttp://youtu.be/pOhvWDkNxBA。
これには主宰の細野祐二氏とともに「『深層』カルロス・ゴーンとの対話」著者の郷原信郎弁護士も出演し、著書の内容を踏まえて解説している。カルロス・ゴーン氏へのインタビューもあり、その肉声による"事実"は多くの人々の判断材料となる生の情報と言えるだろう。
残念ながらではあるけれど、日産は1998年末の崖っぷち以上に厳しい現実に直面していると言わざるを得ない。日産には友人知人も少なくないが、時計の針を20年前に逆戻りさせて「日本人の日産を取り戻す!」と言うのは勝手だが、誰がどうやって?を欠いた精神論が通じるほどビジネスの世界は甘くはないだろう。ましてや100年の時空を超えて襲ってきたパンデミックの嵐に、国内販売の10倍を売り上げるグローバル市場でのブランド毀損の意味は果てし無く深い。
 実はことは日産だけの話ではなく、すでに2020年3月期の三菱自工は200億円を超える赤字を計上して元の木阿弥となりつつある。C.ゴーン氏の構想にはFCA(フィアットクライスラーオートモビルズ)とのアライアンスもあったといい、それが実現すればすでに提携関係にあったダイムラーAGと合わせて日米独仏伊からなるグローバルアライアンス群が生まれた可能性があった。
今回のCOVID-19コロナウィルスによるパンデミックは、この先どのような変化をもたらすか不明だが、世界的な評価を得ていたカリスマ経営者がこの難局をどう乗り切るのか、見てみたかった気がする。乗り切れずに終わることも含めて、歴史にはタブーの"タラレバ"を考えずにはいられない。
私の見立てでは、盟主トヨタも安泰ではなく、日産ほどではないにしても総収益の8割近くを海外販売に依存している現実は軽くはない。最大の問題は無謬性と前例主義で硬直化した官僚統治機構が時代の変化に対する抵抗勢力となっていることだろう。そのアップデートが喫緊の課題であり、自動車のモビリティを根本から再構築してグローバルに通用する自前のコンセプトの提示なしに現在の世界シェアを維持する未来はやって来ないのではないか。
 ここでも、本来メディアがなすべきジャーナリスティックな視点に立った議論が待たれるところだが、残念ながら今のマスメディアに期待できるものはほとんどない。
                                      
---------------------------
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com
■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

YUJI-HOSONO.XN--COMYOUTUBE-EH3IX0AA6IBM1J4D2EBT76GJE8607EZKWCI7UED87H

2020年4月25日土曜日

私伏木悦郎の有料メルマガ、伏木悦郎の『クルマの心(しん)』の第377号 2020年4月14日配信号をここに公開します。今後気がついた既報号をその時々の世相を見ながら公開して行こうと思います。興味を持たれた方は、是非登録をよろしくお願いします。読者が1万人を数えたら、時代を進めることが可能だと信じています。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 
             第377号2020.4.14配信分



●病院は病気を”作る”ところでしかない?

 『緊急事態宣言』発出から一週間。三密を守って80%以上の対人接触をおよ
そ1ヶ月間に渡って削減できれば深刻な医療崩壊を免れる。見えざるウィルス
との闘いは、多くの商店を保証のあてのない営業自粛に追い込みながら、ポス
ト新型コロナウィルス(COVID-19)の世界がどうなるのか不明瞭なまま胸突き
八丁に差し掛かった観がある。

  すでに発生源の湖北省武漢市を始めとする中国国内はもとより、いち早く感
染拡大が現実となり医療崩壊に見舞われたイタリアやスペインをはじめ、ドイ
ツ、フランス、イギリスといった欧州の国々、瞬く間に感染爆発状態に陥り世
界最大の感染者数と犠牲者を更新し続けるアメリカ。ニューヨーク市(州)の
ニュースを聞かない日はなく、パンデミック(Pandemic)に震える世界中の有
様を映し出すTV新聞などの既存メディアに加え、インターネットを介したS
NSなどのwebメディアがさながら『インフォデミック(Infodemic)』である
と当初から懸念を表明していたWHO(世界保健機関)さながらの状況に面し
ている。

 安倍晋三内閣総理大臣による緊急時第宣言の発出タイミングに対する賛否は
ともかく、経営と同じく政治も結果責任であることは間違いない。様々な意見
が飛び交う毎日だが、今のところ発表される結果としての死亡事例は医療崩壊
により悲惨な状況にある諸外国と比べて異例なほど少ない。少なくとも、昨年
11月の中国における新型コロナウィルス感染の確認から現在に至るおよそ4ヶ
月間のパンデミックに至る過程において、もっとも問題となる感染による死者
の絶対数は最小限に保たれている。

 ということは、結果論として日本政府や医療関係者の施策には諸外国との比
較において誤りがないことになる。今後の展開次第では評価は別なものになる
可能性もあるが、COVID-19という未知の新型コロナウィルスに対して、日本
社会は健闘していると言っても差し支えないと思う。

