ページビューの合計

2015年2月21日土曜日

"生原稿" driver 2015年4月号 別冊付録 NDロードスター試乗記

  何かと話題のマツダ新型ロードスター(ND型)。すでに巷間多くの試乗記が出回っていて賑やかになってきました。僕もdriver誌に寄稿していますが、別冊付録で展開された今回の試乗記。思いの丈が大きくてつい力が入ってしまい、遥かいにしえの余談から無茶振りをした結果、見事に削除。


  でも、全体の流れを作る前振りなので世間の目に触れないのは惜しい。ということで、こちらに原稿を貼ることにしました。driver本誌別冊付録と読み比べてみるのも一興かと。小見出しは付けないので一気に読み切ってください。

●ここからが本文です……!

 ずっとFRにこだわり続けてきた。すべては直観が始まりだ。40年前の富士スピードウェイ。真っ黒なタイヤ痕をアスファルトに擦りつけながらヘヤピンを駆け抜けるF1を見た。太い右リアタイヤが外に逃げるのを逆ハンドルでいなし、美しいラインを描き踊るように300Rに消えて行った。

  高まるエキゾーストノートが片時もアクセルを緩めない強い意志を伝え、画像とサウンドが一体になって目に焼きついた。ドライバーはスライドウェイ(ドリフト野郎)ロニーと親しまれたスウェーデンのロニー・ピーターソン、マシンはJPSロータス72DFV。1974年11月24日、富士グランチャンピオンシリーズ最終戦の合間に開催されたF1デモランの一コマである。

 翌75年梅雨時の筑波サーキット。名手高橋国光駆るB110サニーのナビシート。雨に濡れる第二ヘヤピンにアプローチしたかと思うやいなや、重力から解き放たれたように景色が流れた。

  国さんは、滑るマシンを予期したようにステアリングをクルクル回してアクセルをあおり続け、マシンが直進状態を向く刹那両手を宙に離し、こちらを向いてにっこり。この時僕は23歳、日産レーシングスクール受講から40年を経た今もなお身体に残る衝撃の体験だ。

 ドリフトがすべてという『結論』から僕の自動車評論は始まっている。それは1970年に免許年齢に達し即座に手に入れた幸運にもよるのだが、当時FRはあたりまえであり、何の疑いもなくそこから始めることができた。最初にどんなクルマを手にしたか。あなたのスタイルに及ぼす影響は計り知れない。

  流行に左右されるファッションとも個性を意味しないモードとも違う、自分流へのこだわりとしてのスタイルである。 長い航海の途中に母港に立ち寄った気分。抽象的だが現在ただいまの偽らざる心境だ。40年を超える年月は遥か遠くに霞むが、過ぎてなお熱く語れる己が頼もしい。

 FRについては、その魅力を具体的な姿で表現し四半世紀にわたり孤塁を守り続けてきたMX-5マツダロードスターについては、誰を差し置いてもまず俺に聞け。不遜は承知の上で吼えたいと思う。評価は発売時でも間に合う。プロトタイプの今はありのままを語る時なのである。

長いよな。ここまでの道のりは本当に長かった。手応えは2014年4月16日のニューヨークショー(NYIAS)プレスデイで初公開された次世代MX-5(NDロードスター)用スカイアクティブシャシー。これを見た瞬間スイッチが入った。 

  そこからの経緯は逐一報告したと思うが、さあ注目の初乗りである。 ドライバーズシートには何度か着座し、馴染んでいたつもりだった。いつものようにゆっくりと。スターターボタンで起動し、アイドリングのままクラッチをつなぐ。

  ストールしない程度にスロットルを開けて、感触を味わってみる。 排気量は1.5l 。現時点ではまだボア×ストロークなどは明らかにされておらず、スカイアクティブの直噴ガソリンエンジンであるというだけ。日本仕様は当面このエンジン一本となるようだ。

 しばしエンジン回転を上げずクルマとの折り合いを探る。ギクシャクする素振りもなく、静かでバランスの良さを感じる。ストレスが掛かる微低速でもフリクションを意識することもなく洗練された印象こには軽量ゆえの薄さはなく、オープンカーらしからぬ車体の密度というか貝殻のような凝縮感に包まれている。

ステアリングホイールは外径、グリップ径ともに納得が行くサイズだが、革巻きのタッチはやや硬質で乾いている。微速で大きく左右にウェービングを試みるとダイレクトというよりスムーズであり、ピニオン直動式の電動パワステは軽さの中に精度を見出す発想が読み取れる。


 クイックとかシャープという分かりやすいインパクトに頼らないで、動かし易さの鍵を握るきちんとついてくる『間(ま)』のチューニングに心血を注ぐ。専門的には人間が本質的に備える位相遅れを考慮しながら最適解を追究する。その結果がこれだということなのだろう。

 その評価だが、ちょっとクール過ぎる。カッコイイという意味ではなくて、冷たいというニュアンスだ。革の張りを緩めるか厚みを増すかウェットタッチにするかでミクロの溜めとなる潤いが欲しい。耐久性との闘いになるが、ここでスタイルを確立したら間違いなく自動車史に残す逸品になると思う。

 6速MT。スカイアクティブの核となるドライブトレインだが、動かしてみるとシフターの存在感が重い。慣性モーメントを意識したシフトノブの質量とサイズ形状は納得だが、3分割ステッチの粗い感触が過剰演出気味でドライビングの統一感を損ねている。ステアリングホイールのタッチの評価もこれとの相対関係の疑いがあるので再考を要する。ここは見た目も大事だが、ドライビングをデザインするスタートであり、またゴールでもあるのだ。

しばらくして「ナロー(車幅が狭い感じ)?」これまで経験したことのないインターフェイスの雰囲気に気がついた。着座位置が中央寄りで、ドア側の肩口まわりに余裕を残す。 シートを中心にステアリングとABCペダルがきちんと正対しているから、違和感なく身体が収まるし、コンパクトサイズらしからぬ伸びやかさが先に立つ。

  プロポーションを優先させながら乗員の居住スペースの最大化を図ったパッケージングは思いのほかの解放感を味わせてくれるはずだ。


 ところが走り出すと何か違うのだ。とてもNCより広い1730㎜の全幅とは思えないし、NAと比べても狭小に感じられる。目に入るフェンダーの稜線とボンネットの鼻先の長さも関係する明らかに錯覚だが、このトリックアートのセンスを取り入れたリアルとフィール、現実と実感を巧みに交叉させる技法。これこそが新生NDロードスターに貫かれたコンセプトの核心という気がする。

