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2011年9月20日火曜日

ステアリング一枚革巻きの”心”


人間の身体で、その機能が失われるとクルマの運転が不可能になる器官は何だろう? 

唐突な質問ですが、答えはあきらかに「眼」でしょう。視力なしに自動車を走らせることはできません。目からもたらされる情報はそれほど重要で、量的にも圧倒的なものがあると思います。

他では補えない視覚情報は、間違いなくドライビングを可能にする前提条件。目で見える事物からより多くの情報を把握し、それを的確に判断、処理する能力があるかどうか。

それらは多分に才能の範疇ですが、経験や知識によってもドライビングの質やスキルの水準は異なってきます。

我々は経験的にそのことを学んでいますが、クルマを運転する上で『情報』はまさに欠くことのできない重要なファクターとなっている。

では、眼の次に多くのドライビングに関わる情報を得る身体のパートはどこ? いろいろな意見がありそうですが、僕の考えるところでは「手」、ステアリングを握るハンドです。

ここで少し脱線します。クルマは、人とメカニズムが一体となることで動くことが可能になる。いわゆるマン-マシン・システムです。しかし、クルマとして走るにはそれだけでは十分とはいえません。生成りのマン-マシン・システムは、人間のエゴがメカニズムのパワースーツを着ることによって強化されたような存在ですから、そのままでは社会の混乱を招く厄介者になる可能性が高い。

道路などの走るためのインフラや法整備をはじめとするソフトウェア(要するに走る場=フィールド)が整わないと、自由なパーソナルモビリティというクルマの根源的な魅力を手にすることはできない。

クルマは、ヒトとクルマとフィールドが重なり合うマン-マシン-フィールドの”三重のシステム”と捉えることで、初めて現実感のある存在になる。この視点は、常にクルマ好きであろうとするなら、片時も忘れてはならない基本認識だと思います。

自動車は『人・道・車 三重のシステム』・・・・字面の良さから好んで使う語呂合わせですが、僕は常にその考え方を批評・評論・評価の核にしています。

そこから導き出されたのが、三重のシステムの起点となるマン-マシン・システムにおいて、直接ドライバーがクルマと接する装備の重要性です。それをインターフェイス(境界面)という雰囲気を伝える言葉で表現することを思いついたのが20年ほど前。この話は何度も繰り返しているので古くからの私の読者には耳タコかもしれません。

人とクルマの接点インターフェイスのなかでも、ドライビングに関する情報をもっとも多くもたらしてくれるのがステアリングホイール、平たく言うとハンドルです。現在では油圧や電動モーターを介したパワーステアリングが一般化していますが、結果としてフロントタイヤに直結して路面状況や走行状態を伝えてくれるのは円形が基本のステアリングホイール以外にありません。

走る・曲がる・止まるの各状況を絶え間なく伝えると同時に、こちらからもその情報を元に最適な操作を行っていく。切れ間のないインプット/アウトプットの関係。

文章にすると時間軸が錯綜して話が難しくなりますが、視覚に次ぐ圧倒的な情報量をシンプルな円運動の中に押し込んで伝えてくれるステアリングホイールは、機能面はもちろんデザインや官能性能という視点からも、もっと注目されていい重要なパーツです。

手は、運転中ステアリングホイールに添えられ、ほとんど離れることがない。ステアリングインフォメーションは、タイヤの評価を語る際に用いられるようになった機能をイメージとして伝える的確な表現ですが、手から入る感覚としての情報は直接脳に伝えられ、瞬時にフィードバックされています。

常に触れられていることが眼に次いで走りに関する情報量が多い所以ですが、この手というのがまた人間そのものといった面白さに溢れている。

指先には多くの神経が走り、繊細な動きにも対応する。個人差としての器用不器用はあるにしても、小さな物を摘んだり、皮膚感覚を頼りに様々な道具を操ったり。非常に敏感なセンサーとしての機能を備えている一方で、普段ステアリングを握る手をことさら意識することは多分ないと思います。

実際には、触感レベルでステアリングの革巻きの表皮とか縫い目(ステッチ)、ステアリングのグリップ(握り)径やデザインなどを敏感に感じ取っているはずですが、ハンドルを切る→曲がるという機能に注目する結果、ステアリングを通り越してタイヤやサスペンションの動きに意識が集中してしまう。

繊細さと鈍感さが同居しているということですが、鈍感さの前に鳴りを潜めることになる繊細さは常に潜在意識の中で感じ取っている。僕はこの触感に注目します。ここで気持ちよくさせてもらうと、評価に決定的な影響を与える第一印象(first impression)は好感(positive)に傾きます。

