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2012年5月20日日曜日

300㎞/hの本質


現在、300㎞/hオーバーの市販車は世界にどれほど存在するか。一度正確に把握しないといけません。10の桁であることは間違いありません。もっとも、それらのクルマたちが、自由にスピードを謳歌できるかというと、話はそんなに簡単ではありません。速度に対応したレーシングコースやテストコースや高規格な高速道路で、他の交通が走行の妨げにならないという条件をクリアした上で、天候や諸々のコンディションに問題がないという時にのみ可能な話です。

あるメーカーのスーパースポーツ開発責任者は、300を鼻唄まじり、隣のシートの同乗者と話をしながらとプロダクトの優秀性を語っておられますが、300km/hはそういう緊張感のない世界ではありません。

今から30年ほど前、日本版マスキー法克服の目処が立ち、再び高度成長期のパワー競争に人々の関心が移り出した1980年代初頭のことです。当時茨城県谷田部町(現つくば市)にあった日本自動車研究所(JARI)のテストコース(5.5㎞の高速周回路と総合試験路)は、市販車の性能を実地に検証する場として盛んに利用されました。

その時代の流れの一環として最高速トライアルがブームの兆しを見せていたわけです。いわゆるチューニングカーによるスピードトライアルで、それをメイン企画とする専門誌もいくつか登場していました。まだ駆け出しで、食うためなら何でも……という感じで関わったのが1983年頃でしょうか。RE雨宮やトラストなどのチューニングショップが自社製作のマシンを持ち寄り、雑誌がテストして誌面に記事化する。そのテスターとライターをやってました。

83年当時の最高だった雨宮RE・SA22ターボの記録はたしか288㎞/h。油温計の針がまるでタコメーターのように急上昇するツワモノは、計測地点からの逆算で加速開始ポイントを探る必要のある刺激的な一台として記憶に残っています。トラストのセリカXXツインターボも忘れられませんね。

当時はまだ運輸省が60タイヤを認可していない時代。200㎞/hオーバーに耐えられるタイヤといえばピレリP7が最右翼ですが、当時はまだVR規格(240㎞/h)どまりだったかと思います。それで274㎞/hを計測したXXを走らせた。

設計速度190㎞/hのJARI高速周回路のバンクで速度を高く保持するにはステアリングを左に切る必要があり、ダウンフォースを得る空力も手伝ってストレスが右前輪に集中しました。結果が内部構造破壊によるバーストです。当時は用心のために計測地点を過ぎると即アクセルを戻し、異常に対応することを自ら課していました。

軽くブレーキに足を乗せると、グラッ。あちゃ~であります。そのままバンク上方には向かわず身構えていると、ボンッと鈍い音の後テールが巻き込み、後ろ向きのままバンク上方まで流されました。幸いガードレールにタッチすることなく下りて来ることができてセーフ。「あの、この車、ターボなんで、エンジン急に止めないでくださいッ」駆けつけた若いメカニックの言葉は今も耳に残っている。そういう事態じゃないだろう。バンクに残ったブラックマークを見上げながら、苦笑する他なかったなあ。

その後、チューニングカーの最高速トライアルは過激化の一途を辿り、さすがにこれは厳しいかな…と。オプション誌の大ちゃん(稲田大二郎さん)はこの道で活路を開き、やがてボンネビルまで足を伸ばす筋金入りとなった訳ですが、僕はまだサーキットのモーターレーシングに未練があったので手を引き、85年のグループCマシン一気乗りに向かいました。85年のFSWでスピードガンを用いて計測したた296㎞/hが客観的なデータとして残っている僕の最高値ということになります。マシンは日産LM03C 。シケインのない時代のデータです。

この時初めて視界の両側から色彩が失われる経験をしました。あまりの加速の鋭さに、視野が狭まり色を認識することができなくなる。訓練で動体視力を鍛えることは可能ですが、秒速83mの世界への対応は人類に平等で、明確に生理限界は存在します。JARIの高速トライアルやクループCマシンのテスト、さらにはドイツアウトバーンでも経験していることですが、大体250㎞/hを境に何度経験しても身体の芯からザワザワと湧き上がる心地悪さ、得体の知れない恐怖感のようなものに包まれる。

あれは何なのだろう。気になって少し調べたことがあります。視覚から入った情報が脳に入り、処理された後に身体の筋肉などが刺激されて何らかの行動が生まれる。そういうことだろうと当てずっぽうで脳とか神経伝達のメカニズムとかに首を突っ込むと、神経伝達速度に関係する神経には有髄・無髄という鞘が有る無しのものがあり、その最速が有髄神経系の70~120m/sなんていう話に行き着いたりしました。

まあ、完全にオヤジの酒飲み話の域を出ませんが、人間の生理に密接に関係しているのは間違いなく、たとえばドイツのアウトバーンでは250㎞/hを一応のリミットとする紳士協定があったりする。秒速にすると70m/s。そこには何らかの相関がある。随分前に調べて頭に入ったつもりの話ですが、今では少し曖昧になってしまいました。そういえばそうだった。かつていろいろ深く考えたり調べたことが、実は今直面している諸問題を解きほぐす糸口になる。何かそんな気がします。

300㎞/hのカタルシスはなかなかのものですが、経験できる圧倒的少数と頭だけで分かった気になっている大多数による曖昧模糊とした状態が、クルマで本来語られるべきリアリティから遠ざけている。遅いけれど楽しいとか、日常的な速度感覚でもスポーティであるとか、安全ディバイスにみられるようてマッチポンプではない身体が自発的に機能するクルマの性能のあり方こそがこれからの技術テーマなのではないか。今までどおりとは少し違うところに、答はあるように思うのです。

300㎞/h超の世界は面白いので、さらに追求してみたいと思います。


1 件のコメント:

  1. 私もいろいろな速度を経験しています、が、
    公道では残念ながら300km/hには至っていません。
    260km/h辺りが限界でしょうか。
    でも、
    息子は親より先に300km/hを経験しているようです。

    公道での300km/h、
    それなりの価値はある、と感じます。

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