そうなんだ。NDロードスターが姿を現した9月4日以来、僕は一度もこれを小さいクルマだと感じたことがない。正式に発表になったディメンションは全長3915㎜、全幅1730㎜、全高1235㎜、ホイールベース2315㎜。唯一全幅は歴代最大だが、前後オーバーハングを削ぎ落した全長は最小。ホイールベースはNC比マイナス15㎜だが、居住性を損なうことなく約100㎏の軽量化を実現した。

  外板はドア/リアフェンダーを除いてアルミ化。前後オーバーハングマスの最小化によって総重量とヨー慣性モーメントの低減を一挙に片づけている。

 エンジニアリングは軽量化が最優先。ディメンションの最小化はその手段であって目的ではないという。軽さは追究するが、それ以上にこだわったのはかっこ良さだ。デザインテーマは身長160㎝のスーパーモデルだった。常識を覆すアプローチに魂動デザインが挑み、『御神体』で抽象化されたかっこ良さの実現にハードウェア開発陣が腕を奮った。

 ここで思い出されるのがNYIASで目に留まったベルハウジング。ベアシャシーで異彩を放ったツルンとした表面は、フロアトンネルを圧縮して最適ドライビングポジションを得るための形状だと解釈できる。右ハンドルではフロアにキャタライザーの出っ張りが気になるが、ドライビングに支障はないだろう。

少し走りのペースを上げてみよう。エンジンは、スロットル開度を深めないパーシャル領域では淡々としている。最高出力96kw(131ps)/7000rpm、150Nm(15.3kgf.m)/4800rpm。トップエンドまで回した際の乾いた快音と澱みのない吹け上りは合格だ。

  欲を言えば、あと1500rpmほど余計に回して有無を言わせぬリッター100馬力を実現する一方、バルブコントロールや燃焼効率の精査その他で燃費にもチャレンジ。小排気量の弱みを強みに変えるテクノロマンで酔わせてほしい。

  ライトウエイトスポーツは軽くて小さくて2人が楽しめればいい自由度の高いカテゴリー。これから始まる長いNDの旅路のどこかで試してほしい課題だ。

 レブリミットの7500rpmまできっちり回すように。言われなくてもそうするつもりだったが、言うだけのことはある。フルスロットル下のパフォーマンスは1.5l を忘れる迫力があり、官能評価で×が付けられることはないと感じた。

ハンドリングは率直に言って評価しかねた。今回のテストフィールドは伊豆のサイクルスポーツセンターロードコース。自転車用の滑らかで高μの路面という特殊な条件で、基本的にタイヤマークが付く走りは御法度ということになっている。

マツダの開発陣はどう言うか知らないが、FRの妙味はドリフトにある。四輪車に必然の前後左右の荷重変化を活用し、グリップ限界を超えた領域で操舵と駆動を相互に調整しながらクルマをコントロール下に置く。45度あたりをピークとするドリフトアングルで速度や旋回方向を選びつつ、想定する走行ライン上を自在にトレースさせて行く。

  浮遊感覚をともなうドライブ体験は、スキルを身につけた者すべてがはまる。未知の人間にとっては恐怖だが、会得した者はそこを避ければ安全という奥義を知ることになる。一度身につければ自転車に乗るのと同じ身体感覚として生涯残る。

 この視点を欠いた性能向上はすべからくスピードアップに置き換えられる。世界中が法的に規制を掛けている高速性能を正当化するために高度な技術が動員されている。皮肉な現実に正面から向き合う者は稀だ。そこにはリアルな人間の満足を省みる余地はなく、フィクションに近いビジネスツールとしてのクルマがあるだけ。

  それはそれで愚かな僕にも魅力的に映るのだが、ロードスターの真価はこのサイズだからこその等身大感覚にある。 できるかぎり多くのパターンを試そうとしたが、NDロードスターは終始一貫してマナーの良い乗り味を保ち続けた。

  ステアリングは軽い操舵/保舵力でフリクションの少ないスムーズな応答性が印象的。手の平を通じてタイヤの感触が伝わるといったダイレクト感は希薄だが、結果として切ったなりのフィードバックが得られるイメージとなっている。

 荷重移動やフェイントモーションによってヨー慣性モーメントを誘発して……DSCカットはNGという約束なので望んだダイナミックバランスの確認は果たせなかった。走りのトータルな印象は、ここがポイントといった特徴的なキャラクターを封じ込め、あらゆる状況下でフラットかつ抑揚の効いた上質感を失わない。

  端的に言って、個性的かというとそうではなくて、ライトウエイトスポーツに期待される最大公約数の思いに応える。 まずはマツダが理想と考えるFRライトウエイトスポーツのスタンダードを提示し、質の高い素材性から次なる25年に向けて歩き出す。


繰り返しになるが、僕としては作者の人柄が投影されたようなキラリと光る尖った個性を一点どこかに散りばめてほしい。走り、曲がり、止まるの各シーンの何処でも良いから、濃い味とか癖があってもいい。ブレーキの開発担当エンジニアから評価を求められて窮した。オンザラインの常識的な走りでプラスでもマイナスでも印象に残るブレーキは考えものだ。

  全体のバランスに溶け込んだメカニズムこそが優れている。 僕がブレーキで評価するタイミングがあるとすれば、積極的にドリフトモーションに持ち込もうとした際のコントロール性。それはステアリングやアクセルやシフトワークとのバランスの中にある”あうん”の呼吸に属するものだ。

 誤解なきよう申し添えるが、所構わずドリフトに興じるというのでは断じてない。クルマの評価の一環として確認が取れれば、後は知りたい人に請われた時だろう。ドリフトはクルマと人が一体になるダンスのようなもの。クルマが人の身体拡大装置であるという堅苦しい事実を、柔らかく教えてくれる。

 正式発売まであと4ヶ月。今度のNDロードスターは、開発リーダー山本修弘主査の人柄そのままの真っ直ぐなクルマに仕上がっていた。 過去3代に対するリスペクトを忘れることなく、原点を見つめ直し、ファン/ユーザーあってのクルマという気づきから、誰がどう乗っても対応できる素材としてのFRライトウェイトスポーツ、その意味での質の高さを究めている。

頑固な人だからこそだが、全社一丸となってまとめ上げられた珠玉の一台は、再び世界に衝撃を与えるのではないだろうか。クルマは本来こういう身近な存在だったのだ、と。

2015年2月15日日曜日

御神体 NDロードスターのルーツ

  『御神体』 現在のマツダデザインフィロソフィーは魂動:Soul of Motion。獲物を狙う一瞬のチータの肢体をモチーフにして造形されたオブジェ。これを元にデザインされたオリジナルがShinari(靭しなり)で、CX-5、アテンザ、アクセラ、デミオという一連の最新作にもエッセンスが盛込まれている。