  もちろん、このところの報道に見られる医療機関における院内感染の状況か
ら、医療従事者の感染が目立つようになったことには注意が必要だろう。人口
呼吸器や人口心肺機器などの重症患者向け装置の絶対数や医療従事者の防護服
などの供給不安もそうだが、たとえそれらが完備していたとしても医師や看護
などの現場の人材が罹患してしまってはドライバーのいないクルマの如し。人
を治せるのは人以外にいない。

  何事においてもそうだが、現場を知らない者の机上の空論ほど厄介なものも
ない。病院とは実は病気を作るところ。若き日のイボ痔に始まって仙骨骨折、
胆嚢摘出、脛骨骨折と何度か入院経験を持つ私は、比較的病院の現実を知って
いる方だと思う。健康あるいは健常な人には想像の外にあることだが、病院の
床に就く入院患者は整形外科や小児科病棟などを除けば平均年齢はとても高い。
直近の入院経験は2017年の脛骨骨折の一月半とアブレーション(心房細動カテ
ーテル治療)の数日だが、65歳(当時)の私は「アンタなんか若い方よ! 80、90
に比べたら」年季の入った看護士に笑われた。胃ろうでつながれて直接栄養投
与することで生き長らえている超高齢者のなんと多いことか。

  現代では多くの人が病院で生涯を閉じることが多くなっている。我が家の畳
の上で旅立つことができるのは幸運かもしれない。病院とは「あなたは〇〇と
いう病気ですと教えてくれるところ」であり、その上で治療にあたる施設。文
字通り病気の百貨店であり、常に院内感染のリスクに晒されている場所と考え
るのが正しい。もちろん医療従事者はプロフェッショナルだから自ら好んでリ
スクを取ることはしないが、患者の多くは医療のアマチュアだ。健常者の常識
を病院というアナザーワールドに持ち込んで秩序を乱すことに無自覚な存在、
といってもいい。

●日本の医療は健闘している。今のところ死亡者は最小限に抑えられている

  COVID-19という新型コロナウィルスによるパンデミック状況は、既存メディ
アにとっては格好の報道素材であり、緊急事態宣言が発出されて以降のTVの
情報番組はほぼこの話題一色の観がある。PCR検査という言葉を聞かない日は
ないが、そもそもこれって何?

 PCRはPolymerase Chain Reactionの略語でポリメラーゼ連鎖反応のこと。
ポリメラーゼは人の細胞の中で遺伝子(DNAあるいはRNA)が増幅する時に働く
酵素の名前で、PCRでは特定のウィルスの遺伝子の一部を大量に複製させるこ
とによって、ウィルスの存在を検知するのだという。専門的な領域なので深追
いは避けるが、とにかくこれを徹底してやれという外野の意見を多く聞く。

  検査を多くすれば感染者が今発表されているより遥かに多くなるはずで、日
本は諸外国に比べて遅れている……という論調が根強い。しかし、問題は感染
者数の実数だろうか? 問われるべきは重症者の治療であり、感染によって亡
くなる人の数を最小限に抑えることであるはずだ。日本は、世界的な感染拡大
が取り沙汰されるようになった2月以降2ヶ月以上に渡って重症者数も死亡例
も医療崩壊の危機に瀕した諸外国との比較でみれば健闘している。今後感染拡
大にともなう医療崩壊が懸念されてはいるが、ピークを低く抑えて医療の現場
が機能を失わないようにする戦略は奏功していると評価できそうだ。

 緊急事態宣言から一週間。自粛要請に従って街の雰囲気は様変わりし、初め
て経験する社会の変化に現実感が追いついていない。日常必需品以外の生産活
動は大幅場の休止が長期化するのは必至。リーマンショック(2008年9月15
日の米国大手投資銀行グループのリーマンブラザーズが経営破綻したことに端
を発する世界的な金融危機)後の2009年を上回りそうな世界販売の低迷がどの
ような結果をもたらすか。

  未だCOVID-19禍は現在進行形であり、その後の世界を考える余裕もパース
ペクティブもないが、この事態が100年に一度と言われていたクルマの未来に
一石を投じるのは間違いない。

  果たして統合制御という統一基準で全体を動かすCASEやMaaSという移動の
あり方は最善だろうか。新旧のテクノロジーや制御体系が複雑に入り組むこと
が容易に想像できる現実の混合交通状況下で、全自動運転車化に突き進むより
は、人が自らの意志で動くという従来型のパーソナルモビリティのほうが正し
い方向性ではないか。

  クラスター(集団)がキーワードとなっているが、パンデミック禍における社会
の現実は脱クラスターであり、数人という最小限のモビリティツールとしての
クルマの価値とその個人所有によってもたらされるリスクの分散効果は再考の
余地があると思う。

  そもそも、日本の鉄道網は首都東京を中心とした中央集権的な国のあり方を
基本に考えられた節がある。すべての鉄路は東京につながり、世界に冠たる整
備新幹線も東京を基点に中央と地方を結ぶ発想でネットワークが組まれてい
る。新幹線の運賃はあまり話題に上らないが世界的に見ても割高であり、物珍
しさのインバウンド需要を除いては企業の経費で落ちるビジネス需要が主。盆
暮れ正月の帰省や黄金週間などの連休を除けば、一般乗客の比率などは知れた
ものだろう。

