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2020年9月3日木曜日

  まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』第392号2020.8.4配信の再録 です。(前号は前段に同時既報)

有料講読(880円/月:税込)は下記へ。

https://www.mag2.com/m/0001538851 

スマホは画面を横にしてお読みください。縦だと段落がズレます。


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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 

             第392号2020.8.4配信分


●情報に踊らされることなく……


  2020年も後半に入り早8月(葉月)。昨年11月に中国湖北省武漢市で感染

が確認された新型コロナウィルス(COVID-19)は、年が明けて世界規模に感染

が拡大。パンデミック(Pandemic)の様相を呈して半年が過ぎた。


  去る3月24日は私の68回目の誕生日でしたが、この日IOC(国際オリンピ

ック委員会)と安倍内閣総理大臣が電話協議を行い、第32回東京オリンピック

の翌2021年への延期を決めている。4月に入ってアメリカ(USA)やイタリ

アを始めとする欧州での感染拡大(感染者100万人突破)とともに、日本でも

感染者急増を受けて4月7日に安倍首相によって7都府県(東京都・神奈川・

千葉・兵庫・福岡各県・大阪府)を対象に緊急事態宣言を発出。同16日には同

宣言の対象を全国に拡大し、5月25日に解除されるまで約1カ月半にわたって

店舗の営業自粛や出社せずに自宅で仕事をこなすリモートワークなどが常態と

なった。


 その後も東京アラート(6月2日)やら東京都知事選挙(7月5日)などを

経て現在に至るわけだが、すでに感染発覚から9ヶ月が過ぎ、その間の出来事

も経緯を記す資料片手に確認しないと思い出せないようになっている。


 世界に目を転じると、もっとも深刻な感染者数と死亡者(率)の多さが深刻

なアメリカや、季節が北半球と反対になるブラジルの同被害の急伸を始め、西

欧やアフリカ、インドなど広範囲にわたって深刻な事態に陥る中、東アジアの

国々における感染者は比較的少なく、とりわけ死亡者数と感染に占める死亡率

の低さが際立っている。


 わが日本においてもそうなのだが、マスメディアの伝える報道は悪しきセン

セーショナリズムに乗り、米国や西欧諸国との相対化をデータに基づいて報じ

ることなく、いたずらに不安を煽ることで「劇場化」に邁進している観があ

る。視聴率を稼ぐ道具として扱っているとさえ思えるTVや客観的なデータで

事態の解析を試みようとしない既存メディアの報道姿勢はどうしたことだろ

う?