  NDロードスターもこの御神体の要素が随所に見出せる。靭とそっくりといえるディテールが散りばめられている。この御神体は生産部門(工場)の金型製造の匠達が、クレーモデルからデータを取り、金型を起こした逸品で、3Dプリンター製作の樹脂ものも存在する。


マツダは1980年代後半からFEMやCAE、CADを積極的に導入し、ボディ解析やシャシー設計(E型マルチリンクサスなど)力を入れている。この分野のパイオニアで、同業他社も一目置くと言われている。NDのデザイン開発にも相当力を発揮したのではないだろうか。



  今年のNAIAS(北米国際自動車ショー:デトロイト)は、スポーツカーの復権とデトロイト勢(とそれに追いすがろうとする日本勢も注力する)のドル箱ピックアップトラックが注目された。シェール革命で明らかに緩んだという感じ。デトロイト郊外のガソリン価格はガロン2ドルを切った。久々に見る1ドル台のプライス表示に複雑な思いが湧いた。今年は荒れるね。

  マツダはNAIASのお祭騒ぎを避けて(?)年末のLAショーで一花咲
かせていたので、今回のNAIASは音無の構え。MNAOのケルビンを表敬訪問しようと足を運んだけれど空振り。まあそういうこともある、とNDの前を差し掛かったら面白い光景が……男数人がたむろっている中心に見えげんばかりの大男がいて、おもむろにNDの車内に。




  座って大笑い。アタマ完全にはみ出て、トップを上げるとつっかえていた。身長どんだけ? 聞くと「2m!!」 NDロードスターは、NAよりコンパクトに仕上がっているが、キャピンはNAのUS95パーセンタイルに対して95+1ぐらいとのケルビンの説明。でもさすがに2メートルは無理だね。


短期連載 NDロードスターPre-production試乗(2014.12.19)のbefore/after ①

待望のマツダMX-5(日本名ロードスター)を走らせる時が来た。正式発売は2015年6月から。先だって3月20日かは先行予約を受け付けるというニュースがもたらされたが、まだまだ市場に出回るまでには日がある。

   マツダは、Pre-productionモデルという試作段階で国内メディア/ジャーナリストの一部に試乗を許し、年明けの翌1月末にスペイン・バルセロナで欧州メディア向けのロングリードをその右ハンドルモデルを送って敢行した。その意図するところは最終的なセットアップ決定のための情報収集?
 
 いらぬ詮索などしても仕方がないが、まだしばらくはあれこれ語れることが多いようだ。今回走らせてみて、いろんな思いが去来した。初代ユーノス・ロードスター(NA6CE)からNB、NCに至る25年だけでなく、遥か30余年前のSA22Cに始まる僕とマツダ・スポーツカーの関係まで。

  良い機会なので、NDロードスターを軸にあれこれ振り返りつつ、ライトウエイトスポーツカーLWSの未来に迫ってみたい。クルマのインプレッションは詰まるところ走らせた者の自分語り。なるほどだからお前のリポートはこうなるのね……が明らかになれば幸いだ。



■プロローグ 2015年12月19日伊豆サイクルスポーツセンター(CSC)の初試乗


見るだけ座るだけから、乗って走らせる。同じクルマでも場面によって込み上げる思いは微妙に 異なるものだ。随分待たされたからね。

  4代目となるNDロードスターの輪郭が見えたのは2014年4月16日のNYIAS(ニューヨーク国際自動車ショー)プレスデイのことである。

  結果的に正式発売の14ヶ月も前に”裸の中身”を公開する快挙ということになった。何とまあ思い切ったことをと感心するが、KYACTIV CHASSIS NEXT GEN MX-5:次世代ロードスタースカイアクティブシャシーと銘打つベア(裸の)シャシーは、驚くほど情報に溢れていた。

 
  振り返ると、ニューヨークのJACOB.K.JAVITSコンベンションセンターで見た剥き出しのメカニズムが発したオーラがすべての始まりだ。ダウンサイジングの証拠が散りばめられた展示からテスト車の姿が想像できたわけではないが、画期的なクルマになると直観した。

 4穴のロードホイールに細いコイルスプリングの巻数。ドライブトレインの凝縮感と意図を感じるレイアウト。展示ウォールにシュッと書き添えられたスラントノーズの一筆書きがデザインの密度を暗示していた。

『分かる人に伝わればそれでいい』多くを語らず現物で勝負。いかにもエンジニアリング主導メーカーらしいの生真面目さだが、それはマニュファクチャリングフォアデザイン(デザインのためのモノ作り)を世界に表明するマツダの次代に向けてのサインだった。姿はないが、醸し出される雰囲気でデザインのクォリティは伝わった。

 その後のワールドプレミアからの流れは誰もが知る。僕自身国内外各地で飽きるほど見てきた、依然として鮮度が落ちた気がしない。デビューしたその日からみるみる磨滅して行く凡百と違って、NDロードスターはLWS(ライトウエイトスポーツ)という孤高の価値を自ら再定義し、そして掘り下げ続けようとしている。

■そういえば、NA(ユーノス・ロードスター)の時にも事前試乗会があったのだ

  いま僕は、何とも言えぬ既視感を味わっている。2014年12月19日、静岡県伊豆市にあるサイクルスポーツセンターで新型マツダロードスター(ND型)のステアリングを握る。発売の半年前であり、用意されたクルマのレベルは量産のずっと前の段階。プロトタイプ以前のPre-productionであるという。

 あれはたしか1989年の7月だった。強い陽光が降りそそぐ茨城県谷田部町のJARIテストコースでとても熱い体験をした。この年2月の米国シカゴショーに突如現れたオープン2シータースポーツカーの試乗。そこに至る経緯はすでに忘却の彼方だが、吉田槙雄/島崎文治(彼はすでに法政大ラグビー部の監督に就任していたかも)の名物広報コンビからの招集を受けて、当時37歳の僕は燃えていた。

 ユーノス・ロードスター(NA6CE)の出現は唐突だった。WEBもない時代。情報は限られ、よほどの事情通でもニューモデルの詳細を事前に知ることはない。僕自身このロードスターの存在を知ったのはシカゴショーの後だったと思う。

 日本では5チャンネル制の一角ユーノス店の看板モデルとしてユーノス・ロードスターを名乗ることになったが、すでにこの年5月にはマツダMX-5ミアータの名で米国市場で販売が開始されていた。

