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2015年2月15日日曜日

御神体 NDロードスターのルーツ

  『御神体』 現在のマツダデザインフィロソフィーは魂動:Soul of Motion。獲物を狙う一瞬のチータの肢体をモチーフにして造形されたオブジェ。これを元にデザインされたオリジナルがShinari(靭しなり)で、CX-5、アテンザ、アクセラ、デミオという一連の最新作にもエッセンスが盛込まれている。


  NDロードスターもこの御神体の要素が随所に見出せる。靭とそっくりといえるディテールが散りばめられている。この御神体は生産部門(工場)の金型製造の匠達が、クレーモデルからデータを取り、金型を起こした逸品で、3Dプリンター製作の樹脂ものも存在する。


マツダは1980年代後半からFEMやCAE、CADを積極的に導入し、ボディ解析やシャシー設計(E型マルチリンクサスなど)力を入れている。この分野のパイオニアで、同業他社も一目置くと言われている。NDのデザイン開発にも相当力を発揮したのではないだろうか。



  今年のNAIAS(北米国際自動車ショー:デトロイト)は、スポーツカーの復権とデトロイト勢(とそれに追いすがろうとする日本勢も注力する)のドル箱ピックアップトラックが注目された。シェール革命で明らかに緩んだという感じ。デトロイト郊外のガソリン価格はガロン2ドルを切った。久々に見る1ドル台のプライス表示に複雑な思いが湧いた。今年は荒れるね。

  マツダはNAIASのお祭騒ぎを避けて(?)年末のLAショーで一花咲
かせていたので、今回のNAIASは音無の構え。MNAOのケルビンを表敬訪問しようと足を運んだけれど空振り。まあそういうこともある、とNDの前を差し掛かったら面白い光景が……男数人がたむろっている中心に見えげんばかりの大男がいて、おもむろにNDの車内に。




  座って大笑い。アタマ完全にはみ出て、トップを上げるとつっかえていた。身長どんだけ? 聞くと「2m!!」 NDロードスターは、NAよりコンパクトに仕上がっているが、キャピンはNAのUS95パーセンタイルに対して95+1ぐらいとのケルビンの説明。でもさすがに2メートルは無理だね。


短期連載 NDロードスターPre-production試乗(2014.12.19)のbefore/after ①

待望のマツダMX-5(日本名ロードスター)を走らせる時が来た。正式発売は2015年6月から。先だって3月20日かは先行予約を受け付けるというニュースがもたらされたが、まだまだ市場に出回るまでには日がある。

   マツダは、Pre-productionモデルという試作段階で国内メディア/ジャーナリストの一部に試乗を許し、年明けの翌1月末にスペイン・バルセロナで欧州メディア向けのロングリードをその右ハンドルモデルを送って敢行した。その意図するところは最終的なセットアップ決定のための情報収集?
 
 いらぬ詮索などしても仕方がないが、まだしばらくはあれこれ語れることが多いようだ。今回走らせてみて、いろんな思いが去来した。初代ユーノス・ロードスター(NA6CE)からNB、NCに至る25年だけでなく、遥か30余年前のSA22Cに始まる僕とマツダ・スポーツカーの関係まで。

  良い機会なので、NDロードスターを軸にあれこれ振り返りつつ、ライトウエイトスポーツカーLWSの未来に迫ってみたい。クルマのインプレッションは詰まるところ走らせた者の自分語り。なるほどだからお前のリポートはこうなるのね……が明らかになれば幸いだ。



■プロローグ 2015年12月19日伊豆サイクルスポーツセンター(CSC)の初試乗


見るだけ座るだけから、乗って走らせる。同じクルマでも場面によって込み上げる思いは微妙に 異なるものだ。随分待たされたからね。

  4代目となるNDロードスターの輪郭が見えたのは2014年4月16日のNYIAS(ニューヨーク国際自動車ショー)プレスデイのことである。

  結果的に正式発売の14ヶ月も前に”裸の中身”を公開する快挙ということになった。何とまあ思い切ったことをと感心するが、KYACTIV CHASSIS NEXT GEN MX-5:次世代ロードスタースカイアクティブシャシーと銘打つベア(裸の)シャシーは、驚くほど情報に溢れていた。

 
  振り返ると、ニューヨークのJACOB.K.JAVITSコンベンションセンターで見た剥き出しのメカニズムが発したオーラがすべての始まりだ。ダウンサイジングの証拠が散りばめられた展示からテスト車の姿が想像できたわけではないが、画期的なクルマになると直観した。

 4穴のロードホイールに細いコイルスプリングの巻数。ドライブトレインの凝縮感と意図を感じるレイアウト。展示ウォールにシュッと書き添えられたスラントノーズの一筆書きがデザインの密度を暗示していた。

『分かる人に伝わればそれでいい』多くを語らず現物で勝負。いかにもエンジニアリング主導メーカーらしいの生真面目さだが、それはマニュファクチャリングフォアデザイン(デザインのためのモノ作り)を世界に表明するマツダの次代に向けてのサインだった。姿はないが、醸し出される雰囲気でデザインのクォリティは伝わった。

 その後のワールドプレミアからの流れは誰もが知る。僕自身国内外各地で飽きるほど見てきた、依然として鮮度が落ちた気がしない。デビューしたその日からみるみる磨滅して行く凡百と違って、NDロードスターはLWS(ライトウエイトスポーツ)という孤高の価値を自ら再定義し、そして掘り下げ続けようとしている。

■そういえば、NA(ユーノス・ロードスター)の時にも事前試乗会があったのだ

  いま僕は、何とも言えぬ既視感を味わっている。2014年12月19日、静岡県伊豆市にあるサイクルスポーツセンターで新型マツダロードスター(ND型)のステアリングを握る。発売の半年前であり、用意されたクルマのレベルは量産のずっと前の段階。プロトタイプ以前のPre-productionであるという。

 あれはたしか1989年の7月だった。強い陽光が降りそそぐ茨城県谷田部町のJARIテストコースでとても熱い体験をした。この年2月の米国シカゴショーに突如現れたオープン2シータースポーツカーの試乗。そこに至る経緯はすでに忘却の彼方だが、吉田槙雄/島崎文治(彼はすでに法政大ラグビー部の監督に就任していたかも)の名物広報コンビからの招集を受けて、当時37歳の僕は燃えていた。

 ユーノス・ロードスター(NA6CE)の出現は唐突だった。WEBもない時代。情報は限られ、よほどの事情通でもニューモデルの詳細を事前に知ることはない。僕自身このロードスターの存在を知ったのはシカゴショーの後だったと思う。

 日本では5チャンネル制の一角ユーノス店の看板モデルとしてユーノス・ロードスターを名乗ることになったが、すでにこの年5月にはマツダMX-5ミアータの名で米国市場で販売が開始されていた。

 当然のことながらマツダ内部では既知の事実だったわけだが、国内販売は9月。メディアで事前にこのクルマの情報を知る者はシカゴショーに足を運んだごく少数(どれだけいたのか知る由もない)に限られたはずだ。現代目線では理解不能なアナログ時代である。

 手前味噌になるが、僕は初代ロードスター(NA6CE)が出現する以前から「クルマはFRにかぎる!」と吼えていた。大袈裟でなく一人吼えていた。

 時代は、1980年代に入って2l 以下の小型車で一気に推進されたFF化の一大潮流下。市場拡大を追求する国内メーカー各社はさらなる可能性を求めて高出力/高性能化にシフトする。日本車に国際競争力をもたらした電子制御化ととにもFFベースの4WDを進め、バブル経済の進展とも重なって日本中がハイテク/高出力高性能に沸いていた頃である。

■40年前に見た原風景と今度のNDロードスター。距離感はそんなに遠くない

 少し脱線させていただく。僕は、FRがあたりまえの1970年に18歳になり、運転免許を取得している。最初のクルマは当時の限られた選択肢では王道ともいえた日産サニー1200クーペGX。それから5年後、さらに狭まる人生の岐路でモーターレーシングの世界に紛れ込むのだが、そこで手にしたのもKB110サニーだった。

 時に23歳。時代は第一次オイルショック直後であり、超難問といわれた日本版マスキー法(昭和53年排ガス規制)への対応で国内メーカーは疲弊し、自動車産業が壊滅の危機に瀕していた最中である。