 科学的アプローチを怠って、情報を自らの利益のために扱っているとしか思

えない官民揃っての無責任きわまりないお祭騒ぎにも似た状況は、不信を通り

越して呆れる他はない。問題は感染者数の増減ではなく、重症化とその先にあ

る死者数の絶対数であり、それが世界の趨勢に比べて桁が二つも低い(現状で

1000人規模)である事実に触れずに、政府もメディアも不安を煽っているとし

か思えない姿勢でありながら、一喜一憂の如く”皆と一緒ならそれでいい”と

言わんばかりの従順さは何故だろう。素朴な疑問を抱いて不思議はないはずだ

が、市民社会に漂う”考えない従順さ”を強いる圧力は不気味でさえある。


●今回のCOVID-19パンデミック禍は間違いなく時代を変える


 率直に言って、感染症の専門家でもない私らが、断片的な知識の合わせ技で

あれこれ言っても仕方がない。メディアも知っていることと分かっていること

を適切に整理して、科学的なアプローチに徹する必要がある。未知のウィルス

である以上、不明の段階で右往左往しても始まらない。政府の方針をいたずら

に批判するのではなくて、経過を追いながらデータに注目して、問題を特定し

た上で評価する姿勢が必要だろう。この場合は感染者の絶対数ではなく、重症

化率やその結果としての死亡率で判断するのが合理的であるはずだ。


 医療の専門家と緊急事態における経済の専門家の知見を元に、適切な政策を

実行するのが行政の役割であるはずだが、行政官僚機構は基本的に責任を取ら

ない組織運営によって実績を積み上げた集団。いつも書いていることだが無謬

原則(自らは間違いを犯していないことを前提とした)による前例主義は、発

展途上段階ならいざ知らず、成長から成熟期に入った社会に対しては必ずしも

適切とは言えない。


 状況を正確に把握した上でのアップデートがないと変化した社会に対応する

ことが困難なはずだが、過去から現在に至る過程に誤りがないことを前提とし

ているだけに、柔軟な姿勢で臨むことが難しい。選挙で選ばれたわけではない

役人組織は、長い歴史に育まれた伝統に囚われやすく、個人の資質よりも組織

の論理が先に立ちやすい。そこを選良として選ばれた国政代議士がリーダーシ

ップを発揮して変化を促すべきところだが、強固に組織化されたプロフェッシ

ョナルな行政府(官僚機構)に対する政治家に官僚を御する人物がいない。


 おそらく今回のCOVID-19パンデミック禍は、それ以前と以後を明確に分け

時代の分水嶺となるに違いない。日本における感染拡大は、アメリカやブラ

ル、ラテンヨーロッパなど大きな被害をこうむった国々に比べれば遥かに軽

だが、世界がグローバル化して四半世紀。世界経済の停滞はちょうど100年

の20世紀二つ目のディケードに世界を変え、20世紀の本格始動を促した『ス

イン風邪』のパンデミックと世界恐慌から第二次世界大戦に突き進んだ歴史

繰り返しかねない状況にある。


  それまでの蒸気機関中心から内燃機関へとエネルギー革命をともなう変革が

訪れ世界のあり方がガラリと変ったように、時代は大きく変化する予感を抱か

せる。私は今年でちょうど自動車歴50年を数え、根っからの自動車人として内

燃機関を愛し既存のクルマで生涯を閉じたいと考えている者だが、ことによる

とここ数年で大きく時代が動くことになるのかもしれない。


●21世紀を俯瞰すると、日本車の未来は明るい!?