 当然のことながらマツダ内部では既知の事実だったわけだが、国内販売は9月。メディアで事前にこのクルマの情報を知る者はシカゴショーに足を運んだごく少数(どれだけいたのか知る由もない)に限られたはずだ。現代目線では理解不能なアナログ時代である。

 手前味噌になるが、僕は初代ロードスター(NA6CE)が出現する以前から「クルマはFRにかぎる!」と吼えていた。大袈裟でなく一人吼えていた。

 時代は、1980年代に入って2l 以下の小型車で一気に推進されたFF化の一大潮流下。市場拡大を追求する国内メーカー各社はさらなる可能性を求めて高出力/高性能化にシフトする。日本車に国際競争力をもたらした電子制御化ととにもFFベースの4WDを進め、バブル経済の進展とも重なって日本中がハイテク/高出力高性能に沸いていた頃である。

■40年前に見た原風景と今度のNDロードスター。距離感はそんなに遠くない

 少し脱線させていただく。僕は、FRがあたりまえの1970年に18歳になり、運転免許を取得している。最初のクルマは当時の限られた選択肢では王道ともいえた日産サニー1200クーペGX。それから5年後、さらに狭まる人生の岐路でモーターレーシングの世界に紛れ込むのだが、そこで手にしたのもKB110サニーだった。

 時に23歳。時代は第一次オイルショック直後であり、超難問といわれた日本版マスキー法(昭和53年排ガス規制)への対応で国内メーカーは疲弊し、自動車産業が壊滅の危機に瀕していた最中である。

 今から6年前のリーマンショックに端を発する世界恐慌よりずっと深刻な経済状況下に、庶民の子が本気で明日のF1パイロットを夢見た。将来の展望が開けていたわけでも何でもなく、無知ゆえに成し得た思い切りだった。

 若さは馬鹿さとはいえ振り返り見る我が身は眩しい。自費で戦える余地は限られていて、スポンサーなど期待するほうがどうかしていると思われた時代。プロレーサーの道は閉ざされたが、捨てる神あれば拾う神。縁あって自動車ライターとして生きる道が開いた。

 それまでの実戦経験が身を助け、文章など1行も書いたことのない僕にライター稼業を継続させた。曲がりなりにも36年になる。スティーブ・ジョブスが伝説のスピーチ(スタンフォード大卒業式:2005年6月12日)で語った『点を繋ぐ(Connecting Dots)』のように、自分の頭で考え身をもって行動したことは必ず役に立つ。夢中で進んでいる時は先を読む余裕もないが、振り返るとあの時のあれが今に繋がっている。

■ドリフトの意味に囚われてはいけない。やってみてどうか。答えはそこにある

 FRにこだわり続けるモチベーションはレースの実戦以前に掴んだ。すべては直観が始まりだ。やる前に観る。天才は存在するが、ふつう人間は生まれつき空(から)だ。なりたいと思えるアイドルを見てイメージを取り込み、その像に我が身を合わせるプロセスを踏むことで自分を作らなければならない。オリジナリティは模倣の先に隠れている。

 40年前の富士スピードウェイ。タイヤ痕をアスファルトにくっきり残しながらヘヤピンを駆け抜けるF1を見た。太い右リアタイヤが外へ外へと逃げるのをカウンターステアでグイグイいなし、黒々と美しいラインを描き踊るように300Rへと消えて行った。高まるエキゾーストノートが片時もアクセルを緩めない強い意志を伝え、画像とサウンドが一体となった鮮烈な記憶として目に焼きついた。

 ドライバーはスライドウェイ・ロニー。ドリフト野郎として親しまれたスウェーデンのロニー・ピーターソン。マシンは漆黒に金のJPSロータス72DFV。1974年11月24日、富士グランチャンピオンシリーズ最終戦の合間に敢行されたF1デモランの一コマである。

 翌1975年は筑波サーキット。降りしきる梅雨空の下、名手高橋国光駆るKB110サニーTS仕様のナビシート。雨に光る第二ヘヤピンにアプローチしたかと思うやいなや、重力から解き放たれたように景色が流れた。国さんは、滑るマシンを予期していたようにクルクルと回してアクセルを煽り続け、マシンが直進状態を向く刹那両手をぱっと宙に離し、こちらを向いてにっこり。40年前の日産レーシングスクールを受講して味わった今もなお身体の奥底に残る衝撃の体験だった。

 ドリフトがすべてという『結論』から僕の自動車評論は始まっている。40年前に目の当たりにしたことが次なる実地の体験に発展した。偶然ではなくて、ある方向に歩き出した必然。その後も何度か風が吹いたような気もするが、時流に乗ったという実感を得たことはない。

 誤解が根底にあることは承知の上だが、社会全体が『クルマは操る人間を前提にしたモビリティツール』という哲学に踏み込まず、利益追求のビジネス思考に留まるかぎりは、多数が賛同する意見にはなりにくい。
 何故ならドリフトは自転車のように誰でも身につけることができる科学的な説明が可能な身体感覚上の必然なのだが、感覚的に困難に見えるスキルの問題としてやらずに忌避する大多数と向き合わなければならない。
 自由なモビリティがクルマの最大価値であるのに、リスクを伴う危険性を自らの力で排除する楽しみに与する比率は年々下がっている。自動運転に代表される自由よりも楽を優先するテクノロジーを歓迎するマインドは難敵だ。

 観て楽しく、やって面白く、出来るようになれば確実にドライビングスキルは高められ、限界を知るという境地は安全と危険の概念を身体に取り込むことであり、資源・環境・安全というクルマが抱える根源的な難問を考える上で欠かせない柔らか頭を育む。

 人は身体のパフォーマンスで行動が制限されがちな生き物。それゆえ圧倒的なスピードを実現する乗り物に憧憬の念を寄せるが、僕は300km/hの自動運転よりも100km/hのドリフトダンスに興じる自由を支持したい。さすがに60も超えるとカラダは言うこと聞かなくなるが、身についたスキルが発想を若くする。クルマでアンチエイジングは可能だ。

■"運転していることを忘れさせる"NDのセットアップ。『ひらり感』の必然との相関はあるか?