 今から6年前のリーマンショックに端を発する世界恐慌よりずっと深刻な経済状況下に、庶民の子が本気で明日のF1パイロットを夢見た。将来の展望が開けていたわけでも何でもなく、無知ゆえに成し得た思い切りだった。

 若さは馬鹿さとはいえ振り返り見る我が身は眩しい。自費で戦える余地は限られていて、スポンサーなど期待するほうがどうかしていると思われた時代。プロレーサーの道は閉ざされたが、捨てる神あれば拾う神。縁あって自動車ライターとして生きる道が開いた。

 それまでの実戦経験が身を助け、文章など1行も書いたことのない僕にライター稼業を継続させた。曲がりなりにも36年になる。スティーブ・ジョブスが伝説のスピーチ(スタンフォード大卒業式:2005年6月12日)で語った『点を繋ぐ(Connecting Dots)』のように、自分の頭で考え身をもって行動したことは必ず役に立つ。夢中で進んでいる時は先を読む余裕もないが、振り返るとあの時のあれが今に繋がっている。

■ドリフトの意味に囚われてはいけない。やってみてどうか。答えはそこにある

 FRにこだわり続けるモチベーションはレースの実戦以前に掴んだ。すべては直観が始まりだ。やる前に観る。天才は存在するが、ふつう人間は生まれつき空(から)だ。なりたいと思えるアイドルを見てイメージを取り込み、その像に我が身を合わせるプロセスを踏むことで自分を作らなければならない。オリジナリティは模倣の先に隠れている。

 40年前の富士スピードウェイ。タイヤ痕をアスファルトにくっきり残しながらヘヤピンを駆け抜けるF1を見た。太い右リアタイヤが外へ外へと逃げるのをカウンターステアでグイグイいなし、黒々と美しいラインを描き踊るように300Rへと消えて行った。高まるエキゾーストノートが片時もアクセルを緩めない強い意志を伝え、画像とサウンドが一体となった鮮烈な記憶として目に焼きついた。

 ドライバーはスライドウェイ・ロニー。ドリフト野郎として親しまれたスウェーデンのロニー・ピーターソン。マシンは漆黒に金のJPSロータス72DFV。1974年11月24日、富士グランチャンピオンシリーズ最終戦の合間に敢行されたF1デモランの一コマである。

 翌1975年は筑波サーキット。降りしきる梅雨空の下、名手高橋国光駆るKB110サニーTS仕様のナビシート。雨に光る第二ヘヤピンにアプローチしたかと思うやいなや、重力から解き放たれたように景色が流れた。国さんは、滑るマシンを予期していたようにクルクルと回してアクセルを煽り続け、マシンが直進状態を向く刹那両手をぱっと宙に離し、こちらを向いてにっこり。40年前の日産レーシングスクールを受講して味わった今もなお身体の奥底に残る衝撃の体験だった。

 ドリフトがすべてという『結論』から僕の自動車評論は始まっている。40年前に目の当たりにしたことが次なる実地の体験に発展した。偶然ではなくて、ある方向に歩き出した必然。その後も何度か風が吹いたような気もするが、時流に乗ったという実感を得たことはない。

 誤解が根底にあることは承知の上だが、社会全体が『クルマは操る人間を前提にしたモビリティツール』という哲学に踏み込まず、利益追求のビジネス思考に留まるかぎりは、多数が賛同する意見にはなりにくい。
 何故ならドリフトは自転車のように誰でも身につけることができる科学的な説明が可能な身体感覚上の必然なのだが、感覚的に困難に見えるスキルの問題としてやらずに忌避する大多数と向き合わなければならない。
 自由なモビリティがクルマの最大価値であるのに、リスクを伴う危険性を自らの力で排除する楽しみに与する比率は年々下がっている。自動運転に代表される自由よりも楽を優先するテクノロジーを歓迎するマインドは難敵だ。

 観て楽しく、やって面白く、出来るようになれば確実にドライビングスキルは高められ、限界を知るという境地は安全と危険の概念を身体に取り込むことであり、資源・環境・安全というクルマが抱える根源的な難問を考える上で欠かせない柔らか頭を育む。

 人は身体のパフォーマンスで行動が制限されがちな生き物。それゆえ圧倒的なスピードを実現する乗り物に憧憬の念を寄せるが、僕は300km/hの自動運転よりも100km/hのドリフトダンスに興じる自由を支持したい。さすがに60も超えるとカラダは言うこと聞かなくなるが、身についたスキルが発想を若くする。クルマでアンチエイジングは可能だ。

■"運転していることを忘れさせる"NDのセットアップ。『ひらり感』の必然との相関はあるか?

 26年前のユーノス・ロードスター(NA6CE)の話だった。まさかこんなクルマが現れるとは。ライトウエイトスポーツ(LWS)、1960年代の英国で人気を博した軽量コンパクトなオープン2シーターを再生する。誰もが考えたが、誰もやろうとはしなかった。

 南カリフォルニアの現地子会社の商品企画部門が温めていたプラン。その背景に1978年に日本版マスキー法(昭和53年排ガス規制)をクリアして新たなスポーツカーの世界を切り開き、北米市場を席巻したサバンナRX-7(SA22C)の存在があり、人が絡む物語の伏線がもう一つ流れているのだが、それは後に回すとしよう。

 ことの始まりは1983年頃というから相当息の長い開発だが、今もなお世界のトレンドセッターといえるアメリカ市場の底力、そこをきっちり押さえながら商品価値の高い画期的なクルマを生み出した。それも僕が口を開けば「FR、FR、コンパクトFRしかない」と言っていた何よりも嬉しい駆動レイアウトのスポーツカーである。

 アマチュアレーサーからフリーランスのライター稼業に転じて12年目。ひとかどの経験を積み、クルマはFRにかぎる、ドリフトがすべてと公言していた。筑波サーキットやJARIテストコース(谷田部)に毎週のように取材で訪れていた頃で、当然一家言あった。

 ひとしきり試乗した後で、懇意の立花啓毅実験部次長(当時)に噛みついた。「このセットアップしか考えられなかったんですか?」生意気を画に描いたような一言だが、相手もプロだった。こちらの意気に感じて「ちょっとこっちに来い」取材陣から離れた木陰でノートとペン片手にレクチャーが始まった。

 ライトウエイトスポーツは接地感を出すのが難しい。オープンボディは剛性の確保が容易でなく、当時の技術力(と厳しいコストに縛られた安価設定のコンセプト)では限界が知れている。タイヤはトレッドパターンにクラシックな意匠を施したブリヂストンの185/60R14が標準設定とされたが、実際は175幅ぐらいが適正サイズ。車体に対して勝ち気味なグリップを考えて特注仕立てでトレッド面が狭められていた。

 僕が期待していたFRらしい理想の乗り味は、しっかり位置決めされたリアタイヤを軸に、ロールを抑えながら制動/駆動のメリハリの効いた荷重移動とともに、ステアリングに豊かなインフォメーションを感じる手応えを得ながら、想定ラインに乗せて行く。まあ当時の拙いレベルは呑み込むとして、血気のあまり「そうならない、しないのは何故?」食ってかかるように迫ったわけである。

 LWSはサスを固めるとボディの剛性不足が際立ってしまう。それを避けるためにロールのスピードと深さでバランスを取る。その際のダンパーの減衰特性が重要で……と、グラフ図解入りで説明を受けた覚えがある。それが後に「ひらり感」という形容で語られることになったオリジナルのドライビングスタイルだった。

 今でこそボディ剛性はあたりまえの概念で、その重要性は広く認識されているが、試乗インプレッションなどで評価の言葉遣いとして登場するのはこの頃から。CADやCAE、FEM(有限要素法)などのコンピュータ解析が行なわれるようになって注目されるようになった。マツダはこの分野で国産メーカーとしては最先端を行っていて、現在ではCAEでは同業他社から業界屈指と一目置かれる存在になっている。


つづく

2015年2月4日水曜日

新型マツダロードスター(ND)初試乗:Pre-production model@伊豆CSC



エンバーゴが解けた翌日2015年2月1日にまぐまぐ!メルマガ 伏木悦郎の『クルマの心』に配信した号外を添付します。

NDロードスターの初試乗ということでWEBを中心に情報発信が喧しいですが、今回の試乗は正式発売の半年前(2014年12月16~19日)に行なわれたPre-productionモデルによるもの。同じ仕様(右ハンドル)をスペイン・バルセロナに送って国際試乗会を開いた(先週)関係で、国内における情報発信が制限されるという、奇妙な話になってしまいました。

基本スペックは変更されないと思いますが、セットアップはfixとはいえないと思います。近々プロトタイプの試乗会が予定されているとのことなので、試乗第一報というスタンスが正しいとでしょう。

私のアプローチは、プロトタイプ、正式量産ラインオフモデルとまだ段階を追うレベルという認識です。他者(社)が何をどう書いているかは一切確認していません。すでに専門仕向けにはdriver誌
(2月20日発売の付録)に寄稿済みで、このメルマガ記事以外にも長尺の読み物を現在執筆中。

こちらは本blog、carview !に掲載する予定です。乞ご期待ということで!!