  すでに2020年であることを強く意識する必要がありそうだ。20世紀末に浮上

した資源・エネルギー・安全という、クルマがその誕生以来背負い続けてきた

重い十字架が存続を賭けた問題となって久しい。


  地球温暖化という"ちょっと怪しい"環境問題や、長年に渡って枯渇が喧伝さ

れながら一向にその気配を見せないエネルギー問題、テクノロジーによってか

なり克服が進みつつあるように見える安全問題などは、どうやら危惧されてき

た状況とは異なる方向に動き出したとも言われ始めている。


  これまでの国連による地球総人口推計では21世紀末には地球総人口は100億

人を突破すると見られていたが、どうやら今世紀中頃(2050年)にはそれまでの

人口増加から減少に転じるという説が有力になりつつある。2040~60年の間に

90億人のピークに達した後は減少に転じ、今世紀末には現在の75億人レベルに

戻り、その後は二度と増えることはなく減少を続けるという見方が有力になり

つつある。


  すると、かねてより懸念されていた人口爆発による資源・環境・安全の諸問

題は杞憂に終わり、テクノロジーの進歩にともなう人間の身体機能の補完技術

によって次ぎなる22世紀は自然と(デジタル)テクノロジーが調和した世界にな

る? 未来予測は実際にこの目で確かめないと俄かに信じることはむずかし

い。


 この場合、どうなるかという”アナタまかせ”の予測ではなくて、オマエは

どうしたいのかを述べる”ワタシの希望”を語るほうが建設的な気がする。こ

のところクルマの話題では全自動運転や次世代エネルギー車がホットコーナー

化しつつあるが、地球の総人口が今世紀央で減少サイクルにターンオーバーす

るということになると、はたして酷寒や酷暑の地では物理的な性能としても厳

しく、エネルギー供給のインフラ整備という面でも困難がともなうバッテリー

式電気自動車(BEV)が最有力のリソースになるとは思えない。


 動力性能やパッケージングの面での最適化やミニマイズによって既存の内燃

機関自動車を再定義した方が、リサイクルを前提とする持続可能な開発を目標

とする社会にはむしろ好都合ではないだろうか。世界的な覇権を握りたいアメ

リカ西海岸のTechcompanyの意見は異なるだろうが、限られた資源を有効に使

う日本的な発想は十分に競争力があると思うのだが。


●アウディ100(C3)は136馬力で200km/h超を実現していた。Cd=0.30


  ここで2020年8月の伏木悦郎からの提言を試みようと思う。まず第一に、す

でに1973年の第一次石油危機によって世界の自動車市場から撤退を余儀なくさ

れたアメリカ車と同様の意味で、日本車のヴィンテージイヤー1989年に280馬

力の自主規制を所管の運輸省に呑まされた和製ハイパースポーツに触発される

形で"アウトバーンの論理”を武器に技術的覇権を握ったドイツ車が、ここに

来て立ち行かなくなろうとしている。


 最初の躓きは、2015年にアメリカで発覚した『ディーゼル排ガス不正』にあ

る。火種はさらに遡る1990年代のベルリンの壁崩壊(1989年)にともなう東西

ドイツ再統合と、冷戦構造の終焉がもたらした電磁パルスの恐怖からの開放に

ある。旧東ドイツの復興が手かせ足かせとなる一方で、バブル崩壊後に国内市

場の拡大を諦めた日本車がグローバル化へと踏み出し、主戦場を国内から海外

市場へと大きくシフトした。


 ドイツ本国は日本の自動車市場(約500万台規模)よりもさらに小さい300万

台規模。EUの市場統一によってまずはヨーロッパでの覇権を握り、リスクを

取って早期に市場参入を決断(1984年のフォルクスワーゲン=VW)したこと

で今日の中国における外資系ナンバーワンの地位を得、EU以上に中国市場依

存を高めているが、1990年代はアップデートの真っ最中。1980年代のドイツ車

は質実剛健を地で行った。


 たとえばアウディ100(C3=1982年)などは2.1リットル直5SOHC136馬力

200km/hの巡航を可能にしていた。ボディの空力性能を徹底的に磨いて(Cd値

3.0)低燃費と高速巡航性能を両立させる新機軸は、当時の西ドイツの置かれ

立場を象徴する。翌1983年デビューのメルセデスベンツ190E(W201)も同様

きを放った。Cd値0.33という優れた空力性能を発揮する5ナンバーサイズ

ィに115馬力の2リットル直4を搭載して190km/hに迫る高速巡航性能を実

