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2014年12月4日木曜日

LAautoshowに見る現金なアメリカ、マジな日本、〇〇なドイツ

初めてロサンゼルスを訪ねてから30年。1980年代はダウンタウンにあたりまえのように宿を取っていたが、ZEV(ゼロエミッションヴィークル=大気清浄法)絡みで取材に出掛けた1995年以降はLAの隣町トーランス界隈を拠点とすることが多くなった。

 今では、カルロス・ゴーンの日産がトーランスの隣のガーデナから生産拠点のあるテネシー州に去り(2006年)、トヨタもヘッドクォーターをテキサス州に移転すると発表した(2014年4月)。アメリカンホンダはトーランスから動く気配はなく、オレンジカウンティの三菱(サイプレス)、マツダ(アーバイン)にも変化は見られないが、様変わりといっていいだろう。

 万物流転、20年も経てば変って当然という気もするが、この20年の移ろいは無常という言葉をあらためて思い知る。

 ポストバブルの1990年代前半、1980年代から長く続いた日米自動車協議が円高基調の高止まりによって輸出自主規制から本格的な現地生産化に転換。時代の変化に対応すべく、LA近郊の日本メーカー現地法人に顔見知りの広報マンが潤滑剤役として出向する時期が数年間存在した。

ちょうどその頃規制緩和の一環としてCS(通信衛星)TVが相次いで開局され、そのひとつから自動車番組のオファーがもたらされた。たまたま目にしたZEV規制に興味を持ち、スポンサーを口説いて出掛けたのが今に繋がるLA詣での始まりだった。 

ZEV法関連では、とりあえず知己の各社広報担当やエンジニアを頼って取材の糸口を広げることにした。デトロイトスリー(当時はまだビッグスリーと言った)にパイプがなかったので、まずは日本語で理解する道を選んだわけだが、もちろん本丸のCARB(カリフォルニア大気資源局)のトップだけは外さずにTVカメラにインタビューを収めた。

 きっかけは新聞のベタ記事だったが、この件で日本から取材に訪れたのはお前が初めてだと日系メーカー担当者にもCARBの関係者からも言われた。今はどうか知らないが、日本の新聞社の取材体制を知る最初の機会だった。

 この手の情報は通信社任せで本紙の記者が自ら足を運ぶのは稀。記者クラブに所属して政府や企業などの情報源からもたらされる発表報道で紙面を埋める。組織の足並みを乱す独断専行は憚られ、特ダネを競うことよりも自社だけが配信漏れとなる特オチを何よりも恐れる。

 一度いすゞがポーランドに設立したエンジン工場を二人の先輩ジャーナリストと新聞の記者クラブメンバーグループとともに同行取材したことがあるが、そこで目の当たりにした横並びの意識、抜け駆けを心底恐れる村人感覚にはほとほと呆れた。3.11震災・原発報道で露顕した記者クラブ報道の実態に、即座に納得したのはそんな経験があったからだ。

 また手前味噌が始まったと言われそうだが、和を乱すことを恐れる余り真実から目を背けることがどれだけ後世に災いを残すかを知れば、俺が俺がという批判ぐらい屁でもない。 
  
LAautoshowの話だった。2005年まではデトロイトNAIASとほとんどかぶる1月中頃の開催と言うこともあって、今世紀からライフワークとして課した国際モーターショー行脚のラインナップに入ることがなかったが、2006年から現在の11月開催に移行し(この年は1月と2回開催)、以来東京(TMS)と重なった昨年以外は欠かさず足を運んでいる。

 俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーがカリフォルニア州知事在任中(2003~2011年)の2007年から始まったグリーンカーオブザイヤーの表彰式で生シュワちゃんを見てからもうこんなに?という感じだが、その間の時代の変化はまさにジェットコースター感覚。

 リーマンショックにGM/クライスラー破綻に東日本大震災に超円高‥‥。初回のグリーンカーオブザイヤー当時はVWもアウディもディーゼル一押しで、ハイブリッドもEVもPHVもFCVも我関せず。ジャーマンスリーが電動化に舵を切ったのはEU委員会のCO2排出120g/km規制案が本気と判明した2008年以降の話である。