ハンドリングというと、タイヤを中心とするサスペンション、シャシー、ボディが織りなす動的性能(dynamic performance)に目が向きがちですが、高性能という言葉が使われる領域のほとんどがスピードが大きく関わる高い次元の話。遵法精神の強い日本の大多数のドライバーにとっては容認しがたい非現実的な世界であると言い切ることができます。

メディアで語られるスポーティという言葉遣いのなかにある高性能は、現実ではあるけれど、それを消費しようとした瞬間に多くの問題が噴出するという意味で仮想現実(virtual reality)ということになってしまう。それは実際に経験すると非常に魅力的なものですが、建前上使わないことを前提にした高性能を、世界中の自動車メーカーが競い合っている。ここは21世紀のこれからのクルマを考える上で重要な視点でしょう。

ハンドリングという、ともすると限界領域を含むダイナミック・パフォーマンスがテーマとなる話の手前にステアリングフィール(steering feeling)、文字通りハンドルから伝えられる感覚があります。

その多くはステアリングホイールに加えられた出力に対してタイヤが反応し、路面からのフィードバックが反力の形で入力が手から脳に伝えられさらに……というループを構成する。

それは、ダイナミクスそのものであるわけですが、スピードや重力加速度(G)の大小に関わらないところで触感(touch)レベルで評価できる世界がある。先述の手の敏感さと鈍感さの産物でもあるステアリングホイールによく施される革巻きの革の材質やその縫製、基本となる骨格、グリップ形状などで好印象を得ると、評価のベースが最初から高いところに来て機能部品やメカニズムに好影響を及ぼす場合が多い。

僕は、レースを始めた20代前半の1970年代にそのことに気がつきました。当時はステアリングホイールなどの機能部品を市販のお気に入りブランドに換える自由がありました。モモやナルディの革巻きアルミ3本スポークは、小径で軽量で上質な革が使われていた。それに付け替えるだけで、雰囲気が変わると同時に、ハンドリングも改善された印象がありました。

バブルのピークだった1989年は高性能スポーツのビンテージイヤーですが、同時に好ましい本革巻きステアリングホイールでもありました。当時はまだSRSエアバッグの法律による標準化もなく、個性的で好ましいタッチのステアリングが数多く市場に出回りました。

慣性モーメントやアンバランストルクは、クルマのハンドリングを語る上でけっして小さなファクターではありません。エアバッグが法制化される以前のメルセデスベンツのように大径を基本に慣性重量を折り込みながら、あえてラック&ピニオンではなくリサーキュレーティングボール式を採用してトータルバランスを追求するメーカーもありましたが、エアバッグ普及後の現在では偏心による慣性モーメントやアンバランストルクを問題視する意見は聞かれなくなっています。

唯一ここにチャレンジしたのがホンダです。ホンダは国内メーカーではいち早くレジェンドにエアバッグ装着車を設定(1987年)したパイオニア。ホンダの北米市場での成功と重なる話ですが、当時のFMVSS(連邦自動車安全基準)の動向をいち早く捉えての先行でした。

後にホンダはSRSエアバッグを備えても真円のリムの中心に回転軸が来て、ステアリング操作が偏心することなく行えるステアリングホイールで特許を取得しています。現在はそれに相応しいスポーツモデルが不在なので話題に上ることはありませんが、ホンダはステアリングに対するこだわりを理解する数少ない国内メーカーといえるかしれません。

僕が革巻きステアリングホイールの一枚革に拘るきっかけとなったのは、1998年に登場した2ℓFRスポーツセダン アルテッツァ(LEXUS IS200)の購入でした。それまで1986年からずっとメルセデスベンツ190E(5速MT)を乗り続けていたのは、コンパクトなFRセダンがクルマの基本と考え、その教材として当時まだ高値の花だったメルセデスに学ぼうとした結果。国産で2ℓ級のコンパクトFRセダンが登場したら、即切り換えると広言していました。

1998年春のジュネーブショーに突如登場したLEXUS IS200は、同年10月にはアルテッツァの名で国内導入となりました。期待のコンパクトFRセダンは、しかし多くの問題を抱えていました。最大のものは元来プレミアムブランドのエントリーモデルとして開発されたのに、内外装や走りのクォリティ(質感)に詰めの甘さを欠く点でした。