る。この他にも近く再上陸が予定されているオペルのベクトラでも同様の

のクルマ作りが話題を呼んだ。


  冷戦構造が強固な時代の(西)ドイツ車は、例えばエンジンの燃料供給にして

もフル電子制御化は避けられ、半電子半機械式のボッシュKEジェトロが用いら

れている。ドイツ車が電子制御デバイスに傾倒するのは1990年代の中頃以降。

それは電磁パルスを恐れた結果と見るのが合理的だが、日本車の充実が危機バ

ネとなったのと同時に、高出力・高性能=高速化にジャーマンスリーの全モデ

ルが歩を揃えたのは、日本車のキャッチアップ攻勢を振り切ろうとしたから。

そこにアウトバーンやニュルブルクリンク(北コース)といった環境がブランデ

ィングに効果的だったのは事実で、それが今でも日本の自動車メディアのある

種規範となっている。


  島国日本では、海外の現実に触れる機会は多くない。パスポートの保有率が

先進国としては異例に低い25%というデータが示すように、TVの情報番組に

よる”知っているつもり”が大半で、身を以て分かっている確率は極端に少な

い。それをいいことに自動車メディア/ジャーナリストはドイツ企業の”ジャ

ンケットツアー”に乗ってパブリシティに励む。すでにモータリゼーション元

年(1966年)から半世紀以上過ぎた現在にそれはない。昭和の発展途上段階で

あれば聞けたが、未だに昭和的発想でファンタジーを語る時代錯誤がこの国の

情報空間を歪めている。


●『縮みの文化』の再発見


 コロナ禍の中、少しずつではあるけれどニューモデルの試乗記が誌面やウェ

ブサイトに載るようになってきた。しかし、その語り口は相変わらずの昭和調

に留まっている。語られる高性能は、現実からかけ離れたファンタジックな走

行パターンであり速度領域の世界がほとんど。相変わらずパワフルであること

が評価を高めるポイントだし、レスポンスは鋭いことを良しとする。


 そもそも、世界的な流行だからといって諸手を挙げてSUVとカテゴライズ

される形態のクルマを良しとしたり、ドイツ勢の超高性能かつ高価格のクルマ

との対比でフェイズの異なる日本車を語ることの不条理を一考だにしない。


 日本車は、全生産の8割方を海外市場向けとしている。国内の500万台プラ

スの年間販売台数は、以前として中国・米国に次ぐ世界第三位の市場だが、そ

の内訳は40%近くが軽自動車であり、残る300万台ほどの5割をトヨタが占

め、そのまた残りをその他で分け合っている。この現実にきちんと向き合うこ

となく評価評論を展開することはできないだろう。


 前号でダイハツのニューモデルのタフト(TAFT)を例に軽自動車にアプロー

チしたが、こと走りのパフォーマンスという視点で言えば「軽でいい……では

なくて、軽自動車がいい」と断言できるレベルとクォリティに仕上がってい

る。かつてソニーの『ウォークマン』が世界的ヒットを生んだ"最小限のサイ

ズで最大の価値の創造"というムーブメントは、変化の激しい環境を生き抜い

てきた日本人ならではの自然観に根差しているようだ。


  残念ながら軽自動車は自然環境から生まれた必然の規格ではない。当初は国

民車構想に基づいて最少サイズで一家4人が移動できることを目指し、技術の

進歩とともに順次スケールアップされる過程を踏んだ。


 ホンダN360の登場をライブ感覚で知る。空冷4サイクル2気筒を横置き搭

載するFF2ボックスの新機軸は、水冷2サイクル2気筒のダイハツフェロー

MAXや同3気筒でRRレイアウトのスズキフロンテクーペSSにスバル360

(R2)、少し遅れて三菱ミニカなどといった競合ライバルとの熾烈なパワー

ゲームに晒されながらも”ブーム”の中核を占めた。


 1967年のデビュー当時の軽自動車枠は全長3m、全幅1.3m、排気量360cc以下

という今見るとビックリするほど小さい。全長で400mm、全幅で180mm、

排気量で300ccも増大した現行規格(1998年改正)と比べると32年の歳月を感

じるが、現在はその改正からすでに22年が経過している。


  元々日本には昭和末年(1989年)まで主流をなしていた5ナンバー枠(全長4.7m、

全幅1.7m、排気量2000cc以下)があり、それとの相対関係で軽自動車枠が規定

されてきた経緯がある。衝突安全や排ガス対策強化といった時代の流れととも

に軽自動車枠は緩和の方向となったが、運輸省・通産省・警察庁(公安委員会)