 26年前のユーノス・ロードスター(NA6CE)の話だった。まさかこんなクルマが現れるとは。ライトウエイトスポーツ(LWS)、1960年代の英国で人気を博した軽量コンパクトなオープン2シーターを再生する。誰もが考えたが、誰もやろうとはしなかった。

 南カリフォルニアの現地子会社の商品企画部門が温めていたプラン。その背景に1978年に日本版マスキー法(昭和53年排ガス規制)をクリアして新たなスポーツカーの世界を切り開き、北米市場を席巻したサバンナRX-7(SA22C)の存在があり、人が絡む物語の伏線がもう一つ流れているのだが、それは後に回すとしよう。

 ことの始まりは1983年頃というから相当息の長い開発だが、今もなお世界のトレンドセッターといえるアメリカ市場の底力、そこをきっちり押さえながら商品価値の高い画期的なクルマを生み出した。それも僕が口を開けば「FR、FR、コンパクトFRしかない」と言っていた何よりも嬉しい駆動レイアウトのスポーツカーである。

 アマチュアレーサーからフリーランスのライター稼業に転じて12年目。ひとかどの経験を積み、クルマはFRにかぎる、ドリフトがすべてと公言していた。筑波サーキットやJARIテストコース(谷田部)に毎週のように取材で訪れていた頃で、当然一家言あった。

 ひとしきり試乗した後で、懇意の立花啓毅実験部次長(当時)に噛みついた。「このセットアップしか考えられなかったんですか?」生意気を画に描いたような一言だが、相手もプロだった。こちらの意気に感じて「ちょっとこっちに来い」取材陣から離れた木陰でノートとペン片手にレクチャーが始まった。

 ライトウエイトスポーツは接地感を出すのが難しい。オープンボディは剛性の確保が容易でなく、当時の技術力(と厳しいコストに縛られた安価設定のコンセプト)では限界が知れている。タイヤはトレッドパターンにクラシックな意匠を施したブリヂストンの185/60R14が標準設定とされたが、実際は175幅ぐらいが適正サイズ。車体に対して勝ち気味なグリップを考えて特注仕立てでトレッド面が狭められていた。

 僕が期待していたFRらしい理想の乗り味は、しっかり位置決めされたリアタイヤを軸に、ロールを抑えながら制動/駆動のメリハリの効いた荷重移動とともに、ステアリングに豊かなインフォメーションを感じる手応えを得ながら、想定ラインに乗せて行く。まあ当時の拙いレベルは呑み込むとして、血気のあまり「そうならない、しないのは何故?」食ってかかるように迫ったわけである。

 LWSはサスを固めるとボディの剛性不足が際立ってしまう。それを避けるためにロールのスピードと深さでバランスを取る。その際のダンパーの減衰特性が重要で……と、グラフ図解入りで説明を受けた覚えがある。それが後に「ひらり感」という形容で語られることになったオリジナルのドライビングスタイルだった。

 今でこそボディ剛性はあたりまえの概念で、その重要性は広く認識されているが、試乗インプレッションなどで評価の言葉遣いとして登場するのはこの頃から。CADやCAE、FEM(有限要素法)などのコンピュータ解析が行なわれるようになって注目されるようになった。マツダはこの分野で国産メーカーとしては最先端を行っていて、現在ではCAEでは同業他社から業界屈指と一目置かれる存在になっている。


つづく

2015年2月4日水曜日

新型マツダロードスター(ND)初試乗:Pre-production model@伊豆CSC



エンバーゴが解けた翌日2015年2月1日にまぐまぐ!メルマガ 伏木悦郎の『クルマの心』に配信した号外を添付します。

NDロードスターの初試乗ということでWEBを中心に情報発信が喧しいですが、今回の試乗は正式発売の半年前(2014年12月16~19日)に行なわれたPre-productionモデルによるもの。同じ仕様(右ハンドル)をスペイン・バルセロナに送って国際試乗会を開いた(先週)関係で、国内における情報発信が制限されるという、奇妙な話になってしまいました。

基本スペックは変更されないと思いますが、セットアップはfixとはいえないと思います。近々プロトタイプの試乗会が予定されているとのことなので、試乗第一報というスタンスが正しいとでしょう。

私のアプローチは、プロトタイプ、正式量産ラインオフモデルとまだ段階を追うレベルという認識です。他者(社)が何をどう書いているかは一切確認していません。すでに専門仕向けにはdriver誌
(2月20日発売の付録)に寄稿済みで、このメルマガ記事以外にも長尺の読み物を現在執筆中。

こちらは本blog、carview !に掲載する予定です。乞ご期待ということで!!


取り急ぎこちらをご一読下さい。


伏木悦郎



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

■伏木悦郎のメルマガ 『クルマの心』

2015.2.1 号外


   透明感……初めて第4世代となるNDロードスターのステアリングを握り、30分の持ち時間をテスト車と対話して得た感覚を端的に表現するのは? 自問して探し当てた言葉に納得している。

 試乗日は2014年12月19日午後、快晴。試乗の舞台は伊豆サイクルスポーツセンター・ロードコースである。

●すでに見馴れた姿形、伊豆の現場には不思議な空気感が充満

 すでに目に馴染んだスタイリング。正式な初見は2014年9月4日の舞浜アンフィシアターにおける『マツダロードスターTHANKS DAY in JAPAN』だったが、お盆休み直前にyoutubeに偽装シートを張り巡らせたテスト車のスクープ画像(映像)で大方の察しがついていた。

 それ以前に、4月16日のNYIAS(ニューヨーク国際自動車ショー)のプレスデイに出展された『SKYACTIV CHASSIS NEXT GEN MX-5』(次期ロードスター(ND)のベアシャシー)を目の当たりにして、おおよそのスタイリング、スケール、クルマのコンセプトは掴めていた。

 9月4日以降、全国各地で催されたオーナーミーティングイベントにも展示されたNDの実車ですっかり目に馴染んでいたはずだが、実際にステアリングを握る瞬間は特別だ。

 緊張というのとも違うし、前のめりに勢い込むといのとも違う。すでに何度か収まったことのあるドライバーズシートへのアクセスは、意識してオールクリアあらためて仕切り直しというまっさらな気持ちで臨むことにした。

 エンジン始動。今やあたりまえになったプッシュボタン式だが、これは改めたほうがいいのではないか。いまさら省かれたキーシリンダーを復活しろといわれてもできない相談というかもしれないが、スポーツカーにとってセレモニーの要素は必要だ。

 NAロードスターがこだわった指先一本で動かすドアハンドルのように、『スカせる』アイテムが欲しい。プロポーション、面と線の関係、オーバーハングの切り詰めとランプ類の摺り合わせ……アクセントとなるフロントのショートオーバーハングに、その後ろに流れるウェーヴィなコークボトルラインの基点となるスラント角を与え、これしかないというスペースにLEDライトを押し込んでイメージの伝承と独自の個性を共存させた。

●LWS(ライトウェイトスポーツ)の21世紀的解釈。あと一歩で完璧だと思う!