 それまでは、トヨタとホンダが最先端を走っていた日本のハイブリッド技術を”使えない”と歯牙にも掛けなかったのに、120g/kmについで95g/kmが現実問題として浮上してからは、まさに手の平返しで『我々も長く研究してきた』と得意のプロパガンダで日本のお株を奪う電動化技術先進国ぶりをアピール。情けないことに自虐史観に染まった日本の自動車メディアは長年に渡る日本メーカーの研究開発を知らぬふりしたジャーマンスリー礼賛に明け暮れている。

 7年前のドイツにはハイブリッドのハの字もなかったことを指摘する者は稀だ。BMWのiシリーズをたったの5年で市販化レベルに持ち上げた技術力はさすがだが、その量産規模とボディ素材のCFRPの調達を日本の素材メーカーに頼っている現実を正当に評価しようとしないのは何故なのだろう。

 それがレギュレーションの自作自演に近いスーパークレジット狙いであり、120g/km規制対応の48Vのマイルドハイブリッドの一斉導入やその次の95g/kmをPHV化で凌ごうというスクラム体制も、純技術論を装って評価するのはなしにしてほしいものである。

  ドイツメーカーのやりたい放題と、その懐柔策に取り込まれっぱなしの我が自動車メディアの体たらくを見るにつけ、こんなんでいいのかなあと膝を折る今日この頃。

  今回のLAショーにおけるマツダの存在感についてはすでに報告している。もう一社、日本メーカーで勢いがあったのはトヨタで、11月18日に東京で正式発表したFCV『MIRAI(ミライ)』をショーフロアのエントランス際にドンッ。

  トヨタブランド以外にもLEXUSのLF-2C(RCのコンバーチブルコンセプト?)とSCIONのiMコンセプト(オーリスベースのホットハッチ)をワールドプレミア。環境最先端から粋なオープンに若年層狙いの現実的なスポーツモデルとそつなく揃える。そのワイドな展開にいつにないやる気を感じた。

  これに敏感に反応したのがVW/AUDIグループ。VWのゴルフ・ヴァリアント(ワゴン)ベースのHYMOTIONは、ミライの正式販売に慌てて対応したとしか思えない急ごしらえ。現在VWグループはカリフォルニアでFCVの実証走行を行なっているが、VWがパサート、AUDIがA7と北米市場での売れ筋で対応している。

 
ゴルフは日本国内で喧伝されているほどには米国市場での存在感はなく、LAでのワールドプレミアは完全にミライ対応。VW自慢のMQB (モジュラー・トランスバース・マトリックス)は当初からFCVのHYMOTIONの搭載を前提に開発されたというが、透視図を見るかぎり商品性はかなり怪しい。

  ワゴンボディでもFCVシステム/コンポーネントが収まっているようには見えず、居住性やユーティリティの面でもコンセプトが成り立つようには思えない。ミライの当て馬という推測はまんざらでもなくて、プレスデイ2日目にはVWブースのどこにもHYMOTIONの存在が認められなかった。

 今回はプレスツアーで初日だけ会場を訪れた日本メディアのグループもあったが、その事実を確認することなく情報を流している可能性がある。チェックしてみてほしい。情報戦はお互いさまだろうが、発表報道に慣れ親しんでいるとまんまと思う壺ということがあり得る。批評の精神ととりあえず疑う姿勢は欠かせないと思う。

  ポルシェにとってカリフォルニアは有力なマーケット。Petree Hallという専用の定席をこれまでとは違ったレイアウトに改め、ここでワールドプレミアするのが恒例化しつつあるGTSモデルのワールドプレミアを行なった。今回は本流の911(991)カレラGTSを持ってきた。GT3、ターボがともにPDK化した今、最強の7速MTモデルがこのGTSということになる。


  メルセデスベンツは独立ブランドとして立ち上げ失敗に終わったマイバッハをメルセデスベンツSクラスのデリバティブ(派生系)として再興する道を選んだ。リアドアとCピラー回りを中心に意匠を専用デザインとしたかなり本格的な6ライト仕立て。先だって発表されたPHVや後に追加予定のプルマンと合わせて6バリエーションを用意する布陣が着々と完成に近づいている。