さらには大蔵省といった許認可権を握る所轄官庁という行政官僚機構が互いに

綱引きを演じながら国内市場という狭い島国の枠組みに押し止めている。


●コンパクトSUVは日本オリジン。今は逆輸入状態に他ならない


  軽自動車は、今や税法の枠組みとして存在する国内限定のドメスティックな

商品でしかなく、国内年間販売台数の40%近いシェアを占めている。今世紀に

入って日本車のグローバル化が鮮明となる一方で、現行規格の軽自動車は技術

の進歩の恩恵を受けておよそ国内の交通法規の下では上級の登録車と何ら遜色

ない実力を身に付けてしまった。


  ことにリーマンショック後の過去10年間(2010年代)の一向に改善されないデ

フレ経済下では、半世紀に渡ってほとんど改正されなかった道路交通法規の法

定最高速度にみられるように走りのパフォーマンスにおいて軽自動車が見劣り

することもない。少子高齢化が進む中ユーザーの40%が60歳以上だったり女性

ユーザーが65%を占めるというデータからみても必要十分なモビリティツール

として受け止められていることが分かる。


  そして、そのような人口動態の流れと前例主義の前に社会の変化に伴う制度

のアップデートを怠りがちな行政官僚機構による世界の潮流に後れを取る施策

が合わさって、クルマ離れや移動を楽しむ自動車旅行の衰退トレンドとなって

日本社会全体から活力を奪う結果となっている。


  日本人の多くが世界の国々の現実を身を以て知り、極東の島国で繰り広げら

れている暮らしは必ずしも世界のスタンダードではないと分かれば救いもある

が、パスポート保有率が25%という低率に留まる一方でTVの情報番組が伝え

る世界情勢で”知っているつもり”になっている大多数は疑うことを知らない。


 昨年来の新型コロナ(COVID-19)パンデミック禍によって世界経済はリーマ

ンショックを超えて20世紀初頭の世界恐慌並の混乱が必至といわれている。自

動車販売は軒並み低迷し、窮地に陥る国内外のメーカーも少なくないとされ

る。


  日本の自動車産業は2017年に2900万台を数える世界シェアを記録して以来暫

減傾向が続き、2019年は2780万台まで落ち込んだが、それでも国内販売の4倍

強という一国としては圧倒的といえるグローバル販売シェアを占めている。現

実問題として国内市場は全海外市場での販売台数の20%を下回る規模であり、

国内視点だけで日本の自動車産業を理解しようとすることは本質をまったく見

ないことに等しい。


 はたして現在の日本車に日本の走行環境や自然風土に根差したオリジナリテ

ィはあるだろうか。相も変わらずドイツを始めとする西欧メーカーのキャッチ

アップに没頭し、最大の自由市場アメリカでのマーケティングやブランディン

グの成果を”逆輸入”の形で受け入れている。


 その最たるものがSUV。元来アメリカで圧倒的な存在感を示すピックアッ

プトラック発祥のカテゴリーで、そのアイデアを日本流アレンジで小型SUV

として再構築したものが世界的なブームの発端。過去25年の歴史の中で再び主

力市場のアメリカの価値観で進化の過程を踏み、オリジナルといえるトヨタの

RAV4やホンダCR-Vの初期モデルのスケールから大幅なサイズアップで

現在に至っている。


●やがて整備新幹線などの公共交通機関の需要減で尻すぼみになる?