  困ったことに、世界一高い日本の高速道路の通行料はこの新幹線やそのライ
バルたる航空運賃との兼ね合いで設定されている。国鉄からJRへの分割民営化
も道路公団からNEXCOへの転換も国交省からの天下り先の確保以外に考えられ
ない不透明さが付きまとい、世界最大級の自動車生産国という技術力の恩恵を
自国民が享受することができないという歪んだ道路行政が、モビリティそのも
のが商品のコアになる未来の現実に暗い影を落としている。

  高速道路は原則無料の道路法の精神に却って、東京一極集中から37万平方キ
ロメートルのけっして狭くない国土での地方分散型社会へと改めて、東西南北
という変化に富んだそれぞれの風土に根差した多様な文化の集合体へと再構築
を考える。北海道と九州のクルマが同じ個性である必要はなく、豪雪地帯の日
本海側とほとんど雪の降らない乾いた冬の太平洋側でも異なるトレンドが生じ
て不思議はない。さらに言えば、多様な気候や風土や環境に縦断的なクロスオ
ーバーの発想でグローバルに通用するコンセプトを構築するのも悪くない。

  今回の新型コロナウィルス禍は時代を大きく変える世紀の一大事と言えるが、
ピンチはチャンスと言う。鉄道網に表れた東京中心の中央集権的な国のあり方
から、]変化に富んだ地方ごとを結ぶネットワークとしての道路網を再構築し
て、分散型の国と都市を考え、改めてクルマの可能性を問う必要がある。

  クルマは人生を豊かにする道具であり、Freedom of Mobilityこそがそ最大価
値であることに立ち返る必要がある。グローバル化のオフショアに乗って世界
中で2000万台以上のクルマを売り捌き、大いに儲けて経済に貢献したが、肝心
の日本の人々の人生を豊かにしたり幸せにしてきただろうか?

 自国民の満足の最大化を図ることなく価値観を諸外国に委ね、それに対応す
ることで収益を上げてきた。本末転倒であり、そのような他力本願ではいずれ
新興勢力に取って代わられるのは時間の問題だったのかもしれない。

●日本の自動車メディアはドイツの対中国市場戦略に利用されている!!

 いずれにしても、世界中が今回のパンデミックで大混乱を来しており、完全
に収束した後の未来がどうなっているか想像も着かない状況にある。

 21世紀に入って、世界のクルマのトレンドをリードしたのは間違いなく日本
だが、ドイツが価値観の覇権を握り続けたのは紛れもない。元々クルマ発明の
母国を以て任ずるドイツは技術において自他ともに認めるものがあったが、ベ
ルリンの壁崩壊にともなう再統一から東西格差解消に約10年を要し、リスクを
取って1984年から中国に進出した成果が具体的に表れるようになったのは20
05年頃から。中国の改革開放政策の進展とともに、地元EUでの成果を叩き台
に量的拡大を一気に進める。元はといえば1970年代のVWゴルフ(ラビット)
による米国本土進出の失敗が中国シフトのモチベーションとしてあった。

 2005年頃に日本の欧州系インポーター(特にドイツ系)がこぞって日本メー
カーのPR部門を対象にヘッドハンティングを行なったことを思い出そう。そ
れは丁度中国の自動車市場が爆発的に拡大するタイミングだった。ドイツメー
カーが行なったのは徹底したメディアコントロール。輸入車にとっての日本市
場は今でも6~7%(約30万台でその大半がドイツ車)だが、ドイツメーカー
のHQが販売台数の倍増をコミットメントとして掲げたことは寡聞にして知ら
ない。

 極東の日本に生産拠点を設けることなく収支を安定させるには、現行の一社
あたり5~6万台/年が都合いい。それ以上とすると販売拠点を増やし、PD
Iのコストの増大を生み、部品の在庫の積み上げも必要になる。VWゴルフが
象徴的だが、日本以外ではトヨタやホンダと同じ量産メーカーなのに日本では
プレミアムブランドとして認識されるようになっている。メルセデスベンツや
BMW、アウディは言うに及ばずだが、ブランド価値を訴求するパブリシティ
の徹底というメディアコントロールの成果が世界最大の自動車市場と化した中
国で活きている。

 これは中国取材を通じて得た私の持論だが、ドイツメーカーの日本のメディ
ア戦略は中国市場のためにある。中国ではTVも新聞も雑誌も北京政府のコン
トロール化にあり、中国の消費者はあてにしていない。少し前までは口コミ
(親戚、信頼のおける友人知人など)が価値判断の材料であり、今ではSNS
などのwebメディアが伸びている。日本市場における評判は有効で、その情報
が中国の消費者に流通しているのは紙おむつのブランドなどの爆買いを見ても
分かるだろう。