  これにパリでワールドプレミアなったSLS AMGの後継モデルAMG GTと同じ心臓が埋め込まれたAMG C63をドンッ、ドンッ。エコを睨みつつ、シェール革命で緩んだ消費者マインドに直球勝負を挑む、グローバルとは少し異なるマーケットの特性に合わせたセンスが目を引いた。いろんな意味で狡猾なドイツといったところだろうか。

  で、肝心のデトロイトスリーはどうかというと、完全に世界の潮流とは離れた独自の世界観に戻りつつあるのでは? GMキャディラック以外のFORD、CRYSLERのプレスカンファレンスに立ち会うことはできなかったが、ブースのメインに存在感をアピールするモデルの顔ぶれに思わず唸った。

  今回LAに入ってまず目についたのがガソリンスタンドの料金表示。レギュラーガソリンが1ガロン(役3.8ℓ)/3ドル近辺と、年初に比べると50セントの大幅下落となっている。最安値では3ドルを切るGSも見かけた。

  こうなると路上の景色が一変するのはこれまで何度も見てきた現実だ。カリフォルニアは全米の中でも特殊な市場だといわれるが、比較的ガソリン価格が高くモビリティのクルマ依存が圧倒的な土地柄を反映してガソリン価格に敏感に路上を行くクルマのサイズやカテゴリーが変化する。複数保有が一般的な市場動向も関係するが、4ドル超えをした時などは本当に路上からSUVやピックアップトラックが姿を消した。

   LAautoshow初日朝一のアウディに続いたCadillacのプレカンはインパクトがあった。ステージ上で仕切るのはヨハン・ダ・ネイスン。7月にインフィニティのトップからGMの上級副社長兼キャディラック部門社長に転じた。4月の北京ショーで自らが開発を主導したQ50 Eau Rougeについての僕の質問に笑顔で応えていたその人が、もう何年も前からキャディラックで仕事をしているといった態で滔々とスピーチをこなしている。さすがは経営のプロ、凄いもんだと思った。
   そこで紹介されていたのがATS-V。3.6ℓV6ツインターボで455hp、61.5kgmのパワートルクはEau Rougeの568hp、61.2kgmに及ばないが、0→60mph3.9秒、最高速299km/hはほぼ同等。熱く語っていたオールージュからさっとATS-Vに切り換えて悪びれない。日本人でこれをやったら大顰蹙だろうが、これくらいのプロじゃないとブランド競争時代を勝ちぬくのは難しいのかもしれない。

  フォードブースを覗くと、ニューヨークNYIASでは50周記念として1964年のワールドフェア(ニューヨーク万博)の際にエンパイヤーステートビル屋上にも飾られたマスタングが新旧シェルビー350GTともどもドォ~んと一角を占めていた。

  クライスラーでも300Cとダッジ・チャレンジャー、チャージャー、ヴァイパーが往年の勢いを取り戻したかのように存在感を誇示し、合わせてGM、フォード、ダッジのピックアップトラック群もいつに増して明るく親しめるポジョンに展示されている。

  シェール革命による先行きの見通しの明るさゆえか、現実的なガソリン価格下落を敏感に感じ取った上でのアピールなのか。そんな詮索などどうでもいいかと思えるようなあっけらかんとした雰囲気。リーマンショックのかなり前、ミレニアムのITバブルに湧いた頃を彷彿とさせる明るさ。現金といえばそうだし、国際感覚の欠如というのも間違いではないが、そんなことお構いなしの底抜け感が正直を感じられて清々しい。

  現場を踏まないとこの感覚は分からない。人は必ずしも本音で語ってくれるわけではないし、肝心なことは隠されるのがビジネス界の常識でもあるが、隠そうとしても滲み出てしまう本音というものもまた人間の行いについて回る。エコの時代にそれはどうなのよ? それはそうなんだけど、アメリカらしいあっけらかんとした現金な変わり身は、理屈抜きに楽しそうに見えてしまうのだ。

