取り急ぎこちらをご一読下さい。


伏木悦郎



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■伏木悦郎のメルマガ 『クルマの心』

2015.2.1 号外


   透明感……初めて第4世代となるNDロードスターのステアリングを握り、30分の持ち時間をテスト車と対話して得た感覚を端的に表現するのは? 自問して探し当てた言葉に納得している。

 試乗日は2014年12月19日午後、快晴。試乗の舞台は伊豆サイクルスポーツセンター・ロードコースである。

●すでに見馴れた姿形、伊豆の現場には不思議な空気感が充満

 すでに目に馴染んだスタイリング。正式な初見は2014年9月4日の舞浜アンフィシアターにおける『マツダロードスターTHANKS DAY in JAPAN』だったが、お盆休み直前にyoutubeに偽装シートを張り巡らせたテスト車のスクープ画像(映像)で大方の察しがついていた。

 それ以前に、4月16日のNYIAS(ニューヨーク国際自動車ショー)のプレスデイに出展された『SKYACTIV CHASSIS NEXT GEN MX-5』(次期ロードスター(ND)のベアシャシー)を目の当たりにして、おおよそのスタイリング、スケール、クルマのコンセプトは掴めていた。

 9月4日以降、全国各地で催されたオーナーミーティングイベントにも展示されたNDの実車ですっかり目に馴染んでいたはずだが、実際にステアリングを握る瞬間は特別だ。

 緊張というのとも違うし、前のめりに勢い込むといのとも違う。すでに何度か収まったことのあるドライバーズシートへのアクセスは、意識してオールクリアあらためて仕切り直しというまっさらな気持ちで臨むことにした。

 エンジン始動。今やあたりまえになったプッシュボタン式だが、これは改めたほうがいいのではないか。いまさら省かれたキーシリンダーを復活しろといわれてもできない相談というかもしれないが、スポーツカーにとってセレモニーの要素は必要だ。

 NAロードスターがこだわった指先一本で動かすドアハンドルのように、『スカせる』アイテムが欲しい。プロポーション、面と線の関係、オーバーハングの切り詰めとランプ類の摺り合わせ……アクセントとなるフロントのショートオーバーハングに、その後ろに流れるウェーヴィなコークボトルラインの基点となるスラント角を与え、これしかないというスペースにLEDライトを押し込んでイメージの伝承と独自の個性を共存させた。

●LWS(ライトウェイトスポーツ)の21世紀的解釈。あと一歩で完璧だと思う!

 デザインは端的に素敵だ。全長3915mm、全幅1730mm、全高1235mm、ホイールベース2315mm。史上最短で、NCより80mm、NBとは40mm、初代NA比でも20mm縮小された。一方でホイールベースはNC比でわずか15mmの短縮で、NA/NBに対しては50㎜の拡大延長となっている。

 サイズアップは幅方向でNA/NB比で+55mm/50mm、NCに対しても10mmの拡幅となっている。前後端の絞り込みは急で、特にリアコーナーの3次曲面構成には明確なダウンサイジングによる軽量化の意図が読み取れる。

 プランビューで見る専有面積の削減はクルマの商品価値の最右翼であるスタイリングの魅力に悪影響を及ぼしかねないが、プロポーションの精査、脳科学的な錯覚の要素を取り入れたトリックアートの手法とも言うべきレイアウトの妙でバランスを保つ。

『身長160cmのスーパーモデル』という山本修弘開発主査が辿り着いた難しいデザインコンセプトに、ショートオーバーハング/ロングノーズ/スモールキャビン+クラシカルなコークボトルラインで応える。中山雅チーフデザイナーのセンスと力量、そのオリジナルプランを再現するハードウエア開発と生産技術の成果は、工芸品としての視点からも高く評価されていい。

 小さいのに存在感がある。遠目には縦横比/プロポーションの関係で堂々たる佇まいに見える。しかし、さあ乗りますか……と身を寄せて行くと、まるでズームイン映像を見ているように実寸のリアリティが迫ってくる。

 類まれな吸引力とブランドアイコンに相応しいオーラ。それらはボディスキンの内に収まる高密度なメカニズム/コンポーネントが醸し出す凝縮感によってもたらされていると思うのだが、ここまでやったら”遊び”のひとつも欲しい。

 NAがやっていた一点豪華主義的なこだわり。あれは、多くの部品を”あり合わせ”で調達しなければならなかった裏返しでもあったのだが、やんちゃを理解してこその大人のスポーツカー。理路整然の真面目もいいけど、いい大人が粋がってスカせるキラリと光る小物、ひとつぐらい欲しいじゃない。

 NDロードスターはもはやテクニックだけではなくてセンスを磨く段階。人間やったことのないものは分からない。経験値の重要性に思いが至っていないところが惜しまれる。

●SAパッケージ? すべてはドライビングポジションのために

 エンジンはSKYACTIV-G 1.5L 直噴ガソリン。最高出力90kw(131ps)/7,000rpm、最大トルク150Nm(15.3kgf-m)/4,800rpm。SKYACTIV-MT 6速マニュアルが組み合わされる。始動時に特段の感慨はない。静かに目覚め、アイドリングへの移行もスムーズだ。

  そのままアクセルを踏み込まずにクラッチを合わせてみる。何も起こらない。ストールしない程度スロットルを開けながら軽~く流してみる。ボディはかっちりしているが、剛性感がビンビン伝わるということもなく、その意味ではことさら意識することはない。

  ゆっくり歩くようなペースのままステアリングを大きく左右に切ってみる。ウェービングの反応はスムーズで軽い。操舵力は思いのほか軽くどこかに引っ掛かりを感じるフリクションも見当たらない。

  触感レベルの第一印象ではステアリングホイールの革巻きはNG。これはハンドリング評価にも繋がるが、乾いた硬質なタッチはラック直動式電動パワーステアリングの軽さと精度をミクロの感覚世界で調整する機能性に問題を残す。レザー表面の張りを緩めるか、厚みを増して柔らかくするか、ウェットな表皮材質を選んで、人間誰しも共有する位相遅れへの対応に留意すべきだ。

 先日マツダの横浜研究所で行なわれたCX-5/アテンザの試乗会で手にしたCX-5に新規採用されたレザー。手の平にしっとりなじみ操安官能評価を大幅に引き上げていた。あれはプレミアム志向を目指す全マツダ車のスタンダードとして、よりプレミアムなモデルについてはさらに上質な素材を選ぶべきと思えるもの。

 この辺は車両開発本部で操安を仕切る虫谷泰典さんの領域だが、現時点でNDロードスターに欠ける”評価の対象となる自我”の創生の糸口になるポイントとして押さえておきたい。

 少しペースを上げながら周回を始めると、不思議な感覚に包まれた。正対する前方視界が狭く感じられるのだ。全幅はたしか1730mm。だが、何と言うか「ナロー」なのだ。どうやら着座位置が関係してるようだ。

 NDは、いわゆるカップルディスタンスを狭め、外側の肩口に余裕が出る位置でシート/ステアリング/ABCペダルをレイアウトしている。限られた全長/ホイールベースの中でエンジンの完全フロントミッドシップ配置を遂行し、それに伴うシフターの後退、シートポジションの後方移動を踏まえて、コンパクトなディメンションに余裕のある居住空間を生み出し、ドライビングの基本となるインターフェイスの最適化を追求している。

 そこには人が乗ったときにスタイリッシュに見えるというデザイン的な狙いも含まれているのだが、投入されたエネルギーは半端ではない。パワートレインやシャシーのダウンサイジングやコンパクト化は軽量化のためだけではなく、限られたスペースの中で最大/最適の居住空間を目指す。かつてホンダがMan-maximum/Mecha-minimumというMM思想を標榜したことがあったが、発想は同じ。エンジンを小型軽量な1.5Lとしたのも、ベースはそこに始まる。