  ドイツメーカーが日本の自動車メディアに過大なコストを掛けても、元が取れ
るだけのシェアが中国に存在している。各メーカーそれぞれで10万台/年に一度
も届いていないのに、あれだけの広告を打ち、現地試乗会に招いて手厚く遇す
る理由は見当たらない。このような持論を展開する者は他にはいないが、私に
はそれ以外に納得できるストーリーが思いつかないのである。

●VWディーゼルゲートに始まり、COVID-19が止めを刺すことに……

  このドイツメーカー最大のフォルクスワーゲンVWが、悲願のアメリカ市場で
の成功を期して送り出したのがTDi(コモンレールディーゼル)モデル。コ
モンレールは商用車の世界では日本のデンソーが先駆けだが、欧州ではフィア
ット系列のマニエッティ・マレリ(昨年カルソニック・カンセイを買収したイ
タリアのメガサプライヤー)が乗用車用の開発を手掛けていた。

 ところが親会社のフィアットの不振が災いしてその技術をドイツのボッシュ
に譲渡。それがドイツ勢を中心とする欧州のディーゼルブームを生んだわけだ
が、VWはこれを環境技術の中心に据え、アメリカで環境エンジンのデフォル
トと化していたトヨタのTHSに挑むことにした。

 欧州におけるディーゼルブームに火がついたのは2005年頃からと記憶する
が、トヨタが2代目プリウス(NHW20)で欧州市場に進出したのが2004年。
高トルクでスポーティな走りを見せるTDIに「我々にはディーゼルがある」
とドイツ勢が気勢を上げ、その余波を駆ってカリフォルニアのグリーンカー
オブザイヤー(LAショー開催時に発表)において2008/2009年と連覇を成
し遂げた(注目は2009年。この年は3代目プリウスZVW30がエントリーして
いたにも関わらず、である)。

  そして、6年後の2015年9月18日。アメリカのEPA(環境保護局)の告発に
よりVWのディーゼル排ガス不正が露顕する。ここを境にドイツメーカーは一
斉にEVへと舵を切る。VWのM.ヴィンターコルンCEOと技術担当役員
U.ハッケンベルグ常務は失脚。翌年のパリショーでBMWからやって来た
H.ディースCEOがEVシフトを掲げると、ダイムラーAGのD.ツェッ
チェCEO(当時)はCASEという今では一般用語と化したコンセプトを
持ち出した。

 いずれも、ディーゼルゲートから目を背けさせるスピンコントロールであ
り、中国市場にEVの販路を確保した上での話。ドイツ勢は雇用に直結する
ことから依然として内燃機関の開発の手を緩めることはなく、ディーゼルの
改善開発を諦めたわけではなかった。

 なお、アメリカ発で世界中の国から集団訴訟を受けたVWの”ディーゼルゲ
ート”だが、中国には一切その情報は入らなかったとされる。インターネット
時代ということで目敏い消費者は把握してたはずだが、依然としてVWが外資
系メーカーとしてはトップシェアを握り続けていることから状況は窺える。

 また、日本の自動車メディアも殊更大きくディーゼルゲートを取り上げるこ
ともなく、すでにVWのディーゼルモデルが日本市場でカタログに載ることか
らも分かるように批判の声はほとんど挙がらなかった。ことはメガサプライヤ
ーのボッシュが起点になっている話であり、ドイツの自動車産業全体を覆う話
であるはずなのだが、日本でそれ以上の問題となった形跡はみられない。近い
将来、中国市場発でドイツ自動車産業の危機が顕在化するはずだが、この時日
本の自動車メディアはどんな報じ方をするのだろう?

●日産の未来はなくなったと思わせるブランド毀損の本質

 それよりも危ういのは日本の自動車産業である。今回のCOVID-19によるパ
ンデミック危機は、グローバルな結びつきで成り立っていたサプライチェーン
が途切れ、物理的に生産が滞ったのと同時に、ワーカー(従業員)への感染拡大
を案じた長期にわたる生産の休止によってもたらされている。12年前のリーマ
ンショックでは、翌年に世界の自動車メーカーが軒並み赤字に転落し、GM、
クライスラーが経営破綻した。

 折よく中国の自動車需要の爆発的進展が世界の自動車メーカーのV字回復を
促進させたが、今回は期待できるフロンティアは存在しない。CASE、EV
シフトという大転換期に向けて「さぁ」という時に、世界経済を根底から揺る
がせるウィルスとの終わりが見えない闘いである。

 私は、日本の自動車メーカーの多くが存亡の危機を迎えるのではないかと思
っている。オフショアの波に乗って、日本の全グローバル生産の60%以上が海
外に展開して久しい。すでに現地での企画開発から生産に至る行程が珍しくな
くなっていて、かつてのような日本の本社機能のコントロール化に置くことが
困難になりつつある。日本の中に留まっていては需要地で求められる商品性が
掴み取れなくなる。グローバルな視点の経営者が必須となるわけだが、日本の
本社組織の内部昇格でトップに就いた人材にその器を期待するのは酷と言うも
のだろう。