2014年12月2日火曜日

多分、初公開? NDロードスター北米仕様2ℓエンジンの横顔

  LA autoshowプレスデイ前日(11月18日火曜日)の夕刻、マツダはハリウッドの Raleigh Studiosでレセプション(懇親会)を開催。そこで翌日のワールドプレミアに先駆けてCX-3とNDロードスター北米モデルを招待された内外のプレス(2~300人規模)に公開した。

  小飼雅道社長以下主だった役員、開発責任者が列席するかなり大掛かりなイベントで、日本人プレスを含むグローバルなプレス対応ということでは知るかぎりマツダ初の試み。少なくともアメリカにおいてはそうで、SKYACITV TECHNOLOGYと魂動(SOUL OF MOTION)デザインによるブランド戦略の成果が明確に表れたことを強く印象づけた。

  CX-3は、SKYACTIVと魂動デザインによる新世代マツダの第5弾。NDロードスターの前に登場するマツダ2=デミオ派生のSUV仕立て。見た目としてはスカイアクティブ初号機となったCX--5の弟分といった感じだが、開発陣の思いはSUVというよりもSUV風味のコンパクトクーペ。ホイールベースを始めプラットフォームはデミオと共通だが、より自由度を高めたデザインにより約100kgの重量増を見ている。

  デザイン的には、Cピラーをブラックアウトすることでフローティングルーフ調の堅苦しさを排除しながら後端を下げる軽快なクーペルックを志向。魂動デザインの共通言語となっている大型グリルと動きのあるキャラクターラインでブランドとしての統一感を演出するが、いわゆるクロスオーバーSUVのラインは狙っていないという。

  リアシートの居住性やリーティリティスペースにはさほどこだわらない、まだ子供が小さい30代のファミリー層をメインターゲットと想定した、日産JUKEやホンダヴェゼル辺りと競合するゾーン。当初からマツダ2(デミオ)のデリバティブは企画されていたというが、具体化したのはCX-5の成功が見えた2012年中頃。そこから約18ヶ月でデザインフィックスから開発完了を迎えたという。

  デザインは完全に広島本社のデザイン部門のオリジナルで、グローバルな展開が優先されるCX-5からマツダ6、3、2とは根本から異なると松田陽一チーフデザイナーは胸を張る。

  第一印象はAピラーからCピラーまでの限られた寸法内にゴチャッとキャラクター要素が詰まりすぎる感じがして煩雑なやり過ぎ感が先に立った。その辺を率直に前田育男デザイン本部長に告げると、なかなか上手にプレゼンテーションを仕切り、リハーサルを含めてフラフラだと嘆く彼に「今の(消耗した) 俺にそれを言う?」真顔でしかられてしまった。

  このCX-3、100kgの重量増に対応して、マツダ2(デミオ)とは異なるエンジンラインナップを用意。日本向けは1.5ℓのSKYACTIV-Dが専用設定で、FF/4WD、6速MT/ATの組み合わせ。海外向けには、2ℓのSKYACTIV-Gと1.5ℓディーゼルが市場特性に応じて使い分けられたり併売されたりする。

   見慣れて来ると、最初の違和感も薄れ、濃いめの最新マツダキャラはこのくらい主張していてもいいか‥‥都ポジティブに受け止められるようになった。

   NDロードスターは、最多需要地のアメリカで初のモーターショーデビューを飾った。すでに4月のニューヨークNYIASでのベアシャシー展示から、オーナーズミーティングなどのファンイベント、9月4日の世界3拠点同時のワールドプレミア、そしてパリ、LAという国際モーターショー出展と、独自の展開を続けてきたが、今回は正式に北米仕様NDのエンジンは2ℓのスカイアクティブ-Gとなることがアナウンスされた。

  この情報については、すでにパリの段階で確認済みで、「1.5ℓだけとはひと言も言っていない」と山本修弘主査の口から聞いて「えっ?」となったが、「パリでは、欧州向けには1.5ℓと2ℓがあると言ったが(2ℓは非公式に認めただけだったはずだが)、日本仕様がどうなるかは何も言っていない」と頑なだった。