  NYIASで「!」と来たコンパクトなベルハウジングもそう。フロアトンネルを狭小にしてドライビングポジションを得る。ツルンとした形状はこのためだったのかと、ここにきて腑に落ちた。シャシーやアクスルにも徹底されたダウンサイジングは、MMならぬSA(スカイアクティブ)パッケージとでも呼ぶべき因果関係にあるのだった。

●破綻なくまとまっている、まるで運転していることすら忘れるかのように……

 ドライバーズシートでクルマが小さく感じられる。ネガティブな意味ではなくて、コンパクトなLWSらしい手の内に収まる感覚。はっきりした稜線として視野に入るフェンダーの効果もあってノーズの長さを意識することも錯覚を強める一因か。

 これまでモーターショー取材では気にならなかったフロア形状。キャタライザーの逃げが右に設けられているあたりに左ハンドル優位設計かなという思いが過るが、これはまあ歴代共通だ。

 先ほどステアリングホイールの革巻きに触れたが、シフターにも注文がある。シフトフィールの検討から割り出されたと思えるシフトノブ。グリップの大きさ、慣性質量ともに悪くはないが、3本の粗いステッチは要再考だろう。ステアリングタッチとの統一を実現してから個性を追求しても遅くはない。

 ハンドリングは率直に言って捉えどころのない印象だ。誤解のないよう予め断っておくと、前後バランスに乱れが少なく、ヨーの発生もスムーズ。ロールの進行も穏やかで素直なステアリング特性と評価できる。

 ただ、テストフィールドの伊豆サイクルスポーツセンターロードコースは本来自転車競技用で、非常に粒子の細かい滑らかで摩擦抵抗係数μの大きな特殊舗装が敷かれている。試乗ルールとしてはESC解除はNGで、タイヤマークが付くような攻めた走りは御法度だ。限界領域で試したい前後バランスや荷重変化による過渡特性のチェックには向かないし、乗り心地についても厳密には評価できないというのが正しい。

 クルマの走りは詰まるところタイヤの摩擦円の中での出来事だ。リアルに確認できない状況であれこれ断定的に語るのはプロフェッショナルな態度とは言えない。思う存分振り回したい誘惑にかられながら、自制したというのが正直なところなのだ。

 誤解を恐れずに言えば、LWSを含むFRスポーツのすべてはドリフトコントロールにある。ヴィークルダイナミクスの話になると必ず登場するのが、前後荷重バランスは50対50が理想的であるとか、ヨー慣性モーメントの最小化であるとか物理科学の云々かんぬんの話である。

 メカニズムに人間が従うパッシブモビリティなら分かるし、googleが推進する全自動操縦車に未来を託してもいいと考える新しいモノ好きの立場を取るというなら構わないが、僕はあくまでも自分でステアリングを握り、アクセルとブレーキでスピードをコントロールして自由自在に走り回れるクルマにこだわりたい。

  ミスもすれば事故を起こす可能性もある。なるべく失敗しないよう努力はするが、あらゆることに限界があることを知っている。限界を見た上で、知った上で、体感した上で対処する方法を考える。限界が近づいたら遠ざかるのも手だし、敢えてそこに飛び込んでバランスの筋道を見出しそれを楽しむのもありだろう。

  クルマは、人間の身体機能の拡大装置であり、まさにヒトそのものがモビリティという無上の価値を手に入れるtoolである。機能の拡大は時間軸で測られ、スピードが価値をはかる指標になる。その限界は無限大ではなく、走行環境・インフラ・社会ルールによって規制されている。

  理想は無制限だが、現実は長く語られてきたおとぎ話のような評論よりずっと低い速度レンジでいかに楽しむか。今どきドイツのアウトバーンを理想郷の如く吹聴するのは恥知らずのペテン師か現実と未来から目を背ける嘘つきだ。

  ドイツの道路交通環境は依然として蜜の甘さを漂わせているが、グローバルな視点に照らせば世界でも異例な価値観に固執するガラパゴスに過ぎない。時間をお金で買う発想がまだ有効なのが原因かもしれないが、70億の人類が揃って300km/hオーバーのスピードになびける余力はこの地球上に存在しない。いい加減に分かろうぜ。

●この透明感に接して甦った26年前の記憶

 LWSの価値は、マツダが25年にわたって守り続けてきたロードスター(MX-5)の価値は、次の25年に向けて開発された(はずの)NDロードスターの価値は、100年以上の長きに渡って歓びをもたらし続けてくれた内燃機関で走るクルマの魅力を、慣れ親しんだ形のままで登場してくれたことに尽きる。

 エポックメーカーにはそれに相応しい処遇がなされて当然だろう。黴の映えた従来通りの論調で「上を向いて歩いている」場合ではない。ドリフトは限界を超えた世界の出来事だ。タテ/ヨコのグリップを超えてもなおタイヤの摩擦円を使ってクルマをコントロール下に置く。

 そのプロセスを一度身体の中に収めれば、スピードの絶対値に頼らない走りの魅力、価値の創造に思いが至る。やらずに(できずに)四の五の言う自称評論家は星の数だが、彼らの大半は自前の意見を述べないメーカーセールスプロモーションのスピーカーに過ぎない。自力でキャリアアップして自分の言葉で語れ。

 思い出すのは1989年の初夏の候。その年2月のシカゴショーに突如姿を現したユーノスロードスター(NA6CE)の発表前試乗会が今はなき谷田部のJARIで開催された。アマチュアレーサーからフリーランスのライター稼業に転じて12年目、ひとかどの経験を積み、すでにクルマはFRにかぎる、ドリフトがすべてと公言していた37歳の時である。

 当然一家言あって、ひとしきり試乗した後懇意の立花啓毅実験部次長(当時)に噛みついた。「このセットアップしかなかったんですか?」生意気を画に描いたような一言だが、相手もプロ。こちらの意気に感じて「ちょっとこっちにこい」便所の裏……ではなくて、人の群れから外れた木陰でノートとペンを片手にレクチャーしてくれた。

 ライトウエイトスポーツは接地感を出すのが難しい。オープンボディは剛性の確保が容易ではなく、当時の技術力(とコストに縛られた安価設定のコンセプト)では限界が知れている。タイヤはBSの185/60R14が標準だがそれでも車体に対してグリップが勝ち気味で、特注仕立てで接地面が狭められていた。

 当時イメージしていた理想の走りは、しっかり位置決めされたリアタイヤを軸にロールを抑えながら、制動/駆動のメリハリの効いた前後荷重移動とともにステアリングに豊かなインフォメーションを感じながら想定ラインに乗せて行く。まあ当時だから拙いレベルは呑み込むとして、血気の余り「そうならないのは何故?」食ってかかった訳である。

●マツダのスポーツカー作りはきちんと伝承されたのだろうか?

 クルマはライフステージ(生活環)商品であり、世代感覚によってニーズは変化する。体力や経験値によっても異なるが、生涯を通じてスポーツカーとともに暮らせるのはよほどの幸運の持主に限られるだろう。僕の場合、たまたまモーターレーシングに巡り合い、その縁から自動車ジャーナリズムに世界に踏み込んだ。

 60も過ぎて、さすがに往時の勢いは失せたが、NC6CEのセットアップについて疑問を持ち、真摯に教えを請うたことが今に繋がっている。確かエキスパートの解説はダンパーの減衰特性とロールとボディ剛性の関係に及んだのではないかと思う。

 LWSはサスを固めるとボディの剛性不足が際立ってしまうので、ロールのスピードと深さでバランスを取る……確かそんな話をグラフの図解入りで聞いた。それが後に「ひらり感」という形容で語られたオリジナルのドライビングスタイル。今でこそボディ剛性はあたりまえの概念だが、試乗インプレッションに登場するのはCADやCAEが導入されて注目されるようになった1980年代後半からの話である。

 あの頃の血気は今の僕にはない。こちらの下降線とは反対に技術の蓄積によるレベルアップは決定的で、明らかにここは問題と言える不都合をNDロードスターに見出すことは難しくなっている。

 僕とマツダの因縁は浅からずで、1978年9月26歳で未知のライター稼業に飛び込んだ年がSA22CサバンナRX-7がデビューしたタイミング。レーサー上りということで筑波やJARIに毎週のように通うことになり、ナーバスなワットリンクサスの洗礼を受け、その後はJARIでの12時間耐久高速チャレンジやIMSA仕様GT-U試乗、ルマン用727C、実はルマン24時間における初優勝マシンのグッドリッチタイヤのラジアルタイヤを履いたローラT616(C2クラス)など多数のテストリポートを手掛けている。