 一昨年の11月19日に、社内の権力抗争に端を発するクーデター劇でCEOの
座を追われたC.ゴーン氏とG.ケリー氏という二人の外国人代表取締役がい
なくなってからの日産をみれば一目瞭然だろう。日産を日本に取り戻すという
お題目はけっこうだが、1999年6月のルノーによる救済以前の危機的状況より
もさらに深刻な事態に陥った経営責任を誰が負うのだろう。

 私の見立てでは、日産の5年生存確立は表向きで30%。率直に言えばゼロで
ある。傷ついたブランドを再生するために要するエネルギーはとてつもない。
その偉業を軽く見て、積み上げたブランド価値が経営者に帰属していたという
事実を無視して国際的な評価を得ていた人物をクーデターで貶めてしまった。
日産が全グローバル販売の9割を国外市場に依存しているという事実を忘れ
て、日本市場に拘るメンタリティだけで何とかなると思っていたとしたら、
未来などあろうはずもない。

 C.ゴーン氏の一件については、4月15日に元東京地検特捜検事の郷原信郎
弁護士がC.ゴーン氏が国外に逃亡する前に行なったインタビューをまとめた
書籍が出版されることになっているので、それを一読してからもう一度整理し
てまとめたいと思う。

 事件発覚以来、日産と東京地検特捜部のスポークスマンと化した日本の記者
クラブメディアの情報操作によって、依然として強欲外国人経営者のレッテル
が強く貼られたままのゴーン氏だが、およそ刑事事件としての立件も難しい無
理筋を伝聞のイメージだけで断罪している同業の群れを見るにつけ、気が重く
なる。

●豊田社長はC.ゴーン氏に代わる自分を夢見ている?

 日産はすでに風前の灯火だが、実はそれと同じような状況にトヨタがいると
言ったらどう思うだろう。私が一貫して豊田章男トヨタ自動車代表取締役を批
判的に論じていることはこのメルマガの読者ならご存知だろう。すべては過去
11年に及ぶ彼の在任直前から現在に至るまでの取材を通じて判断した結果だ
が、ここに来てトヨタの破綻が現実味を帯びてきた思いを募らせている。

 副社長という役職を一掃して、責任ある立場は自分一人とする。次世代を担
う人材を分け隔てなく競い合わせ最善解を得るのが目的というが、まるでC.
ゴーン氏のように振る舞いたいと言わんばかりのトップダウン志向である。

  これまでのところ自分の言葉はなく、そのほとんどの言説が誰かの受け売り。
グローバル市場で評価を得たことはひとつもなく、ただ創業家の嫡男であると
いう変え難い事実だけが価値の源泉となっている。

 これまでは有能な内部昇格者によって上手く回っていたが、グローバルに展
開するトヨタの全体を掌握して、なおかつ世界的な人脈を自らの手で築いてビ
ジネスを展開したこともない人物が巨大組織を束ねることができるか。率直に
言って無理だろう。すでに兵站が伸びきって、豊田市の本社からの鶴の一声だ
けでは容易に動けなくなっている。

 誰に操られているのか知らないが、内部昇格ながら着実に実績を積み重ねて
きた奥田碩、張富士夫、渡邉捷昭という3代に渡る内部昇格の有能な経営トッ
プが10数年を掛けて業容を倍増させた成果を横取りした上で、全保有株式の
1%しか持たない創業家であるにも関わらず会社をまるで私物であるかのよう
に振る舞っている。

 TPS(トヨタ生産方式)と原価低減こそがトヨタらしさの根幹だとする論
の立て方に時代錯誤と能力の限界を見る思いがする。限界効用が働くギリギリ
まで拡大成長した組織をそのまま継続しようと思ったら、それなりの政治力や
ロビーイングは不可欠だろうし、奇麗事だけでは済まされない。TPSと原価
低減がデフレ経済の元凶だとする見方にどう応えるのか。今まで通りで1000万
台メーカーであり続けることが出来ると考えてるとしたら、消滅の危機は日産
を上回る速さで襲ってくるかもしれない。

 そのトヨタと提携関係を結んだマツダも先行きが怪しい。トップがともに慶
応という同窓のよしみで世代的にも近いことから意気投合となったようだが、
マツダの丸本明社長はフォード統治下のM.フィールズ社長に抜擢されて飛び
級で役員に取り立てられた人。フォードの一ブランドとして扱われていた時代
がなければ内部昇格の芽はなかったはずだが、当のフィールズ氏がフォードC
EOの座を追われた翌年にマツダの第16代社長に就任した。

 その運の良さは才能の一部と認められるが、2012年のCX-5に始まる第6
世代の成功に続く次世代で躓いた。マツダ3(旧アクセラ)の一人相撲的なデ
ザイン志向とSPCCI・スカイアクティブXエンジン導入のごたごた。ブランド
プロミスの禁を犯した次世代直6FRモデルのディレイなどは、エンジニアや経
営陣が思っている以上にブランドで活きるしかないマツダの価値を大きく毀損
した。