  「ロードスターのファンクラブの人々と正式発表に至るプロセスで交流を重
ねて来たけれど、お客さんからはひと言も排気量について聞かれたことはない」21年前に『反対声明』と銘打った1.6ℓから1.8ℓへのスケールアップに異を唱えた僕なので、拘りを持っていると思われても仕方がないが、そこを興味本位に問題化していると思われるのは心外だ。

  原点回帰やスペックに頼らないライトウエイトスポーツの魅力の再発掘をテーマにしたという4代目ロードスターだからこそ、キャパシティは重要なコンセプトのど真ん中に来るポイントになる。

  2ℓが存在すると聞いて、僕はそれはまあ当然のことだろうな、と思った。21年前の僕は今ほどには視野が広くはなく、国内目線だけの理想主義的発想から"反対声明"を書いていた。マツダMX-5ロードスターは言うまでもなく日本国内よりも海外に数多いファンが存在するグローバル商品だ。

  NA~NB~NCの流れが海外、それも最大マーケットの米国を中心に定められ、ビジネスとしての継続を考えて変遷を遂げたという事実は、当時のマツダの経営状況や技術レベルを考えると必然だった。理想だけではスポーツカーは作れない。どれだけ上手に妥協するかが腕の見せ所。平井敏彦初代主査は独自の哲学でロードスターを世に送り出した。

  受け継いだ貴島孝雄前主査の「とにかく継続させることがすべて」という姿勢も今となっては強く同意できる。僕は批評してより良きを求める立場として言いたいことを言わせてもらったが、NDの登場で無駄ではなかったと振り返ることができている。

  今度のロードスターは、一度挫折した後に「どうあるべきか?」を考え抜いた結果として行き着いた。2008年9月15日のリーマンショック。この日を境に、世界は恐慌状態に陥り、すべての自動車メーカーは深刻な事態に直面した。マツダは4期連続の赤字という危機に瀕し、サバイバルのために考案されたSKYACTIVのオリジナルプランに基づく身の丈にあった戦略に舵を切り、その中からロードスターもコンセプトから「御破算で願いまして‥‥」となった。

  そのプロセスに関わる重要な経緯を今回LAで掴んできた。北米の開発拠点MNAOのキーマンへのインタビューによって、ここまでの風変わりなNDロードスターの登場の仕方の理由が解けた。グローバルプロダクトの妙味というか難しさを改めて知った。NDロードスターは、まだ正式発表まで数ヶ月を残している。精度の高い情報がもたらされるのは年明け以降になるはずだが、今回のLAautoshowでは北米仕様のボンネット内を撮影することに成功している。横からのアングルはあまりないと思うので、このD/J動遊倶楽部blogをご覧の皆さんだけにご覧いただこうと思います。



  できれば、まぐまぐ!の有料メルマガ、伏木悦郎の『クルマの心』の定期購読をしていただいて、企業よりにならないフリーランスならではの視点で取材が可能になるサポートをお願いしたい。

http://www.mag2.com/m/0001538851.html

 FACEBOOKやtwitter、youtubeなどのSNSとの連動ももう一遍再構築して、企業サイドに偏らない多様な価値観に耐え得るメディアを目指したいと思っています。どうかご協力のほどを!!





Starting over.希望はあるか?

  まだ、エネルギーは十分残っている。落ち込んだ気分が見通しを暗くしているが、深刻に事態を悲観する時は過ぎ"なるようにしかならない"という境地に辿り着きつつある。年齢は62歳と8ヶ月。自分でもそんな歳になるなんて思いも寄らなかったところに、何のことはなくへらへらと佇んでいる感じ。あちこちガタが来て、耄碌が進んだ実感は否定できないが、気持ちとしては余り変わったような気がしない。

  もう少しジタバタしてみよう。先のことは分からない。計画立てて堅実に慎重に……でやって来れば苦労はなかったかもしれないが、こうなったのも自分ならではだろう。反省はしない、というよりできない。ひたすら後悔しながら、あたふたと一日一日を乗り越えて行くばかりだ。この期に及んで、すべてを白紙に戻してやり直しでは、これまでの自分が行き場を失う。