 SA22Cには心底手を焼いた。それまで文章など一行も書いたことのない若造が少し走れるというだけで職を得て、ここまできた。いろんな意味で記憶が重なるが、そこからずっと付かず離れずの道のりを歩んできた人がいる。彼の存在を知ったのはFC3SサバンナRX-7のトーコントロールハブのエンジニアとして紹介されてから。

 もともとトラックのシャシーが専門のエンジニアで、数奇な縁によってマツダのスポーツカー開発はトラック部門の領域となり、SA22C以降一貫してスポーツカー開発に従事した。貴島孝雄さん(現山口東京理科大教授)と初めて言葉を交わしたのはいつだったか。

 まさかSA22Cから間接的に関係が築かれていたとは思わなかったが、NA8Cの導入の際に物議を醸した『反対声明(ロードスターに1.8Lを搭載するな)』からNB、NCを通じ、定年退職なさった2009年以降の今もなお懇意にさせていただいている。

 これまでの立場が違えば、互いに関心を寄せる『動的感性工学』に関する意見でも必ずしも一致しない。さすがに長く厚いキャリアにはリスペクトの念を抱かずには居れないが、リアサスのトーコントロールには終始同意しかねたし、NA8C以後3代の変遷にも異論があった。

 さすがに今回のNDの難産ぶりを見ていると、継続に心血を注いだ貴島元主査の時代の変化への対応力を評価しない訳には行かないが、25年の歴史によって固められたイメージトータルで見るとやはり貴重な財産ということになりそうだ。

●スタイリング、パッケージング、エンジニアリングに誤りはない。プライドを示せ!

「守るために変える」山本修弘主査は、実に巧みな言葉遣いでブランドの伝承と新たなる一歩に向けた改革に道筋をつけた。公開されたディメンションに、開発目標値として明示された1000kgの車両重量、フロントダブルウィッシュボーン/リアマルチリンク式サスペンション、ラックアンドピニオン電動式パワーステアリング、195/50R16タイヤ。

 凝縮されたスタイリングは、ドアとリアフェンダーにスチールを配し、パンパーを2mmを切る肉厚の樹脂とした他はアルミで覆われる。アルミ比率はNCの4%から9~10%に拡大、590N/mm2の高張力鋼板使用比率を40%に高めることでホワイトボディで40kgの軽量化を実現した。

  パワーウエイトレシオは7.63kg/ps。山本主査以下開発陣がしきりとリミットの7500rpmまできっちり試してと声を上げるだけあって、全開加速を試みた際の迫力、サウンド、スピードの乗りは納得もの。使い切れる雰囲気が先に立つのはボディ/シャシーの剛性感と各部の組み付け加工精度の恩恵か。

 活気に満ちた全開加速モードと好対照を成すパーシャル領域の穏やかな乗り味は、キャラクターを敢えて押さえ込んだようなナチュラル系。ステアリングの手応えよりも精度と軽さのバランスに目を向けたようなセットアップ、日常的な使い勝手にも対応する乗り心地の洗練が、透明感と評したくなった尖りのなさや際立つピークを抑えた味わいに結びついている。

 回した時に活気づいて、普段はさりげなく。メリハリのある仕上がりといえばそうだが、低中速域でのピックアップ、アベレージスピードの高い欧米のドライビングスタイルへの対応を考えると頼りない。MNAO(マツダ・ノースアメリカン・オペレーションズ)のケルビン・ヒライシが危惧した理由が分かる日本的な洗練であり、アメリカ人から見た解り難さ。

 操作をしていることすら忘れる、歩いたり走ったりするような運転感覚。マツダのスタッフの誰かが開発陣が目指した走りの方向性を教えてくれた。個性的な走りのキャラクターの創造はオーナーとなる顧客に委ね、FRならではの素材性、LWSだからこその手の内に収まる走りのバランスの提供に徹する。

 真面目で正しい感じがするが、NDロードスターはマツダのブランドアイコン。クルマ好きの心の琴線に触れる”俺たちはこれ!”という共有できるsomethingが欲しい。

 スポーツカーに正しさを求めるのはちょっとリスキー。諸々承知の上で、それでも得がたい自由な存在として大事にしたい。そのくらい緩くても構わないのではないだろうか。

 今回の試乗車は、試作段階のプリプロダクションモデル。近い将来もうワンステップ上がったプロトタイプのテスト機会を用意しているとか。まだ正式発売まで5ヶ月を残している。セットアップのfixまでにはまだまだ幅がある。

  僕がパワートレイン開発中枢に注文をつけるとするなら、1.5Lは9,000rpm回して150ps、15km/Lを確保。2Lは同じく150psで低中速トルクを太らせて、SKYACTIV-Gならではのダウンスピーディングで20km/L超をターゲットとしたい。排気量を上下のヒエラルキーで見るのではなく、キャラクターの水平分布と捉えることができたら合格だ。

 仕向け地対応などと眠いことを言わないで、テクノロジーの真価で世に問うて欲しい。NDロードスターは再び世界を驚かせる資質を備えた誇るべき日本の一台。きちんと育て上げないでどうするというのだ。

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2014年12月4日木曜日

LAautoshowに見る現金なアメリカ、マジな日本、〇〇なドイツ

初めてロサンゼルスを訪ねてから30年。1980年代はダウンタウンにあたりまえのように宿を取っていたが、ZEV(ゼロエミッションヴィークル=大気清浄法)絡みで取材に出掛けた1995年以降はLAの隣町トーランス界隈を拠点とすることが多くなった。

 今では、カルロス・ゴーンの日産がトーランスの隣のガーデナから生産拠点のあるテネシー州に去り(2006年)、トヨタもヘッドクォーターをテキサス州に移転すると発表した(2014年4月)。アメリカンホンダはトーランスから動く気配はなく、オレンジカウンティの三菱(サイプレス)、マツダ(アーバイン)にも変化は見られないが、様変わりといっていいだろう。

 万物流転、20年も経てば変って当然という気もするが、この20年の移ろいは無常という言葉をあらためて思い知る。

 ポストバブルの1990年代前半、1980年代から長く続いた日米自動車協議が円高基調の高止まりによって輸出自主規制から本格的な現地生産化に転換。時代の変化に対応すべく、LA近郊の日本メーカー現地法人に顔見知りの広報マンが潤滑剤役として出向する時期が数年間存在した。

ちょうどその頃規制緩和の一環としてCS(通信衛星)TVが相次いで開局され、そのひとつから自動車番組のオファーがもたらされた。たまたま目にしたZEV規制に興味を持ち、スポンサーを口説いて出掛けたのが今に繋がるLA詣での始まりだった。 

ZEV法関連では、とりあえず知己の各社広報担当やエンジニアを頼って取材の糸口を広げることにした。デトロイトスリー(当時はまだビッグスリーと言った)にパイプがなかったので、まずは日本語で理解する道を選んだわけだが、もちろん本丸のCARB(カリフォルニア大気資源局)のトップだけは外さずにTVカメラにインタビューを収めた。

 きっかけは新聞のベタ記事だったが、この件で日本から取材に訪れたのはお前が初めてだと日系メーカー担当者にもCARBの関係者からも言われた。今はどうか知らないが、日本の新聞社の取材体制を知る最初の機会だった。

 この手の情報は通信社任せで本紙の記者が自ら足を運ぶのは稀。記者クラブに所属して政府や企業などの情報源からもたらされる発表報道で紙面を埋める。組織の足並みを乱す独断専行は憚られ、特ダネを競うことよりも自社だけが配信漏れとなる特オチを何よりも恐れる。

 一度いすゞがポーランドに設立したエンジン工場を二人の先輩ジャーナリストと新聞の記者クラブメンバーグループとともに同行取材したことがあるが、そこで目の当たりにした横並びの意識、抜け駆けを心底恐れる村人感覚にはほとほと呆れた。3.11震災・原発報道で露顕した記者クラブ報道の実態に、即座に納得したのはそんな経験があったからだ。