  構造的には、NRP(日産リバイバルプラン)以前の日産にも一脈通じる、良
くない時代のマツダの独り善がりな気質が蘇った感じ。フォードの窮屈で厳し
い統治下に身に付けた規律を忘れ、エンジニアの思い上がりがブランドを傷つ
けた。商品企画にエンジニアとデザイナーが従うのが本来のあり方だが、主客
転倒の観が否めない。

 米国市場での不振は、技術に対する過信が根底にあり、COVID-19が止めを
刺そうとしている。ブランドのコアに靭(しなり)に始まるマツダデザインの"あ
りたい姿"があったはずであり、待望の気持ちに応えることがブランドの支えに
なった。私は、昨年の東京モーターショーにプロトタイプを発表し、この春に
も新ブランドとして展開しなければ間に合わないと見ていた。6世代の小さな成
功に満足して、勝負どころの7世代を軽く見た結果が『国内販売5チャンネル
制』の失敗の再来に近い昨今の窮地の原因だ。

 フォード時代に学んだキャッシュフロー経営を忘れ、批判する者を排除して
yesmanを侍らせて浮かれた結果。マツダの現経営陣はトヨタの軍門に下れば
御身安泰というつもりだろうが、そうなった時にコアなファンが着いて来るか
を考える必要がある。トヨタの現社長は経産省に操られている張り子の虎かも
しれない。そんな懸念を胸に秘めて臨んだ方がいい。

   先が見通せない新型コロナウィルス禍は、あらためてクルマのあるべき姿を
考えるまたとない機会となるだろう。
                   
                                      
                                      
-----------------------------------
                                    
  
                                    
  
ご感想・リクエスト
※メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter http://twitter.com/fushikietsuro
■facebook http://facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal(official blog)
■instagram ID:efspeedster

2016年10月21日金曜日

未来のために現在(いま)を生きている、のだ!!

日産自動車は2016年10月20日、三菱自動車に2370億円を出資し、発行済み株式の34%を取得。単独筆頭株主となり、事実上の子会社として傘下に収めることになった。

カルロス・ゴーンルノー・日産アライアンスCEO兼会長が益子修三菱自工社長と記者会見を行い、三菱自工会長にゴーン氏が三菱自工次期会長候補に選出されたことと同時に、益子社長が引き続き三菱の顔として留任し、先に取締役 副社長執行役員として就任している山下光彦氏に加えて、トレバー・マン日産チーフパフォーマンスオフィサー(CPO)の三菱自動車最高執行責任者(COO)就任予定などがアナウンスされた。

益子社長の留任によって、日産による三菱支配ではなく、あくまでも三菱ブランドの独自性を活かした再生を目指し、シナジー効果を発揮する提携(アライアンス)関係を築く。実質的に子会社だが、日産のポテンシャルを見極めた企業統治で上下関係を際立たせないルノー流を貫くゴーンスタイルの再現。17年間という長期政権を実現し、気がつけばトヨタ、VWグループに次ぐ世界第3位の一大勢力に昇りつめている。

ルノー日産アライアンスは、すでにダイムラーとのパートナーシップ強化を発表(9月30日@パリショー)しているし、ロシアのアフトワズの経営権も握っている。また、中国では東風汽車と日産の合弁で100万台超の日本勢最大の生産/販売を実現。今回の東南アジアに強いブランド力を持つ三菱のアライアンス入りで、南米/アフリカ/中東を含む全世界のマーケットを隈なく掌握したことになる。

現在世界最大の販売台数を誇るトヨタグループを脅かすのは、EUと中国頼みのVWではなく、ルノー日産にダイムラー&三菱というかつて資本提携関係にあった日独名門企業が加わるアライアンス?

これで今年12月31日に任期切れとなるディーター・ツェッチェCEOの後任にC.Ghosnが指名されたりしたら、オセロゲームの3コーナーを押さえたような眺めになるね。

いや完全なる脳内妄想ですが、ゴーンさんが納得できる次なるポジションといったら世界一となるアライアンス連合のトップしか残っていないでしょう?

パリのMondial de l'Automobile2016でダイムラーが急転直下のEVシフトを打ち上げた背景には、年初のデトロイトNAIASでFORDのマーク・フィールズCEOが行った画期的なプレゼンテーションがきっかけとなったのではないかと想像しますが、かねてからEV路線の急先鋒だったルノー日産がEV・PHEVに独自の高い技術を持つ三菱を傘下に入れることが効いたのでは?