 デザインは端的に素敵だ。全長3915mm、全幅1730mm、全高1235mm、ホイールベース2315mm。史上最短で、NCより80mm、NBとは40mm、初代NA比でも20mm縮小された。一方でホイールベースはNC比でわずか15mmの短縮で、NA/NBに対しては50㎜の拡大延長となっている。

 サイズアップは幅方向でNA/NB比で+55mm/50mm、NCに対しても10mmの拡幅となっている。前後端の絞り込みは急で、特にリアコーナーの3次曲面構成には明確なダウンサイジングによる軽量化の意図が読み取れる。

 プランビューで見る専有面積の削減はクルマの商品価値の最右翼であるスタイリングの魅力に悪影響を及ぼしかねないが、プロポーションの精査、脳科学的な錯覚の要素を取り入れたトリックアートの手法とも言うべきレイアウトの妙でバランスを保つ。

『身長160cmのスーパーモデル』という山本修弘開発主査が辿り着いた難しいデザインコンセプトに、ショートオーバーハング/ロングノーズ/スモールキャビン+クラシカルなコークボトルラインで応える。中山雅チーフデザイナーのセンスと力量、そのオリジナルプランを再現するハードウエア開発と生産技術の成果は、工芸品としての視点からも高く評価されていい。

 小さいのに存在感がある。遠目には縦横比/プロポーションの関係で堂々たる佇まいに見える。しかし、さあ乗りますか……と身を寄せて行くと、まるでズームイン映像を見ているように実寸のリアリティが迫ってくる。

 類まれな吸引力とブランドアイコンに相応しいオーラ。それらはボディスキンの内に収まる高密度なメカニズム/コンポーネントが醸し出す凝縮感によってもたらされていると思うのだが、ここまでやったら”遊び”のひとつも欲しい。

 NAがやっていた一点豪華主義的なこだわり。あれは、多くの部品を”あり合わせ”で調達しなければならなかった裏返しでもあったのだが、やんちゃを理解してこその大人のスポーツカー。理路整然の真面目もいいけど、いい大人が粋がってスカせるキラリと光る小物、ひとつぐらい欲しいじゃない。

 NDロードスターはもはやテクニックだけではなくてセンスを磨く段階。人間やったことのないものは分からない。経験値の重要性に思いが至っていないところが惜しまれる。

●SAパッケージ? すべてはドライビングポジションのために

 エンジンはSKYACTIV-G 1.5L 直噴ガソリン。最高出力90kw(131ps)/7,000rpm、最大トルク150Nm(15.3kgf-m)/4,800rpm。SKYACTIV-MT 6速マニュアルが組み合わされる。始動時に特段の感慨はない。静かに目覚め、アイドリングへの移行もスムーズだ。

  そのままアクセルを踏み込まずにクラッチを合わせてみる。何も起こらない。ストールしない程度スロットルを開けながら軽~く流してみる。ボディはかっちりしているが、剛性感がビンビン伝わるということもなく、その意味ではことさら意識することはない。

  ゆっくり歩くようなペースのままステアリングを大きく左右に切ってみる。ウェービングの反応はスムーズで軽い。操舵力は思いのほか軽くどこかに引っ掛かりを感じるフリクションも見当たらない。

  触感レベルの第一印象ではステアリングホイールの革巻きはNG。これはハンドリング評価にも繋がるが、乾いた硬質なタッチはラック直動式電動パワーステアリングの軽さと精度をミクロの感覚世界で調整する機能性に問題を残す。レザー表面の張りを緩めるか、厚みを増して柔らかくするか、ウェットな表皮材質を選んで、人間誰しも共有する位相遅れへの対応に留意すべきだ。

 先日マツダの横浜研究所で行なわれたCX-5/アテンザの試乗会で手にしたCX-5に新規採用されたレザー。手の平にしっとりなじみ操安官能評価を大幅に引き上げていた。あれはプレミアム志向を目指す全マツダ車のスタンダードとして、よりプレミアムなモデルについてはさらに上質な素材を選ぶべきと思えるもの。

 この辺は車両開発本部で操安を仕切る虫谷泰典さんの領域だが、現時点でNDロードスターに欠ける”評価の対象となる自我”の創生の糸口になるポイントとして押さえておきたい。

 少しペースを上げながら周回を始めると、不思議な感覚に包まれた。正対する前方視界が狭く感じられるのだ。全幅はたしか1730mm。だが、何と言うか「ナロー」なのだ。どうやら着座位置が関係してるようだ。

 NDは、いわゆるカップルディスタンスを狭め、外側の肩口に余裕が出る位置でシート/ステアリング/ABCペダルをレイアウトしている。限られた全長/ホイールベースの中でエンジンの完全フロントミッドシップ配置を遂行し、それに伴うシフターの後退、シートポジションの後方移動を踏まえて、コンパクトなディメンションに余裕のある居住空間を生み出し、ドライビングの基本となるインターフェイスの最適化を追求している。

 そこには人が乗ったときにスタイリッシュに見えるというデザイン的な狙いも含まれているのだが、投入されたエネルギーは半端ではない。パワートレインやシャシーのダウンサイジングやコンパクト化は軽量化のためだけではなく、限られたスペースの中で最大/最適の居住空間を目指す。かつてホンダがMan-maximum/Mecha-minimumというMM思想を標榜したことがあったが、発想は同じ。エンジンを小型軽量な1.5Lとしたのも、ベースはそこに始まる。

  NYIASで「!」と来たコンパクトなベルハウジングもそう。フロアトンネルを狭小にしてドライビングポジションを得る。ツルンとした形状はこのためだったのかと、ここにきて腑に落ちた。シャシーやアクスルにも徹底されたダウンサイジングは、MMならぬSA(スカイアクティブ)パッケージとでも呼ぶべき因果関係にあるのだった。

●破綻なくまとまっている、まるで運転していることすら忘れるかのように……

 ドライバーズシートでクルマが小さく感じられる。ネガティブな意味ではなくて、コンパクトなLWSらしい手の内に収まる感覚。はっきりした稜線として視野に入るフェンダーの効果もあってノーズの長さを意識することも錯覚を強める一因か。

 これまでモーターショー取材では気にならなかったフロア形状。キャタライザーの逃げが右に設けられているあたりに左ハンドル優位設計かなという思いが過るが、これはまあ歴代共通だ。