 また手前味噌が始まったと言われそうだが、和を乱すことを恐れる余り真実から目を背けることがどれだけ後世に災いを残すかを知れば、俺が俺がという批判ぐらい屁でもない。 
  
LAautoshowの話だった。2005年まではデトロイトNAIASとほとんどかぶる1月中頃の開催と言うこともあって、今世紀からライフワークとして課した国際モーターショー行脚のラインナップに入ることがなかったが、2006年から現在の11月開催に移行し(この年は1月と2回開催)、以来東京(TMS)と重なった昨年以外は欠かさず足を運んでいる。

 俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーがカリフォルニア州知事在任中(2003~2011年)の2007年から始まったグリーンカーオブザイヤーの表彰式で生シュワちゃんを見てからもうこんなに?という感じだが、その間の時代の変化はまさにジェットコースター感覚。

 リーマンショックにGM/クライスラー破綻に東日本大震災に超円高‥‥。初回のグリーンカーオブザイヤー当時はVWもアウディもディーゼル一押しで、ハイブリッドもEVもPHVもFCVも我関せず。ジャーマンスリーが電動化に舵を切ったのはEU委員会のCO2排出120g/km規制案が本気と判明した2008年以降の話である。

 それまでは、トヨタとホンダが最先端を走っていた日本のハイブリッド技術を”使えない”と歯牙にも掛けなかったのに、120g/kmについで95g/kmが現実問題として浮上してからは、まさに手の平返しで『我々も長く研究してきた』と得意のプロパガンダで日本のお株を奪う電動化技術先進国ぶりをアピール。情けないことに自虐史観に染まった日本の自動車メディアは長年に渡る日本メーカーの研究開発を知らぬふりしたジャーマンスリー礼賛に明け暮れている。

 7年前のドイツにはハイブリッドのハの字もなかったことを指摘する者は稀だ。BMWのiシリーズをたったの5年で市販化レベルに持ち上げた技術力はさすがだが、その量産規模とボディ素材のCFRPの調達を日本の素材メーカーに頼っている現実を正当に評価しようとしないのは何故なのだろう。

 それがレギュレーションの自作自演に近いスーパークレジット狙いであり、120g/km規制対応の48Vのマイルドハイブリッドの一斉導入やその次の95g/kmをPHV化で凌ごうというスクラム体制も、純技術論を装って評価するのはなしにしてほしいものである。

  ドイツメーカーのやりたい放題と、その懐柔策に取り込まれっぱなしの我が自動車メディアの体たらくを見るにつけ、こんなんでいいのかなあと膝を折る今日この頃。

  今回のLAショーにおけるマツダの存在感についてはすでに報告している。もう一社、日本メーカーで勢いがあったのはトヨタで、11月18日に東京で正式発表したFCV『MIRAI(ミライ)』をショーフロアのエントランス際にドンッ。

  トヨタブランド以外にもLEXUSのLF-2C(RCのコンバーチブルコンセプト?)とSCIONのiMコンセプト(オーリスベースのホットハッチ)をワールドプレミア。環境最先端から粋なオープンに若年層狙いの現実的なスポーツモデルとそつなく揃える。そのワイドな展開にいつにないやる気を感じた。

  これに敏感に反応したのがVW/AUDIグループ。VWのゴルフ・ヴァリアント(ワゴン)ベースのHYMOTIONは、ミライの正式販売に慌てて対応したとしか思えない急ごしらえ。現在VWグループはカリフォルニアでFCVの実証走行を行なっているが、VWがパサート、AUDIがA7と北米市場での売れ筋で対応している。

 
ゴルフは日本国内で喧伝されているほどには米国市場での存在感はなく、LAでのワールドプレミアは完全にミライ対応。VW自慢のMQB (モジュラー・トランスバース・マトリックス)は当初からFCVのHYMOTIONの搭載を前提に開発されたというが、透視図を見るかぎり商品性はかなり怪しい。

  ワゴンボディでもFCVシステム/コンポーネントが収まっているようには見えず、居住性やユーティリティの面でもコンセプトが成り立つようには思えない。ミライの当て馬という推測はまんざらでもなくて、プレスデイ2日目にはVWブースのどこにもHYMOTIONの存在が認められなかった。

 今回はプレスツアーで初日だけ会場を訪れた日本メディアのグループもあったが、その事実を確認することなく情報を流している可能性がある。チェックしてみてほしい。情報戦はお互いさまだろうが、発表報道に慣れ親しんでいるとまんまと思う壺ということがあり得る。批評の精神ととりあえず疑う姿勢は欠かせないと思う。

  ポルシェにとってカリフォルニアは有力なマーケット。Petree Hallという専用の定席をこれまでとは違ったレイアウトに改め、ここでワールドプレミアするのが恒例化しつつあるGTSモデルのワールドプレミアを行なった。今回は本流の911(991)カレラGTSを持ってきた。GT3、ターボがともにPDK化した今、最強の7速MTモデルがこのGTSということになる。


  メルセデスベンツは独立ブランドとして立ち上げ失敗に終わったマイバッハをメルセデスベンツSクラスのデリバティブ(派生系)として再興する道を選んだ。リアドアとCピラー回りを中心に意匠を専用デザインとしたかなり本格的な6ライト仕立て。先だって発表されたPHVや後に追加予定のプルマンと合わせて6バリエーションを用意する布陣が着々と完成に近づいている。


  これにパリでワールドプレミアなったSLS AMGの後継モデルAMG GTと同じ心臓が埋め込まれたAMG C63をドンッ、ドンッ。エコを睨みつつ、シェール革命で緩んだ消費者マインドに直球勝負を挑む、グローバルとは少し異なるマーケットの特性に合わせたセンスが目を引いた。いろんな意味で狡猾なドイツといったところだろうか。

  で、肝心のデトロイトスリーはどうかというと、完全に世界の潮流とは離れた独自の世界観に戻りつつあるのでは? GMキャディラック以外のFORD、CRYSLERのプレスカンファレンスに立ち会うことはできなかったが、ブースのメインに存在感をアピールするモデルの顔ぶれに思わず唸った。

  今回LAに入ってまず目についたのがガソリンスタンドの料金表示。レギュラーガソリンが1ガロン(役3.8ℓ)/3ドル近辺と、年初に比べると50セントの大幅下落となっている。最安値では3ドルを切るGSも見かけた。

  こうなると路上の景色が一変するのはこれまで何度も見てきた現実だ。カリフォルニアは全米の中でも特殊な市場だといわれるが、比較的ガソリン価格が高くモビリティのクルマ依存が圧倒的な土地柄を反映してガソリン価格に敏感に路上を行くクルマのサイズやカテゴリーが変化する。複数保有が一般的な市場動向も関係するが、4ドル超えをした時などは本当に路上からSUVやピックアップトラックが姿を消した。

   LAautoshow初日朝一のアウディに続いたCadillacのプレカンはインパクトがあった。ステージ上で仕切るのはヨハン・ダ・ネイスン。7月にインフィニティのトップからGMの上級副社長兼キャディラック部門社長に転じた。4月の北京ショーで自らが開発を主導したQ50 Eau Rougeについての僕の質問に笑顔で応えていたその人が、もう何年も前からキャディラックで仕事をしているといった態で滔々とスピーチをこなしている。さすがは経営のプロ、凄いもんだと思った。
   そこで紹介されていたのがATS-V。3.6ℓV6ツインターボで455hp、61.5kgmのパワートルクはEau Rougeの568hp、61.2kgmに及ばないが、0→60mph3.9秒、最高速299km/hはほぼ同等。熱く語っていたオールージュからさっとATS-Vに切り換えて悪びれない。日本人でこれをやったら大顰蹙だろうが、これくらいのプロじゃないとブランド競争時代を勝ちぬくのは難しいのかもしれない。

  フォードブースを覗くと、ニューヨークNYIASでは50周記念として1964年のワールドフェア(ニューヨーク万博)の際にエンパイヤーステートビル屋上にも飾られたマスタングが新旧シェルビー350GTともどもドォ~んと一角を占めていた。

  クライスラーでも300Cとダッジ・チャレンジャー、チャージャー、ヴァイパーが往年の勢いを取り戻したかのように存在感を誇示し、合わせてGM、フォード、ダッジのピックアップトラック群もいつに増して明るく親しめるポジョンに展示されている。

  シェール革命による先行きの見通しの明るさゆえか、現実的なガソリン価格下落を敏感に感じ取った上でのアピールなのか。そんな詮索などどうでもいいかと思えるようなあっけらかんとした雰囲気。リーマンショックのかなり前、ミレニアムのITバブルに湧いた頃を彷彿とさせる明るさ。現金といえばそうだし、国際感覚の欠如というのも間違いではないが、そんなことお構いなしの底抜け感が正直を感じられて清々しい。