  大事なことさえ置き去りにしてきた自分を俺は恨まないけれど♪、永ちゃんが『もうひとりの俺』で歌うフレーズが今のお気に入りだ。男は敷居を跨げば7人の敵ありという。人が良すぎるというか、世事に疎いというか、長くgoing my wayでやって来たので気にも留めなかったが、気がついたら味方はほとんどいなくなっていた。

  基本的に徒党を組んだりつるんだりするのが苦手。無理して人に合わせるくらいなら、一匹狼のほうが性に合う。50になるまではそれで問題はなかった。もともとが文才があってこの仕事についたわけではないので、山あり谷ありのジェットコースターの波瀾万丈だったが、運の良さでなんとかかんとかやってこれた。

  しかし、年上より年下が多数派となる年代になると取り扱いが難しくなるようだ。こちらは相変わらずの気軽さで特段身構えているわけではないのに、キャリアが存在感を重くして取っつきにくくなるらしい。意見は人それぞれで異なってあたりまえ。基本的な考え方から持論を曲げず、言いたいことを言う。その態度が問題だったと気がついたのは最近のことである。

  何処かで利いた風なことを自分の意見の如く吐き、皆と同じ意見であることで安心する。多数派に属することが処世であり、尖った持論などもってのほか。自動車メディアで文筆を振るう者がどれくらいいるのか見当もつかないか、破天荒に際立った面白い論を吐く者のいかに少ないことか。

  ひとつの意見で事足りるなら、そんなに多くの人材など不要だろう。人の数だけある意見を持ち寄って丁々発止とやり合う中から生まれるのが勢いのあるジャーナリズムであり、多くの人々が求めるエンターテイメントの醍醐味だろう。自動車メーカーが発するプレスリリースに沿った考え方を上から下に流すだけの発表報道は、批評や評価を生業とする情報発信者の仕事ではなく、それは単なる広報活動の下請けだ。

  クルマはまだまだ面白い。このところ筆力が鈍り、このブログ『DRIVING JOURNAL』も長期にわたって開店休業が続いてしまった。carviewのスペシャルblogも滞りがちだが、こちらはもう少し複雑な事情があって、同じ場所に名を連ねている屑のような同業の、あられもない企業べったりの卑しい
態度に辟易としているから。まあ、やられっ放しでは面白くないので、少しは反撃態勢に入った方がいい。そんなこんなの再起である。

  落ちるところまで落ちたどん底から這い上がる。体力的には厳しいし、メンタルも相当痛んでいるから調子が出るまでにはしばらく掛かりそうだが、旅を続ける気力とエネルギーには事足りぬことはない。今年2014年もデトロイトNAIASに始まって、ジュネーブ、 ニューヨークNYIAS/北京、パリ・モンディアル・ドゥ・ロトモビル、LAautoshowと6つの国際モーターショーをカバーした。

  ネタに事欠かないのに、書く気力が萎えていた。甘えていた? 結果的にはそういうことになるが、様々な重圧に身動きがとれなくなっていたというのが正直なところだ。さすがに後がなくなると開き直らざるを得ない。

  FACEBOOKやtwitterでは何とか発信を繋いできたが、本家ブログを中心に有料メルマガやyoutubeを含むSNSとの連動からフリーランスライターとしてのサバイバルを模索する。

  数年前に決めた方針が勢いを失ったのは……もういい、過ぎたことだ。前を向いて進めるところまで行くばかりである。

  ということで、最近の気になった、気に入った写真を3点貼ります。

 

  まずはdriver11月20日号に掲載されたトヨタFCV『ミライ』のリポートで見開きで大きく使われたこの写真から。黒のMIRAIと僕。178㎝の身長との対比で分かる意外な背の高さ。

そうと感じさせないデザイン部門のトリックアートのセンスを活かしたスタイリング。走りの個性、完成度と合わせて非常に今後が楽しみなクルマ。余裕があれば即購入したい一台です。


  LAautoshowでworld premiereされたマツダCX-3。デミオ(マツダ2)のデリバティブ=派生系で、当初から企画されていたモデルということですが、開発着手はCX-5の成功が確認できた2年前。