 日本におけるSUV人気は典型的な逆輸入パターンであり、世界のトレンド

として知っているつもり系のノリでブームの波に乗る安心感を得ているユーザ

ーがほとんどだろうが、公平に見てそれら国際商品化したSUVは過剰性の塊

であり、SDG's(Sastainable Development Goal's=持続可能な開発)が世界

的なテーマとなっている現実からはほど遠い形態という他ない。


  近代発祥の西欧は、これまでの行き掛かりから右肩上がりの成長を諦めるこ

とができず、クルマの評価も高速性能を指標に置いた高性能や快適性のための

大型化や高価格高級路線で優位性をアピールする姿勢を保ち続けている。


  一方でSDG'sを言いながら、相反する多消費型の矛盾を止めることなく上

を見続けている。西欧には日本的な自然観は存在せず、力ずくで押し通すこと

を忘れられない。近代化の価値観を改めないかぎりゴールは遠ざかるばかり。

ウォークマンの経験で強い意志で臨めば世界は変ることを知っているはずなの

だが、失敗のリスクを取って"これが日本流"だと世界にアピールするセンスの

持主が日の目を見ない状況にある。官主導で動く日本社会最大の問題点といえ

るが、今回のCOVID-19パンデミック禍は今まで通りには戻らない変革の予感

ある。


  モビリティはどうなるだろう。COVID-19感染拡大にともなう緊急事態宣言に

よって移動が自粛という形で制限され、通勤通学で朝晩にラッシュアワーを迎

えていた大都市圏の鉄道をはじめとする公共交通機関は軒並みガラガラ状態と

なった。飲食などの店舗の休業も相次ぎ、大企業を中心に通勤しないで自宅で

業務に従事するリモートワークが浸透した。


  密室空間で移動可能なクルマはパーソナルモビリティという本来の魅力が再

認識され、公共交通機関のように時間に合わせる必要のないランダムアクセス

性とともにその価値に対する気づきがあったはずだ。そもそも通信手段の発達

もあって都心のオフィスに通う時間的物理的経済的負担の無駄が認識された高

価は小さくない。生産性についても確認が取れたことも大きい。


  固定費が馬鹿にならない都心に大規模な社屋を持つことがテレワークが可能

な情報通信機器の発達が顕著になった時代にあっているかどうか。ことに大き

な震災が避けられない東京に拠点を構えるリスクは、持続可能な開発を求める

なら仕組みを考え直すきっかけとしても一考の余地がありそうだ。


  第32回東京オリンピックは開催中止となると見るのが自然というものだろ

う。COVID-19パンデミックがなければ同オリンピックは残り一週間を切った

佳境にあり、今見る景色とはまったく異なっていたはずだが、もはやそのこと

を意識して日々の暮らしを送っている人は稀であるに違いない。 


●キックスって、ゴーンロスの後ろめたさがありありではないか?