  現場を踏まないとこの感覚は分からない。人は必ずしも本音で語ってくれるわけではないし、肝心なことは隠されるのがビジネス界の常識でもあるが、隠そうとしても滲み出てしまう本音というものもまた人間の行いについて回る。エコの時代にそれはどうなのよ? それはそうなんだけど、アメリカらしいあっけらかんとした現金な変わり身は、理屈抜きに楽しそうに見えてしまうのだ。

















2014年12月2日火曜日

多分、初公開? NDロードスター北米仕様2ℓエンジンの横顔

  LA autoshowプレスデイ前日(11月18日火曜日)の夕刻、マツダはハリウッドの Raleigh Studiosでレセプション(懇親会)を開催。そこで翌日のワールドプレミアに先駆けてCX-3とNDロードスター北米モデルを招待された内外のプレス(2~300人規模)に公開した。

  小飼雅道社長以下主だった役員、開発責任者が列席するかなり大掛かりなイベントで、日本人プレスを含むグローバルなプレス対応ということでは知るかぎりマツダ初の試み。少なくともアメリカにおいてはそうで、SKYACITV TECHNOLOGYと魂動(SOUL OF MOTION)デザインによるブランド戦略の成果が明確に表れたことを強く印象づけた。

  CX-3は、SKYACTIVと魂動デザインによる新世代マツダの第5弾。NDロードスターの前に登場するマツダ2=デミオ派生のSUV仕立て。見た目としてはスカイアクティブ初号機となったCX--5の弟分といった感じだが、開発陣の思いはSUVというよりもSUV風味のコンパクトクーペ。ホイールベースを始めプラットフォームはデミオと共通だが、より自由度を高めたデザインにより約100kgの重量増を見ている。

  デザイン的には、Cピラーをブラックアウトすることでフローティングルーフ調の堅苦しさを排除しながら後端を下げる軽快なクーペルックを志向。魂動デザインの共通言語となっている大型グリルと動きのあるキャラクターラインでブランドとしての統一感を演出するが、いわゆるクロスオーバーSUVのラインは狙っていないという。

  リアシートの居住性やリーティリティスペースにはさほどこだわらない、まだ子供が小さい30代のファミリー層をメインターゲットと想定した、日産JUKEやホンダヴェゼル辺りと競合するゾーン。当初からマツダ2(デミオ)のデリバティブは企画されていたというが、具体化したのはCX-5の成功が見えた2012年中頃。そこから約18ヶ月でデザインフィックスから開発完了を迎えたという。

  デザインは完全に広島本社のデザイン部門のオリジナルで、グローバルな展開が優先されるCX-5からマツダ6、3、2とは根本から異なると松田陽一チーフデザイナーは胸を張る。

  第一印象はAピラーからCピラーまでの限られた寸法内にゴチャッとキャラクター要素が詰まりすぎる感じがして煩雑なやり過ぎ感が先に立った。その辺を率直に前田育男デザイン本部長に告げると、なかなか上手にプレゼンテーションを仕切り、リハーサルを含めてフラフラだと嘆く彼に「今の(消耗した) 俺にそれを言う?」真顔でしかられてしまった。

  このCX-3、100kgの重量増に対応して、マツダ2(デミオ)とは異なるエンジンラインナップを用意。日本向けは1.5ℓのSKYACTIV-Dが専用設定で、FF/4WD、6速MT/ATの組み合わせ。海外向けには、2ℓのSKYACTIV-Gと1.5ℓディーゼルが市場特性に応じて使い分けられたり併売されたりする。

   見慣れて来ると、最初の違和感も薄れ、濃いめの最新マツダキャラはこのくらい主張していてもいいか‥‥都ポジティブに受け止められるようになった。

   NDロードスターは、最多需要地のアメリカで初のモーターショーデビューを飾った。すでに4月のニューヨークNYIASでのベアシャシー展示から、オーナーズミーティングなどのファンイベント、9月4日の世界3拠点同時のワールドプレミア、そしてパリ、LAという国際モーターショー出展と、独自の展開を続けてきたが、今回は正式に北米仕様NDのエンジンは2ℓのスカイアクティブ-Gとなることがアナウンスされた。

  この情報については、すでにパリの段階で確認済みで、「1.5ℓだけとはひと言も言っていない」と山本修弘主査の口から聞いて「えっ?」となったが、「パリでは、欧州向けには1.5ℓと2ℓがあると言ったが(2ℓは非公式に認めただけだったはずだが)、日本仕様がどうなるかは何も言っていない」と頑なだった。

  「ロードスターのファンクラブの人々と正式発表に至るプロセスで交流を重
ねて来たけれど、お客さんからはひと言も排気量について聞かれたことはない」21年前に『反対声明』と銘打った1.6ℓから1.8ℓへのスケールアップに異を唱えた僕なので、拘りを持っていると思われても仕方がないが、そこを興味本位に問題化していると思われるのは心外だ。

  原点回帰やスペックに頼らないライトウエイトスポーツの魅力の再発掘をテーマにしたという4代目ロードスターだからこそ、キャパシティは重要なコンセプトのど真ん中に来るポイントになる。

  2ℓが存在すると聞いて、僕はそれはまあ当然のことだろうな、と思った。21年前の僕は今ほどには視野が広くはなく、国内目線だけの理想主義的発想から"反対声明"を書いていた。マツダMX-5ロードスターは言うまでもなく日本国内よりも海外に数多いファンが存在するグローバル商品だ。

  NA~NB~NCの流れが海外、それも最大マーケットの米国を中心に定められ、ビジネスとしての継続を考えて変遷を遂げたという事実は、当時のマツダの経営状況や技術レベルを考えると必然だった。理想だけではスポーツカーは作れない。どれだけ上手に妥協するかが腕の見せ所。平井敏彦初代主査は独自の哲学でロードスターを世に送り出した。

  受け継いだ貴島孝雄前主査の「とにかく継続させることがすべて」という姿勢も今となっては強く同意できる。僕は批評してより良きを求める立場として言いたいことを言わせてもらったが、NDの登場で無駄ではなかったと振り返ることができている。

  今度のロードスターは、一度挫折した後に「どうあるべきか?」を考え抜いた結果として行き着いた。2008年9月15日のリーマンショック。この日を境に、世界は恐慌状態に陥り、すべての自動車メーカーは深刻な事態に直面した。マツダは4期連続の赤字という危機に瀕し、サバイバルのために考案されたSKYACTIVのオリジナルプランに基づく身の丈にあった戦略に舵を切り、その中からロードスターもコンセプトから「御破算で願いまして‥‥」となった。

  そのプロセスに関わる重要な経緯を今回LAで掴んできた。北米の開発拠点MNAOのキーマンへのインタビューによって、ここまでの風変わりなNDロードスターの登場の仕方の理由が解けた。グローバルプロダクトの妙味というか難しさを改めて知った。NDロードスターは、まだ正式発表まで数ヶ月を残している。精度の高い情報がもたらされるのは年明け以降になるはずだが、今回のLAautoshowでは北米仕様のボンネット内を撮影することに成功している。横からのアングルはあまりないと思うので、このD/J動遊倶楽部blogをご覧の皆さんだけにご覧いただこうと思います。



  できれば、まぐまぐ!の有料メルマガ、伏木悦郎の『クルマの心』の定期購読をしていただいて、企業よりにならないフリーランスならではの視点で取材が可能になるサポートをお願いしたい。

http://www.mag2.com/m/0001538851.html

 FACEBOOKやtwitter、youtubeなどのSNSとの連動ももう一遍再構築して、企業サイドに偏らない多様な価値観に耐え得るメディアを目指したいと思っています。どうかご協力のほどを!!





Starting over.希望はあるか?