 先ほどステアリングホイールの革巻きに触れたが、シフターにも注文がある。シフトフィールの検討から割り出されたと思えるシフトノブ。グリップの大きさ、慣性質量ともに悪くはないが、3本の粗いステッチは要再考だろう。ステアリングタッチとの統一を実現してから個性を追求しても遅くはない。

 ハンドリングは率直に言って捉えどころのない印象だ。誤解のないよう予め断っておくと、前後バランスに乱れが少なく、ヨーの発生もスムーズ。ロールの進行も穏やかで素直なステアリング特性と評価できる。

 ただ、テストフィールドの伊豆サイクルスポーツセンターロードコースは本来自転車競技用で、非常に粒子の細かい滑らかで摩擦抵抗係数μの大きな特殊舗装が敷かれている。試乗ルールとしてはESC解除はNGで、タイヤマークが付くような攻めた走りは御法度だ。限界領域で試したい前後バランスや荷重変化による過渡特性のチェックには向かないし、乗り心地についても厳密には評価できないというのが正しい。

 クルマの走りは詰まるところタイヤの摩擦円の中での出来事だ。リアルに確認できない状況であれこれ断定的に語るのはプロフェッショナルな態度とは言えない。思う存分振り回したい誘惑にかられながら、自制したというのが正直なところなのだ。

 誤解を恐れずに言えば、LWSを含むFRスポーツのすべてはドリフトコントロールにある。ヴィークルダイナミクスの話になると必ず登場するのが、前後荷重バランスは50対50が理想的であるとか、ヨー慣性モーメントの最小化であるとか物理科学の云々かんぬんの話である。

 メカニズムに人間が従うパッシブモビリティなら分かるし、googleが推進する全自動操縦車に未来を託してもいいと考える新しいモノ好きの立場を取るというなら構わないが、僕はあくまでも自分でステアリングを握り、アクセルとブレーキでスピードをコントロールして自由自在に走り回れるクルマにこだわりたい。

  ミスもすれば事故を起こす可能性もある。なるべく失敗しないよう努力はするが、あらゆることに限界があることを知っている。限界を見た上で、知った上で、体感した上で対処する方法を考える。限界が近づいたら遠ざかるのも手だし、敢えてそこに飛び込んでバランスの筋道を見出しそれを楽しむのもありだろう。

  クルマは、人間の身体機能の拡大装置であり、まさにヒトそのものがモビリティという無上の価値を手に入れるtoolである。機能の拡大は時間軸で測られ、スピードが価値をはかる指標になる。その限界は無限大ではなく、走行環境・インフラ・社会ルールによって規制されている。

  理想は無制限だが、現実は長く語られてきたおとぎ話のような評論よりずっと低い速度レンジでいかに楽しむか。今どきドイツのアウトバーンを理想郷の如く吹聴するのは恥知らずのペテン師か現実と未来から目を背ける嘘つきだ。

  ドイツの道路交通環境は依然として蜜の甘さを漂わせているが、グローバルな視点に照らせば世界でも異例な価値観に固執するガラパゴスに過ぎない。時間をお金で買う発想がまだ有効なのが原因かもしれないが、70億の人類が揃って300km/hオーバーのスピードになびける余力はこの地球上に存在しない。いい加減に分かろうぜ。

●この透明感に接して甦った26年前の記憶

 LWSの価値は、マツダが25年にわたって守り続けてきたロードスター(MX-5)の価値は、次の25年に向けて開発された(はずの)NDロードスターの価値は、100年以上の長きに渡って歓びをもたらし続けてくれた内燃機関で走るクルマの魅力を、慣れ親しんだ形のままで登場してくれたことに尽きる。

 エポックメーカーにはそれに相応しい処遇がなされて当然だろう。黴の映えた従来通りの論調で「上を向いて歩いている」場合ではない。ドリフトは限界を超えた世界の出来事だ。タテ/ヨコのグリップを超えてもなおタイヤの摩擦円を使ってクルマをコントロール下に置く。

 そのプロセスを一度身体の中に収めれば、スピードの絶対値に頼らない走りの魅力、価値の創造に思いが至る。やらずに(できずに)四の五の言う自称評論家は星の数だが、彼らの大半は自前の意見を述べないメーカーセールスプロモーションのスピーカーに過ぎない。自力でキャリアアップして自分の言葉で語れ。

 思い出すのは1989年の初夏の候。その年2月のシカゴショーに突如姿を現したユーノスロードスター(NA6CE)の発表前試乗会が今はなき谷田部のJARIで開催された。アマチュアレーサーからフリーランスのライター稼業に転じて12年目、ひとかどの経験を積み、すでにクルマはFRにかぎる、ドリフトがすべてと公言していた37歳の時である。

 当然一家言あって、ひとしきり試乗した後懇意の立花啓毅実験部次長(当時)に噛みついた。「このセットアップしかなかったんですか?」生意気を画に描いたような一言だが、相手もプロ。こちらの意気に感じて「ちょっとこっちにこい」便所の裏……ではなくて、人の群れから外れた木陰でノートとペンを片手にレクチャーしてくれた。

 ライトウエイトスポーツは接地感を出すのが難しい。オープンボディは剛性の確保が容易ではなく、当時の技術力(とコストに縛られた安価設定のコンセプト)では限界が知れている。タイヤはBSの185/60R14が標準だがそれでも車体に対してグリップが勝ち気味で、特注仕立てで接地面が狭められていた。

 当時イメージしていた理想の走りは、しっかり位置決めされたリアタイヤを軸にロールを抑えながら、制動/駆動のメリハリの効いた前後荷重移動とともにステアリングに豊かなインフォメーションを感じながら想定ラインに乗せて行く。まあ当時だから拙いレベルは呑み込むとして、血気の余り「そうならないのは何故?」食ってかかった訳である。

●マツダのスポーツカー作りはきちんと伝承されたのだろうか?