先行きのことは依然不透明ですが、時代が大きく動く予感があります。注目は来月14日から17日にかけてロサンゼルスで行われるLA autoshow プレスデイの新機軸、Automobility LA。従来のクルマの見本市という形態からモビリティに踏み込んだ新自動車業界向けの真正トレードショーとしての枠組み。

主要自動車メーカーや大手テクノロジー企業はオートモビリティーLA期間中に重大発表を予定しているとアナウンスされているが、先のNAIASでAuto&Mobility Companyになることを宣言したフィールズCEOが基調演説を行うことになっている。

youtubeにアップロードされているNAIAS2016のフォードとMondial de l'Automobile2016のダイムラーAGのpress conferenceの動画を見比べながら、激動の兆しが見える2016年の終盤を夢想するのも悪くはありません。





2016年9月7日水曜日

うわッ、やってしまった!!

http://www.mag2.com/m/0001538851.html


まぐまぐ!伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』読者の皆様へ。

過日ご案内しました配信日の土曜日から火曜日の変更。まぐまぐカスタマーサービスの尽力により今月からになりました。

昨日唸りに唸って書き上げ、配信前にこれまでの3回を読み直したところ、重複箇所が多数あることに気がつきました。思い入れが激しすぎた結果でした。送信直前に書き直しを決断。結果一日遅配ということになってしまいました。

奮起を期した末の空回り。このブログでも予告した三菱自工の件も次号送りです。重ねて陳謝します。

2016年9月4日日曜日

三菱自工、不正の検証作業でまた「不正」発覚のニュースに思う。

三菱車は本当にXか
第一線で活躍する、自動車ジャーナリスト49人が語る「ミツビシ」


   刺激的なタイトルが目を引くが、実はこれ今から12年前に出版された雑誌の話である。CARトップ 2004年9月号臨時増刊。CARトップ編集部とは日頃誌面での付き合いはなかったけれど、ことの重大性と緊急性に即答で原稿執筆依頼に応えた。

   表題にあるように、執筆陣は第一線で活躍する自動車ジャーナリストや編集者だった。その中で私の一文はかなり辛辣なほうであり、大方は『ガンバレ三菱!』といった今でも変わらぬ、まずは擁護する姿勢を明らかにし、クライアントを気遣うトーンの語り口に終始する意見だったと記憶する。

 自動車メディアの批評の精神に欠けたジャーナリズム不在は今に始まったことではなく、私がフリーランスとしてライター稼業に専念するようになった1970年代後半から伝統的に受け継がれてきた事である。

 情報の大半を自動車メーカーをはじめとする産業界に依存し、広告料を収益の柱とするビジネスモデルとしながら、自動車産業と軌を一にして成長を遂げた。商業出版の成長神話は1980年代後半のバブル経済とともに極大化し、バブル崩壊とともにブルーオーシャンからレッドオーシャンの様相を呈するようになった。

 1990年央のWindows95の登場によるインターネット時代の幕開けが、メディア多様化に伴う出版不況の出発点と捉える見方は正しいが、同時に日本の自動車産業の成熟に伴う日米自動車協議の紛争状態に近い激化とその妥結によるグローバル化のシフトが、基本的に日本国内市場でしか機能し得ない自動車メディアの衰退の最大要因となっている。

 メーカーを中心とする日本の自動車産業は、日本語の壁に守られて対外競争に晒される事はないが、しかし国外に出て勝負する現物を持たない自動車メディア界とは違って、国内生産の1.5倍に達する海外生産を加えて世界一の販売シェアを手に入れた。

 バブル崩壊後は、バブル期に”石橋を叩いて渡らなかった”トヨタが深手を免れる一方、売れるだけ作り財テクに走りR32スカイラインGT-RとP10プリメーラといった未来に何も残せない狂気の技術信奉に邁進して崩壊寸前まで行った日産。

   同じく販売5チャンネル制をぶち上げSKYACTIV/魂動デザインで息を吹き返すまでフォード支配下に沈んだマツダ、バブル期のRVブームを牽引したパジェロ・デリカスターワゴンの2枚看板に頼り切りギャランVR-4に続くランサーエボリューションで量産モデルの息の根を止めた三菱、バブルの徒花NSXとBEETに現(うつつ)を抜かしていたら北米一本足打法のボロが出て川本信彦社長と有沢徹RADの機転でクリエーティブムーバーを創造して窮地を脱したホンダと明暗を分けた。

   GT-R、ランエボ同様のグループA由来インプSTiに入れ込んで、日産-GM-トヨタと提携先を変えた挙げ句に日本市場を後回しにして北米一本足打法で起死回生を成し遂げたスバル。いずれも、各社の国内販売比率は全生産の20%どまりであり、国内に基盤を持てなくなったという点は同じだが、筋の悪さでは三菱が群を抜く。

   思い起こせば1995年である。現在の凋落の基点ともいえる三菱GDI(ガソリン直噴エンジン)開発を仕切った技術者上がりの中村裕一社長が、後継最有力と見られていた鈴木元雄副社長ではなく常務序列4番目の塚原董久常務を抜擢する仰天人事を断行。その後三菱リコール劇の端緒を拓くGDIの技術的虚偽に始まる企業風土に根ざした隠蔽体質が日の目を見る。

   1996年に発表されたギャラン・レグナムに搭載されたGDIは、1954年のメルセデスベンツ300SL以来の乗用車用筒内ガソリン直噴エンジンとして注目を集めたが、燃費やNOx・HCなどの排ガス対策に課題を多く残していることが判明。リコール問題に至る過程で隠蔽体質が明らかになり、その露顕を恐れた企業ぐるみの負の連鎖でブランドは深く傷つけられた。