  ここに来て自粛ムードに覆われていた自動車産業界も少しずつ復旧の兆しが

見え、試乗会などのイベントを通じたリポートも目にするようになった。しか

し、語られるその内容は相変わらずという他ない。多くは私らが駆け出し時分

から試行錯誤で語り継いできた『昭和の試乗記』スタイルであり、語彙を含め

てアップデートされているとは思えない。


  そもそもベースがパブリシティであり、日本メーカー各社が申し合わせたよ

うにクロスオーバー型のSUV押しとなっていることへの疑問の声は聞かれな

い。COVID-19パンデミック禍は世界的な事象であり、海外市場依存度が80%

超える日本の自動車産業にとってはグローバル市場での状況の把握が最優先

れるところだが、従来通りの"試乗インプレッション" の語り口からそうし

状況の中にある現実感は伝わってこない。日本向けの相変わらずのお花畑の

ァンタジーでしかない東京発の情報が、多様な価値観が存在するこの国各地

ニーズに合うものか。


  走りのハードウェアの評価は、一見普遍性のある情報として理解されやすい

が、残念ながら日本中を走り回ってその多様性に富んだ走行環境や気象や地形

にともなう価値観を理解した上での話とは限らない。すでに昭和は平成の30年

を挟んで遠い彼方にある。少なくとも現在の50代半ばまでの現役世代は昭和の

発展途上段階を知ることなく、流儀だけは昭和風の"劣化コピー"であることを

自覚なしに報じている。


  時代の変化が明確になった以上、従来通りの自らのスタンスに情報を合わせ

て経験したこともない昭和の価値判断の真似をしてリポートと称していること

に畏れの感情を抱く必要がある。今週中に日産の新型SUV『キックス』を開

発者と差しで試乗する機会が用意されているが、パブリシティに沿った絶賛に

は身構えて接しようと思っている。日産の窮地は2018年11月19日のC.ゴーン

元会長の逮捕・起訴によって顕在化した。


 私見では日産の5年生存率は限りなくゼロに近いと考えているが、あのスキ

ャンダルが露顕した当時から今もなお口を閉ざしている同業者が、あたかも白

馬の王子のような立ち居振る舞いで窮地の日産の応援団に回っているのだとし

たら、無垢のユーザーや読者に対する背信行為でしかない。そもそも何故ここ

に来てブランニューなのか。日産には欧州でクロスオーバー型SUVのトレン

ドを作ったキャシュカイやジュークといったベストセラーが存在した。


 そのヘリテージを活かすことなく、新たにブランニューで勝負する。潔いと

いえばそうだが、日産はムラーノに始まる都市型クロスオーバーSUVのジャ

ンルでトレンドセッターとして実績を持つ先駆であり、デザインでシェアを手

に入れて市場を創造していた。ここでキックスという過去を清算して出直すと

いった意図が明白な企画を貫いたところに無駄と無理を感じる。


 すべては試乗してから明らかになることだが、乗って走る曲がる止まるのレ

ベルを抽象的に語るパターンしか見て取れない内容にするつもりはない。読者

や視聴者としては従来通りのスタイルの方が馴染みがあるし理解しやすいとい

う価値観を持つかもしれないが、そもそも今までの語り口で知っているつもり

になっていたことの怪しさに気づく必要がある。なにしろ、日本の道路交通法

に定める法定最高速度は依然として100km/hに留まっている。それを上回る速

度域での話をドラマチックに語られても、現実は変わらない。


●軽自動車で足りないのはデザイン的厚み。これに尽きる


  私の意見では、無謬原則とそれに基づく前例主義によって時代に合わせてア

ップデートするリスクを負わずにここまで来た行政官僚機構の怠惰を今こそ追

及すべきだと思う。北は北海道から九州沖縄までという、気候や地形といった

自然環境が別の国といえるほど異なる多様性の宝庫なのに、中央官庁による共

通の法律で選択の余地を与えていない。過疎の鳥取/島根県と過密の東京都を

一律の法律で抑えつけるなんて愚策の極みというほかはない。


 東京に居を構える霞が関の省庁(中央行政官僚機構)が、許認可権を背景に

した既得権益を楯に変化する世界情勢とは無関係の後進性にこの国を追いやっ

ている。今回の感染症拡大でも無為無策や情報の透明性の欠如が露になった

が、選挙で選ばれた訳でもない官僚が、長い歴史の積み重ねを持つ組織の論理

を楯に国民の公僕としての立場を忘れて省益や個人的な損得勘定に走ってい

る。


 国権の最高機関であり国民の代表として選ばれた議員や与党内閣の力不足も

あるが、許認可事業の自動車の場合所管省庁の権限の前にメーカーは積極的に

動けない。メディアの出番はここからあるはずだが、権力の構造を理解してた

だす相手を見ていない。ここから手を付けないと、末端のクルマの現状をいく

ら説いても問題の解決には至らない。


 すでに国内販売に占めるシェアからも明らかなように、日本の現行法に則す

るなら軽自動車が最適解となるのはまず間違いない。趣味や嗜好にこだわれる

経済的な余裕と環境に暮らす人なら話は別だが、こと走りのパフォーマンスで

判断するなら現行の軽自動車は必要かつ十分な資質を備えている。


 しかし忘れてならないのは軽自動車は税制の枠組みで作られた法制度の賜物

で、クルマの理想を追及した結果として生まれたものではない。40%に迫る高

い国内販売シェアを持ち、技術的にも日本の自動車産業の最先端を盛り込む余

地がある。であるなら、税制の枠組みから離れて国際商品に仕立てることこそ

が21世紀のクルマ作りではないだろうか。


 クルマの価値を左右する最大要件のデザインを魅力的にするディメンション

とミニマムサイズのバランスを取り、高い燃費性能と走りのデザインを練り込

んで”小さいけれど魅力的”と言わせるコンパクトカーの理想に迫る。全長は

現在の3.4mから最大で200mm程度、全幅は同じく1.48mから120mm程度まで

拡大して、総重量の大幅な増加を見ることなく排気量は800~1000cc辺りの自

然吸気とする。 


  すでに先日試乗したダイハツタフトでも明らかになったように、DNGA(Daiha

tsu New Gloval Architecture)の採用によって上級の登録車と変わらぬ商品的

魅力を身に付けている。ホンダのNシリーズでも顕著な傾向だが、従来の軽自

動車の概念で作られているのではなく、一般的な登録車を軽自動車の枠組みと

してあるディメンションで形作ったクルマというのが現在の軽自動車の実像と

いっていいだろう。


 リソースがここまで整っていて、しかもSDG'sという大きなテーマにもフ

ルコミットできるという可能性も含めて、法的枠組みにある規格を変えて世界

の評価を受けるべきところではないだろうか。消費燃料を従来の半分にしつつ

新たなデザイン的価値を付与する。新しいスモールカーが魅力的な存在として

世界中で受け入れられるタイミングとして、今ほど条件の整った環境はないと

思う。                                

                                   

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