デザインは、グローバルな展開をみせるマツダ2=デミオと違って100%広島本社が担当。デミオより約100kg重量増となることから、エンジンはガソリンが2ℓとデミオでも好評な1.5ℓディーゼルの2本立て。日本市場向けはディーゼル専用と割り切った。

気持ちは分かるが、ここは2ℓのスカイアクティブ-Gもラインナップさせて、SKYACTIV       TECHNOLOGY発表当初アピールしたダウンスピーディング(排気量を下げてターボでバランスをとるダウンサイジングに対して、トルクの充実による回転数抑制とドライブトレインの組み合わせで高効率を目指す)を世に知らしめる恰好の材料だったはずなのだが。

 
 そしてNDロードスター。北米向けには2ℓ直4が与えられることが公式にアナウンスされたが、実は日本向け仕様については「まだひと言も言っていない」。「えっ?」という感じだが、山本修弘主査は頑なだった。写真は日本向けの右ハンドル。

2ℓの北米仕様のボンネット内は撮影が許されたが、こちらはNG。微妙な情報コントロールが却って混乱を招きかねない。オープンカーはオープンに。これでやってほしいもの。
 
  それはともかく、この白に見えるボディカラー、実はセラミック系の灰色ということで正式名称は明らかにされなかったが、光線の具合によっては渋いグレーの表情を見せるとか。赤もいいけど、僕の一押しはこれです。

2014年1月3日金曜日

何だ、そうゆうことだったのか!

腑に落ちた。どうあがいても、一向に浮上する気配すら感じられない。そんな思いで耐える日々。思い起こせば、20年前にも同じようなことがあった……そのことに気づかされたのは、家人にせっ突かれて訪れた秦野の出雲大社相模分祠で何気なく目に留まった看板を見て。

厄年? 実は昨年もこの分祠に詣でているのだが、件の看板は目に入らなかった。だから今回が初見という感想なのだが、そこに記された該当年齢の表(僕の昭和27年は今年は当然消えている)を目の当たりにしてしばし唸ってしまった。縁起を担ぐほうではないと思うが、経験的に厄年はあり得ると理解している。

男の大厄の際には初めて内蔵にメスを入れる外科手術を受けたし、ポストバブルの90年代前半はここ数年とよく似た困窮の時代を味わった。僕は、自分でも何故?と思うほど頑ななまでに持論を曲げることがない。時代に合わせて軽妙に立場を変えられる人を羨ましく思うこともあるが、たとえ彼が編集長であろうが大企業の役員であろうが、意見を曲げてまでお追従をする気にはなれない。

結果として不遇を得ることが分かっていても、なかなかあらためることができない。それが本ブログのタイトル『からだとクルマ』の枕に掲げられた”孤立を恐れず、孤高に陥らず”という、ふつうの人なら(そんなこと書かなきゃいいのに)と眉をひそめる思いの丈にも表れている、と思う。

可愛げのない性格だと我ながら思うが、簡単に変えられるようなら今の心境に至ることなどない。あまりど好かれない”偉そうな”キャラだと我ながら思わないでもないが、間違ったことをしているという実感は本人にはまるでない。それが俺の個性だと客観的に認めるほかはないようだ。

なんだかちょっとオカルトめいた話だが、僕は神秘主義者でもなければ占い好きでもない。ただ、一晩寝ただけの年明けの朝になんだか清々しい気分を感じ、元日、二日と例の恩田川ウォーキングでポンポンと俳句(のようなもの)が浮かんだりした。根拠のない自信がムクムクと湧き上る感じがして、何か良いなあ…と思っていたところへ、この看板である。

都合のいいことはそのまま真に受けて、今年はいいぞ!!と思い込むことにしようと言い聞かせる今日この頃なのだった。

まあ拙い句ですが、FACEBOOKに書いた昨日と今日の木悦(bokuetsu=ぼくえつと読むまあ雅号です)の俳句をば!


元日
あるきぞめ こころはかるく おんだがわ                歩き初め 心は軽く 恩田川

二日

はつはるに みずそらあおく おんだがわ               初春に 水宙蒼く 恩田川