  まだ、エネルギーは十分残っている。落ち込んだ気分が見通しを暗くしているが、深刻に事態を悲観する時は過ぎ"なるようにしかならない"という境地に辿り着きつつある。年齢は62歳と8ヶ月。自分でもそんな歳になるなんて思いも寄らなかったところに、何のことはなくへらへらと佇んでいる感じ。あちこちガタが来て、耄碌が進んだ実感は否定できないが、気持ちとしては余り変わったような気がしない。

  もう少しジタバタしてみよう。先のことは分からない。計画立てて堅実に慎重に……でやって来れば苦労はなかったかもしれないが、こうなったのも自分ならではだろう。反省はしない、というよりできない。ひたすら後悔しながら、あたふたと一日一日を乗り越えて行くばかりだ。この期に及んで、すべてを白紙に戻してやり直しでは、これまでの自分が行き場を失う。

  大事なことさえ置き去りにしてきた自分を俺は恨まないけれど♪、永ちゃんが『もうひとりの俺』で歌うフレーズが今のお気に入りだ。男は敷居を跨げば7人の敵ありという。人が良すぎるというか、世事に疎いというか、長くgoing my wayでやって来たので気にも留めなかったが、気がついたら味方はほとんどいなくなっていた。

  基本的に徒党を組んだりつるんだりするのが苦手。無理して人に合わせるくらいなら、一匹狼のほうが性に合う。50になるまではそれで問題はなかった。もともとが文才があってこの仕事についたわけではないので、山あり谷ありのジェットコースターの波瀾万丈だったが、運の良さでなんとかかんとかやってこれた。

  しかし、年上より年下が多数派となる年代になると取り扱いが難しくなるようだ。こちらは相変わらずの気軽さで特段身構えているわけではないのに、キャリアが存在感を重くして取っつきにくくなるらしい。意見は人それぞれで異なってあたりまえ。基本的な考え方から持論を曲げず、言いたいことを言う。その態度が問題だったと気がついたのは最近のことである。

  何処かで利いた風なことを自分の意見の如く吐き、皆と同じ意見であることで安心する。多数派に属することが処世であり、尖った持論などもってのほか。自動車メディアで文筆を振るう者がどれくらいいるのか見当もつかないか、破天荒に際立った面白い論を吐く者のいかに少ないことか。

  ひとつの意見で事足りるなら、そんなに多くの人材など不要だろう。人の数だけある意見を持ち寄って丁々発止とやり合う中から生まれるのが勢いのあるジャーナリズムであり、多くの人々が求めるエンターテイメントの醍醐味だろう。自動車メーカーが発するプレスリリースに沿った考え方を上から下に流すだけの発表報道は、批評や評価を生業とする情報発信者の仕事ではなく、それは単なる広報活動の下請けだ。

  クルマはまだまだ面白い。このところ筆力が鈍り、このブログ『DRIVING JOURNAL』も長期にわたって開店休業が続いてしまった。carviewのスペシャルblogも滞りがちだが、こちらはもう少し複雑な事情があって、同じ場所に名を連ねている屑のような同業の、あられもない企業べったりの卑しい
態度に辟易としているから。まあ、やられっ放しでは面白くないので、少しは反撃態勢に入った方がいい。そんなこんなの再起である。

  落ちるところまで落ちたどん底から這い上がる。体力的には厳しいし、メンタルも相当痛んでいるから調子が出るまでにはしばらく掛かりそうだが、旅を続ける気力とエネルギーには事足りぬことはない。今年2014年もデトロイトNAIASに始まって、ジュネーブ、 ニューヨークNYIAS/北京、パリ・モンディアル・ドゥ・ロトモビル、LAautoshowと6つの国際モーターショーをカバーした。

  ネタに事欠かないのに、書く気力が萎えていた。甘えていた? 結果的にはそういうことになるが、様々な重圧に身動きがとれなくなっていたというのが正直なところだ。さすがに後がなくなると開き直らざるを得ない。

  FACEBOOKやtwitterでは何とか発信を繋いできたが、本家ブログを中心に有料メルマガやyoutubeを含むSNSとの連動からフリーランスライターとしてのサバイバルを模索する。

  数年前に決めた方針が勢いを失ったのは……もういい、過ぎたことだ。前を向いて進めるところまで行くばかりである。

  ということで、最近の気になった、気に入った写真を3点貼ります。

 

  まずはdriver11月20日号に掲載されたトヨタFCV『ミライ』のリポートで見開きで大きく使われたこの写真から。黒のMIRAIと僕。178㎝の身長との対比で分かる意外な背の高さ。

そうと感じさせないデザイン部門のトリックアートのセンスを活かしたスタイリング。走りの個性、完成度と合わせて非常に今後が楽しみなクルマ。余裕があれば即購入したい一台です。


  LAautoshowでworld premiereされたマツダCX-3。デミオ(マツダ2)のデリバティブ=派生系で、当初から企画されていたモデルということですが、開発着手はCX-5の成功が確認できた2年前。

デザインは、グローバルな展開をみせるマツダ2=デミオと違って100%広島本社が担当。デミオより約100kg重量増となることから、エンジンはガソリンが2ℓとデミオでも好評な1.5ℓディーゼルの2本立て。日本市場向けはディーゼル専用と割り切った。

気持ちは分かるが、ここは2ℓのスカイアクティブ-Gもラインナップさせて、SKYACTIV       TECHNOLOGY発表当初アピールしたダウンスピーディング(排気量を下げてターボでバランスをとるダウンサイジングに対して、トルクの充実による回転数抑制とドライブトレインの組み合わせで高効率を目指す)を世に知らしめる恰好の材料だったはずなのだが。

 
 そしてNDロードスター。北米向けには2ℓ直4が与えられることが公式にアナウンスされたが、実は日本向け仕様については「まだひと言も言っていない」。「えっ?」という感じだが、山本修弘主査は頑なだった。写真は日本向けの右ハンドル。

2ℓの北米仕様のボンネット内は撮影が許されたが、こちらはNG。微妙な情報コントロールが却って混乱を招きかねない。オープンカーはオープンに。これでやってほしいもの。
 
  それはともかく、この白に見えるボディカラー、実はセラミック系の灰色ということで正式名称は明らかにされなかったが、光線の具合によっては渋いグレーの表情を見せるとか。赤もいいけど、僕の一押しはこれです。

2014年1月3日金曜日

何だ、そうゆうことだったのか!

腑に落ちた。どうあがいても、一向に浮上する気配すら感じられない。そんな思いで耐える日々。思い起こせば、20年前にも同じようなことがあった……そのことに気づかされたのは、家人にせっ突かれて訪れた秦野の出雲大社相模分祠で何気なく目に留まった看板を見て。

厄年? 実は昨年もこの分祠に詣でているのだが、件の看板は目に入らなかった。だから今回が初見という感想なのだが、そこに記された該当年齢の表(僕の昭和27年は今年は当然消えている)を目の当たりにしてしばし唸ってしまった。縁起を担ぐほうではないと思うが、経験的に厄年はあり得ると理解している。

男の大厄の際には初めて内蔵にメスを入れる外科手術を受けたし、ポストバブルの90年代前半はここ数年とよく似た困窮の時代を味わった。僕は、自分でも何故?と思うほど頑ななまでに持論を曲げることがない。時代に合わせて軽妙に立場を変えられる人を羨ましく思うこともあるが、たとえ彼が編集長であろうが大企業の役員であろうが、意見を曲げてまでお追従をする気にはなれない。

結果として不遇を得ることが分かっていても、なかなかあらためることができない。それが本ブログのタイトル『からだとクルマ』の枕に掲げられた”孤立を恐れず、孤高に陥らず”という、ふつうの人なら(そんなこと書かなきゃいいのに)と眉をひそめる思いの丈にも表れている、と思う。

可愛げのない性格だと我ながら思うが、簡単に変えられるようなら今の心境に至ることなどない。あまりど好かれない”偉そうな”キャラだと我ながら思わないでもないが、間違ったことをしているという実感は本人にはまるでない。それが俺の個性だと客観的に認めるほかはないようだ。

なんだかちょっとオカルトめいた話だが、僕は神秘主義者でもなければ占い好きでもない。ただ、一晩寝ただけの年明けの朝になんだか清々しい気分を感じ、元日、二日と例の恩田川ウォーキングでポンポンと俳句(のようなもの)が浮かんだりした。根拠のない自信がムクムクと湧き上る感じがして、何か良いなあ…と思っていたところへ、この看板である。

都合のいいことはそのまま真に受けて、今年はいいぞ!!と思い込むことにしようと言い聞かせる今日この頃なのだった。

まあ拙い句ですが、FACEBOOKに書いた昨日と今日の木悦(bokuetsu=ぼくえつと読むまあ雅号です)の俳句をば!


元日
あるきぞめ こころはかるく おんだがわ                歩き初め 心は軽く 恩田川

二日

はつはるに みずそらあおく おんだがわ               初春に 水宙蒼く 恩田川