 クルマはライフステージ(生活環)商品であり、世代感覚によってニーズは変化する。体力や経験値によっても異なるが、生涯を通じてスポーツカーとともに暮らせるのはよほどの幸運の持主に限られるだろう。僕の場合、たまたまモーターレーシングに巡り合い、その縁から自動車ジャーナリズムに世界に踏み込んだ。

 60も過ぎて、さすがに往時の勢いは失せたが、NC6CEのセットアップについて疑問を持ち、真摯に教えを請うたことが今に繋がっている。確かエキスパートの解説はダンパーの減衰特性とロールとボディ剛性の関係に及んだのではないかと思う。

 LWSはサスを固めるとボディの剛性不足が際立ってしまうので、ロールのスピードと深さでバランスを取る……確かそんな話をグラフの図解入りで聞いた。それが後に「ひらり感」という形容で語られたオリジナルのドライビングスタイル。今でこそボディ剛性はあたりまえの概念だが、試乗インプレッションに登場するのはCADやCAEが導入されて注目されるようになった1980年代後半からの話である。

 あの頃の血気は今の僕にはない。こちらの下降線とは反対に技術の蓄積によるレベルアップは決定的で、明らかにここは問題と言える不都合をNDロードスターに見出すことは難しくなっている。

 僕とマツダの因縁は浅からずで、1978年9月26歳で未知のライター稼業に飛び込んだ年がSA22CサバンナRX-7がデビューしたタイミング。レーサー上りということで筑波やJARIに毎週のように通うことになり、ナーバスなワットリンクサスの洗礼を受け、その後はJARIでの12時間耐久高速チャレンジやIMSA仕様GT-U試乗、ルマン用727C、実はルマン24時間における初優勝マシンのグッドリッチタイヤのラジアルタイヤを履いたローラT616(C2クラス)など多数のテストリポートを手掛けている。

 SA22Cには心底手を焼いた。それまで文章など一行も書いたことのない若造が少し走れるというだけで職を得て、ここまできた。いろんな意味で記憶が重なるが、そこからずっと付かず離れずの道のりを歩んできた人がいる。彼の存在を知ったのはFC3SサバンナRX-7のトーコントロールハブのエンジニアとして紹介されてから。

 もともとトラックのシャシーが専門のエンジニアで、数奇な縁によってマツダのスポーツカー開発はトラック部門の領域となり、SA22C以降一貫してスポーツカー開発に従事した。貴島孝雄さん(現山口東京理科大教授)と初めて言葉を交わしたのはいつだったか。

 まさかSA22Cから間接的に関係が築かれていたとは思わなかったが、NA8Cの導入の際に物議を醸した『反対声明(ロードスターに1.8Lを搭載するな)』からNB、NCを通じ、定年退職なさった2009年以降の今もなお懇意にさせていただいている。

 これまでの立場が違えば、互いに関心を寄せる『動的感性工学』に関する意見でも必ずしも一致しない。さすがに長く厚いキャリアにはリスペクトの念を抱かずには居れないが、リアサスのトーコントロールには終始同意しかねたし、NA8C以後3代の変遷にも異論があった。

 さすがに今回のNDの難産ぶりを見ていると、継続に心血を注いだ貴島元主査の時代の変化への対応力を評価しない訳には行かないが、25年の歴史によって固められたイメージトータルで見るとやはり貴重な財産ということになりそうだ。

●スタイリング、パッケージング、エンジニアリングに誤りはない。プライドを示せ!

「守るために変える」山本修弘主査は、実に巧みな言葉遣いでブランドの伝承と新たなる一歩に向けた改革に道筋をつけた。公開されたディメンションに、開発目標値として明示された1000kgの車両重量、フロントダブルウィッシュボーン/リアマルチリンク式サスペンション、ラックアンドピニオン電動式パワーステアリング、195/50R16タイヤ。

 凝縮されたスタイリングは、ドアとリアフェンダーにスチールを配し、パンパーを2mmを切る肉厚の樹脂とした他はアルミで覆われる。アルミ比率はNCの4%から9~10%に拡大、590N/mm2の高張力鋼板使用比率を40%に高めることでホワイトボディで40kgの軽量化を実現した。

  パワーウエイトレシオは7.63kg/ps。山本主査以下開発陣がしきりとリミットの7500rpmまできっちり試してと声を上げるだけあって、全開加速を試みた際の迫力、サウンド、スピードの乗りは納得もの。使い切れる雰囲気が先に立つのはボディ/シャシーの剛性感と各部の組み付け加工精度の恩恵か。

 活気に満ちた全開加速モードと好対照を成すパーシャル領域の穏やかな乗り味は、キャラクターを敢えて押さえ込んだようなナチュラル系。ステアリングの手応えよりも精度と軽さのバランスに目を向けたようなセットアップ、日常的な使い勝手にも対応する乗り心地の洗練が、透明感と評したくなった尖りのなさや際立つピークを抑えた味わいに結びついている。

 回した時に活気づいて、普段はさりげなく。メリハリのある仕上がりといえばそうだが、低中速域でのピックアップ、アベレージスピードの高い欧米のドライビングスタイルへの対応を考えると頼りない。MNAO(マツダ・ノースアメリカン・オペレーションズ)のケルビン・ヒライシが危惧した理由が分かる日本的な洗練であり、アメリカ人から見た解り難さ。

 操作をしていることすら忘れる、歩いたり走ったりするような運転感覚。マツダのスタッフの誰かが開発陣が目指した走りの方向性を教えてくれた。個性的な走りのキャラクターの創造はオーナーとなる顧客に委ね、FRならではの素材性、LWSだからこその手の内に収まる走りのバランスの提供に徹する。

 真面目で正しい感じがするが、NDロードスターはマツダのブランドアイコン。クルマ好きの心の琴線に触れる”俺たちはこれ!”という共有できるsomethingが欲しい。

 スポーツカーに正しさを求めるのはちょっとリスキー。諸々承知の上で、それでも得がたい自由な存在として大事にしたい。そのくらい緩くても構わないのではないだろうか。

 今回の試乗車は、試作段階のプリプロダクションモデル。近い将来もうワンステップ上がったプロトタイプのテスト機会を用意しているとか。まだ正式発売まで5ヶ月を残している。セットアップのfixまでにはまだまだ幅がある。

  僕がパワートレイン開発中枢に注文をつけるとするなら、1.5Lは9,000rpm回して150ps、15km/Lを確保。2Lは同じく150psで低中速トルクを太らせて、SKYACTIV-Gならではのダウンスピーディングで20km/L超をターゲットとしたい。排気量を上下のヒエラルキーで見るのではなく、キャラクターの水平分布と捉えることができたら合格だ。

 仕向け地対応などと眠いことを言わないで、テクノロジーの真価で世に問うて欲しい。NDロードスターは再び世界を驚かせる資質を備えた誇るべき日本の一台。きちんと育て上げないでどうするというのだ。

----------------------------------------
■ご感想・リクエスト
メールアドレス fushikietsuro@gmail.com

■twitter :https://twitter.com/fushikietsuro
■facebook  https://www.facebook.com/etsuro.fushiki
■driving journal official blog  http://driving-journal.blogspot.jp/
■carview special blog  http://minkara.carview.co.jp/userid/286692