4ピースでグリップ部分を銀色としたステアリングの革巻きは、革の素材はもちろん縫製についても悪しきトヨタのコスト至上主義によって、クルマのコンセプト全般を台無しにするほど貧弱なレベルに収まっていました。

エンジンをヤマハ、トランスミッションをアイシンAIに委託するなど、トヨタの基幹モデルではほとんどありえないセットアップという点でも、トヨタがレクサスIS(アルテッツァ)に賭ける意気込みはもうだったわけですが(この点はパワートレインのみならず、開発/生産のほとんどをスバルに委託している期待のFRスポーツFT86にも共通する危惧ですが)、ドライビングダイナミクスを語る以前のドライビングインターフェイスのクォリティに僕はガッカリしていました。

そこで、アルテッツァの片山信昭チーフエンジニア(CE)に、「騙されたと思って、ステアリングホイールの革巻きをタッチの良い一枚皮で縫い目にもこだわって巻いてください」拝み倒して一品物を作ってもらった。同時にCEのアルテッツァにも用意されたと聞いたが、実験部で評価してみると「なるほどお前のいう通りだ」ということになり、後にLパッケージ用の装備として一枚革巻きのステアリングホイールがカタログに載ることになった。

このアルテッツァは、ステアリングだけでなく、5、6速を高速仕様のギア比に改め、硬すぎる足回りを乗り心地にも気を配るセットアップにするなどの手が加えられることになったが、2003年のプリウスⅡ登場を機に乗り換えることになった。下取りに出した後のことは分からないが、多分まだあの特別仕立てのアルテッツァは日本のどこかを走っているはずだ。

このアルテッツァが登場の約半年後の1999年4月、ホンダが創業50周年記念モデルとして前年に発表したS2000が正式発売となった。ホンダとは長い間FFvsFR論争を闘わせてきた間柄であり、もしもFRスポーツを作ったとしたらこれも手に入れるしかない……行き掛かり上そういうことになっていた。

S2000は、先述のホンダ製真円ステアリングホイールを装備していたが、革巻きがグリップ部にディンプルを配した、これまた質感に乏しい4ピースだった。そこで僕は、少し前に登場していたインテグラタイプRに採用されていたMOMO製専用ステアリングに目をつけた。

このステアリングは、本体はホンダオリジナルのマグネシウムリムの真円がベース。この本体をイタリアのMOMO社に送り、そこからハンガリーの革巻き業者で加工を施し、再びMOMO社を経て日本に再上陸するという、長旅をこなした逸品と言われた。

ステアリング本体とSRSエアバッグのドッキングに苦労させられたとのことだが、このステアリング一本でS2000のハンドリング評価は軽く数ポイントは向上した。

高度なスキルと豊富な経験が求められるハイレベルなハンドリング評価とは違って、ステアリングホイールのタッチをベースとする官能評価は、それこそクルマに触れるすべての人がそれぞれのレベルで判断が下せる身近なもの。

仮にそれがポジティブであれば、その段階でクルマの評価は好ましい方向に傾く。その上でシャシー/ボディの仕上がりが高ければさらに評価は好印象を深めることになる。ほとんどのユーザーが試すことのできない領域の評価を得々と語ることに異論は内が、順序から言えばどこを指摘すべきから自明だろう。

ハンドリングを含むドライビングダイナミクスのみならず、クルマの評価の大部分はデザインの範疇に属すると僕は捉えている。評価するドライバーが、主観的にどのように感じるか。それを何㎞/h、何秒の数字に置き換えて客観性のあるデータと見なそうとするところに、現在のクルマの現実との乖離があるのではないだろうか。

ともすると、エンジニアとかテクニシャンという人種は、自らの高度な技術や知識に過剰なプライドを抱く傾向にあるが、それらは伝わってこその魅力だという現実に目を向けるべきだろう。手で触れた先にある遥か上の話の前に、ハンドルに触れただけでその気にさせる。そのくらいの色気を理解しないで、何のクルマ作りか。日本には正しいクルマは多いが、気持を揺さぶるセクシーなクルマがほとんどない。作り手は、ここに大いなる反省の念を抱くべきだろう。

ステアリング一本で、世界が変わる。真面目な日本メーカーのエンジニア諸君。騙されたと思って、一度やってみて。その上にいる各社のエグゼクティブ諸氏へ。宝の山はこの辺に隠されているかもしれないので、そういう提案をつまらないコスト評価で切り捨てないように。コストダウンよりもバリューアップ。これからの日本メーカーが真剣に磨かなければならない最重要課題だと心得ます。