 RVブームの勝ち組として『日産の背中が見えた!』と豪語し、ホンダを吸収合併するのではという怪情報まで飛び交った当時3位メーカーの三菱のその後の20年は茨の道であり、2000年と2004年のリコール隠し発覚から今回の燃費不正とオリンピック周期と揶揄されるほどに頻繁に不祥事が巻き上がる事態が続いていたが、パブリシティへの依存を高めるあまり正面きって批評批判する自動車専門メディアは稀だった。



 結局のところ、ジャーナリスティックに言うべきところで自主規制をしてスポンサー筋となっている自動車メーカーに嫌われる事を避けるメディアの体質が事を大きくしている。

 冒頭に貼った『今、三菱がなくてはならない自動車会社と言うひとはどれくらいいるか』という一文は、12年前に書いてメディア業界内では眉をひそめられたやに聞いている。僕は、文中でも述べているように書いていて心地よい気はしなかった。しかし、1980年代の発展段階からずっと身近に接してきた立場からすれば、ある種の必然の結果と言えなくもない。

 ことに1985年に始まったワンメイクレースの『ミラージュカップ』のメディア/ジャーナリストがべったりとなったいかがわしさは、同じ年に始まったVWゴルフポカールカップと並んで双璧を成す。

 1985年は時代の分水嶺として記憶される年だが、それは同時にメディア/ジャーナリストが特権的にメーカーから供与を受けてモータースポーツ界に進出した端緒でもあった。すでに30年が経過したが、今名の挙がる走りを得意とするジャーナリストはほぼ三菱やVWのワンメイクレースで身を起こしている。

 ここから先はブログでは書けないので、まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』(有料配信:月額864円税込)http://www.mag2.com/m/0001538851.htmlに譲りたい。何故日本の自動車メディア空間がこの体たらくなのか。パブリシティか提灯記事しか書けないライター揃いなのか。僕の考えが伝わることを期待します。

 再び厳しさを増しそうな三菱自工の燃費不正に関するニュースに接して、もう要らぬ遠慮は日本のためにならない。そうはっきり言うべきだと思った。




2016年3月1日火曜日

閏年のジュネーブショー2016

 今年もやって来ることができた。ジュネーブショー (Salon International de l'Auto)通いはかれこれ13年 ぐらいになるだろうか。デトロイト、フランクフルト、パリに次いでここに来ようと決めて、その後上海・北京・広州、ロサンゼルス、ニューヨークと拡げていった。

 デトロイトスリー(かつてのビッグスリー)のNAIAS(北米国際自動車ショー)、ジャーマンスリーが幅を利かすIAAフランクフルトショー、IAAと持ち回りのパリ(Mondial de L'Automobile)などと違って、自国に大手自動車産業を持たないスイスの国際都市で開催されるジュネーブショーは、基本的にフェアであると同時に、『サロン』の雰囲気を濃密に漂わせる。もしも、世界で一つだけ取材の場を選べと言われたら、躊躇うことなくジュネーブと答える。

 ジュネーブ・コワントラン空港から徒歩数分でアプローチできる至便に加えて、手頃な大きさのPALEXPOコンベンションセンターの丁度良さは抜群。ジュネーブは物価が高く、宿泊や食事に断えず苦労させられるが、すべてを差し引いてもここの雰囲気の良さが優る。

 今回は3年振りにフランクフルトから陸路ジュネーブ入りすることにした。格安のカタール航空のチケットが羽田~ドーハ~フランクフルトだったからだが、取材元のdriver誌がホンダ特集を組むというのでHR-Vを借りたこととと、この先いつ取材断念の時が来るかもしれないので、もう一度フランクフルト~ジュネーブを味わっておきたいと思ったから。

 案ずるより生むが易しで、その気になると話が向こうからやって来る。ジュネーブ近郊に在住の旧知のディレクターから、「来るのならお手伝いしますよ」のメール。スイス在住32年の女性と住んでいるとのことで訪ねてみると、住まいは地上2階地下1階。地下には核シェルターを備えるという。スイスではすべての建築物には基本的に設置が義務づけで、『へえ?』盛大につくトリビアに満ちていた。

 現在修理に入れているBMWの整備ガレージに面白クルマがあるというので出掛けてみると、話のあったマセラティのクアトロポルテ1965よりもさらにレアなポルシェ911(930)ターボ・タルガがあったり。27日0時15分羽田発で同日12時30分フランクフルト着。オッヘンバッハのホンダでHR-Vをピックアップしてシュトゥットガルト泊。ポルシェ博物館を見学して夕刻ジュネーブ入り。LAからのカメラマンケニーナカジマと合流して、フランスのアンネマスに宿舎を構える。

  で、今日のジュネーブショー取材で初めてジュネーブの深いところに触れる機会を得た。明日から本番のサロン・アンテルナショナル・ドゥ・ロト。良い取材になるといいなあ。