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2016年9月7日水曜日

うわッ、やってしまった!!

http://www.mag2.com/m/0001538851.html


まぐまぐ!伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』読者の皆様へ。

過日ご案内しました配信日の土曜日から火曜日の変更。まぐまぐカスタマーサービスの尽力により今月からになりました。

昨日唸りに唸って書き上げ、配信前にこれまでの3回を読み直したところ、重複箇所が多数あることに気がつきました。思い入れが激しすぎた結果でした。送信直前に書き直しを決断。結果一日遅配ということになってしまいました。

奮起を期した末の空回り。このブログでも予告した三菱自工の件も次号送りです。重ねて陳謝します。

2016年9月4日日曜日

三菱自工、不正の検証作業でまた「不正」発覚のニュースに思う。

三菱車は本当にXか
第一線で活躍する、自動車ジャーナリスト49人が語る「ミツビシ」


   刺激的なタイトルが目を引くが、実はこれ今から12年前に出版された雑誌の話である。CARトップ 2004年9月号臨時増刊。CARトップ編集部とは日頃誌面での付き合いはなかったけれど、ことの重大性と緊急性に即答で原稿執筆依頼に応えた。

   表題にあるように、執筆陣は第一線で活躍する自動車ジャーナリストや編集者だった。その中で私の一文はかなり辛辣なほうであり、大方は『ガンバレ三菱!』といった今でも変わらぬ、まずは擁護する姿勢を明らかにし、クライアントを気遣うトーンの語り口に終始する意見だったと記憶する。

 自動車メディアの批評の精神に欠けたジャーナリズム不在は今に始まったことではなく、私がフリーランスとしてライター稼業に専念するようになった1970年代後半から伝統的に受け継がれてきた事である。

 情報の大半を自動車メーカーをはじめとする産業界に依存し、広告料を収益の柱とするビジネスモデルとしながら、自動車産業と軌を一にして成長を遂げた。商業出版の成長神話は1980年代後半のバブル経済とともに極大化し、バブル崩壊とともにブルーオーシャンからレッドオーシャンの様相を呈するようになった。

 1990年央のWindows95の登場によるインターネット時代の幕開けが、メディア多様化に伴う出版不況の出発点と捉える見方は正しいが、同時に日本の自動車産業の成熟に伴う日米自動車協議の紛争状態に近い激化とその妥結によるグローバル化のシフトが、基本的に日本国内市場でしか機能し得ない自動車メディアの衰退の最大要因となっている。

 メーカーを中心とする日本の自動車産業は、日本語の壁に守られて対外競争に晒される事はないが、しかし国外に出て勝負する現物を持たない自動車メディア界とは違って、国内生産の1.5倍に達する海外生産を加えて世界一の販売シェアを手に入れた。

 バブル崩壊後は、バブル期に”石橋を叩いて渡らなかった”トヨタが深手を免れる一方、売れるだけ作り財テクに走りR32スカイラインGT-RとP10プリメーラといった未来に何も残せない狂気の技術信奉に邁進して崩壊寸前まで行った日産。

   同じく販売5チャンネル制をぶち上げSKYACTIV/魂動デザインで息を吹き返すまでフォード支配下に沈んだマツダ、バブル期のRVブームを牽引したパジェロ・デリカスターワゴンの2枚看板に頼り切りギャランVR-4に続くランサーエボリューションで量産モデルの息の根を止めた三菱、バブルの徒花NSXとBEETに現(うつつ)を抜かしていたら北米一本足打法のボロが出て川本信彦社長と有沢徹RADの機転でクリエーティブムーバーを創造して窮地を脱したホンダと明暗を分けた。

   GT-R、ランエボ同様のグループA由来インプSTiに入れ込んで、日産-GM-トヨタと提携先を変えた挙げ句に日本市場を後回しにして北米一本足打法で起死回生を成し遂げたスバル。いずれも、各社の国内販売比率は全生産の20%どまりであり、国内に基盤を持てなくなったという点は同じだが、筋の悪さでは三菱が群を抜く。

   思い起こせば1995年である。現在の凋落の基点ともいえる三菱GDI(ガソリン直噴エンジン)開発を仕切った技術者上がりの中村裕一社長が、後継最有力と見られていた鈴木元雄副社長ではなく常務序列4番目の塚原董久常務を抜擢する仰天人事を断行。その後三菱リコール劇の端緒を拓くGDIの技術的虚偽に始まる企業風土に根ざした隠蔽体質が日の目を見る。

   1996年に発表されたギャラン・レグナムに搭載されたGDIは、1954年のメルセデスベンツ300SL以来の乗用車用筒内ガソリン直噴エンジンとして注目を集めたが、燃費やNOx・HCなどの排ガス対策に課題を多く残していることが判明。リコール問題に至る過程で隠蔽体質が明らかになり、その露顕を恐れた企業ぐるみの負の連鎖でブランドは深く傷つけられた。


 RVブームの勝ち組として『日産の背中が見えた!』と豪語し、ホンダを吸収合併するのではという怪情報まで飛び交った当時3位メーカーの三菱のその後の20年は茨の道であり、2000年と2004年のリコール隠し発覚から今回の燃費不正とオリンピック周期と揶揄されるほどに頻繁に不祥事が巻き上がる事態が続いていたが、パブリシティへの依存を高めるあまり正面きって批評批判する自動車専門メディアは稀だった。



 結局のところ、ジャーナリスティックに言うべきところで自主規制をしてスポンサー筋となっている自動車メーカーに嫌われる事を避けるメディアの体質が事を大きくしている。

 冒頭に貼った『今、三菱がなくてはならない自動車会社と言うひとはどれくらいいるか』という一文は、12年前に書いてメディア業界内では眉をひそめられたやに聞いている。僕は、文中でも述べているように書いていて心地よい気はしなかった。しかし、1980年代の発展段階からずっと身近に接してきた立場からすれば、ある種の必然の結果と言えなくもない。

 ことに1985年に始まったワンメイクレースの『ミラージュカップ』のメディア/ジャーナリストがべったりとなったいかがわしさは、同じ年に始まったVWゴルフポカールカップと並んで双璧を成す。

 1985年は時代の分水嶺として記憶される年だが、それは同時にメディア/ジャーナリストが特権的にメーカーから供与を受けてモータースポーツ界に進出した端緒でもあった。すでに30年が経過したが、今名の挙がる走りを得意とするジャーナリストはほぼ三菱やVWのワンメイクレースで身を起こしている。

 ここから先はブログでは書けないので、まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』(有料配信:月額864円税込)http://www.mag2.com/m/0001538851.htmlに譲りたい。何故日本の自動車メディア空間がこの体たらくなのか。パブリシティか提灯記事しか書けないライター揃いなのか。僕の考えが伝わることを期待します。

 再び厳しさを増しそうな三菱自工の燃費不正に関するニュースに接して、もう要らぬ遠慮は日本のためにならない。そうはっきり言うべきだと思った。